普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象   作:東頭鎖国

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第二話

 現代の暁美ほむらは、正面のスクリーンを見つめたまま膝の上で両手を強く握っていた。

 そこに映っているのは、別の世界線の自分だった。

 眼鏡をかけ、三つ編みにして、魔法少女にもなっていない暁美ほむらが、自宅の玄関で恋人の男子生徒を待っている。

 この場にその彼はいない。

 いないからこそ、ほむらはほんの少しだけ安堵していたし、同時に、逃げ道を失ってもいた。

 

「……ほむらちゃん?」

 

 隣の鹿目まどかが、恐る恐る声をかけた。

 その声には心配が滲んでいて、からかう響きは少しもない。

 けれど今のほむらにとっては、それすら胸の奥を細い針でつつかれるような刺激だった。

 まどかが優しいほど、隠していたものを見透かされそうで怖かった。

 

「何でもないわ」

 

 ほむらは静かに答えた。

 声だけなら、いつもの冷静な暁美ほむらに聞こえたかもしれない。

 けれど、巴マミの視線はほむらの指先へ落ちていた。

 美樹さやかも、言いたいことを山ほど抱えた顔で、しかし珍しく口を挟まずにいる。

 佐倉杏子は椅子の背にもたれたまま、スクリーンから目を離せなかった。

 スクリーンの中で、ほむらが彼を迎え入れた。

 広すぎる家の玄関で、彼女は胸の前に両手を寄せて、嬉しさを隠しきれない顔をしている。

 魔法少女になっていない彼女は、入院期間が長く、人との接触も少なかった。

 だから、毎日のように家へ来てくれる彼の存在は、ただの恋人という言葉だけでは足りないほど大きかった。

 

「い、いらっしゃい……今日も来てくれて、ありがとう」

 

 画面の中の声は、頼りなく甘かった。

 まどかが小さく息を呑み、さやかは口元を押さえた。

 マミは頬を少し赤らめながら、見てはいけない日記を開いてしまった人のように目を伏せかけた。

 杏子だけは視線を逸らさなかったが、その横顔には茶化す前のためらいがあった。

 

「……時間軸が違うのよ」

 

 ほむらは誰に聞かれたわけでもないのに言った。

 説明というより、自分に言い聞かせるための言葉だった。

 あれは魔法少女にならなかった自分。

 長い入院生活を終えて、ただ普通の学校生活を送っているだけの暁美ほむら。

 今ここにいる自分とは違うと、そう区切ってしまえば、心臓の嫌な速さも少しは収まるはずだった。

 

「うん。分かってるよ」

 

 まどかは静かに頷いた。

 だが、その優しい返事は、ほむらの逃げ道を塞がなかった代わりに、否定もしなかった。

 ほむらは唇を結び、視線をスクリーンへ戻す。

 画面の中の彼は手を洗って戻ってきて、ソファの端へ座った。

 メガネのほむらは少し迷ってから、その隣へそっと腰を下ろした。

 

「……少しだけ、なでなでしてもらってもいいですか」

 

 その瞬間、場の空気が明らかに変わった。

 さやかの肩がびくっと跳ね、杏子があんぐりと口を開ける。

 マミは膝の上で指を重ね直し、まどかはほむらの顔を見るべきか、見ないべきかを迷っているようだった。

 ほむらは微動だにしなかった。

 ただ、膝の上で握った指に白く力がこもっていた。

 

「……あ、ああいうお願いの仕方なんだ」

 

 さやかの声は、普段よりずっと小さかった。

 茶化したいのではない。

 想像していた暁美ほむら像と、画面の中のあまりにも甘えた姿が噛み合わず、処理に時間がかかっているだけだった。

 

「美樹さやか。

 余計な解説は不要よ」

 

「いや、解説っていうか、感想もまだ飲み込んでる途中なんだけど……」

 

 スクリーンの中で彼の手がほむらの頭に触れた。

 眼鏡に当たらないように、前髪を崩しすぎないように、ひどく慎重な手つきで撫でる。

 その瞬間、メガネのほむらは肩の力を抜き、目を細めた。

 

「きゅ~ん……♡」

 

