第7話 星の陣形
——前回までのあらすじ。
エルヴィン・スミスは、自らの過去をアストレア・ファミリア全員に語った。
彼がこの世界の人間ではないことは、すでに皆が知っていた。
だが、彼が元の世界で何をして、何を背負い、何を捨てて死んだのかは、誰も知らなかった。
巨大な壁。
人を喰らう巨人。
調査兵団。
父の仮説。
地下室への夢。
多くの兵を死地へ送り、屍の上に立って指揮してきた日々。
そして最後に、最も信頼した兵士に夢を手放すことを促され、新兵たちを死地へ導き、自らもその先頭に立ったこと。
それは正義ではない。
夢だった。
そう語ったエルヴィンは、アストレア・ファミリアの団長がアリーゼであることを明言した。
自分は団長ではない。
この家の一団員として、今ここにいる。
そして彼は、初めて本心を口にする。
この家の者たちを、失いたくない。
誰一人として。
重い過去は消えない。
けれど、星屑の庭の灯りは、少しだけ違って見えた。
そして翌朝。
エルヴィンは、その願いを形にするための提案を持って、食堂へ向かう。
——本編。
翌朝。
星屑の庭の食堂には、いつも通りの湯気と騒がしさがあった。
パンの焼ける匂い。
茶の香り。
皿の触れ合う音。
誰かの欠伸。
誰かの小言。
昨日の夜に語られた重い話が嘘だったように、朝は当然のようにやって来ていた。
「昨日、重かったわね!」
アリーゼ・ローヴェルは、開口一番そう言った。
食堂が止まった。
リュー・リオンが、ゆっくりとアリーゼを見る。
「アリーゼ」
「何?」
「その切り出し方は、どうかと思います」
「でも重かったでしょ!」
「事実ではあるが、言い方がある」
ゴジョウノ・輝夜が茶を飲みながら呟いた。
「ほら、輝夜も認めた!」
「認めたのは重さであって、貴公の言語感覚ではない」
ライラがパンをちぎりながら笑った。
「重い話の翌朝に、その言い方ができるのはアリーゼくらいだよ」
「褒めてる?」
「半分な」
「もう半分は?」
「呆れてる」
「ひどい!」
アリーゼが頬を膨らませる。
エルヴィンは席に着きながら、その光景を見ていた。
昨日の話は、消えたわけではない。
彼女たちの中に残っている。
それでも、朝食は続く。
笑いは戻る。
重いものを、重いまま生活の中へ置く。
この家の強さは、そこにあるのかもしれなかった。
「エルヴィン」
マリューが温かい茶を置いた。
「昨日、あまり眠れなかったでしょう?」
「必要な分は眠った」
「それは、あまり眠れていない人の言い方ですね」
声は、マリューのものではなかった。
エルヴィンが顔を上げると、食堂の入口にアストレアが立っていた。
女神は静かに歩み寄り、空いた皿を一枚手に取る。
「アストレア様」
エルヴィンは反射的に立ち上がろうとした。
「座っていていいわ」
アストレアは穏やかに言った。
「食器を運ぶくらい、私にもできるもの」
「アストレア様に、そのようなことをさせるわけには」
「ここは家よ。神だからといって、何もしない場所ではないでしょう?」
アストレアはそう言って、エルヴィンの前にあった皿を重ねた。
エルヴィンは少しだけ迷い、皿の半分を差し出す。
「では、半分をお願いします」
「ええ」
アストレアは微笑んだ。
その様子を見ていたアリーゼが、じっと目を細める。
「……ねえ」
「何だ、団長」
輝夜が茶を飲みながら応じる。
「エルヴィン、アストレア様相手だと妙に素直じゃない?」
「神相手なのだから当然だろう」
「そういうのじゃなくて、なんかこう、硬いけど距離が近いというか」
「雑な表現だな」
ライラが笑った。
「でも、分からなくもない。アストレア様、エルヴィンの扱いに慣れるの早いし」
「扱い、ですか」
リューが少しだけ眉を寄せる。
「悪い意味じゃない。エルヴィンは面倒な奴だからな」
「否定はできません」
「リオンまで言うの!?」
アリーゼが声を上げた。
離れた場所で、アストレアは食器を置き終えると、エルヴィンを見た。
「エルヴィン」
「はい、アストレア様」
「昨日の言葉を、一人で持とうとしないでね」
「……誰一人失いたくない、という話ですか」
「ええ」
アストレアは短く頷く。
