有形断末魔エピタフ 作:スパナ
「…………マジでここまでついてきたじゃん」
市立群雲中学校。その校門が見えてきた辺りで、新菜が言った。
自宅から徒歩15分。近いとも遠いとも言えない距離にある、篝が通ったことはない中学校。
ちなみに家から高校までは10分くらい。この中学校は完全な逆方向にあるので、ここから高校までは合わせて25分。加えて、新菜には篝のように早くに登校する習慣はない。
正直定刻に間に合うか怪しいのだが、事件に際しての妹の送迎であると言えば、多分許してくれるだろう。自分で言うのもなんではあるが、日頃の篝は模範生であることだし。
「なんなら、校門まで付き添ってやろうか」
「今すぐ高校行け! さっきからちょくちょく友達がこっち見てきてんの! 嫌なの!」
「手厳しい。でもまあ、確かに、ここらで十分か」
じゃあな、とそれだけ言い残し踵を返した。そして、早足に数歩歩いてから、再び新菜の方に向き直る。言い忘れていたことがあったのだ。
早くも友達に囲まれ始めている彼女の耳にまで、ちゃんと届くように。大きく息を吸い込んで叫ぶ。
「ちょっと遅くなるかもだけど、帰りも来るから!! 待っててくれよーっ!!!」
「────死ね!!!!!!!」
篝の叫びより更に大きなボリュームで、顔を真っ赤にした新菜から返答があった。怒りやら羞恥やら、諸々がない混ぜの表情だ。
うん、僕が悪い。
とはいえ、引き返した篝があの輪の中に割って入ってくる方が嫌だろう。これが最善の策なのだ。そもそも、伝え忘れをしたのは自分なのだけれど。
さながら悪鬼羅刹、修羅の如き形相だ。突き刺すようなその視線から逃れるように、篝は思わずスマホの方に目を逸らす。
「やば、無理そう」
かなり危うい数字が表示されていた。慌てて駆け出す。定刻まで、僅か15分足らず。
結論から言うと、僕は遅刻した。
篝に賢章以外の友達はいない。この事実から容易に察せられる通り、篝は何かしらの部活に入っていたりもしない。故、ホームルームが終わり次第即帰宅だ。それ以外ない。
普段なら賢章と一緒にゲーセンに繰り出すも吝かではないが、彼は綾野からの仕事で本日お休み。そんなにたくさん欠席するということもないだろうが、どちらにせよ、暫くは遊べないだろう。
荷物を手早く纏め、颯爽と教室から去ろうとした、その時。
「あっ! 待ってよ、一緒に行こ!」
彩華だ。彩華が通学鞄に諸々を詰め込みながら、篝に向かって叫んだのだ。予想外の事態に硬直していると、その間に彼女はすぐ側にまで近付いてきた。たん、たんと、跳ねるような足取りである。
「一緒に…………──
帰ろう、ならまだ分かる。いや、友達の友達にいきなりそんなことを言えるその精神性についてはまるで分からないのだけど、文脈として理解は出来る。
篝と彩華とで、一体何処に行くというのか。クラスメイトと放課後に行く場所として、脳裏に浮かぶ場所はいつものゲーセンくらいだが──多分、それはだけはないだろう。
その答えは、彼女からすぐに齎された。
「確か、北棟の二階だったよね。委員の集まりがあるの」
「委員の集まり……? なんだそれ。聞いてないけど」
「え、嘘。……いや、そっか。暮雨くん、遅刻して朝礼いなかったもんね。ほら、地域ボランティア委員の初仕事だよ」
「……もう!? 随分早くないか。委員の仕事なんて、五月まではあってないようなモンなんじゃないのか!?」
「そりゃ、一番の仕事がいきなりあるからね。
委員というだけでも貧乏くじだったが…………この地域ボランティア委員、どうやらその中でも特別に
篝とて、群雲町で生まれ育った人間の端くれ。空蜘蛛夏祭りのことならば勿論知っている。群雲町の南半分を占める、大きな自然公園。その中に聳えるのが空蜘蛛神社であり、毎年七月の下旬にそこで行われるのが、空蜘蛛夏祭りだ。
この祭りだが、打ち上げ花火が一千発も上がる花火大会であるとして有名だ。小規模な部類ではあるものの、ともすれば他の市からもお客が来たりする、我が街における唯一の名物。
しかしそれとこの委員とで、一体何の関係があると言うのだろう。
呆けた面をした篝を見て、彩華はにんまりと笑った。
「仕方ないナ〜……転入生のキミに、うちがちゃアんと教えたげるよ」
ついてきて、とそう囁いて、彼女は廊下を歩き始めた。道すがらに説明するつもりであるらしい。
