やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
オノゴロ島沖合、すでに乱戦状態に突入したオノゴロ島防衛線。
その戦場を、超絶的な速度で駆け抜ける一筋の「蒼い流星」があった。
「いやぁ、凄いもんだねぇこれは」
四足歩行の異形のモビルスーツ。
極限までチューンナップされた『蒼いブレードバクゥ』の複座式コックピットの中で、「砂漠の虎」と恐れられた男、アンドリュー・バルトフェルドは感嘆の息を零した。
ベースとなっているバクゥ本体の基礎設計にはそれほど大きな手は加えられていない。
しかし、かつての急造品であった頃の粗は完全に消え失せ、各関節部や駆動系には異常なまでの強化が施されていた。
己の殺人的な加速と負荷に機体自身が耐え切るためだけに、すべてのパーツが極限まで再計算された「真の蒼き獅子」であった。
「あの時、一騎打ちをした機体に今こうして僕自身が乗り回すことになるとは。……人の縁とは、本当にわからないものだ」
バルトフェルドが、懐かしさと苦笑いを交えて操縦桿を握り込む。
すると、後部座席で火器管制と索敵を担当している美しい相棒──砂漠の死闘を生き延び、今も彼の隣で微笑み続けるアイシャが、色っぽい声でクスクスと笑った。
「ふふっ、そうね。……全く、あんなに魅力的で不器用な男の子、誰だって欲しくなっちゃうわ」
「おいおい、君も大概、彼の事が気に入っているみたいだね。長年連れ添った僕としては、少し妬けてしまうよ?」
バルトフェルドが口の端を曲げて冗談めかすと、アイシャは彼の背中のシート越しに肩をすくめた。
「アンディも同じでしょ? あの子のことを一番気に入ってて、放っておけないのは」
「フッ……! そうとも言うが、ねッ!!」
バルトフェルドの目が、虎のそれへと鋭く細められた。
蒼いブレードバクゥの背部にマウントされた巨大なイオンブースターが、限界突破の蒼白いプラズマを噴き上げる。
「ドグゥッ!!」という大気が破裂するような衝撃音と共に、機体は音速を置き去りにした。
敵の本隊から迎撃に出たアヘッドが、ライフルを構えることすらできない。
背中から左右に水平へと展開された巨大なレーザーブレードが、すれ違いざまのコンマ数秒で、重装甲のアヘッドの腰を紙細工のように綺麗に両断した。
爆炎が背後で上がる中、バルトフェルドはメインモニター越しに、はるか上空で阿修羅の如く敵を解体し続ける『シロガネ』の姿を見上げていた。
「……人々を惹きつけ、ああして言葉と背中で見事に鼓舞してみせたかと思えば。自分の大切なものを侮辱された途端、烈火のように怒りを爆発させて修羅になる」
バルトフェルドは、コーヒーの味を噛み締めるように低く呟いた。
「計算ではなく、天然でアレをやっているとしたら……本当に、底知れぬ大した『器』だよ」
技術者としてこの蒼いバクゥを組み上げ、ティエレンという歴史を変える兵器を開発してみせた天才的な頭脳。
そして、一騎当千のパイロットとしての圧倒的な武力。
だが、バルトフェルドが今、キラ・ヤマトに最も感心し、畏怖すら覚えているのはそこではない。
人を率い、人の上に立つというのは、才能や技術だけでどうにかなるものではない。
兵士の命を背負う覚悟、国民の不安を受け止める度量、そして、絶対に引けない一線を自ら引き、それを侵す者に対しては一切の容赦なく『力』を行使する決断力。
それらすべてを含めた「為政者・指導者としての器」が試されるのだ。
かつて、砂漠で敵を殺すことに泣いて震えていたあの少年は。
今や一国の命運を背負い、世界中の悪意を真っ向から受け止めながら、その重圧を跳ね除けて見事に『指導者』としての役割を成し遂げている。
「流石、としか言いようがないな。僕たち大人が束になっても敵わない」
「ええ。だからこそ、私たちはあの子の作る未来を、特等席で見届けなくちゃね」
