やめてよね、僕が准将みたいに出来るわけないじゃないか 作:星乃 望夢
オノゴロ島の激戦から一夜明け、アークエンジェルの艦長室には、コーヒーの穏やかな香りが漂っていた。
デスクを挟んで向かい合うマリュー・ラミアスとキラ・ヤマト。
その光景は、かつてこの艦で何度も繰り返された「艦長と一介の少年パイロット」の面談のようでありながら、決定的に意味合いが異なっていた。
「改めて、ありがとうございます。ラミアス艦長」
「良いのよ。私たちが勝手にしたことだもの」
ふわりと微笑むマリューに対し、オーブの軍服に身を包んだキラは、タブレット端末をデスクに置きながら淡々と説明を続けた。
「クルーの皆さんについては、特にこれと言って行動の制限は掛けません。アークエンジェルについても、一時的な『海賊』から『傭兵契約』に移行し、そこから『オーブ国防軍への正規雇用』という形で処理をしておきました。これなら、大西洋連邦側からも建前上は手出しができなくなりますから」
「そう。助けに来たはずなのに、かえって仕事を増やしてしまったわね」
「いいえ、そんな。皆さんが来てくれなかったら、どうなっていたかわかりません。とても助かったのは事実ですから。せめて、これくらいの事はさせてください」
キラは当然の義務をこなしたかのように、穏やかな笑みを浮かべてみせた。
その淀みない説明と、政治的・法的な抜け道を完璧に用意してみせる手回しの早さに、マリューは感嘆の息を漏らすと同時に、どこか眩しいものを見るような目を向けた。
「……本当に、大人になっちゃったのね」
「そうでないと、守れないものが多過ぎますから」
キラの返答は、静かだが、鋼のような重みと覚悟に満ちていた。
マリューの脳裏に浮かぶのは、たった4ヶ月前──アフリカで別れた時のキラの姿だ。
あの頃の彼は、類い稀な才能と優しさを持ちながらも「自分が戦うことの意味」に苦悩し、傷つき、危うさを抱えた少年だった。
マリュー自身、彼に重荷を背負わせていることに罪悪感を抱き、保護者のような目線で彼を案じていた。
しかし今、目の前でオーブの軍政を切り回し、一国の命運を背負って立つこの若き将軍からは、あの頃の迷いや痛々しい危うさは微塵も感じられない。
達観していて、しっかりしているのは以前もそうだった。
けれど、その裏にあった「誰も傷つけたくない」「戦いたくない」という自己矛盾の揺らぎが、今のキラからは完全に消え去っている。
(──自分が泥を被ってでも、愛する者たちを守り抜く。その覚悟を決めたのね)
マリューは、前日の戦闘で彼が見せた「阿修羅」のような戦いぶりを思い返した。
自分たちアークエンジェルを罵った敵を、彼は一切の慈悲もなく屠った。
あれは、かつてのキラであれば絶対にできなかったことだ。
優しさを捨てるのではなく、優しさを『守るための刃』として研ぎ澄ませたからこそ、彼はあそこまで冷徹で強靭な英雄になれたのだ。
「……立派よ、キラ君」
マリューは、階級で呼ぶのをやめ、親しみを込めてそう呼んだ。
「貴方がそこまで強くなってくれたこと。そして、私たちの帰る場所をこうして守り抜いてくれたこと。……かつての貴方の艦長として、これほど誇らしいことはないわ」
「マリューさん……」
キラの瞳が、少しだけ少年のように揺れた。
しかし、すぐに嬉しそうに目を細め、深く頭を下げる。
「僕の方こそ、誇りです。世界中が敵になっても、僕の背中を守るために駆けつけてくれる人たちがいる。……その事実が、僕を一番強くしてくれました」
キラの言葉に、マリューの目頭が少しだけ熱くなる。
アークエンジェルを無断で発進させた時、自分たちは最悪、軍法会議や死罪すら覚悟していた。
だが、この優しすぎる少年は、そんな自分たちの居場所を、この国に用意して待っていてくれたのだ。
「フフッ……参ったわね。もうすっかり、私たちが貴方に守られる側になっちゃったみたい」
「そんなことありません。これからも、アークエンジェルにはオーブの……僕とカガリと、一緒に戦ってほしいんです。頼りにしてますよ、マリューさん」
「ええ。任せてちょうだい、キラ君」
偶然出会った少年と女艦長は、様々な運命の螺旋を経て、今、共に同じ国と理念を守り抜く『対等の戦友』として、新たな絆を結び直したのだった。
◇◇◇
静まり返ったアークエンジェルの通路を歩きながら、キラは無意識に軍服の襟元を正した。
