普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象   作:東頭鎖国

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第三話

 翌日の白い空間は、何事もなかったように彼女たちを再び椅子へ座らせた。

 暁美ほむらは、自分の席へ着いた瞬間に深く息を吐き、正面のスクリーンを警戒するように睨んだ。

 昨日の上映会で、彼に甘える姿をこれ以上ないほど暴かれたせいで、まどかたちの視線が少し柔らかくなっている。

 それは悪意ではなかったが、ほむらにとってはむしろ厄介で、見守られているという感覚が背中をじわじわ焼いていた。

 

「今日は何もないわよね」

 

 ほむらは低く言った。

 声には昨日よりも疲れが混ざっていて、いつもの冷静さを保つだけでも少し労力がいるようだった。

 美樹さやかは口を開きかけたが、すぐに閉じた。

 鹿目まどかは心配そうにほむらを見て、巴マミは上映会そのものの目的を探るように周囲へ視線を巡らせている。

 佐倉杏子は菓子をくわえたまま、少し離れた椅子でだるそうに足を組んでいた。

 

「ま、昨日あれだけやったんだし、もう満足したんじゃねえの」

 

 杏子はそう言った。

 その声には、他人事の軽さがあった。

 ほむらはゆっくり杏子を見た。

 昨日、自分の秘密を見せられた時、杏子は意外なくらい茶化さなかった。

 だから少しだけ見直していたのだが、その余裕のある横顔を見ていると、妙な予感が胸をよぎる。

 

「佐倉杏子。

 あなた、ずいぶん落ち着いているのね」

 

「そりゃあたしは、見られて困るもんなんかねえし」

 

 杏子は菓子を噛み砕きながら言い切った。

 あまりにも堂々としていた。

 その瞬間、白い空間の空気が一段だけ冷えたように感じた。

 さやかが杏子の横顔を見て、嫌な予感を察したのか、少しずつ姿勢を正す。

 まどかも、困ったようにスクリーンへ目を向けた。

 正面のスクリーンが光った。

 杏子の口元から、菓子が落ちかけた。

 題名は、昨日のほむらの時よりも短く、しかし破壊力だけは十分だった。

『佐倉杏子・年下お姉ちゃん観察記録』。

 白い空間に、誰かが息を呑む音がはっきり響いた。

 

「……は?」

 

 杏子の声は低かった。

 普段の威勢とは違う、完全に不意を突かれた声だった。

 ほむらは何も言わなかった。

 言わなかったが、昨日自分を焼いた炎が、今日は別の方向へ向かったのを確かに感じた。

 さやかは杏子とスクリーンを交互に見て、口元をひくつかせている。

 

「杏子、見られて困るもんないって言ったよね」

 

「う、うるせえ。

 今のは言葉の綾だ!」

 

「言葉の綾で年下お姉ちゃんって出てくることある?」

 

 杏子はさやかを睨んだ。

 だが、スクリーンが映像を流し始めたため、威嚇はすぐに中途半端になった。

 そこに映ったのは、古いアパートの一室だった。

 広くはないが、きちんと片づいている。

 机の上には高校の教科書とノートが積まれ、キッチンには小さな鍋と洗い終えた食器が並んでいた。

 

 その部屋にいたのは、一人暮らしの男子高校生だった。

 制服のまま机に向かい、疲れた顔で参考書を開いている。

 杏子より年上のはずなのに、生活の不慣れさと疲労のせいで、どこか放っておけない頼りなさがあった。

 机の端には、半額シールのついた弁当の空容器が見えている。

 まどかが小さく眉を下げ、マミもすぐに、彼が一人で暮らしていることを察したようだった。

 玄関の鍵が開く音がした。

 画面の中の男子生徒が顔を上げる。

 次の瞬間、佐倉杏子が買い物袋を両手に提げて入ってきた。

 制服ではなく普段着で、肩には乱暴に鞄をかけている。

 だが、その声は白い空間の全員が知る杏子とは少し違っていた。

 

「ただいま。

 って、また片付けもせずに勉強かよ。

 あたしより年上のくせに、生活能力が死んでんじゃねーか」

 

