戦争の主役は、人間からゴーレムへ移った。

魔導回路式ゴーレムを操るアルディア帝国。

脈管駆動式ゴーレムを用いるヴァルグラント連邦。

互いに異なる技術で戦い続けてきた二つの大国は、連邦の新型重装機《ベヒモス級》によって均衡を崩される。

帝国軍技術局の主任士官エリク・ヴァン・ハルトは、既存機では止められない怪物を前に、次世代機の開発を迫られていた。

そんな彼のもとに届いたのは、出所不明の設計図。

帝国の技術で作れる。

だが、帝国の誰も到達していない。

その矛盾した図面を前に、エリクは選ばなければならない。

罠と知りながら踏み込むか。

このまま帝国の敗北を待つか。

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ゴーレムプランナーの憂鬱

二十年前まで、戦争の主役は人間だった。

 

槍を持つ歩兵。

 

馬に乗る騎兵。

 

魔導士による後方支援。

 

城壁を崩す攻城兵器。

 

国家の強さとは、どれだけ多くの兵を集め、どれだけ長く戦線へ送り続けられるかで決まっていた。

 

だが、技術革新がすべてを変えた。

 

魔導炉の小型化。

 

駆動系の安定化。

 

そして、人型自律兵器――ゴーレムの実戦投入。

 

それまで工事用、儀礼用、あるいは一部の貴族が所有する高価な魔導人形にすぎなかったゴーレムは、軍事兵器として急速に進化した。

 

一機のゴーレムは、百人の歩兵を押し返した。

 

城門を砕き、塹壕を踏み越え、魔導士の防壁を腕力で破った。

 

戦場の常識は塗り替えられた。

 

兵士の数ではなく、機体の性能。

 

槍の長さではなく、駆動方式。

 

兵站の多寡ではなく、稼働率と整備性。

 

歩兵同士がぶつかる時代は終わり、ゴーレム同士が戦線を押し潰す時代が始まった。

 

その中心にいるのが、二つの大国だった。

 

西のアルディア帝国。

 

東のヴァルグラント連邦。

 

国土、人口、資源、経済力。

 

どちらもほぼ互角。

 

だが、ゴーレムの技術思想だけはまるで違っていた。

 

アルディア帝国の主力は、魔導回路式ゴーレム。

 

魔導炉から生じた力を、機体内部の回路へ流す。

 

魔導回路式は、それらを細かく制御することで、人間の反応を機体へ遅れなく伝えようとする方式だった。

 

軽い。

 

速い。

 

反応がいい。

 

その代わり、構造は複雑で、整備には熟練した技官を必要とした。

 

アルディアのゴーレムは、魔導回路で動く。

 

一方、ヴァルグラント連邦の主力は、脈管駆動式ゴーレム。

 

鋼鉄の骨格に人工筋繊維を巻き、生体管を束ねた脈管へ循環液を通す。

 

圧力で関節を押し動かし、巨大な腕や脚を動かす。

 

重い。

 

硬い。

 

怪力。

 

その代わり、内部構造は機械というより生物に近かった。

 

損傷すれば、血のような赤黒い循環液を流す。

 

整備は修理というより、治療や培養に近い。

 

ヴァルグラントのゴーレムは、筋肉と血管で動く。

 

同じゴーレムと呼ばれていても、二つは別の生き物だった。

 

両国は互いを憎みながら、同時に互いを進化させていた。

 

一方が優れた機体を作れば、もう一方も対抗機を生み出す。

 

一方が新型炉を実用化すれば、もう一方は装甲材を改良する。

 

戦争は止まらない。

 

そして今、その均衡が崩れようとしていた。

 

ヴァルグラント連邦が、新型重装格闘型ゴーレム《ベヒモス級》を実戦投入したのだ。

 

高さ九メートル。

 

分厚い装甲。

 

城壁を殴り砕く怪力。

 

腕部と脚部を走る巨大な脈管束。

 

胸部には、機体全体へ圧力を送り込む中枢が埋め込まれている。

 

前線から届く報告は、どれも芳しくなかった。

 

帝国の既存機では止められない。

 

正面から受ければ潰される。

 

横へ回り込もうとしても、巨腕の一振りで吹き飛ばされる。

 

魔導回路式の軽快さをもってしても、ベヒモス級の圧倒的な耐久と怪力を崩せなかった。

 

その報告を、アルディア帝国軍技術局の地下試験室で読んでいた男がいる。

 

エリク・ヴァン・ハルト。

 

若くして帝国軍技術局、第七開発部の主任士官となった男。

 

そして今、帝国の次世代ゴーレム開発を背負わされている男だった。

 

分解台の上には、鹵獲されたベヒモス級の腕部が固定されている。

 

正式な鹵獲機ではない。

 

前線で撃破された機体から、辛うじて切り離して持ち帰った一部にすぎない。

 

それでも、価値はあった。

 

分厚い外装。

 

異様に太い関節部。

 

装甲の内側を這う脈管束。

圧力室。

脈動弁。

そして、黒く粘る赤黒い循環液。

 