先程まで艦長室でマリューと交わした、とても温かく甘い余韻を心の奥底に大切に仕舞い込み、彼は再び「オーブ国防軍最高軍事顧問」としての冷徹な仮面を被り直す。
次に向かうべき場所、そして相対すべき人物の顔が脳裏に浮かんでいたからだ。
自動扉が重々しい音を立ててスライドし、キラはブリッジへと足を踏み入れた。
「キラ・ヤマト、入ります」
「ご苦労さまです、准将閣下!」
その声と共に、ブリッジ内の空気が一瞬にして張り詰めた。
艦長室で休息を取るマリューに代わり、第一戦闘ブリッジの指揮席で艦を預かっていたナタル・バジルールが、弾かれたように立ち上がり、一糸乱れぬ完璧な敬礼をキラへと送る。ノイマンやチャンドラといったクルーたちも、それに倣って背筋を伸ばした。
マリュー・ラミアスが艦長席に座っているとき、アークエンジェルのブリッジにはどこか家族的な、温かく柔らかな雰囲気が漂う。
しかし、その主がナタルに変われば、空間は一変して軍艦特有の研ぎ澄まされた刃のような、キリッとした緊張感に包まれる。
指揮官の性質がこれほどまでに明確に反映されるのが、アークエンジェルという不沈艦の面白さであり、強さでもあった。
「楽にしてください。皆さんも、長時間の戦闘態勢、本当にお疲れ様でした」
キラは穏やかな微笑みを浮かべてクルーたちを労うと、ナタルの前へと歩み寄った。
「それと、ナタルさん。少し良いですか?」
「はっ、お供させて頂きます! ノイマン曹長、後の指揮は任せる!」
「了解しました、副長」
キラが背後の扉を人差し指で示して名指しすると、ナタルは軍人の鑑らしく、一切の無駄がない動作でそれに従った。
二人が向かったのは、以前キラが割り当てられていた『士官用居室』だった。
無機質で簡素な造りのその部屋は、当時のまま綺麗に清掃され、維持されている。
かつてこの部屋のベッドで、戦うことの恐怖や重さに耐えかねて幾度も泣き崩れていた少年の面影を、キラ自身も懐かしむように見回した。
「すみません。お仕事中なのに呼び出してしまって」
「いえ。現在の周辺空域に敵影はなく、私の離れたところで直ちに問題が起きる状況ではありません。ラミアス艦長も直ぐブリッジへ戻られると思いますから、お気になさらず」
そう口にするナタルは、生粋の軍人としての姿勢を微塵も崩すことなく、年下の、しかし階級上は遥かに上官となったキラに対して厳格に接していた。
「マリューさんにも先程お伝えしたのですが、アークエンジェルはこれより正式に『オーブ国防軍』への配備となりました。クルーの皆さんの階級についても、以前の連合軍時代のものをそのままスライドする形で適応・承認するよう、行政府と軍本部に手配してあります」
その言葉に、ナタルの鋭い双眸がわずかに見開かれた。
それは、彼女たちが海賊といった不安定な立場から脱却し、国家の正規軍という確固たる身分を保障されたことを意味する。
大西洋連邦から「反逆者」として追われる身となった彼女たちにとって、それは何よりも欲しかった「大義」と「帰るべき場所」であった。
「……また、准将には大きな借りを作ってしまいました。我々の処遇まで、これほど迅速に手配して頂けるとは」
「良いんですよ。借りを返しているのは、むしろ僕の方です。……というより、マリューさんやムウさんはともかく、あのナタルさんが軍を抜けてまで、このオーブへと来てくれたことが、僕には心底びっくりしているんです」
キラのその言葉には、偽りない驚きと深い感謝が込められていた。
代々続く軍人家系の生まれであり、規律に厳しく、地球連合軍の軍人たることに誰よりも誇りを持っていた彼女だ。
本来であれば、軍の命令に背き、脱走艦に乗り込んで祖国に弓を引くなど、彼女のアイデンティティを根底から否定する行為に等しい。
どれほどの葛藤と、血を吐くような苦悩の末にその決断を下したのか、キラには痛いほど想像がついたのだ。
「……私は、バジルール家の名に泥を塗った叛逆者です。本来であれば、軍法会議で銃殺刑に処されても文句は言えない身」
ナタルは目を伏せ、自嘲するでもなく淡々と自らの罪を口にした。
しかし、再び顔を上げた彼女の瞳には、一切の迷いも後悔も存在していなかった。
「ですが、私は誓ったのです。借りを返す、と。そう自分自身と、そして貴方と約束しましたので」
「ナタルさん……」