「フッ、違いない!」
バルトフェルドは嬉しそうに吠えた。
かつては敵同士として殺し合った男に、こうまで清々しく「背中を預けたい」と思わせる。
それこそが、キラ・ヤマトという少年の最大の魔力なのだ。
「さあて、若き総司令官殿が一人で全部食ってまう前に、僕たちも一仕事するとしようか! 振り落とされるなよ、アイシャ!」
「アンディこそ、舌を噛まないでね!」
オーブの地を蹂躙する狂信者たちの群れへ向けて、蒼き獅子は再び音速の壁を破る。
大人の余裕と歴戦の牙を剥き出しにした『砂漠の虎』もまた、白銀の英雄が切り開いた光の道を、極上の笑みを浮かべながら縦横無尽に駆け抜けていったのである。
◇◇◇
オーブ近海に潜むボズゴロフ級潜水艦。
その艦内の薄暗い管制室は、メインモニターから放たれる白銀の閃光によって、青白く照らされていた。
ラウ・ル・クルーゼは、そのモニターを見つめていた。
仮面の下の瞳は、穏やかであるはずがない。だが、その表情は驚くほどに静まり返っていた。
『僕は、オーブ連合首長国国防軍最高軍事顧問、キラ・ヤマト准将────!!』
『あらゆる邪悪を打ち砕く、笑顔の盾と成る者だっ!!』
スピーカーから響く少年の絶叫は、通信機を通してもなお、魂を揺さぶる熱量を孕んでいた。
狂信、憎悪、殺意……そんな汚泥のような言葉で満たされた戦場に、たった一人、不器用なまでに「護る」という概念を掲げた少年。
彼が齎したティエレンという名の鉄の棺桶が、彼が解いたOSの理が、かつてクルーゼが盤上で描いた「管理された総力戦」のシナリオを根底から粉砕した。
「……愚かな。あまりにも愚かな、希望の語り手よ」
ラウの唇が、冷笑を形作る。しかし、その声には皮肉以上に、深い疲労が混じっていた。
彼がこの世界を憎んだのは、すべてが虚無であったからだ。
身勝手な理由で生み出され、失敗作として捨てられ、己の短き命を呪い、その業を人類すべてに押し付けようとした。
人類という種そのものを滅ぼせば、自分という存在の不完全さも、この醜い歴史も、すべて無に帰すことができる。
それが、ラウにとっての唯一の救済であり、復讐だった。
だが、今モニターに映る少年は、その憎悪の鎖を自らの手で断ち切ろうとしている。
たとえそれが、どれほど青臭い理想であっても、どれほど傷つき、血を流し、自身を悪魔に変えてまで成し遂げようとしているものだとしても。
「……あの子は、自分を犠牲にして、何を守ろうとしている?」
ラウの視線の先には、シロガネの背後で、かつて自分が拾った……いや、自分と同じ「クローン」である少年、レイ・ザ・バレルが、安らかに過ごせるはずのない明日に向かって、それでも歩もうとしている姿が脳裏を過る。
自分が世界を滅ぼせば、レイも死ぬ。
自分が絶望を撒き散らせば、レイが抱くはずだった小さな希望も灰になる。
この憎しみの鎖に縛られた世界に、レイという「明日」を残すことが、果たして救いなのか、それとも呪いなのか。
クルーゼは、ずっと自問自答を続けていた。
「ハ……ッ。キラ・ヤマト。君は私とは違う。君は、自分の意思でその『運命』に反逆した。世界を滅ぼすのではなく、世界を護るための修羅になることを選んだ」
仮面の下で、ラウの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、人類に対する絶望の涙ではない。
自分には決して選べなかった──愛する者を守るために、世界を敵に回してでも「盾」になると叫ぶこと。
あの眩いばかりの少年の生き方に対する、強烈なまでの嫉妬であり、憧憬であり、そして残酷なほどの敗北感だった。
「……歪んでいるよ、この世界は。君が生み出した機械で、君が戦場を塗り替えていく」
ラウはコンソールに手を置いた。
アル・ダ・フラガという男を抹殺し、復讐は成した。
ならば、自分の目的は……?
