ドラクエⅥ短編第5段

長い旅の途中
バーバラとターニアの間で
こんなやりとりもあったかもしれない
そんなお話。

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第1話

 

山並みの頂近く、辺境の村ライフコッド。

精霊の冠を戴くその村の空気は、どこまでも澄み渡り、旅の疲れを優しく解きほぐしてくれる。

魔王ムドーを討伐し、自らの本体を探す旅の途中、レイたちは一時休息のために「夢のライフコッド」へと立ち寄っていた。

本来なら数時間の滞在で済むはずだったが、村の素朴な温かさと、何よりレイを「お兄ちゃん」と呼んで慕うターニアの献身的なもてなしに、一行は数日間、腰を落ち着けることになったのだ。

 

だが、この安らぎの地で、密かな、しかし熾烈な戦火が切って落とされようとは、レイ本人はおろか、あの豪快なハッサンですら気づいていなかった。

 

 

 

 

「お兄ちゃん、お茶が入ったわよ。山で自生してる珍しい品種の茶葉で淹れてみたの。少し熱いから、気をつけて飲んでね?」

ターニアが、甲斐甲斐しくレイの世話を焼く。

その距離感は、端から見れば仲の良い兄妹だが、よく観察すれば「近すぎる」ことに気付く。

レイが椅子に座ればそのすぐ隣、吐息が届くほどの距離にぴたりと寄り添い、肩が触れ合うほど。

お茶を差し出す指先が、ほんの一瞬、レイの手の甲を優しくなぞる。

 

「ありがとう、ターニア。いつも悪いね」

 

「何言ってるの、お兄ちゃん。私がやりたくてやってるんだから、遠慮なんてしないでね?」

 

ターニアは、現実の自分(下の世界のターニア)の記憶がどこか深層心理に混ざっているのか、時折、単なる兄妹愛以上の「気持ち」を持ってレイに接していた。

彼女の中に眠る、現実のターニアの孤独や寂しさの残滓が、目の前の「夢のレイ」を絶対に離したくないという強烈な感情となっている。

それは、いつかこの幸せが消えてしまうのではないかという不安を打ち消そうとする、献身の爆発だった。

 

 

その光景を、宿屋の二階から見ていたバーバラが、ギュッと手すりを握りしめる。

 

「……ねえミレーユ。あの2人仲が良いわよねぇ。……でも距離感、おかしくない? 兄妹っていうか、新婚家庭の朝みたいなんだけど」

バーバラは手すりをバンっと叩いてみせる。

隣でライフコッド特産のハーブティーを優雅に啜るミレーユは、どこか遠くを見るような目で微笑んだ。

 

「まだ会った事ないけれど…下の世界での彼女の想いも、今の彼女に影響を与えているのかもしれないわ」

「んーーー、理屈はわかるけど! でも、あんなに『お兄ちゃんお兄ちゃん』って……。レイもレイよ! 嬉しそうに鼻の下伸ばしちゃって!」

「伸ばしてるかしら? 困ってるようにも見えるけれど……」

バーバラは納得できません!といった風にむーっと唸りながらほっぺたを膨らませている。

 

「あとそうね……ターニアさんにとって、レイは唯一の家族だから」

「家族……そう、家族よね! あくまで兄妹だもんね! ああいうベタベタした感じも、この辺の村ならまぁ、普通なのよね!きっと」

 

バーバラは自分に言い聞かせるように声を上げるが、しかしその瞳は笑っていない。

彼女の胸中には、魔王討伐の旅でレイと育んできた絆がある。

死線を潜り抜け、魔法の習得を共に喜び、傷付いた身体を労り、時には冗談を言い合って笑いながら過ごした日々。

それは、血の繋がりを超えた「パートナー」としての自負だった。

だが、目の前のターニアは、バーバラの知らない「過去」と「血縁」という最強のカードを切っている。

 

「ねえミレーユ、レイって、ああいうお淑やかな子がタイプなのかな?」

「さあ……でも、レイは妹思いだから」

「……だよね。よし、ちょっと偵察してくる!」

思い立ったら吉日とばかりに、バーバラは弾けるように宿屋の階段を駆け下りたのだった。

 

 

 

「あら、バーバラさん! お仕事終わったの?」

リビングにいたターニアが、天使のような微笑みでバーバラを迎える。

その笑顔に裏表はない。ないからこそ、バーバラの心は余計にざわついた。

 

「うん、ハッサンが馬車の手入れをしてるから、私はちょっとお散歩。ねえ、レイは?」

 

「お兄ちゃんなら、村長さんのところへ挨拶に。すぐに戻ると思うわ。……あ、バーバラさんもお茶どう? お兄ちゃんのために淹れた特別なやつなんだけど」

 

『お兄ちゃんのために』。その大した事ない筈の一言がバーバラの神経を静かに逆なでする。

 

