普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象   作:東頭鎖国

1 / 8
第一話

 暁美ほむらの家は、いつも静かだった。

 広すぎるわけではないのに、人の気配が薄いせいで、廊下の白さやリビングの空気が妙に冷たく感じられる。

 両親は仕事で家を空けることが多く、退院して学校へ通うようになってからも、ほむらは一人で過ごす時間に慣れきれないままだった。

 病院にいた頃は、看護師も医師も優しかった。

 けれど、誰かがそばにいてくれる時間は決まっていて、手を伸ばせばずっと触れられるような温かさは、いつも少し遠かった。

 

 その寂しさが、恋人ができてから急に形を持った。

 同じ学校の同級生で、特別に派手な男子ではない。

 ただ、ほむらが言葉を選ぶのを待ってくれて、慌てて転びそうになれば手を貸してくれて、緊張して笑えない時にも困ったように笑って隣にいてくれる。

 最初は、少し話しやすい人だと思っていただけだった。

 それがいつの間にか、彼が来る日を数えて待つようになっていた。

 

 チャイムが鳴る少し前から、ほむらは玄関の方ばかり気にしていた。

 時計を見る。

 髪を触る。

 眼鏡の位置を直す。

 別に変なところはないはずなのに、彼が来ると思うだけで、胸の奥がそわそわして落ち着かない。

 誰もいない家に一人でいる時間が長かった分、誰かが自分のために玄関のチャイムを鳴らしてくれることが、まだ夢みたいに感じられた。

 チャイムが鳴った瞬間、ほむらは肩を跳ねさせた。

 深呼吸をしてから立ち上がろうとしたのに、足は思ったより早く動いてしまう。

 廊下を小走りにならないように気をつけながら、ほとんど小走りで玄関へ向かう。

 ドアノブに手をかけた時には、胸の鼓動が耳の奥まで響いていた。

 

「い、いらっしゃい……今日も来てくれて、ありがとう」

 

 玄関の前に立っていた彼は、少しだけ笑った。

 その笑い方を見るだけで、ほむらは肩の力が抜けそうになる。

 彼は靴を脱ぎながら、いつものように無理に踏み込まない距離でこちらを見ていた。

 その距離感が優しい。

 近すぎないのに、ちゃんと自分の方を向いてくれている。

 

「呼んでくれて嬉しかったよ。今日は体調、大丈夫?」

 

「う、うん。

 学校でも、あまり疲れなかったから……大丈夫」

 

 そう答えながら、ほむらは彼の袖をそっと掴んだ。

 掴んだあとで、自分が何をしているのかに気づき、慌てて手を離そうとする。

 けれど彼は何も言わなかった。

 笑うことも、からかうこともせず、ただ靴を揃えてから、袖を掴んだままのほむらに合わせてゆっくり歩き出す。

 その反応が、ほむらにはどうしようもなく嬉しかった。

 自室に入ると、ほむらは少しだけ緊張した。

 何度も彼を呼んでいるはずなのに、部屋に二人きりになる瞬間だけは、いつも胸の奥がきゅっと狭くなる。

 嬉しい。

 恥ずかしい。

 でも、帰ってほしくない。

 そういう気持ちが一度に押し寄せて、ほむらはベッドの端に腰を下ろした彼の隣へ、控えめに座った。

 

「……少しだけ、なでなでしてもらってもいいですか」

 

 自分で言ってから、ほむらは顔が熱くなるのを感じた。

 こんなお願いをするつもりではなかった。

 今日は普通に話して、宿題を少し見てもらって、お茶を出して、落ち着いた恋人同士の時間を過ごすつもりだった。

 けれど彼の顔を見た瞬間、そんな予定は全部どこかへ行ってしまった。

 頭を撫でてほしい。

 近くにいてほしい。

 それだけが、胸の中で膨らんでいた。

 

「いいよ。こっち来る?」

 

 彼の声は、驚くほど自然だった。

 ほむらは小さく頷き、彼の隣へもう少しだけ寄った。

 彼の手が髪に触れる。

 眼鏡に当たらないように、前髪を崩しすぎないように、丁寧に撫でてくれる。

 その手つきに、ほむらの身体から少しずつ力が抜けていった。

 

