キラ・ヤマトになってしまった…   作:星乃 望夢

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PHASE-96 -復ともだち興-

 

 オーブ近海を血と業火で染め上げた凄惨な防衛戦の終結から、わずか2日後。

 

 まだ大気に微かな硝煙の匂いが残り、しかしながら確かな希望の陽光がオノゴロ島を照らし出したその日、オーブ連合首長国の歴史は新たな次元へと突入した。

 

 新国家元首、カガリ・ユラ・アスハの誕生である。

 

 弱冠16歳。連合やプラントの首脳陣と比べれば、あまりにも若く、青すぎる新代表の就任。

 

 当然のごとく、行政院の会議場では下級氏族の首長たちから「いかにウズミ様のご息女とはいえ、時期尚早ではないか」「未曾有の国難の舵取りを十代の少女に任せるなど」という危惧と反発の声が少なからず上がっていた。

 

 だが、その場に渦巻いていた疑念と不満のどよめきは、オーブ五大氏族の一角にして、影の王たるサハク家当主、ロンド・ミナ・サハクの冷徹にして圧倒的な「鶴の一声」によって完全に叩き潰された。

 

「ならば問おう。あの大西洋連邦の威信を背負い、世界中から雲霞の如く押し寄せた狂信者どもの大艦隊を前にして……逃げ出すことも、醜く赦しを請うこともなく、一歩たりとも退かずにこの国を護り抜けると自負する者が、お前たちの中にいるのか?」

 

 ミナの射抜くような視線と絶対的な覇気。

 

 それに真っ向から反論できる者など、会議場には一人としていなかった。

 

 大西洋連邦の強大な圧力に屈すれば、連中が喉から手が出るほど欲しがっていた『ニュートロンジャマーキャンセラー』の技術を明け渡し、さらにはオーブの生命線であるマスドライバー「カグヤ」すらも接収され、国家は実質的な属国へと成り果てていただろう。

 

 一時的な国家の存亡を回避するためなら、それが最も合理的で、血の流れない選択肢だったかもしれない。

 

 だが、それは「オーブの理念」の完全なる死を意味する。

 

 理念を守り抜くため、自ら修羅の道を歩む決断を下した前代表ウズミ・ナラ・アスハ、そして実務を支える弟のホムラ。

 

 彼らから代表首長の座と、この『武装中立国家オーブ』という以前の技術中立国家とは全く異なる国体の舵取りを託されるのは、オーブ国防軍最高軍事顧問であり、「白銀の英雄」キラ・ヤマト准将──その双子の姉であるカガリ・ユラ・アスハ以外に、もはや務まる者は存在しなかった。

 

 それでも尚、「軍の最高権力者と国家元首が双子の姉弟となれば、アスハ家の完全な独裁に繋がるのではないか」と食い下がる保守派の首長もいた。

 

 しかし、そこへ再びミナの氷の刃のような言葉が深々と突き刺さる。

 

「愚かな。今や世界中が恐怖し、同時に欲してやまない『最高傑作たる戦神』……我がオーブの至宝であるキラ・ヤマトを、この国元に繋ぎ止めておける『鎖』が何だと心得る? 彼の半身たる双子の姉、カガリ・ユラ・アスハの存在をおいて他にあるまい。あるいは、彼がまだ一介の技術三尉であった頃から絶対的な庇護と後援を与え続けてきた、このロンド・ミナ・サハクか、だ。……お前たちのような有象無象が、あの規格外の英雄を手懐けられるとでも思っているのか?」

 

 その言葉は、冷酷なまでの政治的真理だった。

 

 キラ・ヤマトという絶大な抑止力と、カガリ・ユラ・アスハという国家の理念、そしてロンド・ミナ・サハクという闇の謀略。

 

 この三者が強固なトライアングルを形成している以上、アスハの独裁を叫ぶことすら無意味であり、むしろこの三極構造こそが現在のオーブの絶対的な安全保障そのものであった。

 

 かくして、反対意見は完全に封殺され、カガリは大手を振ってオーブの新たな舵取りを任されることとなった。

 

 代表に就任したカガリの「最初の仕事」は、実に現実的かつ途方もない規模の難題──オーブ近海に広がる『ゴミ掃除』から始まった。

 

 オーブの海には、大西洋連邦中から狂気に駆られて押し寄せたストライクダガーやアヘッドの残骸、沈められたイージス艦や揚陸艦に空母、スピアヘッドの破片が山積みに漂い、文字通り「鉄と硝煙の墓場」と化していた。

 

 海洋汚染が広がる前に一刻も早いサルベージと環境浄化の手配が急務であった。

 

 普通であれば、自国の近海であるオーブが莫大な国家予算を投じて処理に追われるところだ。

 

 しかし、カガリはその莫大な処理費用と賠償金を、そのままそっくり大西洋連邦の喉元へと突きつけた。

 

『自国の軍隊に巣食う狂信者たちをコントロールできず、我が国に不当な侵略と甚大な環境破壊をもたらしたのは、大西洋連邦政府の重大な怠慢にして明白な侵略行為である』

 

 そう強烈な非難声明を叩きつけた上で、カガリは交渉のテーブルに『NJCのライセンス供給契約の完全凍結』という、世界を揺るがす最強のジョーカーをチラつかせたのだ。

 

 エネルギー枯渇にあえぐ大西洋連邦政府にとって、NJC技術は喉から手が出るほど欲しい生命線である。

 

 大西洋連邦の現上層部は屈辱に顔を歪めながらも、天文学的な額の「環境浄化賠償金」を支払う以外に道は残されていなかった。

 

 資金の目処を強引に、かつ鮮やかに引き出したカガリは、即座に『ジャンク屋組合』を国費で大規模に雇い入れ、迅速な海域の清掃と再資源化に着手した。

 

 さらには、あの絶望的な防衛戦を無犠牲で乗り切った国防軍の英雄的活躍を見たオーブの民草たちの熱狂的な声に応えるという、見事な内政手腕も発揮した。

 

 国中から「国を護るために戦いたい」「復興の役に立ちたい」という、過去に例を見ないほど天井を突き抜けるような軍への志願やボランティアの申し出が殺到していたのだ。

 

 カガリは軍の門戸を広く開き、同時にボランティアを『復興支援要員』として正式に国営事業として受け入れ、大西洋連邦から巻き上げた賠償金から「ささやかな給与」として彼らに支給するシステムを即座に構築した。

 

 これにより、戦後の雇用不安は一掃され、国民の愛国心と結束はかつてない高みへと昇華された。

 

 執務室の窓から、活気に満ちて再建が進む国土を見下ろしながら、カガリはそっと己の手のひらを見つめた。

 

(……本来の私なら、こんな真似、絶対にできなかったな)

 

 思い起こす「本来歩むはずだった未来」の記憶。

 

 そこでの自分は、18歳で国を背負いながらも、頼れる父ウズミを喪い、セイラン家という腐敗した官僚に良いように操られ、意に沿わぬ政略結婚を強いられ、血の涙を流しながら国と愛する者の間で引き裂かれていた。

