普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象   作:東頭鎖国

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第六話

 さやかは、完全に余裕をこいていた。

 

 彼氏がいない。

 その一点において、自分はこの謎の上映会システムから最も遠い位置にいると信じていた。

 ほむらは彼氏の前で犬になり、猫になり、赤ちゃんになり、最終的には玄関へぱたぱた小走りするところまで焼かれた。

 杏子は年上の高校生の彼氏を世話する年下お姉ちゃんでありながら、添い寝の時にはデロデロに甘える姿を晒された。

 マミは年下の彼氏を「おにいちゃ〜ん♡」と呼んでとろけていた。

 まどかは同じクラスの彼氏を抱きしめて頭を撫で、甘やかしきって溶かしていた。

 それらを全部見せられたさやかは、頭を抱えたり目を覆ったりしながらも、最後の最後で必ず思っていた。

 自分には関係ない。

 なぜなら、自分には彼氏がいないから。

 

「いやー、みんな大変だねえ」

 

 白い空間に再び呼び出された時でさえ、さやかはそう言って椅子の背にもたれた。

 まどかは心配そうにさやかを見ていたが、ほむらはすでに警戒の目をスクリーンへ向けている。

 杏子は菓子を口に入れる前に一度だけ手を止め、マミは膝の上で指を重ねたまま、静かにさやかの横顔を見ていた。

 三人とも、余裕を見せた人間がこの空間でどうなるかを、身をもって知っている。

 

「美樹さやか。

 念のため言っておくけれど、余裕は危険よ」

 

 ほむらの声は淡々としていた。

 さやかはひらひらと手を振った。

 余裕の動きだった。

 少なくとも本人はそう思っている。

 白い空間の椅子に座らされている時点で安全な要素はひとつもないのだが、彼氏がいないという事実が、さやかの中ではかなり強力な盾になっていた。

 

「いやいや、ほむら。

 あんたたちの場合は彼氏がいるから上映されるわけでしょ。

 あたしは失恋済み、カレシなし、現在フリー。

 素材がないんだから、どうしようもないって」

 

「不用意な発言を重ねるのは危ない気がするわ、美樹さん」

 

 マミが静かに言った。

 さやかはマミへ視線を向け、少しだけ肩をすくめる。

 マミの言葉には説得力があった。

 年下の彼氏に「おにいちゃ〜ん」と甘えている姿を見られた人の忠告は、できれば聞いておいた方がいい。

 けれど、さやかにはまだ自分だけは違うという油断があった。

 

「大丈夫ですって。あたしには、そういう相手いないですし」

 

 言い切った瞬間、スクリーンが光った。

 さやかの笑顔が固まった。

 まどかが両手を胸の前で握り、ほむらは目を細める。

 杏子は菓子を口に運ぶのをやめ、マミは深く息を吐いた。

 全員が同じことを思っていた。

 

『来た』と。

 

 浮かび上がった題名は、これまでのどれよりも地味で、しかし不穏だった。

 

『美樹さやか・友達以上恋人未満観察記録』。

 

 白い空間に、さやかの『ひゅっ』という呼吸だけが変な形で引っかかった。

 

「……は?」

 

 さやかは、思ったより低い声を出した。

 それは照れでも怒りでもなく、完全な不意打ちを受けた声だった。

 彼氏はいない。

 確かにいない。

 だが、友達以上恋人未満という言葉は、盾の横から差し込まれた矢のように、さやかの胸へ突き刺さった。

 彼氏ではない。

 けれど、思い当たる相手はいる。

 

「さやかちゃん……?」

 

 まどかが、恐る恐る声をかけた。

 さやかは返事をしなかった。

 画面が明るくなっていく。

 そこに映ったのは、見滝原中学校の帰り道だった。

 夕方の空の下、さやかと一人の男子生徒が並んで歩いている。

 彼はよく笑う少年だった。

 明るく、言葉の返しが軽く、さやかの勢いにも自然についていける。

 まどかもほむらも面識がある相手で、クラスや学年の中でも感じのいい男子として知られていた。

 

「あ……」

 

 まどかが小さく声を漏らした。

 彼のことを知っているからこその反応だった。

 ほむらも表情を動かさずに見ていたが、視線には明らかな理解が浮かぶ。

 杏子はさやかの横顔をちらりと見て、何かを察したように口を閉じた。

 マミは、さやかの背中を見守るように目を細めた。

 