「きゅ~ん……♡」

 

 声が漏れた。

 自分でも信じられないような甘い声だった。

 ほむらは一瞬で顔を赤くし、慌てて口元を押さえる。

 彼は笑わなかった。

 ほんの少しだけ目を丸くしたあと、いつもと同じように頭を撫で続ける。

 その優しさが、余計にほむらの胸を詰まらせた。

 

「い、今のは……違うの。

 変な声が出ただけで……」

 

「うん。

 でも、嫌じゃなかったよ」

 

「嫌じゃないの……?」

 

 ほむらはおそるおそる彼を見上げた。

 彼は頷いた。

 その表情に嘘やからかいはなく、ただほむらが安心できるように言葉を選んでいる目をしていた。

 その目を見た瞬間、ほむらはもう一度彼の袖を掴んでしまった。

 今度は離そうとしなかった。

 

「……もう少し、お願いします」

 

「うん」

 

 彼はまた撫でてくれた。

 ほむらは目を細め、彼の肩へほんの少しだけ寄りかかる。

 人の体温が近い。

 服越しに伝わる温かさが、胸の奥の空洞へゆっくり染み込んでくる。

 病院のベッドで一人眠った夜も、家に帰ってきても誰もいなかった夕方も、全部が遠くなっていくようだった。

 

「私、たぶん……すごく、さみしがりです」

 

 ほむらは、彼の袖を弱く握ったまま言った。

 言ってしまってから、怖くなった。

 面倒だと思われるかもしれない。

 重いと思われるかもしれない。

 退院したばかりの頃から、ずっと胸の中にあった寂しさを、恋人に押しつけているような気がした。

 

「入院していた時、みんな優しかったけど……でも、こういうふうに近くにいてくれる人は、あまりいなかったから」

 

 彼はすぐには返事をしなかった。

 その沈黙に、ほむらの指先が震える。

 言わなければよかったと思いかけた時、彼の腕がゆっくり背中へ回った。

 強く抱きしめるのではなく、逃げてもいいような優しい力だった。

 その優しさが、ほむらの目元をじんわり熱くした。

 

「寂しい時は、呼んでいいよ」

 

「……毎日でも?」

 

「毎日でも。

 俺が来られる日は来るし、来られない日は電話する」

 

「わがままじゃ、ないですか」

 

「わがままじゃないよ。

 好きな人に会いたいって思われるのは嬉しいし」

 

 ほむらは彼の胸元へ額を寄せた。

 涙が出そうだった。

 泣くのは恥ずかしい。

 でも、彼がそんなふうに言ってくれるなら、少しだけ泣いても許されるような気がしてしまった。

 彼は何も急かさず、背中をゆっくり撫でている。

 その手の動きに合わせて、ほむらの呼吸も少しずつ落ち着いていった。

 

「……ぎゅって、してもらってもいいですか」

 

「うん。いいよ」

 

 彼の腕に力がこもる。

 ほむらは小さく息を吐き、彼の胸元へ頬を寄せた。

 抱きしめられると、身体の輪郭がはっきりするようだった。

 自分がここにいていいのだと、誰かの腕の中で確かめられる。

 その感覚があまりに心地よくて、ほむらは彼の服をぎゅっと掴んだ。

 

「はふぅ……♡」

 

 また甘い息が漏れた。

 今度は、ほむらも慌てて言い訳しなかった。

 恥ずかしくはある。

 けれど彼が笑わないことを、少しだけ信じられるようになっていた。

 彼の胸元に顔を隠し、ただ撫でられるままに身体を預ける。

 それだけで、家の静けさが怖くなくなっていく。

 

「ほむらは、こうされるの好きなんだね」

 

「……好き、です」

 

 ほむらは小さく答えた。

 言葉にすると、胸の奥がまた熱くなる。

 好き。

 抱きしめられるのが好き。

 頭を撫でられるのが好き。

 彼が自分のために来てくれるのが好き。

 そういう気持ちが一つずつ形になっていくのを、ほむらは恥ずかしさと幸福の中で受け止めていた。

 