「願いは、人を進ませるわ。けれど、重くもなるもの」
エルヴィンは、しばらく黙った。
「覚えておきます」
「お願いね」
そのやり取りを見ていたアリーゼが、ぱん、と手を叩いた。
「よし!」
「何がよしだ」
ライラが聞く。
「エルヴィンの見張り役はアストレア様ね!」
「見張り役?」
エルヴィンが聞き返す。
「だって、私たちが言ってもあなた無理しそうだもの!」
「合理的な指摘なら聞く」
「ほら! こういうところ!」
アリーゼがエルヴィンを指差した。
アストレアは少しだけ困ったように微笑む。
「見張る、という言い方は少し違うわね」
「じゃあ?」
「そうね」
アストレアは少し考えた。
「忘れそうになった時に、声をかけるくらいなら」
ライラが小さく笑った。
「それ、かなり効きそうだな」
「効くとは?」
エルヴィンが問う。
「分からないなら、まだいい」
「不明瞭だ」
「そのままでいろ」
輝夜が言った。
「珍しく同意だ」
ライラが頷く。
エルヴィンだけが、何を言われているのか分からない顔をしていた。
***
朝食後。
食堂の空気が少し落ち着いた頃、エルヴィンはアリーゼを見た。
「アリーゼ」
「何?」
「提案がある」
アリーゼの表情が変わった。
先ほどまでの軽さは残っている。
だが、そこに団長の顔が重なった。
「作戦?」
「組織の話だ」
輝夜が茶碗を置く。
ライラの目が細くなる。
リューが姿勢を正す。
アストレアも、静かに席へ戻った。
「聞くわ」
アリーゼが言った。
エルヴィンは、机の上に数枚の紙を置いた。
文字は少ない。
線と図だった。
人の配置。
役割。
動線。
そして、四種類の制服案。
リャーナがそれを見て、少しだけ目を丸くする。
「文字は少ないのに、図はやたら分かりやすいわね」
「必要だったからだ」
「便利な不便さね」
「不便なのは認める」
ライラが覗き込む。
「部隊案か」
「ああ」
エルヴィンは頷いた。
「昨日、私は誰一人失いたくないと言った」
アリーゼは黙って聞いている。
「だが、願うだけでは守れない」
エルヴィンは机上の図を指した。
「必要なのは、誰が何を守るのかを明確にすることだ」
「全員が同じ場所に集まり、同じ敵へ向かうのは危険だ」
エルヴィンは静かに説明を始めた。
「君たちは強い。だが、強い者が一箇所に固まれば、別の場所が空く」
「正義の眷族が守るべきものは、敵の前線だけではない」
「市民、情報、退路、負傷者、神々、拠点」
「その全てを守るには、役割を分けた方がいい」
ライラが頷く。
「つまり、部隊分けか」
「ああ」
「今までのうちにはなかった発想だな」
「必要がなかったのかもしれない」
エルヴィンは答えた。
「だが、これからは必要になる」
リューが静かに口を開く。
「分かれることで、戦力が薄くなる危険はありませんか」
「ある」
エルヴィンは即答した。
「だから、分け方を間違えてはならない」
輝夜が腕を組む。
「大きく出たな」
「大きく出るつもりはない」
「では何だ」
「失わないための下準備だ」
その言葉に、アリーゼがわずかに目を伏せる。
昨日の言葉が、ここへ続いている。
誰一人失いたくない。
だから、仕組みを作る。
「役割は三つに分けるべきだ」
エルヴィンは一枚目の図を指した。
「第一部隊。正面防衛、市民保護、前線維持」
次に、二枚目。
「第二部隊。情報戦、調査、裏方、撹乱、作戦補佐」
最後に、三枚目。
「第三部隊。機動防衛、拠点防衛、救援、後方支援」
「待って」
アリーゼが手を上げた。
「何だ」
「名前が地味!」
食堂が止まった。
ライラが額を押さえる。
「出た」
「何がだ」
「アリーゼの名前つけたい病」
「病じゃないわよ!」
アリーゼは机に身を乗り出した。
「だって、第一部隊、第二部隊、第三部隊じゃ燃えないじゃない!」
「燃える必要はあるのか」
「ある!」
アリーゼは即答した。
「名前は大事よ! 自分たちが何のために立つのか、胸を張って言えるようにしないと!」
イスカが深く頷いた。
「そこは同意するわ。名前は印象を作るもの」
「また妙な同盟が生まれたな」
ライラが呟く。
エルヴィンは少し考えた。