「ありがとう! いただくね。……それにしても、ターニアちゃんって本当にレイのことが大好きなのね。見てて微笑ましいっていうか、ちょっと過保護すぎっていうか」

 

バーバラは、さりげなく牽制の一撃を入れる。

「過保護」という言葉で、暗にその接し方は彼に対して「子供扱い」であることを強調したのだ。

しかし、ターニアは困ったように頬を染めた。

 

「そうかしら? でも、お兄ちゃんって放っておくと無理しちゃうから。なんていうか、すぐに自分のことを後回しにしちゃうし…。旅の途中でも、きっとバーバラさんたちに迷惑をかけてるんじゃないかと思って……」

 

「迷惑だなんて! むしろ私たちが助けられてるくらいよ。ねえ知ってる? レイってば、この前なんて——」

ここから、バーバラの反撃が始まった。

 

「——私が新しい魔法の練習で暴発させちゃったとき、真っ先に駆けつけてくれて、『大丈夫か?』って手を引いて、大切そうにぎゅーって抱きしめてくれたの。あの時の彼の顔、すっごく真剣で逞しくて……私守られてるなぁって実感が嬉しかった。あぁ〜あの時本当カッコよかったな〜!」

 

「だ、抱きしめ……?大切……そうに…ぎゅーっと……?」

ターニアの目が、一瞬だけ据わった。村での「お兄ちゃん」は、いつも優しく自分を支えてくれる存在だが、そんな「雄」としての逞しさを見せつけている事実に、胸の奥がチリっと焼ける

 

「へぇ……そうなんですね。お兄ちゃん、旅先ではそんなに頼りがいがあるんだ……」

 

それはまるで、自分の知らない「兄の顔」を語られたことへの、無意識の拒絶反応かのようだ。

 

「でも、お兄ちゃんって寝る時はとっても無防備でしょ? 昔から寝相が悪くて布団を蹴飛ばしちゃうから、私が夜中に何度もかけ直してあげてたの。

それに、寝言で私の名前を呼んだりするのよ?本当にずっと甘えんぼなんだから、もぉ……。

今でも、私がそばにいないとちゃんと眠れてるか心配で」

 

今度はターニアのターンだ。

「睡眠時」という、最もプライベートで無防備な時間を共有しているアピール。

寝言で無意識のうちに名前を呼ばれるという、潜在的に超親密な間柄に流石のバーバラも顔が少し引き攣る。

 

「そ、それはまぁ、昔の話だよねっ?今のレイは、冒険者として常に警戒心を忘れない立派な勇者なんだから!」

 

「ふふ、でもきっと心の中は、私の知ってる優しいお兄ちゃんのままのはずだわ。ね?」

 

バチバチ、と見えない火花が微笑み合う両者の間に激しく散る。

そこへ、運悪く(あるいは運良く)レイが戻ってきた。

 

「ただいま。2人で何の話をしてるんだ?」

その瞬間、2人の表情は一変した。

「おかえりなさい、お兄ちゃん! 今、バーバラさんに旅のお話を聞かせてもらってたの」

「そうそう! ターニアちゃん、とっても聞き上手なんだから!」

二人は腕を組み、姉妹のように仲睦まじく微笑む。

レイは「へえ、仲良くなれてよかったな」と、鈍感の極みのような笑顔で応えるのだった。

 

 

 

その日の夕食。

ライフコッドの自宅で、手料理が並ぶ。

レイがいつもの場所に座るや否や彼を挟むように、ターニアとバーバラが陣取っていく。

 

「お兄ちゃん、これ。お兄ちゃんの好きな川魚の塩焼きよ。一番脂が乗ってるのを選んだわ」

「お、ありがとう。美味しそう」

 

「あ、レイ! こっちの木の実のサラダも食べてみて。これ、私が旅先で見つけて、レイが『美味しい』って言ってくれたあの味を再現してみたの!」

バーバラがすかさず皿を差し出す。

 

「お兄ちゃん、まずはこのお魚から食べて? お兄ちゃんが村を出る前、最後に『また食べたい』って言ってくれた、思い出の味よ」

 

「レイ、サラダだけじゃないんだよ?こっちの煮込み料理も食べてみて?愛情込めて作ったの!」

 

「ど、どっちから食べればいいんだ……」

レイが箸を迷わせると、ハッサンが横から助け舟を出そうとした。

 

「おいおい二人とも、そんなに迫ったらレイが困るだろ。どれ、俺が毒見してやろ——」

 

ハッサンがフォークを伸ばした瞬間、バーバラとターニアのフォークが、ハッサンの手をミリ単位でかすめてテーブルに突き刺さった。

 

「「ハッサン(さん)は、シジミ汁でも飲んでて!!」」

 

