雨降りの約束 ―壊した才能と、もう一度走る理由―   作:九頭T

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第五章:最悪の出会い

 

 翌日の午後。

 

 九頭は、自分の部屋で白根とルイテンキューを待っていた。

 

 一応、最低限の片付けはした。空き缶を捨て、洗濯物をまとめて押し入れに突っ込んだ。だが、それでも部屋は酷いものだった。

 

 カーテンは閉めっぱなしで、薄暗い。空気も淀んでいる。床には、まだ煙草の吸殻が転がっている。

 

「……まぁ、いいか」

 

 九頭は、ベッドに腰を下ろした。

 

 ノックの音が響いた。

 

「九頭、入るぞ」

 

 白根の声。

 

「……ああ」

 

 ドアが開いた。

 

 白根が入ってくる。そして、その後ろに——

 

 小柄で、華奢な体つきのウマ娘が立っていた。

 

 明らかに怯えた表情。

 

 九頭は、その顔を見て、確信した。模擬レースで八番ゲートにいたあいつだ。雨の日にグラウンドを走っていたのも、おそらくこいつだろう。

 

「……こいつが?」

 

「ルイテンキュー。こいつが九頭龍介。お前のトレーナーだ」

 

 白根が紹介する。

 

 九頭は、面倒臭そうに立ち上がった。

 

「……九頭だ。よろしく」

 

 適当な挨拶。ルイテンキューは、小さく頭を下げた。

 

「……ルイテンキューです。よろしくお願いします」

 

 か細い声。自信のなさが滲み出ている。

 

 九頭は、改めてルイテンキューを観察した。

 

 細い。本当に細い。こんな体で、レースに出ているのか? 信じられない。

 

「で、白根。これからどうすんだ?」

 

「お前に任せる」

 

「は?」

 

「トレーニングメニューも、練習時間も、全部お前が決めろ」

 

「おい、待て。俺、もう何年もトレーナーやってないんだぞ」

 

「知ってる」

 

 白根は、平然と言った。

 

「だが、お前は元々有能だった。その技術は、まだ残っているはずだ」

 

「残ってるわけねぇだろ……」

 

「やってみろ。できなければ、それまでだ」

 

 白根は、ルイテンキューの肩に手を置いた。

 

「ルイテンキュー。九頭は、見た目通りのクズだ」

 

「おい」

 

「だが、かつては優秀なトレーナーだった。お前が本気で走りたいなら、こいつについていけ」

 

 ルイテンキューは、九頭を見上げた。

 

 その瞳には、わずかな希望の光が灯っているように見えた。

 

 九頭は、その視線から目を逸らした。

 

「……好きにしろ」

 

 白根は、部屋を出て行った。

 

 残されたのは、九頭とルイテンキューだけ。

 

 沈黙が流れた。

 

 重苦しい、気まずい沈黙。

 

「……座れよ」

 

 九頭は、椅子を指差した。

 

 ルイテンキューは、おずおずと椅子に座った。

 

 九頭は、再びベッドに腰を下ろした。

 

「まず、確認するが」

 

「……はい」

 

「お前、才能ないよな」

 

 ルイテンキューの表情が、わずかに歪んだ。

 

「……はい」

 

「なんで走りたいんだ?」

 

「……それは」

 

 ルイテンキューは、言葉に詰まった。

 

「走りたい、んです」

 

「理由は?」

 

「……分かりません」

 

「分からないのに走りたいのか」

 

「はい」

 

 九頭は、煙草を取り出した。火をつけようとして、一応ルイテンキューの方を見た。

 

「……吸っていいか?」

 

「あ、はい」

 

 煙草に火をつける。煙が部屋に広がる。

 

「俺は、はっきり言って、やる気ない」

 

 九頭は、煙を吐き出した。

 

「お前を強くする気もないし、勝たせる気もない。ただ、白根に頼まれたから、形だけトレーナーをやる」

 

 ルイテンキューは、何も言わなかった。

 

「だから、期待するな。俺は何もしない。お前が勝手に練習して、勝手にレースに出て、勝手に結果を出せ」

 

「……はい」

 

「何か質問は?」

 

「……ありません」

 

「そうか。じゃあ、今日はこれで終わりだ」

 

 九頭は、煙草を灰皿に押し付けた。

 

「明日から、一応練習には付き合う。時間は……そうだな、朝六時。グラウンドに来い」

 

「はい」

 

「遅刻するなよ」

 

「……分かりました」

 

 ルイテンキューは、立ち上がった。

 

「じゃあ、失礼します」

 

 小さな声で言って、ルイテンキューは部屋を出て行こうとした。

 

「おい」

 

 九頭が声をかけた。

 

 ルイテンキューが振り返る。

 

「……なんでしょうか」

 

「……いや、なんでもない」

 

 九頭は、手を振った。

 

「行けよ」

 

「……はい」

 

 ドアが閉まる。

 

 九頭は、一人残された部屋で、天井を見上げた。

 

「……最悪だな、本当に」

 

 自嘲の笑みが、口元に浮かんだ。

 

 才能のないウマ娘。クズのトレーナー。

 

---

 

 ルイテンキューは、九頭の部屋を出て、廊下を歩いた。

 

 足が、震えていた。

 

 あれが、自分のトレーナー。

 

 クズだと、白根さんは言っていた。その通りだと思った。

 

 部屋は荒れていて、煙草の臭いが充満していて、九頭自身も無気力そうで——

 

 でも。

 

「……トレーナー、か」

 

 ルイテンキューは、小さく呟いた。

 

 三人目のトレーナーに見放されてから、もうトレーナーなんてつかないと思っていた。

 

 このまま、一人で練習を続けて、いつか力尽きて、退学する。

 

 そういう未来しか、見えていなかった。

 

 でも、今、また一人のトレーナーがついた。

 

 期待するなと言われた。何もしないと言われた。

 

 それでも——

 

「……頑張ろう」

 

 ルイテンキューは、自分に言い聞かせた。

 

 寮に戻ると、ダスタンテがいた。

 

「……おかえり」

 

 珍しく、ダスタンテが声をかけてきた。

 

「ただいま」

 

「……トレーナー、決まったんだって?」

 

「うん」

 

 ルイテンキューは、ベッドに座った。

 

「九頭さんっていう人」

 

「……九頭?」

 

 ダスタンテが、本を閉じた。

 

「聞いたことある。昔は凄腕だったって」

 

「え?」

 

「でも、今は……まぁ、いいや」

 

 ダスタンテは、それ以上何も言わなかった。

 

 明日から、新しい生活が始まる。

 

 ルイテンキューは、窓の外を見た。

 

 空が、夕暮れ色に染まっている。

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