ある日の朝。
高町家の前が、妙に騒がしかった。
「引っ越し業者?」
なのはは窓から外を覗き込み、小首を傾げる。
家の隣。
ずっと空き家だった家へ、大量の荷物が運び込まれていた。
その時だった。
「なのはー!」
聞き慣れた声。
なのはが慌てて窓を開ける。
そこには――。
「フェイトちゃん!?」
私服姿のフェイトが立っていた。
その後ろでは、リンディが苦笑している。
「今日からお隣さんになります」
なのはは数秒固まり――。
「ええええええっ!?」
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リビング。
高町家は朝から大騒ぎだった。
「いやー、びっくりしたわぁ」
桃子が笑いながら紅茶を出す。
士郎も穏やかに笑っていた。
「よろしくお願いします、リンディさん」
「こちらこそ」
リンディも笑顔で返す。
そして。
フェイトは少しだけ照れたように視線を逸らした。
「……あの事件のあと、正式に養子縁組してもらったんだ」
なのはの目が輝く。
「本当に!?」
フェイトは小さく頷く。
「うん」
「それで、学校もなのはと同じところへ通うことになったの」
「やったぁ!」
なのはが思わず抱きつく。
フェイトは少し驚き――。
そして、柔らかく笑った。
「わっ……」
「えへへ、これから毎日一緒だね!」
アリサとすずかが聞いたら絶対驚く。
なのはは朝から上機嫌だった。
だが。
その光景を少し離れた場所から見ていたさくらは、静かだった。
表情も変わらない。
ただ、紅茶を飲んでいる。
フェイトはそんなさくらへ視線を向ける。
霧のマーレリング。
あの者たちへ渡されたリング。
敵側へ立った姉。
聞きたいことは山ほどあった。
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放課後。
なのは、フェイト、クロノ、リンディ。
そしてさくらは、隣家――ハラオウン家のリビングへ集まっていた。
空気は重い。
特にクロノは、最初から鋭い視線をさくらへ向けていた。
「単刀直入に聞く」
「なぜ、あの者たちへリングを渡した」
クロノの問い。
だが、さくらはソファへ座ったまま平然としている。
「必要だったから」
「理由になっていない」
即座に返される。
フェイトも静かに口を開いた。
「あの炎……」
「かなり使いこなしてた」
「普通、初めて使うリングじゃあんな風にはならない」
さくらは少しだけ目を細める。
「才能があったんじゃない?」
「誤魔化すな」
クロノの声が低くなる。
なのはも、真っ直ぐさくらを見る。
「お姉ちゃん」
「本当に、あの人たちの味方なの?」
静寂。
その問いに、さくらは少しだけ考えるように目を閉じた。
やがて。
「……違う」
静かな返答。
だが続く言葉は、さらに全員を困惑させた。
「でも、敵でもない」
「はぁ?」
クロノが眉をひそめる。
なのはも困ったような顔になる。
「どういう意味なの……?」
さくらは紅茶を一口飲み――。
そして、静かに言った。
「今のあなたたちは、まだ知らなくていい」
その言葉に。
クロノが立ち上がる。
「ふざけるな!」
魔力が僅かに漏れる。
だが。
その瞬間。
部屋の空気が変わった。
霧。
白い霧が、音もなく室内へ広がっていく。
クロノが即座にデバイスへ手を伸ばす。
「っ!?」
しかし。
気付けば、首元へ指が添えられていた。
さくらだった。
誰も、その動きを見えていない。
クロノの額へ汗が流れる。
さくらは静かに言う。
「……私は、別にあなたたちと敵対したい訳じゃない」
「でも、今の段階で無理矢理踏み込むなら――止める」
静かな声。
なのに、重かった。
リンディがゆっくり口を開く。
「さくらさん」
「あなたは、あの人たちが何をしているか知っているのですね?」
さくらは少しだけ視線を向ける。
そして。
「知ってる」
「でも、それを話す気はない」
即答だった。
クロノが悔しそうに歯を噛む。
だが、今の一瞬で理解した。
この場でさくらを無理に抑えるのは危険だと。
やがて、さくらは霧を消しながら立ち上がる。
そして、なのはの前へ歩いてくる。
「なのは」
「え?」
さくらは、赤い宝石を持つリングを取り出した。
以前の物より、強力な力を感じる嵐のリング。
「壊れたから、新しいの」
なのはの目が大きく開く。
「お姉ちゃん……」
さくらは静かに言う。
「前より少し上のランク」
「今度は壊さないように使って」
なのははリングを両手で受け取る。
そして、小さく笑った。
「……うん!」
その後。
さくらは今度はフェイトへ視線を向けた。
「フェイト」
「え?」
さくらは懐から、黒い匣を取り出す。
装飾のない、漆黒の匣。
フェイトは、その匣から漂う強力な力に目を細めた。
「これは……?」
「アップグレート匣」
さくらは静かに続ける。
「雷キツネに接続することで、“黒狐”へ変化する」
フェイトの目がわずかに見開かれる。
「黒狐……」
「雷キツネの強化形態」
「速度、出力、耐久、全部が跳ね上がる」
短い説明。
だが、その内容は凄まじかった。
フェイトは静かに黒い匣を見る。
それはつまり――。
今まで以上の力。
さくらはさらに続けた。
「ただし、消耗も激しい」
「使いどころは考えて」
フェイトは小さく頷いた。
「……うん」
その表情には、確かな決意が宿っていた。
だが、その直後。
さくらの目が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。
窓の外。
遠くを見つめる。
まるで、何かを感じ取ったように。
「……もう動き始めたんだ」
小さな呟き。
だが、その意味を聞く前に――。
さくらは静かに部屋を出て行ってしまった。