普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象   作:東頭鎖国

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第七話

 翌日の美樹さやかは、朝からずっと挙動がおかしかった。

 いつもなら昇降口で会った相手に軽口のひとつでも飛ばすのに、その日は彼の靴箱が視界に入っただけで、心臓が勝手に変な跳ね方をした。

 昨日の上映会で見せつけられた自分の顔が、まだ頭の奥に焼きついている。

 失恋の傷を舐め合う相手。

 一緒にいると楽で、くだらない話で笑えて、同じ痛みを知っている男子。

 それだけだと思っていたのに、屋上で彼が笑った瞬間、胸の奥で鳴った音の正体を、もう誤魔化せなくなっていた。

 

「さやかちゃん、大丈夫?」

 

 まどかが隣で心配そうに覗き込んできた。

 その声に含まれた優しさが、今のさやかには少しだけくすぐったい。

 応援していると言われたのは嬉しい。

 けれど、親友に自分の恋心を見られた直後の朝というものは、想像以上に足元がふわふわした。

 

「だ、大丈夫大丈夫。さやかちゃん様に不可能はないからね」

 

 そう言って胸を張ったつもりだったが、声は少し上ずっていた。

 まどかは何か言いたそうに目を細めたが、すぐに優しく笑って引いた。

 今は余計に背中を押しすぎない方がいいと、分かってくれているのだろう。

 その気遣いがまた染みて、さやかは情けないくらい胸が熱くなった。

 昼休みまで、さやかは何度も告白の言葉を考えた。

 

 好き。

 いや、急すぎる。

 付き合って。

 それはもっと急すぎる。

 あたし、あんたのことさ──。

 

 そこまで考えるたびに、脳内の自分が真っ赤になって爆発した。

 美樹さやかは勢いで走るタイプだと自分では思っているが、本当に大事なことほど変なところでブレーキがかかる。

 彼の方は、そんなさやかの異変にとっくに気づいていた。

 昼休みの終わり際、彼はパンの袋を片づけながら、少しだけ心配そうに声をかけてきた。

 その表情は、以前バス停で肩を貸してくれた時と同じだった。

 踏み込みすぎず、けれど放っておけないという顔。

 

「美樹、今日ほんとに大丈夫か? なんか朝から変だぞ」

 

 その一言で、さやかの中の何かが決壊しかけた。

 大丈夫かと聞かれるたび、自分は平気だと笑ってきた。

 彼もそうだった。

 だから二人は、お互いの大丈夫が嘘っぽい時だけ、妙に分かってしまう。

 今も彼は、さやかが何かを抱えていることに気づいている。

 

「……放課後、ちょっと時間ある? 二人きりで話したいことがあるの」

 

 さやかの声は、思ったより真面目だった。

 彼は軽く返そうとして、彼女の表情を見て口を閉じた。

 冗談で流していい話ではないと察したのだろう。

 その気づき方が、またさやかの胸を強く叩いた。

 

「……わかった。

 屋上でいいか?」

 

「うん、屋上で」

 

 放課後の屋上は、昨日の上映会で見た映像と同じように風が穏やかだった。

 フェンスの向こうで空が広がり、校庭から部活動の声が届いている。

 彼は少し先に来ていて、フェンスにもたれながら待っていた。

 さやかを見ると、いつものように笑いかけてくる。

 その笑顔に、さやかは一瞬だけ逃げたくなった。

 

「ごめん、いきなり呼び出して」

 

「いや、俺も気になってたし。

 何かあった?」

 

 彼はすぐに本題へ踏み込まなかった。

 逃げ道を残してくれる。

 そういうところが好きなのだと、さやかはもう認めていた。

 認めた瞬間、心臓がまた大きく鳴る。

 ここで引いたら、たぶんまた自分は笑ってごまかす。

 

「うん、あった」

 

 彼の表情が少しだけ引き締まった。

 志筑仁美の話でも、上条恭介の話でもない。

 その空気を彼も感じ取ったらしい。

 さやかはフェンスの近くまで歩き、彼の隣ではなく、正面に立った。

 もうこれ以上、逃げたり誤魔化したりしないと決意し、静かに言葉を紡ぐ。

 

「あたしさ。

 あんたといると楽だったんだよね」

 

「うん」

 

「恭介のこととか、仁美のこととか、そういうの考えなくて済む時間が増えてさ。

 あんたも同じようなことで傷ついてたから、たぶん分かってくれるって思ってた」

 

 彼は黙って聞いていた。

 その沈黙が優しい。

 何か言ってさやかを助けることもできたはずなのに、彼は彼女が言葉を選ぶ時間を待ってくれている。

 その待ち方が、さやかにはたまらなく大事だった。

 

「最初は、傷の舐め合いみたいなもんだと思ってた。

 そういうの、あんまり綺麗じゃないかもしれないけど、それでもあたしは救われてた」

 

 彼の目が少しだけ揺れた。

 自分も同じだったと、その目が言っていた。

 さやかはそこに勇気をもらう。

 指先はまだ震えている。

 でも、言える。

 ここまで来たら、もう言うしかない。

 

