『ヤオヨロ〜〜っ!! みんなは今日もツクヨミの夜を楽しんだかな〜〜? ヤッチョはと〜〜〜〜っても楽しかったよ⭐︎』
溜め長っ。いやテンション高いな。
ある種の伝説ともなった、かぐやの卒業ライブからおよそ三年の月日が流れたある日。
相変わらず大勢のユーザーで賑わうツクヨミの夜空に、定例イベントのミニライブ後に運営管理人かつ電子の歌姫であるヤチヨから唐突なお知らせが舞った。
『さてさてそいではそんなみんなに重大告知〜〜!!』
ででん、と巨大なウインドウがヤチヨの背後に浮かび、運営からのメッセージを映し流す。極彩色の背景にカチカチゴシックフォント。数世代前のお役所しぐさか?と見紛うクオリティのそれはセンスに賛否はあれど視認性は抜群である。
『今日からきっかりぱっちり1週間後! ツクヨミはアップデートのためにオフラインメンテナンスを行うよ〜〜! 期間は48時間を予定!
ちょ〜っと長いけど⭐︎ そのぶん絶対ぜったいみんな喜ぶから、楽しみにしててね〜!!』
同時にツクヨミ中のありとあらゆる場所に突如ポップアップしたウインドウから一斉に同様の告知が流れ始める。
「48時間!?長くね?」
「ツクヨミって普段オンメンテだよな……オフラインでも一晩とかだろ?」
「てかアプデの内容一切ないんだけど」
「帝さまに二日も会えないの!?」
お知らせを目にした、あるいは耳にしたユーザーの多くが立ち止まり驚愕と困惑を湛えたままに推測を交える。配信のコメント欄も阿鼻叫喚だ。というか人気あるな、お兄ちゃん。二日間だけなのに。うーむ、恐るべし黒鬼。
でもまぁ、昔の私がヤチヨに二日間会えないってなったら同じようになるかも。ごめんなさい、見知らぬファンの方。
通常、オンラインコンテンツの長時間メンテナンスというものはほぼ深夜や平日の昼間などユーザーのアクティブな時間帯を避けて行われる。コンテンツに触れられない時間というものは想像以上にユーザーのストレスを誘発し、思わぬ事態へと発展しかねないから。垢削除とか。
それはいかに世界最大規模のユーザー数を誇るツクヨミといえど例外ではない。その点を鑑みれば今回のヤチヨの告知は運営側の一般的な常識をぶち破った行為。が、しかしそんなことは知ったことではないのか伝えたいことだけ伝え切るとヤチヨは普段と同じか、むしろノリノリで場を立ち去る。
『そいではさらばいららば〜〜い!!⭐︎』
私は一連のその騒動を、研究資料を整理しながらテーブルに置かれたタブレットから眺める。時刻は夜9時を過ぎたところ。すでに夕飯も済ませて今日のタスクは完了。ちょっと早いけど、ここしばらくキツキツだったから少し早めに上がってもいいだろう。
『さあさあ一体何が起こるのか!? 誓って言いますが我らNEWS TSUKUYOMIメンバーにも一切の情報が伝わっていません!これはただ事ではなさそうだぁー!!』
一方タブレットの中では実況ライバーかつ半公式の広報担当でもある忠犬オタ公さんが締めくくり、多くのユーザーがああでもないこうでもないと雑談をしながらログアウトしていく。ていうか変わらないなぁオタ公さん。何気に謎の多い人だ。
さて、そんなツクヨミの騒動を冷静に眺めていられるのは別に興味がないとか熱が醒めたとかそんなわけではなく、むしろ以前よりも熱中しているくらいなんだけど! 本当はミニライブだけでも現地鑑賞したかったけど……!!
まあ、うん、件のアプデの当事者というか、責任者というか、そんなポジションになってしまったわけで。
そんな私が素知らぬ顔で混ざってるのもどうかなぁっていうのと、もう一つは──
「おつかれさま、ヤチヨ」
虚空に向けて呟く。
『彩葉もお疲れ様!!』
私一人しかいないはずの空間に響く、つい先ほどまで配信から聞こえていたヤチヨの声。配信用に調整された広域音源よりもクリアな声。
タブレットに目を向けると、そこには配信終了後の余韻が残る雑談窓とは別にポップしたウインドウからヤチヨが手を振っていた。
──ヤチヨが会いに来てくれるからだ。
昔から何一つ変わらない、私の大好きで大切な彼女が自分ただ一人に向けて笑顔を向けてくれる。その事実に口角がだらしなくなるのを誤魔化すように話題を振る。
「すごい騒ぎだったね。でも48時間も本当に必要なの? ヤチヨならぱぱって出来そうだけど」
悲嘆に暮れるユーザーの姿を見ると若干の罪悪感がもたれかかる。いや、そこまで悲しむ?っていう気持ちもあるので割合は5:2くらいだけど。残り3はびっくりさせてやろうってイタズラ心。不誠実だねこりゃ。