 

 だが、今は違う。

 

 自分の背後には、未だ健在であり、自分が間違えそうになればいつでも拳骨を落として正してくれる偉大なる父ウズミと、政務の裏表を知り尽くした叔父のホムラがいる。

 

 彼らが防波堤となり、実務のカバーをしてくれるという環境は、未来の孤独な自分と比べれば、天と地ほどの差がある恵まれた奇跡のような状況だった。

 

 そして何より、世界中のどんな理不尽からも自分を護り抜き、共に明日を作ってくれる無敵の双子の弟が、この胸の奥に確かな熱を残してくれている。

 

「やってやるさ。……誰も見たことのない、一番平和で、一番強欲なオーブを創り上げてやる」

 

 かつては男勝りでお転婆なだけだった少女の顔に、国家元首としての揺るぎない覚悟と、王者の風格が宿る。

 

 ウズミから受け継いだ理念の炎と、キラから与えられた絶対的な力。

 

 その二つを統べる若きオーブの獅子、カガリ・ユラ・アスハによる無駄のない見事な手腕によって、オーブ連合首長国は傷跡を癒やすどころか、かつてないほどの強国へと、凄まじい速度で進化を遂げつつあった。

 

 

◇◇◇

 

 

 瓦礫の山となった市街地で、無骨な重低音が響き渡る。

 

 崩落した巨大なコンクリート塊を、分厚い装甲に覆われた無骨なマニピュレーターがガッチリと掴み上げ、指定された集積場へと軽々と運んでいく。

 

 その『鉄人』の腹部にある複座式のコックピットの中で、まだあどけなさの残る14歳の少年、シン・アスカは、真剣な眼差しで操縦桿を握っていた。

 

「お兄ちゃん、次は、えっと……左の第7ブロックに移って欲しいって。あそこ、まだ崩れかけた瓦礫が残ってるから気をつけてね」

 

「オッケー、任せろ。しっかり掴まってろよ、マユ」

 

 背後のナビゲーターシートから掛けられた愛らしい声に、シンは頼もしげに頷いてみせた。

 

 彼らが乗るこのティエレンは、数日前までブルーコスモス艦隊を恐怖の底に叩き落とした軍用のそれとは異なる。完全非武装の『作業用』モデルだ。

 

 左胸部に本来備わっている30mm機銃は撤去され、代わりに夜間作業用の投光器へと換装されている。

 

 さらに『全天周囲モニター』が採用されており、コックピット内は死角のないクリアで広大な視野角が確保されていた。

 

「すごいな、この機体……本当に、俺の手足みたいに動く」

 

 シンは、繊細なレバー操作で器用に鉄骨を引き抜きながら、興奮気味に呟いた。

 

 軍事機密の塊であるMSなど、本来であれば14歳の少年が触れられる代物ではない。

 

 しかし、キラ・ヤマトが持ち込んだこの『TC-OS』は、ナチュラルであってもわずか1時間ほどのシミュレーション訓練で、まるで自転車に乗るかのように自在に機体を乗り回せるという、文字通り世界をひっくり返した代物だ。

 

 『自衛民生用MS』。

 

 一部のナチュラルやコーディネイターだけが独占する兵器ではなく、誰もが自らの力で日常を守り、切り拓くための道具。

 

 キラがこの機体に込めたその本来の目的と祈りが、今、こうして復興事業に駆り出される鉄人の無骨な背中によって、完璧に体現されていた。

 

「よし、ここのブロックはこれで片付いたな。マユ、次の指示は出てるか?」

 

「うんっ! お兄ちゃん、すっごい上手! 大人たちの作業班より早いって、現場監督のおじさんが褒めてたよ!」

 

 背後から身を乗り出し、シンの首にギュッと抱きつきながらタブレットを覗き込む妹のマユ。

 

 ボランティアに参加したシンを心配し、「お兄ちゃんが行くなら私も行く!」と言って一時も離れようとしなかった、少し(いや、かなり)ブラコン気味な可愛い妹だ。

 

 ちょっと異常な光景ではある。

 

 本来であれば、避難所の中学生が、しかも兄妹揃って重機のコックピットに乗り込み、最前線で瓦礫撤去を行っているなど、安全管理上あり得ない。

 

 だが、現在のオーブではそれが「日常の奇跡」として機能していた。

 

 カガリ・ユラ・アスハ新代表の「復興に向けたボランティアの年齢制限撤廃と積極的登用」という、柔軟かつ思い切った政策が、彼ら若き志願兵たちの情熱に道を開いたのだ。

 

 そして何より、現場の大人たちがこの幼い兄妹のコンビを微笑ましく受け入れているのには、明確な理由があった。

 

『ウチの国のトップと、世界一強い軍のトップが、支え合う双子の姉弟だからな。なら、あのアスカ家の兄妹だって、息を合わせて立派に国を建て直してくれるさ』

 

 オーブという国を絶望の淵から救い上げたのが、カガリとキラという絶対的な「姉弟の絆」であったという事実。

 

 それが、オーブの民草たちの間に、身内や家族の絆を何よりも尊び、信じ合うという土壌を強固に育んでいたのである。

 

「へへっ、だろ? 俺だって、やればできるんだ。……オーブの軍人さんたちが、命懸けで俺たちを守ってくれたんだ。今度は、俺がこの国を綺麗にして、父さんや母さんを安心させてやりたいんだよ」

 

 シンは、全天周囲モニターに映る、遠くの青い空を見つめた。

 

 もしあの防衛戦で、オーブ軍が敗れていたら。

 

 もし、敵の砲弾が一発でもシェルターに落ちていたら。

 

 自分は、背中で笑うこの妹の温もりも、両親の笑顔も、すべて理不尽に奪われていたかもしれない。

 

 だが、彼らは守り抜かれたのだ。

 

 あの白銀の英雄と、誇り高きオーブの兵士たちによって。

 

 だからこそ、シン・アスカの心には、失われたものを数える「憎しみ」ではなく、与えられた命で明日を作る「希望」だけが満ち溢れていた。

 

「お兄ちゃん、かっこいい!」

 

「こら、マユ、操縦中は危ないからあんまり引っ張るなよって! ほら、次のブロックに行くぞ!」

 

 妹の無邪気なスキンシップに照れくさそうに笑いながら、14歳の少年は再び操縦桿を押し込んだ。

 

 オノゴロ島の乾いた風の中、悲劇の運命を完全にへし折られた若き兄妹を乗せ、平和のための鉄人は今日も頼もしい駆動音を響かせて進んでいくのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「……見事なまでの、鉄屑の山ですね」

 

 オーブ本島、モルゲンレーテ社地表。

 

 視察に訪れたキラ・ヤマト准将の隣で、技術主任のエリカ・シモンズが疲労の色を滲ませながら苦笑を漏らした。

 