「でもさ。

 最近、違うって気づいた」

 

 風が吹いた。

 さやかの髪が頬にかかる。

 彼は何も言わない。

 その沈黙の中で、さやかは彼の顔を見る。

 明るくて、よく笑って、でも本当は失恋の痛みをちゃんと知っている顔。

 自分の痛みを笑い飛ばさず、隣で一緒に歩いてくれた顔。

 

「あたし、あんたのこと……好きなんだ」

 

 言った。

 言ってしまった。

 言葉が空に溶ける前に、さやかの顔へ一気に熱が上る。

 視線を逸らしたい。

 でも逸らしたら、全部が冗談みたいになってしまう気がした。

 だから彼を見た。

 彼は、完全に固まっていた。

 

「……え」

 

 それだけだった。

 明るくよく笑う彼が、笑うこともできずに固まっている。

 さやかはその反応を見た瞬間、心臓が冷たくなる。

 やっぱり早すぎたのかもしれない。

 失恋仲間の関係を壊してしまったのかもしれない。

 

「や、いや、その、急に言われても困るよね。

 分かってる。別に今すぐ返事とか、そういうのじゃなくて──」

 

「待って」

 

 彼の声が、さやかの言葉を止めた。

 今度は彼の方が少し震えていた。

 さやかは息を呑む。

 彼は片手で顔を覆い、深く息を吐いた。

 耳が赤い。

 頬も赤い。

 そして、どうしようもなく嬉しそうだった。

 

「待って。

 ちょっと、整理させて」

 

「え、うん」

 

「美樹が、俺を?」

 

「……うん」

 

「好き?」

 

「二回言わせるな!」

 

 さやかは真っ赤になって叫んだ。

 その瞬間、彼の顔が完全に崩れた。

 泣きそうなほど嬉しいのに、笑いを堪えきれないような顔だった。

 彼はフェンスから背を離し、さやかへ一歩近づく。

 その距離に、今度はさやかが固まった。

 

「俺も、好きだよ」

 

 返事が早かった。

 本当に秒だった。

 さやかの脳は、一瞬だけ意味を処理できなかった。

 告白した。

 待ってと言われた。

 整理させてと言われた。

 そして次の瞬間には、好きだと返されている。

 さやかの中では全く想定していない展開の速さだった。

 

「……は?」

 

 さやかは間抜けな声を出した。

 彼は今度こそ笑った。

 明るく、少し泣きそうで、見ているこちらまで胸が苦しくなるような笑顔だった。

 

「俺も、美樹のこと好きだった。

 だいぶ前から」

 

「だいぶ前から!?」

 

「うん。

 たぶん、雨の日にバス停で肩貸した頃には、もうかなりやばかった」

 

 さやかは両手で顔を覆いたくなった。

 あの日。

 自分がまだ勘違いしないようにしてる、と言った日。

 彼ももう、かなりやばかったらしい。

 そんな大事なことを、二人して失恋仲間の顔で隠していたのだと思うと、恥ずかしさと可笑しさと嬉しさが一気に押し寄せた。

 

「な、何で言わなかったのよ……」

 

 さやかの声には、責める響きよりも戸惑いが強かった。

 彼は少しだけ目を伏せる。

 笑顔の奥に、失恋を知っている者の慎重さが戻っていた。

 

「美樹が上条のことで傷ついてるの知ってたから。

 そこで俺が好きだって言ったら、弱ってるところにつけ込むみたいで嫌だった」

 

 さやかは言葉を失った。

 彼は続ける。

 普段は明るく笑っているのに、こういうところだけひどく不器用で、貧乏くじを引く側に回る。

 自分が苦しくても、相手に不誠実だと思われる可能性を避ける。

 そんなところが、さやかの胸をまた強く締めつけた。

 

「俺も失恋してたしさ。

 傷の舐め合いみたいな感じで一緒にいたのは本当だろ。

 そこに恋愛感情を持ち込んだら、美樹が断りづらくなるんじゃないかって思った」

 

「……バカ」

 

 さやかの声は震えた。

 怒っているのではない。

 泣きそうだった。

 彼が自分を大事にしすぎて、言えなかったことが分かったからだ。

 

「あんたって、ほんとバカ。

 あたしだって、あんたに救われてたのに」

 

「うん」

 

「傷の舐め合いだけじゃなかったって、やっと分かったのに」

 

「うん」

 

「そこであんたが先に言ってくれたら、あたしこんなに悩まなかったかもしれないのに」

 

「それは……悪い」

 

 彼は素直に謝った。

 その顔がまた、さやかを泣かせにくる。

 反論してくれたら怒れた。

 軽く流してくれたら拗ねられた。

 でも彼は、本当に悪かったと思っている顔をしている。

 

「じゃあ、責任取って」

 

「えっ」

 

「付き合って。

 今度は、傷の舐め合い同盟じゃなくて……ちゃんと、彼氏として」

 

