時期的に真実芦花とはまだ友達になっていないかな、と。
公式設定が決まる前にやっちまえよマフティー!
西暦二〇二九年、五月十一日。金曜日。
高校入学前、物件探しと同時に探し回って、ようやく諸々の条件に合致したアルバイト先。
BAMBOO cafe。
住宅地の中に佇む街カフェは働きやすくオーナーも優しい。賄いも出してくれるしで、お金がない一人暮らし女子高生にとってありがたいことこの上ない。
最近はようやく仕事にも慣れてきて、配膳から清掃、レジ打ちに備品補充と庶務雑務はなんでもござれ。酒寄さん頑張ってるから、今月で試用期間は終わって良さそうだね、次から時給も上がるよとの言質をゲット。っし、と人目を憚るように小さくガッツポーズを決める。
「お疲れ様でした!お先に失礼します!」
カコン。アナログな打刻機にタイムカードを通して長かった一日が終わる。印象を良くするために挨拶だけでもハキハキ威勢よく。こういう地味な積み重ねが職場の人間関係に影響する。いや、我ながら発想が年頃の女子高生じゃなさすぎる。疲れてるなぁ……。
こうして週末華金のラッシュをなんとか乗り越えて自宅への帰路につくも、時刻はすでに夜の十時過ぎ。普通の女子高生ならもうご飯もお風呂も済ませて、勉強している時間帯かな。あるいは、友達とおしゃべりしたり、ゲームしたり。
友達、まだできてないなぁ……。
「はぁ…………」
いかん、疲れすぎている。肩からずり落ちそうになる通学カバンを戻しながら、人通りの少ない道のりを歩く。
降水確率60%。晴れのち曇り、時々雨。その予報を信じて、しかし出番が来ることがなかった安物のビニール傘。それを杖代わりに、きびきび足を上げる元気もなく、半ばすり足のようにずりずり、ふらふらと歩く。つま先で蹴飛ばされたアスファルトの欠片がガードレールの支柱に当たり、コォーンと鈍い音を立てる。反対側の道をご主人と散歩していた芝犬がピクッと反応して立ち止まった。ごめんね、わざとじゃないよ。
「えー、330円です。フォークつけます?」
「はい。支払いはふじゅ〜ぺいでお願いします」
「こちらにタッチを、『ふじゅ〜!』はい。あざしたー」
途中で誘蛾灯に誘われる羽虫のように立ち寄ったコンビニでちょっとした買い物。大学生風な店員さんのどこかやる気のなさそうなお礼を背中に受けて、とぼとぼと歩みを再開する。
入り口が自動ドアでよかった。もはやコンビニの手動扉を開ける元気すらない。
「今日もお疲れ様でございやした〜……」
西暦二〇二九年、五月十一日、金曜日。
私は今日、十六歳になった。
高校進学と同時に家を飛び出して、はじめて迎える一人だけの誕生日。
パーティー会場は家賃三万円の年季の入ったワンルーム四.五畳の単身向けアパート。
ご馳走は、コンビニで売れ残っていたイチゴのショートケーキ。
バースデーカードは赤と黄色で彩られた150円引きのシール。
それが入ったレジ袋を揺らしながら、傘を杖代わりにアパートの階段を登る。
カン……カン、コン。
カン……カン、コン。
ローファーの踵がステンレスの踏み板を叩く音、傘の先端が突く音。左手に下げたレジ袋をバックコーラスに据えた、質の悪いブレーメンの音楽隊。
普段なら五秒とかからない登山ルートを、まるで富士山のように疲れ果てながら登頂する。登ったことないけどね、富士山。
メンダコキーホルダーの付いた鍵をポケットから取り出し、ドアノブに差し込み動きの悪いそれを回す。回す時にちょっとしたコツがいると分かったのはここ最近。
「ただいま〜」
と、告げたところでおかえりと言ってくれる誰かがいるわけでもないけど、一種の儀式として挨拶する。この儀式を通じてようやく学業もアルバイトも終わり、一息つける。ドア横に傘を立てかけ、郵便受けの中を確認してから玄関横のキッチンで素早く手洗い。
ちゃぶ台に置かれたレジ袋から顔を覗かせるイチゴショート。持ち運び方が悪かったのか、ケーキはプラカバーにもたれかかっていて、汗をかいたみたいに結露している。なんだか今の私みたいで妙な親近感が沸く。
「いただきます」
部屋着に着替えることもせずに制服のまま正座。カバーを外し、お皿に移さないままのそれを前に手を合わせていただく。
「……美味し」