だが、帝国機なら真っ先に目につくはずのものがない。

 

魔導回路だ。

 

帝国機にとっての魔導回路にあたるものが、連邦機にはない。

 

若い技官が、分解台の前で顔をしかめた。

 

「……これを、本当にゴーレムと呼ぶのですか」

 

エリクはすぐには答えなかった。

 

知っていた。

 

ヴァルグラント連邦の重装機が、脈管駆動式であることは。

 

人工筋繊維と生体管を束ね、循環液を圧送して関節を動かすことも。

 

報告書で読んだ。

 

断面図も見た。

 

解析資料にも目を通している。

 

だが、知識として知っていることと、実物を目の前にすることは違った。

 

切断面から、粘つく液体が落ちる。

 

束ねられた人工筋繊維が、わずかに痙攣している。

 

脈動弁は金属部品というより、臓器に近かった。

 

整備ではない。

 

解剖だ。

 

エリクは喉の奥にこみ上げる嫌悪を押し殺した。

 

本来、兵器というものは、戦場でぶつかり続ければ少しずつ似てくる。

 

剣もそうだった。

 

片方の国が長剣を使い、もう片方が反りのある刀を使っていたとしても、鎧を斬る必要があれば刃は厚くなり、騎兵を相手にする必要があれば長さや重心は変わる。

 

槍も、弓も、攻城兵器も同じだ。

 

敵から学ぶ。

 

敵に対抗する。

 

真似られるものは真似る。

 

真似られないものは、自国の技術で置き換える。

 

そうやって兵器は、完全に同じにはならなくても、同じ問題に対する似た答えへ近づいていく。

 

だが、ゴーレムだけは違った。

 

二十年近く戦い続けているにもかかわらず、アルディアとヴァルグラントの機体は混ざらない。

 

近づきもしない。

 

むしろ、戦争が進むほど、互いに別方向へ伸びている。

 

魔導回路式。

 

脈管駆動式。

 

同じゴーレムと呼ぶには、あまりに違いすぎた。

 

「主任」

 

技官が恐る恐る口を開いた。

 

「この構造を、こちらの機体へ応用することはできませんか」

 

「無理だ」

 

エリクは即答した。

 

「構造自体は理解できます。脈管束が圧力を伝え、人工筋繊維が収縮する。関節部の出力は、確かに帝国機を上回っています」

 

「分かることと、作れることは違う」

 

エリクは太い脈管を指で示した。

 

「この管ひとつ取っても、帝国の工房では作れない。循環液の成分も不明。人工筋繊維の培養設備もない。脈動弁を維持する保存技術もない。整備兵ではなく、外科医と培養技師が必要になる」

 

技官は黙り込んだ。

 

エリクは続ける。

 

「仮に部品だけ真似ても、魔導回路式の機体には馴染まない。神経で動く機体に、他人の筋肉と血管だけ縫いつけても動かん」

 

分解台の上の腕から、赤黒い循環液がまた一滴落ちた。

 

エリクは奥歯を噛んだ。

 

「参考にはなる。だが、取り込めない」

 

そこに答えがある。

 

敵の強さの理由が、目の前にある。

 

だが、それは帝国の言語では読めない。

 

仮に読めたとしても、帝国の技術には変えられない。

 

エリクは低く呟いた。

 

「これは、帝国のゴーレムとは別の生き物だ」

 

その数日後。

 

エリクは主任室で、机の上に積み上がった設計案と向き合っていた。

 

「……駄目だ」

 

一枚の設計図を放る。

 

紙が机の上を滑り、床に落ちた。

 

補佐官が拾い上げる前に、エリクは次の案へ手を伸ばす。

 

しかし、目を走らせた瞬間、また同じ結論に至った。

 

「これも駄目だ。重すぎる。こんな脚部では湿地戦に出せない」

 

「しかし主任、火力だけなら――」

 

「火力だけならな。だが、戦場に砲台を置きたいわけじゃない。ゴーレムを作っているんだ」

 

補佐官は黙った。

 

その沈黙すら、今のエリクには苛立たしかった。

 

重装甲型は重すぎる。

 

高火力型は移動砲台にすぎない。

 

近接特化型はベヒモス級と殴り合えば負ける。

 

連邦式の模倣案は、技術的にも倫理的にも不可能。

 

帝国式のままベヒモス級を止めなければならない。

 

だが、帝国式の強みである精密さと反応速度を殺せば、そもそも勝ち筋がなくなる。

 

「主任」

 

別の技官が、遠慮がちに紙束を差し出した。

 

「一般応募の設計案です。確認だけでも」

 

「そんなものに使う時間はない」

 

「ですが、規定では一応、主任の確認が必要です」

 

「規定を作った奴をここへ呼べ。俺が説得してやる」

 

「すでに退役しております」

 

「賢明だな」

 

そう言いながらも、エリクは紙束を受け取った。

 

一般応募。

 

帝国が技術者不足を補うために始めた制度だった。

 

軍人、工房職人、学生、地方貴族の趣味人。

 

誰でも設計案を送ることができる。

 

もちろん、ほとんどは使い物にならない。

 

