Muv-Luv OPERATION:LAST KISS 作:ババンババンバン
損傷した艦隊の修理・改修に必要なソルモナジウムの採掘が一定量へ達したため、艦隊オーバーホール実施を目的として、採掘施設維持用の一部部隊および非戦闘員を現地へ残留させた上で、本隊を地球圏へ降下させる方針が、提督への報告後正式に決定された。
長期間に渡る宇宙航行によって、乗員たちの間にも少なからず閉塞感が広がり始めている。
変わり映えのしない黒い宇宙を眺め続ける日々にも、そろそろ限界を感じているのだろう。
...かくいう私自身も、久しく見ていない地球の青い空を少し楽しみにしている。
AD.2004.01.20
【日本帝国/横浜基地・討伐艦隊側臨時指揮所】
ジェイドはイングラハムからの報告を受け、渋い表情を浮かべていた。
佐渡島に対し、事前通告も無いまま三発ものG弾を投下したアメリカ合衆国へ、日本政府は強い態度で抗議を行ったものの、アメリカ側からは現在に至るまで正式な回答どころか、目立った反応すら返されていないという。
そればかりか、日本や国連を含む各国が現地へ駐在させていた外交官とも連絡が途絶しており、加えてアメリカから輸入されていた各種資材・工業部品・軍需物資の流通も急激に停止したことで、これまでアメリカの生産力と補給網へ大きく依存していた国々の戦線は、辛うじて維持されていると言っていいほど逼迫した状況へ追い込まれているらしかった。
「あまりにも不自然だな」
「G弾投下後に情報封鎖を行うだけならまだ理解できる。だが、外交回線まで遮断し、輸出入すら止める理由が見えん」
イングラハムも険しい表情で頷いた。
「はい。現時点では政変・軍部暴走・BETA侵攻・大規模内乱など複数の可能性が推測されていますが、確定情報はありません」
「各国の政府も偵察衛星や傍受網を使って情報収集を行っているようですが、アメリカ本土周辺だけ異常なレベルで情報が遮断されているそうです」
「意図的に閉じている....か」
ジェイドは腕を組み、静かに考え込む。
もし本当にアメリカが機能不全へ陥っているのなら、その影響は一国で済む話ではない。
この世界の人類圏は、既に長年のBETA戦争で疲弊し切っている。
そこへ最大級の工業国家が沈黙すれば、前線維持そのものが崩壊しかねなかった。
「補給不足による戦線崩壊は、伝染病のように広がるぞ」
「弾薬不足で防衛線が一つ崩れれば、その穴を埋めるために別戦線から戦力を引き抜くことになる」
「...最悪、人類圏全体が連鎖的に瓦解する可能性すらある」
BETA戦争とは、そういう戦争だ。
一度崩れ始めれば、国家など驚くほど脆い。
「ただ、各国では既に“最悪の事態”を想定した動きが始まっています」
「備蓄物資の再確認、沿岸防衛戦力の再配置、そして対米依存率の高い補給網の切り離し準備も進行中とのことです」
「ほう、早いな」
「この世界の国々は"崩壊"に慣れ過ぎてしまった影響かもしれません」
BETA戦争によって、人類は既に何度も国家単位の崩壊を経験している。
だからこそ、この世界の人類は異常なほど“次の崩壊”への反応が早い。
「戦争が文明そのものを変えてしまったのだな」
「はい。そして今は、そこへ私たちまで加わった」
イングラハムは苦笑混じりに続ける。
「まだ我々艦隊のことを良く知らない各国上層部は“戦後の勢力図”を嫌でも意識し始めます」
「特に討伐艦隊の技術力は、この世界にとって劇薬ですから」
「分かっている」
「だからこそ、こちらも立ち回りを誤るわけにはいかんな」
ジェイドたち討伐艦隊がこの世界に転移してから日は浅い。
近々、完全な連携の為に討伐艦隊がどの様な存在であるかを改めて周知せねばなるまい────ジェイドはそう考えた。
「──それと、戦力面についてですが、こちらは良い報告があります」
重苦しい空気を切り替えるように、イングラハムが新たな資料を表示する。
「ほう、なんだね?」
ジェイドが視線を向けると、イングラハムは僅かに表情を和らげた。