 オーブ国防軍は、先の防衛戦において「戦死者ゼロ」という軍事史を根底から覆す奇跡を成し遂げた。

 

 国民の犠牲もゼロ。その輝かしい戦果は間違いなく白銀の英雄と、誇り高き将兵たちの結束がもたらしたものである。

 

 だが、その代償は決して安いものではなかった。

 

 現在のオーブ軍の機体稼働率は、実に60%にまで落ち込んでいたのだ。

 

 特に被害が深刻なのが、オーブの主力たる『M1アストレイ』部隊である。

 

「イカロスユニットやアリュゼウスユニットを着込んでいた重装甲型の機体は、目立った損傷はありません。一部、イカロスユニットの露出した脚部に被弾して小破した機体もいますが、数日で前線復帰可能です。……問題は、こちらです」

 

 エリカがタブレットを操作すると、モニターにずらりと「中破・大破」の赤いランプが灯った機体リストが並ぶ。

 

 それらはすべて、背中のフライトユニットにローターを装備させただけのシュライク装備や、背部にBWSを背負っただけの、相対的に装甲が薄い高機動型のM1アストレイたちだった。

 

 モルゲンレーテ地表敷地内には、黒焦げになり、四肢の何れかをもがれ、メインフレームが剥き出しになったアストレイたちが、山のように転がっている。

 

 コックピットブロックだけは無傷で残っているのが、彼らがパイロットの命だけは意地でも守り抜いたという「戦士の矜持」を物語っていた。

 

「開戦当初は、海岸線に配置したティエレン長距離射撃型やランドグリーズ、ラーズアングリフの飽和砲撃と、アストレイの圧倒的な空中戦闘能力で完全に場を制圧できていました。ですが……」

 

 キラは、痛々しい姿になった機体群を見上げながら、静かに分析を口にする。

 

「連日の波状攻撃によるパイロットたちの疲労蓄積。そして何より、僕とカガリを気遣った現場の兵士たちが仲間を庇い、助け合いすぎた結果ですね」

 

 オーブ軍の将兵たちは、撃墜されそうになった僚機を見れば、己の危険を顧みずにその射線に飛び込み、盾となった。

 

 その「命大事に」作戦の最前線で、最も小回りが良く、戦場を駆け回って仲間をカバーし続けたのがシュライク装備のアストレイだった。

 

 結果として、装甲が一番薄い彼らの機体に被弾が集中し、このような被害の山が積もり上がることになったのである。

 

 パイロットが生きて帰ってきたのだから、機体の損失など安いものだ。

 

 しかし、現実問題として防衛線を再構築するためには、この偏った被害状況を早急に是正する必要があった。

 

「エリカさん。……『シュライク装備』は、この防衛戦をもって全機運用を停止、廃棄処分としてください」

 

 キラの冷徹な、しかし合理的な決断に、エリカは小さく息を呑んでから深く頷いた。

 

「宜しいのですか? 高機動の航空戦力は削られますが」

 

「ええ。仲間を庇って機体が落ちるなら、最初から庇っても落ちない装甲か、被弾を前提としない空戦機動力を持たせるべきです」

 

 キラはモニターのデータを素早く再構築し、今後の運用プランを弾き出していく。

 

「損傷した機体から無事なパーツを回収し、現行のイカロスユニット、アリュゼウスユニット、そして無事だったBWS装備機向けの予備パーツとしてストックに回します。これで、今の稼働率と整備性を回復させてなんとか戦力を立て直します」

 

 M1アストレイの役割を「拠点防衛と重火力の提供」にスライドさせ、その生存性をさらに高める。

 

 では、失われた「空の要」はどうするのか。

 

 キラの視線の先には、格納庫の最奥で整備を受けている、鋭角的なフォルムを持った真新しい機体群があった。

 

「そして……今回の実戦で、圧倒的な空中戦闘能力と生存性を証明した『ムラサメ飛行試験型』。あれを手直しした新型機『ムラサメ』の制式量産に、直ちに着手してください」

 

 航空機形態への可変機構を持ち、空戦において連合の航空戦力を子供扱いしてみせた傑作機。

 

 アストレイでは補いきれなかった「純粋な空の支配」を、このムラサメに一任するのだ。

 

「……承知いたしました。すでに実戦データは十分に取れています。量産ラインの再編さえ済めば、すぐにでもロールアウト可能です」

 

「資金なら、カガリが大西洋連邦からたっぷりふんだくってくれましたからね。出し惜しみは無しでいきましょう」

 

 キラが少し悪戯っぽく微笑むと、エリカも釣られたように笑みをこぼした。

 

 戦場の教訓は、決して無駄にはならない。

 

 流された汗と、傷ついた鋼鉄の骸を土台として、オーブ国防軍はさらに強固で、より誰も死なせない『絶対防衛の剣と盾』へと、凄まじい速度で進化を遂げようとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 瓦礫が山積し、土埃が舞うオーブ本島の復興区画。

 

 かつては美しかった並木道も今は見る影もないが、そこには重機の駆動音と、人々が交わす活気に満ちた声が溢れていた。

 

「よ、カーズイ、久し振り!」

 

 振り返ったカズイ・バスカークの目に飛び込んできたのは、ひどく懐かしく、そして眩しい笑顔だった。

 

「あ、トール。久し振り……」

 

 オーブの復興支援ボランティアに志願し、作業着に身を包んでいたカズイは、かつてヘリオポリスの工業カレッジで共に学んだ友人、トール・ケーニヒと対面していた。

 

 だが、目の前のトールは、かつてのようにカレッジの制服を着たただの学生ではない。

 

 オーブ国防軍の制服をラフに着こなし、その腕には確かな階級章が光っている。

 

 彼は今や、オーブ軍で唯一『サンドカラー』に塗装されたティエレン高機動C指揮官型の専属パイロットであり、あの地獄のような5日間の攻防戦の最前線を生き延びた、オーブ軍指折りのエースパイロットにしてティエレン部隊の教官。

 

 二人の間には、流れた時間と、歩んだ道の決定的な違いが横たわっていた。

 

 カズイは、周りのみんなが「キラを助けたい」とアークエンジェルを一度は彼らと共に手伝ったものの、オーブ本国に帰港したタイミングで除隊を願い出た。

 

 軍を辞め、普通の学生としての生活に戻ったのだ。

 

 あのカレッジの頃の仲間──トール、ミリアリア、サイ、そしてキラ。

 

 彼らは皆、軍人として、あるいは国家の要人として、オーブという国を守る最前線に立った。

 

(……俺だけが、逃げたんだ)

 

 普通の生活を送りながらも、カズイの心の奥底には常にそのしこりが張り付いていた。

 

 自分はこれで良かったのか。

 

 友人が命を懸けている時に、安全な場所で息を潜めている自分が、酷く卑怯な人間に思えてならなかった。

 

 そして、今回の未曾有の危機だ。

 

 大西洋連邦の大艦隊が押し寄せてきた時、カズイは「ダメだ」「死ぬ」と心底震え上がった。

 