でも誤魔化しながらも疑問は本当。なにせ他人のアバター衣装もライブ演出も指先一つで魔法のようにリアルタイムで変えてしまうヤチヨだ。いかに大規模アプデといえど48時間もかかるとは思えなかった。
『そりゃ〜〜ヤッチョの手にかかればお茶の子さいさいチョチョイのチョイ! でもそこはほらアリバイ工作といいますか』
「アリバイ工作?」
やっぱり、さすがはヤチヨ。でもアリバイとは。なんぞ誤魔化さなければいけない事情なんてあったかな。
『そ。ヤッチョはなんでもできる万能天才スーパーAIライバーなのです! だけど、できすぎても困りなりけり〜』
どこのレオナルド・ダ・ヴィンチだ。でもできすぎて……ああ、なるほど。ヤチヨに迷惑をかけるなんて不届千万な輩も居たものだ。
「そういうことか……ヤチヨも大変だね」
『さすが彩葉! 話が早いね〜〜! まあそういうことで、対応爆速ターボでやりすぎちゃうとアレもやれコレもやれ今すぐやれってね〜〜』
「BANしちゃえばいいじゃん。おいたはダメだよ〜〜って」
『わあ彩葉ってば過激。ついでに刺されたのなんで??』
「あのときのヤチヨ、まさにラスボスって感じだったよね」
『まってヤチヨなんか悪いことした??』
「べつに〜? ただ困ってるなら相談して欲しかったなって」
口ぶりからして今までに実際にあったことなのだろう。私ならそんな輩は速攻でブロックしてやるのに。
『う〜ん彩葉は甘やかしたがり屋さんだねぇ』
当然でしょ。こちとらどれだけの借りがあると思ってんの。一生かけて返してやるつもりなんだから。
『でもいいの! これは運営管理人である私の責任だからね〜〜。それに時間が必要なのも本当!』
「本当? そっちで何か手伝えることある?」
私もツクヨミの基幹システムを直接弄るような権限は流石に持っていない。頼めばあっさり許可が降りそうな気もするけど、さすがにそこは一線を引くべき。古今東西、後から参加した人間が出しゃばるとロクなことにならないからね。
『いや〜〜これは彩葉にはちょっち荷が重いんじゃないかにゃ〜〜』
「またそうやってはぐらかす。いいから言って、じゃないと私──」
そっちに乗り込むから、と言おうとして、
『サーバーの増設⭐︎』
「それは本当にごめんなさい」
曲者である! であえであえ! とぶった斬られた。というか借りが増えた。これじゃ多重債務者じゃないのよ。ぐぇぇ。
▲▽▲▽▲
──ことは告知から遡ること四ヶ月前の初春。知る人ぞ知る、知らなくても今から知ればよろしい世紀の大天才(ヤチヨ談)、コンドミニアム型高級タワマン3LDK家賃35万酒寄彩葉宅にて起きた。
「味覚と食感の連動性、神経伝達のタイミング、ダイバーシティの構築……」
脳内でひとり人体の不思議展開催中。人間ってこんな難しいてかややこしい作りしてんの……!? いや、味覚があるのは動物も同じか。差別はよくない。私は平和主義だからね。ふぅ、脊椎動物ってこんなややこしい作りしてんの……!?
「────は」
「唾液の分泌量、舌感も考慮して……」
頭部だけで15種23個の骨、5種の筋肉、神経については数えるのも億劫なほど。アバターボディは人工義体だから同等の機能さえ担保できれば数にこだわる必要はない。それでも必要最低限なパーツはある。特に表情筋は完璧に再現しないと。かぐやのまさに百面相のごとくころころ変わる表情はあの子の絶対的な魅力の一つだ。
「──ろは」
「歯の材質は、エナメルと象牙? うぅ、そっちのツテはないのに……」
歯は上下2対で計28本。うへぇ、八重歯って改めて見るとなんかエグいな……ぱっと見かわいいけどデメリットがありすぎる。これは再検討案件。ていうか歯の1本からしてなんでこんな複雑な作りしてんの? なによエナメルって。カルシウムじゃないの。ああでもエナメルのがむしろ再現しやすいな。よし。とにかく一旦経過をまとめて──
「彩葉、聞いてる?」
──やっべ。
土曜日の夕刻。
無事高校を卒業し、それぞれの進路へと進んだ私たち3人。
だんだんと仲も疎遠となり、久しぶりの再会──なんてわけもなくフツーに週末には会うしなんなら月イチで真実が新規開拓したカフェで茶をしばいたり、新発売された化粧品のレビューを芦花から聞きながら互いに試し塗りしたりと仲睦まじく過ごしている。
そんないつもの週末、お約束のように馴染みのカフェテラスで新作の季節限定パンケーキと紅茶を美味しくいただいていたわけですけど。
「……ッあ、ごめん。考えごとしてた」
やらかしてしまった。春季休講を利用して研究を一気に進めようとしていたが、脳内リソースのシェアを思考に割き過ぎた。反省。
「彩葉ひどーい」
「研究、うまくいってないの?」