 まどかが両手で口元を押さえた。

 マミは目を見開き、杏子は椅子の上で少しだけ姿勢を変えた。

 さやかは完全に顔を赤くしていて、声を出したら何か致命的なことを言ってしまうと分かっている顔だった。

 ほむらだけが表情を動かさなかった。

 動かさなかったが、耳まで赤くなるのは止められなかった。

 

 画面の中のほむらは、恋人の袖を握っていた。

 撫でられるたびに、恥ずかしそうに身体を縮めるのに、手だけは離れない。

 それはほむらにとって、見覚えがありすぎる仕草だった。

 今の自分は三つ編みでも眼鏡でもない。

 声も、話し方も、立ち方も変えた。

 それなのに、彼の袖を掴む時の自分の指先が、画面の中の自分とほとんど同じ形をしていることを、ほむらは知っていた。

 

 画面の中で、ほむらが彼に抱きしめられていた。

 両親のいない家で、毎日のように彼を呼び、頭を撫でられ、そっと抱きしめられている。

 その表情は、見ているこちらが恥ずかしくなるほど甘くほどけていた。

 だが、それ以上に痛いほど寂しさが見えた。

 入院期間が長く、人肌に慣れないまま普通の生活へ戻ってきた少女が、ようやく安心できる温度を見つけた顔だった。

 

「私、たぶん……すごく、さみしがりです」

 

 画面の中の声が、白い空間に落ちた。

 その言葉は、さっきまでの甘い鳴き声よりもずっと強く、現在のほむらの胸を叩いた。

 ほむらは無意識に息を止める。

 自分が言ったわけではない。

 けれど、言えなかった言葉ではあった。

 

「入院していた時、みんな優しかったけど……でも、こういうふうに近くにいてくれる人は、あまりいなかったから」

 

 メガネのほむらは、彼の服を弱く握っていた。

 その手は震えていて、寂しいと口にすることさえ怖がっているように見えた。

 まどかの目が少し潤む。

 さやかも、さっきまでの赤面とは違う表情でスクリーンを見ていた。

 マミは静かに息を吐き、杏子もまた、言葉が出てこなかった。

 

「……別の時間軸の私よ」

 

 ほむらはまた言った。

 今度は否定というより、確認だった。

 同じではない。

 同じはずがない。

 今の自分は魔法少女で、何度も時間を繰り返し、まどかを救うために戦ってきた。

 誰かの腕の中で寂しいと言うだけの少女には戻れない。

 それでも、ほむらの頭に浮かんだのは、別の夜の記憶だった。

 自分の家で、彼が帰ろうとした時、言葉より先に袖を掴んでしまったことがある。

 もう少しだけいて、と言えずに視線を逸らし、彼が困ったように笑って戻ってきた。

 頭を撫でられた瞬間、胸の奥から変な甘え声が漏れそうになり、必死に飲み込んだはずなのに、たぶん少しだけ漏れていた。

 彼は笑わず、ただいつもより長く抱きしめてくれた。

 

 やがて映像は消えた。

 白い空間には、言葉を選び損ねたような沈黙だけが残った。

 ほむらは目を伏せ、誰よりも早く平静を取り戻そうとした。

 しかし、さやかも杏子もマミも、そしてまどかも、彼女に無理に話しかけようとはしなかった。

 それが逆に、ほむらの胸へ静かに染み込んでいった。

 

「私は、あのときとは違うの」

 

 上映会が終わり、白い空間に気まずい沈黙が残ったあと、ほむらは静かに口を開いた。

 眼鏡の自分が恋人に撫でられ、抱きしめられ、きゅ~んきゅ~んと甘えていた事実は重い。

 だが、ほむらにはまだ弁解の余地があるはずだった。

 あれは魔法少女になっていない、長い入院生活の寂しさを抱えた遥か過去の自分であり、今ここにいる暁美ほむらとは立場も経験も違う。

 

「今の私は、もっと落ち着いているわ。

 彼とは、その……大人の付き合いをしているの」

 

 言い切った瞬間、鹿目まどかの目が大きく揺れた。

 美樹さやかは口を開けたまま固まり、巴マミは何か聞いてはいけない単語を聞いた顔で背筋を伸ばす。

 佐倉杏子は『マジか?』といった表情でほむらの横顔をじっと見た。

 ほむらは自分の発言が妙な誤解を生んでいることに気づき、すぐに眉を寄せた。

 