「宇宙側へ残していた討伐艦隊本隊より連絡が入りました。艦隊修理および改修に必要なソルモナジウムの採掘が、想定以上の速度で進んでいるとのことです」
「現在の採掘量であれば、全艦隊規模の本格修復も十分可能だと」
その報告に、ジェイドの表情も僅かに明るくなる。
「おお、それは確かに朗報だ」
損傷した艦隊が完全修復されれば、討伐艦隊は本来の戦闘能力を取り戻す。
そして、それはすなわち――この世界の戦場そのものを書き換えるほどの火力が復活するという意味でもあった。
さらには、ハイヴそのものを地表構造ごと焼き払う大規模殲滅攻撃すら現実的になる。
BETAにとって、“数”は最大の武器だ。
だが、討伐艦隊の火力は、その数ごと戦場を消し飛ばすために存在している。
「つきましては、クライアント中尉より報告です。現在建設中の小型採掘コロニーへ採掘要員と一部戦闘員、並びに非戦闘員を残留させた上で、本隊は地球圏へ降下したいとの申請が届いています」
「許可する。この報告終了後、直ちにクライアント中尉へ通達しろ」
「本隊は地球降下準備へ移行。各艦には機関・航行系統の最終点検を徹底させるように」
「了解しました」
いよいよ、討伐艦隊本隊が地球へ降下する。
それは、この世界の戦局そのものを大きく変える一手になるはずだ。
◇◇
AD.2004.01.22
【日本帝国/横浜基地・訓練施設内】
「くそっ! 出力が段違いだ!」
「狙いが定まったと思ったら、その瞬間にはもう消えてるよ!」
「すっごい速いね~...長刀が全然かすりもしないよ」
瓦礫と炎に埋もれた崩壊市街地の中で、吹雪に乗る武、珠瀬、そして鎧衣は互いの背を預け合うように陣形を組みながら、見えない脅威にじわじわと追い詰められていた。
敵影は高層ビルの残骸や崩れた高架の陰を縫うように超高速で駆け抜け、視界へ捉えたと思った次の瞬間には既に別地点へ移動しており、銃口を向ける暇どころか、刀の間合いへ引き込むことすら許されない。
時折、視界の端を黒い影が横切る。
その度にセンサーが警告を鳴らし、瓦礫が弾け飛び、どこからともなく鋭い衝撃だけが襲い掛かってくる。
「右っ!」
武が叫んだ直後、珠瀬の頭上を何かが掠め、背後のビル外壁が紙のように切り裂かれた。
「ひぅっ!?」
珠瀬が短い悲鳴を漏らしながら、崩れ落ちてくるビル外壁の直撃を避けるため咄嗟に跳躍する。
だが、その僅かな回避行動によって生まれた隙を、“それ”は見逃さなかった。
砕け散る瓦礫の煙幕へ紛れるように黒い影が滑り込み、次の瞬間には珠瀬機の眼前へ到達すると、凄まじい速度のまま腕を振り下ろした。
金属が裂ける耳障りな破砕音。
珠瀬機は上半身ごと両断され、火花と破片を撒き散らしながら崩れ落ちる。
《3番機、コクピット及び推力機関大破。ロストしました》
無機質なシステム音声が、網膜ディスプレイ越しに武と鎧衣へ現実を突き付けた。
「っ...!」
武が息を呑むが、その動揺すら許されない。
化け物は切断した珠瀬機の残骸を片腕で軽々と掴み上げると、それを即席の盾代わりにしながら鎧衣機へ高速接近を開始した。
鎧衣は叫ぶと同時にサブアームへ装着された三六ミリ突撃砲二門を発射し、弾幕によって敵の足を止めようとする。
『!』
化け物は直撃こそ回避したものの、至近距離で炸裂した砲撃によって一瞬だけ体勢を崩した。
「タケルっ!」
「応ッ!」
鎧衣の叫びへ反応し、武は長刀を抜刀したまま跳躍する。
今しかない。
そう確信し、体勢を崩した敵へ渾身の一撃を叩き込もうとした――その瞬間。
化け物は盾代わりにしていた珠瀬機の残骸を、信じられない速度で武機へ投擲した。
「マジかっ!?」
回避は間に合わない。
数十トン級の残骸が砲弾のような速度で激突し、武機のコクピットブロックを正面から粉砕する。
衝撃と共に視界が真っ黒に染まった。
「うそっ────」
呆気に取られていた鎧衣機へ、今度は化け物自身が肉薄する。
《脅威検知、自動回避へ移行》
戦術機のAIがあらかじめプログラミングされた回避行動に移行するが、機体制御の為に一瞬硬直する。