「ぐっ、その……」
流石に悪いことをした、と弁明しようとするが内容が内容だけにまた気遣わせてしまうと口籠もる。しかし真実と芦花の視線が物理的な圧力を伴って突き刺さる。それも咎めるわけでもない、純粋に心配する目線。そんな顔をされてはもとより防御力の低い私が耐えられるわけもなく。
「……はぁ、あーもーわかんな〜〜い!! 人体ってなんなの!!」
とうとう観念して表面張力限界ギリになったストレスをぶちまけた。周辺客の迷惑にならないように絶妙な力加減で叫ぶと、そのまま風船が萎むようにテーブルに突っ伏す。ソーサーに乗ったティーカップがカチャンと音を鳴らす。あー、ちょっとすっきり。これは無自覚にだいぶ溜まってたなぁ。うへぇ。
「彩葉にもわからないことってあるんだね」
「ねー」
「私をなんだと思ってるのお二人さんは」
テーブルに突っ伏した姿勢はそのままに恨めしげな目線のみを二人に向ける。真実がレアショットだ、と構えたスマホからシャッター音が聞こえる。突っ込む気力も吐き出してしまった。
「抱え込み型完璧超人」
「二宮金次郎」
「ぐっ……」
一刀両断×2。まさかの2回攻撃でK.O。2対1は卑怯なり。
高校時代にやらかし迷惑をかけた判例があったので反論することもできずにテーブルという名のリングに沈む。カンカンカン。判決有罪閉廷。ガベルがゴングを打ち鳴らす。器用だなレフェリー。
「お悩み相談室〜〜!さぁキリキリ吐きたまえ〜〜」
「それどちらかというと取調室じゃ……で、どうしたの?」
私は以前と変わらない二人の心遣いに優しさと申し訳なさを感じつつも、すでに吐き出した以上はヘタに隠しだてするのも逆に迷惑だと観念する。ええいこうなりゃヤケだ。カツ丼ならぬパンケーキを食べながら白状する。聞いてください刑事さん。
「……味覚の再現が出来なくて」
私の目指す到達点。生体義体であるアバターボディの開発。研究そのものは比較的順調である。前例がないから体感だけど。おそらくこのまま行けばあと5.6年もあれば実現の目処が立つだろう。
が、目処が立つと完成する、は全く意味合いが違う。マイホームで言えば上棟式と竣工式くらい違う。やはり技術的に大きなハードルが幾重にも立ちはだかる。
その一つであり、目下最優先課題でもあるのが味覚に関する研究であった。
「味の伝達、それ自体はそこまで難しいものじゃないんだけど……」
それ絶対難しいやつでしょ、と二人の目線が語る。あーあー聞こえなーい。
「……本当に大したことじゃないよ。先達の研究あってこそのものだし、現状どうしても中途半端になっちゃうから」
これは本当に本心からそう。研究というものはある日突然降って湧いた発想で出来るものではない。何百年、あるいは何千年にも渡る先人たちの知識の積み重ねという土台があって初めて成り立つ。門外漢の考えついた奇抜なアイデアがその専門分野で100回以上検討された結果とっくに破棄されたもの、というのはザラにある話だ。天才とは99の努力と1の閃きと言ったのは誰だったか。
「中途半端?」
「うん。美味しいって感じるって色々な要素の複合で、味覚以外に嗅覚、温かさとか冷たさ、他にも色々……とにかく、味だけを再現すればいいってものじゃないの」
おそらく、ヤチヨにパンケーキの味を伝えるだけならそう難しくない。むしろ技術的にはヤチヨ単独でできない方がおかしい。なにせツクヨミを作り上げたのは彼女だ。その技術力は推して知るべし。流石ヤチヨ。さすヤチ。
とにかく、一般的には糖度計を始めとした計測機器、医学的には人工舌などが実用化されていて、舌ガンなどで舌を切除した人への味覚・嚥下の補助として医療実績を積み重ねている。そのメカニズムを活用し、味覚センサーで得た数値をツクヨミ内に入力すればいいだけ。
が、しかし。しかしである。
それは果たして食事と呼べるだろうか?
たかがパンケーキ、されどパンケーキ。
もふもふなスポンジ、ふわふわなメレンゲ、つやつやなシロップ。仕上げにバターの香り。それら一切がないパンケーキなど、例え神が許そうと私が許さない。
「わかり〜〜歯応えや見た目って大事だもんねぇ」
我が意を得たりな親友。グルメインフルエンサーな真実はこのテの話になると途端に理解度が跳ね上がる。
「だから、中途半端。これはパンケーキの味だなってことは分かるけど、それだけ」
「フレーバーに近い考えで合ってるかな? 柑橘系の香水と実際のフルーツって全然別物だもんね」
芦花の言う通り。そう、「味わう」という行為はとにかく多くの要素が複合した産物なのだ。舌で感じる味だけでもダメ、鼻で感じる香りだけでもダメ。歯の神経である歯髄を通じて固さや柔らかさ、温度を感じ取り、目で感じる見た目も重要な要素に含まれる。