「ヒエッ……! わ、悪かったよ、俺は空気だ、ただの木彫り職人だ……」

 

ハッサンはガタガタ震えながら、端っこのお漬物をボリボリと食べ始めた。

ミレーユはそんな光景を見ながら、「あら、この煮込み、隠し味に赤ワインを使ったのね。バーバラ、背伸びしちゃって」と、楽しげに料理を味わっている。

 

 

「でも、バーバラが料理なんて珍しいな。どちらも美味しそう、どれどれ……あ、本当だ。美味しい!あの時のサラダの味だ」

 

「でしょー? レイとの思い出の味なんだから!」

バーバラは「思い出」というワードを強調し、ドヤ顔でターニアを見る。ターニアは静かに微笑みを絶やさず、さらなる猛攻を仕掛ける。

 

「お兄ちゃん、はい、あーん……」

ターニアが、骨を一本一本丁寧に取り除いた魚の身を、レイの口元へ運ぶ。

「あ、自分でやるから——」

「ダメよ。お兄ちゃんは、世界を救うためにずっっと頑張って戦ってきたんだもの。今日はいつもみたいに妹に甘えてもいいのよ?」

ターニアは微笑みながら、妹の距離感でレイの気持ちが自分に向いているのを確信してバーバラを見る。

 

「レイ、あたしがこの美味しーい煮込み料理も食べさせてあげる。はい、あーんして?」

 

バーバラが負けじとレイにスプーンを差し出すと、ターニアがすかさず箸でブロックした。

「バーバラさん、お兄ちゃんはもう子供ではありません。自分で食べられます。……ね、お兄ちゃん? はい、私が食べさせてあげるわ」

「……それ、流石に矛盾してないか?ターニア」

 

ハッサンは横で「……すげえな、女の戦いってのは……ムドーより恐ろしいぜ」と、戦々恐々としながらひたすら白米を詰め込んでいる。

 

「それにしてもおにいちゃん、本当お疲れ様。危険と隣り合わせ、命を削って戦いの日々…いつか心が疲れ果ててしまいますわ。……お兄ちゃんが本当に過ごしていたいのはこういう静かな、いつも変わらない安寧の場所なんじゃないかしら?」

ターニアが、そっとレイの手を包み込む。

 

「……そうだな。ここに戻ってくると、本当にホッとするよ」

 

レイの素直な言葉が、バーバラの胸をチクりと刺した。

「……っ! でも、帰る場所があるからこそ、遠くまで飛べるのよ! 私は、レイと一緒に誰も見たことがない景色を見たい。ねえ、レイ?この間街で聞いた噂のさ、『空飛ぶベッド』探して、雲の上まで行ってみない? ターニアちゃんは……あ、高いところ苦手だっけ? うーーん、残念だけど地上でお留守番ね」

 

「……空中散歩ですか。素敵ですね。でも、お兄ちゃんは高所恐怖症ではありませんが、寝相が悪いから。雲の上から落ちてしまったら大変だわ。やっぱり、私がそばで見守ってあげないとダメね」

「大丈夫よ、私が魔法で浮かせてあげるから!」

「魔法はいつか解けるものですわ。……血の繋がりは、一生解けませんけれど」

 

「「…………」」

 

二人の間に、目に見えるほどの電気が走る。

 

「そうだ!お兄ちゃん、明日の朝はゆっくりなの? ……もしよかったら、昔みたいに私が髪を整えてあげようか? 旅の間に、少し伸びたみたいだし」

 

「えっ、あ、ああ。助かるよ」

 

「じゃあ、明日は少しだけ早起きしなきゃね。前みたく私が起こしてあげるからね?お兄ちゃんの寝癖を直すの、私、得意なんだから」

 

「髪を整える」という行為は、親密さの象徴だ。バーバラは焦った。

自分には、レイの髪を弄るような大義名分がない。

 

「そ、それなら! 明日の昼間、私がレイに新しい呪文のコツを教えてあげるわ! 二人っきりで、村の外の静かな場所で集中して……ね?」

「呪文か、それは助かるな。バーバラの教え方は直感的で分かりやすいし」

 

レイが素直に喜ぶたび、二人の火に油が注がれる。

マウントを取り合う穏やかな笑顔の裏には確かに、バチバチと激しい火花が目視出来そうだ。

そんな賑やかともいえる楽しい(?)夕食は続いていき、しばらく過ごした後お開きとなった。

 

 

そしてその夜、レイが風呂に行っている間。

リビングに残っている二人は、もはや笑顔の仮面を脱ぎ捨てていた。

「……バーバラさん。お兄ちゃんは旅で疲れてるの。あまり連れ回さないであげてください?」

「ターニアちゃんこそ。レイはもう子供じゃないんだから、あんまり甘やかしすぎると、彼のためにならないと思うわよ?」

 