「地域ボランティア委員はね、読んで字の如く、群雲町で色々なボランティア活動をする委員なの。ちっさいのから言うと、美化活動とか、介護施設のお手伝いとか。でも、一番の大仕事はこれ! 空蜘蛛夏祭りの運営のお手伝いをすることっ!!」
「お手伝いって……この祭り、結構な規模じゃん。高校生が噛める余地なんてあるのか?」
「結構な規模だからこそだよ。手伝うことなんていくらでもある。猫の手も借りたいくらいにね」
「そうなんだ。……しかし土屋さん、やけに詳しいな」
「そりゃ、ず〜〜〜っとやりたかったからね! 地域ボランティア委員の任期は一年! うち、去年はじゃんけんで負けちゃったんだ…………」
欠席していた篝に押し付けられるような職なのに、去年の彩華のクラスにはなりたがる奴が沢山いたのか。奇特過ぎる。しかもその後委員長になったのだから、この人は更に奇特だ。
しかし、成る程。大体得心がいった。仕事が始まるのがやけに早いのも、夏祭りの運営手伝いがあるというのなら納得だ。この分だと、祭りまでが異様に忙しく、それ以降はウイニングラン──といった感じの委員なのだろう。明確な期限付きならば、まあ、頑張ってもいいという気になれる。
ただ、それはそれとして。
彩華と話したのは、昨日の朝とまさに今のたった二回きりだ。しかしそれだけでも、彼女が
事件の被害者は一人ずつ出ている。その誰もが、一人になったところで被害に遭っているのだ。二人以上でいて、それで襲われた試しはない。不安がない訳ではないし、篝が行ける日は行けるようにしたいが──多少の妥協もまた、仕方ないだろう。
「──どしたの?」
不意に立ち止まった篝の方を振り向いて、彩華がその故を訊ねる。
「ちょっと電話しなくちゃだ。ごめん。ちゃんと行くから、先に行っといてくれ」
新菜も、その彼氏たる荒汰とやらも、多分部活動で帰ってはいまい。
電話するその先は、群雲中学校。「今日は兄ちゃん行けなくなっちゃったから、やっぱりいつも通り荒汰くんと帰ってくれ」と、そう伝えるために。
篝はスマホ画面に躍る、『発信』の二文字に触れた。
「早速、週末か」
配布されたプリントを眺め、呟く。今週末、十日に町内会の人たちとの打ち合わせをするのだそうだ。打ち合わせと銘打たれてはいるものの、今度のメインはあくまで顔合わせである。
時刻は六時過ぎ。綺麗なオレンジに染まった空が、教室の窓の外を埋め尽くしている。
「こう見ると、一緒だね」
「……何が?」
机の側に屈んで、対面から上目遣いに篝の顔を覗き込んできている。さっきからずっとそうしていた彩華が、徐ろにそう言った。
肩に掛からないくらいのダークブロンドの髪が、陽光を乱反射して鮮やかに光る。
「キミの、その目の色。初めて見た時から思ってたんだけど、夕焼け色にそっくり! 珍しいよね、もしかして、純日本人って訳じゃないの?」
「お父さんと、それから妹と同じ色なんだ。家系としちゃ日本人ばっかだったんだけど、お父さんが急にこんな瞳で生まれたらしい」
「お〜……なんか格好良くていいね、それ」
「…………僕も、そう思う」
琥珀色のこの瞳は、篝が掛け値無しに自画自賛できる唯一の所である。なんとなく特別な感じがして、昔から嫌いではなかったが……最近は、好きだ。
鏡の中の自分に見詰められる度、自分は暮雨薪之進の息子なのだと、そう実感できるから。
「日本人云々って話なら、土屋さんの方こそハーフか何かなのか? なんていうか、顔立ちからその類のを感じるが」
「そうなの、フィリピンのクォーターなんだよね。暮雨くんもどっかの血が入ってるなら、なんだかシンパシー感じちゃうかも! って思ってたんだけど…………くそぅ、違ったねえ」
彩華は一度口をすぼめて、それから、くしゃりと笑い掛けてくる。それに合わせて篝も笑ったが、どうだろう、上手く笑えただろうか。
転入する前にいたところは、中高一貫の男子校だった。そういう訳で、事務的な会話ですら小学校の頃以来となる。繰り返し言っていた通り篝は、女子と話すのは不得手とするところなのだ。
なんだか普通に話せているような気がするけれど、多分これは彩華のコミュ力に依るものだろう。真のコミュ強は、コミュ障を容易く打ち消してしまうのだ。 断じて、お前の力ではない。努々忘れず、思い上がることのないように。分かったな、篝。
「土屋さんはさ、なんでこの委員に?」
「ロマンのある理由と、ロマンのない理由。二つあるけど、どっちから聞きたい?」
「……ある方から聞こうか」