 画面の中の彼は、笑いながらさやかにコンビニの袋を渡していた。

 中にはアイスが二本入っている。

 さやかは少し驚いた顔をしてから、いつもの調子で笑った。

 その笑い方は明るい。

 けれど、白い空間で見ているさやか本人には、その裏にあるものが痛いほど分かった。

 あの頃の自分は、上条恭介への失恋をまだうまく処理できていなかった。

 

「おごり? 珍しいじゃん、どうしたの」

 

「いや、今日はなんとなく。

 美樹、こっちの味好きだろ」

 

「うわ、覚えてたんだ。

 何それ、ポイント高いじゃん」

 

 画面の中のさやかは、軽口を叩きながらアイスを受け取った。

 彼も笑っている。

 二人の会話はテンポがよく、どちらかが沈むと、もう片方がすぐに拾って笑いへ変える。

 それは恋人同士の甘さとは違った。

 友達の距離感に近い。

 けれど、ただの友達にしては少しだけ踏み込み方が深かった。

 

 しばらく歩いたあと、彼の笑顔が少しだけ薄くなった。

 さやかはその変化に気づいていた。

 画面の中のさやかは、アイスの袋を開けながら、何気ないふりで彼の横顔を見る。

 彼は空を見上げ、冗談の続きを飲み込むように少し笑った。

 

「今日、志筑さんと上条が一緒に帰ってた」

 

 白い空間のさやかは、椅子の上で指を握った。

 まどかが静かに息を呑む。

 ほむらも目を伏せた。

 この世界では、志筑仁美と上条恭介は結ばれている。

 それはさやかにとっての失恋であり、同時に、画面の中の彼にとっての失恋でもあった。

 彼は志筑仁美が好きだった。

 そして、彼女が上条恭介を選んだことで、静かに恋を終わらせた。

 

「……そっか」

 

 画面の中のさやかは、いつものように明るく返さなかった。

 少しだけ声を落とし、彼の隣で歩調を合わせる。

 自分も似たような傷を抱えていたから、そこで下手な慰めを言えなかったのだろう。

 彼も、さやかの反応を見て、小さく肩をすくめた。

 

「別に、告白してたわけでもないし。

 勝手に好きだっただけだから、失恋って言うのも変かもしれないけどさ」

 

「それ、めっちゃ分かる」

 

 さやかは、笑おうとして少しだけ失敗した顔をした。

 白い空間のさやかは、その表情を見て胸の奥が痛くなる。

 上条恭介への恋も、志筑仁美への恋も、誰かに責められるようなものではなかった。

 ただ、それぞれが勝手に好きになって、勝手に傷ついて、行き場のない感情だけが残った。

 だから二人は、その傷を見せ合える相手になった。

 

「好きだったって言うのもさ、なんか負け惜しみみたいになるんだよね。

 何もしてないくせに、何傷ついてんだって、自分で自分にツッコミ入れたくなるっていうか」

 

「分かる。でも、傷つくもんは傷つくんだから、しょうがないんじゃねえかな」

 

 彼はそう言って、アイスをひと口かじった。

 その言葉は雑だったが、妙に優しかった。

 さやかは彼の横顔を見て、少しだけ笑った。

 その笑顔は、普段の明るい美樹さやかのものより、少しだけ弱く、少しだけ安心していた。

 

「……あんたと話してると、ちょっと楽だわ」

 

 画面の中のさやかが言った。

 彼は一瞬だけ驚き、次に照れたように笑う。

 その笑顔は、まどかの彼氏のように甘やかされて溶けるものでも、ほむらの彼氏のように受け止めるものでもない。

 さやかと同じ高さで笑い合い、同じ傷を見て、同じように痛がれる相手の顔だった。

 

「俺も、美樹と話してると楽だよ。失恋仲間ってやつ?」

 

「何それ、めっちゃ嫌な同盟名なんだけど」

 

「じゃあ、傷の舐め合い同盟」

 

「もっと嫌だわ!」

 

 二人は同時に笑った。

 白い空間のさやかは、その笑い声を聞いて、唇を結ぶ。

 あの頃、本当に救われていた。

 彼と馬鹿みたいな名前を付けて笑うことで、沈みそうになる心を何度も水面へ戻していた。

 失恋の痛みは消えなかった。

 けれど、自分だけではないと知ることで、魔女にならずに済んだ夜があった。

 

「……これ、笑えねえやつじゃん」

 

 杏子が小さく呟いた。

 さやかは何も言えなかった。

 ほむらも静かにスクリーンを見ている。

 マミは胸元へ手を当て、まどかはさやかを見つめていた。

 上映会は、甘え方の癖を暴くものだと思っていた。

 だが、さやかの映像は、最初から心の傷に触れてきた。

 

