一之瀬帆波という「心身の健康を脅かす特級厄介人物」を脳内でハッキリと嫌いと断定したその日の放課後。池、本堂、そして俺という、なかなか珍しい組み合わせでケヤキモールのカフェ『パレット』に来ていた。いわゆるゲーム仲間という奴だ。ちなみに博士は何か外せない用事があるとか言っていたので本日は不在である。
一年の頃は『Call of Duty』やら『Battlefield』やらで毎日のようにボイチャ繋げて深夜まで寝不足になりながらめちゃくちゃ遊んでいたものだが三年ともなれば、それぞれのリアル事情もあってその回数は大きく減少する。
因みに『Fortnite』とか『Apex Legends』といった世間一般に人気のバトロワ系FPSゲームは、どうにも俺の好みに合わない。だから普段のスクワッドは池、本堂、博士の3人で回していることが多いがリアルな銃火器や軍事考証、近代戦がメインのミリタリー系ゲームの時になると、その手の鬱屈とした銃器沼に浸かっている俺が招集されて一緒に遊ぶ、というのが大体のルーティンだった。
俺はいつものように和紅茶のアイスを注文したのだが、あいにく店内は放課後の生徒たちで混み合っていた。なんとか空いているテーブル席に着くと、なんとそのすぐ隣には――
「げ……! また綾小路かよ……!」
池が露骨に嫌そうな顔を浮かべ、俺の気持ちを代弁してくれた。視線の先には、Cクラスに移籍した綾小路たちの姿があった。どうやら池と本堂は昨日の食堂でも出くわしたらしく、顔を合わせた瞬間に不機嫌なオーラを隠そうともしない。
「縁があるな」
当の綾小路は、相変わらず感情の読めないポーカーフェイスのまま至極淡々とそう呟いた。
「何が『縁があるな』だよ。裏切り者の癖に馴れ馴れしくすんなよ」
顔から隠しきれないどころか、全身から溢れ出している激しい憎悪。そんな池の刺々しい雰囲気を察してか、綾小路の隣にいた金髪のチャラそうな男――橋本正義がフランクな態度で間に割って入ってきた。
「クラスは変わっても同じ学校で生活する生徒同士なんだ、もっと仲良くしようぜ? それとも顔を合わせる度に不満をぶつけるのか?」
俺としては、綾小路は俺の胃が痛む原因になった張本人だから、思う存分不満をぶちまけたいところなんだが…… ポケットの中にある胃薬の感触を指先で確かめながら、俺は半目で橋本を睨みつけた。
なんなんだ、この生理的拒絶反応は。橋本の声のトーン、巧みに親しげなニュアンスを混ぜ込んだ語尾そして相手の懐に入り込むような仕草。そのすべてが俺の警戒アラートをガンガンに鳴らし、胸の奥でドロリとした不快感が渦を巻く。
「別にそんなつもりはないって……けどやっぱ腹が立つだろ」
池がなおも食い下がると、橋本は肩を竦めて苦笑いを浮かべてみせた。
「どうしてそんなに腹を立てる必要があるんだよ。綾小路はCからAに移籍したわけでもないんだ。クラスを変えただけならクラスポイントに影響だってない。おまえらの懐が痛んだわけでもない。何よりそっちは天下のAクラス様、だろ?」
橋本なりに苦慮しつつ、下手に持ち上げて池たちの無意味な苛立ちを減らそうとしているのだろう。
だが――その言い回し、表情、そのすべてが猛烈に鼻につく。上辺だけ仲裁者のツラして、言葉の端々に相手を小馬鹿にしたような嘲笑を潜ませるやり口にしか見えない。下手に持ち上げるフリをして、実際は池の浅はかな感情を逆撫でし、どれくらい煽れば爆発するかを観察しているかのような粘着質な視線。
顔の造形だけなら無駄に格好いいくせに、やっていることはコソコソと裏で糸を引くキツネそのものだ。そのアンバランスさが余計に気味悪く、胡散臭さを加速させている。
……あーダメだ。俺コイツ嫌いだわ
おかしいな……?昼休みにあの女の狂気を目の当たりにして「嫌い」と確信するまでには、あんなに長々と胃を抉られるような時間が掛かったんだがコイツは出会って数分後も経たないうちに一発レッドカードが出たぞ。どんだけ俺は他クラスの人間を次から次へと嫌いになっていくんだ……?
ま、極論言っちまえば、俺の胃を痛める連中は全員まとめて等しく嫌いだけどな!特に綾小路!テメーはその筆頭だからな!