 世界中を敵に回して、オーブなんて小さな島国が勝てるはずがない。

 

 かつての仲間たちも、今度こそ死んでしまうのではないか。そう絶望していた。

 

 けれども、オーブの軍人は誰一人として諦めず戦い、大国の暴力を退けてみせた。

 

 そして、その戦いを見ていたオーブの人々もまた、一丸となって自分に出来ることを探し、立ち上がっていた。

 

 避難所で震えていた両親すらも、「私らも国のために働いてくるよ」と笑って復興支援の列に加わっていった。

 

 その圧倒的な熱気と連帯感の空気に、カズイはどうしても馴染めなかった。

 

 だが、一人残された彼は、ついに居た堪れなくなり、逃げるように、あるいは贖罪を求めるように復興支援のボランティアに志願したのだった。

 

 一応、カレッジでパワードスーツを動かしていた経験があった。

 

 その経歴から割り当てられたのが、他でもない『作業用ティエレン』のパイロットだった。

 

 MSに乗るなんて、と初めは手が震えた。アークエンジェル時代、MSがいかに恐ろしく、特別な才能にしか扱えない死の乗り物であるかを、カズイは嫌というほど見てきたからだ。

 

 けれども、渡されたマニュアルに目を通し、コックピットに座って1時間もシミュレーションをこなせば、驚くほど自然に乗れるようになっていた。

 

 まるで自分の手足の延長のように、巨大な鉄の塊が動くのだ。

 

 こんなに簡単に乗れるもので、あの地獄のような戦争をしているのか。

 

 そう思うと、カズイは自分の無力さとは別の、得体の知れない恐ろしさを感じずにはいられなかった。

 

「へへ。良いだろ? ティエレンってさ」

 

 トールは、カズイが乗っていた作業用のティエレンを見上げながら、誇らしげに鼻の下を擦った。

 

「え? まぁ、うん。俺なんかでも乗れるなんて、思ってもなかったよ」

 

「だろお? 開発ん時はスッゲー大変だったんだぜ? TC-OSのテスターとかさ。初期のプリセットだけでも十分優秀なんだけど、こういう瓦礫の撤去とか、細々した作業をするには、もっと膨大な人間のモーションデータが必要だったからな。なっつかしいなぁ、あの頃……毎日筋肉痛で死にそうになってさ」

 

「え? あのOS作ったのって、キラだよね?」

 

 カズイの問いに、トールはケラケラと笑った。

 

「言ってなかったっけ? キラは基礎のプログラムとプリセットモーションを組んだだけ。実際に機体を動かすためのテスターと、モーションデータの初期更新は俺と、もう一人……ジャンク屋組合の知り合いのロウって人の動きのデータをトレースして使ってんだよ。だから、こういった泥臭い力作業が、本来コイツらの得意とする仕事ってワケ。ドンパチやる為の機体じゃないんだよ。ホントはさ」

 

 そう言ってトールは、ジャンク屋組合が持ち込んだ作業用のイエローに塗られたティエレンと、誇り高きオーブ軍の証である自分の愛機、サンドカラーのティエレンを交互に見上げた。

 

 その瞳には、この無骨な鉄の塊への深い愛着と、それを創り上げた友人への信頼が宿っていた。

 

「ま、大丈夫さ。戦争なんて、向いてるやつがやれば良いんだ。向いてないやつが無理してやる必要なんて、どこにもない。だから……カズイが引け目を感じることなんて、何処にもないんだぜ?」

 

 トールの言葉は、あっけらかんとしていて、何の裏もなかった。

 

 だが、だからこそカズイの胸の最も痛い部分を正確に突いた。

 

「うん。でも……キラだって、戦争に向いてるわけじゃないのに……」

 

 カレッジ時代、面倒くさがり屋で怠け者のキラの姿を、カズイは忘れていない。

 

 彼だって、本当は戦いたくなんかなかったはずだ。

 

「あー……アイツはなぁ」

 

 トールは少しだけ困ったように頭を掻いた。

 

「あれは何と言うか、『仕方なくやってる』っていうか。自分が一番上手く出来るから、やるしかないっていうか……不器用なヤツなんだよ、昔っから。ま、今回のことで完全に吹っ切れたみたいだし、もうウジウジ悩むこともねぇだろうけどな」

 

 トールはカズイの肩をポンと叩き、真っ直ぐにその目を見た。

 

「別にキラも、俺達も、カズイが軍を辞めたこと、『逃げ出した』なんて一度だって思ってねーからさ。お前は、お前の一番大切な命を守った。それは絶対に間違った選択じゃない」

 

「トール……」

 

「こうして国が大変な時に、戦場じゃない、自分に出来る場所で頑張ってくれてる。それで十分スゲーことじゃんか。じっさい、カズイたちがこうして復興を手伝ってくれてるおかげで、俺たちメチャクチャ助かってんだぜ? 俺達、5日間も緊張しっぱなしで戦い続けて、もうクッタクタのボロッボロだからさ。ミリィなんて、通信席に座りっぱなしだったから、まだ寮のベッドで死んだように寝てるくらい疲れてんだぜ?」

 

「……でも、トールはすごく元気そうだね」

 

 カズイが少しだけ目を潤ませながら苦笑すると、トールは「いってぇな!」と大げさに肩を回してみせた。

 

「そこはホラ。一応、オーブ軍ティエレン部隊の教官サマだからさ。こうして現場に顔だけ見せて『お疲れ!』って言っておくってだけでも、大事な仕事になるしさ。ハッタリも軍人の重要なスキルってやつ?」

 

「そっか。……凄いよね、トールも。キラだけじゃない、みんな、すごく大人になったみたいで」

 

「まなー。一応オーブ軍で、誰よりもコイツのクセと良いところを知ってる自負はあるぜ?」

 

 そう言ってトールは、裏拳でコンコンと作業用ティエレンの分厚い装甲を叩いた。硬く、頼もしい音が鳴る。

 

「つーわけで、俺はもう今日は上がりだ! 昼メシ、食いに行こうぜ。俺の奢りでさ。屋台の焼きそばが食いてぇ気分なんだ」

 

「え、でも、俺はまだ作業が……」

 

「いーから行こーぜ? 休憩も仕事のうちだ。それに……」

 

 トールは、昔と少しも変わらない、悪戯を思いついた少年のようにニッと歯を見せて笑った。

 

「俺達、友達だろ?」

 

「…………うん」

 

 その一言で、カズイの目から、堪えていた涙がポロリとこぼれ落ちた。

 

 一人だけ逃げ出したとか、臆病者だとか、根性なしとか。

 

 カレッジの仲間たちはもう、自分を見下しているかもしれない。

 

 そう思われていたかもと考えていたカズイの深い懸念と自己嫌悪を、トールの裏表のない、真っ直ぐな言葉が、まるでオーブの青空のように綺麗に晴らしていった。

 

 自分は英雄にはなれない。

 