「じゃあ、今日はいっぱい甘えていいよ」

 

「いっぱい……?」

 

「うん。なでなでも、ぎゅーも、ほむらが安心するまで」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ほむらの顔は完全にほどけた。

 彼の腕の中へさらに身体を預け、胸元へ擦り寄る。

 自分がこんなに人肌に飢えていたことを、彼に会うまで知らなかった。

 知らなかったのではなく、知らないふりをしていたのかもしれない。

 でも今は、もう誤魔化せなかった。

 

「きゅ~ん……♡ もっと、なでなでして……」

 

「うん」

 

「ぎゅーも……もう少し強く……」

 

「これくらい?」

 

「……ん。落ち着く……」

 

 ほむらは目を閉じた。

 彼の心音が近くに聞こえる。

 誰もいない家の静けさとは違う、安心できる音だった。

 長い入院生活の中でずっと遠かった温かさが、今は自分のすぐそばにある。

 その事実だけで、ほむらの胸はいっぱいになった。

 夕方の光が窓から差し込む頃、ほむらはまだ彼に抱きしめられていた。

 宿題はほとんど進んでいない。

 お茶もまだ出していない。

 それでも彼は急かさず、ほむらが落ち着くまでずっとそばにいた。

 ほむらはそれを申し訳なく思いながらも、彼の服を掴む指をなかなか緩められなかった。

 

「……帰る時間、まだですか」

 

「まだ大丈夫」

 

「本当に?」

 

「本当。もう少しいるよ」

 

 ほむらはほっとしたように息を吐いた。

 その顔を見た彼が、もう一度頭を撫でる。

 ほむらは目を細め、また小さく鳴きそうになって、今度は少しだけ笑った。

 恥ずかしい自分も、寂しがりな自分も、彼の前なら少しずつ見せてもいいのかもしれない。

 そう思えることが、ほむらにとっては何より大きかった。

 その日から、ほむらは両親がいない日を少しだけ待つようになった。

 一人の家は寂しい。

 でも、彼を呼べるなら、その寂しさは彼に会う理由になる。

 彼が来てくれる日は、玄関のチャイムが鳴る前から胸が弾む。

 彼が部屋に入れば、ほむらは最初こそ遠慮するが、すぐに袖を掴んでしまう。

 そして頭を撫でられるたび、少しずつ遠慮が溶けていった。

 

「今日も、なでなで……してくれますか」

 

「もちろん」

 

「ぎゅーも、してくれますか」

 

「うん」

 

「……いっぱい?」

 

「いっぱい」

 

 ほむらは彼の胸元へ飛び込むように寄りかかった。

 犬のように甘える日もあった。

 ただ抱きしめられて、きゅ~んと甘い声を漏らしてしまう日。

 彼が笑わずに受け止めてくれるから、ほむらは少しずつ、甘えることを怖がらなくなった。

 この家の静けさはまだ消えない。

 けれど彼がいる時だけは、その静けさが二人だけの秘密を包むやさしい空気に変わった。

 

「きゅ~ん……♡ 今日も、来てくれてうれしいです……」

 

 彼に抱きしめられながら、ほむらはとろけた声でそう言った。

 顔は真っ赤だった。

 でも、もう逃げなかった。

 人肌に飢えていた自分を、彼が笑わずに抱きしめてくれる。

 その安心が、暁美ほむらという少女を少しずつ甘くほどいていった。

 

 ◇

 

 ある日の放課後、鹿目まどかたちは帰り道を歩いていた。

 ワルプルギスの夜を倒してから、世界は拍子抜けするほど穏やかになっていた。

 空は普通に青く、夕方の風は少しだけ冷たく、誰かが明日も学校へ行くことを疑わなくていい。

 そんな当たり前の時間が、五人にとってはまだ少しだけ眩しかった。

 

「それでさ、今日の数学、絶対あの範囲出ると思ったのに全然違ったんだよ」

 