橋本の言葉は火に油を注ぐ結果となり、池の感情はさらにヒートアップし始める。
「そりゃこっちはAクラスだけどさ、綾小路は勉強できるのを隠してたんだ! それって早い段階からクラスを裏切ってたみたいなもんじゃん。しかも移籍した途端満点取ってさ。こんな嫌がらせ見たことないっての!」
池の興奮は収まる気配を見せず、ついに周囲の客がチラチラとこちらを振り返り始めた。
「俺は絶対おまえなんかに退学させられたりしないからな!」
変にフラグ立てんな池
「だから落ち着けって、池。んな盛大なフラグなんて無駄に立てる必要はないだろ。ここで売り言葉に買い言葉やったところで、誰も得しないんだ」
クッ、このチャラ男と同意見なのが腹ただしい!
過熱していく池の態度を見て、流石の橋本も慌て始めたようだ。池たちの心情などハナからどうでもいいと思っているだろうが、この騒ぎが公になれば自分たちのクラスにとっても不利益になる――そう踏んだのだろう。
今以上に大声を張り上げ、喧嘩腰の状況が続けば嫌でも教員の目に留まり特別試験で間違いなく減点対象とされる。
俺はそっと池の肩に手を置いた。
「落ち着け、池。人様の迷惑になるぞ」
「和泉……! でもよ……!」
感情を爆発させかける池を制しながら、俺は冷めた視線を二人へ向けた。ここで変に喧嘩腰で仕掛けたのがAクラス側で、Cクラスの綾小路たちがそれを穏便に済ませようとしていた……なんて図式を作られたらたまったもんじゃない。
「人の往来する場で、面倒な騒ぎ起こすなよ」
「う……悪かった」
俺の言わんとしていること――特別試験の減点リスクを察したのか、池たちもそれ以上は深追いせず、不満げに鼻を鳴らしながら席を遠ざけた。それを見送った橋本が、ホッとしたように息を吐き出し、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらこちらに向き直る。
「助かったぜ、あれ以上ヒートアップしたら本当に面倒なことになるところだった。確か……和泉だったよな? 一緒に話でもするか?」
ハハハハハ……この金髪チャラ男は実に愉快な戯言をほざきやがる。知ってるか? 人間、目視できるレベルで地雷が敷き詰められてる場所に、ドヤ顔で突っ走るような奴はそうそういねぇんだよ。出来ることならお前は地雷原でタップダンスして自爆してくれ。2度と俺にそのツラ見せんな。
この際ずっと心の底で思ってたことを言うが――橋本くんはなぁ……顔と性格があかんわ。甚爾くんと逆やったらよかったのにな。
『イケメンでフランクな好青年』を装おうとすればするほど、その内面にある計算高さと胡散臭さが顔の端々ににじみ出てるんだよ。人は見かけによらないなんて綺麗事がよく言われるが、現実は見かけで8割くらい印象が決まると思っている。例外はあるが.....要するに、胡散臭さとペテン師臭が天井突き破ってんだよ。
因みに言うと俺と橋本のOAAの評価は似ている。勉強と身体能力、社会貢献性がB〜B+で、総合力もB辺り。
え、どっちが上かって?
橋本に決まってんだろ。俺は機転思考力――つまり、友人の多さ、その立ち位置を始めとしたコミュニケーション能力や、機転応用が利くかどうか、という能力であの野郎に負けている。まぁこの数値が橋本より高ければ俺はもっと上手く立ち回れてるし、こんな風に化け物どもの爆風に怯える日々を送らずに済んでいるはずだ。にしたって、こんなチャラ男に負けるのはなんか……ムカつく。
チラリと橋本の奥に目をやれば、テーブル席には当の綾小路だけでなく、Cクラスの女子生徒たちの姿まであった。どこをどう切り取っても、足を踏み入れた瞬間に全方位から爆破される未来しか見えない特級の危険地帯だ。これ以上、綾小路や橋本、そしてそこに座っている女子達といった特級の厄介事に関われば、俺の胃壁は文字通り粉々に砕け散る。
だいたい、AクラスからCクラスへと移籍して学年中に激震を走らせた綾小路と、その周辺で胡散臭い立ち回りを続ける橋本、さらにはそれに群がる女子達。そんな一線級の渦中に、俺が同席して何の話をするんだよ。生徒会のデータ入力の話か? それとも胃薬の効果的な飲み方についてか?
冗談じゃない。
ここで下手に愛想笑いを浮かべたり、会話のドッジボールに応じたりすれば橋本のような察しのいいキツネ野郎は即座に「お、こいつ何か使えそうだな」と粘着してくるに決まっている。生き残るための鉄則は関心を示さないこと、そして圧倒的な「無価値感」を醸し出すことだ。
「おいおい、そんなに睨むなよ和泉。俺はただ、クラスが変わってギクシャクしてる人達の橋渡しでもしようかと思っただけだって」
橋本は両手を軽く上げてみせると、いかにも「善意の第三者」といったポーズを取る。そのヘラヘラとした笑みが、俺の胃壁をじわじわと削り取っていく。
「橋渡しねぇ……頼んでもいないお節介を焼くのがCクラスの最近の流行りなのか?」
「せっかくの同級生なんだ、仲良くしようぜ?」
声のトーンを限界まで低く、心底面倒くさそうなニュアンスを込めてそう言い捨てた。
「遠慮しておく」
「そう言うなって、俺が変な事企む顔に見えるか?」
橋本はニヤついた笑みを崩さず、まるで親しい友人間に戯れるような軽い調子でそう言ってきた。あれ、もしかして橋本君は鏡という物をご存じないようで? 自分の顔をご覧になったことがないご様子で?