 空を飛んで敵を落とすこともできない。

 

 でも、この泥だらけのティエレンに乗って、瓦礫を退かし、友人が命懸けで守り抜いたこの国の明日を創る手伝いならできる。

 

「……奢りだからな。一番高いの、食ってやる」

 

「おー、言ったな! 覚悟しとけよ、俺の給料は今や正規軍の三佐サマ並みの額なんだからな!」

 

 二人の笑い声が、駆動音の鳴り響く復興区画の空に、明るく溶けていった。

 

 

◇◇◇

 

 

 イングリットが向かった先は、オーブ軍本部に設けられたキラの執務室だった。

 

 分厚い扉をノックすると、中から「入って」という穏やかな声が響く。

 

「キラ……」

 

 部屋に入ると、デスクに山積みになった書類と睨み合っていたキラが、イングリットの姿を認めてふっと表情を和らげた。

 

 だが、彼女のどこか沈んだ顔色と、微かに震える声色にすぐさま気づき、キラはペンを置いて立ち上がった。

 

「どうしたの、イングリット。何か嫌なことでもあった?」 

 

 その優しく、自分を第一に案じてくれる声を聞いた瞬間、イングリットの胸の奥で張り詰めていた見えない糸がプツリと切れた。 

 

 彼女は早足でキラに近づくと、その広い胸にすがりつくように顔を埋めた。

 

「……オルフェから、通信があったの」

 

 キラは少しだけ目を細めたが、何も言わずに彼女の華奢な背中に腕を回し、子供をあやすように優しく撫でた。その温もりに安心して、イングリットは先ほどの通信の内容を、ぽつりぽつりと吐き出していく。

 

「カザフスタンの新国家樹立に合わせて、私を『キラ・ヤマトの婚約者』として国外に発表するって。……あなたの名前と立場を、自分たちの国の安全保障の盾にするつもりなのよ」

 

 イングリットの声には、明らかな嫌悪と怒りが滲んでいた。

 

ユーラシア大陸の中央、カザフスタン。

 

 人革連という巨大な軍事大国に三方を囲まれ、上も横も下も敵だらけというAEU領の僻地に建国しておきながら、その防波堤として、自分たちが散々「失敗作」と見下してきたキラの威光を利用しようというのだ。

 

「……オルフェは、本当に傲慢だわ。自分の野望のためにあなたを利用するくせに、まだ自分たちアコードの方が優れているって信じて疑わない。私を褒めたのも、ただの道具として役に立ったから……」

 

「イングリット」

 

 キラの静かな声が、彼女の愚痴を遮った。

 

 見上げると、キラは怒るでもなく、ただひどく冷ややかで、同時に可笑しそうに唇の端を吊り上げていた。

 

 為政者としての、そして絶対的な強者としての冷徹な笑みだった。

 

「……バカだね、彼らは。遺伝子で定められた役割に縛られているから、自分たちの立てた計算式以外の現実が見えなくなっている」

 

 キラはイングリットの腰を抱き寄せ、そのまま彼女の身体をふわりと持ち上げると、自身が座っていた執務用の革張りの椅子に深く腰掛け、彼女を自分の膝の上に乗せた。

 

「あっ……キラ……」

 

「僕の婚約者という『肩書き』。結構じゃないか。むしろ、こちらから正式に大々的に発表してあげようか。……そうすれば、君は完全にオーブの、僕の庇護下に入る」

 

 キラの指先が、イングリットの青髪を梳き、その白い頬を愛おしげに撫でる。

 

「オルフェは、君が僕を籠絡したと思っている。でも、事実は逆だ。……彼が建国後にのこのこやって来たら、その現実を突きつけられた時、一体どんな顔をするだろうね」

 

 キラの瞳の奥に、昏く、甘い嗜虐の炎が揺れた。

 

 それは、かつて自分を見下した者たちへの冷酷な意趣返しであり、同時に、自分の腕の中にいるこの少女を誰にも渡さないという、強い独占欲の表れでもあった。

 

「キラ……私、もうあんな奴らのところには帰りたくない。あいつらの顔も、声も、今はただ薄気味悪いだけ……」

 

「帰る必要なんてないよ。君はもう、道具じゃない。心が綺麗で可愛いイングリットだ」

 

 キラは、イングリットの首筋に顔を埋め、そこにある脈打つ柔らかな肌に、まるで所有印を刻み込むように熱いキスを落とした。

 

「あっ……んっ……」

 

「僕が君の盾になる。だから、君はただ、僕の側で僕だけを見ていればいいよ。……オルフェには、指一本だって触れさせないから」

 

 その甘く、どこまでも強引な言葉に、イングリットの瞳からポロリと涙が零れ落ちた。

 

 オルフェたちアコードから与えられていたのは、「役割」という名の呪縛だけだった。

 

 だが、この「失敗作」の少年は、彼女自身の存在を求め、愛し、そして世界中を敵に回してでも守り抜くと誓ってくれるのだ。

 

「……うんっ……キラ……っ、好き……愛してるわ、キラ……っ」

 

 イングリットは、キラの首に腕を回し、自らその唇を求めて深くキスをした。

 

 もう、迷いも恐れもなかった。

 

 彼女はアコードとしての過去を完全に捨て去り、オーブの若き将軍をただ愛する女として、その甘い熱の中へと完全に溶けていった。

 

 

◇◇◇

 

 

 モスクワにある人類革新連盟の軍事総司令部。

 

 最高幹部たちは大型モニターに映し出される「オーブ攻防戦」の映像を、瞬きもせずに見つめていた。

 

 映し出されていたのは、空を駆け巡り、高機動で敵機を翻弄する一機のティエレンだった。

 

 かつて宇宙のアルテミス要塞で確認された、あの紺色の機体と同型状。

 

 だが、明らかに何かが違う。あの時は宇宙用として認識されていた機体が、今、地球の重力圏で、しかも翼を持たずに両肩のシールド兼用スラスターを噴射し、大気圏内を「飛行」していたのだ。

 

「……あり得ん。あのシールド兼スラスターユニット……宇宙用と思われていた機動装置が、実は大気圏内飛行のための空力制御も兼ねていたとは……」

 

 沈黙を破ったのは、人革連の技術担当最高責任者だった。

 

 その声には驚愕と、それ以上の深い渇望が混ざっている。

 

「我々が血眼になって開発しているティエレンの発展形など、児戯に等しい。……あの機体には、我々が失った『制空権』そのものが詰まっている」

 

 この映像が意味することはただ一つ。

 

 あの「紺色のティエレン」は、宇宙空間での高機動性だけでなく、重力下における完全な制空能力をも秘めていたということだ。

 

 そして、その機体の設計思想の根源──あるいは「産みの親」こそが、今オーブに君臨する最高軍事顧問、キラ・ヤマトに他ならない。

 

 人革連にとって、キラはただのオーブの英雄ではない。

 

 かつてプラントや地球連合が互いに殺し合う中、ティエレンとTC-OSをもたらし、ユーラシア連邦の軍事力を劇的に向上させた「救国の聖人」である。

 

