「ま、何処だっていいんだがね。君さえなんとかして私のものにさえできれば…!」
背を向け起き上がったエンラスは振り向きざまに風と共に僕を斬り裂こうとしたが…刃は体を抉ることなくただすり抜けていき、振り切った得物と共に吹っ飛んでいった。
…ただ、切られた感触も痛みも特になかった。
…怖さと身体が跳ねる感覚はあるけど…
「ふむ……ちっ……」
「これで時空の裂け目に酷似した不可解な超常現象を起こしているのは君で間違いなさそうであるな。」
エンラスは土埃にまみれた背中を気にも留めず、再び立ち上がった。
旋律は再び激しく、強いものに変わっていく。
「………多分…俗に言うねじれ…もしくはEGOの類であろうか?」
EGO。噂に少し聞いた程度だけど、精神を具現化し人智を超越した能力をもつ…らしい。まさか、僕がEGOを…?
「EGO?」
「であれば、非常に面倒であるな。」
エンラスは僕の問いなんて最初からなかった、と言わんばかりに無視した上、何かを確信し、苛立ちと諦観を最大限に込めた溜め息を吐くと、提案でもするかのように向き直った。
「ユート君…ここから早く出してくれないだろうか?」
エンラスは残像が見えるほどの速度で掴み掛かってきたが、その手はやはり、すり抜けまたしてもエンラスは地面へと突っ伏した。
「僕にも脱出方法がわからないんです…」
ただ、そう答えるしかない。物理的な干渉がされないなら、あまり怖くはない。死ぬ可能性だって殆ど考えなくてもいいし…
僕にだってそんなの、わからないんだ
「君の能力?であるというのに分からないのかい…?恐ろしいね」
「はあ…私は君の能力の解除以外で脱出方法を見つけださねばならないのか?」
「…と言うか、さっきから非常に不愉快である。」
エンラスは一度僕を怒りの目で睨んだ後また立ち上がり、怒りを滲ませながらも一つの諦めをつけたような表情で歩き始める。
足取りは重く、遅い。
ただ僕はそれを見つめていることしか出来なかった。
「ふむ、どうやらここは私の幼少期過ごした路地裏に酷似しているようだ。」
「……この壁に薄汚い、鮮やかさの欠片もない建物……懐かしいものだな。」
エンラスは壁を優しく撫で下ろした後、軽く拳をぶつけると思い出を噛み締めるように目を細めたかと思うと、目を見開いた
「この道を辿れば、確か…我が師匠のアトリエの扉が見つかるはず…」
そうエンラスは独り言を残し、希望を見つけた子供のように走り出した。
しかし、空間にトランポリンのように跳ね返され、またまた地面に吹っ飛ばされた。最早エンラスは笑顔だった。
「あっは!……不愉快…!不愉快だ!」
「ここから出られない気さえしてきたな…はあ…」
エンラスが表立って現れてきた苛立ちと諦観が混ざり合った声で嘆く。
ただオルガンの音色は明るい。雰囲気を合わせる気などさらさらないような、陽気な旋律を奏で続ける。
『居たぞ!お前ら!走れ!!』
どこから黒雲会の声が聞こえ、それは目の前まで迫っていた。
そして、瞬きする間に倒れていたエンラスと黒雲会4人が視界から消えた。
「…アトリエでは無いので鑑賞会は開けないが……今は少々機嫌が悪いのでね…君達の体で我が傑作の苦痛を味わってもらおう!」
瞬く間に集団が振り下ろされた斧の斬撃の旋律でただの血飛沫へと変貌した。
「はは…愉快愉快。やはり悪党の最期はこうでなくては。」
「生涯の最期に我が芸術を鑑賞できた事を光栄に思うがいい。」
そうエンラスが言い振り回していた異彩を放つ複数色の骨?のような何かで構成された巨大な斧を死体の塊へと刺した。
「傲慢な者たちの末路はいつも同じ。憎しみを持った誰かに背中を刺されて終わるのだよ」
そうエンラスはこちらに振り向き腕を広げながら高らかに言う。
…一番傲慢なのはアンタじゃないかな
「……とは言っても、出る方法がないのだよ!!」
「私のここに居た時の過去でも話せば出られないだろうか…」
この世で一番傲慢であろうマエストロは一人で騒がしくなってきていた。
「私がここに居た時は孤児であったな。ネームタグが手首につけられていてね…そこに"エンラス・ハルディノート"と書いてあったのだよ」
「そうそう、彼が付けているように……え?」
驚きを隠せないエンラスの足元に、手首にネームタグを付け…薄汚れた白髪に美しく煌めく翡翠色の眼をした、小さな子供がいた。
音楽が止まる。その子供がこの世界に誤って現れた存在であることを示唆しているような、そんな気さえした。
『おにぃさん、だーれ?』
そう子供は問い掛ける
しかし、まともな返答さえできないまま、鐘の音と共に風景が変わる…
そこは白基調の美術館?…エンラスのアトリエに非常に似ている…なんなら、エンラスのアトリエそのものである気さえした。
