「リーラス〜?朝ですよ、起きてくださーい」
春の朝日のように暖かく優しい声がしたような気がしたものの、無視を貫いていると…ベッドから落ちそうになるほど揺すられた。
起床時間自由って言ってたのに!
そう僕は心の中で叫んだ。
まだ重く開く事の難しい目を擦り、饅頭のように柔らかい布団から体を起こすと、リーテが立っていた。
「やーっと起きたリーラスー。ご飯ですよ。」
リーテは赤い髪を靡かせ、紺碧色の瞳で愛している子を慈しむような暖かい視線を送り、柔らかな口調で言う。
……僕のことを"リーラス"と呼ぶ違和感さえ無ければ、幸せな朝そのものだった。
もしかすると自分が見知らぬ誰かに変わってしまっているのではないかなんて思って、部屋の鏡を見たけど、そこにはなんら変わりもない僕ユートが写っていた。
「リーテ、一度休みたまえ。」
エンラスは神妙な面持ちでリーテに詰め寄った。
指示に従わなかったら腕を斬る、と言い出してもおかしくないほどの圧をを感じた。
「どうして?私は起きたばかりなのに…」
リーテは強く困惑し、ただ慌てるだけだった。
思考を必死に回し、エンラスの気を害したのでは…などと考えていそうな、不安を纏った表情で、言われる訳もわからず狼狽え、頭を抱えていた
そりゃそうだ。起きてすぐ休めとか言われたらびっくりだ。
「いいから!!早く自室に戻りたまえ。」
エンラスはリーテの脇下に腕を通して引き摺り出すと、素早く身を部屋に入れながら扉を閉じる。何かが起きることを恐れている、言葉遣いに気を使う余裕すらない姿がそれを暗示していた。
何してるんだろう。
「ユート君。君に…話すべき……であろうか。」
「話すべきであろうな。」
エンラスは苦悶を体現したような表情をし、聞いたことのないような苦しみを滲ませ口を開いた。それがエンラスとって"良い判断とは言えない"ようだ。…自身の何かを自ら切り落とすかのように苦しみ、悩んだ末の結果なのだろう
「リーラスは…5年前に亡くなった…私とリーテの子の名前である」
エンラスは虚ろで、やるせないような表情で語る。
後悔。諦観。自己嫌悪。負の感情全てが混ざり合った、その終着点のような表情だった。
「……君に見せたい物がある。」
そう言うと、エンラスはレバーを倒す。
……機械仕掛けで開かれた鏡の裏には、硝子の棺に飾られた僕と背丈が同等の少年が納められていた。
「…リーラス……私が…リーテにせめてもの救いを…と剥製にし、あたかも生きているかのように作品としたものだ。」
目を閉じ、安らかに眠るリーラスと呼ばれる少年。
"おはよう"と言いながら目を開くのではないかとさえ思えるほど美しく保存されていた。リーテに似た…輝く真紅の美しい髪に…そこの憎たらしいマエストロに似た端正な顔をした少年。
「僕に、何の関係が。」
僕はエンラスにそう問いかけた。
意味が分からない。何故僕に死体を。何故僕に息子を。
「ふむ…関係…か。…まずリーテは君をリーラスであると、勘違いしているようなのだよ」
「つまりは、彼女にとって君は既に実の子のようなものなのだ」
エンラスは嘘をついているようには見えなかった。
もっともエンラスが嘘をつく時一切の動揺を見せないタイプと言う可能性はあるのだけど…
…会って2日の人間を実の子と勘違いするわけ…
「…私はリーテの思い違いを訂正し、悲しませるような真似はしたくない…ただ一人愛した人の悲しむ顔も…涙も…見たくはないのだよ」
「だから…ユート君。"リーラス"になってくれないであろうか。」
エンラスは膝を突いて僕の手を両手で包み…形容し難い…恍惚?尊敬?意味不明な表情の顔を見上げた。
それが何を表しているのかも、何望んでいるのかも分からない。
「私はただ…リーテに…また…笑ってほしい。
「だから、お願いだ。」
エンラスの表情は一見優しく慈しむようなものに見えたが、少し見つめると正気とは言い難いものであると気づいた。
一見美しい旋律が不協和音であったかのように。
形容し難い恐怖が、背筋を伝う。
……身勝手だ。まだ会って2日も経たない人に、子になってほしいなんて。訳が分からない。
「意味が分かりません。身勝手すぎです。」
言おうとするより前に、口が動いていた。
息子になれなんて、やはり正気とは思えない。
このままでは…体を作り変えられてしまう…
「そうか…頼んでも無駄ならば、力尽くで。」
その言葉を境に、オルガンの旋律が内臓が潰れゆく男へと変わった。
エンラスは背負った両手斧をを引き抜いた。
そして、明確な殺意を凶刃へと変貌させ、振り下ろす。
振り下ろされるまでの瞬間が恐ろしく長く見える。
判断の後悔する時間を与えているように。
懺悔の時間、懐かしむ時間……猶予は刻一刻と消えていく。
遅くても。確実に。死が迫ってくる。
刎ね飛ばされ、後悔と恐怖で台無しになった表情で身体と離れ離れとなった自分の首が見える気さえした。
………嫌だ。
僕は……死にたくない。
でも目の前の人間を殺せる訳でもない。
強大な力がある訳でもなければ
噂に聞いたE.G.O?やらの精神の具現化とか、今エンラスの両手斧に巻きついている光の輪を出せる訳でも、聖遺物が手元にある訳でもなかった。
ああ…死ぬの?僕?
『……考えるのをやめたら自由になれるよ。』
『だから、もう人として生きるのなんてやめよう?』
頭の中をよぎる生暖かく優しく…そして気持ち悪い言葉。
その言葉の言う通りだけにはしたくない、そんな嫌悪感があった
「僕は弱いけど、考えるのをやめられない……」
死にたくない。死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
「幸せになってって言ってくれた、…大好きだったあの子が言ってた言葉を、守りたいから!!!!」
そう叫んだ刹那、硝子が割れるような音と共に
エンラスの足元に、次元の裂け目のような何かが開かれていった。
なにかしらの装置が動いたわけでもない。それでも、裂け目の先は明らかにどこか遠い場所だった。
「何だ…これはっ…? はっ?」
エンラスは動揺の最中、思考を整理する間もなくその何かへと飲み込まれてゆく。…僕も、抵抗虚しくその裂け目へと吸い寄せられ…中へと、落ちていった。
「…………何処であろうか……はあ……」
倒れたままエンラスが呟く。オルガンの音は、優しいピアノの音色へと再び戻る。…ピアノの音色はどこか幼かった。
「何処でしょう…ね?僕もわかりません。」
僕はそう答えるしかなかった。いつ殺されるか分からない、そんな恐怖で一周回って恐怖しなくなってきた気さえする。