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「……ハァ」
吐き出した溜息が、秋の冷え込んできた空気に白く溶けて消える。……落ち着け和泉灼。終わったことは巻き戻せない。タイムマシンでも開発されない限り、あのポエムじみた大惨事を消し去ることは不可能なんだ。
脳内で何度もセルフメンタルケアを試みるが、思い出すたびに足元がふわふわと浮き立つような悪夢のような感覚に襲われる。
『お前ら二人のことが心底嫌いなだけだ!』
うぎゃあああああああ!! 消えたい! 今すぐ宇宙の藻屑となって消え去りたい!!∀ガンダムかターンXのどっちでもいいから月光蝶でこの文明を滅ぼしてくれ!心の中で転がり回りながら、俺は逃げるように寮のエレベーターへと滑り込んだ。『閉』ボタンを連打し、自室のある階のボタンを押す。
無機質な鏡に映る自分の顔を見る。目は泳ぎ、顔色は完全に胃薬を欲している病人そのものだ。カッコつけて「じゃあな」なんて言い捨ててきた奴の末路がこれである。惨めすぎて涙出てきた....
『ピーン』
エレベーターが閉まろうとしたその時、1人の生徒が入ろうとしていた。
「――和泉?」
不意に、隣の部屋の前の暗がりから、聞き覚えのある声が落ちてきた。心臓が跳ね上がった。マジで跳躍力の世界記録を更新するレベルで跳ねたんだが...恐る恐る視線を向けると、そこには買い出しのビニール袋を手にした軽井沢が立っていた。
少し驚いたように目を丸くし、それからいつものように少し首をかしげて俺を見つめている。
「なんか……すっごい顔色悪いけど、大丈夫?」
「……っ!?」
タイミング!! タイミングがおかしいだろ神様!!
さっきまで、俺は一之瀬と綾小路の前で「お前のことが好きだから二人を助けないし、二人を嫌うんだ」と愛の大爆発を起こしてきたばかりなのだ。その張本人、俺が全人生をかけて守ると決めた相手が、目と鼻の先に立っている。
「い、いや……ちょっと、ジムで……体をな、動かしてきて……」
「ジム? 和泉が? へぇ、珍しいじゃん。省エネが主義じゃなかったの?」
軽井沢はクスクスと軽く笑いながら、手に持った袋を少し揺らした。その無邪気で、何の裏もない笑顔。綾小路に振られ、一之瀬に牽制され、傷つきながらも必死にこの学校で立ち立とうとしている彼女の姿。その笑顔を見た瞬間――胸の奥で渦巻いていたイタすぎる恥ずかしさが、すっと静まり返っていくのを感じた。
ああ、そうだ......俺がどれだけ無様になろうが、どれだけ痛い奴だと笑われようが、この笑顔を守れるならそれでいいんだ。
「……まあな。いろいろあって、省エネは廃業したんだよ」
俺は痛む胃をそっと手で押さえながら、自嘲気味に、でも少しだけ吹っ切れた笑みを浮かべて見せた。軽井沢は怪訝そうに眉をひそめると、手にしたビニール袋を軽く持ち直した。
「なんか今日の和泉変だよ? いつもみたいに『面倒くさい』とか言って部屋に引っ込もうとしないし……本当に熱でもあるんじゃないの?」
心配そうに覗き込んでくるその距離の近さに、跳ね上がりそうになる心臓を必死に抑え込む。つい数十分前、学園の怪物ふたりの前で「軽井沢の恋心をへし折ろうとしたお前らが大嫌いだ」と叫んできたばかりなのだ。もし今、彼女にそのことがバレたら、恥ずかしさのあまり本当にその場で爆発してしまうかもしれない。
「熱はない。ただ……ちょっと、覚悟を決めただけだ」
「覚悟?」
「これからはもう少し、自分の本音に素直に生きようと思ってな」
俺の言葉に、軽井沢は一瞬だけ目を見開いた。彼女の瞳に映る俺の姿は、相変わらず冴えない男かもしれない。だが、いつも死んだ魚のようだった俺の目に宿る僅かな光を、彼女は敏感に感じ取ったようだった。
