普段恋人にしか見せないクッソ恥ずかしい姿を上映する怪奇現象 作:東頭鎖国
翌日の美樹さやかは、朝からずっと挙動がおかしかった。
いつもなら昇降口で会った相手に軽口のひとつでも飛ばすのに、その日は彼の靴箱が視界に入っただけで、心臓が勝手に変な跳ね方をした。
昨日の上映会で見せつけられた自分の顔が、まだ頭の奥に焼きついている。
失恋の傷を舐め合う相手。
一緒にいると楽で、くだらない話で笑えて、同じ痛みを知っている男子。
それだけだと思っていたのに、屋上で彼が笑った瞬間、胸の奥で鳴った音の正体を、もう誤魔化せなくなっていた。
「さやかちゃん、大丈夫?」
まどかが隣で心配そうに覗き込んできた。
その声に含まれた優しさが、今のさやかには少しだけくすぐったい。
応援していると言われたのは嬉しい。
けれど、親友に自分の恋心を見られた直後の朝というものは、想像以上に足元がふわふわした。
「だ、大丈夫大丈夫。さやかちゃん様に不可能はないからね」
そう言って胸を張ったつもりだったが、声は少し上ずっていた。
まどかは何か言いたそうに目を細めたが、すぐに優しく笑って引いた。
今は余計に背中を押しすぎない方がいいと、分かってくれているのだろう。
その気遣いがまた染みて、さやかは情けないくらい胸が熱くなった。
昼休みまで、さやかは何度も告白の言葉を考えた。
好き。
いや、急すぎる。
付き合って。
それはもっと急すぎる。
あたし、あんたのことさ──。
そこまで考えるたびに、脳内の自分が真っ赤になって爆発した。
美樹さやかは勢いで走るタイプだと自分では思っているが、本当に大事なことほど変なところでブレーキがかかる。
彼の方は、そんなさやかの異変にとっくに気づいていた。
昼休みの終わり際、彼はパンの袋を片づけながら、少しだけ心配そうに声をかけてきた。
その表情は、以前バス停で肩を貸してくれた時と同じだった。
踏み込みすぎず、けれど放っておけないという顔。
「美樹、今日ほんとに大丈夫か? なんか朝から変だぞ」
その一言で、さやかの中の何かが決壊しかけた。
大丈夫かと聞かれるたび、自分は平気だと笑ってきた。
彼もそうだった。
だから二人は、お互いの大丈夫が嘘っぽい時だけ、妙に分かってしまう。
今も彼は、さやかが何かを抱えていることに気づいている。
「……放課後、ちょっと時間ある? 二人きりで話したいことがあるの」
さやかの声は、思ったより真面目だった。
彼は軽く返そうとして、彼女の表情を見て口を閉じた。
冗談で流していい話ではないと察したのだろう。
その気づき方が、またさやかの胸を強く叩いた。
「……わかった。
屋上でいいか?」
「うん、屋上で」
放課後の屋上は、昨日の上映会で見た映像と同じように風が穏やかだった。
フェンスの向こうで空が広がり、校庭から部活動の声が届いている。
彼は少し先に来ていて、フェンスにもたれながら待っていた。
さやかを見ると、いつものように笑いかけてくる。
その笑顔に、さやかは一瞬だけ逃げたくなった。
「ごめん、いきなり呼び出して」
「いや、俺も気になってたし。
何かあった?」
彼はすぐに本題へ踏み込まなかった。
逃げ道を残してくれる。
そういうところが好きなのだと、さやかはもう認めていた。
認めた瞬間、心臓がまた大きく鳴る。
ここで引いたら、たぶんまた自分は笑ってごまかす。
「うん、あった」
彼の表情が少しだけ引き締まった。
志筑仁美の話でも、上条恭介の話でもない。
その空気を彼も感じ取ったらしい。
さやかはフェンスの近くまで歩き、彼の隣ではなく、正面に立った。
もうこれ以上、逃げたり誤魔化したりしないと決意し、静かに言葉を紡ぐ。
「あたしさ。
あんたといると楽だったんだよね」
「うん」
「恭介のこととか、仁美のこととか、そういうの考えなくて済む時間が増えてさ。
あんたも同じようなことで傷ついてたから、たぶん分かってくれるって思ってた」
彼は黙って聞いていた。
その沈黙が優しい。
何か言ってさやかを助けることもできたはずなのに、彼は彼女が言葉を選ぶ時間を待ってくれている。
その待ち方が、さやかにはたまらなく大事だった。
「最初は、傷の舐め合いみたいなもんだと思ってた。
そういうの、あんまり綺麗じゃないかもしれないけど、それでもあたしは救われてた」
彼の目が少しだけ揺れた。
自分も同じだったと、その目が言っていた。