 杏子は呆れたように言いながらも、買い物袋を置く前に彼の肩へ手を伸ばした。

 額に触れ、熱がないことを確認する。

 その仕草があまりにも自然で、さやかは完全に言葉を失った。

 まどかは目を丸くし、マミは口元に手を添えて、何か尊いものを見た人のような顔になっている。

 

「杏子ちゃん……ただいまって言った」

 

 まどかの声は、驚きで少し震えていた。

 杏子は椅子の上で固まり、耳まで赤くなっている。

 普段なら即座に噛みつくはずなのに、映像の中の自分があまりにも手慣れた同居人の顔をしているせいで、言い返す言葉が追いついていない。

 ほむらは昨日の自分を見るような気持ちで、その横顔を眺めていた。

 

「ち、違う! 半同棲っつっても、そういうんじゃねえ。

 こいつ、ほっとくと飯を適当にするから……そう、あたしが見張ってるだけだ!」

 

「まだ誰もそういうとは言ってないわ」

 

 ほむらが静かに言った。

 杏子は悔しそうにほむらを睨んだ。

 昨日の借りを返されたような形だったが、ほむらの目には意地悪よりも、少しだけ親近感に近いものがあった。

 人に見せていない顔を暴かれる痛みなら、今のほむらには嫌というほど分かる。

 

 画面の中で、男子生徒が苦笑していた。

 年上ではあるが、一人暮らしの疲れと学校生活の忙しさが表情ににじんでいる。

 杏子がつい手を出してしまう理由が、少し見ただけでも分かる気がした。

 

「おかえり。

 今日も来てくれたんだ」

 

「来てくれたんだ、じゃねえよ。

 冷蔵庫見たら卵と牛乳しか残ってなかったぞ。

 おまえ、昨日何食った?」

 

 杏子は買い物袋から野菜や肉を取り出しながら、完全に家の管理者みたいな顔で問い詰めていた。

 声は荒い。

 口調もいつものままだ。

 けれど、視線には心配が隠しきれていなかった。

 

「……弁当」

 

「半額のやつ一個だろ。

 高校生だってのに不健康すぎんだよ……ったく。

 米炊け、風呂沸かせ、手洗ってこい。

 その間にあたしが飯作る」

 

 白い空間で、さやかがついに崩れた。

 笑ったのではない。

 衝撃で椅子の背にもたれかかり、両手で顔を覆ったのだ。

 まどかは胸元に手を当て、杏子の意外すぎる世話焼きぶりに目を潤ませている。

 マミは微笑みを隠せない顔で、杏子の方をちらりと見た。

 

「佐倉さん、年下なのにすごくお姉さんね」

 

「マミ、今それ言うな。本当にやめろ」

 

 杏子の声は切実だった。

 画面の中の杏子は、慣れた手つきで台所に立っていた。

 冷蔵庫を開け、足りないものを確認し、買ってきた食材を手際よく仕分ける。

 男子生徒が米を研ぎ始めると、杏子は背後からその手元を覗き込む。

 

「水、多い。

 お粥にする気かよ」

 

「このくらいじゃない?」

 

「ちげーよ、ほら貸せ」

 

 杏子は彼の手から釜を取り、米の量に合わせて水を調整した。

 距離が近い。

 男子生徒の肩に杏子の腕が触れ、彼が少しだけ赤くなる。

 杏子はそれに気づいたのか気づいていないのか、真剣な顔で釜を炊飯器へ戻した。

 しかし、耳だけは微妙に赤かった。

 

「……杏子、耳赤いよ」

 

 さやかが小さく言った。

 杏子は即座に振り向いた。

 だが、何も言い返すことが出来ない。

 自分でも画面の中の耳が赤いことを否定できないからだ。

 

「味薄い。疲れてる時ほど、ちゃんとしたもん食え。

 腹に入れば同じとか思ってるから、すぐ顔色悪くなるんだよ」

 

「母親みたいだね、杏子」

 

「お姉ちゃんって言え」

 

 画面の中の杏子は、言ってから一拍遅れて固まった。

 男子生徒も固まった。

 白い空間も固まった。

 杏子本人は椅子の上で完全に石になっていた。

 

「……言った」

 

 さやかが、ほとんど祈るような声で呟いた。

 まどかは両手で口元を押さえ、目を輝かせている。

 マミは頬を赤らめながら視線をそっと逸らした。

 ほむらは、これ以上ないほど静かな声で言った。

 