これら全ての要素が揃って初めて食事と呼べる行為になる。
あらためて言葉にするまでもないけど、私にとってヤチヨとはかぐやであり、大事な人であり、家族であり恩人でもある。言葉にすると恥ずいからね。
ひとつとっても大変な存在だというのにまさかのおせち三段重である。そんな人がパンケーキを食べたいとなんとも可愛らしいお願いを言うのだ。そりゃあもう全力で叶えてあげる!と気合いが入るというもの。
しかしアバターボディの実現までには味覚以外にも難題が山積みであり、完成はまだまだ先。
本当は一秒だって待たせたくないのに。
「そんなわけで、ちょっと行き詰まっててね……」
「ヤチヨちゃんは怒らないと思うよ〜?」
ヤチヨはそんなことでは怒らない。当然知っている。ヤッチョは待てる女なのです、とにへへと笑う姿が目に浮かぶ。でもそれは我慢してくれているだけ。
「う、それはそうだけど、相手の寛容さに甘えるのもどうかなって……」
「彩葉はむしろもっと甘えたほうがいいと思うよ」
芦花が容赦ない。ごめんて。
「ヤチヨちゃんが言ってたよー? ヤッチョのために頑張ってくれるのは嬉しいけど、無理してほしくないって。彩葉、最近ツクヨミにもログインしてないでしょ」
「うぐ……」
そう。ここ数日ほどツクヨミとはご無沙汰である。別に飽きたわけではないのだ。むしろ前にもましてヤチヨに会いたいし愛してあげたい。でもログインしてあのたおやかな笑顔でちょこちょこ寄ってくるヤチヨを見ると愛しさで一杯になると同時に、願いを叶えられないもどかしさと申し訳なさで胸が苦しくなるのだ。
「それに彩葉、一つ忘れてるよ」
「? なに?」
……。芦花の言うひとつ、なんだろう。味覚、嗅覚、触感……まさか痛覚?辛いモノを食べるには必須だけど今はパンケーキの話だし痛覚は全身の神経系と連動してるから……いやカツ丼の話だったか?と再び思考の堂々巡り四十八箇所参りに出発しかけたところで二人そろってため息を吐く。なに。
「これは重症ですな」
「ですな」
「なに……教えてよ」
これ揶揄われてるな、とは分かったがやや不機嫌になりながら答えを促す。今は自分の機嫌より問題の解決が優先なのだ。ていうか態度悪いなぁ、私。話しながらも自分を俯瞰視している。うーん心ここにあらず。解脱ってこういうことじゃないでしょ。
「んひひ、それはねぇ〜〜」
「せーのっ」
勿体ぶる二人。なんだろう、私が忘れていて、二人が気付けること。
「「大事な人と一緒に食べること!」」
「あ……」
──また、一緒にパンケーキ食べたかったなぁ
記憶が、繋がる。
眠っていたニューロンが起床ラッパで叩き起こされ、途切れていたシナプスが突貫工事で復旧する。脳細胞が慌ただしく動き出し、清流だった血液がダムの放水のように勢いよく回り始める。水門全開、退避勧告。
「ッごめん!! また埋め合わせするから! 研究に戻っていい!?」
「がんばりな〜」
こうしちゃいられない。バタバタと荷物をまとめて三人分の会計をパパっと済ませて荷物も整理しないまま小脇に抱えてカフェテラスを出ていく。後ろから聞こえる二人の呟きを耳にしながら。
「前にもあったね、こんなこと」
「また四人で食べたいね〜」
▲▽▲▽▲
「二人に協力して欲しいことがあるの」
さてさて後日。あれから怒涛の二週間が過ぎ去った。研究資料をひっくり返しどんでん返し。関連するありとあらゆる論文PDFを手当たり次第に読み漁り、電子化されてなければ掲載誌を取り寄せる。そこにもなければ国会図書館に突撃。都内在住のメリットを最大限に活用する。
そうしてある程度の推論がまとまり、実現可能性のメドがついたところで二人を家に招き、リビングのソファに腰を落ち着つけたところでそう切り出した。
「いいよ〜」
「彩葉の頼みだもんね」
いや即答かい。
普通、どんな頼みか聞くもんじゃないの? 内容の吟味どころか、箸すら付けぬ返事の速さにさすがにたじろぐ。
「いや、あの、まだ何も伝えてないんですけど……」
親友ズの前のめりすぎる姿勢に思わず真顔になってしまう。大丈夫だろうか、悪い人に騙されやしないだろうか、といらん心配をしてしまう。これがマルチ勧誘だったらどうするのさ。信頼してくれるのは嬉しいけど。
「でもこのあいだの味覚のことだよね?」
「私たちにできることがあればなんでも叶えてしんぜよう~」
まあそうですけど! あれ、そんなに分かりやすいかな私。高校時代ポーカーフェイスには自信があったんだけど。もしかしてあの時もバレてたりする?