巨大な剣を持たせれば強い。

 

装甲を厚くすれば壊れない。

 

魔導炉を三つ積めば出力が上がる。

 

そういう子供の夢を、設計図の形にしたものばかりだ。

 

エリクは半ば流れ作業で紙をめくった。

 

一枚目。論外。

 

二枚目。関節強度が足りない。

 

三枚目。魔力伝達効率を知らない素人。

 

そして、十数枚目で手が止まった。

 

「……誰だ、これは」

 

補佐官が顔を上げる。

 

「どうされました?」

 

エリクは答えなかった。

 

設計図に記された機体は、奇妙だった。

 

帝国式の魔導回路技術を土台にしている。

 

だから完全な異物ではない。

 

だが、回路の配置が違う。

 

魔導炉から四肢へ力を流すのではなく、各部に小さな循環回路を作り、負荷を分散している。

 

機体の骨格も、従来の重厚な支持架ではなく、必要な箇所だけを強化する構造になっていた。

 

軽い。

 

速い。

 

それでいて、脆さを逃がす場所まで計算されている。

 

連邦式の模倣ではない。

 

帝国式魔導回路を、帝国の技術言語のまま数世代先へ押し進めた設計だった。

 

エリクは口元を押さえた。

 

「……ふざけている」

 

「また欠陥ですか?」

 

「逆だ。数世代先の発想だ」

 

室内の空気が変わった。

 

エリクは設計図の隅に書かれた署名を見る。

 

Lias。

 

読みは、おそらくリアス。

 

聞き覚えのない名だった。

 

「諜報部に回せ。この提出者を調べろ。身元、経歴、所属、接触者、全部だ」

 

「危険人物ですか?」

 

「この設計を本気で書いたなら危険だ。冗談で書いたなら、なおさら危険だ」

 

数日後、諜報部から報告が戻った。

 

だが、そこに書かれていた内容はあまりに薄かった。

 

戸籍なし。

 

国籍なし。

 

軍歴なし。

 

工房登録なし。

 

帝都への正式な入城記録もなし。

 

リアスという名の人物は、少なくとも帝国の記録上、存在していなかった。

 

ただ一つだけ、分かっていることがあった。

 

設計図の末尾に、住所のようなものが記されていたのだ。

 

帝都外縁、第六排水塔跡。

 

日没後。

 

一人で来い。

 

補佐官が顔をしかめた。

 

「罠では?」

 

「罠だろうな」

 

「では、行かない方が」

 

「行く」

 

「主任」

 

「この設計図は、罠だと分かっていても踏む価値がある」

 

エリクは設計図を畳み、軍服の内ポケットに入れた。

 

「護衛は?」

 

「少し離して配置する。相手の条件を完全に呑むほど馬鹿ではない」

 

「一人で来い、とありますが」

 

「俺が一人で行く。護衛がいないとは言っていない」

 

補佐官は苦い顔をしたが、反論はしなかった。

 

その夜。

 

帝都外縁、第六排水塔跡。

 

かつて水路を管理していた施設は、今では半ば廃墟になっていた。

 

石壁には蔦が絡み、折れた配管からは冷たい水音が響いている。

 

エリクは一人でその中へ入った。

 

もちろん、完全な一人ではない。

 

周囲には諜報部の人間を伏せてある。

 

狙撃班もいる。

 

逃走経路も押さえた。

 

それでも、エリクは落ち着かなかった。

 

奥へ進むと、崩れた制御盤のそばに一人の青年が立っていた。

 

歳は若い。

 

未成年と言われれば、そう見えなくもない。

 

だが、その目だけは違った。

 

こちらを待っていたというより、すでに観察を始めていた。

 

「エリク・ヴァン・ハルト」

 

青年が言った。

 

「来ると思っていた」

 

エリクは足を止める。

 

「君がリアスか」

 

「ああ」

 

「帝国の記録に君はいない」

 

「だろうな」

 

「偽名か?」

 

「名前は本物だ。ただ、この国のものではない」

 

「どこの国だ」

 

「お前が知る国ではない」

 

エリクは目を細めた。

 

「回りくどいな」

 

「事実を短く言っているだけだ」

 

リアスは感情の薄い声で続けた。

 

「設計図は見たな」

 

「ああ。見た。だから来た」

 

「なら十分だ」

 

「十分ではない。君はどこで魔導回路技術を学んだ」

 

リアスは少しだけ首を傾けた。

 

「見れば分かる」

 

「見ただけで、あれが書けると?」

 

「必要な構造を追えば、だいたいは分かる」

 

「だいたいで書ける設計ではなかった」

 

エリクの声には、隠しきれない警戒があった。

 

「君の図面は、帝国式を土台にしている。だが、帝国のどの工房にもない発想だった。回路の負荷分散、骨格の逃がし、局所循環。あれは既存技術の改良ではない。数世代先の設計思想だ」

 

「なら使えばいい」

 

「目的を聞いている」

 

「結果を見ることだ」

 

「兵器の?」

 

「技術の」

 

「あれが戦場に出れば、人が死ぬ」

 

