白猿を倒した後、
ずらり並んだ
おおよそ人の世で珍しいと言われる物なら、なんでも
さらには天下の名香が数
宝剣は二振り。
そして囚われていた女性三十人は、みんな絶世の美貌をそなえている。これだけの女たちが、長い者では十年もこの秘境に閉じ込められていたというのだから、酷な話である。
女の一人が言った。
「歳を取って容色の衰えた者は、みんなどこかへ連れ去られていきました。行先は分かりません……
あの白猿に仲間や手下はいませんでした。人をさらってくるときにも、いつも一人で行動していましたわ。
奴の全身は白い毛に覆われ、その長さは数寸。
朝には
この洞窟にいる時、奴はいつも木簡を読んでおりましたが、その字は
読み終わったら、いつも石段の下に木簡を置いておりましたわ。
晴れた昼間には双剣を握って剣舞をしておりました。剣を振るたびに全身から雷が飛び、光が円を描いてさながら月のよう。
飲食の時間は決まっていませんでしたが、果物や栗を好んで食べました。特に犬は大好物で、肉を噛みちぎり、その血を飲むのです。
昼過ぎになると奴は洞窟を出て、ザァッとどこかへ飛んで行ってしまう。半日ほどで数千里を飛び回り、晩には必ず戻ってきました。欲しいと思ったものは、なんでも手に入れてしまうのです。
そして夜になると、寝床にいる女たちを次々に
言葉もよく知っていて、華語(中国語)を上手にしゃべりました。でも、その姿は
今年の秋……木の葉が落ち始めた頃、奴は悲しげに言っておりました。
『俺は山の神に訴えられた。死罪になるだろう。
いろいろな神霊に加護を求めたから、ひょっとしたら罪を免れられるかもしれんが……』
そして先月、一体の精霊がこの秘境に入り込み、石段の下に置いてあった書簡に火をつけて焼いてしまう、ということが起きました。
奴は呆然自失の様子で言いました。
『俺は千年も子を授からなかったが、今になって子ができた。死期が来たらしい』
そして奴は女たちを振り返り、涙を流して、こう言いました。
『この山は険しく、下界から断絶していて、今まで人が登ってきたことはない。上から見ても
*
女性たちは長きにわたって捕らえられていた。
中には、幼い頃に連れて来られて、十年も閉じ込められていた者もいる。
その月日の間に帰るべき家を失っていた者も、そもそもどこから連れて来られたのか覚えていない者も、少なくなかった。
一年後……
生まれた赤子の顔は……あの白猿に、そっくりであった……
*
このとき生まれた子供は
ところが後年、
息子の信本も連座で処罰されかねない立場におかれたが、そこへ江総という人物が手を差し伸べた。
江総は
江総は、親友が
信本は長じて高官にのぼり、能書家として当代随一の名声を得た。
この信本こそが、唐の第二代皇帝太宗に仕えた書道の達人、
白猿伝 完
●注釈(1)
本作は、中国の唐代の伝奇小説「補江総白猿伝」を翻訳し、ある程度の説明や描写を補って現代日本語の小説として仕上げた作品である。
書道の大家として有名な実在の人物
『
後村劉氏
また、題名の「補江総」とは、「江総が書いた文章に補筆して仕上げた」という意味になる。しかし、この点についても「文献通考」で以下のように述べられている。
『陳氏
このように、何から何まで怪しげな作品であることは否定できない。
しかし、お読みいただいて分かる通りストーリーがスッキリとまとまっており、神仙や妖怪を題材とした物語としてたいへん読みやすく面白い仕上がりになっている。3世紀~6世紀頃の中国六朝時代、民間の怪奇譚を記録する「志怪小説」というジャンルが生まれ、唐代になると作者の創作による怪奇物語「伝奇小説」へと発展していった。本作「白猿伝」はそうした伝奇小説の中でも代表的な一作であり、特に良質なものの一つと思う。
誹謗されている
●注釈(2)
本作の登場人物には、実在の人名が非常に多い。以下にそれらの人物について簡単に説明する。
・
史書での姓名は
・
不明。唐代に同名の軍人がいるが、時代が200年以上も離れており、本作に関係があるようには思われない。
・陳徹
・
・江総
・
書道の歴史に名を刻んだ大家であり、唐代を代表する書家の一人。彼が書いた楷書の最高傑作「九成宮醴泉銘」は『楷法の極則(楷書の書き方の究極のルール)』と評され、現代に至るまで書道の手本にされ続けてきた。その書が後世に与えた影響は極めて大きい。「新唐書・巻一百九十八」に列伝が収録されている。
●注釈(3)
本作の年代設定について解説する。
本文中にある『
上記注釈(2)の通り、
ただし、
また、本作の結末では一年後に
このように、本作の年代設定は明らかな矛盾を抱えている。もとより空想の物語であるとはいえ、実在の人物を多数登場させるにしては考証に甘さがあると言わざるを得ない。