 言った瞬間、自分の顔が爆発するかと思った。

 さっきの告白より恥ずかしい。

 恋人という言葉が、自分の口からこんなに熱を持って出るとは思わなかった。

 彼はまた固まった。

 今度は一秒も持たなかった。

 次の瞬間には、顔を真っ赤にして頷いていた。

 

「付き合う。お願いします」

 

「秒じゃん!」

 

「秒だよ! ずっと好きだった相手に言われたらそりゃ……そうなるだろ」

 

 彼の語尾が段々と小さくなる。

 その返しがあまりにも真っ直ぐで、嬉しくて、可愛らしくもあって、さやかは完全に撃ち抜かれた。

 

 心臓がうるさい。

 嬉しい。

 恥ずかしい。

 泣きそう。

 笑いたい。

 全部がぐちゃぐちゃになって、何を言えばいいのか分からなくなる。

 

「さやか」

 

 名前を呼ばれた。

 それだけで、膝の力が抜けそうになった。

 普段から名前で呼ばれることはあったかもしれない。

 でも、今のそれは違った。

 彼氏の声で呼ばれた名前だった。

 

「……もう一回」

 

「さやか」

 

「もう一回」

 

「さやか」

 

「……やばい。

 これ、やばい」

 

 二人は笑った。

 笑いながら、少しだけ涙が出そうになる。

 失恋で空いた穴を、お互いの傷で塞いでいたはずだった。

 けれど今は、その穴とは別の場所から、まったく新しい温かさが広がっている。

 代わりではない。

 慰めだけでもない。

 自分はこの人が好きだ。

 彼も、自分を好きでいてくれた。

 

「俺、ちゃんとするから」

 

 彼の声が少しだけ真面目になる。

 さやかは横顔を見る。

 彼は空を見ていたが、その手はしっかりさやかの手を握っている。

 明るく笑う彼の中にある、真面目すぎるくらい誠実な部分が見えた。

 

「傷ついてた時に好きになったのが、下心みたいで嫌だった。

 でも、今言えるならちゃんと言う。

 俺は、さやかが好きだ。

 志筑さんの代わりとかじゃなくて、さやかがいい」

 

 さやかは、今度こそ泣きそうになった。

 言ってほしかった。

 でも、そんなふうに言ってほしかったと自分で気づいていなかった。

 上条恭介の代わりではない。

 志筑仁美の代わりでもない。

 傷の舐め合いの延長だけでもない。

 自分自身を選ばれたのだと、ようやく胸の奥まで届いた。

 

「……あたしも」

 

 声が震えた。

 でも、逃げなかった。

 彼の手を握り返し、まっすぐ見る。

 明るくて、優しくて、不器用で、貧乏くじを引くタイプの彼。

 その全部が好きだ。

 

「あたしも、あんたがいい。

 恭介じゃなくて、あんたが好き」

 

 彼は笑った。

 泣きそうな笑顔だった。

 その顔を見たさやかは、思わず一歩近づいた。

 抱きつくにはまだ少し勇気が足りない。

 でも、手を繋いだまま肩を寄せるくらいならできる。

 彼は驚いたあと、少しだけ照れくさそうに肩の力を抜いた。

 

「……なんか、あっさりだったね」

 

「そうだな。

 恋人同士になるってもっと劇的なもんだと思ってた」

 

「でも、これはこれであたし達らしくない?」

 

「ははっ、言えてる」

 

 二人はまた笑った。

 屋上の風が、さっきより少し温かく感じる。

 失恋の傷は、完全に消えたわけではない。

 これからも時々、古い痛みとして胸をつつくかもしれない。

 でも、その痛みを理由に俯くだけの日々は、もう終わりかけている。

 

「じゃあ、明日からもよろしく。

 彼氏さん」

 

 さやかが言うと、彼は一瞬だけ固まった。

 その呼び方の破壊力を予想していなかったらしい。

 耳まで赤くなって、でも嬉しさを隠しきれていない。

 さやかはその顔を見て、自分まで赤くなった。

 

「よろしく。

 彼女さん」

 

 その返しに、さやかは完全に顔を覆った。

 強すぎた。

 彼女さん。

 その言葉が胸の中で何度も跳ねる。

 さっきまで余裕ぶっていた自分が、今は名前を呼ばれるだけで崩れそうになっている。

 

 上映会があったら絶対に死ぬ。

 そんな考えが頭をよぎり、さやかは慌ててそれを追い払った。

 だが、心のどこかで分かっていた。

 この世界は平和になった。

 ワルプルギスの夜も倒した。

 それでも、白い空間の上映会だけは容赦がない。

 もし次に映されるとしたら、きっと今日のこの瞬間だろう。

 秒で落ちた彼と、秒で照れ崩れた自分。

 想像しただけで顔が熱くなる。

 

 それでも、その日から美樹さやかと彼は恋人になった。

 まどかは泣きそうなくらい喜び、ほむらは静かに頷き、杏子は照れくさそうに菓子を突き出し、マミは紅茶を用意すると言い出した。

 さやかは祝福を受けるたびに顔を赤くし、彼と目が合うたび恥ずかしげに視線を泳がせた。

 それでも、繋いだ手だけは離さなかった。

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