「ち、違うわ。

 そういう意味ではなくて……。

 その、節度を持ち、互いの生活を尊重しながら、必要な距離感で交際しているという意味よ」

 

「ほむらちゃん、今の説明、逆にすごく必死に聞こえるよ……」

 

 まどかは悪意なく呟いた。

 その声には心配が多めで、からかいはほんの少ししか含まれていない。

 それでもほむらの耳には、致命的な弱点を指摘されたように響いた。

 彼女は落ち着いた表情を作り直し、わずかに顎を上げる。

 

「必死ではないわ。私は事実を整理しているだけよ。

 あの世界線の私は、まだ幼く、寂しさの処理が下手だった。

 けれど今の私は、自分の感情を制御できる。

 そう、自分の感情を制御できるのよ」

 

「制御できる人は、自分の感情を制御できるって二回くらい強調しないと思うんだけど……」

 

 そのとき、白い空間の正面にあったスクリーンが再び光った。

 一度消えたはずの巨大な画面が、何の前触れもなく浮かび上がる。

 そこには、さっきよりもずっと不穏な題名が表示されていた。

 

『第二次上映会 現在の暁美ほむら・甘え方比較編』

 

 ほむらの脳は、一瞬だけ完全に処理を停止した。

 

「……待ちなさい」

 

 声は低かった。

 しかし、その低さは威圧というより、底なしの焦りを無理やり押し殺したものだった。

 まどかは両手で口元を押さえ、さやかは何も言わないまま椅子の背を掴んだ。

 マミは目を伏せかけたが、好奇心と心配が同時に勝ってしまったように、結局スクリーンを見ている。

 杏子は題名の破壊力に大きく興味を引かれ、スクリーンから目が離せなかった。

 

「私は許可していないわ。今すぐ停止しなさい。これは明らかにプライバシーの侵害よ」

 

 そして映ったのは、紛れもなく現在の暁美ほむらの部屋だった。

 画面の中のほむらは、眼鏡をかけていなかった。

 長い黒髪を下ろし、いつもの冷たい雰囲気をまとっている。

 だが、玄関のチャイムが鳴った瞬間、その雰囲気が目に見えて揺らいだ。

 画面の中の彼女は、一度だけ鏡を確認し、表情を引き締めてから玄関へ向かう。

 その足取りは落ち着いているようで、よく見ると少し速かった。

 

「……来たのね」

 

 ドアを開けた画面の中のほむらは、恋人である男子生徒を見上げてそう言った。

 声は低く、表情も崩していない。

 一見すると、確かに大人びた恋人の迎え方に見えた。

 ほむらはわずかに安堵しかけた。

 これならまだ、弁解できる。

 画面の中のほむらは、そこで彼の袖をつまんだ。

 つまんだまま、玄関から一歩も動かない。

 彼が靴を脱ごうとすると、袖を掴んだ指にほんの少し力が入る。

 男子生徒が困ったように笑い、ほむらの頭へ手を伸ばすと、画面の中の彼女は一瞬だけ目を逸らした。

 

「……上がる許可はまだしていないわ」

 

 そう言いながら、頭は微妙に差し出されていた。

 撫でやすい角度だった。

 まどかが無言で胸を押さえ、さやかの肩が震え始める。

 現在のほむらは椅子の前で立ち尽くし、スクリーンの中の自分を見たまま、ゆっくりと顔の温度を失っていった。

 

「ほむら、撫でてほしいの?」

 

「……あなたが、どうしてもと言うなら」

 

「俺はどうしても撫でたいけど」

 

「なら、仕方ないわね」

 

 その瞬間、画面の中のほむらは目を細めた。

 彼の手が髪を撫でると、肩から力が抜け、掴んでいた袖の指が甘えるように緩む。

 それだけなら、まだぎりぎり上品な甘えだった。

 問題は、その三秒後だった。

 

「きゅ~ん……♡」

 

 白い空間の温度が変わった。

 まどかは両手で口を覆い、さやかは両手で大きく息を吸い、マミは頬を赤らめたまま固まった。

 杏子は菓子袋を膝に落とし、心底どう反応すればいいのか分からない顔をする。

 そして現在のほむらは、まるで自分の処刑映像を見ているような目でスクリーンを睨んでいた。

 

