闇の書事件は終わった。
だが、その代償は決して小さなものではなかった。
アースラ医務室。
ベッドに眠るはやてを見守りながら、なのはたちの前にリインフォースが姿を現していた。
防御プログラムを切り離し、夜天の書は本来の姿を取り戻した。
しかし――。
「夜天の書そのものの損傷は、すでに修復不可能な段階にあります」
重い沈黙が落ちる。
リインフォースは静かに続けた。
「主はやての管理者権限によって機能は正常化しました。しかし根幹部分の崩壊は止められません」
「このまま私が存在し続ければ、遠くない未来、再び暴走防御プログラムを生成します」
シグナムが拳を握る。
シャマルが目を伏せる。
ヴィータは唇を噛み締めた。
「つまり……また闇の書になるってのかよ……」
「はい」
リインフォースは否定しなかった。
「だから私は消えなければなりません」
その言葉に誰も反論できなかった。
しかしリインフォースは優しく微笑む。
「安心してください」
「主はやてへの侵食は完全に停止しています」
「足も時間はかかりますが、必ず治ります」
「そして守護騎士たちも消えません」
全員が顔を上げる。
「守護騎士プログラムは既にはやて個人の維持へ切り替わっています」
「消えるのは私だけです」
その言葉にヴィータが叫んだ。
「ふざけんな!」
「勝手に決めんなよ!」
だがリインフォースは首を横に振った。
「これが最善なのです」
そして、なのはとフェイトを見る。
「お願いがあります」
「私を送ってください」
「駄目!」
なのはが即座に否定する。
フェイトも首を振った。
「はやてとお別れもしてないのに……」
しかしリインフォースは穏やかだった。
「いつか分かります」
「大切な誰かを見送る意味が」
その頃。
病室で眠っていたはやては胸騒ぎに目を覚ました。
「リインフォース……?」
嫌な予感がした。
まだ自由にならない体を無理やり起こし、車椅子へ移る。
そして必死に現場へ向かった。
「やめて!!」
その叫びに全員が振り返る。
涙を流しながら車椅子を走らせるはやて。
「やめてや!」
リインフォースが微笑む。
「主はやて」
「嫌や!」
「私がなんとかする!」
「絶対方法見つける!」
「暴走なんかさせへん!」
必死の叫び。
だがリインフォースは静かだった。
「もう十分です」
「騎士たちもいます」
「友達もいます」
「家族もいます」
「夜天の魔導も受け継がれました」
「私は役目を終えました」
はやては涙を流しながら叫ぶ。
「そんなことない!」
「これからやったんや!」
「今まで苦しいことばっかりやったんやから!」
「これから私が幸せにしたるはずやったんや!」
リインフォースは目を見開いた。
そして涙を流す。
「ありがとうございます」
「主はやて」
「私はもう――」
「世界で一番幸福な魔導書です」
誰も言葉を発せなかった。
その時。
リインフォースはゆっくりと視線を移した。
そこに立つさくらを見る。
右手中指には霧のマーレリング。
紫色の炎が静かに揺れていた。
「もう一人、お礼を言わなければなりません」
さくらが少し驚く。
「私?」
「ああ」
リインフォースは微笑んだ。
「貴女が与えてくれた力がなければ、主はやてはここまで持ちませんでした」
守護騎士たちも頷く。
大空のマーレリング。
調和の炎。
石化による侵食抑制。
はやてを支え続けた力。
「守護騎士たちもまた、その力によって最後まで自分を見失わずに済みました」
リインフォースは深く頭を下げた。
「ありがとう、さくら・高町」
さくらは少しだけ照れたように笑った。
「どういたしまして」
リインフォースは満足そうに頷く。
「貴女にも、よき未来がありますように」
そして。
光となった。
無数の光粒となって夜空へ昇る。
誰よりも長い悲しみを背負った魔導書は、幸福の中でその生涯を終えた。
残されたのは小さな蒼い結晶だけだった。