次の瞬間、振り抜かれた手刀が装甲ごとコクピットを貫通し、機体内部から大量の火花と血飛沫が噴き上がった。
《1番機、2番機、コクピット大破。ロストしました》
《戦闘シミュレーションを終了いたします》
凄惨な戦場の光景がノイズ混じりのホログラムへと変わり、崩壊した市街地も、燃え盛る残骸も、仲間の機体が破壊される瞬間さえも粒子状に分解されながら静かに消えていく。
やがて視界に残ったのは、何の映像も映していない無機質なモニター群と、自身たちを囲むシミュレーターポッドの冷たい内壁だけだった。
全身へまとわり付くような疲労感で、誰もすぐには言葉を発せなかった。
そんな重苦しい空気をぶち壊すように、通信スピーカー越しに聞き慣れた声が響く。
『散々な結果ねぇ~』
疲弊し切った彼らの耳へ届いたのは、同情の欠片もない、妙に楽しげな煽り声だった。
「うっ...」
武はシートへ深く身体を預けたまま、額へ浮かんだ汗を乱暴に拭う。
心臓は未だ激しく脈打ち、珠瀬機が真っ二つにされた瞬間の映像が脳裏へ焼き付いて離れない。
「いやいやいや...無理でしょアレ...」
鎧衣も珍しく顔を引き攣らせながら、ぐったりとコンソールへ突っ伏した。
「速過ぎるよぉ...!」
珠瀬に至っては半泣きだった。
すると、観測モニター側の隔壁が開き、腕を組んだ夕呼がいかにも愉快そうな顔で姿を現す。
「でも実戦なら、今ので全員まとめてミンチよ?」
「...まあ、収穫自体はあったわ」
夕呼は表示された戦闘ログを眺めながら、興味深そうに目を細める。
「やっぱり既存戦術機とは性能差が段違いね。一回り二回りどころじゃない...下手すれば、あらゆる面で世代そのものが違う」
モニターへ映し出される加速データ、機動軌道、瞬間出力。
どれもが現在の戦術機では到底到達不可能な数値だった。
「“次元戦闘機”――とんでもない代物だわ」
先ほど武たちを一方的に蹂躙した“化け物”――その正体は、横浜基地防衛戦や流星作戦で活躍した、人型戦闘形態への可変機構を備えた次元戦闘機、《TL-2AT パトロクロス》であった。
本来は宇宙空間における高機動戦闘を前提として設計された機体であり、その機動性能と出力は、現行戦術機とは比較すること自体が間違いと言えるほど隔絶している。
「...アレ相手に白兵戦やれって、だいぶ無茶じゃないですか?」
「データの為よ。それに勝ちたかったら死ぬ気でやりなさい」
「死ぬ気でっていうか、実際死んだんですけど!?」
「模擬戦で済んでるだけありがたいと思いなさい」
さらりと言い放つ夕呼の背後で、自動扉が静かに開いた。
そこへ現れたのは、模擬戦の張本人――ハンドレットだった。
あれほど暴れ回った直後にもかかわらず、その表情には疲労の色すら無い。
汗一つかいていない平然とした様子のまま、ハンドレットは武たちをじっと見つめ――
「ワタシノ、カチ」
どこか得意げな表情を浮かべながら、勝利宣言と共にこちらへピースサインを突き付けてきた。
「っ~~~~!」
武のこめかみに青筋が浮かぶ。
つい数分前まで自分たちを一方的に叩き潰していた張本人が、まるでゲームに勝った子供のような顔をしているのだ。
「あ、あの野郎ォ...!」
悔しさ半分、理不尽さ半分の声がシミュレータールームへ響いた。
「でも博士、なんでわざわざ戦術機で次元戦闘機と戦わせたんですか?」
鎧衣が不満げな顔のまま問い掛ける。
「これから作るからよ」
「...は?」
「次元戦闘機の技術を取り入れた、新型戦術機」
その一言で、シミュレータールームの空気が変わった。
武たちが目を見開く中、夕呼は淡々と続ける。
「討伐艦隊側の技術全部を再現するのは、今の地球側工業力じゃまず不可能。でも、機動制御技術や推進機関理論、一部の姿勢制御技術くらいなら応用できる可能性があるわ」
モニターには、パトロクロスの高機動データと現行戦術機の挙動比較が次々と表示されていく。
「ただ問題は、“どれくらい差があるのか”を開発側だけ理解してても意味がないってこと」
夕呼は武たちへ視線を向けた。