「では、君が決めるべきだ」
「私が?」
「ああ」
エルヴィンはアリーゼを見た。
「この家の団長はアリーゼだ。役割を言語化するのは私でも、旗に掲げる名を決めるのは君がいい」
アリーゼは、一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、ゆっくりと笑った。
「分かったわ」
彼女は三枚の図をじっと見つめた。
青。
黒。
緑。
正面を守る星。
闇を進む星。
帰る場所を支える星。
「正面に立つ青は……スターライト・ファランクス!」
「星明かりの方陣、か」
エルヴィンが呟く。
「そう! みんなに見える場所で、正義の星みたいに立つの!」
「語彙はともかく、悪くない」
輝夜が言った。
「でしょ!」
アリーゼは胸を張る。
「次、黒!」
アリーゼは黒い図を指差した。
「闇を進む星だから、ブラックスター・ヴァンガード!」
「黒い星の先鋒ね」
リャーナが小さく頷く。
「裏方なのに先鋒かよ」
ライラが笑った。
「見えないところで一番先に動くからよ!」
「……悔しいけど、筋は通ってるな」
ライラが肩をすくめた。
「最後、緑!」
アリーゼは深緑の図を指した。
「帰る場所を守る星の砦。アストラ・バスティオン!」
マリューが柔らかく微笑んだ。
「星の砦、ですか」
「うん。みんなが戻ってくる場所!」
輝夜が鼻を鳴らす。
「大仰だが、役割は分かる」
「でしょ!」
アリーゼは三枚の図を両手で押さえるようにして、満足げに頷いた。
「第一部隊、スターライト・ファランクス」
「第二部隊、ブラックスター・ヴァンガード」
「第三部隊、アストラ・バスティオン」
アストレアは、三つの名を静かに聞いていた。
「少し大きな名前ね」
「だめですか?」
「いいえ」
アストレアは首を振る。
「この子たちが、その名前に潰されないなら。いいえ、その名前を自分たちのものにしていけるなら、素敵だと思うわ」
アリーゼの顔がぱっと明るくなる。
「では、名前も含めて試してみましょう」
アストレアは穏やかに言った。
「名前も、役割も、最初から完璧でなくていいもの。苦しくなったら、また直せばいいわ」
「はい!」
アリーゼは勢いよく頷いた。
***
そこで、輝夜が静かに茶碗を置いた。
「では、人の配置はこちらで決める」
「輝夜が?」
アリーゼが目を丸くする。
「当然だ、団長」
輝夜は三枚の図を見下ろした。
「貴公は名を与えた。ならば、私は戦場で崩れぬよう人を置く」
ライラが小さく笑った。
「副団長らしいこと言うじゃん」
「当然だ」
輝夜は三枚の図から目を離さずに答えた。
「団長が旗を掲げる。ならば、その旗が折れぬように人を置くのが私の役目だ」
「おお、珍しく真面目」
「いつも真面目だ」
「そこは議論の余地あるな」
「黙れ、小鼠」
エルヴィンは、輝夜を見た。
「任せていいのか」
「貴公よりは、この家の者を知っている」
「その通りだ」
「素直だな」
「事実だ」
輝夜は鼻を鳴らした。
「なら黙って見ていろ」
食堂の空気が、少し引き締まった。
アリーゼは、輝夜を見ていた。
それから、ゆっくり頷く。
「分かったわ。お願い、輝夜」
「任された」
短く答え、輝夜は青の図を指した。
「第一部隊、スターライト・ファランクス」
彼女はまず、アリーゼを見る。
「隊長は団長だ」
「私?」
「貴公以外に誰が正面で旗になる」
アリーゼは一瞬きょとんとし、それから胸を張った。
「任せなさい!」
「ただし、前に出すぎるな」
「うっ」
「返事」
「はい!」
輝夜は次にリューを見た。
「リオン」
「はい」
「貴様は副隊長だ。団長の隣で進め。そして、団長が突っ込みすぎたら止めろ」
「私が、アリーゼを?」
「そうだ。貴様も走りすぎるが、団長の隣にいれば互いに多少は目が届く」
「……心得ました」
「アスタ」
「はい!」
「盾だ。前に立つ者を支えろ」
「任せて!」
「ノイン」
「は、はい」
「貴様は見る役だ。団長とリオンが見落とすものを拾え」
「頑張ります」
ノインは緊張しながらも、確かに頷いた。
第一部隊。
光るアリーゼ。
進むリュー。
受けるアスタ。
見るノイン。
正面防衛部隊として、自然な形だった。
