中華怪奇譚:白猿伝   作:外清内ダク

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三 そして一年後

 

 

 白猿を倒した後、欧陽紇(おうようこつ)が洞窟の蔵を調べてみると、そこには信じられないような数の宝が詰め込まれていた。

 

 ずらり並んだ几案(きあん)(机)の上に、宝器が山のように積まれ、珍しい食べ物が満ち溢れている。

 おおよそ人の世で珍しいと言われる物なら、なんでも網羅(もうら)しているというほどの種類と数である。

 

 さらには天下の名香が数(こく)ばかり。

 宝剣は二振り。

 そして囚われていた女性三十人は、みんな絶世の美貌をそなえている。これだけの女たちが、長い者では十年もこの秘境に閉じ込められていたというのだから、酷な話である。

 

 女の一人が言った。

「歳を取って容色の衰えた者は、みんなどこかへ連れ去られていきました。行先は分かりません……

 あの白猿に仲間や手下はいませんでした。人をさらってくるときにも、いつも一人で行動していましたわ。

 

 奴の全身は白い毛に覆われ、その長さは数寸。

 朝には(たらい)で顔を洗い、帽子をかぶり、白い(あわせ)を着て、その上から薄い衣を羽織(はお)る。それで暑さも寒さも感じないようでした。

 

 この洞窟にいる時、奴はいつも木簡を読んでおりましたが、その字は符篆(ふてん)篆書(てんしょ)の呪符)のようで、私には読めませんでした。

 読み終わったら、いつも石段の下に木簡を置いておりましたわ。

 

 晴れた昼間には双剣を握って剣舞をしておりました。剣を振るたびに全身から雷が飛び、光が円を描いてさながら月のよう。

 飲食の時間は決まっていませんでしたが、果物や栗を好んで食べました。特に犬は大好物で、肉を噛みちぎり、その血を飲むのです。

 

 昼過ぎになると奴は洞窟を出て、ザァッとどこかへ飛んで行ってしまう。半日ほどで数千里を飛び回り、晩には必ず戻ってきました。欲しいと思ったものは、なんでも手に入れてしまうのです。

 

 そして夜になると、寝床にいる女たちを次々に(なぶ)り、好きなように(たわむ)れながら、一晩で全員のところを回ります。奴自身は夜通し眠ることがありません。

 

 言葉もよく知っていて、華語(中国語)を上手にしゃべりました。でも、その姿は猳玃(かかく)……猿のバケモノとしか言いようがありません。

 

 今年の秋……木の葉が落ち始めた頃、奴は悲しげに言っておりました。

『俺は山の神に訴えられた。死罪になるだろう。

 いろいろな神霊に加護を求めたから、ひょっとしたら罪を免れられるかもしれんが……』

 

 そして先月、一体の精霊がこの秘境に入り込み、石段の下に置いてあった書簡に火をつけて焼いてしまう、ということが起きました。

 奴は呆然自失の様子で言いました。

『俺は千年も子を授からなかったが、今になって子ができた。死期が来たらしい』

 

 そして奴は女たちを振り返り、涙を流して、こう言いました。

『この山は険しく、下界から断絶していて、今まで人が登ってきたことはない。上から見ても(きこり)一人見えはしない。下の方には虎狼や怪獣がたくさんいるのだ。そんな場所に入り込んでくる者がいるとすれば……その者は天の助けを得ているに違いあるまい』と……」

 

 

   *

 

 

 欧陽紇(おうようこつ)は、白猿の宝玉や珍奇な品々を手に入れ、囚われていた女性たちも連れて帰った。

 

 女性たちは長きにわたって捕らえられていた。

 中には、幼い頃に連れて来られて、十年も閉じ込められていた者もいる。

 その月日の間に帰るべき家を失っていた者も、そもそもどこから連れて来られたのか覚えていない者も、少なくなかった。

 

 欧陽紇(おうようこつ)は、帰るところのある者はみんな元の家へ送り返してやり、他の女性たちは手厚く保護した。

 

 一年後……

 欧陽紇(おうようこつ)の妻は、一人の息子を生んだ。

 生まれた赤子の顔は……あの白猿に、そっくりであった……

 

 

   *

 

 

 このとき生まれた子供は(あざな)信本と名付けられ、幼い頃から並外れた聡明さを見せて周囲の大人たちを驚かせつつ、すくすくと成長していった。

 

 ところが後年、(ちん)の武帝に仕えた欧陽紇(おうようこつ)は、政治的に追い詰められて反乱を起こし、誅殺されてしまった。

 息子の信本も連座で処罰されかねない立場におかれたが、そこへ江総という人物が手を差し伸べた。

 

 江総は(ちん)の高官で、欧陽紇(おうようこつ)とは親しい友人同士。

 江総は、親友が(のこ)した孤児(みなしご)の聡明さを愛し、信本を引き取って養うことにした。そのおかげで、一族の中で信本だけが難を逃れたのである。

 

 信本は長じて高官にのぼり、能書家として当代随一の名声を得た。

 この信本こそが、唐の第二代皇帝太宗に仕えた書道の達人、欧陽詢(おうようじゅん)である……と、「続江氏伝」には記されている。

 

 

