アイツのせいで胃が痛い   作:レゾリューション

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姫野の名前1話で挙げてたのに全く登場してなかったから登場させました。


刺激的過ぎて胃に穴が開きそうになる

俺はいつも通りの生活からちょっと離れた日々を送り、今日はそのまま寮に帰ろうとしたが、あろうことか胃薬が綺麗に底を突いていることに気づき、慌ててケヤキモールの薬局で買い求めた。

 

……最近は本当に胃薬へのポイント出費がかさみすぎて財布の寿命も削られていく。そんなふうに小さくため息をついていた時だった。

 

「和泉くん」

 

不意に声をかけられ、俺は反射的に胃薬の袋を隠そうと身構えた。だが、そこに立っていたのはDクラス粘着質なリーダーでも、橋本のような胡散臭いキツネ野郎でもない。

 

だるそうに肩を落とし、どこか気だるげな視線を向けてくる、見慣れた女子生徒だった。

 

「……姫野か」

 

三年Dクラスに所属する姫野ユキだ。一年の時の特別試験でたまたま同じグループになった縁で、お互い必要以上に干渉しない程度の顔見知りではある。普段はあの女の作る「仲良しグループ」の空気に合わせて愛想笑いを貼り付けているはずの彼女が、なぜこんなところで一人でいるのか。 

 

姫野は俺の手元の蛍光グリーンの缶をチラリと一瞥すると、ため息をつくようにして俺の隣に勝手に腰を下ろした。

 

「今大丈夫?」

 

「別に構わないが、どうした?Dクラスの聖女の使い走りでもさせられたのか?」

 

俺が皮肉交じりに聞き返すと、姫野は「やめてよ、そんなんじゃないって」とさらに深く肩を落とした。その表情には、いかにも人間関係に疲れ切ったダウナーな空気がこれでもかと漂っている。

 

俺たちは自然と近くのベンチに腰を下ろし、通り過ぎる生徒たちの喧騒から少しだけ距離を取った。通行人の視線などお構いなしとばかりに、姫野はぐったりと背もたれに体を預け、しばらく無言で虚空を見つめていた。その気だるげな横顔を見ていると、こちらまで余計な体力が削がれていくような気持ちになる。

 

どうやらアイツを含めたDクラスの女子達とお出かけしている最中らしいのだが、その合間を縫って抜け出してきたそうだ。仮に俺が女子で姫野みたいな立ち位置なら、仮病を使ってでもそのまま自室に帰って速攻でベッドにダイブして寝る自信がある。

 

「……どうやって逃げ延びてきた?」

 

姫野は面倒くさそうに片目を細めた。

 

「逃げてきたわけじゃないし。ただの『トイレ休憩』っていう名の合法的なサボり。そのまま歩いてたら、和泉くんがボケーとしてたら声かけたの。また変な飲み物飲んでるかなって思ったけど毎日は飲まないんだ?」

 

コイツは結構ストレートに言うタイプである。一歩引いた立ち位置にいる分、余計な建前を抜きにして本音をズバズバ放り投げてくるあたり、ある意味では分かりやすいとも言えるが。

 

「マウンテンデューを変なのって言うな」

 

そう反論しながらも、マウンテンデューって日本じゃあんまり人気ないからな……という切ない飲み物事情を思い出して、俺は心の中で静かに肩を落とした。 

 

「……まあ、和泉くんが元気そうで何よりだけどさ」 

 

姫野、それは大きな間違いだ。

 

最近の俺は軽井沢の壮絶すぎる過去を聞かされたり、堀北や軽井沢を含めた訳の分からない同盟に加入させられたり、あの女としたくもない二人きりの会話を二回もさせられたり、龍園に名前覚えられたり、橋本とかいう胡散臭いチャラ男に絡まれたり、マジで散々な目ばかりに遭ってるんだからな!?

 

世間の男子からすれば「女子とたくさん会話できて羨ましい」とか何とか抜かすんだろうが、じゃあお前ら、俺と場所を変わるか!? 俺は今すぐにでも変わって欲しいね! 変わったら毎日刺激的な生活を送れるぞ! 刺激的過ぎて胃に穴が開きそうになるぐらいにな!