「実際に乗る衛士側にも、“今の戦術機と何が違うのか”“どこが人間の限界を超えてるのか”を感覚として理解させる必要があるのよ」
「だから、実際にボコボコにされたってわけですか...」
「そ」
あっさり肯定された。
「次元戦闘機の挙動は、従来戦術機の常識で操縦すると確実に事故るわ。下手すれば機体性能に身体が振り回されて、そのまま自壊コースね」
軽く言っているが、内容はかなり危険だった。
「だから先に“性能差”を叩き込む必要があったの」
夕呼はニヤリと笑う。
「まあ安心しなさい。もし完成すれば、BETA相手の戦場が一変するレベルの化け物になるわよ」
「その為にもほら、もっとハンドレットにボコボコにされちゃいなさいよ」
「次はもう少しだけ“手加減”するよう、ハンドレットには言っといてあげるから」
「少しでも勝てる気がしませぇん...」
皆は同時に遠い目をした。
◇◇
AD.2004.01.22
【日本帝国/横浜基地・夕呼の執務室】
「先生、ちょっと、お願いしたいことが...」
「何?まだデータ取りしたいだなんてあんたも気が利くわね~」
「いや違いますよ!戦術機についてなんですが────」
「へぇ...先行入力にキャンセル、そしてコンボとはね」
夕呼は興味深そうに腕を組みながら、武の作成したXM3の概念図へ視線を落とす。
「はい。ハンドレットとの戦闘を見てて思いついたんです。これが出来れば、もっと柔軟な機動戦闘ができるはずです」
武は熱を帯びた声で説明を続けた。
「まず、状況変化に応じて入力済みの動作を瞬時に取り消す《キャンセル》」
「次に、簡略コマンド入力によって、頻繁に使う連続動作を再現する《コンボ》」
「そして、ある動作を実行している最中に次の操作を入力しておく《先行入力》です」
夕呼は顎へ手を当てながら、小さく頷いた。
「つまり――操作系統の簡略化と、機動制御のパターン化ってことね」
「はい」
だが次の瞬間、夕呼の口調が研究者らしい鋭さを帯びる。
「でも、それが戦術機側のCPUへどれだけの並列処理能力を要求するか、理解してるかしら?」
武の表情が固まった。
夕呼はそのまま現行OSの負荷データを表示する。
「今の戦術機にこんなOS積んだら、処理が追いつかずにエラー吐きまくってフリーズするわよ」
「うっ...」
「先行入力だけならまだしも、リアルタイムの入力予測、姿勢制御補助、挙動キャンセル処理まで同時並行で走らせるのよ? 今のコンピューター性能じゃ荷が重すぎるわ」
武はなおも食い下がった。
「そ、それなら今より高性能なコンピューターを搭載するとか...」
「今積んでる時点で最高クラスよ」
夕呼は即答する。
「これ以上になると、今度はサイズ、発熱、電力消費の問題が出るわね」
「...討伐艦隊から貰うっていうのは?」
その瞬間、夕呼は呆れたように深々と溜息を吐いた。
「馬鹿ね。いきなり『そちらの最新型コンピューターください』なんて言って、『はいどうぞ』ってなるわけないでしょ」
「向こうだって軍隊なのよ? しかも、あの連中にとっても主力艦隊の中枢技術でしょうし」
「ぐっ...ですよねぇ...」
武が肩を落とす。
だが夕呼は、そこで意味深に口角を吊り上げた。
「まあ、“無い”わけでもないわよ。使えそうなコンピューター」
「はぁ...無いとなると...って」
武の動きが止まる。
「へぇっ!? あるんですか!?」
「ええ、丁度ね。ある研究で作られた試作品よ」
さらりと言ってのける夕呼に、武は思わず身を乗り出した。
「じゃ、じゃあなんでそれを今の戦術機に搭載しなかったんですか!?」
「アタシの専門って、もっとマクロな分野なのよ」
夕呼は面倒臭そうに肩を竦める。
「それに、今まで“戦術機の操作性そのものを根本から変えよう”なんて発想する奴もいなかったし、不満を言って来るやつもいなかったの」
「(いや、不満くらいは絶対言われてると思うんだけどなぁ...)」
武は心の中だけで小さく突っ込んだ。
「ともかく、そのコンピューターを積めば、あんたの考えたOSも問題なく動作すると思うわ」
