ゲヘナ学園所属の男子生徒がいろんな生徒に重い矢印向けられていく話 作:コウハクまんじゅう
雨が地面を叩きつける音も、水を吸って肌にのしかかる服の感触も、今の俺には届かなかった。
乱れそうになる呼吸を整え、身体の芯から滾る熱を抑えることに集中していたからだ。
「……」
アリウススクワッド。エデン条約を混沌の渦に陥れ、俺の大切な人達を傷つけた、敵。陽が沈み、暗闇が辺りを支配してもその顔を俺はハッキリと捉えていた。
ふいに冷静になった頭が高速で稼働し、状況の把握と次に取るべき行動を囁いてくる。
あの青髪…先生が言うには、錠前サオリだったか。どういうわけか、ヤツはいない。
強いリーダーが率いる組織は、たしかに強い。風紀委員会がその証左だ。
しかしその多くはリーダーの能力に依存している。
俺が入る前の風紀委員会は、空崎ヒナがあってこその組織だと揶揄されていたのを思い出す。
リーダー無き集団なぞ烏合に過ぎない。もっとも、風紀委員会や、目の前にいるアリウススクワッドならばある程度は立ち回れるだろうが、本来の力は発揮できまい。
相手は3人。そのうちの1人は俺の腕の中にある。
入院生活で体はなまっているが、3人を倒すには事足りる。
─斬れる
あの日から幾度もフラッシュバックしてきた赤い光が再び脳裏に浮かび上がった。
失った左目に熱が灯る。
改めて視線を周囲へ這わせる。
腕の中には震えて身動きの取れない緑髪の少女。彼女の得物はスナイパーライフル。この至近距離では身動きは取れない。
約2m先には黒マスクの少女と、俺を真っ直ぐ見据える薄藤色の髪の少女。
黒マスクの少女はロケラン、藤色の髪の少女はアサルトライフル。ロケランは緑髪の少女を巻き込む可能性が高いため撃てないだろう。仲間同士の繋がりが強いのは調印式で確認済みだ。
警戒するべきは、唯一小銃を持つ藤色の髪の少女か。
記憶ではマスクをつけていたはずだが、どういうわけか今はしていない。まぁ、些事か。
俺はアリウススクワッドの面々から見えないように左手を刀の鍔へと這わせた。
幸いこの雨だ。鯉口を切る音は紛れて届かない。
身体を僅かに捻り、抜刀からの連撃に移れるように重心を調整する。
彼女たちが気づいた様子はない。
目論見通り、俺の動きを悟らせずに臨戦態勢へと移ることができた。
まずは緑髪の少女、次に黒マスクの少女、最後に藤色の髪の少女だ。
─参る
緑髪の少女の肩から右手を離し、刀の柄に手をかけ─
ぐぅぅぅううう…
「……え?」
─柄にかけようとした右手が止まった。
え…え、え?な、なんだ今の音。
戸惑っている最中にも、気の抜けた奇妙な音は雨音にも負けぬ大音量で再び鳴り響いた。
ぐぅぅぅううう…
この雨の中ハッキリと届くということは、音の発生源は思っている以上に近いようだ。音が聞こえた方向を探すと、俺の目の前に辿り着いた。これは…まさか。
腕の中で未だに固まっている緑髪の少女に目線を移すと、少女は気まずそうに身を縮めこんでいた。
「わ、私達、もう4日まともなご飯を食べれていなくて…」
その言葉が嘘偽り無いことを証明するかのように、今度は黒マスクの少女達の方向から腹の虫が鳴る音が聞こえた。
視線を上げると、そこには頬を赤らめて腹を抑える黒マスクの少女と、飄々としながらも僅かに俯く藤色の髪の少女の姿があった。
俺は緑髪の少女へと視線を移し、話の続きを促した。
「……」
「そっ、それで、雨風をしのげる場所も、見つけれていなくて…」
「………そうなのか?」
そう言って黒マスクと藤色の髪の少女に目を向けると、2人揃ってコクリと頷いた。
思わず天を仰いだ。
急速に熱が引いていき、現実世界に意識が浮上する感覚に目眩を覚える。
脳裏には先生とのモモトークでの会話が思い起こされた。
曰く、アリウススクワッドは任務に失敗し、用済みと見做され帰る場所を失っていたこと。アリウス分校が制圧されたこと。アリウス生達は過酷な環境下で洗脳教育を受け、兵士として訓練されてきたこと。
彼女達の服装に改めて目を向けると、何日も放浪生活をしてきたのだろう。ところどころほつれ、汚れや皺が目立っていた。
途端、俺は居た堪れなくなった。
俺は大いに迷った。
彼女達が苦労をしたからといって、罪は消えない。あの日、大勢の人々が傷つき、人命さえ失われていたかもしれないのだ。風紀委員としても、一介の武士としても、一人の人間としても彼女たちを見逃すことはできない。
しかし、先生から聞いた彼女達の境遇にも思う所があるのも事実。なにより、俺は彼女達に過去の自分を重ねていた。
行く場所も帰る場所も失い、傷つき、彷徨い、ゲヘナ自治区に迷い込み、初めてヒナと出会った時の自分を。
─駄目だ、斬れねぇ
彼女達を斬ることも見逃すこともできず途方に暮れていた時、突然1つの考えが浮かんできた。
─ならば家に連れ帰るのはどうだ?