モニターの中で、シロガネが阿修羅のごとく敵を蹂躙する。
その姿は、かつて自分が目指した「人類の滅亡」を、別のアプローチで実行しているようにも見える。
もし彼がこのまま世界を救い、そして最後に傷ついて果てるのなら、それは自分という存在が夢見た「完全なる終焉」よりも、ずっと劇的で、ずっと救いのある結末ではないか。
「キラ・ヤマト。君がその『笑顔の盾』で、どれほどの嵐を凌ぎ切れるか。もし君が本当に、この腐りきった世界を塗り替えられるというのなら……」
ラウは仮面に手をかけ、わずかにずらした。
そこにあるのは、老いさらばえた己の素顔ではない。
ただ静かに、滅びゆく世界のゆくえを、そして自分たちと同じ遺伝子から生まれた者たちが導き出す、全く新しい時代の「答え」を待ちわびる、一人の観測者の眼差しだった。
「せめて、私が見届けよう。……君という、あまりにも眩しい『失敗作』が、この世界をどこへ連れて行くのかをね」
ラウは再び深く仮面を被り直し、潜水艦の深く冷たい闇の中へと身を沈めた。
◇◇◇
南太平洋の海に展開していた大西洋連邦のブルーコスモス艦隊は、今や見る影もなく蹂躙されていた。
ジブリールが「本隊」として誇った新型機『アヘッド』の全滅。
そして、白銀の悪魔──キラ・ヤマトが駆る『シロガネ』による圧倒的な武力の行使。
数分前まで、「魔女の国を滅ぼせ」「焼き払え」と狂信的な罵声を張り上げていた敵兵たちのコックピット内は、今や完全なパニックと恐怖に支配されていた。
彼らは皆、自らが絶対の正義であると信じて疑わなかったはずだ。
だが、いざ己の命が消し飛ぶ危機を前にすると、その選民意識はあまりに脆く崩れ去った。
「ひ、ひぃぃっ! くるなッ、くるなァッ!!」
「俺は死にたくない! まだ家族が待ってるんだ、撤退だ、撤退させろ!!」
さっきまで英雄気取りで引き金を引いていた者たちが、今はただの臆病な逃亡者へと成り下がっていた。
無様に背を向け、我先にと加速する彼らの機体は、かつてオーブの将兵たちが浴びせられた罵声など忘れたかのように、ただ命乞いをしながら戦場から離脱を始める。
その光景を見たオーブ軍の将兵たちは、怒りのあまりに咆哮を上げた。
「待てェッ!! 逃がすなッ!!」
「あいつら、散々俺たちの国を、准将を侮辱しておいて……! 今更命が惜しいだとッ!?」
「追え! あんなクズどもを逃がせば、また必ず牙を剥いてくるぞ!!」
前線のティエレン部隊、そしてアストレイの全機が、スラスターを全開にし、逃げ惑うブルーコスモスシンパの背中を撃とうと銃口を向ける。
その顔には、殺意というよりも、汚物を浄化しようとする峻烈な怒りが宿っていた。
だが、その殺到する追撃を、一本の光の刃が遮った。
『シロガネ』が、逃走する敵艦隊と追撃するオーブ軍の間に、割って入るようにして浮遊する。
そして、その右腕を水平に、真っ直ぐに横へと突き出した。
ビームライフルが空を指すのではなく、ただ一直線に「境界線」を引くように。
その静かなる制止のジェスチャーに、オーブ軍の全機がピタリと動きを止めた。
「閣下! なぜです! ここで叩かなければ、奴らはまた……!」
通信回線越しに、前線の隊長が血相を変えて嘆願する。
皆、必死なのだ。家族を、国を、愛する人々を守るために、どれほどの恐怖と疲労に耐えてきたか。その怒りを押し殺せるはずがなかった。
キラ・ヤマトは、ヘルメットの中で目を閉じ、小さく息を吐いた。
