日曜日。
この日は一日中やることもなく、ぼくには珍しく朝ごはんを食べたあと布団に戻り、昼過ぎまで寝ていた。昨日上手く寝付けなかったせいだ。
突然、強くゆすられた事でぼくは起きた。
「な、なに?なんなんだ?」
「あ!啓くんやっと起きた!早く逃げなきゃ!」
「あれ⋯⋯えっと?い、一体何が?」
「私もわかんない!とにかく急に化け物が⋯⋯いいから早く!」
「わ、わかった⋯⋯」
孤児院の他の子たちは外出していたらしく、家に居たのはぼくと彼女だけだったらしい。
そういえば彼女の名前を聞くタイミングを逃していたな。今更聞きにくいし、急かされていてそんな余裕がなかったにしても出る時に札を確認しておくべきだった⋯⋯
そんな呑気な事を考えながら足音の近づいてくる向きから直角の方向へ移動を続ける。正直、化け物とか言われても実感は無い。ゴジラでも上陸したのか?
だんだんと足音が近づき、巨大な姿が見えた時ぼくは驚きのあまり足を止めてしまった。
⋯⋯トリオン、兵?
この怪物。見覚えがある。確か、
「何してるの!早く!」
彼女の声でぼくはやっと気を取り戻し、考えている場合ではないことに気がついた。
既にバムスターはかなり近くまで寄ってきている。
向こうもこちらに気がついたのだろうか、一匹だけ明らかに進行方向を変えて向かってくる。
⋯⋯やばい!!!
彼女と一緒に全力で逃げる。崩れた家を避け、できるだけ舗装された道を進むが、明らかに彼女の体力が持たなそうだ。今にも倒れそうな青い顔をしながら脇腹を抑え、荒い呼吸をしている。
「⋯⋯ぼくが気を引くから、どこかに身を隠してくれ⋯⋯あそこの横断歩道を超えたタイミングだ。いい?」
「⋯⋯ハァハァ、い、いや、だめ。そんなの啓くんが、危険すぎる。私が囮になった方が、啓くんは、まだ体力がありそうだし⋯⋯どっちも死んじゃう可能性がある方法より、確実に⋯⋯はぁ、どっちかが助かる方法の方が、はあ⋯いいはず⋯⋯!」
彼女はどこまで合理的なのだろうか。そもそもこの状況を作ったのはぼくが足を止めてしまったからだと言うのに、どうしてこういう考え方になるのだろうか。
「で、でも⋯⋯!」
「きゃっ!」
話していたせいで足元が疎かになってしまったからか、彼女は足を挫いてしまった。⋯⋯本当にぼくは、どうしようもないやつだ。彼女を見捨てるしかない?背負って逃げる?
実現性の低い案が頭の中で浮かんでは消えてを繰り返す。
「あー、こんなことなら、もっと運動しておけばよかったな⋯⋯私は死んじゃうけど⋯⋯君は!啓くんは、生きてね!こんな時だから言うけど⋯⋯はぁ!す、好きだよ⋯⋯!好き。だからいつも君のことを見ていたし、力になってあげたかった!」
「⋯⋯えっ」
彼女の顔は運動と羞恥による興奮でリンゴのように真っ赤になっていた。死が目前だというのに、笑顔で、ぼくに負い目を感じさせないようにすることだけに必死でいる。
『死の直前にこそその人の本性が出る』そんな、どこかで何度も見たような、陳腐で、それでももっともらしい言葉を思い出した。
尊い人だ。ぼくなんかより、ずっと価値がある。彼女はぼくに一世一代の告白をした。自身の命より、ぼくに未来を託す決断をした。ぼくは、隠し事なんかをしている場合か?今から彼女のためにできることがあるのではないか?
