有形断末魔エピタフ 作:スパナ
1 ある朝の一幕
勇気ある子の
そこ行く人よ
憐れみの為ならば立ち止まることはない
ただ過ぎ去るといい
勇気ある子がここに眠っている
彼は彼のうちにのみ誇りを見出し、一人で立った
孤独ではなく、真に孤高であった
故に汝、彼を憐れむことなかれ
何も為せずとも、何にも成れずとも、彼は彼の信ずるところを貫いた
それはきっと、これからも
そこに注がれるべきは敬意だけである
『地域ボランティア委員 男子
後ろの黒板に、汚い字で書かれていた自らの名前を認めて。篝は机の前で立ち尽くしていた。
「おい、あれは、どういうことだ」
「あれ? ──ああ、委員のことかよ」
篝の問い掛けに、前の席から振り向いた賢章が答える。
「お前、昨日休んだだろ。委員決めがあったんだよ。クソぼっちの篝は、見事に押し付けられたって訳」
「クソぼっちはお互い様だろ」
違いねえ、と賢章は返した。
「だが、オレは昨日学校に来ていた。そんな些細な差が、お前との命運を分かったのさ」
元不良。曰く、突然暴走族に入ったかと思ったら、翌日には喧嘩して全員ブチのめし、脱退した。曰く、拳銃を持った半グレと金属バット一本でタイマンを張り、血みどろの死闘の末にそれを制した。曰く──と、その噂は枚挙に暇がない。なんなら二つ目に関しては、篝自身が生き証人だ。
見た目もまた、模範的なヤンキーのそれだった。小枝のようにひょろっとした篝の体とは似ても似つかないガタイに、小器用にセットされて掻き上げられた金髪。極めつけには、その筋肉質な指やら首やらを彩る、角ばった意匠のシルバーアクセサリーの数々。こんな風貌の男に、前述の噂まで加わるのだ。まともな頭をしている者なら、誰も寄り付くまい。
この一月、つまり、高校一年次の三学期の始め。暮雨篝は、季節外れの転入生、というやつであった。賢章とはその頃からの、まだ半年にも満たないくらいの付き合いだ。ちょっとした運命の悪戯から交流が始まり、以来腐れ縁である。
どうにも冴えない転入生、というだけなら寄ってくる人間はいただろう。だがそれが、宝田賢章にマーキングされている、どうにも冴えない転入生になると? そうだ、その通り。まともな頭をしている者なら、誰も寄り付くまい。
とはいえ、篝は別に現状に不満があるという訳でもない。その、『ちょっとした運命の悪戯』を経て、賢章との間には確かな絆がある。だから、彼といるのは、篝としても心地が良かった。
孤独同士で身を寄せ合って、学校という極めて曖昧な群体の中、二人だけでだらだらと過ごして──四月七日、登校直後の今現在に至る。
「昨日いたんなら、なんで庇ってくれなかったんだよ?」
言うと、賢章は椅子に逆向きに座り直し、篝と向き合う形になった。どうやら、弁明する気があるらしい。
「そしたらオレが押し付けられるかも知れねえだろ。まあ別に、他の委員なら代わってやるのも吝かじゃあなかったんだが──」
そこまで言って、彼は言葉を濁す。
面倒臭い、と一蹴すれば良いものを、こいつはこういう風に言うのだ。噂のせいで誤解されがちだが(とは言っても、噂はほとんど本当の話だ)、このなりで意外と、損な性格をしている奴なのである。
続きを聞いて欲しそうにしているので、篝は素直に聞いてやることにした。
「だが?」
「──隣、見てみろ」
賢章の言葉の指すところは恐らく、後ろの黒板の、篝の名前の隣、だろう。言われるがまま視線をそこに戻せば、その情報はすぐに飛び込んできた。
『地域ボランティア委員 女子
「…………確か、元三組の委員長。今年は同じクラスなのか」
あそこにあのように書かれているのだから、つまり、彼女が篝の相方なのだろう。
彩華について、篝の知っていることは限りなく少ない。名前と、性別。あとは見た目くらいの、普通に学校生活を送っていれば、どころか、まともな学校生活を送れていなかろうとも、ほとんど勝手に流れ込んでくる程度の情報だけだ。話したこともないし、目を合わせたことすらもない。要するに、他人であった。
だが、どんな奴なのか、ということくらいは、その程度の情報からでも推し量れるというものである。綺麗なストレートの茶髪と、遠目でも目立つ、鮮やかなネイル。東南アジア系の血が入っているのだろう、くっきりとした、しかし同時に幼さも感じさせる目鼻立ち。
笑顔以外の表情が思い浮かばないので、実際、ほとんどずっとそんな面をしているような女なのだろう。ナチュラルボーンアウトロー、宝田とは異なり、彼女のお洒落はどれも校則のギリギリ範疇といったところだし、なんなら一年次は委員長だ。規則とも上手に付き合える、まさに、模範的な花の女子高生。