そして、静かな、しかし戦場全体に響き渡る透き通った声で、彼らに語りかけた。
『僕たちは、殺戮者じゃない』
その言葉は、先ほどまで阿修羅の如く敵を屠っていた男のものとは思えないほど、穏やかで、しかし鋼のように揺るぎない響きを持っていた。
『僕たちは、大切なものを守るために立ち上がった……オーブ連合首長国の国防軍だ。また明日、また襲ってくるなら、その時はまた戦うだけだ』
キラは、逃げ去る敵の艦影を見つめながら、静かに続けた。
『生命が惜しくて逃げ出す相手の背中を撃つのは、僕たちが一番憎んだ「卑怯者」と同じことだ。……皆、どうか思い出してほしい』
モニター越しに映るキラの瞳は、阿修羅の輝きを失い、かつてのような純粋な、しかし戦火を潜り抜けた者だけが持つ慈しみの光を宿していた。
『君たちのその胸にある忠義も、誇り高き矜持も。……ただの殺戮のためにあるものじゃないはずだ』
その優しすぎる言葉に、追撃の意志を燃やしていたオーブの将兵たちの指から、力が抜けていく。
彼らはハッとして、己の銃口が指し示していた場所を見た。
そこには、ただ逃げ惑うだけの臆病な者たちがいるだけだった。彼らと同じように、家族を想い、生きることを望む、一人の人間たちが。
シロガネの威圧感。
そして、鬼神の如く戦いながらも、最後に「オーブの軍人としての道」を示したキラの背中。
その両方を目の当たりにした将兵たちは、自らの怒りが、いつの間にか敵と同じ『憎悪の連鎖』に飲まれかけていたことに気づいた。
「……そうか。私たちは、准将の隣に立つ軍人だ」
「ああ。……背中を撃つような真似は、オーブの誇りが許さない」
熱くたぎっていた怒りが、次第に静かな自制心へと変わっていく。
オーブの艦隊は、ゆっくりと銃口を下ろした。
逃げ去る敵艦隊は、まるで敗残兵の群れのように、水平線の彼方へと消えていく。
キラはその背中を見送りながら、小さく呟いた。
「皆、本当にありがとう。……帰ろう、僕たちの家へ」
彼がかつて夢見た「誰も傷つかない世界」は、まだ遠い。
だが、こうして自らの手で過ちを正し、憎しみの連鎖を断ち切る強さを持ち続ける限り、オーブという国は、どんな嵐の中にあっても、決して『邪悪』には染まらない。
白銀の翼を広げたシロガネの周囲に、誇り高き獅子たちが静かに寄り添い始める。
夕闇が迫るオーブの海に、勝鬨の歓声ではなく、護り抜いた者たちだけが分かち合える、深く静かな安堵の吐息が広がっていった。
◇◇◇
ヘブンズベースの司令室に、ロード・ジブリールの狂乱した叫びが木霊した。
「全滅……だと!? あの新型『アヘッド』を主軸とした本隊が、だぞッ!!」
モニターに映し出されるのは、海面を覆い尽くすほどのブルーコスモス艦隊の残骸と、ただ一点、銀色の光を放って天空へと昇っていく白銀の機体だけだ。
アラスカからの増援、膨大な資金を投じて掻き集めた技術の結晶、狂信者たちの執念──そのすべてが、たった一人の英雄と、それを支える一個の小国の前に、まるで砂の城のように崩れ去った。
「有り得んだろう!! あの南のちっぽけな小国にっ、世界を牛耳る我らブルーコスモスの軍事力をぶつけたのだぞ!!」
ジブリールの声は震えていた。
怒りではない。
それは、自身の根底にあった「力こそが世界の理」という歪んだ信念が、木っ端微塵に打ち砕かれたことによる、根源的な恐怖だった。