アークエンジェルがヘリオポリスを脱出し、地球へと降下するまでの過酷な道のり。
当時、アークエンジェルを守るためだけに軍規違反ギリギリの「専守防衛」という解釈を押し通し、自らの心を削りながらも、ナタルたちを──地球軍の将兵たちを死の淵から救い続けた。
軍の論理で彼を縛り付けようとしていたかつての自分を恥じ、同時に、キラ・ヤマトという少年の途方もない気高さと優しさに、ナタルは深く心を打たれていたのだ。
「ブルーコスモスのような狂信者に牛耳られた軍に、私が信じた『正義』は既にありません。ですが、准将……貴方の戦うその背中にこそ、私が生涯を懸けて守るべき真の規律と矜持がある。あの時、貴方が命を懸けてこの艦を守ってくださったご恩と感謝を、私は一日たりとも忘れたことはありません」
規律と軍法を自らの骨肉として生きてきた彼女が、そのすべてを捨て去り、ただ一度立てた「己の意志」に従って、絶対的劣勢にあったオーブの海へと馳せ参じた。
「貴方が世界から孤立し、泥を被ろうというのなら、私もまた共に泥を被りましょう。オーブ国防軍アークエンジェル副長、ナタル・バジルール。……この命、准将の剣として、そしてオーブの盾として、最後までお使いください」
静かな士官室に響き渡ったその言葉は、いかなる愛の告白よりも重く、熱い、一人の誇り高き軍人からの「忠誠の誓い」であった。
キラは深く息を吸い込み、彼女の真っ直ぐな視線を真正面から受け止める。
「……ありがとうございます、ナタルさん。貴女のような立派な軍人がこの国にいてくれること、本当に心強いです。これからも、僕と……このオーブを、どうか厳しく導いてください」
「はっ! 勿体無きお言葉、肝に銘じます!」
ナタルの敬礼に、キラもまたオーブ軍将官としての敬礼で応える。
そこには互いの命と誇りを預け合う戦友としての絶対的な信頼が、静かに、しかし熱く結ばれていた。
「それでですが、バジルール中尉。……いえ、この場で略式ではありますが、貴女を三佐に任命させていただきます」
キラの口から不意に発せられたその言葉に、完璧な不動の姿勢を保っていたナタルの双眸が、驚きに大きく見開かれた。
「はっ! ……ですが、よろしいのですか? いかに准将の推挙であっても、二階級特進など、平時であればあり得ない異例中の異例の人事です。軍の規律と秩序を乱すことになりかねません」
彼女の生真面目な反論は、いかにも軍人の鑑であるナタル・バジルールらしいものだった。自身の功績や立場よりも、組織としての建前と指揮系統の整合性を第一に考える。
キラは彼女のそんな実直さを好ましく思いながら、少しだけ悪戯っぽく微笑んでみせた。
「こう見えても、僕はオーブ国防軍の最高軍事顧問ですからね。国の有事において、人材を適材適所に配置するための権限は与えられています。権限というものは、出し惜しみせず、必要な時に最大限の効果を発揮するために使うのが、その役職に就いた者の特権であり、義務ですよ」
キラの言葉には、かつての少年の面影はない。為政者として、軍のトップとして組織を動かす「権力」の使い魔としての顔がそこにあった。
「はぁ。……仰る理屈は理解出来ますが、しかし、何故私なのでしょうか。アークエンジェルでの副長としての任であれば、一尉への昇進で十分事足りるはずです」
「ええ。それなんですけど。実は、こっちで建造を進めている、次世代型の新型艦があるんです。その艦を任せられる、最も重要な『艦長』の席が空席のままだったんですよ。その席を、ナタル三佐にぜひ任せたいと思いまして」
「新型艦の……艦長、ですか……?」
ナタルは息を呑んだ。
戦艦の艦長という職務は、単なる指揮官ではない。
何百人という乗組員の命を預かり、国家の巨額の資産たる兵器を運用し、戦場においては国家の意思を代弁する「動く領土の主」となる。
そんな重大なポストを、ましてや最新鋭の機密艦の責任者を、自分に任せるというのか。
「……あ、いえ、しかし私は、昨日今日このオーブ軍に加わったばかりの新参者に過ぎません。それに、元は地球連合軍の士官です。その様な大抜擢の人事は、いくら准将閣下の直々の命令であっても、オーブ軍の士官や周囲の将兵たちから強烈な反感を呼ぶのではありませんか? 指揮系統に軋轢を生むことは、軍として最も避けるべき事態です」
ナタルの懸念は、軍事的な観点から見れば極めて正論であった。