「至急、オーブへ外交特使を送れ。……いいや、特使などという悠長なものではない。直談判だ」

 

 最高司令官の決断は早かった。

 

 オーブとの対立は得策ではない。

 

 ましてや、救国の恩人であるキラ・ヤマトとの関係を損なうことなど、人革連の戦略からすれば致命的な損失だ。

 

「キラ・ヤマト准将に対し、技術提携を強く申し入れろ。ティエレンの完全飛行型……あの設計図を要求する。対価は問わん。国家予算の半分だろうと、オーブの求めるあらゆる資源だろうと、全てこちらで準備する」

 

「しかし、司令。あの設計図はオーブにとっての喉元であるはず。そう簡単に渡すでしょうか?」

 

「ならば、これを見せろ」

 

 司令官が傍らのモニターを指し示す。

 

 そこに映し出されたのは、人革連の技術の結晶、全長50mを誇る超巨大モビルスーツ『ティエレンダーフォン』の機体シルエットだった。

 

「我々が誇るティエレンダーフォン。その設計図と引き換えだと言えば、技術者としての彼の魂を揺さぶれるはずだ。……彼は、戦いよりも、技術を極めることを愛する学者の一面を持っているはずだ。ならば、対等以上の交換条件であれば、必ず応じる」

 

 人革連にとって、50m級という巨大な人型兵器の設計データは、それこそ国家の存亡に直結する宝だ。

 

 だが、それでもあの「空を飛ぶティエレン」を手に入れられるなら、安いものだと彼らは判断した。

 

「全力を挙げろ。オーブの『空飛ぶ鉄人』を、我々の軍門に加えるのだ」

 

 モスクワの司令部には、緊迫した熱気が渦巻いていた。

 

 それは冷戦下の緊張感とは異なる、世界を変える新たな力への強欲なまでの期待感。

 

 数時間後、オーブ行政府の通信回線を通じて、最高機密レベルの通信がキラ宛に届けられた。

 

 それは、世界最大の領土を誇る巨大勢力が、一人の若き将軍の技術力に、プライドを捨てて膝を屈する瞬間でもあった。

 

 

◇◇◇

 

 

 分厚い暗号化プロトコルを解除して展開された人革連からの親書に目を通し、キラ・ヤマトは微かに苦笑を漏らした。

 

 今回のオーブ攻防戦の顛末は、カガリの手によって全世界へと詳細に公表された。

 

 あくまでも非はブルーコスモスという狂信者集団側にあり、オーブは国家存亡の危機に対して正当な自衛権を行使し、これを完全迎撃したという揺るぎない真実である。

 

 しかし、その戦闘記録の映像──特に、重力下において大空を縦横無尽に飛び回る『ティエレン全領域対応型』の姿が全世界に露呈すれば、真っ先に人革連がなりふり構わず食いついてくることは、キラには容易に予測できていた。

 

 彼ら人革連の軍人たち……極寒の地を生き抜く『雪熊の戦士』たちにとって、ティエレンという機体はもはや単なる兵器の枠を超え、一種の国教に近い位置で崇め奉られている存在だ。

 

 自国のドクトリンの象徴たる鉄人が、致命的な弱点であった「空」を克服して舞っているのを見れば、理性を保っていられるはずがない。

 

「だけど……これをそのまま渡すわけにはいかないんだよね」

 

 キラは手元のタブレットで、全領域対応型の内部フレーム構造図を呼び出した。

 

 人革連は知らないことだが、この全領域対応型は、ラクスを盟主とする秘密機関『ターミナル』の次期主力量産機として選定され、配備が進められている機体である。

 

 外見こそ無骨なティエレンの皮を被っているが、ハード面の中身は完全な別物──最新鋭の駆動系と極秘のジェネレーターを搭載した、化け物じみたハイスペック機なのだ。

 

 これをそのまま渡せば、オーブとターミナルの最深部の軍事機密を明け渡すことと同義となる。

 

 とはいえ、人革連の外交手腕も侮れないものがあった。

 

 彼らが送ってきた親書には、要求の対価として、すでに恐るべきデータファイルが添付されていたのだ。

 

 『50m級 超巨大モビルスーツ・ティエレンダーフォン』。

 

 モニターに映し出されたその威容を見て、キラは思わず息を呑んだ。

 

 もはやモビルスーツの概念を逸脱した、どこかのスーパーロボットかと見紛うほどの途方もない巨大機動兵器。

 

 その完全な設計図一式が、「これを渡すから空飛ぶティエレンを譲ってくれ」というメッセージと共に、すでに手元へ送られてきているのである。

 

 恩義や要求を突きつける前に、まず相手が絶対に欲しがる、あるいは驚愕する最高級の対価を先に投げ渡してしまう。

 

 無下に突き返せば相手の顔に泥を塗り、深刻な外交問題に発展しかねない、非常に厄介で強烈な『先出し外交』だった。

 

「……見事な手筋だ。だけど、政治や外交には、いくらなんでも『絶対に譲れないライン』というものがあるからね」

 

 キラは思考をフル回転させ、最適解を弾き出した。

 

 全領域対応型の設計図は門外不出。

 

 しかし、相手の顔を立て、実質的な航空戦力を提供する妥協案。

 

 彼はすぐさまデータベースから特定の機体データを抽出し、人革連への返書に添付する手配を整えた。

 

 彼が対価として選んだのは、『ティエレン高機動A型』と『ティエレン高機動C指揮官型』の設計図群である。

 

 ティエレン高機動A型は空戦型の機体であり、ホバー移動機能も有している。

 

 対して高機動B型は、脚部ホバー機構がより特化されており、地上や水上でのホバー移動の安定性と踏破性においてはA型を凌駕する。

 

 そして、そのA型の「空戦能力」とB型の「安定したホバー機動力」というそれぞれの長所を掛け合わせ、さらに通信・指揮能力を強化したのが、トール・ケーニヒの愛機でもある『高機動C指揮官型』だ。

 

「取り敢えずは、これで満足してもらおう。彼らなら、この機体の真価をすぐに理解するはずだ」

 

 キラの狙いは明確だった。

 

 ティエレン一本化ドクトリンを掲げる人革連にとって、長年の悲願であり致命的な欠陥でもあった『航空戦力の補填』。

 

 それを満たすこのAとCの2種の設計図があれば、全領域対応型そのものでなくとも、彼らは間違いなく狂喜乱舞し、納得する。

 

 それに、高機動C指揮官型までデータを与えれば、あとは人革連の優秀な技術者たちの領分だ。

 

 現行のC型に搭載されている「ジェットエンジン」を、宇宙空間やあらゆる環境で推進力を得られる「ロケットエンジン」へと換装し、推力バランスを彼ら自身の手で再構築すれば、いずれは自力で全領域対応型に近いものへの架け橋を架けることができるだろう。

 