さやかはそこに勇気をもらう。
指先はまだ震えている。
でも、言える。
ここまで来たら、もう言うしかない。
「でもさ。
最近、違うって気づいた」
風が吹いた。
さやかの髪が頬にかかる。
彼は何も言わない。
その沈黙の中で、さやかは彼の顔を見る。
明るくて、よく笑って、でも本当は失恋の痛みをちゃんと知っている顔。
自分の痛みを笑い飛ばさず、隣で一緒に歩いてくれた顔。
「あたし、あんたのこと……好きなんだ」
言った。
言ってしまった。
言葉が空に溶ける前に、さやかの顔へ一気に熱が上る。
視線を逸らしたい。
でも逸らしたら、全部が冗談みたいになってしまう気がした。
だから彼を見た。
彼は、完全に固まっていた。
「……え」
それだけだった。
明るくよく笑う彼が、笑うこともできずに固まっている。
さやかはその反応を見た瞬間、心臓が冷たくなる。
やっぱり早すぎたのかもしれない。
失恋仲間の関係を壊してしまったのかもしれない。
「や、いや、その、急に言われても困るよね。
分かってる。別に今すぐ返事とか、そういうのじゃなくて──」
「待って」
彼の声が、さやかの言葉を止めた。
今度は彼の方が少し震えていた。
さやかは息を呑む。
彼は片手で顔を覆い、深く息を吐いた。
耳が赤い。
頬も赤い。
そして、どうしようもなく嬉しそうだった。
「待って。
ちょっと、整理させて」
「え、うん」
「美樹が、俺を?」
「……うん」
「好き?」
「二回言わせるな!」
さやかは真っ赤になって叫んだ。
その瞬間、彼の顔が完全に崩れた。
泣きそうなほど嬉しいのに、笑いを堪えきれないような顔だった。
彼はフェンスから背を離し、さやかへ一歩近づく。
その距離に、今度はさやかが固まった。
「俺も、好きだよ」
返事が早かった。
本当に秒だった。
さやかの脳は、一瞬だけ意味を処理できなかった。
告白した。
待ってと言われた。
整理させてと言われた。
そして次の瞬間には、好きだと返されている。
さやかの中では全く想定していない展開の速さだった。
「……は?」
さやかは間抜けな声を出した。
彼は今度こそ笑った。
明るく、少し泣きそうで、見ているこちらまで胸が苦しくなるような笑顔だった。
「俺も、美樹のこと好きだった。
だいぶ前から」
「だいぶ前から!?」
「うん。
たぶん、雨の日にバス停で肩貸した頃には、もうかなりやばかった」
さやかは両手で顔を覆いたくなった。
あの日。
自分がまだ勘違いしないようにしてる、と言った日。
彼ももう、かなりやばかったらしい。
そんな大事なことを、二人して失恋仲間の顔で隠していたのだと思うと、恥ずかしさと可笑しさと嬉しさが一気に押し寄せた。
「な、何で言わなかったのよ……」
さやかの声には、責める響きよりも戸惑いが強かった。
彼は少しだけ目を伏せる。
笑顔の奥に、失恋を知っている者の慎重さが戻っていた。
「美樹が上条のことで傷ついてるの知ってたから。
そこで俺が好きだって言ったら、弱ってるところにつけ込むみたいで嫌だった」
さやかは言葉を失った。
彼は続ける。
普段は明るく笑っているのに、こういうところだけひどく不器用で、貧乏くじを引く側に回る。
自分が苦しくても、相手に不誠実だと思われる可能性を避ける。
そんなところが、さやかの胸をまた強く締めつけた。
「俺も失恋してたしさ。
傷の舐め合いみたいな感じで一緒にいたのは本当だろ。
そこに恋愛感情を持ち込んだら、美樹が断りづらくなるんじゃないかって思った」
「……バカ」
さやかの声は震えた。
怒っているのではない。
泣きそうだった。
彼が自分を大事にしすぎて、言えなかったことが分かったからだ。
「あんたって、ほんとバカ。
あたしだって、あんたに救われてたのに」
「うん」
「傷の舐め合いだけじゃなかったって、やっと分かったのに」
「うん」
「そこであんたが先に言ってくれたら、あたしこんなに悩まなかったかもしれないのに」
「それは……悪い」
彼は素直に謝った。
その顔がまた、さやかを泣かせにくる。
反論してくれたら怒れた。
軽く流してくれたら拗ねられた。
でも彼は、本当に悪かったと思っている顔をしている。
「じゃあ、責任取って」
「えっ」
「付き合って。
今度は、傷の舐め合い同盟じゃなくて……ちゃんと、彼氏として」
言った瞬間、自分の顔が爆発するかと思った。