「……ふーん。まあ、よくわかんないけど」
軽井沢は少しだけ口元を緩めると、どこか照れくさそうに視線を泳がせた。
「でも、雰囲気がちょっと変わったのは悪くないんじゃない? 前のアンタ、いっつも壁作ってるみたいで話しかけにくかったし」
「……そうか」
「うん。じゃあ、私は部屋戻るね。あ、もしまた変な悩みでもあるなら、聞いてあげてもいいけど?」
イタズラっぽく笑いながら、軽井沢は自分の部屋の鍵を開ける。その背中を見つめながら、俺の胸の奥には温かい何かがじんわりと広がっていった。
「サンキュ、軽井沢……少し早いけどおやすみ」
「うん、おやすみ! 和泉」
パタン、とドアが閉まり廊下に再び静寂が戻ってくる。俺は自室に入り、鍵をかけてドアにもたれかかった。部屋の暗がりの中、ゆっくりと息を吐き出す。明日から始まるのは、一之瀬と綾小路を相手にした、勝ち目の薄い泥沼の戦いだ。胃は相変わらず痛むし、自分のイタすぎる発言を思い出せば悶絶しそうになる。
だが——もう、迷いはない。
俺は電気もつけないままベッドへ雪崩れ込む。天井の暗闇を見つめていると、脳裏にへばりついて離れないのは、やっぱりあの男——綾小路の底知れない無表情だった。
あいつにとって俺は、チェス盤の上に突如現れたルール外の駒のようなものだ。 完璧な計算と合理性で盤面を支配する怪物にとって、利害ではなく「私怨」や「情」なんていう理不尽な感情で動く人間を、あいつがどう「処理」するのか……想像するだけで背筋に嫌な冷や汗が伝う。
出来れば俺がチェスで言うフェアリーチェス、中でも『アマゾン』みてぇな活躍ができたらなぁ……思わず自嘲気味な独白が口から漏れた。
言っておくが、この『アマゾン』は通販サイトの方じゃない。チェスの変則ルールであるフェアリーチェスに存在する、特別な駒の一つだ。 縦横斜めにどこまでも進めるクイーンの機動力と、駒を飛び越えて八方向に跳べるナイトの奇襲性を併せ持つ、まさにチートの塊みたいな最強の駒。盤上のどこにいても一瞬で状況を覆せる、規格外の存在だ。
フェアリーチェスには他にも、カーディナル(ビショップ+ナイト)やマーシャル(ルーク+ナイト)みたいに、普通の盤面じゃお目にかかれない面白い駒がたくさんある。ルールそのものを拡張し、予測不能な動きで盤面を荒らす異端の駒たち。
もし俺がそんな存在になれたら、どれだけ格好いいだろう。 綾小路が完璧に組み立てた詰みの盤面を、ルール無用の動きで一気にひっくり返して見せられたら——
「……ま、一番俺から遠い駒である事は、よーく分かっているんだけどな」
天井に向かって伸ばした自分の手を、ゆっくりと握りしめる。チート級の性能なんて、俺には一切ない。 服の下に多少鍛えた筋肉があるくらいで、知略も策謀も学園の怪物たちには遥かに及ばない。チェス盤の上に置かれれば、せいぜい「ポーン」が関の山だ。
だが——ポーンにはポーンなりの戦い方がある。前しか見えず、一歩ずつしか進めなくても。相手のポーンと泥沼の殴り合いになろうとも。 あいつの笑顔を守るためなら、盤面の端からでも泥を這いずって進んでやる。何より敵陣に入れたら昇格出来るしな!クイーンになりてぇ.....!
「アマゾンになれなくたって、ポーンの突撃で化け物の計算を狂わせてやれば十分だろ…………いや無理だな。普通に無理だわ」
一人で速攻でセルフノリツッコミを入れて、俺は頭を抱えた。綾小路は超一流のチェスプレイヤーだ。俺が駒である限り勝つ事は不可能だし、仮に俺がプレイヤー側に立ったところで勝てる気が微塵もしない。そもそも俺、チェスより将棋派だしな!
