エルヴィンの過去を語る回ではありますが、
ただ重い話にするのではなく、人との繋がりや、
今のエルヴィンがアストレア・ファミリアに対して何を思っているのかを描く回にしました。
「誰一人失いたくない」
この言葉が、今後の本作におけるエルヴィンの軸になっていくと思います。
第1章「星屑の庭」も終盤です。
それでは第6話、よろしくお願いします。
第6話 誰一人として
——前回までのあらすじ。
燃えた工場跡地から、魔石製品の心臓部である撃鉄装置が十二基消えていた。
ガネーシャ・ファミリアから持ち込まれた調査報告を前に、エルヴィン・スミスはそれを単なる盗難ではなく、何かを起動させるための準備だと看破する。
アストレア・ファミリアはガネーシャ・ファミリアと協力し、消えた撃鉄装置の行方を追うことを決めた。
その中で、エルヴィンはアストレア・ファミリアの任務前儀礼「正義の誓い」に予想外の乗り気を見せ、周囲を困惑させる。
騒がしく、恥ずかしく、それでも同じ言葉を唱えることで家を一つにする儀式。
エルヴィンは、その意味を理解した。
だが同時に、星屑の庭にはまだ、彼自身の過去という大きな空白が残っていた。
彼がこの世界の人間ではないことは、すでに皆が知っている。
けれど、彼が元の世界で何をして、何を背負い、何を捨てて死んだのかは、まだ誰も知らなかった。
——本編。
夜の星屑の庭は、昼間よりも静かだった。
食堂の灯りは落とされ、中庭には風の音だけが残っている。
だが、休憩室にはまだ人が集まっていた。
アリーゼ、輝夜、ライラ、リュー。
ノイン、ネーゼ、アスタ、リャーナ、セルティ、イスカ、マリュー。
そして、女神アストレア。
アストレア・ファミリアの全員が、そこにいた。
エルヴィンは、部屋の中央に立っていた。
座るよう勧められていたが、彼は立ったままだった。
その方が、話しやすい。
少なくとも、兵の前で語る時はそうだった。
「エルヴィン」
アストレアが静かに名を呼んだ。
「無理に話さなくてもいいのよ」
エルヴィンは首を横に振った。
「いいえ、アストレア様」
彼は、集まった全員を見る。
「私は、話すべきだと思っています」
ライラが椅子の背にもたれたまま、片目を細めた。
「別の世界から来たって話だけなら、もう聞いてる」
声は軽かったが、目は笑っていなかった。
「知りたいのは、あんたがそこで何をして、何を背負ってきたかだ」
「その通りだ」
エルヴィンは頷いた。
輝夜が腕を組む。
「どこから来たかではない。何を背負って来たかだ」
「それを話します」
エルヴィンは静かに答えた。
アリーゼは、いつものように明るく口を挟もうとして、けれど何も言わなかった。
彼女は団長だ。
この場で何を言うべきか、何を言わないべきか、彼女なりに測っている。
リューは背筋を伸ばし、じっとエルヴィンを見ている。
セルティは強い興味を隠せていなかったが、空気を読んで黙っていた。
イスカが小さく息を吐く。
「正直、怪しいとは思ってたわよ」
「それは当然だ」
「文字は読めないのに、戦場だけ妙に読めるし」
イスカはそこで、少しだけエルヴィンの服を見た。
「あと、服装も地味だし」
「そこなのか」
ライラが呆れる。
「そこも大事よ。見た目は信用に関わるの」
イスカは真面目な顔で言った。
「事情持ちの亡霊みたいな格好で歩いてたら、誰だって警戒するわ」
「亡霊か」
エルヴィンは少し考えた。
「否定材料が少ないな」
「真顔で受け止めないでよ」
イスカが困ったように笑う。
場に、ほんの少し笑いが生まれた。
重い話の前に、誰かが息を吸う余地ができた。
エルヴィンはそれを見て、少しだけ理解した。
この家は、重さを笑いで割る。
軽くするためではない。