 映像は切り替わった。

 次の日らしい。

 画面の中のほむらは、リビングのソファで彼の隣に座っていた。

 今度は最初から距離が近い。

 彼の腕が背もたれに置かれていて、ほむらはその内側に収まるような位置にいる。

 表情は澄ましているが、膝の上の手は彼の服の裾をしっかり握っていた。

 

「今日は、犬ではないわ」

 

 画面の中のほむらが、真剣な顔で言った。

 その一言だけで、まどかたちの頭上に見えない疑問符が大量に浮かぶ。

 

「じゃあ今日は何?」

 

「……にゃん」

 

 白い空間に、さやかの息が詰まる音が響いた。

 まどかはついに目を潤ませながら、口を覆ったまま何かを言いたげにしていた。

 杏子は手で顔を覆い、指の隙間からしっかり見ている。

 マミは頬を赤くしたまま、これは可愛いと口に出していいのか、本気で悩んでいた。

 画面の中の彼は、驚いたあと、慎重にほむらの頭を撫でた。

 ほむらは目を細め、彼の肩へ頬を寄せる。

 さっきの犬の時よりも、動きがしなやかだった。

 甘え方に種類がある。

 その事実を、この場の全員が理解した瞬間だった。

 

「にゃ……にゃん……♡」

 

「……ほむらちゃん、猫ちゃんにもなるんだね」

 

 まどかの声はほとんど吐息だった。

 ほむらは振り向かなかった。

 振り向けなかった。

 自分の背中が今どんなふうに見えているかを考えるだけで、全身の血が逆流しそうだった。

 しかしスクリーンは容赦なく、画面の中のほむらが彼の膝に頭を乗せるところまで映した。

 

「撫で方が違うわ。今日は猫なのだから、もう少し指先で……いえ、何でもないわ」

 

「猫としての要望が具体的だね」

 

 まどかがぼそりと呟いた一言に、ほむらは顔を覆った。

 映像はまた切り替わった。

 三日目らしい。

 今度の画面の中のほむらは、ソファの上で毛布にくるまっていた。

 彼は隣に座り、困ったような、けれどどうしようもなく甘やかす顔をしている。

 

「……今日は、少し疲れたわ」

 

 その声には、普段のほむらの影があった。

 一日を気丈に過ごしたあと、ようやく安全な場所に戻ってきた少女の声だった。

 彼はその手を取り、ほむらをそっと抱き寄せる。

 

「今日も犬? 猫?」

 

 画面の中のほむらは、彼の服を握りながら、ひどく小さな声で言った。

 

「……今日は、赤ちゃんでいい?」

 

 白い空間に、誰も声を出せない沈黙が落ちた。

 笑っていい場面ではなかった。

 あまりにも無防備で、あまりにも切実だった。

 画面の中の彼は、少しだけ驚いた顔をした。

 だが、すぐに笑わず、からかわず、ほむらの背中へ腕を回した。

 

「いいよ。

 今日は何もしなくていいから、甘えてて」

 

 画面の中の彼がそう言うと、ほむらの肩が震えた。

 彼女は何か言おうとして、結局言葉にならない息だけをこぼす。

 次の瞬間、彼の腕の中で小さく丸まり、普段なら絶対に見せないほど弱い声を出した。

 

「……だっこ」

 

 まどかの目に、涙が浮かんだ。

 茶化そうとしていたさやかも、そんな気は失せていた。

 マミは静かに胸元へ手を当て、杏子は信じられないものを見る顔でスクリーンを見ていた。

 現在のほむらは、自分の膝の上の手を見た。

 画面の中の自分が、どれほど彼の前でだけ気を抜いているかを見せつけられて、もう逃げられなかった。

 

「いつも、ああではないわ。

 私は普段、ちゃんとしているつもりよ。

 彼の前でも、できるだけ平静でいようとしている。

 でも……時々、どうしても疲れて、全部を保てなくなる時があるの」

 

 ほむらはスクリーンを見たまま話した。

 誰かの顔を見たら、そこで言葉が止まってしまう気がした。

 彼女の声は低く、落ち着いているように聞こえる。

 けれど、指先はわずかに震えていた。

 