だが、流れる音楽は例のオルガンの音ではなく、ただのピアノであるようだった。
「ここは……私が館長になる前のアトリエであるな。」
エンラスは辺りを見回しながら、ゆっくりと歩き出した
どこからか、小走りの音が聞こえる、
エンラスは咄嗟に作品の台座へ身を隠した。
小走りでやって来たのは、翡翠色の眼をした青年だった。
『カリスト君…!!来てくれないだろうか…!!」
青年は汗を煌めかせ、白く美しい髪をかき上げながら細い喉を振り絞ったような声で、僕が初めて聞く名を呼ぶ。
カリスト…?誰だろう。
『エンラス?どうしたのですか?』
展示物を遠くから眺望するかのように見渡していた、長身の男がゆっくりと青少年に近づく。
『やっとマエストロ様の出した問題が解けたのだよ…』
青年は達成感を全身で現して言う。礼儀も
『おや、奇遇ですね。私も丁度解けたところだったのですよ』
『同じ答えを出しているかもしれませんし、同時に言いましょうか』
長身の男……カリスト?も胸に手を当て期待に溢れた表情で言う。
カリストは一度手を叩いた
『『視界に映るものから本質を見出すこと』』
言い終えた二人はお互いの目を見て祝福のように笑い合った。
『まさか本当に同じであるとは…』
翡翠色の眼を細め、静かに笑う一人。
『面白いものですね』
気恥ずかしさか、スカーフで口元を覆う一人。
『忘れぬうちにマエストロ様の所に行きましょうか』
スカーフで口元を隠した男が言うと、少し見慣れている気さえする青年はその隣に並び足並みを揃える。そして部屋の奥へと消えていった。
「ふう…懐かしい青くさい時代であるな。」
「カリスト君……元気にしているであろうか。」
エンラスは目を閉じて懐かしむ。自身の青春を思い返す。
「カリストって…誰なんですか?」
僕は悩みこんでいるエンラスに問い掛けた。
「カリスト…私の同期…いや…ちょっと歳上であるな……私の同期にして身体派のマエストロである。現在は…まあ、色々あるのだが…マエストロと言うことにした方が都合が良いな。」
「十年以上前“蜘蛛の巣プロジェクト"なる物に彼が参加させられたが故…顔を見る回数が減ってしまったが…私と彼は…それなりに仲が良いのではないかな…」
エンラスは迷いや小さな悲しみを言葉に含ませながら語る。
エンラスの口数が増えている辺り、感情の整理が追いついていないみたいだ。…"カリスト"は相当大切な人みたい。
「はあ、私としたことが、変に語ってしまったな。」
エンラスが片眼鏡を取り外し、片目鏡を付けていた眼を瞑ったまま拭き始めた。
『エンラス?』
見慣れない、明らかに異色の男…今のエンラスに似た威圧感を持った者が近づいて来た
「……コンファー様?」
エンラスはそう呟いた。閉じていた片目を開きかけ、結局即座に閉じた。
『やはりエンラスみたいだね!……三重の螺旋…似合っているじゃないか!ははっ!君に此処を託して正解だったよ!』
"コンファー"そう呼ばれた男は、明らかに未来を知っているように話した。僕にさえ分かる違和感。ただ過去にいた人間ではない。
「…偽物。」
エンラスはそう呟き…
斧の柄に手を掛け…音が消えたその瞬間、"コンファー"と呼ばれた男の首は、刎ねられていた。
「…我が恩師の姿を模倣すれば騙せるとでも?…はあ、舐められたものであるな。」
「コンファー様は私をエンラスとは呼ばないのだよ…」
エンラスが憎しみを詰めた声で呟いた。その目線の先には、明らかに人間ならざる者に変化しつつある"何か"が居た。
「なーんーでー見破っちゃうかなぁ!!!!!!」
「はあ、面白くないよねー。一回くらい騙されてよ!お父さんんん!!」
「黙りたまえ。これ以上誰かの模倣をするでない。不愉快だ。」
「…既に私は其方を嫌悪してはいるが…我が傑作の素晴らしさは見せるべきであろう。一流の芸術家として、私情を作品展示に持ち込むのは良い判断とは言えないからな。」
エンラスは一瞬目に迷いを見せたが…冷静に斧をその場で一振りすると、斧は禍々しい赤黒い稲妻を纏いながら変形し…
大剣へと変貌してゆく。
「我が傑作たる表像。普段は巨大の斧のように見えるであろうが、血を浴び続けるとこの作品は血鬼のように活力を得て大剣へと変貌する。」
「化け物とはいえ其方にも知性はあるであろう…?この表像。どうであろうか?」
自信満々なエンラスの問いに、"何か"は答える代わりにしエンラスを刺し殺そうと目にも止まらぬ速さで触手を伸ばした。
「私の考えが間違いであったようだ。失敬失敬。」
触手は届くことはなく、その剣によって紙のように斬り落とされた。
「其方に観客としての価値があるなどと考えた私が馬鹿であった。」
「ふぅ…其方のような招かざる客には速やかな退館を願おうか!」
エンラスは、翡翠色の眼を輝かせ、剣を逆手に握り直した。
更新遅くてごめん。