持てる形にするためだ。
「私のいた世界には、巨大な壁があった」
エルヴィンは語り始めた。
「人々は、その壁の中で生きていた。壁の外には、人を喰らう巨人がいた」
ノインが小さく息を呑む。
アスタの手が、自分の膝の上で固まった。
「巨人……モンスターのようなものですか」
セルティが問う。
「似ている。だが、私たちの世界には神の恩恵も、レベルも、魔法もなかった」
「では、どうやって戦っていたのですか」
「人の技術と、兵の命でだ」
それは淡々とした答えだった。
だからこそ、重かった。
「私は、調査兵団という組織の団長だった」
アリーゼの表情が変わった。
団長。
その言葉だけで、彼女は少しだけ前に出た。
「壁の外を調査し、巨人と戦い、人類の未来を探る兵団だ。私はその団長として、多くの兵を率いた」
「……多くの兵を?」
リューが静かに聞く。
「ああ」
エルヴィンは答えた。
「そして、多くの兵を死なせた」
部屋の空気が重くなる。
マリューが、膝の上で両手を重ねた。
ネーゼは腕を組んだまま、目を細めている。
「私は、父の仮説を追っていた」
「お父様の?」
アストレアが柔らかく問う。
「はい、アストレア様」
エルヴィンの声は変わらない。
「私の父は、世界の歴史に隠された真実があると考えていた。その言葉を、私は子供の頃に聞いた」
彼は一度、視線を落とす。
「私は、その答えを知りたかった」
誰も笑わなかった。
「壁の外に何があるのか。私たちは何者なのか。なぜ人類は壁の中にいるのか。その答えが、ある地下室に眠っていると信じていた」
「それが、あなたの夢だったのですか」
リューが問う。
「そうだ」
エルヴィンは即答した。
「私の夢だった」
輝夜が低く言った。
「その夢のために、兵を死地へ送ったのか」
「そうだ」
沈黙。
エルヴィンは逃げなかった。
「私は、正義のために戦っていたわけではない」
その言葉に、リューの瞳が揺れた。
「人類のためという言葉を使った。未来のためという言葉も使った。だが、その奥には、私自身の夢があった」
エルヴィンは自分の胸に手を置く。
「私は、それを知っていた」
アリーゼが口を開きかける。
けれど、言葉にならなかった。
「私は、多くの屍の上に立って指揮していた」
エルヴィンの声は低くなる。
「比喩ではない。私が前へ進むたびに、私の足元には死者が積み重なっていた」
ノインの顔が青ざめる。
アスタは唇を噛む。
イスカの軽い表情が消えていた。
「兵たちは死んだ。私の命令で。私の作戦で。私の夢のために」
「……それでも、進んだのですか」
リューの声は震えていなかった。
だが、硬かった。
「ああ」
エルヴィンは答える。
「進んだ」
「なぜ」
「意味を与えるためだ」
エルヴィンは、静かに言った。
「死んだ者たちに、意味がなかったとは言いたくなかった。彼らの死が、何も生まなかったとは認めたくなかった」
「だから、次の死者を出したのか」
輝夜の声は鋭い。
「そうだ」
エルヴィンは認めた。
「死者に意味を与えるために、生者を死地へ送った」
輝夜は黙った。
その顔には怒りがあった。
だが、それだけではなかった。
理解したくないものを、理解してしまった者の顔だった。
「最後の作戦で、私は選ばされた」
エルヴィンは続けた。
「自分の夢を見るか。夢を捨て、兵を率いて死ぬか」
アリーゼが小さく息を呑む。
「その時、私に道を示した男がいた」
エルヴィンの目が、遠くを見る。
「人類最強と呼ばれた兵士だった。口は悪い。態度も悪い。だが、誰よりも死者の意味を背負える男だった」
「その人が、あなたに何を言ったのですか」
マリューが静かに問う。
「夢を手放せ、と」
エルヴィンは言った。