 さやかは両手を頭の後ろに回し、いつもの調子でぼやいていた。

 その隣でまどかは困ったように笑い、ほむらは静かに歩調を合わせている。

 杏子は菓子をくわえながら、話の半分だけ聞いている顔をしていた。

 マミは少し後ろから、四人のやり取りを穏やかに見守っていた。

 

「美樹さん、勉強はヤマを張るものではないと思うわ」

 

「マミさん、正論が眩しいです……。

 でも正論って、テスト前日のあたしにはちょっと強すぎるんですよ」

 

「なら普段からやっとけよ」

 

 杏子の雑な正論に、さやかは胸を押さえた。

 まどかが慌てて間に入ろうとするが、ほむらはそのやり取りを見ながら小さく息を吐くだけだった。

 平和だと思った。

 本当に、どうしようもなく平和だった。

 だからこそ、次の瞬間に足元の空気が変わった時、ほむらは誰より早くそれに気づいた。

 

「止まって」

 

 ほむらの声が低く落ちた。

 その一言で、全員の足が止まる。

 さやかは軽口を飲み込み、杏子は菓子を噛む動作を止めた。

 マミはすぐに周囲へ視線を巡らせ、まどかは不安そうにほむらの袖を見た。

 道路の音が遠くなっていた。

 車の気配も、人の声も、夕方の街のざわめきも、まるで厚いガラスの向こうへ押し込められたように薄くなっていく。

 

「魔女?」

 

 杏子が低く尋ねた。

 ほむらは首を横に振った。

 魔女の結界に似ている。

 だが、あの独特の悪意や濁った気配がない。

 むしろ、何もなさすぎる。

 空間から色だけを抜き取り、意味だけを残したような、白く乾いた違和感だった。

 

「違うわ。

 でも、普通の現象ではない」

 

 ほむらが言い終える前に、足元が白く光った。

 五人の影が薄れ、地面と空の境目が溶けていく。

 まどかが小さく息を呑み、さやかが反射的に身構える。

 杏子は舌打ちしかけたが、音になる前に光に飲まれた。

 マミは全員の位置を確認しようとして、伸ばした手が白い空気に沈む感覚に眉を寄せた。

 次に目を開けた時、五人は知らない空間に立っていた。

 そこは真っ白だった。

 床も壁も天井も、あるようでない。

 奥行きはあるのに距離感が曖昧で、足音はほとんど響かない。

 ただ、正面にだけ巨大なスクリーンのようなものが浮かんでいた。

 その前には、まるで最初から五人分用意されていたように椅子が並んでいる。

 

「なにこれ……」

 

 さやかの声が、白い空間に小さく吸い込まれた。

 普段ならすぐにツッコミを入れるところだが、今は状況が妙すぎて声に勢いがない。

 まどかは不安そうに周囲を見回し、ほむらの近くへ一歩寄った。

 マミは警戒を解かず、杏子は椅子を睨みつけている。

 

「座れってことか?」

 

 杏子は椅子の背を軽く蹴ろうとして、直前でやめた。

 この空間が何をするか分からない以上、下手に刺激するのは危険だと判断したのだろう。

 ほむらはスクリーンを見上げながら、変身しようとした。

 しかし、魔力がうまく掴めない。

 手の中の砂を握ろうとしても、白い光だけが指の間から抜けていくような嫌な感覚だった。

 そしてそれは、他の魔法少女も同じようだった。

 

「変身できない。

 少なくとも、普通の結界ではないわ」

 

「ほむらちゃんでも分からないの?」

 

 まどかの声には、不安と信頼が同じくらい混ざっていた。

 ほむらは根拠のない安心を返せず、少しだけ息を整える。

 

「分からないから、慎重に動くべきね。

 全員、私から離れないで」

 

「それ言われると、めちゃくちゃ嫌な予感するんだけど……」

 

 さやかはそう言いながらも、素直にほむらの近くへ寄った。

 杏子も不満そうに舌を鳴らしたが、勝手に突っ込むことはしない。

 マミは全員を見渡し、白い椅子とスクリーンの間に漂う妙な静けさを見つめた。

 敵意はない。

 だが、こちらの意思を尊重する気配もない。

 その感覚が、彼女の表情をわずかに硬くした。

 