よそ者がいきなり要職に就けば、現場の不満は避けられない。しかし、キラはその言葉を予想していたかのように、静かに首を横に振った。
「そこは大丈夫だと思いますよ。……未曾有の国難、自分たちの祖国が世界中から悪魔と罵られ、絶滅の危機に瀕している。その最も苦しく、誰もが逃げ出したくなるような絶望の矢面に……貴女は、自分の所属していた大国の軍を抜け、命を懸けて義に従い、自ら馳せ参じてくれた。オーブという国を護るために」
キラの真っ直ぐな視線が、ナタルの心を強く打つ。
「昨日からの戦いで、アークエンジェルがどれほどオーブの将兵たちの盾となり、命を救ってくれたか。彼らはそれを一番近くで見て、身をもって知っています。その不沈艦を長年支え続けてきた有能な副長が、今度はオーブの誇る新型艦の艦長として自分たちを率いてくれる。……これほど士気の上がる話はありませんよ。周囲も、間違いなく納得してくれます」
政治的な根回しや、将兵たちの心理的掌握までを完璧に計算し尽くしたその論立て。
一国の軍を束ね、人間の感情や大義というものを巧みに操り、人を動かしている目の前の「若き将軍」が遂げた途方もない成長に、ナタルは深い感慨と、わずかな畏れ、そして心地よい敗北感を覚えた。
「……君という人は。随分と、そうした舌回しや政治的な駆け引きがより得意となったようだな。私のような、規律と教範に縛られた石頭には、どうにも真似出来ん芸当だ」
思わず、上官に対する口調ではなく、私人としての、少し砕けた口調がこぼれた。
「出来る人が、出来ることをやれば良いだけですよ。僕は、こういう泥臭い立ち回りや裏工作を請け負います。だからこそ……ナタルさんの、その規律を重んじる真っ直ぐなところが必要です。……僕は、貴女がとても頼もしいです」
キラの偽りない、心からの言葉。
それは、自らの信じる正義と軍の論理の間で板挟みになり、己の在り方に苦悩し続けてきたナタルの魂を、何よりも優しく、そして力強く肯定するものだった。
己の忠義を尽くすに足る主君。
己の命を懸けるに足る、真の居場所。
ナタル・バジルールは、己の中に燻っていた最後の迷いが完全に消え去るのを感じた。
彼女は居住まいを正し、足の踵を鋭く鳴らすと、これまでの人生で最も美しい、誇りに満ちた敬礼をキラへと捧げた。
「そうか。……分かりました。新型艦艦長の任、このナタル・バジルール、命に代えましても謹んでお受け致します!」
「はい。頼りにしていますよ。……これからよろしくお願いしますね、ナタルさん」
キラもまた、微笑みながら完璧な敬礼を返す。
かつて地球連合という巨大な組織の中で、同じ船を守り抜いた二人の絆は、このオーブの地において、国を護るための最強の矛と盾として、新たな歴史を歩み始めたのである。
◇◇◇
静まり返ったアークエンジェルのMS格納庫。
ナタルと別れたキラはハンガーに鎮座する見慣れた機体──『ストライク』の前に静かに佇んでいた。
「お、やっとおいでなすったな」
頭上から降ってきた聞き慣れた軽口に、キラはふっと口元を綻ばせた。
見上げれば、ストライクの整備用エレベーターから軽快な足取りで降りてくる、金髪の男の姿があった。
地球連合軍の軍服をラフな出で立ちで着る、共に死線を潜り抜けてきた頼れる兄貴分、ムウ・ラ・フラガだ。
「お久しぶりです、ムウさん。今回は……本当に助かりました」
「よせやい。お前と俺の仲だろ? ……っと、今は准将閣下だったな。敬礼の一つでもした方がいいか?」
ニヤリと悪戯っぽく笑いながら、わざとらしく背筋を伸ばそうとするムウに、キラは苦笑しながら首を横に振った。
「良いんですよ、前のままで。そっちの方が僕も嬉しいですから」
「そっか? なら、遠慮なくそうさせて貰うぜ」
ムウは肩の力を抜き、いつもの気さくな笑顔でキラの肩をポンと軽く叩いた。
オーブ国防軍の最高軍事顧問たる『准将』と、アークエンジェルのMS部隊隊長たる『少佐』。
軍の規律においては絶対的な階級差が存在するが、この二人の間にそんな壁は一枚も存在しない。
「それにしても……驚いたぜ。いつの間にか一国の軍を束ねる大将になって、あんな化け物みたいな真似をしてのけるんだからな」
ムウは感嘆の息を吐きながら、ハンガーの天井を仰いだ。
彼自身、ストライクを駆り、前線の空域でキラの『シロガネ』が暴れ回る様を見ていた。
