雨降りの約束 ―壊した才能と、もう一度走る理由―   作:九頭T

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第六章:最初の朝

翌朝、午前五時五十分。

 

 ルイテンキューは既にグラウンドにいた。

 

 朝靄が立ち込める中、誰もいないトラックが静かに横たわっている。東の空が、わずかに白み始めていた。

 

 ルイテンキューは、入念に準備運動をしながら、時計を確認した。

 

 まだ六時まで十分ある。

 

 早すぎただろうか。でも、遅刻するよりはいい。

 

 足首を回す。膝を屈伸する。首を回す。

 

 体は軽い。昨夜はよく眠れなかった。緊張と期待と不安が入り混じって、何度も目が覚めた。

 

 でも、今は不思議と気持ちが落ち着いていた。

 

 六時になった。

 

 ルイテンキューは、グラウンドの入口を見た。

 

 誰も来ない。

 

 六時五分。

 

 まだ来ない。

 

 六時十分。

 

 ルイテンキューの胸に、嫌な予感が広がり始めた。

 

 六時十五分。

 

 やはり、来ない。

 

「……来ないのかな」

 

 小さく呟く。

 

 期待するなと言われた。何もしないと言われた。

 

 それでも、どこかで期待していた。

 

 もしかしたら、九頭さんは本気で指導してくれるんじゃないか。

 

 もしかしたら、自分を変えてくれるんじゃないか。

 

 そんな、儚い期待。

 

 六時二十分。

 

 ルイテンキューは、諦めた。

 

「……一人で、やろう」

 

 いつものことだ。

 

 トラックに向かう。スタートラインに立つ。

 

 深呼吸。

 

 走り出す。

 

 一歩、二歩、三歩——

 

 体が重い。いつもと変わらない。

 

 コーナーを回る。

 

 脚が縺れそうになる。慌ててバランスを取り直す。

 

 直線に入る。

 

 必死に腕を振る。でも、速くならない。

 

 ゴール。

 

 タイムは、相変わらず遅い。

 

 ルイテンキューは、膝に手をついて息を整えた。

 

「……もう一本」

 

 スタートラインに戻る。

 

 また走る。

 

 何本走っただろう。

 

 気がつけば、七時を過ぎていた。

 

 他のウマ娘たちが、グラウンドに集まり始めている。チームごとに、トレーナーの指示を受けながら、練習を始めている。

 

 ルイテンキューは、その様子を遠目に見ながら、また一人でスタートラインに立った。

 

「おい、ルイテンキュー」

 

 声がした。

 

 振り向くと、九頭が立っていた。

 

 髪はぼさぼさで、服も皺だらけ。明らかに、今起きたばかりという顔。

 

「……九頭さん」

 

「寝坊した」

 

 九頭は、欠伸をしながら近づいてきた。

 

「何時から来てたんだ?」

 

「……六時です」

 

「マジか。律儀だな」

 

 九頭は、煙草を取り出した。

 

「おい、吸ってもいいよな?」

 

「……はい」

 

 煙草に火をつける。朝の冷たい空気に、煙が溶けていく。

 

「で、もう走ったのか?」

 

「はい」

 

「何本?」

 

「……十本くらい」

 

「十本?」

 

 九頭は、眉をひそめた。

 

「十本も走ったのか?」

 

「……勝手に走って、すみません」

 

「いや、別に」

 

 九頭は、煙草を吸った。

 

「別に止めねぇよ」

 

「……はい」

 

 ルイテンキューは、スタートラインに戻った。

 

 九頭は、トラックの脇に座り込んだ。

 

 ルイテンキューは、十一本目を走り始めた。

 

---

 

 九頭は、煙草を吸いながら、ルイテンキューの走りを眺めていた。

 

 遅い。

 

 圧倒的に遅い。

 

 フォームも悪い。腕の振りが小さく、歩幅も狭い。コーナーでは明らかにバランスを崩している。

 

「……よくそれで走ろうと思うな」

 

 呟きは、煙と一緒に消えた。

 

 ルイテンキューがゴールする。

 

 肩で息をしながら、九頭の方を見る。

 

「……どうでしたか?」

 

「どうって言われても」

 

 九頭は立ち上がった。

 

「遅ぇ」

 

 即答だった。

 

「……はい」

 

「その走り方、また転ぶぞ」

 

「……すみません」

 

「謝られても困る」

 

 九頭は、空き缶に煙草を押し潰した。

 

「終わりだろ。俺は帰る」

 

「はい」

 

「じゃあな」

 

 九頭は、さっさとグラウンドを離れた。

 

 ルイテンキューは、その背中を見送った。

 

「……来てくれた」

 

 小さな声は、九頭には届かなかった。

 

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