次に、輝夜は黒の図を指した。
「第二部隊、ブラックスター・ヴァンガード」
「隊長はライラ」
「まあ、そうなるよな」
ライラは肩をすくめた。
「貴様は裏を見るのが上手い。正面で大声を出すより、影で動いた方が役に立つ」
「褒め方がひでえな」
「褒めている」
「ならいいか」
「エルヴィン」
「何だ」
「貴公はここだ」
「理由は?」
「前に出しても邪魔だ」
「事実だな」
「だが、後ろから全体を見るなら使える」
「評価として受け取ろう」
「リャーナ」
「はい」
「記録と整理だ。エルヴィンの読めない文字も含めてな」
「そこも込みなのね」
「込みだ」
「セルティ」
「はい」
「仕掛けを見る役だ。妙な装置や魔石製品は貴様に回す」
「興味深い役割です」
「勝手に分解して死ぬな」
「努力します」
「努力では足りん」
セルティは丸眼鏡を押し上げながら、真面目に頷いた。
第二部隊。
読むライラ。
組むエルヴィン。
整えるリャーナ。
解くセルティ。
情報と作戦の部隊として、これも噛み合っていた。
最後に、輝夜は緑の図へ視線を落とした。
「第三部隊、アストラ・バスティオン」
「隊長は私がやる」
「輝夜が?」
アリーゼが聞く。
「不満か、団長」
「ううん。むしろ頼もしいわ」
「ならいい」
輝夜は淡々と続けた。
「第三部隊は後ろに下がる部隊ではない。崩れた場所へ走り、道を斬り開く部隊だ」
その言葉に、エルヴィンがわずかに目を細めた。
「ネーゼ」
「私かい?」
「副隊長だ。前と後ろを繋げ。私が斬り込みすぎた時は、貴様が隊を戻せ」
「また難しい役をくれるね」
「できるから置く」
「……悪い気はしないね」
「マリュー」
「はい」
「帰ってきた者を迎えろ。怪我人、避難民、隊員、全部だ」
「はい。温かいものも用意しますね」
「それも必要だ」
「輝夜が認めた」
ライラが呟く。
「茶化すな」
「イスカ」
「私ね」
「貴様は人を動かす。避難誘導、市民対応、見た目による士気。好きなだけ使え」
「分かってきたじゃない、輝夜」
「調子に乗るな」
「でも、悪くない配置ね」
「当然だ」
第三部隊。
斬り開く輝夜。
繋ぐネーゼ。
迎えるマリュー。
導くイスカ。
救援と防衛の部隊として、これもまた、形になっていた。
アリーゼは、三つの図を見つめた。
青。
黒。
緑。
「……うん」
彼女はゆっくり頷いた。
「輝夜の配置でいきましょう」
「軽いな、団長」
「軽くないわよ」
アリーゼは笑った。
「だって、輝夜がちゃんと見て決めてくれたんでしょ?」
「……」
「なら、私は信じる」
輝夜は少しだけ目を伏せた。
「好きにしろ」
「好きにするわ。団長だから!」
ライラが小さく笑った。
「いいんじゃねえの。名前はアリーゼ、配置は輝夜。かなりうちらしい」
エルヴィンも三つの図を見ていた。
「配置に無駄がない」
エルヴィンは静かに言った。
「正面に立つ者、裏を見る者、崩れた場所を繋ぐ者。役割が噛み合っている」
「当然だ」
輝夜が言う。
「貴公の図が悪くなかったからな」
「評価と受け取ろう」
「褒めてはおらん」
「そうか」
「いや、今のは褒めてるだろ」
ライラが突っ込んだ。
小さな笑いが広がる。
***
ここまで聞いていたアストレアは、静かに机上の図面を見つめていた。
第一部隊。
第二部隊。
第三部隊。
三つの名前。
三つの配置。
そして、アリーゼの位置。
すぐには頷かなかった。
「エルヴィン」
「はい、アストレア様」
「あなたが形を作り、アリーゼが名前をつけ、輝夜が人を置いたのね」
「その通りです」
「悪い形ではないわ」
その言葉に、食堂の空気が少しだけ緩む。
「でも、気をつけてね。役割は、人を縛るためのものではないもの」
「承知しています」
「第一、第二、第三。場所が分かれても、帰ってくる家は同じでしょう?」
アストレアは、アリーゼを見る。
「アリーゼ」
「はい」
「あなたは、この配置で良いと思うのね」
「はい!」
「理由を、言葉にできるかしら?」
「えっと……全部は無理です!」
「正直ね」
アストレアは少しだけ微笑んだ。
「でも、エルヴィンが仕組みを作って、私が名前をつけて、輝夜がちゃんと考えて配置してくれました」