かつての迷いを微塵も感じさせない、冷徹なまでの敵陣の突破と蹂躙。
それは間違いなく成長であったが、同時に、どれほどの重圧を一人で背負い込んだのかを物語るものでもあった。
「……無理、してるんじゃないのか?」
その飄々とした態度の裏にある、大人の男としての鋭くも優しい気遣い。
同じパイロットとして、同じ前線で命を削る者同士にしか分からない、純粋な戦友としての労わりだった。
キラは、ストライクの装甲にそっと触れながら、静かに答えた。
「無理は、してますよ。……でも、守らなきゃいけないから。みんなが明日も笑って生きられるようにするためなら、僕は喜んで悪魔にでもなります」
「……」
「それに、僕一人じゃないですから。カガリがいて、ラクスがいて……そして、ムウさんたちがこうして背中を守ってくれる。だから、僕は前だけを見て戦えるんです」
キラのその真っ直ぐで揺るぎない瞳を見て、ムウは短く息を吐き出すと、やれやれと肩をすくめた。
「ったく……本当にいい男になりやがって。俺みたいなロートルが出る幕なんて、もう無いんじゃないか?」
「そんなことありません。ムウさんがいなかったら、僕の後ろは穴だらけです。一番背中を任せても心配も不安もない人なんて、ムウさんしかいませんから」
キラの心からの信頼の言葉。
彼にとって、ムウ・ラ・フラガという男はただの凄腕パイロットではない。
どれほど絶望的な状況であっても、必ず軽口を叩きながら駆けつけてくれる『不可能を可能とする男』なのだ。
自分がいかに強大な力を手に入れようとも、自分の背中を完全に預けられるのは、この気さくな兄貴分をおいて他にいない。
「へっ、准将閣下にそこまで言われちゃあな。安月給の隊長として、骨の髄までこき使われる覚悟をしなきゃならんらしい」
「ふふっ。お給料なら、カガリに言ってたんと弾んでもらいますよ」
二人の間に、戦場には似合わない穏やかな笑い声が響く。
「ま、そういうこった。お前が前でどれだけ派手に暴れようが、その後ろは俺がキッチリ護ってやる。……一人で全部背負い込もうなんて思うなよ、キラ」
「はい。頼りにしています、ムウさん」
ムウが差し出した拳に、キラも自分の拳を力強く打ち合わせる。コツン、と硬い音が格納庫に響いた。
それは、言葉以上に雄弁な男同士の盟約。
神がかった力を持つ白銀の英雄と、不可能を可能にする歴戦の鷹。
二人のエースパイロットの間に結ばれたこの絶対的な信頼と絆がある限り、オーブの空が敵に突破されることなど、未来永劫あり得ないことだった。
◇◇◇
格納庫に響いていたムウとの気さくなやり取りに、低く、しかしよく通る野太い声が割り込んできた。
「准将閣下、少しよろしいかな?」
「あ、はい。モーガン大尉」
振り返ったキラの視線の先には、地球連合軍の制服から階級章を取り外し、逞しい腕を組んで立つ歴戦のベテランパイロット──モーガン・シュバリエ大尉の姿があった。
かつて「月下の狂犬」と恐れられ、ユーラシア連邦の主力部隊を率いていた彼もまた、己の義に従ってナタルらと共にオーブへと馳せ参じた男の一人である。
「オーブ軍に入って早々厚かましいが……あの空も飛べるティエレン。この俺にも任せて貰えないか?」
モーガンはそう言いながら、ハンガーに固定されている自身の愛機、105ダガーを見上げた。
ストライクダガーの正統な後継機であり、機動力も武装も申し分ない優秀な量産機だ。だが、彼の眼差しはどこか物足りなさを訴えていた。
「上層部からの命令だから乗っていたがね。どうにもコイツと比べると……あの分厚い装甲が恋しくなってな」
モーガンの口元に、歴戦の軍人らしい獰猛な笑みが浮かぶ。
無理もない。
彼こそは、このコズミック・イラという世界において、キラが持ち込んだ『ティエレン』という異形の重モビルスーツを初めて部隊単位で本格運用し、その真価を世界に知らしめたパイオニアなのだ。
元戦車乗りである彼にとって、機動力やビーム兵器の取り回しに特化したダガー系の機体は、どうにも「軽すぎる」。
先日の防衛戦で、戦場を縦横無尽に飛び回る赤いティエレン、桃色のティエレン、青いティエレン、そしてサンドカラーのティエレン……オーブの空を我が物顔で舞うかつての愛機の発展型を見た時、彼の体内に流れる戦車乗りとしての血が、熱く疼いて仕方なかったのだ。
そんなモーガンの実直な頼みに、キラは嬉しそうに頷いた。