その考えが浮かんだ瞬間、俺は固まった。
連れて行く?家に?彼女達を?だが、連れて行ってどうすると自問する。
─放っておけぬ、だが斬れぬ。ならば目の届く所に置けばいい。
─密室ならば刀が勝る。下手な事はできまい。
─風呂に入れて着替えさせ、隠し持っている武器を封じる事もできる。
もっともらしい小理屈が勝手に浮かび上がり、彼女達を家に連れて帰る事をなんとか正当化しようとする。
情に絆されたわけではない。そうだ、これにはちゃんとした理由があるのだと。
(…思った以上に入院ボケしていたようだな、俺は。)
すっかり腑抜けた己を自嘲し、俺は緑髪の少女から離れた。
「え、えっと…?」
緑髪の少女は混乱したように目を泳がせる。黒マスクの少女達も同様に、緊張した様子で俺の一挙手一投足を見つめていた。
「お前ら、行く当てがないんだったか」
「えっと、はい」
「なら、家来るか?」
「「「…えっ?」」」
3人の路頭に迷った少女は、揃って小首をかしげた。
その様子を見ながら、俺はふと、肌寒さや濡れた服が纏わりつく気色悪さといった、人間としての感覚が戻っていることにようやく気づいた。
□■□
アリウススクワッドを家に上げる事を決定した俺は、3人を連れて帰宅した。
数週間ぶりの帰宅に安堵する間もなく、俺は様々な問題に直面していた。
「ぶえっくしょい!!!」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「あ、ああ…大丈夫大丈夫。」
問題その1。病み上がりなのに長時間雨のもとに晒され、俺は風邪を引いた。幸いくしゃみだけに留まっているが、いつ熱が出るか分からない。
退院早々雨の中傘もささないで棒立ちになって風邪ひきました、なんて洒落にもならない。お陰でアリウススクワッドの面々に心配される始末だ。
今の俺は、私服にも寝間着にも使えるラフな服に身を包んでいた。
「それより、着心地はどうだ」
「あ、暖かくて、清潔で、安心できて…えっと、ほ、ほんとうに私が着てもいいのかどうか…」
「…」
「うん、とっても着心地いいよ。ありがとう、お兄さん」
問題その2。彼女達に風邪をひかれても困るので、とりあえず風呂に入ってもらった。しかし女性用の服など持っているはずもないので、俺のシャツを着てもらった、のだが。
(これはまずい…!壊れる…俺の中の何かが壊れる…ッ!!)
彼女たちとの確執を抜きにして、年頃の女の子が、俺のシャツを着ているという事実に、俺の中の何かが…正確に言えば癖が破壊されそうになっていた。
「え、えっと、何か気に障りましたか…?はっ…!や、やっぱり私なんかがこんなに良い服を着るなんておこがましいですよね!?す、すみませんすぐに脱ぎ─」
「ッい、いや!脱がなくていい!着てていいから!」
シャツを脱ごうとする緑髪の少女を慌てて押しとどめる。その際彼女の豊満な双谷が、止められていない襟の間からちらりと見えた。
効果音がつきそうな勢いで体を引っ込めると、俺は頭を抱えた。
(まっ、まずいまずいまずい…このままじゃどうにかなっちまうゥ!)