「戦場に出しているのは国家だ」

 

「責任を分けるつもりか」

 

「違う。責任の所在を混同するなと言っている」

 

エリクは黙った。

 

不快だった。

 

だが、筋は通っていた。

 

「軍の研究室に来る気はないか。待遇は保証する」

 

「断る」

 

「理由は?」

 

「管理されると、観察できる範囲が狭くなる」

 

「観察だと?」

 

「そうだ」

 

リアスは淡々と言った。

 

「その設計で何が起きるのかを見たい」

 

エリクは、目の前の青年を見つめた。

 

名誉を欲しがる者の目ではない。

 

金を求める者の目でもない。

 

祖国への忠誠も、帝国への憎悪も見えない。

 

それが、何より不気味だった。

 

「手柄はどうする」

 

「必要なら全部持っていけ。俺の名は出さなくていい」

 

「それでは君に何も残らない」

 

「残す必要がない」

 

「……後悔するかもしれないぞ」

 

「後悔は、判断材料が不足していた者がすることだ」

 

エリクは息を吐いた。

 

「君は、自分の設計が戦場を変えると分かっているのか」

 

「分かっている」

 

「それでも渡すのか」

 

「渡す」

 

会話はそこで終わっていた。

 

リアスはそれ以上、説明する気がないようだった。

 

帝国軍技術局は、その日から動き出した。

 

新型試験機。

 

正式名称、G-01《アイゼン》。

 

リアスの設計を基礎に、エリクが軍用機として再調整した機体だった。

 

反応速度は高い。

 

魔力伝達も滑らか。

 

従来機より軽く、操縦者の動きに機体が遅れない。

 

だが、問題は残った。

 

ベヒモス級に正面からぶつけるには、装甲と出力が足りない。

 

開発室で試験結果を見た若い技官が言った。

 

「本体を改修しますか?」

 

「それでは間に合わない」

 

「では、どうやってベヒモスを倒すんです?」

 

エリクは机の上に別の図面を広げた。

 

「本体をいじらない」

 

「え?」

 

「外から足す」

 

図面に描かれていたのは、巨大な砲撃ユニットだった。

 

外付け遠距離兵装。

 

《LRU-01 長距離魔導加速砲》。

 

背部に大型魔導炉ユニット。

 

右肩に長砲身レールキャノン。

 

魔力を加速コイルへ変換し、圧縮弾として射出する。

 

有効射程、四キロ。

 

技官たちは息を呑んだ。

 

「ですが、こんなものを背負えば機動性が死にます」

 

「撃つ間は動かない。動く必要が出たら捨てる」

 

「捨てる?」

 

「砲は本体ではない。勝つための道具だ」

 

エリクは図面を叩いた。

 

「ベヒモス級の装甲を遠距離から削る。接近される前に中枢を抜ければそれでいい。無理なら砲身と炉をパージして離脱する」

 

「離脱、ですか」

 

「本来はな」

 

エリクは少しだけ目を細めた。

 

「念のため、予備兵装も載せる」

 

「予備兵装ですか?」

 

「本命は長距離魔導加速砲だ。だが、それを失えばアイゼンは丸腰に近い」

 

エリクは図面の余白に、いくつかの装備案を書き足した。

 

「砲を失った時、機体と操縦士を生かすための装備だ。離脱用、牽制用、近距離用。使わずに済むならそれでいい」

 

「ベヒモス級を倒すためのものではない、と」

 

「当然だ。あれを予備兵装で倒せるなら、誰も苦労しない」

 

技官は言葉に詰まった。

 

エリクは図面から目を離さず、淡々と言った。

 

「戦場は想定通りには動かない。だから、想定外に耐える余白だけは残しておく」

 

それ以上、技官は反論しなかった。

 

数日後。

 

帝国北部、グラナ平原試験場。

 

なだらかな草原の奥に観測所が設けられ、軍関係者たちが並んでいた。

 

将官、技官、整備班、記録係。

 

誰も軽口を叩かない。

 

今日の試験結果次第で、帝国の方針が変わる。

 

輸送台車に乗せられた巨大な鉄の影が、ゆっくりと試験場へ運び込まれた。

 

G-01《アイゼン》。

 

灰色の装甲。

 

無駄を削った細身の機体。

 

右肩には長大な砲身。

 

背部には、機体本体と不釣り合いなほど大きな魔導炉ユニット。

 

腰部には、予備兵装として二丁のHG-01 軽量魔導拳銃が格納されている。

 

観測所の通信機が鳴った。

 

『こちらアイゼン。操縦リンク正常』

 

リディア・ファルク少尉の声だった。

 

帝国軍でも屈指のゴーレム操縦士。

 

反応速度と機体感覚に優れ、壊れかけの機体でも戦闘を続ける腕を持つ。

 

この試験には、彼女が必要だった。

 

『魔力供給……ちょっと変わった方式ね。でも嫌いじゃない』

 

エリクは通信卓の前に立つ。

 

「違和感は?」

 

『ある。でも、遅れじゃない。癖ね。慣れれば速い』

 

