雨降りの約束 ―壊した才能と、もう一度走る理由― 作:九頭T
五月の午後。トラックを照らす陽光は、この日ばかりは残酷なスポットライトのようだった。
ルイテンキューは、スタートゲートの中で息を整えようとした。だが、胸の奥で暴れる心臓は言うことを聞かない。掌には汗が滲み、金属の冷たさだけがやけに鮮明だった。
「大丈夫、大丈夫……」
その声は、自分の中でだけ消えていく。左右のゲートにはチームメイトが並ぶ。視線は交わらない。交わる理由もない。
いつものことだ。
観客席には数十人の生徒がいた。練習後の余り時間、退屈、そして——賭け。
ルイテンキューは、それを知っていた。
表向きは禁止されているはずの賭けは、当然のように息づいている。模擬レースの勝敗は、軽い金のやり取りに変わる。
僕に賭ける者はいない。
むしろ、「何着で終わるか」に値がつく。
ゲートが開く。
電子音と同時に影が弾ける。ルイテンキューも脚を踏み出す。だが重い。空気そのものが脚に絡みつくようだった。
先頭はすぐに遠ざかる。
コーナーを回る。そこで——。
視界が裏返る。芝の匂いと、潰れる感触だけが残る。
立ち上がる。走る。
だがそのまま顔から落ちた。口の中でざらつく。
観客席がざわつく。笑う者。何もしない者。見ている者。
同じ方向から視線が刺さる。逃げ場はない。
前には誰もいない。ゴールだけが残っている。
起き上がれない。
背中に陽射しだけが落ちる。呼吸が浅くなる。
「……失格」
無機質な声。
それがすべてだった。
着替え室には誰もいない。
濡れた土のまま鏡の前に立つ。細い身体。戻らない息。
「……何やってるんだろうな」
声は落ちていくだけで、誰にも届かない。
シャワーの音だけが続く。
ぬるい水が冷えていくまで、時間の感覚はない。
外に出ると、夕暮れだった。
橙色に染まるグラウンドの向こうで、まだ誰かが走っている。
チーム、仲間、目標。
それらは最初から、ここにはなかった。
帰路、空を見上げる。
ただ広いだけの青。
意味はない。
寮の部屋に戻ると、ダスタンテは本を読んでいた。ページが止まる。
「……ただいま」
返事はない。
ベッドに倒れる。天井は変わらない。
「……なんで、走るんだろうな」
理由は、もう形にならない。
ただ残っているのは、消えない衝動だけだ。
勝ちたいのかもしれない。
違うのかもしれない。
それすら曖昧なまま、呼吸だけが続く。
夜。
眠れないまま時間だけが過ぎる。
隣の寝息が一定のリズムを刻む。
ルイテンキューは立ち上がる。窓の外。灯りの落ちたグラウンド。
誰もいない場所だけが、静かにそこにある。
「……明日も、走る」
それは決意ではない。
ただの反復、それに近い気がする