『普通に良い子』。
以上。それが、篝の中での土屋の認識だった。
傍若無人・唯我独尊を地で行くこの男が、どうしてそんな、『普通』の女子一人を気にする必要があるのだろうか。
「で、その土屋さんが、お前にとって何だってんだよ」
「──苦手なんだ」
その、顔! 『苦虫を嚙み潰したような』という表現があるが、辞典のその項目の横に、参考画像として添付するべきだと、篝に本気でそう思わせるくらいには、賢章の表情は苦しげだった。
「苦手? お前が?」
「ああそうだよ、悪いかよ」
「別に悪かないけど、なんで、とは思う」
「──んゥ……」
賢章が唸り、それから、やけにしおらしげに言った。
「言わなきゃ駄目?」
ガチムチのゴリラ男がするには、幾分、気色の悪過ぎる上目遣いだった。この様子を見るに、どうやら言いたくない理由とやらは、それほど深刻なものではないらしい。
であれば、篝の返答は決まっていた。
「駄目だ」
「──時は、小学二年生の時分まで遡る」
「思ったより遡るな」
突如、姿勢を正し、賢章は大仰に語り出した。引き際の良さは、こいつの美徳だ。
「宝田少年がいつものように、舐めた口聞いた上級生のボケを泣かした、その帰り道。奴は突然、オレの前に現れた──何を隠そう、まさしくそいつこそが、土屋彩華!」
「小二からその調子かよお前」
「現れた彩華は、オレに向かってこう言った。『弱い者いじめは許さない、うちが成敗してやる!』」
「おおっ。素晴らしい。正義の行いだな」
「それからあいつは、背負っていた袋から竹刀を取り出し──」
「おおっ。……おお?」
「──それでオレを滅多打ち。ボコボコにブチのめしたのさ。ちなみに、オレはそれで右前腕の骨にひびが入った。喧嘩で負けたのは、あれが最初で最後のことだったなァ」
「なんだか急に話のジャンルが変わったな」
冗談だろ? 僕、そんな奴と一緒に委員やらされるのかよ。
面白半分で聞いていた篝だったが、急に危機感が湧いてきた。
「脅かすような言い方になっちまったが、まあ、ガキ特有の、正義感の暴走ってやつだよ。今は全然、普通に良い奴だ。当時も当時で良い奴だったってのは変わらねえだろう。ただ、そうは言っても……オレからしちゃ、完全にトラウマ。未だに苦手意識が抜けてくれねえのさ」
軽い感じで、冗談めかしてそう語った賢章だったが、よく見ると目が泳いでいる。心なしか、みるみる顔色も悪くなっていっているような気もする。割合、彼が浮かべるには珍しい表情だった。
「その様子じゃ、結構根深そうだな──まあ、仕方ないか。頑張るしかない」
そこまで言って、篝はようやく鞄を降ろした。登校して自分の席(窓際最後列の、所謂『主人公席』である)のところまで来て、そこで黒板が視界に入ってフリーズ。そしてそのまま、今の今まで賢章と会話を続けていたのだ。
自習用の問題集とノートを取り出し、シャープペンシルを握る。始業二十五分前、ほとんど無人の教室での、僕の朝のルーチンワークだ。ほとんど、というのは賢章がいるから。
不良の中の不良のくせして、遅刻はおろか、篝はこいつのいない朝の教室を見たことがなかった。一番乗りしようと何度か試みて、それでも毎回、戸を開くなりこの凶悪面が出迎えてくるものだから──そのうち諦めて、そのタネを尋ねた。
なんでも彼の言うところによると、六時からお気に入りの女子アナが出る朝のニュース番組があり、それで毎朝起きられている。身支度を済ませながら見るのだけれど、その番組は七時には終わってしまうのだそうだ。宝田の家は、この群雲高校まで徒歩五分圏内。そして、始業は九時前──これにより、賢章にはざっと、一時間半近い空き時間が生じる。彼はタイムリミットがあるとどうにも寛げない性質であるらしく、それで、目当ての番組が終わり次第とっとと登校することにしているのだとか。
数問、すらすらと解き終えたところで、篝のペンが止まった。
「宝田。重大な事実に、今更気が付いたんだが」
「あ? 何よ」
篝の目の前でスマホゲームに興じていた賢章が、視線はそのままに尋ねてくる。
「僕も、土屋さんのことは苦手かもしれない」
告白。
賢章が顔を上げた。彼はその手のスマートフォンの液晶に躍る『YOU LOSE』の表示を気にも留めず、大口開けた当惑顔だ。その面のまんまで、不承不承、といった感じに聞いてくる。
「──ハァ? なんで? オメー、彩華とは何もね~だろ。話してるところどころか、オレの視界内じゃ──同時に存在してるとこすら、観測された試しがねえぞ」