 映像は切り替わった。

 今度は雨の日のバス停だった。

 さやかと彼が、屋根の下で並んで座っている。

 二人とも傘を持っているのに、帰るタイミングを逃したように、ただ雨を見ていた。

 

「またおごり?」

 

「寒そうだったから」

 

「そういうこと自然にすると、勘違いする女子いるよ」

 

「美樹は?」

 

 画面の中のさやかは、そこで少しだけ固まった。

 白い空間のさやかも固まった。

 彼は、冗談のつもりだったのかもしれない。

 けれど、その問いは思ったより深く入ってしまった。

 画面の中のさやかは缶を受け取り、視線を雨へ逃がした。

 

「あたしは……まあ、勘違いしないようにしてる」

 

 彼は、それを聞いてすぐには笑わなかった。

 雨の音が二人の間を埋める。

 友達以上恋人未満という言葉は、この沈黙の中にあった。

 失恋の傷を舐め合う関係。

 けれど、それだけではないものが、いつの間にか少しずつ育っていた。

 

「俺、さ。

 美樹といると、志筑さんのこと考えない時間が増えたんだよね」

 

 さやかは彼を見た。

 その言葉は、嬉しいようで、少し痛かった。

 自分もそうだったからだ。

 彼と馬鹿な話をしている時、上条恭介のことを考えない時間が増えた。

 上条と仁美が一緒にいるところを見ても、完全に平気ではないが、帰り道で彼と笑えると思えば少しだけ耐えられた。

 それは傷の舐め合いだった。

 同時に、生きるための支えでもあった。

 

「それ、いいことなのかな」

 

「分からない。

 でも、楽になるならいいんじゃね。

 俺たち、別に誰かを恨んでるわけじゃないし」

 

「……まあね。恭介も仁美も、悪くないし」

 

「志筑さんも上条も、悪くない。

 だから余計、キツいんだよな」

 

 その一言に、さやかの胸がきゅっと傷んだ。

 白い空間のまどかが目を潤ませる。

 ほむらは静かに目を伏せ、杏子は歯を食いしばるように口元を結んだ。

 誰も悪くない失恋は、怒りを向ける先がない。

 だから傷は、本人の内側へ沈みやすい。

 

 画面の中のさやかは、缶を握ったまま彼の肩へ軽くもたれた。

 本当に軽く。

 恋人のような甘さではなく、友達として許されるギリギリの距離だった。

 彼は驚いた様子を見せたが、そこから動かなかった。

 代わりに、自分の肩を少しだけ下げて、さやかが楽に寄りかかれるようにした。

 

「五分だけ」

 

「じゃあ、五分だけ」

 

 白い空間で、さやかは目を伏せた。

 目を閉じれば、今でもあの肩の温度をハッキリと思い出せる。

 自分はあの時、泣きそうだった。

 彼も何も言わなかった。

 ただ、五分だけ肩を貸してくれた。

 その五分がどれほど自分を救ったのかを、改めて思い知らされた。

 

 映像はまた切り替わった。

 今度は夕暮れの通学路だった。

 街灯の下、さやかと彼が並んで立っている。

 遠くには、上条恭介と志筑仁美が楽しそうに歩いていく姿が見えた。

 二人はそれを見送っていた。

 さやかの顔は、笑っているようで泣きそうだった。

 彼も同じような顔をしていた。

 

「……お似合いだよね」

 

「まあ、そうだな」

 

「ムカつくくらい」

 

「分かる」

 

「……でも、幸せになってほしいとも思う」

 

「分かる」

 

「分かるしか言わないじゃん」

 

「だって分かるし」

 

 二人は小さく笑った。

 笑いながら、少しだけ泣きそうだった。

 画面の中の彼は、ポケットからハンカチを出して、さやかへ差し出す。

 さやかは一瞬だけ目を丸くし、それから少し乱暴に受け取った。

 

「泣いてないし」

 

「まだ泣いてないだけだろ」

 

「……その言い方ムカつく」

 

「じゃあ返せよ」

 

「イヤ。

 返しませんー」

 

 そのやり取りはいつもの軽口だった。

 けれど、ハンカチを握るさやかの指は震えている。

 彼はその震えを見ても、何も言わなかった。

 ただ隣に立ち続けた。

 さやかが泣いても泣かなくても、どちらでもいいように、そこにいた。

 