散発的な襲撃で敵の疲労を誘い、戦力を削り、最後に圧倒的な『数』と『新型兵器』という暴力で蓋をする。
計算の上では、勝率は100%に近かった。
だが、現実は違った。
狂信教義で繋ぎ止められた烏合の衆と、絶望の淵から這い上がり、愛する国と英雄のために結束した「軍」との間には、埋めようのない深淵があったのだ。
かつて技術中立国として、MS開発を黙認していた頃のオーブなら、彼にとって手乗りサイズの小鳥に過ぎなかっただろう。
それが今や、キラ・ヤマトという「悪魔」と「英雄」の二面を持つ男を擁し、サハク家の闇の力と、アスハ家の獅子の焔を合わせた鉄壁の要塞と化している。
「自国MS量産した程度で……、技術を少々かじった程度の島国が……ッ!!」
彼が「アヘッド」というカードを切れば、オーブは震え上がるはずだった。
しかし、そのカードはキラ・ヤマトという「絶対的暴力」の前では、屑鉄を並べただけの無意味な陣列に過ぎなかったのだ。
「……盟主、撤退を。このままでは、ヘブンズベースそのものが」
側近の将官が青ざめた顔で進言するが、ジブリールにはその言葉が届かない。
彼はモニターの中、『シロガネ』の姿を、まるで呪いでも見るかのような形相で見つめ続けている。
彼が求めたのは「ブルーコスモスによる秩序ある国の滅び」だった。しかし今、彼の目の前で展開されているのは、自分たちの滅びを加速させる「オーブという名の処刑場」である。
アヘッドの全滅という事実は、ジブリールからすべてを奪い取った。
彼が頼みとしていた最新鋭の技術も、資金力も、動員した兵力も、あの少年が微笑みを浮かべて立ち塞がれば、何の価値もない。
「私が……負ける? この私が、あの子供に……ッ!!」
ジブリールの指先が震える。
彼が用意したアヘッドも、彼が信じたブルーコスモスの教義も、すべてが笑い種に終わろうとしていた。
かつては「技術中立」という穏やかな盾で守られていたオーブは、今やキラ・ヤマトという「光」と、ロンド・ミナ・サハクという「影」、そしてカガリ・ユラ・アスハという「意志」によって、世界で最も恐ろしい『鋼の国家』へと変貌を遂げている。
ジブリールは悟った。
自分が今、何をしでかしたのかを。
彼は小国を狩ろうとして、自ら、世界を終わらせる神を地上に降臨させてしまったのだ。
◇◇◇
オノゴロ島の海岸線から火の手が遠のき、上空を覆っていた重苦しい戦雲が割れ、陽光が降り注ぎ始めた。
地響きのような激戦の余韻が残る中、オーブ本島・ヤラファス島の地下シェルター群の重厚な防爆扉が、重々しい音を立てて開放された。
「……あいた。空だ」
最初の一人が外に出た。続いて、堰を切ったように人々が、おずおずと、しかし確かな希望を持って地上へと這い出した。
目に飛び込んできたのは、無残に抉れた海岸線と、崩れ去った建物の残骸、硝煙で黒ずんだ街並み。
だが、その光景の中に、人々は『絶望』ではなく『生』の証を見出していた。
5日間、彼らを縛り付けていたのは死の恐怖だった。それが今、終わった。
「パパ……!」
「ママァ……!」
あちこちで子供の泣き叫ぶ声が上がる。
それは恐怖からではない。再会を果たした家族の元へ駆け出す、歓喜の叫びだ。
帰還したオーブ国防軍の将兵たちもまた、ボロボロになった機体を降り、泥と油にまみれた姿で、駆け寄ってくる家族を抱きしめた。
彼らの装甲は引き裂かれ、銃身は焼け付き、それでも誇り高くそこに居た。