「そういう時に、彼が待ってくれるの。

 責めずに、急かさずに、笑わずに。

 だから私は……少しだけ、子どもみたいになってしまう」

 

「す、少しだけ……?」

 

 さやかが無意識に呟き、すぐに自分の口を押さえた。

 ほむらは横目でさやかを見た。

 その視線には怒りより、もう諦めに近い疲れがあった。

 

 映像はさらに切り替わった。

 次に映ったのは、また別の日のほむらだった。

 彼が部屋に入ると同時に、画面の中のほむらは今度こそ一切の取り繕いを放棄していた。

 クールな皮をかぶる時間は一秒たりともない。

 彼が鞄を置く前に、ぱたぱたと小走りで近づき、そのまま胸元へぎゅっと抱きつく。

 

「来た……♡」

 

 その声だけで、白い空間の全員が沈黙した。

 さっきまでの犬、猫、赤ちゃんという分類よりも、ある意味で強烈だった。

 何かの役割に逃げていない。

 ただ、彼が来たことが嬉しくて、抱きつきたくて、顔がとろけている。

 暁美ほむらという少女そのものが、彼の前で完全に溶けていた。

 

「はふぅ……♡」

 

 ほむらは彼の胸元へ顔を埋め、深く息を吐いた。

 その声は、過去の時間軸で聞いたものよりも、ずっと慣れていて、ずっと甘かった。

 まどかは両手で口元を押さえ、さやかは顔を赤くして視線を泳がせる。

 杏子は開いた口を開いたまま、見てはいけないものを見ている顔で固まっている。

 マミは頬を染めながら、そっとほむら本人の方を見た。

 

「……今日の私は、何なの」

 

 画面の中のほむらが、彼の胸元で呟いた。

 彼は少し考えるようにしてから、優しく頭を撫でた。

 

「今日は、ほむらちゃんの日かな」

 

 その一言で、白い空間のほむらが完全に固まった。

 まどかは目を丸くし、さやかは息を止め、杏子は口元を押さえる。

 マミは何かに納得したように、そして少しだけ胸を打たれたように目を伏せた。

 犬でも猫でも赤ちゃんでもない。

 ただのほむらちゃんの日。

 その分類が、妙に二人の間で馴染んでいることが、何よりも破壊力を持っていた。

 

「ほむらちゃんの日って何!?」

 

 さやかがついに耐えきれず叫んだ。

 しかし、その叫びに即座に返す余裕は誰にもなかった。

 画面の中のほむらは、彼にそう呼ばれた瞬間、顔を真っ赤にしながらも、信じられないほど嬉しそうに目を細めていた。

 

「……ほむらちゃんの日は、いっぱいなでなでしてもらう日」

 

「うん」

 

「いっぱい、ぎゅーってしてもらう日」

 

「うん」

 

「私が強がらなくても、あなたが笑わない日」

 

「毎日そうだよ」

 

 画面の中のほむらは、その返事に耐えきれなかったように、彼の胸元へ顔を押しつけた。

 声にならない甘い息が漏れる。

 彼は笑わず、ただ背中を撫でる。

 ほむらはその手に合わせるように、身体から力を抜いていった。

 

「……ずるいわ。

 そういうことを言われると、私は何もできなくなる」

 

「何もしなくていいよ」

 

「……もっと、だめになる」

 

「俺の前ならいいよ」

 

「はふぅ……♡」

 

 白い空間のほむらは、顔を覆った。

 今度は言い訳ができなかった。

 犬でも猫でも赤ちゃんでもない。

 分類してしまえばまだ距離を取れた。

 だが、ほむらちゃんの日は、あまりにも逃げ場がなかった。

 そこに映っていたのは、現在の暁美ほむらそのものが、彼の前でだけ全部ほどけている姿だった。

 

「……あのときと違う、どころじゃないじゃん」

 

 さやかが小さく呟いた。

 まどかがさやかの袖をそっと引いたが、今の言葉は全員の胸にあった。

 現在のほむらは、メガネ時代よりも大人になったから落ち着いているのではない。

 むしろ、彼に受け止められることを覚えた分だけ、甘え方が増えていた。

 犬になり、猫になり、赤ちゃんになり、そしてただのほむらちゃんとして溶ける。

 それは進化だった。

 あまりにも恥ずかしい方向への、確かな進化だった。

 