「なら、慣れろ」

 

『了解』

 

その時、遠方の丘が揺れた。

 

最初は地鳴りだった。

 

次に、土煙が上がる。

 

観測士が望遠鏡を覗き、顔色を変えた。

 

「敵機接近!」

 

将官たちが一斉に立ち上がる。

 

「所属は!」

 

「ヴァルグラント軍! 重装格闘型ゴーレム、ベヒモス級です!」

 

試験場がざわめいた。

 

偶然ではない。

 

連邦はこの試験を嗅ぎつけていた。

 

敵機は地面を踏み割りながら進んでくる。

 

高さ九メートル。

 

城壁のような装甲。

 

杭のように巨大な拳。

 

胸部には、青白い中枢光が鈍く脈打っている。

 

観測士が叫んだ。

 

「距離二八〇〇!」

 

通信越しに、リディアが言う。

 

『エリク技師』

 

「なんだ」

 

『撃っていい?』

 

エリクは一拍だけ置いた。

 

頭の中で距離、風向き、砲身角、敵の進行速度を並べる。

 

「一発目は当てなくていい。弾道を見る。撃て」

 

『了解。試射する』

 

アイゼンの右肩が持ち上がる。

 

長砲身に魔力が流れ、加速コイルが青く発光した。

 

次の瞬間、轟音。

 

放たれた魔導弾は空気を裂き、ベヒモス級の左側をかすめて地面を爆ぜさせた。

 

観測所の窓が震える。

 

「外れ!」

 

「距離二三〇〇!」

 

エリクは表示板に走る数値を見た。

 

弾道の沈み。

 

風のずれ。

 

敵の歩幅。

 

炉出力の揺らぎ。

 

「偏差修正、プラス〇・八度。砲冷却四十パーセント。第二射、急げ」

 

『任せて』

 

アイゼンが再び構える。

 

ベヒモス級は止まらない。

 

むしろ、速度を上げている。

 

距離二〇〇〇。

 

第二射。

 

今度は当たった。

 

魔導弾がベヒモス級の右胸部を直撃し、厚い装甲を外側から剥ぎ取った。

 

鋼鉄の破片が雨のように飛び散る。

 

その奥から、赤黒い液体が噴いた。

 

観測所の空気が、一瞬だけ凍った。

 

油ではない。

 

少なくとも、エリクにはそう見えなかった。

 

剥き出しになった胸部の奥で、太い脈管が脈打っている。

 

束ねられた人工筋繊維が、肉のように収縮している。

 

破れた脈管の断面から、どろりとした循環液が拍動に合わせて漏れ出していた。

 

「……血か?」

 

誰かが呟いた。

 

エリクは答えられなかった。

 

違う。

 

そう言えるだけの知識はあった。

 

あれは血ではない。

ただの循環液だ。

関節を動かすための、圧を伝える液体にすぎない。

 

そのはずだった。

 

だが、裂けた脈管が震え、赤黒い液が地面に落ちるたび、誰もそれを破損とは呼べなかった。

 

負傷だった。

 

ベヒモス級が、低く唸るように中枢を震わせた。

その巨体は、壊れた機械というより、傷ついた獣に見えた。

 

エリクは喉の奥にこみ上げる嫌悪を押し殺した。

 

理解できる。

 

理屈は分かる。

 

それでも、気持ち悪かった。

 

ベヒモス級は低く身を沈め、胸部の中枢光を脈打たせた。

 

右腕の装甲が割れ、大口径の銃身が現れる。

 

その黒い穴が、まっすぐこちらを向いた。

 

観測士の声が裏返った。

 

「敵、圧力衝撃砲準備!」

 

距離一五〇〇。

 

エリクは端末を見る。

 

敵装甲。

 

剥がれている。

 

だが、中枢はまだ生きている。

 

砲冷却は二十五パーセント。

 

無理に撃てば、砲身が破裂する危険があった。

 

リディアが通信を入れた。

 

『どうする? 撃てば抜けるかも』

 

「撃つな」

 

観測所の将官が振り返る。

 

「なぜだ! 今なら――」

 

「砲が爆発すればアイゼンごと失う」

 

「では逃げるのか!」

 

「そのつもりだった」

 

エリクは通信機に向かって言った。

 

「リディア少尉。砲身と背部炉をパージしろ」

 

一瞬、通信が沈黙した。

 

それから、リディアが笑った。

 

『そう来たか』

 

「機動力を戻す。離脱しろ」

 

『離脱ね。できれば、そうしたいところだけど』

 

その声には、奇妙な軽さがあった。

 

アイゼンの背部固定具が弾けた。

 

巨大な魔導炉ユニットが外れ、地面へ落ちる。

 

続いて右肩の長砲身が切り離され、土煙を上げて転がった。

 

整備班が計測値を叫ぶ。

 

「機体重量、三十二パーセント減少!」

 

「脚部トルク回復!」

 

「反応速度、上昇しています!」

 

その瞬間、ベヒモス級の銃口が唸りをあげた。

 

圧縮された衝撃波が、草原を削りながら一直線に走る。

 

