夜風が、病院の屋上を吹き抜けていた。
空は黒く沈み。
雲は重い。
まるで、これから訪れる災厄を予感しているかのようだった。
屋上の中央。
ベッドに横たわるはやての周囲へ、複数の魔法陣が展開されている。
なのは。
フェイト。
クロノ。
そして、高町さくら。
全員が張り詰めた表情で、中央を見つめていた。
守護騎士たちは、はやての傍から離れない。
シグナムは剣を握り締め。
ヴィータは苛立ちを隠せず。
シャマルは祈るように目を閉じ。
ザフィーラは静かに周囲を警戒していた。
その中心で。
はやての右手。
大空のマーレリングだけが、弱々しい炎を灯している。
宝石から揺れる、オレンジ色の炎。
だが、その光は、今にも消えてしまいそうなほど小さい。
クロノが低く問う。
「……本当にやるんだな」
さくらは静かに頷いた。
「ああ」
「もう時間がない」
なのはが、はやてを見る。
苦しそうな呼吸。
青白い顔。
闇の書の侵食は、既に生命維持領域へ到達していた。
フェイトが静かに呟く。
「間に合って……」
その願いに。
さくらは静かに言う。
「間に合わせる」
短い言葉。
だが、そこに迷いはなかった。
クロノが目を細めた。
「始めるぞ」
結界が展開される。
病院全域を包み込む、巨大な封鎖結界。
外部への被害を防ぐためのものだ。
さくらは、はやての額へそっと手を置いた。
「聞こえてる?」
静かな声。
「持ち主」
返事はない。
だが。
右手のリングの炎が、小さく揺れた。
それだけで十分だった。
さくらは静かに目を閉じる。
「――闇の書」
低い声。
その瞬間。
世界が、震えた。
黒い魔力が噴き上がる。
空気が悲鳴を上げる。
闇。
闇。
闇。
はやての身体から、膨大な黒い奔流が噴出した。
シャマルが息を呑む。
「始まった……!」
シグナムが剣を構える。
ヴィータが鉄槌を握り締める。
ザフィーラが低く唸った。
そして。
空間が裂ける。
巨大な黒い魔法陣。
その中心から、“何か”が目を開いた。
赤い瞳。
無機質な視線。
圧倒的な魔力。
闇の書の管理人格。
世界を滅ぼす災厄。
その存在が、今、完全に目覚めた。
瞬間――
守護騎士たちの身体が、光へ変わった。
「な――」
ヴィータが目を見開く。
シグナムが歯を食いしばる。
シャマルが息を呑む。
ザフィーラが低く唸った。
管理人格の覚醒。
それは、守護騎士システムの一時停止を意味していた。
「主……!」
シグナムが最後にはやてを見る。
ヴィータが悔しそうに叫ぶ。
「はやてぇぇぇ!!」
そして。
四人の姿は、粒子となって消滅した。
静寂。
残されたのは。
暴走する黒き災厄だけ。
なのはが息を呑む。
フェイトがバルディッシュを握る。
クロノが前へ出る。
その中で。
さくらだけは、静かに管理人格を見上げていた。
赤い瞳が、さくらを見下ろす。
そして。
機械のような声が響いた。
『……収集、継続』
『対象世界、侵食開始』
その瞬間。
黒い波動が空へ放たれる。
世界そのものを呑み込もうとする、絶望の魔力。
だが――
「なのは!」
さくらが叫ぶ。
「撃ち落として!」
「うん!」
なのはの魔法陣が展開される。
桜色の光。
レイジングハートが唸る。
『Divine——』
巨大な砲撃が、夜空を裂いた。
轟音。
衝撃。
黒い波動と激突し、空そのものが揺れる。
フェイトも飛び出す。
「行くよ、バルディッシュ!」
『Yes, sir』
雷光が迸る。
クロノも同時に魔法陣を展開。
三方向からの同時攻撃。
だが。
管理人格は止まらない。
黒い魔力が膨れ上がる。
空間が悲鳴を上げる。
そして。
さくらは静かに言った。
「ここからが本番よ」
なのはが振り向く。
フェイトも息を呑む。
さくらの瞳は、真っ直ぐ管理人格を見据えていた。
「眠ってるはやてを起こす」
「管理者権限を使ってもらう必要がある」
その言葉と共に。
夜空へ、巨大な黒い翼が広がった。
闇の書の闇。
世界を滅ぼす戦いが――今、始まる。