「そして、死を選べと。新兵たちを死地へ導き、自分もその先頭に立てと」
原文ではない。
だが、その意味は、部屋にいた全員へ届いた。
リューの指がわずかに震える。
ライラは目を伏せた。
アリーゼは、もう笑っていなかった。
「私は、その言葉を受け入れた」
「……なぜですか」
リューが問う。
それは責める声ではなかった。
分からないものを、分かろうとする声だった。
「私が見たかった答えを、私ではない誰かに託すためだ」
エルヴィンは答えた。
「私は地下室へ行けなかった。夢の答えを見ることはできなかった。だが、私の死で道が開くなら、誰かがその先へ進める」
「それが、意味を託すということですか」
「ああ」
「それは……正義なのですか」
リューの問いが、部屋に落ちた。
エルヴィンは、即答した。
「違う」
リューの瞳が揺れる。
「正義ではない」
彼は続けた。
「夢だ」
その一言は、刃のようだった。
アリーゼが、ようやく口を開く。
「団長って……そういうものなの?」
その声は、いつもの明るさを失っていた。
エルヴィンはアリーゼを見た。
「そうならないようにするのが、良い団長だ」
「じゃあ、あなたは?」
「良い団長ではなかった」
アリーゼは黙った。
輝夜も、リューも、ライラも、誰もすぐには言葉を返せなかった。
「私は、英雄ではない」
エルヴィンは言った。
「正義の人間でもない」
ライラが静かに口を開く。
「悪人でもない、とは言わないんだな」
「言えない」
「そこを言えないなら、まだ信用できる」
ライラは短く言った。
それは、彼女なりの評価だった。
空気が沈みきる前に、アスタが小さく手を上げた。
「あの」
全員の視線が向く。
「つまり、エルヴィンは団長だったけど、団長として反省してるってこと?」
「ものすごく雑にまとめたな」
ライラが呟く。
「でも、間違ってはいない」
エルヴィンは答えた。
「なら、今度は失敗しないようにすればいいんじゃないかな」
アスタは真面目な顔で言った。
部屋が一瞬だけ止まる。
輝夜が眉間を押さえた。
「単純だな、貴様は」
「え、だめ?」
「いや」
輝夜はため息をつく。
「時に、単純な言葉ほど厄介だ」
アリーゼが少しだけ笑った。
「アスタらしいわね」
重い空気に、小さな穴が開いた。
エルヴィンは、わずかに息を吐いた。
この家は、やはり不思議だった。
***
アストレアが、ゆっくりと立ち上がる。
「エルヴィン」
「はい、アストレア様」
「あなたは、自分の罪を語っているのね」
「そうです」
「なら、私は聞くわ」
女神は責めなかった。
許しもしなかった。
ただ、聞いていた。
エルヴィンはしばらく黙り、それから全員を見た。
「私がこれを話したのは、同情してほしいからではない」
部屋の誰も、目を逸らさない。
「私が何者かを知ってもらうためだ。そして、アストレア・ファミリアの一員として、今の私の意思を伝えるためだ」
その言い方に、アリーゼがわずかに目を瞬かせた。
エルヴィンは続ける。
「私は今、この家の団長ではない」
静かな声だった。
「アストレア・ファミリアの団長はアリーゼだ」
アリーゼが、息を止める。
「私は、この家に加わった一人の団員に過ぎない。だから、これは命令ではない」
エルヴィンは一人ひとりを見る。
「団員としての、私の意思だ」
部屋の空気が少し変わった。
エルヴィンは、彼女たちを率いるために語っているのではない。
この家の一員として、自分の背負ってきたものを差し出している。
「私は、この家を見ていて思った」
全員の視線が彼に向いた。
「ここは、私がいた兵団とは違う」
エルヴィンは静かに言った。
「明るい。騒がしい。よく脱線する。正直、統制という意味では問題も多い」
「最後だけ余計じゃない?」