「何もなくたって苦手ってなっちゃう人種も、世の中にはいる。そのことを、お前は理解した方がいい。知っての通りのことだけど、ただでさえ、僕は友達がいないんだ。少ないじゃない。お前の他には、一人もいない。人生を通してだ! 何故か? 人と、上手に話せないからだ──まして、女子だぞ⁉ 生まれてこの方家族以外の異性となんて、僕はまともに話せたことがない!」
篝は捲し立てる。
たった一人の妹の心のうちすら、彼には全く理解できないのだから。
「なんだよそれ。童貞みたいなこと言いやがって」
「みたいじゃなくてそうだよ。てか高二なら大体そうだろ」
「むしろ大体済ませてるだろ」
「なッ、じゃあ宝田も──」
嘘だろ⁉ と、がばっと彼の方を向けば、その胸倉に揺れるシルバーが真っ先に目に入った。と同時に、篝の思考も急速に冷却される。篝とは違って、恐らくいるのであろうこの男の学外の友人たちのことを想い、言う。
「──それは、サンプルの偏りだ。ヤンキー価値観で僕みたいなパンピーを計るんじゃない」
「そのサンプルがそもそもね~やつに言われてもな…………と、噂をすれば、だ」
ガラガラガラ、と、戸の開く音。いち早くそれを聞きつけた賢章は、その表情を呆れ顔から嗜虐心に満ちた笑みへと転じると、そちらに顎をしゃくる。篝はほとんど反射的に、彼の指し示す先に目を向けた。
その、刹那。
眼球から、そのまま脳味噌まで射抜かれたかのような──そんな錯覚を、起こした。
揺れる、真っ直ぐなダークブロンドの髪。その狭間から、円らな、真っ黒い瞳が覗いている。篝の視線に応えるように、彼女はにんまりと笑顔を咲かせてみせた。
記憶の中にあった、朧げな笑顔。それが今くっきりとした形で、眼前で躍動している。彼女こそまさしく、土屋彩華、その人。
篝がどぎまぎして目を逸らすと、いつの間にやら、机に突っ伏している賢章の頭が見えた。肩を揺すってみても、苔むした岩の如く微動だにしない。
(寝たふりって──僕のかつての得意技、読書バリアよりも分厚い拒絶じゃないか。そんなに……?)
賢章は本気で、彩華と関わりたくないらしい。
「ねえ!」
「うわあっ」
友の晒す痴態に思わず呆然としていた篝の、そのすぐ隣からであった。
溌溂、明朗な声が掛かる。その発生源が、把握していた彼女の位置よりも随分近かったものだから、篝は盛大にビビってしまった。声もちょっと裏返っていた。
「君、委員一緒の──暮雨くんだよね。知ってるかもだけど、一応自己紹介。うちの名前は土屋彩華。趣味は服! ……とサウナ巡りで、水風呂との温度差はあればあるほど良い派! ヒートショック上等! これから一年一緒にやっていく訳だし、仲良くしようね。よろしく!」
柔らかそうな、ふっくらとしたその唇から──淀みなく、矢継ぎ早に言葉が紡がれる。
身振り手振りを交えて話す土屋の体が揺れる度、仄かに、柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐってくる。遠くからでもあんなに目立っていた藍色のネイルは、間近で見てみると意外と短い。
久しくなかったくらいの情報の濁流に、篝は少し、眩暈が起こしそうだった。
それと、ヒートショックはマジで危ないからもう少し恐れを持ってほしい。
「……よろしく」
ともあれ、返事くらいはしなくてはなるまい。先んじて彩華が示してくれたフォーマットに従い、自己紹介を行う。
「暮雨篝。趣味は格ゲーと料理。得意料理は酢豚で、好きな料理も酢豚。パイナップルは絶対に入れる派」
「料理! いいねえ。うちも得意だよ〜? たこ焼きひっくり返すのとか。……格ゲーは、うちはよく知んないんだけど、確かこいつも好きだったね──起きてるよね、これ」
そう言って指差すのは、机の上で蹲る金ピカの毛玉──賢章の後頭部。その顔は篝だけに見える方に向いていて、目はうっすらと開いている。
そして、射殺さんばかりの眼差しで以て訴えてくるのだ。オレは起きてない。オレは寝てる。
それに目配せして答え、篝はノータイムで告げた。
「起きてるぞ」
「てめえ!」
友の裏切りにムラクモチョウキンイロケダマは擬態を諦め、ドスの効いた威嚇と共に顔を上げる。その額に青筋を立て、憤怒の形相である。少し前の篝なら失禁必至だっただろう。今はもう流石に慣れた。
「やっぱり狸寝入りだったんじゃん! 賢章、アンタってなんでそんなにうちのこと避けるワケ?」
馬脚を現した賢章に、すかさず彩華の追撃が入る。途端、さあっと彼の顔が青ざめて、篝にはそれが面白くて仕方なかった。豪胆の極みたるこの男が、花も恥じらう可憐さの同級生を相手に、こうも分かりやすく怯えている!