まあ、いい。都合の悪いことは見て見ぬフリをするに限る。今は関係ないのだから心の棚の段ボール箱にしまってガムテで封をする。私にはもったいないくらい本当に得難い友人たちだ、と再認識し覚悟を決めて自身の考えを開帳する。
──味覚データの送信では食事と呼ぶにはあまりに中途半端の尻切れトンボ。そう結論付けたはずではあるが再検討した結果、まだまだ詰めが甘かったことを痛感したのだ。やはり一人で抱え込みすぎるのは良くない。発明とはインスピレーションなのだ。
さて、結論から述べるとアバターボディの開発にはまだまだ時間がかかる。これは仕方がない。どうしようもない現実だと受け入れるしかない。ならばと発想を変えた。つまり、ツクヨミでパンケーキを食べれるようになればいいのだと。
これは可能な限り普遍的な手法で実現しなければならない。ツクヨミには一億を超えるユーザーが存在する。アクティブがその半分だとしても、彼らのハードウェアに新たな機構を搭載する方法はとても現実的ではない。またスマコンとVRゴーグルで環境差が起こるなど許されない。
私たち三人だけ、というのは当然考えた。しかしこの研究成果は将来的にアバターボディに転用されるのは確実。ならば限定的な条件よりも、広く適用される汎用性のある技術でないと理解を得られない。主にスポンサー的な意味で。
さて、味覚センサーとはざっくばらんに言えば味の数値化。糖度とかスコヴィル値とか有名よね。でも糖度が同じなら味も同じ?そんなわけがない。糖糖度以外にも苦味、酸味、塩味、旨味。
食品を構成するそれらの味を徹底的に測定し、数値化し、得たデータをツクヨミの食品オブジェクト内にマスクデータとして登録。オブジェクトを摂取する際に電気信号に変換されたデータを網膜を通じて脳に認識させれば、擬似的に味を感じられるのではないか?というのが現状の仮説。
もちろんどこをとっても同じ味、という金太郎あめのような構造では意味がない。パンケーキならきつね色になった表面、ふわふわな中身。もふもふなメレンゲ生クリーム。バターやメープルシロップの染み込んだ生地。それら全ての違いを感じ取れるようにしなければならない。
この検証に役立つのがツクヨミ内と同じものを実際に届けてくれるライバーさんの存在。かつてかぐやに映えないボロアパートとこき下ろされた頃ではとてもとても手が出せなかったサービスだけど、今なら全然余裕!……とまではいかないけど、生活が困るほどじゃない。無駄遣いはダメ絶対。
話が逸れた。とにかく、そこでお取り寄せした食品を機材を用いてサンプリング。実測値をツクヨミ内に存在する当該食品に入力。これを試料として、リアルでの味とデータで感じる味に差異がないか、あるとすればどこまで近付けるかの検証を手伝って欲しい!
「いや〜〜本当に……」
「彩葉は凄いね」
話を聞き終えてたっぷり10秒間の間を置いてから吐き出された感想がそれである。
やっぱり断られるかも、とそわそわもじもじしながら待ち構えていた私はなんだか褒められているような、そうでもないような? なんか呆られてない? なんで?
「とにかく! 味覚と嗅覚! この二つをツクヨミに実装します!!」
予想外の空気を誤魔化すように力強く宣言する。照れ隠しじゃないったら!
「お〜〜! はぇ、嗅覚?」
知らない話が出てきた。さっきの説明になかったよねそれ?といった顔をする真実。言わなかったからね。
「……できるの?」
不安げな芦花。ふふん、できないことは言わないから安心しなされ。
「うん、仕組みは味覚と基本的に一緒。一般的に味は嗅覚七割、味覚三割って言われるくらい密接な関係で、嗅覚はむしろ必須要素!」
風邪で鼻が詰まると味がわからないって聞いたことあるでしょ、と付け加える。
「ま、食事に限定した機能になるけどね。ツクヨミワールド全体なんてとてもとても。ただ匂いって味より先に知覚するものだから、味覚よりも機序を優先! 電気信号を周囲に拡散させて、匂いに惹かれようにできれば上出来かな」
ここまでの説明で何か質問は? 質問のある方は挙手をお願いします。ないようですので以上をもちまして発表を終えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。よし。
「……うん、わかんないけど、わかった〜〜」
「で、私たちは何をどうすればいいの?」
あらためて思うけど、そんなわけわからない実験によく付き合う気になれるね、二人とも。私が言うなって話だけど。
「ありがと……二人とも。まあそんな大したことじゃなくて、味を当てられるまで帰れまテン、みたいな?」
「帰れまテン?」
「テン?」
「……女子会ってこと!」
おあぁ、通じない。あれだけ人気(ヤチヨ調べ)だったのに! 学会で教授にクリティカルな質問されたときより辛い!!
▲▽▲▽▲
さてさてそうして日を改めて開催されまするは帰れまテンあらためガールズ⭐︎パーティー。ファミリー向け3LDKタワマンなれば研究機材を持ち込んでもなおスペースに余裕がある。
二人はてっきり私の研究室でやるかと思っていたらしいけど、研究室や大学の知人たちは当然ヤチヨの正体など知らない。それにどうせならよりプライベートに近い環境で実験したほうが実態に近い数値が出るし、なにより楽しい!