「お姉ちゃん」

 

「言うな!」

 

 杏子が叫んだ。

 だが、その叫びにも迫力がない。

 画面の中の男子生徒は、少し迷ったあと、杏子を見て小さく笑った。

 からかうというより、可愛いものを見つけた時の笑顔だった。

 杏子はその笑顔に弱いらしく、映像の中でぷいっと顔を背けた。

 

「……じゃあ、杏子お姉ちゃん?」

 

「ちょ、調子乗んな!」

 

 画面の中の杏子は口では乱暴だった。

 しかし、声の端は明らかに嬉しそうだった。

 男子生徒に頼られるのが、どうしようもなく好きなのだ。

 世話を焼いて、叱って、ちゃんと食べさせて、寝不足を注意して、生活が崩れないように見張る。

 それは杏子が誰かにしてほしかったことを、今度は自分が誰かへ返しているようにも見えた。

 

「杏子ちゃん、すごく優しいね」

 

 まどかが、ぽつりと言った。

 杏子は今度こそ何も言えなかった。

 優しいと言われることに慣れていない。

 まして、自分が年上の彼を守る側にいるなんて、真正面から見せられると逃げ場がなかった。

 

「……別に、優しくなんかねえよ。

 あいつが放っとくとすぐ駄目な生活すっから、仕方なく見てるだけだ」

 

「仕方なく、毎日のように?」

 

 ほむらが静かに尋ねた。

 杏子は詰まった。

 好きな人のところへ行く理由は、いくらでも作れる。

 だが、最終的には会いたいから行くのだ。

 

「……ここで終われ。

 もういいだろ」

 

 杏子が低く言った。

 しかしスクリーンは、彼女の願いを聞かなかった。

 映像は一度暗転し、数時間後らしい夜の部屋へ切り替わる。

 机の明かりは落とされ、布団が敷かれていた。

 男子生徒は寝る準備を終えた様子で、部屋の隅の灯りだけが柔らかく残っている。

 白い空間で、杏子の顔色が変わった。

 

「ま、待て……。

 ここは本当に駄目だ。

 さっきまでのとは、マジで違う」

 

 杏子の声に焦りが混ざった。

 さやかもそれを聞いて、からかいの姿勢を引っ込める。

 まどかは心配そうに杏子を見た。

 マミは何も言わず、ただスクリーンと杏子の表情を見比べている。

 

 しかし映像は止まらなかった。

 画面の中で、杏子は布団の端に座っていた。

 昼間のような乱暴な世話焼きの顔ではない。

 髪をほどきかけ、肩から力が抜け、目元には眠気と甘えが混ざっている。

 男子生徒が隣に腰を下ろすと、杏子は少しだけ口を尖らせた。

 

「……遅い」

 

 その一言は、普段の杏子の声ではなかった。

 拗ねている。

 寂しかった。

 早く隣に来てほしかった。

 その全部が、短い言葉の中に滲んでいた。

 

「ごめん、洗い物してた」

 

「洗い物なんか明日でよかっただろ。あたしがやるし」

 

「昼間はちゃんとしろって言ってたのに」

 

「今は別だろ」

 

 画面の中の杏子は、そこで彼の袖を掴んだ。

 昼間のように叱るためではない。

 引き寄せるためだった。

 

「こっち来いよ」

 

「もう近いよ」

 

「近くねえ。全然近くねえ」

 

 杏子はそう言って、彼の腕の中へ潜り込んだ。

 昼間の世話焼きお姉ちゃんは消えていた。

 そこにいるのは、好きな人にくっつきたくて仕方がない中学生の女の子だった。

 男子生徒の胸元に額を押しつけ、両腕を背中へ回し、逃がさないようにぎゅっと抱きつく。

 

「……あったけえ」

 

 声がとろけていた。

 白い空間で、ほむらが反射的に目を覆った。

 昨日、自分が見られた甘えの数々を棚に上げるつもりはない。

 それでも、杏子のこの落差は強すぎた。

 昼間は年上の彼氏を叱るお姉ちゃんだったのに、添い寝の時間になった瞬間、完全にデロデロに甘える側へ反転している。

 

「ほむらが目を覆った……」

 