立ち上がり、反射的に逃げ出そうとする賢章だったが、前門に彩華、後門──は壁なのでそもそもない。
追い詰められた彼は、追及を受けてしどろもどろだ。
「いんや〜〜〜……そのォ……別にィ…………?」
「もー!」
ぷんすかと可愛らしく怒る彩華にすら、彼は本気で怯えている。
自分を切り捨てた奴が苦しんでいる──実に、愉快な光景であった。
「しかし土屋さん、早いな。いつもこんな時間に来てるのか?」
「今日は偶然早く起きちゃって、暇だったから。暮雨くんたちこそ、普段からこの時間なの?」
「まあね。朝はいつもこいつと一緒」
どんどん顔色が悪くなっていく賢章を鑑賞するのも、それはそれで楽しそうだが──流石に可哀想なので助け舟を出してやる。気分が良いと、人見知りの舌も普段より回ってくれた。
「キミって大人しそうなイメージだったけど、賢章なんかと仲良いんだね。意外」
「なんかとはなんだ、オイ」
抗議が小さ過ぎるだろ。こいつ今日ずっと情けないな。
それを最後に、賢章は再び寝たふりバリアを展開して動かなくなる。彼は十分頑張った。ここから先は、篝一人で引き受けてやるのが仁義というものだろう。
「僕もそう思う。最初は格ゲーからだったんだけど……まあ、色々あったんだ」
転入直後のあの一週間を思い返しつつ、言う。
色々。本当に、色々としか言えないのだけれど。篝と賢章──それと、
この答えに、釈然としない感じの表情を浮かべた彩華だったが、すぐにまた笑顔を取り戻す。
「ホントは根掘り葉掘り聞きたくて仕方ないんだけど、まあ、今度でい〜や! これからも賢章と仲良くしてあげてね、暮雨くん。じゃ、うちはトイレ行ってくるから!」
詳細を聞かれると困るところだったのだが、彼女はすぐに引き下がってくれた。それから鞄を自分の席に置いて、身を翻し、教室からすたこらと走り去っていく。
机に蹲り、固まったままの賢章に向かって。篝は所感を述べる。
「……滅茶苦茶話しやすい奴だな。僕のコミュ障を補って余りあるくらいのコミュ強だ」
「ん、ああ、そうだな。良かったな」
ようやく再起動した賢章は、完全に疲れ果て、満身創痍という様相であった。返答もどこか機械的。重症だ。
喧騒が過ぎ去り、二人きりの、いつもの朝の教室が戻ってきて。
彼らは暫し、無言でその静寂に浸り──、
「あっ!!! うちもね! うちとも仲良くしてね!!!」
ガタガタガタッ。
それを伝えるためだけに、慌てて戻ってきたのだろう。一瞬顔を出して叫び、すぐに取って返した彩華の声に、ついに賢章は椅子から転げ落ちた。
馬鹿みたいに大きな音を立てて崩れ落ち、机の中から溢れてきた教科書を被った、その、なんとも間抜けな面!
「────ふ、くひっ」
賢章が平静に戻るまでに掛かった時間の、凡そ三倍くらい。それくらい経ってようやく、篝の爆笑は収まってくれたのだった。