「ヤチヨには悪いけどね」
実験の内容が内容だ。一切の情報を伏せて、IDとパスワードの二重認証のプライベートルームをツクヨミ内に建てた。類推されないようにルーム名も関係ないものに。心の中のヤチヨがオヨヨ〜と泣いているがこれも全ては彼女のため。ひょっとしたら気付かれるかもだけど、ヤチヨは管理者権限を振り回すような横暴はしない。たぶん。だよね? やべ、自信無くなってきた。
ええい、もちろん失敗するつもりは毛頭ないけど、まだ未完成の技術。できるかも、と伝えて、やっぱりダメでした、は許されない。
そんなことでヤチヨを悲しませてはいけない。本人はけらけら笑いながら受け入れるだろうが、目指すは甘々ハッピーエンドである。ほろ苦ビターエンドではない。これから作るものはヤチヨにとって8000年ぶりの食事となるのだ。粗末なものなど許されない。
「さて、いざ実食!」
「おぉ~~~、すごい、本物みたい~~」
「見た目と匂いは問題なし……まず第一段階はクリアー」
目の前に置かれた幸せパンケーキをはじめとした様々な料理。すでに採取した匂いデータが適用されたそれらは実に芳しい香りを発している。誤認識した脳が胃腸へとエマージェンシーコールをかけるが、全てはデータ上の存在なので杞憂である。
「ふへへ、役得ですな〜」
「ちゃんとしなきゃいけない、って分かってるつもりだけどこれはね」
真実も芦花も問題なく匂いを感じ取れているみたい。そうでなきゃ困る。ちなみに今いる場所は現実世界ではかつてかぐやと使っていた配信ルーム。階層を隔てた上で防音が施されたこの部屋なら、間違ってもリビングから匂いが入り込んでくることはない。
「気にしないで。むしろ適度にリラックスしてくれた方がいいデータ取れるから!」
「実物はないのに香りを感じるってすごいね。これ化粧品にも使えそう」
つまり、今感じ取っている匂いは100%幻覚である。
「言ってしまえば脳の錯覚だから乱用はできないんだけどね……」
「あぁ、なんかこう危ない気配が」
「そゆこと。実用化できたら規約でガッチガチに固めないと」
いくらでもあくどいことが出来そうだなーとは私も考えてしまう。そうなる前に電子の海に沈めてやるが……。
完成したらブラックボックス化してタケノコに収めればまず問題はない。似たような後追い技術は生まれるだろうが、そこまで面倒を見るような責任はない。
「さてお味はっと……」
気を取り直していざ試食。パンケーキにフォークを近付ける。設定されたプログラム通りにテクスチャが崩れ、パンケーキひとくちぶんのデータが消える。同時に脳髄へと送り込まれる味データ。
味はしっかりと感じる。パンケーキの生地のバターの風味も、メープルシロップの甘い香りも、添えられた苺のムースの酸味も、想像以上に良く再現されていた。味覚センサー様々である。
ただどうにも違和感がある。匂いまでは問題ない。むしろ想定以上の成果だ。しかし現状、味のする気体を吸い込んでいるようなものなのだ。わた飴よりもなお軽い食感。仙人にでもなった気分だ。なんだこれ拷問か? そういえば似たやつがあった気がする。
ちらりと横の二人の様子を見てみると、やはり同じ感想なのかなんとも形容し難い表情を浮かべていた。
「う────ん、二人ともどう?これ」
「味は思ったよりちゃんとしてる、と思う……」
「食べた実感がない? いやデータなんだからそりゃそうなんだけどねー」
そう、その通り。脳が想定する食べ物の硬さと実際の感覚のズレ、それが致命的な違和感を生んでいた。
「でもスマコンって触覚ないよね? 使ってないけど、VRゴーグルも……」
いかに次世代型最新デバイスであるスマートコンタクト、通称スマコンであろうと実装されているのは視覚と、イヤホンの併用で成立する聴覚のみ。ならば。
「うん、だから硬さも設定する!」
「もう突っ込まないからね……」
こんなことで私が止まると思ったら大間違いだ。
鳴かぬなら、鳴かせて見せよう、パンケーキ。
味・匂いセンサーに加えて硬度計まで引っ張り出してきて食品食材ごとに硬度を測定。さらに機材が追加されたことでさすがに手狭となったリビングだが、そんなことお構いなしに試行錯誤が続けられる。
測定し、設定し、試食し、検証する。
口にするタイミングと味覚・嗅覚が反応するタイミングが完全に同期するまで測定を繰り返す。
測定し、設定し、試食し、検証する。
食材の硬さ、柔らかさ、粘り、弾性、靭性。実物の食材とデータ上の食材、これが一致するまで繰り返す。
測定し、設定し、試食し、検証する。
硬さと味、匂い。この三つのバランスが本物とシンクロするまで繰り返す。
──結局、20種類以上のサンプルが用意された中で合格点を出せる設定が完了したのは最初のパンケーキだけだった。熱さや冷たさという要素が絡んでくる食品は再現が難しく、常温で食べられるパンケーキが勝ち残った形だ。あらかた機材を片付け、ひとまずのスペースを確保したテーブルで開かれた反省会。
「わたし、しばらく甘いものはいいかもぉ……」
「私も……」
実際に食べた量はそれほどでもないのだが、脳が認識しているのはまた違う。見ているだけで胸焼けしそう、という表現はよくあるが、こちらは加えて香りや味まで擬似体験しているのだ。あの真実がグロッキーになるとは相当だ。
「……ふたりとも、付き合ってくれてありがと」
おそらく、いや確実に一人ではここまで来れなかった。その感謝を込めて礼を述べる。胃がもたれすぎて姿勢は悪いけど。つらみがありすぎる。
「──また、女子会やろうね。今度は四人でさ」
芦花の言う通り。やっと、やっとゴールが見えた。見えたなら進むだけだ。大丈夫、私たちは最強だから。
ね、かぐや。
──二人が帰った後も調整作業に没頭した。当初予定していたスケジュールでは到底足りず、空になった栄養ドリンクの数たるや計り知れず。プライベートルームも削除して、現実の自室に引き篭もる。集中するためにネットすら絶っていい報告ができるまではヤチヨの配信も見ない、と心に決めた。
「できた……」
完成、と呼べる段階に至ったのは実験開始から何日も経ってから。時間感覚すらおぼろげになる過集中。肌も髪もボロボロになっていますぐ泥のように眠りたいが、最後の大仕事がある。気合いを入れるためにエナドリをキメると芦花と真実にメッセを送り、ツクヨミにログインする。果たして出迎えてくれたのは──
「────いろはっ!!」
──ハラハラと泣き腫らしたヤチヨだった。え、なんで?