「えっと、ほんとに大丈夫?」
よほど動揺が顔に出ていたのか、藤色の髪の少女が身を乗り出して心配そうにこちらを覗き込んでくる。
風呂上がりの女性特有の艷やかな肌と髪が視界を埋め尽くす。
「だ、大丈夫。俺は大丈夫だから。」
「そ、そう?なんか顔が赤いし…もしかして、風邪が悪化して…?」
「い、いやァ〜〜っ、部屋がァ暖かいからじゃねぇかな!?」
問題その3。俺が借りている部屋は人1人が住むことを想定して設計されている。そのため、4人が入るには些か狭い。
現在俺たちはカーペッドの上で小さいテーブルを囲んでいる。そのため、距離が近いのだ。身を乗り出せばすぐに顔がくっつくくらいには。
ハッキリ言おう。ゴチャゴチャと捏ねた小理屈のすべてが裏目に出ていた。
だが実際、理にかなってはいたのだ。
相手の得物は銃。近接戦闘では刃物に分類される刀に分がある。着替えさせて、恐らく仕込んでいるであろう武器を封じる。完璧な作戦だ。
相手が美少女で、俺が年頃の男子高校生であるという点を除けば、の話だが。
(はァァ…今更追い返すのも気が引ける。まずは飯食ってから考えるか)
俺はおもむろに立ち上がると、キッチンへと向かった。
とにかく手軽に作れる物が食べたい。ということで、冷蔵庫の中身をかき集めて、炒飯を作ることにした。
こう見えて俺は朝食と夕食は自炊で賄っている。
卵、ネギ、ソーセージ、砕いてから湯でふやかした即席麺、ベーコン、白米、コショウ、もう何でも入れてしまえの精神で片っ端からぶち込み、盛大にフライパンで炒めた。
「わぁ…す、すごく美味しそうな匂いですね…あ、またお腹が…」
「何考えてるんだろ。エデン条約騒動を引き起こした主犯を家に上げて、風呂に入れて、着替えも用意して。」
リビングで色々と話しているのが聞こえるが、構わず食材達をフライパンの上で踊らせる。
十分火が通った事を確認したら、4つの皿に炒飯を分けてテーブルに運ぶ。
途端、スクワッドの面々の目の色が明らかに変わった。まるでお預けを食らった犬のように目を輝かせながら、置かれた炒飯を凝視している。
「あっ、あっ、あの、これは…?」
緑髪の少女が目を輝かせながらこちらを見つめる。
自分の分を運び終えた俺は、静かに両手を合わせて炒飯を掬ったスプーンを口に突っ込んだ。
「炒飯。
「「「〜〜!!!」」」
その言葉を合図に、3人は「いただきます」と両手を合わせた後に炒飯を口に運び始めた。
すると、たちまち顔が綻び、堰を切ったようにかきこみはじめた。
「うわぁあああん!美味しいですぅぅう!!」
「…美味しい」
「ね。こんなに美味しい料理、初めてかも」
そんなことを口々に言いながら手を止めずに炒飯を口に運び続ける3人。その会話を、俺は炒飯を食べながら黙って聞いていた。
□■□
作った炒飯を4人で全て平らげ、皿も全て洗い終わり、俺たちは少々遅めの夕食を終えた。
楽しい食事を終えた後は食後のデザートを…と言いたかったが、そうもいかず、俺達は自己紹介と質疑応答をすることになった。
「さて、と。まずは名乗りから始めるか。…俺はゲヘナ学園3年生、風紀委員会の石切達也だ。」
「あ、えっと、次は私ですね…アリウス分校2年生でアリウススクワッドの、槌永ヒヨリです。」
「…アリウス分校2年戒野ミサキ。」
「私は1年生の秤アツコだよ。よろしくね、石切お兄さん。」
「2年の槌永ヒヨリに戒野ミサキ、1年の秤アツコ、か。うん、覚えたぞ。それぞれ槌永、戒野、秤でいいか?俺のことは好きに呼んでくれて構わない。」
3人が頷いたのを見ると、俺はさっそく3人に気になったことや疑問を投げかけていく。
リーダーの錠前サオリはどうしたのか。なぜ古聖堂を攻撃したのか。どのような環境で育ったのか。
曰く、錠前サオリは自身の犯した過ちと向き合うためにスクワッドを離れ、自分を見つける旅に出たのだと言う。
曰く、古聖堂を襲撃したのは、エデン条約を乗っ取り、『ユスティナ聖徒会』なるものを顕現させるためだと言う。
曰く、彼女達が育った環境は…先生から聞いていた話の遥か上を行く残酷さだった。
筆舌に尽くし難い、というのはまさにこういう事を言うのだろう。槌永に指摘されなければ、柄を握り締めた手が砕ける所だった。
彼女たちから話を聞き終え、なおさら彼女達を斬る事への迷いが大きくなった。
「今度は私達が聞いていい?」
秤の言葉に意識を現実へと戻し、俺は3人からの質問に答えた。
「何で私達を助けてくれたの?」
「お前たちを斬るかどうか、判断しかねたからだ。先生から少しは事情を聞いていたが、改めて自分で確かめたくなった。」
「そっか…今はどう?私達を斬りたい?」
「…迷っている、とだけ言っておく。」
秤が頷いた後、入れ替わりで戒野が口を開いた。
