雨降りの約束 ―壊した才能と、もう一度走る理由―   作:九頭T

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第二章:九頭の冷笑

九頭龍介――通称「九頭」、あるいは「クズ」――は、観客席の最上段で膝を抱えるように座っていた。

 

五月の午後。模擬レースはまだ始まっていない。だが彼にとって重要なのは、開始の瞬間ではなく「結果」だけだった。

 

「なあ、今日はどれ行く?」

 

隣の男が紙切れを弄びながら聞いてくる。顔も名前も曖昧な、同じ穴の賭け仲間だ。

 

「三番だ」

 

九頭は短く答えた。

 

「堅いとこいくな」

 

「堅いんじゃねぇ。“負けない”とこを拾うだけだ」

 

煙草を咥えたまま、視線だけをトラックへ落とす。スタートゲートに並ぶウマ娘たちの中で、三番は明らかに格が違っていた。勝つ側に賭ける。それだけだ。

 

賭けに夢を見る段階は、もうとっくに終わっている。

 

ゲートが開く。

 

八つの影が一斉に弾けた。九頭は迷いなく三番を追った。理想的な位置取り、無駄のないコーナーワーク。直線で抜け出し、そのまま押し切る。

 

予定通りの勝ち。

 

「よし」

 

小さく息を吐く。これで数千円。夜の帳が降りるまでの繋ぎにはなる。

 

「なあ、また八番転んでるぞ」

 

隣が笑うように言った。

 

九頭は視線だけをずらす。

 

遅れている一人。八番。名前も記憶に残らない。だが、転ぶ光景だけは毎回同じだった。

 

「またかよ」

 

「がんばるねぇ」

 

「それより3番だろ、来る!」

 

笑いが混ざる。悪意というより、消費だ。観客にとってはただの余興にすぎない。

 

九頭も短く鼻で笑った。

 

「向いてねぇんだろ」

 

(間)

 

「……まぁ、そういうもんだろ」

 

言葉に感情はない。断定だけがある。

 

転ぶ。立つ。また倒れる。

 

その繰り返しを、誰も真剣には見ていない。

 

ゴール前、動きが止まる。

 

「失格」

 

機械的なアナウンスが落ちると同時に、視線は散った。

 

興味は、終わった。

 

九頭も席を立つ。

 

「九頭、飲むか?」

 

「今日はいい」

 

短く返し、階段を降りる。

 

学園外れの通路は、光が薄い。人の気配もない。

 

九頭はスマートフォンを取り出し、画面を見た。

 

並ぶ名前はどれも金の匂いがする。

 

借金。延滞。催促。

 

「クソが」

 

吐き捨て、画面を消す。

 

表の賭けでは足りない。裏に回ってもなお足りない。どこに行っても“帳尻”だけが残る。

 

本締。北川。

 

そして、三年前の破綻。

 

――ハナハルカ。

 

その名前だけが、鮮明に残っている。

 

未来そのものだった、あの時は。

 

結果だけが、全てを壊した。

 

「……関係ねぇだろ」

 

自分に言い聞かせるように呟く。

 

スマートフォンが震える。

 

北川。

 

出ないという選択肢は、もう存在しない。

 

「もしもし」

 

『来週までに五万』

 

端的な要求。

 

「分かってる」

 

『分かってる奴の声じゃねぇな』

 

沈黙。逃げ場はない。

 

『次はないと思えよ』

 

通話が切れる。

 

九頭は画面を見下ろしたまま動かない。

 

五万。

 

勝ち続けるしかない。だが勝ち続けられるなら、そもそもここにはいない。

 

視界の端に、さっきの光景がよぎる。

 

転び続ける八番。

 

何度も立ち上がる背中。

 

「……馬鹿だな」

 

それは嘲笑でも、同情でもない。ただの評価だった。

 

やがて九頭はスマートフォンをポケットに押し込み、歩き出す。

 

行き先は決まっている。

 

安い酒と、次の賭け。

 

それだけが、今の現実だった。

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