 そこから先、機体をどう好きに弄り倒し、発展させていくかは、ティエレンを愛してやまない人革連の自由である。

 

 むしろ、これが為政者としての強烈なポーズにもなるのだと、キラは冷徹に計算していた。

 

『最新鋭の50m級巨大機動兵器の設計図という破格の対価を積まれてなお、全領域対応型の設計図だけは絶対に渡さない』。

 

 その毅然とした態度を示すことで、オーブという国が、そしてキラ・ヤマトという男が、いかなる巨大な力や利益をもってしても完全には買収されない「強固な芯」を持っていることを、世界最大の軍事大国に骨の髄まで知らしめることができる。

 

「ごめんね、人革連の皆さん。でも、お互いの国の形を守るためには、適度な距離と秘密が必要なんだ」

 

 キラは静かに呟くと、完成した返書と設計データに最高軍事顧問の電子署名を刻み、モスクワに向けて送信ボタンを叩いた。

 

 ただ優しかっただけの少年は、今や大国の首脳たちと盤面を囲み、超巨大兵器の設計図をチェスの駒のように操りながら、したたかに、そして強欲に、オーブの平和という名の勝利を掴み取っていく冷徹なる王へと変貌を遂げていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ムルタ・アズラエルは手元のタブレットに表示された途方もないゼロの羅列を見つめ、ひっそりと冷笑を漏らした。

 

「海洋環境浄化費用、ならびにサルベージ委託料、および復興賠償金……ね。いやはや、ウズミの娘もあの歳で随分とあくどい商売を覚えたものだ。あの彼が後ろ盾にいると、こうも強気に出てくるとは」

 

 大西洋連邦政府の首脳陣は、オーブ新政権から突きつけられたこの「法外なゴミ掃除の請求書」と、交渉材料としてチラつかされた「ニュートロンジャマーキャンセラーライセンスの供給凍結」の前に、完全に泡を食って機能不全に陥っていた。

 

 無理もない。世界最大の軍事連邦が、南太平洋の小さな島国に完全に首根っこを掴まれ、身包みを剥がされようとしているのだから。

 

「ま、仕方ありません。ウチの可愛い兵隊さんたちが、派手に散らかしちゃったわけだし」

 

 アズラエルはあっさりと自分の管理下にある裏口座から、その賠償金の一部を大西洋連邦政府の支払い枠へと補填する手続きを済ませた。

 

 彼自身、かつてはブルーコスモスの盟主として、軍需産業の巨大な歯車を回すために「青き清浄なる世界のために」というスローガンで無知な民衆を煽動してきた張本人である。

 

 その熱狂のツケが今回のような暴走を招いたのだから、彼にはその「ケツ持ち」をする責任が、彼なりの倫理観の中ではある程度存在していた。

 

 だが、この天文学的な金額の支払いは、決してオーブへの屈服や、大西洋連邦政府への忠誠から来るものではない。

 

 これはアズラエルにとって、狂信者たちと大西洋連邦政府に対する「冷徹な手切れ金」であった。

 

 今回の防衛戦で、オーブという国は物理的にも政治的にも「絶対に手を出してはいけない不可侵領域」へと昇華した。

 

 しかし、あの南太平洋の海から命からがら逃げ帰ってきた兵士たちや、大西洋連邦の民衆の中には、いまだに「青き清浄なる世界」を妄信するブルーコスモスの狂信者たちがうじゃうじゃと湧いている。

 

(思想に狂った連中ほど、商売の邪魔になるものはないからねぇ)

 

 アズラエルは冷ややかに目を細めた。

 

 今後、ジブリールのような狂信者たちがオーブやプラント相手に再び無謀な喧嘩を売り、取り返しのつかない大火傷を負った際、「自分にまでその尻拭いの請求書が回ってくること」だけは断固として御免だった。

 

 今後、大西洋連邦がオーブ関連でどんなトラブルを起こそうが、どんな大敗を喫しようが、自分は一切の面倒を見ない。

 

 軍需産業のドンとしての立場は維持しつつも、狂信的な泥舟からは誰よりも早く降りる。

 

 そのための、安い手切れ金なのだ。

 

「それにしても……あの歳で、世界を手玉に取りますか。オーブの若き将軍様は」

 

 アズラエルの脳裏に、自らと直接のホットラインを持つ、あの優しげで、底知れぬ悪魔的な計算高さを持った16歳の少年の顔が浮かぶ。

 

 先日も『ちょっと知人を引き抜きたいから手配してよ』などと、世界最強の連邦のドンである自分をまるで便利なパシリのように使ってきた。

 

「ふふっ……ハハハッ! 良いショーだったよ、キラ・ヤマト君」

 

 思想に狂ったジブリールよりも、利益と力による絶対的な均衡を理解するオーブの将軍の方が、遥かに話が通じるし、何よりビジネスパートナーとして有益だ。

 

 アズラエルは、大西洋連邦という沈みゆく泥舟の連中を完全に「損切り」した清々しさと共に、デスクの上のモニターを消した。

 

 世界がどのような狂気に包まれようとも、己だけは常に勝者の側、あるいは最も利益の出る側に立つ。

 

 死の商人としてのドライな合理性を貫きながら、ムルタ・アズラエルは新たなる「覇権国家オーブ」の動向を、特等席で悠然と見物する構えに入っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 プラントの首都、アプリリウス市。

 

 最高評議会議長の執務室は、重苦しい静寂と、最高権力者であるはずのパトリック・ザラが発する焦燥の空気に支配されていた。

 

「なんなのだ。ティエレンという鉄案山子は……」

 

 パトリックは、最近になって手放せなくなった頭痛薬と胃薬を水で流し込み、深々と眉間を揉み解した。

 

 モニターに映し出されているのは、オーブ攻防戦で大空を縦横無尽に舞う『ティエレン全領域対応型』の映像だ。

 

 かつてヘリオポリス宙域で確認され、ザフトの誇るジン・ハイマニューバすらも赤子扱いしたという「紺色のティエレン」。それと同型の機体が、まさか重力下で空をも飛ぶなどと、誰が予測できただろうか。

 

 人革連が誇る50m級の巨人機『ティエレンダーフォン』よりも、機体サイズとしてははるかに現実的だ。

 

 しかし、その内包された絶望的なまでの基本性能が、ここに来て次々と露呈してきている。

 

 つまるところ、あの悪魔のような化け物機体は、すでに半年近く前には完成していたということだ。

 

 その事実に、パトリックは薄ら寒い身震いを感じずにはいられなかった。

 

(……だが、それがジャンク屋組合から大西洋連邦へ流出せず、オーブ独自のもので留まっていることだけが唯一の救いか)

 

 もしあれが地球連合軍の主力として量産されていれば、プラントはとうの昔に火の海に沈んでいただろう。

 

 そしてあの映像を見れば、人革連は間違いなく躍起になり、同じもの──あるいはそれ以上のものを造ろうと技術開発に血道を上げるはずだ。

 