クリームがついたイチゴをひとくち。さすが元のお値段480円の高級スイーツ。たとえ値引きされていようと、上京して初めて口にしたまともな甘味に舌が震える。しっとり結露した生クリーム。ほんのりパサついたスポンジ、ちょっぴり暗くなったイチゴ。これがパスタ四食分のお味。いと美味なり。……まあ、せっかくの誕生日だし、これくらいの贅沢はしていいよね。
「よし!誕生日終わり!さて勉強、勉強〜」
五分とかからずに完食するとちゃちゃっと片付ける。水道代を節約するためにシャワーを浴び、そこからは今日の復習と来週の予習に充てる。時刻は既に夜十一を回っている。明日が休みだからといって、今日を無駄にしていい理由はない。でも……。
「……ミニライブ、行きたかったなぁ」
いま絶賛大流行している仮想空間ツクヨミ。そこで開かれる管理人兼配信者であるAIライバー、月見ヤチヨの定期ミニライブ。
ライブ会場に入れずとも、せめて遠くからだけでも眺めたかったけど、ライブの開時刻始は夜九時。今日の上がりは夜十時。絶賛バイト中でございます。
入って一ヵ月足らずの、研修期間も終えてないド新人が休みの希望など出せるはずもなく。シフト通りで大丈夫です!と、チケットの抽選にも申し込んでいなかった。
「……仕方ないよ。そういうものなんだから」
自分に言い聞かせるように独り言を呟く。復習を終えて予習範囲に手を伸ばそうとするも、参考書まで届かずに途中でくたりと力無く落ちる。
なんだか、今日はとことんダメな日だ。
もうこのまま寝てしまおうかと思ったけど、物理的、精神的双方から睡眠を訴える身体に最後の意地で鞭を打ってスマコンを取り出す。
「メッセージ、あるかな……」
ツクヨミでは、ユーザーが誕生日を迎えるとヤチヨからスペシャルメッセージが届くらしい。
総ユーザー数が七千万を超え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのツクヨミ。その全員にメッセージを送るというのだから、単純計算でも一日あたり二十万件。それだけの量を捌けるのもAIライバーならでは。さすがに内容はテンプレで、あとはユーザーのプロフィール設定に合わせて多少アレンジされただけのものらしいけど。
というのも、私がこのメッセージを貰うのは今年がはじめて。ヤチヨの相談アプリなんかは前々からお世話になってたけど、ツクヨミに入るにはスマコンが必要。中学時代からこつこつ貯めていたおじいちゃんおばあちゃんからのお年玉と、初めてもらったバイトの初任給。それを全部足して、まあ足りなかったけど、ギリギリなんとかなる。奨学金には手をつけてないし、お年玉とは別の貯金もまだある。セーフ。おっけー。よし。
こんなの、実家にいる頃に使ってたら何言われるかわかったもんじゃないからね。
──随分と余裕あるんやねぇ、あんたがそないなもんにかまけてる暇によその子はどんどん前に進んどるよ。
……うん。わかってる。こんなことしてちゃダメだって。
──分かっとらへんやろ。分かっとったら最初から手ぇ出しとらん。買ってから分かったんならさっさと手放せばしまいや。
……そうだね、これは私が弱いから。弱いから、頼っちゃう。
──弱音だけは口達者やなぁ。なんやあれだけ啖呵切っといて一ヵ月でもう折れるんか?あんたがそんな意気地なしやったとかお母さん知らんかったわ。
……。
──都合が悪なればダンマリかいな。甘ちゃんやな。黙ってれば周りがどうかしてくれるゆう思てるんか?赤ちゃんでも自分でしてほしい言うで。
…………。はぁ、ダメだ。思考が沈むと胸の底にしまっておいた母との距離が近くなってしまう。その全てが正論なんだからこちらはなす術がない。さすが弁論家。でも、冷酷すぎてこちらの心まで冷え込んでしまう。せっかくヤチヨのことを考えて上向きになったテンションが直角急降下。なんで誕生日にこんな気分にならなきゃいけないんだ。
──母から、誕生日をお祝いされなくなったのはいつからだろう。最後にお祝いしたのは、五歳か、六歳か。お父さんがいなくなってから──。
ああ、駄目だ。この気分はダメになる。心を蝕む毒だ。良薬は口に苦しとは言うけれど、苦味も過ぎれば体は毒と認識してしまう。母は、きっと強い人だからそれが屁でもなかったんだろう。でもまだ私は、母ほど強くなれていない。強くないから、認めてもらえない。