アリーゼは三つの図を見る。
「だから、これで試したいです」
アストレアは、しばらく黙っていた。
「分かったわ」
女神は静かに頷いた。
「試してみましょう。ただし、急ぎすぎないでね」
「はい!」
「一週間後、必ず見直しましょう。誰か一人に負担が偏っていないか。役割が誰かを苦しくしていないか」
「分かりました!」
アストレアはエルヴィンにも視線を向ける。
「エルヴィン」
「はい、アストレア様」
「あなたも、アリーゼを支えてあげて。けれど、代わりに決めすぎないようにね」
「承知しました」
「この家を率いるのは、アリーゼよ」
「はい」
エルヴィンは、迷わず頷いた。
「その前提は変えません」
アリーゼは少しだけ顔を赤くした。
「そういうの、真面目に言われると照れるんだけど」
「事実だ」
「事実って言えば何でも通ると思ってない?」
「輝夜に似てきたな」
「私を巻き込むな」
また笑いが起きた。
***
話はそこで終わるはずだった。
だが、アリーゼは机の上の別の紙に目を留めた。
「……ねえ、エルヴィン」
「何だ」
「この服の絵は?」
「制服案だ」
食堂が止まった。
ライラがゆっくりとエルヴィンを見る。
「お前、制服まで考えてたのか」
「必要になる可能性があった」
「本気だ」
ライラが呟く。
「この男、本気で制服まで考えてた」
「識別は重要だ」
「そういう問題じゃない」
アリーゼの目が輝く。
「部隊名があるなら、制服もいるわよね!」
輝夜の眉が寄る。
「なぜそうなる」
「だって、スターライト・ファランクスよ? ブラックスター・ヴァンガードよ? アストラ・バスティオンよ?」
アリーゼは拳を握る。
「名前だけあって見た目が同じじゃ、もったいないじゃない!」
「遊びではない」
「士気の話よ!」
イスカが力強く頷いた。
「アリーゼに同意するわ。制服は士気に直結するもの」
「また妙な同盟が生まれたな」
ライラが言った。
「いや、制服は有効だ」
エルヴィンが言った。
全員の視線が向く。
輝夜が露骨に嫌そうな顔をした。
「貴公まで乗るのか」
「識別、士気、帰属意識。部隊ごとの役割を視覚化することには意味がある」
「ほら!」
アリーゼが勝ち誇った。
「エルヴィンもこう言ってる!」
「理屈でアリーゼを補強するな。面倒になる」
ライラが額を押さえた。
エルヴィンは、四枚の図案を並べた。
文字はない。
部隊名もない。
服の下に枠もない。
服の形、色、胸元の天秤だけが描かれている。
一枚目は青。
二枚目は黒。
三枚目は緑。
そして四枚目は、青に金線が入った特製の団長服だった。
「制服も考えたのね」
アストレアは、一枚ずつ静かに見た。
「あなたらしいわ、エルヴィン」
「そうでしょうか」
「ええ。役割を形にすることを、あなたは大切にするもの」
アストレアは、青、黒、緑、そして青と金の図案を並べる。
「ただ、強く見せるためだけの服にはしないでね」
「では、何を基準に?」
「この子たちが、自分はこの家に帰るのだと思えるものにしましょう」
マリューが小さく微笑んだ。
「帰る服、ですね」
「ええ」
アストレアは胸元の天秤を指した。
「色が違っても、この印は同じだわ」
「共通意匠は、天秤」
エルヴィンは頷いた。
「部隊ごとに色は違う。だが、同じ家の者だと分かる印がいる」
「文字は入れないのね」
リャーナが図案を見て言った。
「ああ」
「戦場で読む必要があるものは、文字より形の方がいいわ」
「同意する」
「文字が読めないからではなく?」
「それもある」
「正直でよろしい」
ライラが笑った。
***
「第一部隊、スターライト・ファランクス」
エルヴィンは青い図案を広げた。
夏服は軽い半袖のユニフォーム。
青を基調に、胸元には白い天秤の印。
冬服は同じ青を基調にした長袖の上着と、短い外套。
正面防衛の部隊らしく、遠目にも味方だと分かる明るい色だった。
「市民から見える位置で戦うなら、暗すぎる色は避けた方がいい」
エルヴィンは説明する。
「守る者が来たと分かる色が必要だ」
「青!」
アリーゼが嬉しそうに言った。
「空と星って感じ!」
