普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象 作:東頭鎖国
白い空間が三度目の上映会を終えたあと、誰もすぐには立ち上がれなかった。
暁美ほむらは、佐倉杏子の添い寝映像を思い出して、まだ少しだけ目元に疲労を残していた。
杏子は杏子で、膝の上の菓子袋を握りしめたまま、誰とも目を合わせようとしない。
美樹さやかは、ほむらの犬猫赤ちゃんと杏子の年下お姉ちゃん添い寝デロ甘を脳内で並べてしまい、もう何をどう処理すればいいのか分からなくなっていた。
鹿目まどかは二人を心配しながらも、みんなにちゃんと甘えられる場所があることに、どこかほっとした表情を浮かべていた。
巴マミだけは、椅子にきちんと座ったまま、紅茶もないのに紅茶を飲む時のような優雅な姿勢を保っている。
「大変だったわね、佐倉さん。
でも、あなたにそんなに安心できる場所があるのなら、私は少し嬉しいわ」
マミは穏やかに言った。
その声は本当に優しく、杏子をからかう気配は少しもない。
杏子は照れくさそうに鼻を鳴らしたが、真正面から否定はしなかった。
昨日のほむらと同じように、杏子もまた、秘密を見られた痛みと同時に、それを大切なものとして扱われる温かさを知ってしまったのだ。
「そういうマミは余裕だよな。
あんた、なんか見られて困るもんとかねえのかよ」
杏子は、照れ隠しのつもりでそう言った。
言った瞬間、ほむらの視線が動いた。
まどかも、さやかも、妙に静かになった。
白い空間に慣れ始めていた全員が、いまの発言がどれほど危険なものかを一拍遅れて理解した。
マミは微笑みを保ったまま、ほんの少しだけ瞬きをした。
その仕草は上品だった。
だが、彼女の指先が膝の上でわずかに震えたのを、ほむらは見逃さなかった。
「……佐倉さん。
そういうことは、あまり不用意に言わない方がいいと思うわ」
マミの声は柔らかかった。
柔らかかったが、そこには普段より少しだけ切実な響きがあった。
杏子は菓子を噛む動きを止め、ゆっくりスクリーンを見る。
そこは、当然のように光り始めていた。
題名が浮かび上がる。
『巴マミ・秘密の甘え方記録』。
白い空間に、昨日と同じ種類の沈黙が落ちた。
「……マミさん?」
まどかの声が震えた。
心配と驚きと、ほんの少しの期待が混ざっている。
さやかは目を見開き、口を開きかけたまま言葉を失っていた。
マミは静かに立ち上がろうとして、椅子が空間に固定されていることに気づき、何事もなかったように座り直した。
「……待って。
これは、おそらく何かの間違いよ」
マミは言った。
その言葉は、杏子の「そういうんじゃねえ」を思い出させる響きだった。
映像が始まった。
そこに映ったのは、マミの部屋だった。
きちんと整えられた家具。
可愛らしい小物。
丁寧に並べられたティーセット。
いつもの彼女らしい、少し大人びていて、少し寂しさの残る部屋だった。
そこへ、玄関のチャイムが鳴る。
画面の中のマミは、一瞬だけ鏡で髪を確認した。
制服でも戦闘服でもない、柔らかな部屋着姿だった。
いつものように優雅に歩こうとしているのに、足取りは少しだけ弾んでいる。
「マミさん、今ちょっと急いでた……?」
まどかが小さく呟いた。
マミは聞こえなかったふりをした。
しかし耳の先がほんのり赤い。
画面の中のマミがドアを開ける。
そこに立っていたのは、年下の男子だった。
体格が大きいわけではない。
むしろ背丈も雰囲気も、頼れる大人というより、まだ成長途中の普通の少年という印象だった。
それなのに、マミの表情は彼を見た瞬間、ふわりとほどけた。
「来てくれたのね」
その声は、まだマミらしかった。
優しくて、落ち着いていて、年上らしい余裕もある。
まどかたちは一瞬だけ安堵しかけた。
しかし、男子が靴を脱いで部屋へ上がった瞬間、マミの肩から力が抜けた。
「マミさん、今日は大丈夫でしたか?」
年下の彼氏が、少し心配そうに尋ねた。
彼の声は穏やかだったが、頼もしさで押し切るようなものではない。
背も高くなく、腕も太くなく、見た目だけならマミを守る騎士というより、隣に並ぶ同級生より少し幼い少年だった。