リクエストを聞き届けた彼女は立ち上がって、隣の机に腰掛けた。素早く器用に脚を組んで、膝の上に頬杖をつく。健康的な、小麦色の肌が目に毒だった。
「…………実はね、この委員で、すっっごく頑張ったらね」
小さな子供が、内緒の恋バナをする時みたいに。やけに勿体ぶって、大事そうに彼女が言った。
「最後に上がる、一番大きな花火玉の色を決めさせてもらえちゃうらしいの!!」
「それは……確かに、ロマンだな」
「うちは今年、必ずッ、誰よりも貢献して──クソデカい青い花火を上げる!!!」
宣言し、吼え、彩華は天高く拳を掲げる。射し込む日の光も相まって、さながら宗教画のような勇壮さであった。
凄いぞ地域ボランティア委員。この町にとっても一大行事だろうに、一介の学生にそんなに色々やらせてもらえるのか。
花火玉は何号玉〜みたいな感じでサイズが変わってくると聞くが、確か、大きいやつになると単価で十万円を下らなかった筈だ。
キッ、と彩華が目を見開く。
「暮雨くん、拍手を」
「え」
「拍手を!」
パチパチパチパチパチ。
「──よし」
「今の何?」
怖いんだけど。
一頻り拍手を浴びて満足したのか、彩華はしたり顔で頷いた。もしや、この人、まあまあ変な人なのだろうか。
幼き賢章を凶器で襲ったという話があったが、今の一連のやり取りで、結構信憑性が増してしまった。やるかやらないかで言えば、やる側の人の感じがする。
今年に入ってからというもの、賢章に綾野に児玉に──なんだか尖った人間に会ってばかり。今の篝の
先程までの異様なハイテンションがなかったかのように。何の溜めもなく、酷くぞんざいに、彩華は言い放つ。
「じゃあない方も話すね。内申点。以上」
「本当に微塵もロマンがない」
なかった。ロマンも、身も蓋も。
思わず呆けてしまった篝を見て、彼女は悪戯っぽく笑う。笑って、それから言った。
「勿論、これだけじゃないよ。あくまで、おっきな理由が二つってだけ。うち、お祭り好きだし。普通に、うんと楽しむつもり。…………キミは押し付けられてこの委員になった訳だけどさ。どうせだから、一緒に楽しもうよ。お祭りが嫌いな人なんて、いないでしょ?」
そう、聞かれて。無邪気で可憐な、その微笑みを浴びて。
「……そう、だな。そうするよ」
篝は、柄にもないことを思った。
ほんの少しの肌寒さが漂い始めていた。夜風の『よ』くらいの風が、頬を撫ぜては消えていく。
学ランの上に羽織るパーカーを持ってこなかったことを少し後悔しながら、篝は一つ身震いをした。
帰り道にある公園は今日も、しんと静まり返っている。
平時であれば、子供たちが「次がラストな!」等と言って、そのままずるずると半時間くらい遊び始める頃合いである。
事件の気配は、この町を確かに蝕んでいた。
綾野と児玉、それと宝田が立ち向かわんとしている空気で、篝が目を背けた空気。家族の感情のために、知らない子供たちを見殺しにしている。考えても仕方のないことだと理解はしているが、それでもやはり、一抹の罪悪感を覚えないではいられない。
苦々しい思いで町を見ていると、ふと、道の向こう側から歩いてくる人影が目に入った。篝と同じくらいの背丈の、少年である。同じくらい、と言っても、篝は相当に背が低い。となると、彼は中学生くらいではあるまいか。
中学生男子が襲われた例はまだないとはいえ、あまり感心できない。と、己のことを棚に上げた感想を抱く。
人影が、その仔細を視認できるくらいまでに接近する。身長の割にすらりと長い手足で、群雲中学校の制服であるブレザーとスラックスとを着こなしている。さっぱりとした印象を与える黒髪ツーブロックといい、何処となく勝ち気な表情といい、なんというか、モテそうだ。それと今気が付いたが、身長も篝より若干高い。部活動をやっていると得てしてこうなるのだが、通学鞄を肩に、それから小ぶりのリュックサックも背負う、結構な大荷物である。
狭い歩道の中ですれ違う直前に、それと視線がかち合った。慌てて目を逸らしたが、ジロジロと見過ぎただろうか。なんとなく気まずくなって、思わず早足に立ち去ろうとする。
「──もしかして」
背後から、少し、ハスキーな声。主は明らかだった。
振り返ると、少年はこちらを真っ直ぐに見据えていた。スポーティーな風貌には割合似合わない、おずおずと、遠慮がちな感じで口を開く。
「篝さんスか? 新菜の、兄貴の」
…………………………。
……………………………………………………?