アリーゼが眉を上げる。
「事実だ」
「輝夜みたいなこと言い出した!」
「私を巻き込むな」
小さな笑いが戻る。
エルヴィンは続けた。
「だが、ここには私が失ってきたものがある」
その一言で、笑いが静かに消えた。
「食卓の騒がしさ。誰かを待つ灯り。無茶を止める声。怪我人のために用意される茶。恥ずかしがりながらも同じ言葉を唱える儀式」
アリーゼが、息を呑む。
「私は、それを弱さだとは思わない」
エルヴィンは言った。
「むしろ、私のいた兵団に足りなかった強さだ」
ライラが黙った。
輝夜も口を挟まない。
リューは、静かにエルヴィンの言葉を聞いている。
「ノインは、小さな変化を見逃さない」
ノインが驚いたように顔を上げる。
「ネーゼは、皆の間に立てる」
ネーゼが少しだけ目を細めた。
「アスタは、前に出る者を支えられる」
アスタが膝の上で拳を握る。
「リャーナは、情報を形にできる」
リャーナが静かに頷く。
「セルティは、疑問を恐れない」
セルティの丸眼鏡がわずかに光る。
「イスカは、人の背筋を伸ばせる」
イスカが目を丸くした。
「マリューは、帰ってきた者を迎えられる」
マリューの笑みが、少しだけ柔らかくなる。
「ライラは、見えない戦場を読む」
ライラは何も言わず、ただ肩をすくめた。
「輝夜は、危うい者を止められる」
輝夜が鼻を鳴らす。
「リューは、正しさを諦めない」
リューの瞳が揺れる。
「そしてアリーゼは、この家を前へ向かせる」
アリーゼは、何も言わなかった。
「この家には、それぞれ違う強さがある」
エルヴィンは静かに言った。
「笑う者がいる。怒る者がいる。支える者がいる。記録する者がいる。癒やす者がいる。前へ出る者がいる。止める者がいる」
彼は一度、言葉を切った。
「私は、かつて多くを失った」
誰も動かなかった。
「兵としてではない。駒としてでもない。名を持ち、夢を持ち、恐怖を持ち、それでも前へ進んだ者たちを失った」
エルヴィンは、ゆっくりと全員を見る。
「だから、もう軽々しく“必要な犠牲”とは言いたくない」
その声は、低く、けれどはっきりしていた。
「この家の者たちを、失いたくない」
部屋が静まり返る。
「誰一人として」
それは指揮官の命令ではなかった。
団長の宣言でもなかった。
アストレア・ファミリアの一団員として、初めて口にした本心だった。
アリーゼが、ぽつりと言った。
「……エルヴィン」
「何だ」
「今の、すごく真面目ね」
「真面目な話をしている」
「そうだけど」
アリーゼは少しだけ視線を逸らす。
「そういうの、不意打ちで言われると困るわ」
イスカが小声で言った。
「今のは、かなり格好よかったわね」
「茶化すな」
輝夜が言う。
「でも格好よかったでしょ」
「否定はせん」
「すると思ったのに」
ライラが息を吐いた。
「重い。けど、まあ悪くない」
「褒めているのか」
エルヴィンが問う。
「半分な」
「残り半分は?」
「恥ずかしい」
「羞恥は共有体験になる」
「正義の誓いの話に戻すな」
小さな笑いが起きた。
アリーゼは深く息を吸った。
そして、胸を張る。
「分かったわ」
団長の声だった。
「エルヴィン。あなたが誰一人失いたくないって言うなら、私は団長としてそれを受け取る」
エルヴィンは黙ってアリーゼを見る。
「でも、忘れないで」
アリーゼはまっすぐ言った。
「あなたも、その“誰一人”の中に入ってるんだからね」
エルヴィンの目が、わずかに動いた。
「……私もか」
「当たり前でしょ!」
アリーゼは即答した。
「うちの団員なんだから!」
「そうか」
「そうよ!」
アリーゼは勢いよく頷いた。
「だから、誰一人失いたくないって言うなら、自分も軽く扱わないこと!」
リューが静かに頷いた。