だが、そこにアイゼンはいなかった。

 

軽量化された機体が、横へ跳んだのではない。

 

滑るように、射線から消えていた。

 

衝撃波が背後の丘を吹き飛ばす。

 

観測所に土煙が押し寄せた。

 

「回避成功!」

 

誰かが叫んだ。

 

エリクは表示板を見た。

 

反応が速い。

 

従来機なら、操縦者が回避を選んでも、機体がついてこない。

 

一拍遅れる。

 

その一拍で、ベヒモス級の攻撃範囲から逃げ遅れ破損しただろう。

 

だが、アイゼンは違った。

 

魔導回路の負荷が分散されている。

 

脚部の応答が遅れない。

 

重心補正が、操縦者の動きに追いついている。

 

リディアの判断に、機体が遅れていない。

 

「これが……」

 

エリクは思わず呟いた。

 

リアスの設計思想。

 

その本当の価値が、ようやく戦場で形になっていた。

 

それでも、ベヒモス級は止まらなかった。

 

右腕の大口径砲をこちらへ向けたまま、巨体を前へ押し出してくる。

 

発砲。

 

地面が爆ぜ、破片が装甲を叩いた。

 

リディアが機体を横へ滑らせる。

 

回避以外の手段はなかった。

 

次弾。

さらに次弾。

 

回避は正確だった。

訓練通りに機体を逃がし、砲撃の直撃だけは避け続ける。

 

 

だが、その間にも、ベヒモス級は砕けた装甲を鳴らし、循環液を撒き散らしながら前進していた。

 

射撃で足を止めるのではない。

射撃でこちらの足を止め、回避に追い込みながら、距離を潰してくる。

 

気づいた時には、射撃の間合いが、殴り合いの距離に変わっていた。

 

ベヒモス級が巨腕を振り上げる。

 

正面から受ければ終わりだ。

 

殴り合えば、アイゼンに勝ち目はない。

 

相手は重装格闘型。

 

拳と装甲と怪力で、敵を押し潰すための機体だ。

 

アイゼンが同じ土俵に立つ必要はなかった。

 

『エリク技師』

 

通信越しに、金属音が響いた。

 

アイゼンの腰部装甲が開く。

 

左右に格納されていた短銃型の兵装が、リディアの手に収まった。

 

二丁のHG-01 軽量魔導拳銃。

 

本来は近距離防衛用の予備兵装だった。

 

主武装ではない。

 

ベヒモス級を倒すための装備ではない。

 

「リディア少尉、それは予備兵装だ」

 

『今は予備しか残ってないでしょ』

 

エリクは反論できなかった。

 

ベヒモス級の拳が地面を砕いた。

 

アイゼンは跳ばない。

 

大きく逃げない。

 

それでは次の一撃に捕まる。

 

リディアは、機体を低く沈めた。

 

拳の風圧をかわし、砕けた地面の破片を踏み、ベヒモス級の腕の内側へ滑り込む。

 

従来機では不可能な動きだった。

 

関節の動きが遅れれば、踏み込みがずれる。

 

重心補正が遅れれば、巨腕の風圧だけで姿勢を崩す。

 

魔導回路に負荷が集中すれば、脚部が悲鳴を上げる。

 

だが、アイゼンは崩れなかった。

 

リディアが動かした通りに動く。

 

それだけのことが、戦場では決定的だった。

 

『見えてる』

 

剥がれた装甲。

 

赤黒い循環液。

 

脈打つ管。

 

その奥で、青白い中枢光が揺れている。

 

アイゼンは二丁のHG-01を突きつけた。

 

距離は、ほとんど零に近い。

 

発砲。

 

乾いた連射音が、ベヒモス級の胸部に叩き込まれた。

 

一発では足りない。

 

二発でも足りない。

 

だが、リディアは外さなかった。

 

装甲の裂け目だけを狙い、循環液に濡れた中枢部へ、弾を流し込むように撃ち込んでいく。

 

ベヒモス級が身をよじる。

 

巨腕が横薙ぎに振られる。

 

アイゼンは後ろへ逃げない。

 

半歩沈み、肩を抜き、腕の下を通る。

 

その間も、銃口は裂け目から離れない。

 

『落ちろ』

 

最後の弾が、青白い中枢光を貫いた。

 

ベヒモス級の胸部が内側から弾ける。

 

脈管が破裂し、赤黒い循環液が噴き出した。

 

人工筋繊維が痙攣し、巨体が膝をつく。

 

城壁のような機体が、ゆっくりと沈んでいく。

 

そして、止まった。

 

観測所に、数秒だけ音がなかった。

 

次に、記録係が叫んだ。

 

「敵機撃破!」

 

「試験機G-01、勝利!」

 

歓声が爆発した。

 

技官たちが抱き合い、整備班が拳を突き上げる。

 

将官たちは興奮を隠しきれず、口々に何かを叫んでいた。

 

リディアの通信が入る。

 

『こちらアイゼン。生きてるわ。機体も、まあ……怒られるくらいには壊した』

 

エリクは椅子に座り込みそうになるのをこらえた。

 