その顔には、死線を越えた者だけが持つ、深く、そして晴れやかな笑みが浮かんでいた。
『戦死者ゼロ』。
誰がこの極限の地獄で、そんな奇跡を信じただろうか。
この5日間、どれほど激しい砲火を浴びようとも、彼らは「殺す」ことよりも「守る」ことを優先した。
キラ・ヤマト准将と、カガリを泣かせない為に、文字通り一兵卒に至るまでが敵を倒すより自らの生命を繋げ。
それを己の血肉に刻み込み、体現した結果だった。
家を失った者は多い。
街は瓦礫の山だ。
それでも、彼らは笑っていた。命さえあれば、何度でも作り直せるからだ。
「……准将だけじゃない」
瓦礫に腰を下ろした一人の老人が、泥だらけの将兵たちを見つめながら、静かに呟いた。
「白銀の英雄様が、あの空から私たちを導いてくださったのは確かだ。だが……あの光の下で、泥水を啜り、銃弾の盾となってくれたのは、この子たちだ。私たちの家族だ」
その声に、周囲の人々が頷く。
かつては「国防軍」という遠い存在だった彼らが、今は目の前で妻の肩を震わせ、泣きじゃくる娘を抱きしめ、老いた両親の手を握りしめている。
キラ・ヤマトという「白銀の英雄」は空を切り裂き、道を拓いた。
だが、その道を通って明日へ帰ってきたのは、紛れもなく、自分たちの隣で笑い、語り合っていた普通の息子であり、娘であり、父親たちだった。
「ありがとう……本当に、ありがとう。おかえり」
誰からともなく掛けられたその言葉が、戦場という殺伐とした空気を、一気に「日常」へと引き戻していく。
一人の兵士が、愛する者の温もりを確かめるように抱きしめ返し、その瞳から大粒の涙を零した。5日間の緊張が溶け、初めて彼らは「戦士」ではなく「愛する者の守護者」として、帰るべき場所へ帰ってきたことを実感していた。
空を見上げれば、そこにはまだ、戦火の名残である白煙が漂っている。
しかし、その煙の切れ間から覗く空は、どこまでも高く、青い。
「……終わったんだね」
キラ・ヤマトという英雄の背中を信じ、命を懸けて盾となった無数の将兵たち。
そして、その盾に護られ、再び明日を生きる希望を掴んだ無辜の民草。
オーブ連合首長国のいたるところで、英雄と英雄が抱き合い、明日という未来が、また静かに産声を上げようとしていた。
戦いは終わった。
だが、彼らにとっては、ここからが真の「平和」という名の、何よりも長く、そして愛おしい戦いの始まりなのだ。
◇◇◇
静寂に包まれた行政府の一室。
窓の外では、ようやく訪れた平穏に安堵するように、夜の風が穏やかに吹き抜けていた。
事後処理をキサカに預け、カガリは重い溜息を吐き出すようにして、目の前の少女に視線を向けた。
ラクス・クライン。
彼女もまた、この修羅場においてティエレンを駆り、戦い抜いた同志であり、そしてキラを愛する者。
「悪いな。疲れてるのに呼び出したりして」
「いいえ、わたくしは大丈夫ですわ」
ラクスは変わらぬ柔らかな微笑みを浮かべていた。
その瞳には、すべてを見透かすような、深く澄んだ輝きがある。
カガリはコップの水を一気に飲み干すと、意を決したように切り出した。
「キラと、その。……寝た」
その言葉は、爆弾のように静かな部屋に落ちた。
だが、ラクスの反応はカガリの予想を裏切るものだった。
彼女は驚きに目を見開くと、両手をそっと頬に当て、花が咲くような喜びをその表情に浮かべた。
「……あらあら、まぁまぁまぁ!」
「……怒らないのかよ。一応双子だぞ」