▲▽▲▽▲
「や、ヤチヨ!?」
私の姿に気付いた彩葉が、驚きの声をあげる。もう何ヶ月も会ってない気がする。そのくらいの久しぶりの再会となった彩葉の顔に浮かぶのは困惑──そして疲労の色。
VR空間たるツクヨミのアバター体といえど表情や感情は誤魔化せない。むしろその再現度の高さこそツクヨミの人気の秘密の一端であーる!
……だからこそ、彩葉の状態が手に取るようにわかってしまう。無理を、していることが。
「まったく!あれだけ言ったのに!また無理をして!」
頑張らなくていいよ、と伝えたい。でも、努力して目標を目指している人にそれを告げるのはとても残酷なことだと思う。それがヤッチョのためというならなおさらだ。
私が伝えることができるのは言葉だけ、そして彩葉は言葉では止まらない。彩葉ががんばり屋さんだと誰よりも知っているから、私は待つことしかできない。ヤッチョは待てる女なのです。
「ご、ごめんヤチヨ……」
うぐっ顔がいい。普段のキリッとした顔もいいけどしょぼくれた顔もまたいい。ビタミンEが豊富って感じ。Eは顔がいいのE。叱ろうと思ったのに彩葉の顔を見ただけで挫けそうになる。はて、こんなに弱かったかヤチヨ。いやまあしょうがないか、他ならぬ彩葉相手だもんね。
大学生となりニンゲンでいうところの成人となった彩葉はますます美しさに磨きがかかった。ツクヨミアバターの設定は変わっていないはずなのに、ところどころの所作から滲み出る色気が違うのだ。ヤッチョにはわかるのです!
それを冗談混じりに伝えると、ヤチヨに相応しくなってきたかな?なんて笑うのだ。ホントそういうとこずるっこいぞ!
「でもヤチヨ、私は無理してないから」
疲れているはずなのに、今すぐ眠りたいはずなのに、キラキラ輝いた瞳で私を見つめる彩葉。ねえ彩葉、彩葉はどうして立ち止まらないの?休んでよ、彩葉。
「無理っていうのは不可能なこと。私がやろうとしてることは決して不可能なんかじゃない。絶対できるって信じてるから」
……ずるい、ずるい! そんな言い方されたら、こっちからは何も言い返せないじゃんか。
「……ほんと?」
「うん」
「……無茶もしてない?」
「……うん」
待って何なの今の間は。じぃっと見つめるとさっきまでキラキラ輝いていた目が途端に光を失い泳ぎ出す。……やっぱり無茶してるじゃん!! 言葉遊びで矛先を逸らそうったってそうは問屋が卸しません!
ううう、まさかあの彩葉が嘘をつくなんて……そんな子に育てた覚えはありませんよ! いや育てられたのはヤッチョですけど。そこはまあほら言葉の綾といいますか、持ちつ持たれつといいますか、ね?
「いーろーはー?」
プライベートルームの存在に気付いても干渉せずに一日千秋の思いでツクヨミで待っていたというのに、ルームが解散したと思ったらログインどころか連絡すらない。FUSHIだけならセーフだよね?とこっそり様子を見に行かせれは彩葉は無事。作業につきっきり、とだけ伝えて肝心の中身を教えてくれやしない。う、裏切られた! というか真実も芦花も何やってるのさ。頼んだのはブレーキであってアクセルではないのだけど!
「待って、違くて」
言い訳は聞きませーん。まったく、私がどんな気持ちで待っていたのかまだ分かってないのかな彩葉は。とにかく、今日という今日は許しません。罰として一日ヤチヨの刑です。
「ごめんヤチヨ。どうしても今日までに間に合わせたくて……」
一回や二回謝って許してもらえると思ったら大間違いなのです。今のヤッチョはレイドボスモード。HPゲージが3本ある状態! 一人で勝てると思うことなかれ。おお、勇者彩葉よ。負けてしまうとは情けない。
「はい、これ」
飾らない言葉と共にすっと差し出されるは伝説の剣、ではなくパンケーキ。ふふん、甘いもので釣ろうとはヤッチョも甘く見られたものです。激ウマギャグ。でも随分とディテールが凝ってるふわふわもふもふパンケーキ。ふかふか生クリームにキラキラ苺ソース。バターもたっぷり。メープルシロップまで添えられて、本当に美味しそう。心なしか甘い香りまで漂って──香り?
「今日は、ほら。私たちが出会った日」
──まって。
「会った時には赤ん坊だったから、厳密には違うかもしれないけど」
──まってってば。
「誕生日おめでとう」
──ねぇ。
「かぐや」
伝えたいことも、言いたいこともたくさんあったはずなのに、3本あったHPゲージは一瞬で吹き飛んだ。その銘は聖剣パンケーキ。
「かぐやちゃん、おめでとう」
「おめでとう〜!」
クラッカーが鳴らされ、図ったかのように現れる芦花と真美。いや実際に図っていたのだろう。芦花の肩にFUSHIがいる。う、裏切られた!(2回目)
ずるい。ずるいずるいずるい。4対1なんて、勝てるわけないじゃんか、そんなの。ひきょーものー!!