その後、グレアムは管理局を退職した。
はやてへの援助は続ける。
真実を伝えるのは、はやてが大人になった時。
そう約束して去っていった。
リンディはクライドの墓前へ報告へ向かうことを決めた。
クロノとフェイトを連れて。
フェイトは執務官になる夢を語った。
悲しみの連鎖を少しでも減らすために。
なのはもまた決意する。
自分の力を誰かのために使うことを。
ユーノは無限書庫司書への道を歩み始めた。
はやては嘱託魔導師となり。
守護騎士たちは管理局業務に従事することで罪を償うこととなった。
そして。
クリスマス会の日。
皆はようやく笑顔を取り戻していた。
だが数日後――。
高町家。
さくらの部屋。
机の上には霧のマーレリング、嵐のリング、雲のリング。
そして複数の匣兵器。
クロノから通信が入る。
画面に映る彼の表情は険しかった。
「悪い知らせだ」
「何?」
「管理局上層部から正式な通達が出た」
クロノは言う。
「リングと匣兵器の押収命令だ」
部屋の空気が凍る。
なのはもフェイトも表情を変えた。
「現在、母さんや僕、ハラオウン家が交渉している」
「だが正直、取り下げは難しい」
さくらの目が細くなる。
「理由は?」
「今回の事件だ」
クロノは即答した。
「闇の書の意志が五つのマーレリングを使用した」
「死ぬ気の炎の危険性が知られた」
「さらに匣兵器の戦闘能力も問題視されている」
「ロストロギア級の危険物だと判断された」
沈黙。
そして。
さくらは笑った。
「クロノ」
「なんだ」
「上層部に伝言頼んでもいい?」
クロノは額を押さえる。
「聞くだけ聞こう」
さくらは満面の笑みを浮かべた。
「クソ食らえってな」
「お姉ちゃん!」
なのはが悲鳴を上げる。
フェイトは苦笑した。
クロノは深いため息を吐いた。
「言うと思った」
だが。
さくらの瞳は笑っていなかった。
右手の霧のマーレリングが紫色に輝く。
「私の物を力づくで奪うなら」
「その時は私も遠慮しない」
クロノは嫌な予感を覚えた。
それは後に管理局を揺るがす火種。
まだ誰も知らない未来への始まりだった。
そして――
六年後。
春。
成長したなのは、フェイト、はやてはそれぞれ管理局で活躍していた。
なのはは教導官。
フェイトは執務官。
はやては捜査官。
クロノはアースラ艦長。
ユーノは無限書庫司書。
皆がそれぞれの未来を歩んでいた。
だが。
一人だけ管理局と距離を置き続ける者がいた。
高町さくら。
六年前の押収命令問題は終わっていない。
ハラオウン家の尽力で強制執行こそ避けられていたが、管理局上層部は未だ諦めていなかった。
海鳴市郊外。
高台の上。
風を受けながら空を見上げるさくら。
右手には三つのリング。
中指には霧のマーレリング。
人差し指には嵐のリング。
薬指には雲のリング。
紫、赤、緑。
三色の死ぬ気の炎が静かに揺れる。
クロノとの通信が終わる。
「また上からか?」
「ああ」
「ご苦労様」
「本当にそう思うなら少しは協力してくれ」
「断る」
即答だった。
クロノは深いため息を吐く。
ふと。
空の彼方に赤オレンジ色の炎が輝いた。
そこを駆ける巨大な獣。
ライオンと虎の特徴を併せ持つ匣兵器。
天空嵐ライガー。
大空の橙色と嵐の赤色が混ざり合った赤オレンジ色の炎を纏い、大空を駆けている。
その背には白いバリアジャケットを纏ったなのはの姿。
「あれはなのはの力だ」
さくらは微笑んだ。
かつて自分が贈ったリングと匣兵器。
今では完全になのはの相棒だった。
さくらは右手を見る。
霧の紫。
嵐の赤。
雲の緑。
三色の炎が揺れる。
「私は私の道を行くさ」
風が吹く。
その言葉は静かに空へ消えていった。
しかし管理局との溝は消えていない。
むしろ深まっていた。
六年前の押収命令。
それは後に訪れる管理局との決裂。
そして――
第一級次元犯罪者・高町さくら誕生へと繋がる。
始まりに過ぎなかったのである。