「スターライトですからね」
ノインが小さく微笑む。
リューは図案を見て、少しだけ視線を逸らした。
「……少し目立ちすぎませんか」
「目立つための部隊だ」
エルヴィンは即答した。
「市民に、守る者がここにいると知らせる必要がある」
リューは少しだけ黙り、それから頷いた。
「分かりました」
「第二部隊、ブラックスター・ヴァンガード」
エルヴィンは黒い図案を広げる。
夏服はジェットブラックの半袖ユニフォーム。
冬服は完全なジェットブラックで統一された上着と外套。
胸元には白い天秤の印。
文字も飾りもない。
ただ、静かに暗い。
「第二部隊は目立たないことが重要だ」
エルヴィンは言った。
「夜間、裏通り、聞き込み、偵察。服が先に主張してはならない」
「地味だな」
ライラが言う。
「地味でいい。裏方だ」
「待って」
イスカが割り込んだ。
「地味と洗練されているは違うわ。この黒は良いわね。無駄がない」
「何でお前が一番真剣なんだ」
「見た目は情報戦よ」
「また謎理論が出た」
アストレアは黒い図案を見つめた。
「影に入る子たちだからこそ、胸元の天秤は白がいいでしょうね」
「理由は?」
ライラが聞く。
「闇の中でも、自分たちが何に仕えているのかを忘れないためよ」
ライラは少しだけ黙った。
「……アストレア様にそう言われると、断りづらいな」
「第三部隊、アストラ・バスティオン」
エルヴィンは緑の図案を広げた。
夏服は深緑を基調にした半袖のユニフォーム。
ロゴと細い線だけが金色。
冬服は深緑の上着と外套。
こちらは落ち着いた深緑で統一されている。
胸元には金の天秤。
帰る場所を示す、静かな印だった。
「第三部隊は、防壁であり、救援だ」
エルヴィンは言った。
「派手すぎる必要はない。だが、戻る者が見失わない色であるべきだ」
「深緑か」
輝夜が図を見る。
「悪くない」
「輝夜が素直に褒めた!」
アリーゼが目を丸くする。
「褒めておらん」
「いや、今のは褒めたでしょ」
ライラが茶化す。
「不満が少ないという意味だ」
「それ、ほぼ褒めてるわよ」
イスカが笑った。
マリューは冬服の外套を見て、柔らかく微笑んだ。
「安心する色ですね」
「君がいる場所は、帰還地点になる」
エルヴィンは答えた。
「遠目に見て、戻る場所だと分かる方がいい」
「では、温かいものも用意しやすいように、内側に薬や布を入れられる場所があると嬉しいです」
「母親機能つき制服だ」
ライラが呟く。
「大事な機能よ」
マリューは真面目に返した。
***
「そして、四つ目」
エルヴィンは最後の図案を広げた。
青を基調に、胸元には白い天秤。
前合わせの左右には細い金線が二本通っている。
袖口と襟元にも、控えめな金の縁取り。
冬服は青い長袖の上着に、短い外套。
外套の縁にも金が入り、腰にはベルト。
第一部隊の青を持ちながら、明らかに他の制服とは違う。
アリーゼが、目を丸くした。
「これ、私の?」
「ああ」
「団長服?」
「そうだ」
エルヴィンは頷く。
「第一部隊の青を基調にしている。だが、金線で三部隊総司令として識別できるようにした」
「金線……!」
アリーゼの目が輝いた。
「かっこいい!」
「言うと思った」
ライラが呟く。
アストレアは、その図案だけ少し長く見た。
「目立つわね」
「はい、アストレア様」
「目立たせるため?」
「はい」
エルヴィンは迷わず答えた。
「団長がどこにいるか分かるだけで、部隊の士気は変わります」
「けれど、目立つということは、狙われやすいということでもあるわ」
食堂が静かになる。
アリーゼの表情も引き締まった。
「その通りです」
エルヴィンは答えた。
「だから、派手さではなく識別性を優先しています。金線は細く、だが正面から見れば分かる。外套は短く、動きを阻害しない」
アストレアはアリーゼを見る。
「アリーゼ」
「はい」
「この服を着るなら、皆があなたを見ることを忘れないでね」
「……はい」
「あなたが前へ出る時、皆も動くわ」
アストレアは穏やかに続ける。
「だからこそ、あなたが戻る姿も、皆に見せてあげて」
アリーゼは、珍しくすぐには笑わなかった。
少しだけ背筋を伸ばし、静かに頷く。