カガリのぶっきらぼうな問いかけに、ラクスは穏やかに首を振った。
「ふふ。愛することに立場も資格もありませんわ。必要だから愛するのではなく、愛しているから、必要なのですわ」
その言葉は、理屈ではない真理としてカガリの胸に深く突き刺さった。
敵わない、とカガリは思う。この少女の抱く愛の深さと広さには、自分はどうしても勝てない。
「ええ。ですが、ちょっとカガリさんが羨ましいですわ」
「羨ましい?」
「キラのことですから、いっぱいいっぱいになったら、わたくしの所へと甘えに来ると思っていたのですけど」
ラクスは寂しそうに、だが心から愛おしそうに微笑んだ。
それは、キラの孤独を誰よりも理解し、受け止めてきた彼女だからこその言葉だった。
「……そこはな。私はお姉ちゃんだからな」
「ええ。わたくしでは踏み込めない姉弟の絆。そこだけは、わたくしも敵いませんわ」
互いに認め合う、歪な、しかし強固な関係。
カガリは少しだけ照れくさそうに、けれど真っ直ぐに言い返した。
「それだけじゃないぞ。キラに対する想いだって負けてないぞ」
「ふふ。そうですわね。ハンバーグ、おつくりになられるのでしたわね?」
「……っ! そっちこそ、あんまりキラに唐揚げ食わせまくるなよ? いくらなんでも胃もたれするぞ」
たわいもない言い合い。だが、それが今の二人にとっては、何よりの絆の証明だった。
やがて、カガリはそれまでの穏やかな雰囲気を引き締め、少しだけ声を低めた。
「私な、今日キラと繋がった。……そしたらさ、色んなことを知った。アイツが抱えてる本当の辛さも、全部さ」
ラクスの表情から笑みが消え、静かな慈愛が宿る。
「ええ。キラは、とても重いものをその心に抱えておりますわ」
「……ずっこいよなぁ。最初から全部知ってて、私が困らないように兄貴みたいな立ち回りしてさ……。砂漠でなんか2回も殴られたぞ。自分の立場を考えろって。ま、その通りなんだけどさ。あの時の私は、自分でも無かった」
カガリの脳裡を過るのはヘリオポリスで初めて出逢った時から、アフリカの砂漠で再会した時の事を思い出す。
自分の立場を考えないで突っ走った自分を、キラは陰日向に支えて、導いてくれた。
「でも、それから変わられたのでしょう?」
「やりたくないけど、自分がやるしかないって泣いてからな。だからアイツのことを守ってやりたくて。それがだんだん、アイツのことを放っておけなくて。双子なんて言われたって、そんなん遅いぞ。私はもう、アイツなしじゃ生きられない」
カガリの言葉を聞いたラクスの瞳に、優しく、しかし確固たる意志が宿る。
「そうですわね。わたくしも同じですわ」
二人の想いは重なる。
カガリはテーブルに置かれた自分の指を見つめた。今日という日が、これからの人生を決定づけるものになる。
「……まぁ、だからさ。一応筋は通しておこうって思ってさ」
「わたくしより、ウズミ様の方が大変ですわよ?」
「だな。あーあ、拳骨の1発は覚悟かなぁ」
カガリは苦笑した。だが、その表情には迷いはない。
尊敬する父、そして今の自分を導いてくれる人。
でも、誰に何を言われようと、キラとの関係だけは、絶対に譲るつもりはなかった。
「……帰るか、ラクス。明日はまた、復興の作業がある」
「ええ。明日もまた、わたくしたちの愛する世界を守るための戦いですわ」
夜の闇が二人を包み込む。
その心には、白銀の英雄を護り抜き、共に歩むという、静かな、しかし燃えるような決意が灯っていた。