 

俺の目から放たれる尋常じゃない怨念と、深すぎる疲労の色を間近で察知したのだろう。姫野は一瞬「うっ……」と言葉を詰まらせ、気まずそうに目を泳がせた。

 

「あ、なんか……想像以上に大変そうね……」

 

冷や汗をひとつ浮かべた姫野は、そっと視線を逸らしながらコホンと小さく咳払いをした。

 

「ま、気を取り直して本題なんだけどさ。……和泉くん。最近、うちのクラスでちょっとした有名人になってるの知ってる?」

 

「……え?」

 

思わず俺は喉を鳴らした。

 

「有名人? 俺が? 冗談だろ。俺はただの胃痛持ちだぞ」 

 

「冗談じゃないって.....一年の時の船上試験とか一緒に遊んだこともあって、元々ウチのクラスの何人かは和泉くんの名前を知ってたけどさ……最近はそれどころじゃないんだって」

 

姫野は気だるげに髪を耳にかけながら、トントンと足のつま先で地面を突いた。

 

「だって、和泉くんがさ……少し前に一之瀬さんとパレットでお茶してたとか何とかって噂が流れて、女子の間でちょっとしたザワつきになったんだよ。しかも、今日だって昼休み……校舎裏のベンチで、一之瀬さんと二人きりで何やら密談してたって目撃情報がクラスのグループチャットに流れてたし」

 

マジかよ。あの短時間の接触すら、しっかり誰かに見られてやがったのか……!クラスのリーダーと接触すること自体が、周囲から見れば「何か裏の動きがあるのでは」という格好のゴシップの種になってしまうのは当たり前だ。

 

「後、一之瀬さんの取り巻きとかがさ、『あのAクラスの和泉くんって人、なんか一之瀬さんに冷たくない?』とか、変に勝手に盛り上がってたりするわけ...あ、ちなみに私は全然そんなふうに思ってないから安心して。ただの胃薬中毒の変わり者にしか見えてないし」

 

「最後の一言は余計だろ.....冗談じゃねぇよ」

 

俺が頭を抱えて天を仰ぐと、姫野は「まあ、みんなヒマなんだよ」と、どこか他人事のようにフッと息をついたが、次の言葉で彼女の顔つきが真剣になった。

 

「……でも、一之瀬さんが綾小路くん以外の誰かに興味津々なとこ、最近の私たちから見ても珍しいんだよね」

 

姫野は半目を向けたまま、どこか冷めた、しかし的確なニュアンスで呟いた。

 

「最近の一之瀬さんってさ、すごくカリスマ性があって、クラスの士気を上げてみんなを励ましてくれるし、直近の特別試験だって上手くいった……それはそれで助かるし、ありがたいんだけど....綾小路くんのことになると、なんかもう見ているこっちがソワソワするくらいゾッコンじゃん? ……あれ、正直ちょっと不気味だし引くよね」

 

「あぁ、引くな。全方位に気色悪いレベルで引く」

 

俺は即答した。今でこそ、あの女はかつての甘さを完全に脱ぎ捨て、あらゆる手段を選ばない冷徹で合理的なスタイルをクラスに強いている。だが、振り返れば2年前の入学当初は真逆だった。全員を救おうとする無謀なまでの聖母気取りゆえにクラスはジリ貧に陥り、神崎たちを中心とした革新派なる不満分子の派閥が生まれていたほどだ。

 

だが、覚醒を経た今の彼女は違う。事実上の独裁政権を敷いていながら、龍園のような恐怖や暴力による支配とは決定的に異なる。それは「クラス全員が彼女の笑顔と正しさを盲信し、自ら進んでそれに従う」という、もっともタチの悪い――民主主義の皮をかぶった狂気の独裁、あの女だからこそ無し得るやり方だ。

 

故に外野から見れば異論を唱えにくく、あの底知れない不気味さが際立つのに、当のクラスメイトたちはそれを「正義」だと信じ切っている。

 

「…………」

 

その構造の危うさを、姫野は肌で感じ取っているのだろう。アイツを熱狂的に崇拝するクラスメイトたちとは一線を画し、一歩引いた冷めた場所から、その歪な狂気を冷静に見つめているからこそ吐けるリアルな本音だった。

 

「和泉くんがあの一之瀬さんと個人的に話してさ……もしかして、綾小路くんの件とかで何か巻き込まれてたりするわけ?」

 

「巻き込まれたくなくて日々必死にサバイバルしてる……と言いたいが、昨日はあの女が綾小路に抱いてる澱んだ狂気を見て、俺はアイツが嫌いになった」

 

俺がハッキリと「嫌い」と言い切ったことに、姫野は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。さらに、俺が奴の名前すら口にせず、「あの女」「アイツ」呼ばわりしていることにも気づいたらしい。

 

Dクラスの生徒から見れば、アイツという存在は「聖女」であり「絶対的なリーダー」だ。いくら冷めた立ち位置にいる姫野とはいえ、他クラスの男子生徒から直接そこまでの拒絶反応を叩きつけられたのは予期していなかったのだろう。だが、姫野はすぐに「あはは……」と気だるげに苦笑し、小さく肩をすくめてみせた。

 

「……まあ、そうだよね。他人の恋愛沙汰とか策略とか、本当にめんどくさいもんね。私も本当は、こういう女子同士の群れとかゴシップとか、全部スルーしてさっさとAクラスで卒業できたらどれだけ楽かって思ってるし」

 