「分かりました」
アストレアは小さく頷いた。
「では、この団長服も試作品として認めるわ」
「やった!」
アリーゼがぱっと笑った。
「ただし、長すぎるマントは認めません」
輝夜、ライラ、リューが同時に頷いた。
「英断だな」
「英断だ」
「英断です」
「まだ何も言ってないのに!」
アリーゼが抗議する。
エルヴィンは真顔で言った。
「短い外套なら有効だ」
「エルヴィン!」
アリーゼが顔を輝かせる。
「理屈でアリーゼを補強するな!」
ライラが叫んだ。
「外套は既に案に入っている」
エルヴィンは図案を指した。
「ただし、長すぎるものは却下だ。動きを阻害する」
「短いやつね!」
「そうだ」
「やった!」
「やったではない」
輝夜が低く言った。
「団長、貴公は外套を得る代わりに、独断で突撃するな」
「分かってるわよ!」
「怪しい」
「怪しくない!」
アストレアは、そのやり取りを静かに見守っていた。
***
議論は、思った以上に長引いた。
夏服の袖丈。
冬服の外套の長さ。
ロゴの大きさ。
ベルトの位置。
内ポケットの数。
第一部隊の青は明るすぎないか。
第二部隊の黒は完全な黒か、それともわずかに灰を入れるか。
第三部隊の緑は深すぎないか。
団長服の金線は太すぎないか。
そのたびに、アリーゼが騒ぎ、イスカが真面目に乗り、セルティが機能を足そうとし、ライラが止め、輝夜が嫌そうにし、マリューが柔らかくまとめた。
そして、最後は必ずアストレアが確認した。
派手すぎないか。
誰かの動きを妨げないか。
部隊の役割を縛りすぎないか。
同じ家の印が残っているか。
その確認を経て、ようやく一つずつ承認されていった。
エルヴィンは、その全てを見ていた。
これは戦闘会議ではない。
だが、組織を形にする会議だった。
色を選ぶ。
印を決める。
誰がどこに立つかを話す。
それは、誰一人失いたくないという願いを、少しずつ形にする作業だった。
やがて、アリーゼが立ち上がる。
「よし!」
全員が彼女を見る。
「アストレア様の承認も出た!」
アリーゼは拳を掲げた。
「三部隊制、試験運用開始!」
食堂に声が響く。
「制服は試作品を作る!」
「予算は?」
ライラが即座に聞く。
アリーゼが固まった。
「……正義で何とか」
「ならん、団長」
輝夜が即答した。
「マリュー、現実的な予算を見ましょう」
リャーナが言う。
「そうですね」
マリューが苦笑する。
「まずは全員分ではなく、各部隊一着ずつ試作でしょうか」
「妥当だ」
エルヴィンが頷く。
「私の団長服は?」
アリーゼが期待を込めて聞く。
「それも試作一着ね」
イスカが言う。
「やった!」
「予算が許せば、だ」
ライラが釘を刺す。
「正義で何とかならないの?」
アリーゼが名残惜しそうに聞く。
「ならん」
輝夜、ライラ、リャーナが同時に言った。
「三人同時!?」
また笑いが起きる。
アストレアは、その笑いを穏やかに見守っていた。
そして、アリーゼが息を吸う。
「では、新体制初の正義の誓いよ!」
「またか」
ライラが呟いた。
「今回は短縮版!」
「短縮できるのか、それ」
「できるわ!」
アリーゼが拳を掲げた。
「正義の剣と翼に誓って!」
全員が唱和する。
「正義の剣と翼に誓って!」
そして、エルヴィンは今回も腹から声を出した。
「正義の剣と翼に誓って!!」
食堂が少し引いた。
輝夜が低く呟く。
「……声量が増している」
「改善した」
「改善するな」
ライラが疲れた顔で言った。
「正義の誓い隊長、本気だな」
「任命された以上、責務は果たす」
「受けるなって言っただろ」
「辞令は撤回されていない」
アリーゼが満面の笑みを浮かべる。
「素晴らしいわ、エルヴィン!」
「アリーゼ」
リューが静かに言う。
「これ以上、増長させないでください」
「増長ではない。士気向上よ!」
「もう手遅れだな」
ライラが呟いた。
***
その夜。
星屑の庭の机の上には、四種類の図案が並んでいた。
青の正面部隊。
黒の情報部隊。
緑の救援部隊。
そして、青と金の団長服。
それぞれ違う色。
それぞれ違う役割。
けれど、胸元には同じ天秤。