「帰還しろ。怒るのは整備班だ」

 

『技師は?』

 

「俺は感謝する」

 

『珍しいこと言うじゃない』

 

「今日くらいはな」

 

その時、背後から軍司令官が声をかけた。

 

「エリク技師」

 

エリクは振り返る。

 

司令官は、撃破されたベヒモス級を見つめていた。

 

「これは……兵器として成立している」

 

その言葉は、勝利宣言に近かった。

 

G-01《アイゼン》は、帝国の希望になった。

 

少なくとも、その場にいた者たちはそう考えた。

 

だが、エリクだけは素直に喜べなかった。

 

アイゼンは勝った。

 

しかし、条件が揃いすぎていた。

 

長距離魔導加速砲がなければ、装甲を剥がせなかった。

 

砲を捨てる判断が遅れれば、衝撃砲で消し飛んでいた。

 

最後はリディアの腕に依存した。

 

HG-01による至近距離射撃など、普通の操縦士に再現できるものではない。

 

敵が一機だったから勝てた。

 

戦線のあちこちにベヒモス級が現れたら。

 

リディア級の操縦士が足りなければ。

 

整備に時間を取られれば。

 

勝利はすぐに崩れる。

 

それに。

 

エリクは、赤黒い循環液を撒き散らして沈黙したベヒモス級を見た。

 

あれは兵器だ。

 

倒さなければ、帝国兵が死ぬ。

 

分かっている。

 

それでも、壊れた機械というより、死んだ獣に見えた。

 

その夜、エリクは自宅の工房で一人、机に向かっていた。

 

新たな案を描いては消す。

 

アイゼンの高出力型。

 

重装甲型。

 

近接特化型。

 

砲撃専用型。

 

どれも違う。

 

強い機体を一機作れば、英雄は生まれる。

 

だが、戦争に必要なのは英雄だけではない。

 

「何が足りない……」

 

呟いた時、背後で紙の擦れる音がした。

 

振り返る。

 

そこに、リアスがいた。

 

「鍵は閉めていたはずだが」

 

「窓が開いていた」

 

「三階だぞ」

 

「足場はあった」

 

「普通は入らない」

 

「普通の話をしに来たわけじゃない」

 

リアスは机の上に、丸めた設計図を置いた。

 

エリクはそれを開く。

 

最初に感じたのは、落胆だった。

 

性能が低い。

 

G-01より装甲は薄い。

 

出力も控えめ。

 

最高速度も落ちる。

 

武装も標準的。

 

ベヒモス級を単独で倒せる機体ではない。

 

「……なんだ、これは」

 

エリクは眉をひそめた。

 

アイゼンの後継機ではない。

 

高性能化案でもない。

 

砲撃特化型でも、近接特化型でもない。

 

だが、読み進めるうちに、指先が止まった。

 

部品点数が少ない。

 

魔導回路の構成が単純化されている。

 

腕部と脚部の規格が共通化されている。

 

破損しやすい関節部は、前線整備班でも交換できるよう分割されている。

 

操縦系の癖が少ない。

 

既存の工房設備で製造できる。

 

エリクは紙面をめくる速度を落とした。

 

違う。

 

これは弱い機体ではない。

 

強さの意味が違う。

 

アイゼンは、優れた操縦士が乗ることでベヒモス級を倒した。

 

だが、あの勝利は条件が揃いすぎていた。

 

長距離魔導加速砲。

 

リディア少尉の反応速度。

 

破損した装甲部。

 

試験場という開けた地形。

 

同じことを、すべての戦線で再現することはできない。

 

戦争に必要なのは、一機の英雄ではない。

 

穴を埋める機体。

 

壊れても直せる機体。

 

平均的な操縦士でも動かせる機体。

 

十機、百機と並べて、戦線そのものを支える機体。

 

エリクは息を呑んだ。

 

「量産機……」

 

その言葉を口にした瞬間、設計図の全体像が見えた。

 

G-02《ファルク》。

 

それは、アイゼンの後継ではない。

 

アイゼンの戦闘から得られた答えを、戦場全体へ広げるための機体だった。

 

華はない。

 

突出した性能もない。

 

単独で敵の新型を粉砕する力もない。

 

だが、作れる。

 

直せる。

 

揃えられる。

 

前線に送り続けられる。

 

それは、戦争を終わらせる機体ではない。

 

戦争を続けられるようにする機体だった。

 

エリクは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……リアス」

 

振り返る。

 

だが、そこには誰もいなかった。

 

窓だけが、わずかに開いている。

 

設計図は残っている。

 

答えだけが、机の上に置かれている。

 

エリクは低く呟いた。

 

「悪魔め」

 

翌朝。

 

アルディア帝国軍技術局では、G-02《ファルク》の試作計画が立ち上げられた。

 

回路規格の統一。

 

部品互換性の確認。

 

工房への製造割り振り。

 

前線整備班の再教育。

 

操縦士訓練計画。

 

エリクは自分の手で、戦争を支えるための機体を形にしていった。

 

美しくはない。

 

英雄機でもない。

 

だが、必要だった。

 