「できるんですかっ!? 出来るならお願いしますっ!!」
武は勢いよく身を乗り出した。
夕呼はそんな様子を見て、呆れ半分に肩を竦める。
「いいわよ。丁度気分転換になるし、やってあげる」
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる武。
「ただし、データ取りは全部あんたでやるから、今まで以上に戦術機を飛ばすことになるわよ?」
「大丈夫っす! 俺で良ければ!」
その反応に、夕呼は半ば呆れたように溜息を吐く。
「はいはい、やる気があって結構。それじゃ、作業に移るからさっさと出てって頂戴」
「はい! 先生、お願いしますよ!」
武は満面の笑みを浮かべると、そのまま勢いよく部屋を飛び出していった。
バタン、と扉が閉まる。
騒がしかった室内に静寂が戻ると、夕呼は小さく息を吐き、椅子へ深く腰を預けた。
「...ったく」
やがて彼女は机の引き出しを開き、一冊の分厚い機密書類を取り出した。
《オルタネイティヴ4》
かつて香月夕呼が到達できなかった理想であり、同時に、彼女の心へ深く焼き付いた挫折の象徴でもあった。
未だその未練を断ち切れず、オルタネイティヴ5による宇宙移民計画への参加すら拒絶するほどに、その計画は夕呼へ暗い影を落とし続けている。
未だ突破口の見えない計画...その資料へ視線を落としたまま、夕呼は疲れたように目を細めた。
「はぁ...」
「あんたも、何か進展があればいいんだけどね...」
ぽつりと、小さな呟きが零れる。
◇◇
AD.2004.01.23
【日本帝国/横浜基地・ハンガー】
薄暗い格納庫の片隅。
訓練以外特にやる事もなかったハンドレットはここへ暇つぶしに来ていた。
整備用ラックへ座ったハンドレットは、ぶらぶらと足を揺らしながら、無言で作業中の整備員たちを眺めていた。
時折、興味を引かれた工具や部品へ視線を向けては、「オオー」と小さく声を漏らしている。
そんな彼女の背後で、控えめな足音が止まった。
「ン」
ハンドレットが振り返ると、そこには社霞が立っていた。
いつもの無表情だが、その瞳だけはじっとハンドレットを見つめている。
数秒に渡る沈黙。
通りすがる整備員たちも「なんだこれ」という顔で二人を見守っていた。
「アー...ダレ?」
片言混じりの問い掛けに、霞は小さく瞬きをしてから静かに答える。
「...社霞です」
「...カスミ!」
ハンドレットの表情がぱっと明るくなる。
そして、自分を指差した。
「ワタシ、ハンドレット!」
そう言って差し出された手を、霞は少し迷ってからそっと握り返した。
小さな手同士。
その様子を見ていた整備員の一人が、思わず「なんか小動物みたいだな...」と呟き、隣の整備員に肘で小突かれている。
「...何をしているんですか?」
どうやらハンドレットのことが気になったらしい霞は、自ら格納庫の隅までやって来ていた。
その視線が、ハンドレットの足元へ向けられる。
そこには、整備員から没収したらしい壊れた工具や不要になった金属片、配線用の紐などが雑多に転がっていた。
「アソビ!」
「遊び...」
ハンドレットは得意げに答えると、紐を手に取って何かを作ろうとし始める。
しかし数秒後。
「...アレ?」
数秒後には、紐がぐちゃぐちゃに絡まってしまい、完全に結び目になる。
「...」
「...」
短い沈黙の後、霞は無言のまましゃがみ込むと、その紐を器用な手付きでするすると解き始めた。
ハンドレットが目を丸くする。
「オオー...」
「...こうすると、解けます」
霞は淡々と説明しながら、解いた紐をそのまま指へ掛け、小さな輪を作っていく。
その滑らかな動きに、ハンドレットの視線は完全に釘付けになっていた。
「...アヤトリ?」
「知ってるんですか?」
「チョット!」
ハンドレットは勢いよく頷く。
だが、実際にやらせてみると、指へ紐が引っ掛かって一瞬でぐちゃぐちゃになった。
「ムズカシイ!」
「...貸してください」
霞はハンドレットの手へそっと触れ、一本ずつ指の位置を直していく。