「攻撃してくる様子はないわ。でも、こちらを何かの目的で集めたのは確かね」

 

「目的って……こっちはワルプルギスしばいたばっかなんですけど?」

 

 さやかが言うと、杏子が苦い顔で頷いた。

 まどかも心配そうにスクリーンを見上げる。

 ほむらは何も答えられなかった。

 世界の危機なら、まだ対処の仕方がある。

 敵がいて、戦うべき理由があり、守るものがあるなら、自分は迷わない。

 けれど目の前の空間は、戦う相手ではなく、何かを見せようとしているように感じられた。

 その予感を肯定するように、スクリーンが淡く光った。

 白い画面に文字が浮かび上がる。

 

『上映会』

 

 それだけだった。

 あまりにも簡素で、あまりにも不穏だった。

 五人はしばらく、その三文字を無言で見つめた。

 

「上映会?」

 

 さやかが、ようやく声を出した。

 その顔には困惑が濃く浮かんでいる。

 魔女でも使い魔でもなく、攻撃でも拘束でもなく、上映会。

 危険なのか、くだらないのか、判断に困る言葉だった。

 杏子は露骨に嫌そうな顔をし、マミは口元に手を添えて考え込む。

 

「何を上映するつもりなのかしら」

 

 マミの声は慎重だった。

 ほむらはスクリーンから目を離さない。

 嫌な予感が強くなっている。

 この空間は、ただの映像を流す場所ではない。

 五人をここへ連れてきた理由がある。

 そして、こういう理不尽な現象は、大抵こちらが見られたくないものを選ぶ。

 

「……全員、心当たりはある?」

 

 ほむらが尋ねると、さやかが即座に首を振った。

 まどかは不安そうに目を泳がせ、マミは静かに考え込む。

 杏子はそっぽを向きながら、ない、と短く答えた。

 その答え方が少しだけ早かったため、さやかがじっと杏子を見る。

 

「杏子、今の間、ちょっと怪しくない?」

 

「ねーよ! 何で真っ先にあたしを疑うんだよ!」

 

「いや、こういう時に一番何かありそうなのって杏子じゃん」

 

「おまえ後で覚えてろよ……」

 

 いつもの軽口に戻りかけた瞬間、スクリーンに新しい文字が浮かんだ。

 

『第一上映』

 

 続いて、少し間を置いてから、題名が表示される。

 

『暁美ほむら・別世界線記録』。

 

 五人の空気が、同時に変わった。

 

「……私?」

 

 ほむらの声は、思っていたより低くなった。

 自分の名前が出た。

 しかも、別世界線記録。

 その言葉だけで、胸の奥が嫌な形でざわつく。

 ループの記憶か。

 失敗した時間軸か。

 まどかを救えなかった世界か。

 思い当たるものが多すぎて、ほむらは一瞬だけ呼吸を忘れた。

 

「ほむらちゃん……」

 

 まどかが心配そうに名前を呼んだ。

 ほむらは大丈夫だと言おうとして、言葉を飲み込む。

 大丈夫かどうかは、まだ分からない。

 もしここで映されるのが過去の惨劇なら、まどかにだけは見せたくない。

 さやかも杏子もマミも、軽口を止める。

 先ほどまでの不可解さが、一気に重いものへ変わっていた。

 

「待ちなさい、何を見せるつもり?」

 

 ほむらはスクリーンへ向けて言った。

 返事はない。

 ただ、五人の椅子がかすかに光り、それぞれの背後へ静かに移動してくる。

 座れという無言の圧だった。

 杏子が舌打ちし、さやかが一歩下がろうとする。

 しかし白い床は柔らかく光り、五人の足元を逃がさないように固定した。

 

「ちょ、これ座らないと駄目なやつ!?」

 