「わかりました。『全領域対応型』のティエレンを1機、あとで手配させてもらいます」
「ほう。全領域対応型か。……つまりアレか。装備換装なしで、そのまま宇宙にも行けるというのか?」
「はい。スラスターと推力バランスの最適化は済ませてあります。それに、浅瀬の海ならそのまま水中戦にも対応していますよ」
キラが事も無げに口にしたその規格外のスペックに、モーガンは目を丸くし、やがて喉の奥で「クックッ」と低く笑い声を漏らした。
「そいつは良い。ぜひ頼むぞ、准将殿」
重装甲でありながら空を飛び、宇宙を駆け、あまつさえ海にまで潜れる。
もはや常識外れもいいところだが、目の前にいる天才的な頭脳と腕を持つ若き大将が言うのだから、間違いはないのだろう。
(……やはり、俺の目に狂いはなかった)
自分がかつて命を預け、共に戦場を生き抜いたあの無骨な『鋼鉄の鉄人』。
それが、若き英雄の手によってさらに強靭な進化を遂げ、再びその重厚な操縦桿を握ることができる。
その事実は、歴戦の戦車兵の心を震わせるに十分すぎるほどの歓喜であった。
「手配が整い次第、こちらへ届けさせます……頼りにしていますよ、モーガン大尉」
「はっ。このモーガン・シュバリエ、准将閣下が造り上げた鉄人と共に、オーブの盾として存分に暴れ回らせて頂こう」
モーガンは深く、力強い敬礼をキラに送った。
最新鋭のビーム兵器やスタイリッシュな機体ではなく、泥臭く分厚い装甲の塊を愛する男。
そんな彼が再びティエレンのコックピットに座る時、オーブの防衛線はさらに一回り、いかなる敵の猛攻をも弾き返す『絶対の鋼の壁』へと近づくのであった。
◇◇◇
「よ、准将殿。相変わらず歳上を口説くのがお得意なようで」
格納庫のやや張り詰めた、それでいて和やかな空気を楽しげに切り裂く声が響いた。
声の主は、「切り裂きエド」の異名で畏怖される地球連合軍のエースパイロット、エドワード・ハレルソンだった。
軍服の着こなしは相変わらずラフで、飄々とした笑みを浮かべながら、キラたち三人の輪に悠然と足を踏み入れてくる。
「そんなことないですって。エドさん」
キラは照れ隠しのように小さく肩をすくめた。
一国を背負う准将という立場にあっても、こうした気心の知れた年上の戦友たちの前では、自然と年相応の少年らしい素顔が覗く。
「エドさんは、何か困っていることあります?」
キラが真っ直ぐな視線で尋ねると、エドは顎に手を当てて少し大げさに首を捻ってみせた。
「んや、別に困っちゃいねーな。なんせ俺の相棒は、地球連合軍の最新鋭機だしな。近接戦闘なら誰にも引けを取る気はしねぇ。ま、強いて言うなら、この島国じゃあ空を飛べないってのが少々不便だってのと、あとは……女っ気がないってところかね?」
エドは背後に控える自身の愛機、真っ赤な装甲に巨大な対艦刀を背負った『ソードカラミティ』を見上げた。
この機体に対する彼の信頼は絶対だ。
強固な装甲と、戦艦をも一刀両断する圧倒的な攻撃力。
彼自身の野性的な戦闘センスと合わさることで、その破壊力はまさに鬼神の如き領域に達している。
しかし、オーブという海と島々からなる特殊な立地において、完全な飛行能力を持たない点は、今回の過酷な防衛戦でわずかに歯痒さを感じた部分でもあった。
だが、彼の言う「女っ気」というのは、単にむさ苦しい男ばかりの軍隊生活を嘆いているわけではない。
その飄々とした言葉の裏には、遠く離れた地で戦う一人の女性への深い想いと憂いがあった。
彼の恋人であるジェーン・ヒューストン。
彼女は今頃、灼熱のアフリカ大陸・ビクトリア宇宙港周辺で、海上封鎖を強行するザフト軍とヒリつくような睨み合いを続けているはずだ。
共に連合軍を抜け、このオーブへ馳せ参じるという選択肢もあったが、彼女は彼女自身の部隊と責務を放り出すことはできなかった。
愛する女性を危険な最前線に置いてきたという事実が、エドの胸の奥に一抹の不安と焦燥として燻り続けているのだ。
とはいえ、戦力的な観点から見れば、ソードカラミティを無理に飛行可能にする必要性は薄いとキラは判断していた。
そもそも、この機体を宇宙戦仕様や完全飛行型に改修しようとすれば、巨大な対艦刀の重量と相まって機体バランスが致命的に崩れる。
現在のピーキーながらも極めて高い完成度を誇るバランスこそが、ソードカラミティの真骨頂なのだ。