「ここを、こうして...」
「オオー...!」
やがて、二人の間へ小さな糸の橋が出来上がった。
「デキタ!」
ハンドレットが嬉しそうに声を上げ、その様子を見つめていた霞もまた、ほんの僅かに表情を緩めていた。
そんな穏やかな空気の中、不意にコツ、コツ、と革靴の足音が格納庫へ響く。
二人が視線を向けると、そこには黒いコートへ身を包んだ左近が立っていた。
相変わらずの胡散臭い笑顔である。
「やぁ、お嬢さんたち」
左近は芝居がかった仕草で軽く会釈すると、にこやかなまま口を開いた。
「君たちの保護者であらせられる香月博士がどこにいるか、知らないかなぁ?」
「...」
「...」
霞とハンドレットは揃ってじーっと左近を見る。
その視線にも全く動じず、左近は一人で勝手に喋り続けた。
「いやぁね、最近なんだか愉快そうなチームを結成したって話を聞いてねぇ」
「てっきり、その作業か何かでハンガーに居るのかな~なんて思っていたんだけど...どうやら勘違いだったみたいだ!」
左近は大袈裟に肩を竦める。
ハンドレットは左近をじっと見つめた後、ぽつりと呟いた。
「...アヤシイ」
「おやおや、その反応は酷いなぁ」
左近は二人の近くへしゃがみ込むと、声量を僅かに落として囁いた。
「...もし香月博士を見掛けたら、この封筒を渡しておいてくれないかな?」
霞が小さく瞬きをする。
「...封筒?」
「そう、封筒。大事な情報がはいっているから、無くさないようにね~」
「それじゃあ、僕は忙しいのでこれにて」
左近は軽く手を振ると、まるで誰かと入れ違いになるタイミングを見計らっていたかのように、そのまま格納庫の奥へと姿を消していった。
「あら、部屋に居ないと思ったらこんなところにいたのね」
聞き慣れた声と共に現れたのは、白衣姿の香月夕呼だった。
「コウヅキ!」
ハンドレットがぱっと表情を明るくする。
だが夕呼は呆れたように眉をひそめた。
「博士か"さん"を付けないさいよ」
「ハカセサン!」
「よろしい」
「で、何してるの?」
「...交流です」
「へぇ、交流ねぇ」
夕呼はどこか面白そうに口元を吊り上げながら、仲良く並んで座る二人を眺めていた。
片やESP能力者。
片や決戦兵器の部品。
普通ならまず接点など生まれない組み合わせだった。
だが当の本人たちは、そんな事情など気にした様子もなく、黙々とあやとりを続けている。
「...意外と気が合うみたいじゃない」
「...そういえば」
「ん?」
「さっき、左近さんが来ました」
夕呼の眉が僅かに動く。
「アイツが?」
「....博士にこれを渡してくれ、と」
霞はそう言って、先ほど受け取った茶封筒を夕呼へ差し出した。
夕呼は怪訝そうな表情のまま封筒を受け取り、その差出人欄も何も書かれていない無地の表面をじっと見つめる。
「...嫌な予感しかしないんだけど」
夕呼は嫌そうに眉をひそめながら、受け取った茶封筒の封を切る。
中へ入っていたのは、数枚の写真と簡素に纏められた報告書だった。
報告書には、短くこう記されていた。
《アメリカ合衆国内において大規模武装衝突を確認。現在、事実上の内戦状態へ移行した可能性大》
《鉄原ハイヴ周辺におけるBETA異常増殖の報告。統一中華戦線、鉄原ハイヴ攻略作戦を正式決定。決行予定時期、一か月後》
「はぁ...」
夕呼は深々と溜息を吐くと、頭痛を堪えるように資料を片手で額へ押し当てた。
アメリカの内戦に、鉄原ハイヴ攻略。
世界は今、崩壊の速度を上げ始めていた。
この小説を読んでいただき、本当にありがとうございます。
大きな危機を乗り越えたと思った矢先、次々と新たな問題が降り掛かる...。
果たして彼らは、この絶望的な状況をどう切り抜けていくのか(作者自身も、上手く書き切れるよう頑張ります...)
もし、
・「ここの設定は原作と違う」
・「この描写は少し不自然かもしれない」
・「誤字脱字がある」
など、お気付きの点がありましたら、ぜひ遠慮なく教えていただけると嬉しいです。
感想やご指摘をいただけるだけでも、とても励みになります。