さっきの告白より恥ずかしい。
恋人という言葉が、自分の口からこんなに熱を持って出るとは思わなかった。
彼はまた固まった。
今度は一秒も持たなかった。
次の瞬間には、顔を真っ赤にして頷いていた。
「付き合う。お願いします」
「秒じゃん!」
「秒だよ! ずっと好きだった相手に言われたらそりゃ……そうなるだろ」
彼の語尾が段々と小さくなる。
その返しがあまりにも真っ直ぐで、嬉しくて、可愛らしくもあって、さやかは完全に撃ち抜かれた。
心臓がうるさい。
嬉しい。
恥ずかしい。
泣きそう。
笑いたい。
全部がぐちゃぐちゃになって、何を言えばいいのか分からなくなる。
「さやか」
名前を呼ばれた。
それだけで、膝の力が抜けそうになった。
普段から名前で呼ばれることはあったかもしれない。
でも、今のそれは違った。
彼氏の声で呼ばれた名前だった。
「……もう一回」
「さやか」
「もう一回」
「さやか」
「……やばい。
これ、やばい」
二人は笑った。
笑いながら、少しだけ涙が出そうになる。
失恋で空いた穴を、お互いの傷で塞いでいたはずだった。
けれど今は、その穴とは別の場所から、まったく新しい温かさが広がっている。
代わりではない。
慰めだけでもない。
自分はこの人が好きだ。
彼も、自分を好きでいてくれた。
「俺、ちゃんとするから」
彼の声が少しだけ真面目になる。
さやかは横顔を見る。
彼は空を見ていたが、その手はしっかりさやかの手を握っている。
明るく笑う彼の中にある、真面目すぎるくらい誠実な部分が見えた。
「傷ついてた時に好きになったのが、下心みたいで嫌だった。
でも、今言えるならちゃんと言う。
俺は、さやかが好きだ。
志筑さんの代わりとかじゃなくて、さやかがいい」
さやかは、今度こそ泣きそうになった。
言ってほしかった。
でも、そんなふうに言ってほしかったと自分で気づいていなかった。
上条恭介の代わりではない。
志筑仁美の代わりでもない。
傷の舐め合いの延長だけでもない。
自分自身を選ばれたのだと、ようやく胸の奥まで届いた。
「……あたしも」
声が震えた。
でも、逃げなかった。
彼の手を握り返し、まっすぐ見る。
明るくて、優しくて、不器用で、貧乏くじを引くタイプの彼。
その全部が好きだ。
「あたしも、あんたがいい。
恭介じゃなくて、あんたが好き」
彼は笑った。
泣きそうな笑顔だった。
その顔を見たさやかは、思わず一歩近づいた。
抱きつくにはまだ少し勇気が足りない。
でも、手を繋いだまま肩を寄せるくらいならできる。
彼は驚いたあと、少しだけ照れくさそうに肩の力を抜いた。
「……なんか、あっさりだったね」
「そうだな。
恋人同士になるってもっと劇的なもんだと思ってた」
「でも、これはこれであたし達らしくない?」
「ははっ、言えてる」
二人はまた笑った。
屋上の風が、さっきより少し温かく感じる。
失恋の傷は、完全に消えたわけではない。
これからも時々、古い痛みとして胸をつつくかもしれない。
でも、その痛みを理由に俯くだけの日々は、もう終わりかけている。
「じゃあ、明日からもよろしく。
彼氏さん」
さやかが言うと、彼は一瞬だけ固まった。
その呼び方の破壊力を予想していなかったらしい。
耳まで赤くなって、でも嬉しさを隠しきれていない。
さやかはその顔を見て、自分まで赤くなった。
「よろしく。
彼女さん」
その返しに、さやかは完全に顔を覆った。
強すぎた。
彼女さん。
その言葉が胸の中で何度も跳ねる。
さっきまで余裕ぶっていた自分が、今は名前を呼ばれるだけで崩れそうになっている。
上映会があったら絶対に死ぬ。
そんな考えが頭をよぎり、さやかは慌ててそれを追い払った。
だが、心のどこかで分かっていた。
この世界は平和になった。
ワルプルギスの夜も倒した。
それでも、白い空間の上映会だけは容赦がない。
もし次に映されるとしたら、きっと今日のこの瞬間だろう。
秒で落ちた彼と、秒で照れ崩れた自分。
想像しただけで顔が熱くなる。
それでも、その日から美樹さやかと彼は恋人になった。
まどかは泣きそうなくらい喜び、ほむらは静かに頷き、杏子は照れくさそうに菓子を突き出し、マミは紅茶を用意すると言い出した。
さやかは祝福を受けるたびに顔を赤くし、彼と目が合うたび恥ずかしげに視線を泳がせた。
それでも、繋いだ手だけは離さなかった。