それに、今回の防衛戦でも証明されたように、エドは飛べないという弱点を己の神がかった技量で完全にカバーしていた。
ホバー推進力を生かして海面を滑走し、空中の敵機がいればその機体を踏み台にしてさらに跳躍する。
あるいは、両腕に装備されたロケットアンカー『パンツァーアイゼン』を空中の敵機に正確に打ち込み、そのまま引きずり落として斬り捨てる。
その野生の獣のような三次元機動を見せつけられては、「早急に対処しなければならない弱点」とは到底言えなかった。
ならば、解決すべきはもう一つの問題──エドの胸に燻る「女っ気」の話だ。
「……ちょっとアズラエル理事に頼んで、まぁ、機体ごと引き抜くのは流石に目立つから無理でも、ジェーンさん個人くらいなら、こっちへ引っこ抜くのは大丈夫だと思います」
キラは、まるであとでジュースでも買いに行くかのような、あまりにも軽い口調でとんでもない提案を口にした。
下顎に人差し指を当て、何かを計算するように虚空を見つめるキラ。
その姿は、まるで巨大な組織の人事異動をチェス盤の駒のように動かす冷徹な為政者のそれだった。
「……ホントに、どーなってんのかねぇ」
その言葉に、ムウは呆れたように大きなため息を吐き出し、頭をガシガシと掻いた。
「国防産業連合理事のムルタ・アズラエルと、その歳で個人的なホットライン持ってる奴なんて、世界中探したって絶対にお前さんだけだぜ? それに、敵国の首領に『ちょっと知人を出向させてくれ』って頼んで、それが通るってんだから、もう世界観がバグってるとしか思えねぇよ」
ムウの言葉に、モーガンも苦笑しながら深く頷き、エドも「ヒュー」と笑声を上げた。
彼らは皆、キラ・ヤマトという少年がどれほど優しく、そしてどれほど途方もない重責をたった一人で背負い込んでいるかを知っている。
自分たちが支えてやらなければ、その優しさ故にいつか心が潰れてしまう危うさがあることも。
だが、それでも。
目の前で首を傾げているこの少年は、まだわずか16歳なのだ。
その年頃の少年が、世界最大の軍事連邦を影で操るドンと繋がり、歴史の裏側で国家間のパワーバランスすら弄っている。
しかも、その動機が「味方の恋人を呼び寄せるため」という極めて個人的な情によるものだというのだから、恐ろしいやら頼もしいやらで、大人たちは言葉を失うしかなかった。
「仕方ないじゃないですか。エドさんが万全の精神状態で戦ってくれないと、困るのは僕たちですから」
キラは全く悪びれる様子もなく、ニコリと微笑んでみせた。
その純粋な笑顔の奥に潜む、目的のためなら世界の裏側すら躊躇なく利用する悪魔的な計算高さ。
それを見せつけられた三人の歴戦の勇士たちは、顔を見合わせ、やがて大声で笑い出した。
「ハハハッ! 違いない! こりゃあ、俺たちも腹括って、この悪魔みたいに恐ろしい准将殿の神輿を、命懸けで担ぎ続けるしかねぇな!」
「あぁ。全領域対応型のティエレンも貰えることだし、安い命だ」
「ジェーンが来てくれるってんなら、俺ァこの大剣で、星でも何でも真っ二つに斬ってやるよ!」
歴戦の大人たちの頼もしい声が、格納庫に響き渡る。
自分が背負った重責。
その足元をしっかりと支えてくれる、頼りがいのある大人たちの存在。
キラは、この強固で温かい「剣たち」に囲まれ、再び静かに、そして心強く微笑むのであった。
◇◇◇
「失礼。初見となる。ジャン・キャリーだ。君とこうして会話を出来る機会に恵まれて、望外の喜びだよ」
歴戦のエースパイロットたちが集う格納庫の談笑の輪に、さらに一人、静かで知的な声が加わった。
振り返ったキラたちの前に立っていたのは、穏やかな笑みを浮かべ、澄んだ瞳を持つ男──ジャン・キャリー。
コーディネイターでありながら、ナチュラル陣営である地球連合軍に身を置き、最前線を戦い抜いてきた稀有な軍人。
彼が、一切のわだかまりを感じさせない所作で、若き最高軍事顧問たるキラへと右手を差し出した。
「はじめまして、キラ・ヤマトです。貴方とお会いできて光栄です」
キラは即座にその手を取り、しっかりと握り返した。そして、尊敬の念を込めて言葉を紡ぐ。
「ジャンさんのプラント時代の論文、読ませて頂きました。機体関節駆動部と機体フレーム内蔵型の改良型シリンダー……アレの基礎理論のおかげで、こっちで開発した『ラーズアングリフ』のフォールディング・ソリッドカノンを、機体バランスを崩さずに運用出来るようになりました。本当に、参考になりました」