 さやかの声に焦りが混ざる。

 マミは抵抗するより、まず状況を把握するべきだと判断したように、静かに椅子へ腰を下ろした。

 まどかも不安そうにほむらを見る。

 ほむらはスクリーンを睨みつけたまま、ゆっくり座った。

 他の三人も、それに続くしかなかった。

 

 椅子に座った瞬間、周囲の白さが少しだけ濃くなった。

 スクリーン以外のものが、視界の端から遠ざかっていく。

 強制的に見せられる。

 その事実を理解して、ほむらの指先が冷たくなる。

 けれど、逃げられないなら見るしかない。

 彼女は膝の上で拳を握り、映像が始まるのを待った。

 

「ほむらちゃん、何かあったら言ってね」

 

 まどかの声は震えていた。

 それでも、ほむらを一人にしないという意志があった。

 ほむらはわずかに視線を横へ動かし、まどかの顔を見る。

 心配そうで、優しくて、今にも手を伸ばしてきそうな顔。

 その表情を見た瞬間、ほむらは少しだけ胸の奥を締めつけられた。

 

「……ありがとう。

 でも、あなたが傷つく映像なら、目を閉じて」

 

「それは、ほむらちゃんも同じだよ」

 

 まどかはそう返した。

 ほむらは言葉に詰まった。

 この子は、いつもそうだ。

 自分の痛みより先に、誰かの痛みを見ようとする。

 だからこそ守りたいのに、だからこそ隠し通せないことがある。

 

「始まるぞ」

 

 杏子の低い声が、二人の間の沈黙を切った。

 スクリーンがさらに明るくなる。

 白い光の中に、ぼんやりと部屋の輪郭が浮かんできた。

 病室ではない。

 戦場でもない。

 そこに映り始めたのは、ほむらの家だった。

 ただし、今のほむらが知る部屋より、少しだけ生活感が薄く、少しだけ幼い空気がある。

 映像の中に現れた少女は、眼鏡をかけ、三つ編みをしていた。

 魔法少女になる前の、あるいは魔法少女にならなかった世界線の暁美ほむら。

 その姿を見た瞬間、ほむらの胸に別種の緊張が走った。

 

 おそらく、惨劇ではない。

 少なくとも、まどかが死ぬ映像ではない。

 そのことに安堵しかけた直後、玄関のチャイムが鳴った。

 映像の中の眼鏡ほむらは、明らかにそわそわしていた。

 時計を見て、髪を触り、眼鏡を直し、廊下へ向かう足取りが少しだけ弾んでいる。

 白い空間の五人は、まだ何が始まるのか分からず息を潜めていた。

 ただ、ほむらだけは別の意味で嫌な予感を覚えていた。

 戦いの記録ではない。

 これは、もっと個人的で、もっと見られたくないものだ。

 

「……まさか」

 

 ほむらが小さく呟いた。

 まどかが隣の彼女を見る。

 さやかも、スクリーンとほむらの横顔を交互に見た。

 スクリーンの中のほむらが玄関のドアを開けた。

 そこに立っていたのは、同級生らしい男子生徒だった。

 映像の中のほむらの顔が、彼を見た瞬間にふわりとほどける。

 その表情を見た瞬間、白い空間の空気は戦闘前の緊張から、もっと処理に困る種類の沈黙へ変わった。

 

「い、いらっしゃい……今日も来てくれて、ありがとう」

 

 眼鏡ほむらの甘く頼りない声が、白い空間に響いた。

 さやかの目が大きくなる。

 まどかは両手を胸の前で握り、マミは頬を赤くしながら静かに息を呑む。

 杏子は完全に言葉を失っていた。

 そして現在のほむらは、膝の上の拳に力をこめたまま、耳まで赤くなっていくのを止められなかった。

 

「……これは、別の時間軸の私よ」

 

 ほむらは、誰に聞かれたわけでもないのに言った。

 声は落ち着いていた。

 落ち着いているように聞こえるよう、必死に整えていた。

 けれど、映像の中の自分が恋人を家へ招き入れた時点で、彼女の中の警報は最大音量で鳴っていた。

 ワルプルギスよりも、ある意味で厄介な上映会が始まろうとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。