けれど彼は、マミの顔をよく見ている。
無理に笑っている時の彼女を、ちゃんと見分ける目をしていた。
「ええ、大丈夫よ。今日は何も問題なかったわ」
画面の中のマミはそう答えた。
完璧な笑顔だった。
しかし彼は、少しだけ眉を下げる。
その表情を見た瞬間、マミの笑みがわずかに揺らいだ。
彼は大きな手で包み込むわけでも、強引に抱き寄せるわけでもなく、ただ両手をゆっくり広げた。
「じゃあ、少し休みますか?」
その一言で、マミの顔が崩れた。
白い空間のマミが、膝の上で指を強く握った。
画面の中のマミは、彼の前で一秒ほど耐えた。
本当に一秒だった。
そのあと、年上らしい優雅さも、頼れる先輩の微笑みも、全部ほどけるように消えた。
彼の胸元へそっと額を寄せ、両手で服の裾を掴む。
そして、聞いている方がひっくり返りそうなほど甘い声で言った。
「おにいちゃ〜ん……♡」
白い空間が停止した。
まどかの目がまんまるになった。
さやかは声を出す前に自分の口を両手で塞いだ。
杏子は菓子袋を落とした。
ほむらは、昨日の自分と杏子を差し置いて、反射的に片手で顔を覆った。
「……年下よね」
ほむらが、手の奥から低く呟いた。
画面の中の彼氏は体格が大きいわけでもなく、年齢もマミより下で、外見だけならどう見ても「お兄ちゃん」と呼ばれる側ではない。
それなのにマミは、彼に向かって完全に甘える声でそう呼んでいた。
「巴マミ。説明を求めるわ」
「違うの。これは、その……呼び方の問題ではなくて」
「呼び方の問題じゃねえかな……」
杏子が小さく言った。
マミが顔を赤くしたまま杏子を見ると、杏子はすぐに目を逸らした。
自分にも「お姉ちゃん」と呼ばせていた前科があるため、強く責める資格が薄い。
画面の中では、マミが年下の彼氏に抱きしめられていた。
抱きしめる側の彼は、体格差で包み込むというより、少し背伸びをして彼女を支えている感じだった。
それでもマミは、彼の胸元に頬を寄せ、完全に安心しきった顔をしている。
大きさでも年齢でもなく、その人が自分を受け止めてくれるという事実だけが、彼女にとっての支えになっているらしかった。
「おにいちゃん、今日ね……ちょっとだけ、疲れちゃったの」
画面の中のマミの声は、とろけるように甘かった。
白い空間のまどかが、胸の前で両手を握る。
さやかはついに椅子の上で丸くなり、杏子は天井を見上げている。
ほむらは目を覆ったまま、指の隙間から見ていた。
「うん。今日はたくさん頑張りましたね」
年下の彼氏は、そう言ってマミの背中をゆっくり撫でた。
その声は不思議と落ち着いていた。
子どもっぽくもないし、過剰に背伸びした大人ぶりでもない。
マミが「おにいちゃん」と呼ぶことを笑わず、ただ彼女が安心できる役割を引き受けている声だった。
彼の体格は大きくない。
それでも、マミの寂しさを受け止める器だけは、確かにそこにあった。
「ん……♡ もっと、なでなでして」
画面の中のマミは、彼の腕の中で甘えるように身じろぎした。
普段の優雅な彼女なら絶対に使わないような、幼くてとろけた響きだった。
彼が頭を撫でると、マミは目を細め、頬をゆるませる。
その顔は、紅茶を淹れて後輩を導く巴マミではなく、年下の恋人にだけ弱さを預ける少女だった。
「……マミさんって頼られるのは慣れてるけど、頼るのは苦手そうだもんね。
だから、ああいう呼び方にしないと甘えられないのかなって……思った」
さやかは、慎重に言葉を選びながら言った。
マミは何も言わなかった。
けれど、その沈黙は図星に近かった。
画面の中の彼氏は、マミをソファへ連れていき、隣に座らせる。
マミは彼の腕を両手で抱えるようにして、肩へ頬を寄せた。
「おにいちゃん、今日は甘えてもいい?」
「いいですよ」
「ほんとに? 重くない?」
「重くないです」
「わがままじゃない?」
「わがままでもいいです」
「……じゃあ、今日はマミ、ちょっとだけ子どもになるね」
その一言で、白い空間の全員が黙った。
ほむらは、胸の奥に昨日の自分と似た痛みを感じた。
杏子も、添い寝の時に自分が甘えた理由と重なるものを感じたらしく、菓子を食べる手を止めている。
巴マミは誰よりも年上で、誰よりも先輩で、誰よりも一人で立っていなければならなかった。