とにかく、あいつと同じ「盤上の土俵」で正面から頭脳戦を繰り広げること自体が根本的に間違っているのだ。
……つーか、あいつの弱点って一体何だ?ベッドの上にゴロリと転がり、記憶の引き出しを片っ端からひっくり返してみる。学力、身体能力、冷徹な観察眼、心理戦の駆け引き……人が社会で求められるあらゆる能力に関して、あいつはカンストどころか限界突破しているようにしか見えない。隙なんてどこにも存在しない気がしてくる。
あいつに穴なんてあるのか? ……ちょっと世間知らずなところくらいか?
「……世間知らず?」
ふと、過去の記憶の引き出しが引っかかった。そういえばあいつ、妙に流行に疎いというか、一般常識が歪なところがあったな。 1年前にやった『生存と脱落の特別試験』のときだ。雑学問題で「動物園で飼育されて、二本足で立つ姿が可愛らしいと大きな話題になった動物は何?」というクイズが出たことがあった。
あの時のあいつの解答は——『犬』。
「……いや、レッサーパンダだろ普通に」
思わず暗い部屋の中でツッコミを口にしてしまった。一時期テレビであんなにニュースになってたのに、知らんのかあいつは。それにアイツはエチケット袋の使い方を知らないなんて噂も聞いた事がある。浮世離れしているどころの話じゃない。まるで世間から完全に隔離された施設で、英才教育だけを叩き込まれて育ったみたいな違和感だ。
「どんな育ちだよ、マジで……」
天井を見つめたまま、俺はぽつりと呟いた。正面からチェスを挑めば、俺は一瞬で詰まされる。けど、あいつが「一般的な世間の常識」や「人間の割り切れない感情」を完璧には理解しきれていないのだとしたら。
完璧に見える化け物の、その歪な「世間知らず」さこそが、完璧な盤面を狂わせる唯一の隙になるのかもしれない。
「……まあ、ゲームとかだったら負けねぇんだがなぁ」
ふと、自分の得意分野に思考が及んで、自嘲気味な笑みが漏れた。俺の仮説が正しければ、あいつはサブカルチャーの領域にも相当疎いはずだ。格ゲーとかだったら、コマンド入力の精度やフレーム単位の駆け引きでワンチャンあるかもしれない。
……いや、待てよ。アーマードコアならどうだ?
「アーマードコアのアセンと対戦なら、ぜってぇ負けねぇ……!」
脳内で速攻でアセンブルのパターンと戦術を組み上げる。パーツの重量配分、エネルギー効率、地形を利用した立体交差、相手の裏をかく変態機体での奇襲。幾多の夜を徹して叩き込んできた俺の「オタクの執念」と「プレイヤースキル」は、あいつの完璧な学習能力をもってしても、そう簡単にトレースできるもんじゃない。
「いくら化け物でも、アセンブルのロマンと変態挙動の奥深さまで1日で理解できるわけねぇだろ……」
くだらない妄想だと分かってはいる。学園の特別試験でアーマードコアのタイマン対決なんて開催されるわけがないし、あいつがコントローラーを握って画面の前で身を乗り出す姿なんて想像もつかない。
だが、ほんの少しだけ。完璧すぎる怪物にも「知らない世界」があり、自分にも「勝てる領域」があるのだと思えたことで、胸の奥を押し潰していた重圧が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
俺はベッドの上で小さく拳を握りしめると、痛む胃を優しくさすりながら、静かにまぶたを閉じた。
ネタ切れなので3日後辺りに投稿します。
そして悟った事が一つ。よう実の二次創作で普通キャラを作るのは私の技量では無理でした。和泉のスペックとして一番近いのが、神崎隆二であり、彼の身体能力が向上しゲーマー属性が付与され、学力と社会貢献性が若干低くなったのが和泉灼って感じです。