「それはまた……随分と古い物を穿り返したものだな」
ジャンは目を丸くした後、少し照れくさそうに苦笑いをこぼした。
彼が今でこそ地球連合軍のエースパイロットとして名を馳せているが、かつてはプラントで機械工学博士として籍を置いていた生粋の技術者である。
しかし、戦争機運とナチュラルへの憎悪を高めていくプラントの空気に嫌気が差し、彼は故郷である地球へと帰還した。
だが、戦争は始まってしまった。
圧倒的な技術力を持つザフト軍のモビルスーツに対し、劣勢を強いられ、蹂躙されていく地球軍。
彼は技術者としての平穏な道を捨て、自ら志願してモビルスーツのパイロットとなった。
ザフトから鹵獲したジンを白く塗装された機体を駆り、戦争序盤の数少ない連合側のMS乗り『煌めく凶星「J」』として、同胞たるコーディネイターを撃つという血の業を背負いながら戦い続けてきたのだ。
すべては、人間同士が血で血を洗う、この憎しみの連鎖が覆う世界をどうにかして食い止めたいという、ただ一つの悲切な願いのために。
「君のような神童に私の過去の研究を褒められるとは、技術者冥利に尽きるというものだ。……それにしても」
ジャンは、握り合ったキラの手の確かな温もりと力強さを感じながら、目の前の少年を真っ直ぐに見つめた。
「世界中から『悪魔』として罵られようとも、守るべき者のために自らの手を血で染め、この狂った世界にたった一人で反逆の産声を上げる。……君のその覚悟と戦いぶりには、どれほど励まされたか分からない」
それは、コーディネイターでありながら地球軍で戦い続けてきたジャン・キャリー自身が、誰よりも深く苦悩し、血の涙を流しながら背負ってきた重荷そのものだった。
世界で最も孤独だったはずのその業を、目の前の16歳の少年は、さらに巨大な『国家』という重圧と共に背負い、あまつさえ「笑顔の盾になる」と世界中に宣言してみせたのだ。
「ジャンさん……」
「私は、この終わりの見えない憎しみの連鎖に、絶望しかけていた。だが、君という光が、このオーブという地に新たな希望の灯をともしてくれた。……キラ・ヤマト准将。私のこの命と大義、どうか君に預けさせてほしい」
ジャンのその言葉は、単なる軍人としての忠誠ではない。
同じコーディネイターとして、同じように平和を渇望し、同じように絶望の淵を歩いてきた一人の同志としての、魂の底からの共鳴だった。
「預かるなんて、そんな大層なものじゃありません」
キラは微笑み、ジャンの手を両手でしっかりと包み込んだ。
「僕たちは、同じ願いを持って戦う仲間です。……世界がどれだけ狂っていても、ジャンさんのように人の輝きを信じてくれる人がいるなら、僕は絶対に負けません。これからも、共に戦ってください」
「ああ。喜んで、君の力となろう」
ジャン・キャリーの顔に、これまでの孤独な戦いの疲労をすべて拭い去るような、清々しく力強い笑顔が浮かんだ。
その光景を横で見ていたムウが、小さく口笛を吹く。
「エンデュミオンの鷹に、月下の狂犬、切り裂きエド……そこに、煌めく凶星まで加わりやがった。これでアークエンジェル組も合流してるんだ。地球軍のエース、半分くらいウチに引き抜いてんじゃないか?」
「クックッ……大西洋連邦の上層部が知ったら、泡を吹いて卒倒しそうな面子だな」
モーガンが獰猛に笑い、エドも「ま、一番の化け物は目の前にいる准将殿だけどな」と肩をすくめて笑う。
狂信と絶望が支配する世界で、運命の糸に引き寄せられるように、オーブに集結した歴戦の英雄たち。
国籍も、人種も越え、ただ「キラ・ヤマトが思い描く明日を守る」という一つの大義の下に結集したこの圧倒的な戦力は、やがて世界を根底から変革していく最強の『剣』となることを、彼らはまだ、自分たち自身でさえ完全には理解しきれていなかった。
アークエンジェルの面々と話すだけで1話使っちまっただ。
そしてMSVの連合エースパイロットが軒並みオーブに集まるという、アークエンジェルのドリームチーム感。
FREEDOMだと連合系の人事はコンパスになかったけど、こっちだと一応どうなのかなぁ。
なんだろうか、マリューさんはまた違った包容力のあるお姉さんなんだけどさ。
ナタルさんがなんか頭の中でジェレミアとかギルフォード卿みたいな忠義に厚い人になっちゃったかも。