だからこそ、誰かの前で子どもになるには、役割を借りる必要があったのかもしれない。
「おにいちゃんの手、すき……」
画面の中のマミは、目を閉じたまま呟いた。
頬が赤く、声は甘く、完全に気が抜けている。
マミ本人は椅子の上で両手を顔に当てた。
彼氏がマミに尋ねた。
「今日は、おにいちゃんって呼ぶ日ですか?」
「……うん。今日は、そう呼びたい日」
「分かりました」
「変じゃない?」
「変じゃないです」
「私の方が年上なのに?」
「年齢は関係ないと思います」
「体格だって、あなたが大きいわけじゃないのに?」
「それも関係ないです。マミさんがそう呼ぶと安心できるなら、それでいいです」
その返事に、画面の中のマミの表情が完全に溶けた。
白い空間のほむらは、目を覆ったまま深く息を吐いた。
年齢も体格も関係なく、自分の弱さに居場所をくれる相手を前にした時、人はここまで柔らかくなるのだと、嫌でも分からされる。
「……いいヤツじゃねえか」
杏子が呟いた。
マミは顔を覆ったまま、わずかに肩を震わせた。
嬉しいのだろう。
自分の彼氏を褒められて、恥ずかしさと喜びが同時に来ている。
まどかはその様子を見て、ほっとしたように微笑んだ。
「マミさんの彼氏さん、優しいね」
「……ええ」
マミはようやく声を出した。
小さな声だった。
けれど、その返事には隠しきれない誇らしさがあった。
自分の秘密を見られた恥ずかしさより、彼が優しい人だと認められた嬉しさが少しだけ勝ったのだろう。
「おにいちゃん……マミのこと、好き?」
さやかが座席で撃沈した。
杏子は菓子袋を強く握りしめた。
ほむらは指の隙間から見て、即座にまた目を覆った。
まどかは赤面しながらも、目を逸らせない。
マミ本人は、もう完全に顔を覆っていた。
画面の中の彼氏は、少し照れたように笑った。
けれど答えは迷わない。
「好きです。頑張っているマミさんも、甘えてくれるマミさんも、どっちも好きです」
「……もっと言って」
「綺麗で、優しくて、でも本当は寂しがりなところも好きです」
「うぅ……おにいちゃん、ずるい……♡」
マミは彼の膝の上で、甘えに耐えきれないように身をよじった。
普段の彼女を知る者からすれば、もはや別人の姿だった。
しかし、別人ではない。
むしろ、普段の巴マミが背負っているものを全部下ろした時、こういう形で甘えが溢れるのだと分かってしまう。
「……これは、見なかったことにはできないわ。
けれど、軽く扱うつもりもない」
ほむらが静かに言うと、マミは少しだけ目を見開いた。
ほむらの言葉は冷静だったが、そこには確かな配慮があった。
昨日、自分の犬猫赤ちゃんを見られたからこそ、ほむらはマミの「おにいちゃん」をただ笑い飛ばせない。
それは滑稽に見えるかもしれないが、本人にとっては休むための大切な形なのだ。
「……ありがとう、暁美さん」
マミの声は小さかった。
いつもの先輩らしい響きではなく、少しだけ素の少女の声に近かった。
画面の中では、夜が更けていた。
マミは彼の隣で、ソファに寄りかかるようにして目を閉じている。
彼が帰る時間を気にして時計を見ると、マミの手が彼の袖をそっと掴んだ。
強く引き止めるのではない。
しかし、離れたくないという気持ちは明白だった。
「……もう少しだけ、いて」
「はい。もう少しいます」
「おにいちゃん、やさしい」
「マミさんが頑張ってるからです」
「頑張ったら、甘えてもいい?」
「もちろん」
「じゃあ、明日も頑張る……」
映像の最後に、彼がマミの髪をそっと撫でた。
マミは目を閉じたまま、幸せそうに息を吐く。
それはほむらの「はふぅ」とも、杏子の添い寝の甘い吐息とも違う。
巴マミがようやく誰かに甘えられる時の、深くほどけた呼吸だった。
「おにいちゃん……だいすき……♡」
最後の一言で、さやかが再び沈んだ。
まどかは赤面しながら目を潤ませ、杏子は菓子を口に入れ損ねた。
ほむらは一瞬だけ目を覆ったが、すぐに手を下ろした。
マミは両手で顔を覆いながら、肩を小さく震わせている。
スクリーンはそこで暗くなった。
こうして、謎の上映会は幕を閉じた。
とりあえず、今日のところは。