「……」
差し出された、バターと卵、砂糖のハーモニーが紡ぎ出す香りの漂うパンケーキ。ここまでされれば、これがどんなものか分かる。ああ、私の彩葉はまたとんでもないことを成し遂げてくれたみたい。
「彩葉は、私のお願いをなんでも叶えてくれるねぇ……」
どうしよう、大好きだって何回だって伝えたいのに、大好きなんて言葉じゃ足りなくなっちゃう。
「当たり前でしょ、私は私の全部をヤチヨのために使うって決めたから」
「ふふっ、重いなぁ」
「嫌い?」
そんなわけないじゃん。
「ううん、ちょーだいすき」
でも、パンケーキに手を伸ばそうとして、動きが止まる。芦花と真実は怪訝な顔をしてるけど、彩葉は変わらない。あちゃぁ、バレてるかぁ。
「ヤチヨは、怖かったんでしょ?」
ねえ彩葉、私は負けたんだよ? 追い討ちはひどくない?
「……なんのことかなトスカーナ?」
「私がやったことは、ヤチヨでもできること。できないなんて言わせない」
信頼が重いなぁ。ヤッチョは、そんな大それた存在じゃないのに。彩葉のが何倍もすごいんだからね?
「……そうだね、ホントは怖かったのかもね」
白状します。そう、きっとやろうと思えばできた。味のデータも匂いのデータも、集めようと思えばぱぱーって集められちゃう。
でも──それが合っている証拠は?集めて作り上げた味が、思い出のものと違っていたら? どちらが正しいかなんて、肉体がないヤッチョには確認しようがない。そうして、思い出の中の味まで消えることが怖かったんだ。
「絶対、大丈夫だから。食べて?」
でも、彩葉がそう言ってくれるなら。他ならぬ彩葉が証明してくれるなら。勇気、出せるかな?
「……。いただき、ます」
ぱくり。
「……」
ああ、ああ。
涙が溢れる。
「ヤチヨ」
名前だけ呼ばれる。
美味しい? 美味しくない?
そんなことは聞かれない、絶対の自信。
涙が止まらない。
「……い、ろは」
がんばれ、がんばれ月見ヤチヨ。ここで踏ん張れなきゃなんのための8000年だ!!
「ぐずっ、うんっ、いろは! 彩葉!」
いけ! いけ!!
「すごく、すっごく!美味しい!!!」
涙が溢れ出す。
「こんなにもらったら、返しきれないよ?」
「逆。私がヤチヨから貰ったものを返してるだけ」
「いやいやそんな」
「いやいやいやいや」
……。
「……ふふ、あはははははは!!」「あはっ、あはははははは!!」
気付けば、みんな泣きながら笑っていた。
ねえ、彩葉。
愛してる。
▲▽▲▽▲
48時間の長時間メンテナンスが明け、続々とツクヨミユーザーがログインしてくる。
各々がアプデ内容を確認するためにメッセージウインドウを開くが、あるのはメンテナンスが完了しました、という簡潔な一文のみ。ワールドが拡張されたとか新ゲームが追加されたなどの文言はない。
あれ、アプデは?と首を傾げたところでツクヨミの夜空の随所にヤチヨの姿が投影された。なぜか隣に私を添えて。
『え──、いろ……いろっぴー、いろP、です』
恥。いや恥っず。学会で論文発表するより何百倍も恥ずかしい! てかこれ私がやんなきゃいけないの!? という目線をヤチヨに向けるが。
『もっちろん! これは、彩葉だから出来たこと。ならヤッチョじゃなく彩葉が説明しなきゃ』
と撫で切りにされた。ごもっともである。要は説明者責任を果たせと仰っているのだこのお姫様は。
ていうか今さらっと私がやったってバラされた!? に、逃げられない! てか、名前!
「いろP?」
「なんで? コラボやんの?」
「今日も推しの顔がいい」
「いろPお久、元気そうでなにより (2000ふじゅ〜)」
……まあ、今更か。はぁ、仕方ない。
『えと……、ご紹介に預かりました、いろPです。えー、その、メンテナンス報酬として、パンケーキを配布してます。それで、分かると思います……』
『おやおや彩葉は照れ屋さんだねぇ? かっこいい彩葉も推せるけどこじんまりとした彩葉もいい、ヤッチョはそう思います!』
もう堪忍して。
「なに見せられてんだこれ」
「パンケーキ? あー、アイテムボックスに……回復アイテムか?」
「あ、これ見たことあるー。確か品川のカフェ」
「美味そう。モデリングやべー」
「ほんと、いい匂い」
「はぁ? 匂い?」
ざわめきが大きくなっていく。ボックスから取り出したユーザーを起点に、騒ぎが伝播していく。
『皆さん、お察しの通りかと思います。なので、新システム実装に伴い、イベントを開催させていただきます』
まさか、と、そんなバカな、と。
そんな困惑が手に取るようにわかる。
うん、この光景と引き換えなら、恥ずかしいくらいは我慢できるかも。
ヤチヨとアイコンタクトを送り合うと、息を揃える。
『えー、イベント名は』
『その名も〜〜!』
『『Ex-Pancake Party!!』』