白猿伝 完




●注釈(1)
 本作は、中国の唐代の伝奇小説「補江総白猿伝」を翻訳し、ある程度の説明や描写を補って現代日本語の小説として仕上げた作品である。
 書道の大家として有名な実在の人物欧陽詢(おうようじゅん)が、実は白猿の神の息子だった……という、なんとも奇妙な筋書となっている。この作品について、元代に編纂された「文献通考・巻一百九十八」には以下のような解説がある。
(ちょう)(いわ)く:この書の著者は不明である。(りょう)の大同年間末頃、欧陽紇(おうようこつ)の妻が猿にさらわれ、後に子の欧陽詢(おうようじゅん)を産んだ話が記されている。「崇文総目」(北宋の漢籍目録)では、唐代に欧陽詢(おうようじゅん)を憎んだ者が書いたとしている。
 後村劉氏(いわ)く:欧陽詢(おうようじゅん)は容貌が醜かった。長孫無忌が彼を(あざけ)り、「誰が麟閣(りんかく)の上にこんな獼猴(びこう)(猿)一匹を描かせたんだ?」と言った。それで好事家が白猿の話を捏造し、欧陽詢(おうようじゅん)の親まで誹謗したのである』
 また、題名の「補江総」とは、「江総が書いた文章に補筆して仕上げた」という意味になる。しかし、この点についても「文献通考」で以下のように述べられている。
『陳氏(いわ)く:江総に仮託しているが、これは無名の人物が書いた作品に間違いない』
 このように、何から何まで怪しげな作品であることは否定できない。
 しかし、お読みいただいて分かる通りストーリーがスッキリとまとまっており、神仙や妖怪を題材とした物語としてたいへん読みやすく面白い仕上がりになっている。3世紀~6世紀頃の中国六朝時代、民間の怪奇譚を記録する「志怪小説」というジャンルが生まれ、唐代になると作者の創作による怪奇物語「伝奇小説」へと発展していった。本作「白猿伝」はそうした伝奇小説の中でも代表的な一作であり、特に良質なものの一つと思う。
 誹謗されている欧陽詢(おうようじゅん)には申し訳ないような気もするが、あくまで架空の物語としてお楽しみいただければ幸いである。



●注釈(2)
 本作の登場人物には、実在の人名が非常に多い。以下にそれらの人物について簡単に説明する。

藺欽(りんきん)
 史書での姓名は蘭欽(らんきん)。南朝の(りょう)に仕えた歴戦の名将で、大同年間の末に衡州(こうしゅう)刺史(しし)に任命され、衡州(こうしゅう)へ向かう道中で異民族()の陳文徹を撃破し捕らえた。作中での説明はこの史実をふまえたものである。「梁書・巻三十二」などに列伝が収録されている。

李師古(りしこ)
 不明。唐代に同名の軍人がいるが、時代が200年以上も離れており、本作に関係があるようには思われない。

・陳徹
 藺欽(りんきん)の説明に登場した陳文徹のことと思われる。「南史・巻五十一」に、陳文徹は西江の()族の司令官であり、高要を侵略していたと記されている。

欧陽紇(おうようこつ)
 欧陽詢(おうようじゅん)の父親。本編では(りょう)の将軍として描かれているが、実際にその地位にあったのは欧陽紇(おうようこつ)の父親(つまり欧陽詢(おうようじゅん)の祖父)にあたる欧陽頠(おうようぎ)である。蘭欽(らんきん)の異民族征伐に参戦したのも、まさにこの欧陽頠(おうようぎ)。つまり本作では、欧陽詢(おうようじゅん)の祖父の事績を父に当てはめて書いたことになる。そのため、年代設定について無視しがたい矛盾が生じてしまった。(注釈3にて詳述する)

・江総
 (りょう)(ちん)(ずい)の三国に仕えた政治家にして詩人。史実においても欧陽紇(おうようこつ)の友人であり、彼が反乱を起こして誅殺された後、遺児の欧陽詢(おうようじゅん)を養い育てた。「陳書・巻二十七」などに列伝が収録されている。

欧陽詢(おうようじゅん)
 書道の歴史に名を刻んだ大家であり、唐代を代表する書家の一人。彼が書いた楷書の最高傑作「九成宮醴泉銘」は『楷法の極則(楷書の書き方の究極のルール)』と評され、現代に至るまで書道の手本にされ続けてきた。その書が後世に与えた影響は極めて大きい。「新唐書・巻一百九十八」に列伝が収録されている。



●注釈(3)
 本作の年代設定について解説する。
 本文中にある『(りょう)の大同年間』は、中国南北朝時代、南朝(りょう)の武帝蕭衍(しょうえん)の治世。西暦535年~546年に相当する。
 上記注釈(2)の通り、藺欽(りんきん)蘭欽(らんきん))が陳文徹を討伐したのは大同年間末の出来事と考えられ、この点に矛盾は無い。
 ただし、蘭欽(らんきん)と共に戦ったのは欧陽詢(おうようじゅん)の祖父、欧陽頠(おうようぎ)である。本作の主人公欧陽紇(おうようこつ)は、この時まだ七歳か八歳と推定される。将軍として出征したという設定には無理があるし、妻帯していたとも考えにくい。
 また、本作の結末では一年後に欧陽詢(おうようじゅん)が誕生したとされているが、実際に欧陽詢(おうようじゅん)が生まれたのは西暦557年、本作の時代から11年も後のことである。
 このように、本作の年代設定は明らかな矛盾を抱えている。もとより空想の物語であるとはいえ、実在の人物を多数登場させるにしては考証に甘さがあると言わざるを得ない。
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