つか、マジで俺に馴々しく話しかけてくんな。俺はお前のことだけは天地がひっくり返っても友達になれねぇから。あと正義ってなに? 自分の名前に名前負けしすぎだろ。名付けたご両親の崇高な期待には本当に申し訳ないけど、お前地球上の誰よりも現在進行形で『正義』から一番遠い場所に鎮座してんの分かってんの?
俺は正直コイツのニヤけたツラを正面から見据え、胃の痛みを堪えるようにボソリと呟いた。
「化粧室に行く事をおすすめするぞ」
「は? 化粧室?」
思いがけない言葉だったのか、橋本は拍子抜けしたようにパチパチと瞬きをした。やっちまったが反省はしてないし後悔もして無い。
予想外すぎるワードに、橋本はきょとんとした顔で間抜けな声を漏らす。だが、これ以上の不毛な会話に付き合っていたら本当に俺の胃壁が全焼しかねない。追撃の言葉を飲み込ませるように、俺はそのままスッと背中を向け、池や本堂が待つ店奥のテーブル席へと歩き出した。背後で「おいおい、なんだよ急に……」と困惑交じりの声が聞こえたが、振り返る気力など端からない。
ポケットの中で胃薬のパッケージを指先で強く握り締めながら、俺は冷え切ったアイスティーの喉へと流し込み、橋本と綾小路に背を向け池と本堂が向かった奥のテーブル席へと歩を進めた。
「和泉、悪かったな……つい頭に血が上っちまって」
席に着くなり、池がバツの悪そうな顔で頭を下げてきた。本堂もストローをいじりながら不満げに頷いている。
「気持ちは分かるが、日常の素行や行動態度が直接点数に響くんだ。カフェで大声出して揉めたなんて記録が残ったら、堀北にどんな目で見られるか分かったもんじゃないぞ」
俺が和紅茶のアイスを一口飲みながら言うと、池はあからさまに背筋を凍りつかせた。
「ひぃっ……! 頼むから堀北には黙っててくれよ和泉! あいつの説教マジで怖いんだから!」
「黙っててやるから、試験期間中は変な挑発に乗るなよ。相手はCクラスに移籍した綾小路だ。向こうが何も仕かけてこなくても、こっちが自爆したら元も子もない」
「分かってるって……にしてもさ、なんで綾小路の奴、あんな平然としてられるんだろうな。元々同じクラスだった仲間を裏切っといてさ」
本堂が愚痴っぽく吐き捨て、池もそれに同意するように深く頷いた。彼らにとって、綾小路の移籍と「隠していた実力」の開示は単なるクラスの損失以上に「裏切り」として心に刺さっているのだろう。その感情自体は理解できる。だが、俺からしてみれば――綾小路という男の底知れなさを知っているからこそ、下手に接触して刺激すること自体が最大の自殺行為に見えた。
あいつが何を考えてCクラスに移ったのかは知らんが……俺は、その渦に巻き込まれないように距離を置くのが一番の自衛策だ。カップの中の氷がカランと音を立てる。口の中に残る和紅茶のすっきりとした苦味を感じながら、俺は胸ポケットの中の太田胃散をそっと指先で押さえた。
「まあ、過ぎたことをぐちぐち言っても始まらない。俺たちは自分の足元だけ見て、目の前の特別試験を無事に乗り切ることに集中しようぜ」
「そうだな……和泉の言う通りだ。赤点取ったり減点されたりして退学なんて笑えねぇしな」
池がようやく冷静さを取り戻し、注文していたサンドイッチに口を寄せた。どうにかこの場での大爆発は回避できたものの、特別試験は一筋縄ではいかない。俺は胃のあたりに走る微かな痛みを覚えながら、冷たい和紅茶でそれを流し込み、静かに溜め息をつくのだった。
和泉が橋本を嫌悪する理由は分かりやすく言えば『自分自身の成れの果て』に近い物があるからです。和泉は平穏を望み面倒事を避けたいタイプですが、「情と義理堅さ」を併せ持ち、それを切り捨てる事が出来ません。逆に橋本は自分の為なら自クラスを裏切る事も厭いません。
和泉からすれば自分が「情と義理」を捨て冷徹になった姿が橋本みたいな奴と感じ取ったからです。
作者としてはAクラスに這い上がる為に色々努力してる凄い人物って感じです。あと森下に振り回される係。