「それは、私も同意します」
輝夜が鼻を鳴らす。
「貴公はすぐ自分を数から外しそうだからな」
「自覚はある」
「直せ」
「努力する」
「努力では足りん」
ライラが笑った。
「新入り、全員から包囲されてるぞ」
「包囲網としては悪くない」
「評価するな」
場に笑いが広がる。
重さは消えない。
だが、そこに温度が戻っていた。
***
最後に、エルヴィンはアストレアへ向き直った。
「アストレア様」
「はい」
「私は、正義を信じてここに来たのではありません」
「ええ」
「私は、正義の人間ではありません」
「ええ」
「だが、この家が掲げる正義を、無駄に死なせるつもりはありません」
アストレアは静かに目を伏せた。
「それが、今の私に言える全てです」
「それでいいわ」
「……それで、いいのですか」
「ええ」
アストレアは微笑んだ。
「急いで正義を名乗らなくていいの」
女神の声は、夜の灯りのように穏やかだった。
「ここで見て、考えて、選んでいけばいいわ」
エルヴィンは答えなかった。
ただ、わずかに頭を下げた。
「それと、エルヴィン」
「はい、アストレア様」
「誰一人失いたくない、という願いは、とても重いわ」
「……はい」
「だから、一人で持とうとしないで」
アストレアは静かに続けた。
「ここは家よ。重いものを持ち帰ってきたなら、少しくらい置いていってもいい場所だわ」
エルヴィンは、しばらく黙っていた。
「……覚えておきます」
「お願いね」
輝夜は腕を組み、静かに言った。
「貴公を簡単には信用せん」
「それでいい」
「だが」
輝夜は目を逸らす。
「隠さず語ったことだけは評価する」
「感謝する」
「ふん」
アリーゼが、重い空気を破るように手を叩いた。
「よし!」
全員が彼女を見る。
「エルヴィンの過去は重い! すっごく重い! 正直、私の頭では全部受け止めきれない!」
「言い切ったな」
ライラが呟く。
「でも!」
アリーゼはまっすぐエルヴィンを見た。
「今ここにいるあなたは、アストレア・ファミリアの団員でしょ」
「そうだ」
「なら、これからよ!」
アリーゼは胸を張った。
「過去が重いくらいで、うちの団員を放り出すほど、私は薄情な団長じゃないわ!」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ変わった。
エルヴィンは、静かに目を細める。
「……良い団長だ」
アリーゼは一瞬だけ固まった。
それから、顔を赤くしてそっぽを向く。
「そ、そういうのは不意打ちで言わないでよ!」
「貴公、赤毛の扱いが上手いな」
輝夜が呟く。
「意図したものではない」
「なお悪い」
ライラが笑った。
リューは静かにエルヴィンを見る。
「私は、まだ全てを理解できたわけではありません」
「当然だ」
「ですが、あなたが軽い気持ちで命を扱っているわけではないことは、分かりました」
リューは少しだけ頭を下げた。
「話してくれて、ありがとうございます」
エルヴィンは、ほんのわずかに沈黙した。
礼を言われると思っていなかった。
「……こちらこそ、聞いてくれたことに感謝する」
マリューが立ち上がり、温かい茶を持ってきた。
「難しい話の後は、温かいものが必要です」
「また母親基準か」
ライラが言う。
「大事なことよ、ライラちゃん」
マリューはいつものように笑った。
その笑顔に、部屋の空気が少しだけ緩む。
アリーゼが茶を受け取りながら言った。
「じゃあ、今日はここまで!」
「団長らしく締めるのか?」
ライラが茶化す。
「もちろん!」
アリーゼはエルヴィンを指差した。
「エルヴィン!」
「何だ」
「明日からも、団員としてバチコーンよろしく!」
「……了解した」
「そこは流さないのね」
リャーナが呆れたように笑った。