…………!
……………………!!!
「まさか、荒汰くん?」
「うおおおおっ、やっぱり! 写真見せてもらったことだけあったんすよお!」
長いフリーズから目覚めてそう問い掛ければ、少年──改め荒汰は、人懐っこい笑顔を見せた。成る程、新菜がぞっこんなのも頷ける色男である。
「もしかして、こんな時間に一人なのは……新菜を送ってくれたからか?」
「ん、ああ。そっスね、家まで送って、それからちょっと立ち話してたら……こんな時間になっちゃって」
思い至った理由を話してみると、まさしくその通りであった。
この男は篝の代わりに、今日も妹を守ってくれていたのだ。事実を確認してすぐさま、頭を下げて謝辞を述べる。
「ありがとう。それから、ごめんな。本当なら僕がしなきゃなんだが、君を危ない目に遭わせてる」
「別に遭ってないですって。大袈裟っスね。好きでやってることなんで、お礼も謝罪も別にいらないっスよ。それに、俺なら大丈夫なんで」
「そうとも限らない。犯人の狙う層に、君が入ってないとは言い切れないんだから」
K市児童連続失踪事件は現在、「連続誘拐事件なのではないか」というのが通説だ。だから、犯人と言えば通じはする。篝が殺人鬼という意味で言っても、皆は誘拐犯として受け取ってくれる筈なのだ。認識は食い違うが、話は食い違わない。
殺人事件である可能性を疑うものが、世の中にもいない訳ではない。ないが──子供たちの家出が偶発的に重なっただけなのでは? なんて言ってる人もいるのだから、まあ、そういうことだった。
「新菜からも聞いてましたけど、本当に心配性なんスねえ。全然大丈夫ですってば。俺の家、もうすぐそこだし」
困り眉を作ってそう言い、荒汰はすぐ近くの団地を指差す。そして、そんなことより、と前置きをして。
「はじめまして! 話くらいは聞いてると思うんスけど、新菜と……え〜〜と、新菜さんとお付き合いさせていただいてる
「……親に挨拶してるわけでもないってのに、大袈裟だな。よろしく」
「なんか、好きなものとかありますか!」
「んぇ? いきなりだな…………格ゲーとか、料理とか」
「格ゲー……は分かんないスけど、料理できるんスね! すげえっス!」
「…………彼女の兄貴だからって、無理に仲良くしようとする必要ないぞ。僕は口下手だし、面白い人間でもない。それにむしろ、新菜は関わらない方が喜ぶよ。お母さんならともかく、僕にそういうのを見せるのは恥ずかしいらしい」
この類の人間が見せるにしては、幾分、ぎこちなさ過ぎた。
新菜と同い年なら、中学三年生だ。誰かと付き合うというのにも、そう慣れてはいないのだろう(未だ一切の経験なしの自分から目を逸らしつつ)。察するに、普段なら誰とでも仲良くできるような人間なのだろうが──人生初の、恋人の家族との遭遇で少しばかりテンパっているらしい。
篝の指摘に、荒汰は引きつった笑顔のまま舌を出した。
「そんな、顔に出てました?」
「顔とか、所作とかから人の機微を感じ取るのは苦手だから、違うかな。普通に、言葉だけで伝わるよ」
「……すいません」
「謝るなら、君の行為を無碍にしたこっちの方だ。──結構忙しくなりそうでさ。なるべく同行するつもりだけど、そうじゃない時は新菜を頼むよ。立ち話もまあ〜、なるはやで切り上げて。暗くならないうちに、もっと人の目があるうちに帰るように」
エピタフという核心に触れないで、どうにか忠告をしなくてはと試みているうちに──随分、説教臭くなってしまった。
気恥ずかしくなった篝は、努めて明るい声で告げて、逃げるようにそこを去る。
「じゃ、また明日」
「………………明日?」
背後から、怪訝そうに呟く荒汰の声が聞こえた。
翌日の夕方。
群雲中学校の校門にて待ち受けていた篝の視界が、ついに
視聴中の動画を止め、イヤホンを外して。路傍の花壇の縁から立ち上がり、その眼前へと躍り出る。
「よし、帰ろうか。新菜。……それに荒汰くん、済んだ後に君も家まで送るよ」
この直後、新菜の、悲鳴とも怒声ともつかない叫びが響き渡ったのは──言うまでもないことであった。