帝国が生き残るために。

 

同じ頃。

 

ヴァルグラント連邦、首都郊外。

 

軍事研究院の培養棟。

 

一人の技術将校が、設計図を広げていた。

 

そこに描かれていたのは、ベヒモス級の後継案だった。

 

脈管束の圧力損失を抑える新しい配列。

 

循環液の漏出を局所で止める閉鎖弁。

 

人工筋繊維の壊死を防ぐ冷却機構。

 

胸部圧力中枢を守る多層装甲。

 

短時間だけ機動力を上げる補助脈動機構。

 

損傷時に脈管を切り離して出血を止める緊急閉鎖機構。

 

それは、連邦式を外から真似た図面ではなかった。

 

脈管駆動式を、内側から理解した者の設計だった。

 

技術将校は震える指で、図面の隅を見る。

 

そこには、短い署名があった。

 

Lias.

 

両国はまだ知らない。

 

自分たちが誇るゴーレム技術の根に、同じ男の手があることを。

 

アルディア帝国が磨く魔導回路式も。

 

ヴァルグラント連邦が育てる脈管駆動式も。

 

どちらも、この世界だけで生まれたものではなかった。

 

リアスが別の異世界で集め、解析し、持ち帰った二つの技術体系。

 

それを、彼は二大国家へ別々に与えた。

 

帝国には、魔導回路式の未来を。

 

連邦には、脈管駆動式の未来を。

 

二つは混ざらない。

 

帝国は連邦機を分解しても採用できない。

 

連邦は帝国機の魔導回路を見ても、自国の重装機には合わない。

 

奪っても使えない。

 

分解しても、自国の技術にはならない。

 

だから両国は、互いの技術を直接奪うのではなく、自分たちの技術を進化させ続ける。

 

そこにリアスがいる。

 

彼だけが、両方の言語で設計図を渡せる。

 

国力は互角。

 

資源も互角。

 

経済も互角。

 

憎しみも、戦争を続ける理由も、すでに十分にある。

 

条件は整っていた。

 

アルディア帝国のゴーレムは、魔導回路で動く。

 

ヴァルグラント連邦のゴーレムは、筋肉と血管で動く。

 

同じゴーレムと呼ばれていても、二つは別の生き物だった。

 

リアスが見たいものは、帝国の勝利ではない。

 

連邦の勝利でもない。

 

勝敗は、観察結果の末端にすぎない。

 

彼が見ていたのは、その途中で生まれる選択だった。

 

追い詰められた国家が何を求めるのか。

優秀な技術者が、どの限界を認め、どの可能性に手を伸ばすのか。

兵器体系が、どこで枝分かれし、どこで変質するのか。

 

ただ優れた設計図を渡せばいいわけでもなかった。

 

早すぎる技術は、戦争を壊す。

遅すぎる技術は、観察する前に国を潰す。

 

必要なのは、片方が追い詰められた時、その国が欲しがる選択肢を一つだけ増やすことだった。

 

完全な答えではない。

勝利の保証でもない。

 

一世代先。

時には半世代先。

 

その国の技術者が、あと少しで届きそうで届かなかった距離。

 

リアスは、その差だけを設計図にして置いていく。

 

帝国に最初からG-02《ファルク》を渡しても、意味はなかった。

 

彼らはまだ、高性能機でベヒモス級を倒す夢を捨てていなかったからだ。

 

だから、最初に必要だったのはG-01《アイゼン》だった。

 

そしてアイゼンが勝った後で初めて、ファルクの意味が生まれる。

 

高性能機だけでは戦線を維持できない。

リディア・ファルク少尉のような操縦士は数を揃えられない。

壊れた機体を前線で直せなければ、勝利は続かない。

 

エリクがそこに辿り着いた瞬間、机の上にはもう答えが置かれていた。

 

連邦も同じだ。

 

ベヒモス級が無傷で帝国機を踏み潰しているうちは、彼らは中枢保護の不足を認めない。

脈管を破られ、循環液を流し、装甲の裂け目から撃ち抜かれて初めて、次の改良を欲しがる。

 

だから、リアスはその時に渡す。

 

どちらにも、完成形は渡さない。

 

渡すのは常に、次に欲しくなる一手だけ。

 

戦争という巨大な実験場で、異なる世界から持ち込まれた二つのゴーレム技術が、どの選択を欲し、どの世代で枝分かれし、どちらを喰らい、どちらが生き残るのか。

 

リアスが見たいものは、それだけだった。

 

やがて両国は気づくだろう。

 

リアスは味方ではない。

 

敵でもない。

 

だが、切り捨てるには危険すぎる。

 

失うには有用すぎる。

 

帝国がリアスを排除すれば、連邦だけが次の技術を得るかもしれない。

 

連邦がリアスを排除すれば、帝国だけが次の技術を得るかもしれない。

 

彼を受け入れれば、自国の技術は進む。

 

同時に、戦争も進む。

 

彼を切れば、相手だけが進むかもしれない。

 

どちらを選んでも、戦場は止まらない。

 

だからこそ、リアスは観察者でいられた。


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