小さな笑いが部屋に広がる。
重い話は、軽くなったわけではない。
罪も、夢も、語っただけでは消えない。
だが、一人で持つ必要はなくなった。
***
その夜、エルヴィンは中庭に立っていた。
星屑の庭の灯りが、背後にある。
空には、彼の世界とは違う星があった。
「……軽くはならないな」
エルヴィンは呟いた。
語ったからといって、死者の重みが消えるわけではない。
夢を諦めた日の記憶が薄れるわけでもない。
リヴァイの声も。
新兵たちの叫びも。
最後に見た空も。
何一つ、消えはしない。
「だが」
彼は星屑の庭を振り返る。
食堂の灯り。
休憩室の笑い声。
誰かが茶器を片付ける音。
誰かが明日の任務の準備をする足音。
この家は、まだ生きている。
エルヴィンは静かに息を吐いた。
「……死者に意味を」
そして、続ける。
「生者に道を」
それは命令ではなかった。
誓いでもなかった。
アストレア・ファミリアの団長ではない、一人の団員として。
彼自身が、この家に向けて初めて口にした願いだった。
第6話 誰一人として 完
エルヴィン・スミス
今回は過去開示回。アストレア・ファミリアは、エルヴィンがこの世界の人間ではないこと自体は既に知っている。今回語られたのは、その元の世界で彼が何をしていたのか。調査兵団団長だったこと、巨人と壁の世界で戦っていたこと、父の仮説と地下室への夢を追っていたこと。そして、多くの屍の上に立って指揮し、最後には夢を諦めて死を選び、意味を託したこと。今の彼はアストレア・ファミリアの団長ではなく、あくまで団員の一人として「誰一人失いたくない」と本心を口にした。
アストレア
エルヴィンの告白を責めも許しもせず、ただ聞いた女神。エルヴィンが正義の人間ではないと認めたうえで、正義を学ぶことはできると告げる。エルヴィンからは「アストレア様」と呼ばれている。
アリーゼ・ローヴェル
アストレア・ファミリアの団長。エルヴィンの過去に強く反応しつつも、最終的には「今ここにいるあなたは、アストレア・ファミリアの団員」と受け止めた。さらに、エルヴィン自身も「誰一人」の中に入っていると伝えた。
ゴジョウノ・輝夜
エルヴィンを簡単には信用しないと明言。ただし、過去を隠さず語ったことは評価する。今回は必要以上に煽らず、重い話をきちんと受け止めている。
リュー・リオン
エルヴィンの過去に対して、「それは正義なのか」と問う。エルヴィンが軽い気持ちで命を扱っているわけではないことを理解し、話してくれたことに礼を述べた。
ライラ
エルヴィンが英雄でも善人でもないと自認していることを見抜く。重すぎる空気を軽く換気する役目も担当。こういう時に場を回せるのがライラ。
アストレア・ファミリアの団員たち
今回は各メンバーへの個別助言ではなく、エルヴィンがアストレア・ファミリア全員の個性と良さを見つめたうえで、この家を「誰一人失いたくない」と思うに至った回。第6話は、エルヴィンが怪しい新入りから、重い過去を持つ仲間へ一歩進む回でした。
今回のテーマ
過去を語ることだけではなく、その過去を踏まえて、エルヴィンがアストレア・ファミリアの一員として何を思っているのかを伝えることが主題でした。
彼は団長ではありません。
アストレア・ファミリアの団長はアリーゼです。
だからこそ、エルヴィンは命令ではなく、一人の団員として本心を口にしました。
誰一人として失いたくない。
死者に意味を。
生者に道を。
これが、今のエルヴィンが星屑の庭に渡せる言葉です。
次回について
第1章「星屑の庭」はまだ続きます。
第7話はオリジナル回として、今回の結束を受け、エルヴィンが「誰一人失わないための仕組み」として三部隊制を提案する予定です。