その微かに投げやりで、しかしどこか本音の混じった呟きに、俺は奇妙なシンパシーのようなものを覚えた。

 

「Aクラスの俺が言うのもなんだが……別に無理してこんな修羅の国みたいなクラスで卒業出来なくても、普通に人並みに勉強して、一般受験した方がよっぽど精神的には良いんじゃないかって思うときがある」

 

これは偽らざる本心だ。この学校の偏差値は比較的高く、日々の授業のレベルも低くはない。何より、定期テストで赤点を一回でも取れば即退学という、一発レッドカードの極限システムが常に精神を蝕む。余程の天才や生粋の権力闘争狂でもない限り誰もが生き残るために毎日必死で机に向かっているのだ。

 

俺だって、余計なトラブルを避けるために毎日こうして地味に勉強し、どうにか順位を維持している。中学生の頃の俺からすれば、休日に自主的に机に向かっているなんて絶対に信じられない変化だろう。

 

だからこそ思うのだ。化け物どもの陰謀劇に巻き込まれてすり潰されそうになるくらいなら、素直にペーパーテストの勉強だけして外の一般的な大学を目指す方が、よっぽど健全でコスパが良いのではないか――と。こんな不条理なシステムに人生の貴重な時間を差し出すより、普通に受験勉強した方が遥かに気楽に生きられるはずだ。 

 

そんな、高度育成高等学校の理念を根底から否定するような愚痴を、あろうことか「現Aクラスの生徒」が口にしているのだから皮肉な話だ。俺の予想外の呟きに、姫野は一瞬呆気にとられたようにパチパチと目を瞬かせたが、すぐに「くすっ」と、今日一番自然な笑みを小さく零した。 

 

「……現Aクラスの生徒が生徒手帳に喧嘩売るようなこと言っちゃうんだ……でも、すごくよく分かる」

 

姫野はふっと口元を緩めると、どこか肩の荷が下りたような、すっきりとした表情で小さく息を吐き出した。 

 

「この学校の『Aクラス卒業枠』って、手に入れるためのリスクとストレスが、どう考えても釣り合わないんだよね。そこまでして不毛な足の引っ張り合いに縛られるくらいなら、自分の力で普通の大学を受験した方がよっぽど精神衛生上いいかも」 

 

化け物どもが繰り広げる泥沼の化かし合いや、底の見えない歪んだ執着の渦から、できることなら今すぐ遠く離れたい。ただひっそりと、誰にも注目されずに平穏に暮らしたい――その切実な願いだけは、どうやらこのダウナーな女子生徒と俺の間で、完全に一致しているらしかった。

 

「お互いに、選ぶ学校を間違えたな……」 

 

「ほんとそれ……あ、これ、私の口止め料ね」

 

ふっと自嘲気味に笑った姫野は、ブレザーのポケットから、どこかで見覚えのある少し派手なパッケージのキャンディを一枚取り出した。それを、まるでゴミでも放り投げるような気だるげな動作で、ポンと俺の膝の上に転がす。

 

「じゃ、そろそろ女子会の『仲良しごっこ』の空気に戻るの面倒くさいけど、これ以上サボると小言言われそうだから戻るよ」

 

彼女はだるそうに体を起こすと、パタパタと軽く手を振って立ち上がった。 

 

「和泉くんもさ、変に目立って一之瀬さんにマークされないように、気をつけておいた方がいいよ。あの人、普段あんなに優しそうにしてるけど、一度標的に定めたものに対する執着って、実はかなり執念深いから」

 

「……忠告どうも。胃薬の減りが早くなりそうな話は、できればこれ以上聞きたくなかったがな」

 

俺が苦笑交じりにそう返すと、姫野は「じゃあね」と気だるげに片手を上げ、そのまま女子のグループが待つエリアへとトボトボと歩き去っていった。  

 

取り残されたベンチの上で、俺は膝の上に転がされたキャンディをそっと拾い上げる。周囲を見渡せば化け物だらけのこの学園で、まともな神経を保って生き延びるのには、想像以上のエネルギーと胃薬が必要らしい。

 

姫野が気だるげに去っていき俺は少しでも危険地帯から離れるべくケヤキモールの出口へ向かって歩いていた。これ以上、あの女の影や橋本みたいなペテン師キツネの視線に晒されるのは御免だ。早く自室に引きこもり、ゲームの世界で銃をぶっ放して現実逃避に限る。

 

だが、この学校の神様は、どこまでも俺の胃壁を打ち砕くのが好きらしい。人の波を通り抜けようとしたその瞬間。前方の視界に、ただそこに立っているだけで周囲の空気の密度を変えてしまうような、あまりにも不吉なシルエットが滑り込んできた。

 

「――和泉」

 

平坦で、何一つ感情の波を含まない声が俺の名前を呼ぶ。

 

……詰んだ。

 

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