うん、ログインだけ。ログインだけしてメッセージを読んだらすぐに寝よう、そうしよう。
薄いシリコンで出来たスマコンを両目に装着し、静かに目を閉じる。意識的な世界の切り替え。あれほど鮮明に聞こえていた母の声が途端に途切れる。
「──太陽が沈んで、夜がやって来ます」
代わりに聞こえてきたのは、厳かで、涼やかで、優しさのあるヤチヨの声。
ああ、やっぱり来て良かった。あれだけどんより沈んでいた気分が、ヤチヨの顔を見ただけで綺麗さっぱり晴れ渡る。まさに台風一過。
冗談でも過言でもなんでもなく、私はヤチヨに生かされている。ありがとう、ヤチヨ。貴女のおかげで私は今日も生きていられます。ヤチヨ万歳。
じんわり涙が出そうになるのを慌てて腕で拭う。推しにみっともない顔は見せられない。
『仮想空間ツクヨミへようこそー!誕生日おめでとう!運営からスペシャルメッセージが届いてるよ!』
ヤチヨの肩に乗ったマスコットキャラクターのウミウシ《FUSHI》からの可愛らしいアナウンスが耳朶に響く。
疑っていたわけじゃないけど、メッセージ、本当にあるんだ。月見ヤチヨからの、メッセージ。
「あの……」
思わず目の前のヤチヨに話しかけてしまう。しまった、今ここにいるヤチヨはログイン用のオートメーションなのに。誰にも見られていないのに、急に気恥ずかしくなって伸ばしかけた手を引っ込めようとして──。
「誕生日おめでとう、彩葉!」
「えっ」
動きが固まる。えっ、あっ、はっ。な、名前!?名前呼ばれた!?なんで!?笑顔かわ、あ、名前。名前か、そうか、ユーザー設定から。普段は成績優秀頭脳明晰なはずの頭が急にポンコツになる。どうしよう、名前を読まれただけなのに、すごく嬉しい。
しかし続くメッセージにさらなる驚天動地に叩き落とされる。
「こんな遅くまでお疲れ様!えらいえらい!でも、頑張りすぎないかヤッチョは心配してるのです……無理はしないでね?」
応援!?ヤチヨが応援!?私を!?いや、そうかログイン時間!なんもかんも筒抜けなのに!バカになってる私!!私のバカ!!
体温がないはずのツクヨミで大量の汗が流れる。おかげで熱いか寒いかもわからない。熱くて寒い。インフルエンザに罹ったみたいで手汗がやっばい。
シャワー浴びたばっかりなのに!返す言葉すら浮かばずにしどろもどろになる私を他所に、ヤチヨはどこまでも優しい言葉で私の両手を包んでくれて、えっ、包ん……!?はぁ、握手してくれた!?うっそ、誕生日ってここまでしてくれるの!?神サービス!!!!
「が、ががががんばります!!あ、あの!き、今日はありがとうごじゃした!!」
噛んだ!恥ずか死!!推しの前でお礼もまともに言えないとかファン失格にもほどがある!!
ゆったりと手を振ってくれるヤチヨに後ろ髪を引かれるも、そそくさと逃げるようにログアウトする。ていうか逃げた。元より長居するつもりはなかったけど、これ以上あの場にいたらどんな醜態を晒すかわかったもんじゃない。ああ、手を振る姿すら美しい。神。マイゴッド。
現実に戻り、外したスマコンをケースにセットしてそのまま布団に倒れ込む。もう一歩も動けない。
……。ユーザーネームとログイン時間を参照して生成された、他愛のないメッセージのはずなのに。AIのはずなのに、その合成された音声に不自然さは一切なくて、どころか本物の人間よりよほど愛情に満ち溢れていて。こちらを真に案じている想いすら込められている気がして。
「ヤチヨ……やちよぉ……っ」
人間の持つ感情、その全てをミキサーにかけたように絞り出される推しの名前。
五月に猛暑日を記録することが珍しくなくなってから幾数年。安物の扇風機とタオルケットに包まれ、普段は暑さで寝苦しいはずの夜。
今日はなんだか、その暑さがとても心地良かった。
「……おめでとう、彩葉」
翌朝。
「え、は?ふじゅ〜三万!?な、なんで……?」
「ええと、なになに。一部ユーザーにバースデーログインボーナスとして通常三千ふじゅ〜のところ、運営のミスにより多くのふじゅ〜を付与してしまいました。運営からの補填として、後日同額のふじゅ〜を全ユーザーに付与いたします、と」
「さすがヤチヨ、神対応……」
「ヤチヨ、流石に甘くないか〜?」
「んふふ、迷惑かけちゃうからねー。先行投資なのです⭐︎」