「⋯⋯ありがとう⋯⋯君がしてくれたように、ぼくも隠していたことを告白するよ。こんなこと、突然言って混乱するかもしれないけど⋯⋯」
「な、なに?早く逃げなよ!」
やはり彼女は合理的だ。ぼくが助かる確率を一パーセントでも上げるために、すぐに逃げることを促してくる。
焦っているせいで思考が纏まらない。これを彼女に伝えるのが本当に彼女のためになるのか、無駄な希望を持たせてしまうだけではないのか、何もかもが分からない。それでもぼくは⋯⋯これはぼくのわがままだが⋯⋯彼女に対して、誠実でいたい。そう思った。⋯⋯とにかく、何を伝えるかの取捨選択をしている暇がない。もういい、考えていることを、そのまま出力すればいいんだ。思考と肉体を切り離せ。
そう考えると口がひとりでに動き始めた。
「⋯⋯⋯⋯
突然のことに彼女は呆気にとられている。
当然だろう。こんなこと言われて「はい、そうですか。」となる方がおかしい。⋯⋯以前の僕は、そんなことも分からなかったから、親に捨てられたんだけど。
「⋯⋯わかった。君を信じる。信じるよ。なんだいその顔は、自分で言ったんだろ?ほら!早く行って!」
「うん」
ぼくは走り出した。
ぼくはついに彼女の名前も知らないのに、彼女はぼくのことを想ってくれていた。こんな、最低なぼくを生かす為に犠牲になった。実際、客観的に見てこの方法が現実的だったし、他に選択肢もなかった。ぼくより、彼女の方が生きるべきで、普通の青春を送って人と関わるべき人間だったということを除けば。
後悔し続けながら走った。
気づけるポイントはいくつもあった。地名は三門市。学校に登場キャラクターと同じ名前の人もいた気がする。
きっと彼女は大規模侵攻が始まって、ぼくを起こして一緒に逃げるために孤児院に戻ったのだろう。もしぼくが彼女と関わろうとしなかったら、彼女は連れ去られることはなかったのだろうか。
後悔は尽きない。
ぼくがいまここにいるのは彼女のおかげだ。
ぼくは彼女の為に生きなきゃいけない、そして彼女を救う。彼女はぼくの力になろうとしてくれた。だからぼくは人と関わろうとしなくちゃいけない。それが人間関係ということなんだろうと思った。彼女の行動が、ぼくを変える。ぼくのすることは、そのまま彼女のしたことだ。
決意が固まると、血液が沸騰するような感じがしてきた。
今、ぼくの身体にはマグマが流れている。頭は冷水をかけられたように冷静で、現実を見据えている。
よし、まずは生き抜く。ぼくは未来を知っている。こんなどうしようもない人間でも、それだけで何か役に立てるはずだ。
走りざまに、崩れた家の近くに落ちている鏡の破片を拾う。指を怪我したが気にしない。
瓦礫に身を隠し、鏡をさっきまでバムスターがいた方へ向ける。
⋯⋯よし、見失っているみたいだ。
瓦礫を伝って静かに離れていく。
チラチラバムスターを覗きながら移動を続けると、急にあさっての方向を向いて走って行った。
ほっと一息をつき、瓦礫から顔を出してバムスターの進行方向に目を向ける。
⋯⋯人だ。そうだよ、あれは
バムスターが追っている女の人⋯⋯彼女は瓦礫を持ち上げるのに必死で見つかっていることに気がついていない⋯⋯どうする?声を出して気づかせる?ぼくも見つかるかも、ぼくが連れ去られる訳にはいかない。
こんなとき
そのとき瓦礫の下からもう一人、少女が這い出てきた。
この光景⋯⋯どこかで⋯⋯⋯⋯そうだ、香取葉子と染井華!
ぼくは電気ショックを受けたかのように一度体を震わせ、あらん限りの力で叫ぶ。
「逃げろっ!!!化け物に追われてるぞっ!!!!!!」
声が届いて彼女たちにも聞こえたのかビクッと体を震わせて反応する。当然、バムスターにもぼくの場所が見つかる。
バムスターはぼくと彼女たちを一直線で結んだ時の丁度真ん中の辺りにいる。首を振りどちらを狙うか判断を下そうとしている。
⋯そんなの、二人いる向こうに決まっているだろ!!
たしか香取葉子が足を負傷していて、肩を貸してもらって歩いていたはず、追われたら逃げるのは絶望的!漫画的なメタ読みで、原作通り進行すれば、ボーダーは長期遠征まで行って攫われた民間人の救出をするだろう。
心の中の
『
そうだ。
一瞬で判断し、全速力でバムスターに向かって走る。
そうだ!ぼくを狙え!飛んで
彼女たちは申し訳なさそうな顔をしながら会釈し、よろよろと歩いて逃げていく。そうだ。それでいい。
彼女たちが歩きにくそうにしている様子をバムスターに見られたら終わりだ。ぼくはわざと近づいたり離れたりして自分に注意を向かせる。
数分も続けると急に動きが変わった。
⋯⋯もうじき彼女たちの避難も終わる頃だろう。ぼくもそろそろこいつを振り切って逃げたい時間だが⋯⋯どうする?操縦者は訓練を受けていて、確実にぼくより上手だろう。いま何とか避けれているのは相手の巨体故に動きが遅いのと、ぼくの体力に余裕があるからだ。そのうち限界が来て捕まってしまう。
考えろ、どうすれば助かる?
倒すことはできない。倒すにはトリガーが必須だったはず。
助けを求めることはできない。犠牲者が増えるだけ。
あぁ、いや、じゃあ倒せる人に助けを求めればいいじゃないか。旧ボーダーの人たちのいる場所を考える。
本部に行ってもオペレーターしかいないよな?
⋯⋯発生源だ。たとえトリオン兵の増援が止んでいても、念の為に数人は待機させているだろう。
そうと決まれば出現地にだいたいの当たりを付けて向かう。簡単だ。壊れた瓦礫を伝って逆走すればいい。
走り続け、ボーダーの人間らしい人影が見えてきた頃にはもう息も絶え絶えになっていた。ほっと喜んでしまい、気が緩んだのか足元の石に気づかず転げてしまった。ここまで来たのに捕まるのか、
⋯⋯はて、せめて捕まる時に怪我をしないよう体を丸めて俯いているがいつまで考え事を続けても視界には地面しかない。おずおずと視線を上げ、さっきまでバムスターがいた方へ目を向ける。
「よう。大丈夫かい。メガネくん」
迅悠一だ。
「大丈夫、じゃ⋯⋯ない⋯⋯⋯⋯」
気絶した