 白い空間のさやかは、喉の奥が詰まるのを感じた。

 この時から、たぶん始まっていた。

 彼といると、自分が失恋した女の子でいられた。

 魔法少女でも、正義の味方でも、強がりの美樹さやかでもなく、ただ好きだった人を失った女の子でいられた。

 そして彼もまた、志筑仁美を好きだった男の子として、さやかの隣に立っていた。

 

「なあ、美樹」

 

「何」

 

「俺たち、いつか普通に笑えるようになるかな」

 

「今も笑ってるじゃん」

 

「そうじゃなくてさ。

 あの二人見ても、胸が痛くならないで、普通に祝える日」

 

 さやかは黙った。

 すぐに答えられる問いではなかった。

 画面の中の彼も、答えを求めているわけではないようだった。

 ただ、自分の中にある弱さを隣のさやかへ置いた。

 

「なるよ、あたしら案外しぶといし。

 そのうち、笑えるようになるって」

 

「美樹が言うと、何か信じられるな」

 

「でしょ? さやかちゃん様を信じなさい!」

 

 そう言って胸を張るさやかを見て、彼は笑った。

 その笑顔を見た画面の中のさやかが、一瞬だけ見惚れたように止まった。

 白い空間のさやかは、その瞬間を見て息を止める。

 

 ここだ。

 ここで、自分は何かを感じた。

 まだ恋だとは認めなかった。

 けれど、彼の笑顔が胸に残った。

 

 映像は、現在に近い日のものへ移った。

 それは、屋上だった。

 ワルプルギスの夜を倒した後の平和な世界で、さやかと彼はフェンスのそばに並んでいた。

 空は高く、風は穏やかだった。

 以前のように、恭介や仁美の話をしているわけではない。

 二人はくだらない話で笑っていた。

 本当にくだらない、明日の小テストや漫画の新刊の話だった。

 彼が笑った。

 明るく、よく笑う、さやかと相性のいい顔だった。

 その笑顔を見た瞬間、画面の中のさやかの表情が止まる。

 ほんの一瞬だった。

 けれど上映会は、その一瞬を逃さない。

 

「あれ……?」

 

 白い空間のさやかは、血の気が引くような感覚を覚えた。

 現在。

 まさに今に近い自分。

 この直後だ。

 この直後、自分は気づいたのだ。

 失恋の痛みを分け合ったから一緒にいるのではない。

 恭介でも仁美でもなく、彼自身のことを、いつの間にか特別に見ているのだと。

 

「美樹? どうした、顔赤くない?」

 

「えっ、いや、赤くないし!」

 

 さやかは跳ねるように後ずさった。

 動揺が分かりやすい。

 彼は目を丸くし、それから少しだけ笑った。

 その笑顔に、さやかの胸がさらに鳴る。

 白い空間のさやかは、椅子の上で顔を覆った。

 やめてほしい。

 そこは、まだ自分の中でも処理が終わっていないところだった。

 

「あたし、あいつのこと……好きなんだ」

 

 白い空間が止まった。

 まどかが息を呑む。

 ほむらは目を伏せ、杏子は菓子袋を握ったまま固まる。

 マミは静かにさやかを見た。

 さやか本人は、両手で顔を覆っていた。

 上映会は、彼女がようやく自分の好意に気づいた直後を、容赦なく現在として映し出した。

 

「……これ、今のやつ?」

 

 杏子が小さく聞いた。

 さやかは顔を覆ったまま、しばらく黙っていた。

 否定するには、今の自分も、映像の中の自分も赤くなりすぎている。

 それに、胸の中にある感情は、今もまだ熱を持っている。

 

 恋人ではない。

 告白もしていない。

 けれど、自分は確かに彼のことが好きだと気づいたばかりだった。

 

「……最近、気づいたばっか」

 

 さやかは、かすれた声で答えた。

 その言葉が白い空間に落ちる。

 まどかは泣きそうな顔でさやかを見ていた。

 ほむらも、いつもの皮肉を言わなかった。

 杏子は照れくさそうに視線を逸らし、マミは柔らかく目を細める。

 

「まだ、何も言ってない。

 あたしも、自分でどうしたらいいか分かってない。

 だって、あいつとは失恋仲間で、そういうのがあったから仲良くなったんだし。

 それが急に、好きとか……何か、ずるいじゃん」

 

 さやかは顔を覆ったまま、震えた声で言った。

 失恋の傷を慰め合うために近づいた、それは本当だ。

 でも、それで救われたことも本当だった。

 傷の舐め合いだけでは終わらなかった。

 彼との交流が、上条恭介の代わりではなく、彼自身を好きだと思わせるところまで育ってしまった。

 

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