 現在、地球圏の勢力図は劇的な変容を遂げつつある。

 

 人革連、AEU、大西洋連邦、そしてオーブ。

 

 しかし、人革連が技術的・政治的にオーブ寄りの姿勢を見せている以上、地球は実質的に「オーブ&人革連」「AEU」「大西洋連邦」の三大勢力による、大いなるゼロサムゲームへと移行しつつあった。

 

 大洋州連合や北アフリカ、汎ムスリム会議といった親プラント寄りの国家もあるが、大局を覆すほどの力はない。

 

 そして何より、パトリックの頭を最も悩ませているのが、プラント国内の「世論の分断」だった。

 

 この戦争は、もはや「コーディネイターとナチュラルの互いの生存を掛けた種族の戦い」という単純な構図から完全に逸脱してしまっている。

 

 人革連がカオシュン基地でザフトの捕虜を不当に扱わず、紳士的に返還した『カオシュンの奇跡』。

 

 その影響はプラントの民衆にも広く浸透し、「ナチュラルはすべて野蛮で滅ぼすべき敵」というパトリックの強硬論を根底から揺るがしているのだ。

 

 戦争継続派と和平派で評議会の意見は真っ二つに割れ、さらには和平派の象徴であるシーゲル・クラインの娘、ラクス・クラインが、オーブの最高軍事顧問キラ・ヤマトと極めて近しい間柄にあるという報告まで上がってきている。

 

「……お前は、何をしているというのだ。アスラン」

 

 パトリックは、デスクの片隅に置かれた写真立てを見つめ、苦々しく呻いた。

 

 あのキラ・ヤマトが親友だと言い放ち、カーペンタリア基地を経由してザフトの軍籍を捨てる「辞表」を叩きつけてきた実の息子。

 

 それが今、あの化け物たちの巣窟たるオーブで何をしているのか、パトリックには預かり知らぬところにあった。

 

 そんな父が頭を抱えていることなど露知らず、当のアスラン・ザラは今、オーブ行政府・代表執務室の前に立っていた。

 

 その身を包んでいるのは、ザフトの赤服ではない。

 

 左肩にオーブの階級章が輝く、仕立ての良い国防軍の制服であった。

 

「代表。次の復興委員会の視察の時間が迫っています」

 

 アスランが静かに声を掛けると、山積みの書類と格闘していた若きオーブの獅子──カガリ・ユラ・アスハが、ふうっと大きなため息をついて顔を上げた。

 

「ああ、分かっている。……って、アスラン、お前こそ少しは休めと言っただろう。昨日の夜からずっと私に付きっ切りじゃないか」

 

「君が休んでいないのに、俺が休むわけにはいかないだろう。俺は君の『護衛』であり、特別補佐官としてこの国にいるんだからな」

 

 アスランは少しだけ呆れたように微笑むと、温かい紅茶の入ったカップを彼女のデスクに置いた。

 

 カガリは「すまん」と、紅茶に口をつける。

 

 プラントにいた頃の彼は、常に「パトリック・ザラの息子」という重圧と、「軍人としての責務」に雁字搦めにされ、息が詰まるような日々を送っていた。

 

 キラと戦わなければならないという絶望に心をすり減らし、その無事を祈りながら、ただ命令に従うだけの機械になりかけていた。

 

 だが、オーブに来てからの彼は違う。

 

 キラと和解し、彼が背負う途方もない重圧を、今度は「同じ側に立って」分け合うことができる。

 

 彼を支え、護るという「自分が本当に為すべきこと」を見つけることができたのだ。

 

「……アスランが来てくれて、本当に助かってるよ」

 

 執務室の奥から、キラがひょっこりと顔を出した。

 

 手には大量の設計データが収められたタブレットを持っている。

 

「僕一人じゃ、軍の再編と技術開発だけで手一杯だったから。アスランがカガリの側近として政務と軍務の橋渡しをしてくれるおかげで、オーブの動きが劇的にスムーズになったよ」

 

「よせ。俺はただ、お前が切り拓いた道が崩れないように地固めをしているだけだ」

 

 アスランは照れ隠しのように顔を背けたが、その瞳にはプラント時代には決して見せなかった、晴れやかで力強い光が宿っていた。

 

「父上のやり方は、間違っている。憎しみで敵を殲滅しても、そこには何も残らない。……俺は、この国でお前たちと共に、誰も血を流さずに済む明日を創る。それが、俺なりの父上への『戦い』だ」

 

 アスランの静かな、しかし鋼のような決意に、キラとカガリは深く頷いた。

 

 遠くプラントで苛立ちと孤独に苛まれる父の姿など、今の彼には届かない。

 

 アスラン・ザラは今、一人の人間として、己の意志で選び取った「愛する者を護るための剣」として、この新たなオーブの地で最も充実した誇り高き時間を生きていた。

 

 

 




感想でちらほら見掛けたカズイのその後、なんか描きたいと思っても中々出番を作るのが難しかった彼も、戦いが絡まないここなら出せると思って出番が回ってきました。

トールが良い奴過ぎて、原作でガチのキラとアスランの殺し合いをするとはいえ、戦死した彼の存在が悔やまれる。

そして物凄く充実した時間をエンジョイしているアスラン。

なおまだ母レノアを救おうとしたキラの真実は告げていない、だってキラと離れたくないし、けれどそんな軍に内通者がいるかもしれないなんて危ない情報を通信とかで伝えるのは危ないから、落ち着いたらプラントに一度戻って直接伝えようとは思ってるけど、キラに頼られたし、なんだかんだ隙のあるカガリも放っておけない、姉弟仲良くて良いなぁてぇてぇしてるアスラン。

お前マジそういうところだぞアスラァァァンッ!!

マユ・アスカは虎視眈々と兄を狙っている。

仕方ないよね、互いにブラコンシスコンなんだし。

そこにキラとカガリの仲睦まじい双子愛の国なんだから余計に仕方ないネ!

ヨスガっても大丈夫な国とかたまげるなぁ……。

しかし忠犬シン公より先に忠義の嵐バジルールが爆誕とか私にもわからない。

だっていつの間にか筆がそう動いたんだもの。

後のことは次のお話を書く私が考えるさというスタイル。

イングリットが絡むとキラがスパダリになるのはなんでなんだ?

いや、まぁ、君はアコードの中で一人勝ち大勝利UC希望の未来へレディーゴー!!でキラの子供でも産んで幸せになりなさい。

ストライクルージュの出番?

一応原作でも拾ったストライクからとG兵器がモルゲンレーテの協力だから見逃されてるかもだけど。

大西洋連邦製の兵器をフラグシップ機にする理由がこの世界だと皆無ですからねぇ。

それにアカツキも作劇の都合上でムウに貸し出したりせずに、カガリ専用の大将機というシンボル性がシロガネとのコンビで確立されましたからねぇ。

レクイエム?

たかが戦略ビームの数発、ジガンスクードで防ぎきってやる!!←多分ジガンなら出来るはず。

 
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