 さやかが震える声で言った。

 ほむらは手の隙間からスクリーンを見て、すぐにまた目を覆った。

 杏子は顔を真っ赤にしているが、反論できない。

 映像の中の自分が、彼の胸元へ頬を擦り寄せながら、あまりにも幸せそうに息を吐いていたからだ。

 

「……はぁ。

 落ち着く……♡」

 

 画面の中の杏子は、彼の服を掴んだまま呟いた。

 彼は杏子の背中に手を回し、ゆっくり撫でる。

 その手つきに、杏子の肩が分かりやすく緩む。

 さっきまで彼の生活を管理していた人間とは思えないほど、彼の腕の中で全部を預けていた。

 

「もっと撫でろよ」

 

「うん」

 

「あと、離れんな」

 

「離れないよ」

 

「ほんとか?」

 

「本当」

 

「寝たあとも?」

 

「寝たあとも、できるだけ」

 

 杏子はその返事に満足したように、彼の胸元へ顔を埋めた。

 確認の仕方が子どもみたいだった。

 だが、彼は笑わずにひとつずつ答えている。

 そのやり取りに、白い空間の全員が少し黙った。

 茶化せないほど、そこには信頼があった。

 

「普段はさ、あいつの前だと、ちゃんとしてたいんだよ。

 年上だけど危なっかしいから、あたしが見てやらなきゃって思う。

 でも、寝る時くらいは……あたしも、誰かにくっついて寝たい」

 

 杏子が顔を真っ赤にしながらぽつぽつと話す。

 最後の方は、ほとんど聞こえない声だった。

 けれど白い空間では、全員に届いた。

 ほむらは目を覆っていた手を少し下ろした。

 杏子の言葉には、普段の強がりの奥にある寂しさが混ざっている。

 それは笑えるものではなかった。

 画面の中で、男子生徒が杏子の頭を撫でながら言った。

 

「昼間の杏子も好きだけど、寝る前に甘える杏子も好きだよ」

 

 杏子の身体が、彼の腕の中で分かりやすく固まった。

 次の瞬間、彼の胸元へ顔を押しつける。

 耳まで真っ赤だった。

 しかし離れない。

 むしろ抱きつく腕が強くなった。

 

「……うるせえ。もっと言え」

 

「好きだよ」

 

「もっと」

 

「杏子がそばにいてくれると、安心する」

 

「……もっと」

 

「世話焼いてくれるところも、甘えてくれるところも、どっちも好き」

 

 画面の中の杏子は、完全に沈んだ。

 恥ずかしさと嬉しさで言葉を失い、彼の胸元で小さく唸る。

 しかしその唸りに怒りはなかった。

 むしろ、もっと撫でろ、もっと抱きしめろ、もっと好きだと言え、という甘えが全部混ざっている。

 画面の中の彼は、杏子が眠りに落ちかけているのを見て、布団を引き寄せた。

 杏子は彼が少し動いただけで、半分眠ったまま服を掴む。

 

「行くな」

 

「行かないよ。布団かけるだけ」

 

「じゃあ、ぎゅってしながらやれ」

 

「難しい注文だな」

 

「できるだろ。高校生なんだから」

 

「高校生への期待が変だよ」

 

 やがて映像は暗くなり、スクリーンは消えた。

 白い空間に、しばらく沈黙が落ちる。

 昨日のほむらの甘えとは、まったく違う秘密だった。

 けれど、どちらも大切な人の前でだけ見せる顔であることは同じだった。

 

「……笑えよ」

 

 杏子は低く言った。

 その声には、恥ずかしさと、どこか自棄っぱちな色があった。

 ほむらは首を横に振る。

 自分の秘密を守ってもらった手前、ここで茶化す気にはなれなかった。

 まどかもさやかもマミも、それぞれ真剣に頷いた。

 

「言わないわ。

 あなたたちだけの生活を、面白半分に扱うつもりはないもの」

 

 ほむらがそう言うと、杏子は少し意外そうな顔をした。

 昨日のほむら相手なら、弱みを握られた相手として警戒していたかもしれない。

 しかし今は、同じように見られたくない姿を見られた者同士の、妙な連帯感があった。

 杏子はふいと顔を逸らし、小さく鼻を鳴らす。

 

「……ならいい」

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