エルヴィンは、しばらくそれを見つめていた。
未完成でいい。
完成してから戦場に出る組織などない。
戦いながら形を変え、生き残るために強くなる。
それが、彼がこの家に渡せる最初の作戦だった。
だが、それは彼一人の作戦ではない。
エルヴィンが仕組みを出し。
アリーゼが名を与え。
輝夜が人を置き。
アリーゼが受け取り。
アストレアが慎重に認めた。
この家の形だ。
星屑の庭に、三つの名前が置かれた。
正面を守る星明かりの方陣。
闇を進む黒い星の先鋒。
帰る場所を支える星の砦。
そして、団長であるアリーゼが、その中心に立つ。
エルヴィンは静かに息を吐いた。
「誰一人失わないために」
その呟きは、夜の食堂に溶けた。
第7話 星の陣形 完
あとがき
エルヴィン・スミス
第6話で「誰一人失いたくない」と語ったことを受け、今回はそのための仕組みとして三部隊制を提案。
あくまでアストレア・ファミリアの団長はアリーゼであり、自分は第二部隊所属の作戦補佐として案を出す立場だと明確にしている。
さらに、三部隊の制服案と団長服デザインもあらかじめ用意していた。
本気である。
アリーゼ・ローヴェル
アストレア・ファミリア団長。
今回はエルヴィンが提示した三部隊制に対し、第一部隊、第二部隊、第三部隊という無機質な分類へ、アリーゼ自身が部隊名を命名。
第一部隊「スターライト・ファランクス」は、正面に立ち、皆に見える星明かりの方陣。
第二部隊「ブラックスター・ヴァンガード」は、見えないところで一番先に動く黒い星の先鋒。
第三部隊「アストラ・バスティオン」は、皆が戻ってくる場所を守る星の砦。
部隊名を与え、輝夜の人員配置を受け取り、三部隊全体を統括する総司令として立つ。
第一部隊の隊長でもある。
団長服は青基調に金線を入れた特製デザイン。
ゴジョウノ・輝夜
今回は副団長格として、三部隊の人員配置を実戦目線で決定。
アリーゼが名を与え、輝夜が人を置く形になった。
第一部隊には、正面で旗となるアリーゼ、隣で進むリュー、盾役のアスタ、観察役のノインを配置。
第二部隊には、裏を見るライラ、全体を見るエルヴィン、記録整理のリャーナ、仕掛けを見るセルティを配置。
第三部隊は自ら隊長となり、繋ぎ役のネーゼ、帰還地点のマリュー、市民誘導と士気を担うイスカを置いた。
アストレア
三部隊制と制服案を慎重に検討し、最終承認を行った。
役割分けが誰かを縛るものにならないように確認し、制服も「この家に帰るための印」として承認した。
エルヴィンとの距離感も少しずつ変化している。
第一部隊「スターライト・ファランクス」
正面防衛、市民保護、前線維持を担う部隊。
隊長はアリーゼ。
副隊長はリュー。
所属はアスタ、ノイン。
正面に立ち、市民や仲間に「守る者がここにいる」と示す青の部隊。
第二部隊「ブラックスター・ヴァンガード」
情報戦、調査、裏方、撹乱、作戦補佐を担う部隊。
隊長はライラ。
作戦補佐としてエルヴィンが所属。
所属はリャーナ、セルティ。
見えない戦場を読む黒の部隊。
第三部隊「アストラ・バスティオン」
機動防衛、拠点防衛、救援、後方支援を担う部隊。
隊長は輝夜。
副隊長はネーゼ。
所属はマリュー、イスカ。
崩れた場所へ向かい、帰る道を支える緑の部隊。
制服案
エルヴィンが識別、士気、帰属意識の観点から提案し、アストレア様が承認。
スターライト・ファランクスは青。
ブラックスター・ヴァンガードはジェットブラック。
アストラ・バスティオンは深緑と金。
アリーゼの団長服は青基調に二本の金線を入れた特製型。
共通意匠はアストレア・ファミリアの天秤。
第1章「星屑の庭」について
これで第1章は終了です。
エルヴィンがオラリオに落ち、アストレア・ファミリアと出会い、星屑の庭という家に迎えられるまで。
そして、自分の過去を語り、この家を誰一人失いたくないと願い、そのための仕組みを作るところまでを描きました。
次回
次回から第2章「暗黒期の戦場」に入ります。
三部隊制の試験運用、ガネーシャ・ファミリアとの連携、そして撃鉄装置事件の続き。
星屑の庭が作った新しい形が、暗黒期の戦場で試されていきます。