 スクリーンは暗くなっていく。

 けれど、ほむらの中では別の映像がまだ消えていなかった。

 眼鏡をかけた自分が、彼に撫でられて、抱きしめられて、人肌に飢えた子犬みたいに甘えていたあの世界。

 あの世界にも、彼はいた。

 

 そして、あの世界で彼は失われた。

 それが事故だったのか、魔女の結界に巻き込まれたのか、それとも別の何かだったのか。

 今のほむらは、細部をあえて言葉にしなかった。

 言葉にすれば今ここにいるまどかたちまで、その喪失の冷たさに触れてしまう気がした。

 ただ、あの腕の温度が消えた日のことだけは、長い時間を越えても忘れられなかった。

 

「……あの世界では」

 

 ほむらは、暗くなったスクリーンを見たまま呟いた。

 全員が静かに彼女を見る。

 さやかも、杏子も、マミも、今だけは何も言わなかった。

 まどかは、ほむらの声の奥にあるものを感じ取ったように、膝の上で手を握りしめていた。

 

「彼は、もういなかったの」

 

 それだけで十分だった。

 白い空間の空気が、静かに沈む。

 ほむらは彼の名前を出さなかった。

 どんなふうに失われたのかも言わなかった。

 けれど、その短い一言だけで、映像の中の甘えがただの羞恥ではなかったことが分かってしまった。

 あれは、失う前の温かさだった。

 

「だから……今の私が彼に会えていることは、当然のことではないわ」

 

 ほむらの声は震えていなかった。

 けれど、震えていないこと自体が、長い時間をかけて押し固めた痛みの形だった。

 彼がチャイムを鳴らす。

 彼が部屋に入ってくる。

 彼が頭を撫でて、笑わずに抱きしめてくれる。

 そのひとつひとつが、ほむらにとっては奇跡のような現在だった。

 

「長い時間を、私は何度もやり直した。

 その中で、失ったものも、諦めたものも、たくさんあるわ。

 でも今、彼はまた私の前にいる。

 同じ人が、同じように私を待って、笑って受け止めてくれる」

 

 ほむらはそこで一度だけ息を吸った。

 言葉にすると、胸の奥が熱くなる。

 彼の前で犬にも猫にも赤ちゃんにもなる自分は、確かに恥ずかしい。

 それでも、それだけ甘えてしまう理由を、完全に否定することはできなかった。

 失った温度が、今はまた腕の届く場所にある。

 それを確かめるたびに、ほむらの理性は少しずつほどけてしまう。

 

「だから、ああなるのは……その、少しだけ仕方ないのよ」

 

 最後だけ、声が小さくなった。

 白い空間にあった重い沈黙が、ほんの少しだけ揺れる。

 さやかは何か言いかけて、すぐに口をつぐんだ。

 杏子はそっぽを向き、マミは困ったように微笑む。

 まどかだけが、ほむらをまっすぐ見つめていた。

 

「うん。仕方ないと思う」

 

 まどかは静かに言った。

 その声には、からかいが一切なかった。

 ほむらは少しだけ目を伏せる。

 許されたかったわけではない。

 けれど、そう言ってもらえると、自分が彼に甘えてしまうことを、ほんの少しだけ責めずに済む気がした。

 

「……誰にも言わないで」

 

 ほむらは小さく言った。

 命令ではなかった。

 お願いだった。

 白い空間にいる全員が、その違いを理解したように静かに頷く。

 さやかも、杏子も、マミも、そしてまどかも、誰も茶化さなかった。

 

「言わないよ。

 ほむらちゃんが大事にしてることだもん」

 

 まどかの声は温かかった。

 ほむらは胸の奥が少し痛くなるのを感じた。

 大事にしている。

 そう言われて初めて、自分があの甘えられる時間を、ただの弱さではなく大切なものとして抱えていたのだと気づいた。

 スクリーンは暗くなっていく。

 けれど、最初の世界で失った温度と、長いループの果てにもう一度手に入れた温度だけは、ほむらの胸の中で静かに重なっていた。

 

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