「何で私達を家にあげたの?何でお風呂に入れたり、服貸してくれたり、ご飯作ってくれたりしたわけ?さっさと問いただせばよかったんじゃないの?」
「家に上げたのは、接近戦なら俺に分があるからだな。服は仕込んでる武器を封じるため。つか、飯は作りすぎたっつったろうがァ」
「…そ」
「あ、じゃあ、次は私が…」
槌永は少しの間、聞くかどうか迷っていたようだが意を決したように口を開いた。
「石切さんの左目は、なぜ眼帯が…?」
「…これか。そうか、槌永と戒野は気絶していて何があったか知らなかったな」
確かめるように呟いて眼帯を指でなぞると、俺は静かに告げる。
「騒動の最中、錠前サオリに撃たれた。」
「「「…!」」」
それだけで何が起きたのか察しがついたらしい。3人は息を呑んで黙り込み、俺の左目に注目している。
「…石切お兄さん。」
「どうした?」
「眼帯を取って、左目を見せてくれない?」
その中でいち早く平静を取り戻した秤が、真剣な瞳でこちらを見据えた。
しばしのあいだ迷ったが、俺は眼帯の紐をほどいた。
今度は2人分の息を呑む音が響いた。
俺も手鏡を取って左目を見てみると、閉じられた左目の周辺が痛々しい青紫色に変色しているのが見えた。
「…もう見えないの?」
悲痛が混じり震えた声色で、戒野が訊ねてきた。俺は「ああ」と短く返すと、戒野は小さく目を見開いた後「…そっか」と目を閉じた。
3人は掛ける言葉が見つからず、深く沈黙した。俺は眼帯を巻き直した後、何を言えばいいのか分からず、口を引き結んだ。
そうしていると、唐突に眠気に襲われた。時刻を見てみると、既に11時を回っていた。
俺は真新しい歯ブラシを3本引っ張り出し、歯磨きしてから寝るように言った。
そして、引き戸一枚で仕切られた寝室を彼女達に貸し、俺はソファで寝ることにした。
ただ、秤が寝室に入る直前、意味深にこちらを流し見てきたのが気になったが、眠気がひどかった俺は眠りについた。
□■□
浅い眠りを繰り返し、時刻が夜中の3時を回った頃。寝室の方から布が擦れる音と共に何かが歩き回る音が響いてきた。
俺はソファの下に隠していた刀を引っ張り出した。
身構えていると、引き戸が静かに滑り、誰かが出てきた。
カーテンの切れ目から差し込んだ月光に照らされ、彼女が秤アツコだと認識するのに時間は掛からなかった。
彼女は後ろ手で引き戸を閉めると、静かにこちらへ歩いてきた。
「石切のお兄さん、起きてる?」
「…寝られねぇのか?」
ううん、と首を横に振るので、じゃあどうしたと聞くと、2人で話がしたくて起きたと言う。俺はソファの上で身を起こして続きを促した。
「率直に言うとね、ユスティナ聖徒会を顕現させたのは私なんだ」
「…あの幽霊共か」
「そう。だから、お兄さんと、お兄さんの大切な人を傷つける原因を作ったのは、私。」
眠気で回らない頭をなんとか叩き起こして状況を整理する。
ユスティナ聖徒会。あの幽霊を顕現させたのは秤アツコ。その秤アツコが目の前にいる。銃も持たず、たった一人で。
頭が結論に辿り着く前に、秤は一歩前へ踏み出してきた。
「お兄さん。ここにお兄さんの仇がいるんだよ。」
「仇…」
「そう。…お兄さんは、私達によくしてくれた。あなたの大切な物を傷つけた私達に、ね。」
だから、と秤は身を翻すと、カーテンの切れ目から覗く月明かりの下に立ち、妖艶に微笑んだ。
「いいよ。私のこと、お兄さんの好きにして。」
「……錠前サオリの罪を赦せ、と?自分が身代わりになるから、俺の左目を奪った事については不問にしてくれと?」
「ううん、違うよ。それはサっちゃんが向き合うこと。…お兄さん、やっぱり私達を斬りたいって思ってるでしょ」
ビクリ、と体が震える。そうだ、小理屈、冗談、同情で誤魔化そうとしても、やはり彼女達を斬るべき、報いを受けるべきという気持ちがある。
でも、彼女達に共感を、親近感を覚えてしまってそれがブレた。俺は気持ちの行場所を失っていたのだ。
回らない頭でそこまで考えて、ようやく腹に落ちた。
ああそうか、この少女は俺の気持ちを受け止める受け皿になると言っているのか。
俺がようやく彼女のしたいことが理解した時には、彼女は纏っていたシャツのボタンを外し、こちらへ両手を差し伸ばしていた。
「来て。」
未だ微睡みの沼に半身が浸かっていた俺に、理性という鞘は無かった。
再び体の芯から熱が昇ってきた。
いかに理論、理屈で武装しようとも、心を偽る事はできない。
※失った左目について入れ忘れるという痛恨のミスをしてしまいました。今は左目についてのくだりを入れました。ほんとすみません…重要な事なのに…
今後も、こういうことがあったら伝えてくださるとありがたいです!
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