ターニアが立ち上がり、バーバラを見下ろす(実際には座っているバーバラに対してだが、その威圧感は凄まじい)

 

「私は、お兄ちゃんの『帰る場所』でありたいんです。バーバラさんのように、スリルを共有することはできないかもしれないけれど……でも、お兄ちゃんが本当に望んでいるのは、安らぎだと思うの」

「安らぎだけじゃ世界は救えないわ。私は、彼と肩を並べて戦える。彼の背中を守れるのは、私なの!」

 

二人の視線が交差する。その時、ふとターニアの表情に寂しさが混じった。

「……分かっています。お兄ちゃんがいつか、私の手の届かないところへ行ってしまうことも。それでも……今この時だけは、私の『お兄ちゃん』でいてほしいの」

 

その「現実の記憶」から来る悲痛なまでの願いに、バーバラは一瞬言葉を詰まらせた。しかし、彼女もまた、自分の想いを曲げるわけにはいかない。

 

「……分かってる。でもね、私も譲れないの。彼が見ている未来の中、私も隣にいたいから」

 

風呂でのんびり入浴しているレイが上がってくるまで2人の攻防は続き、夜も更けていた。

レイは早々に眠ることにして、名残惜しそうにターニアもバーバラも就寝したのだった。

 

 

翌朝。

 

昨夜、レイはベッドの中で言い知れぬ不安を感じながら眠りについた。

「明日は早く起きて、こっそり一人で山に逃げよう……それかハッサンと薪割りしてから鍛錬しよう…」

そう決意して目を閉じたレイだったが、翌朝、彼を待っていたのは精霊の祝福ではなく、地獄の業火のような修羅場が待っていた。

 

 

コンコン、と控えめな、しかしどこか弾むようなノックの音が響く。

「お兄ちゃん、おはよう。朝ごはんの時間よ。お兄ちゃんが好きなハーブティー淹れてきたよ。……入るわね?」

 

ターニアが、天使のような微笑みを湛えて部屋に入ってくる。

手には、淹れたての爽やかな香りを漂わせたトレイ。

彼女はこの「お兄ちゃんを起こす瞬間」を、一日のうちで最も神聖な儀式として愛していた。

 

だが、その微笑みは、ベッドの光景を目にした瞬間に凍りついた。

「…………え?」

レイの隣、本来なら平穏な空間であるはずの布団の中に、ピンクオレンジ色の髪をした「侵入者」が、さも当然のような顔をして丸まっていたのだ。

「すー……すー……。んぅ……レイ……もう食べられないよぉ……」

バーバラである。

彼女はレイの身体を抱き枕のようにガッシリとホールドし、幸せそうな寝息を立てている。

 

「な……な……な……なっ!!」

ターニアの手の中で、ハーブティーのカップがガタガタと震える。

 

「バ、バババ、バーバラさん!? なんで……なんでお兄ちゃんのベッドに、そんな、はしたない格好で!!」

「んんー……? うるさいなぁ……あ、ターニアちゃん? おはよ……」

 

バーバラが眠そうに目を擦りながら起き上がる。

「冷えるねー、この村。夜中に寒くて目が覚めちゃって。そしたら、気付けば近くに温かそうな『塊』があったから、ちょっとお邪魔しちゃった」

「ちょっとお邪魔、で済む問題ではありませんわ!! ここはお兄ちゃんの、聖なる休息の場なんです! どいて、今すぐそこをどいてください!!」

「えー、いいじゃない。減るもんじゃないし。ねえ、レイも『あったかい』って言ってたよ?(※寝言)」

「お兄ちゃんがそんなこと言うはずありません!! どいて!! もう!!」

 

二人の絶叫に、レイが「うわあああ!?」と飛び起きた。

「な、なんだ!? 魔物か!? ムドーの残党か!?」

「魔物よりひどいもの(バーバラ)が隣にいますわ、お兄ちゃん!!」

「ひどいとは何よ! 私はレイの心身の健康をケアしてあげてたの!」

 

 

そんな怒涛の朝が過ぎ去り、更にその翌朝。

 

バーバラは「昨日は一本取ったわね」と上機嫌でレイの部屋の前にいた。

「今日も先手を打って、レイの寝顔を独り占めして……」

朝のゆっくりした時間を一緒に過ごすんだー、と嬉しそうに静かにドアを開けるバーバラ。

「レイ、 おはよ——……って、はあああああ!?」

そこには、レイの首元にピタリと顔を寄せ、まるで耳元で子守唄でも歌うかのように囁きかけながら、レイの胸に手を置いているターニアの姿があった。

「あ、バーバラさん。おはようございます。……お兄ちゃんが起きてしまいますので、静かにしてもらえます? 今朝は少し寝苦しそうだったから、私が『安眠のおまじない』をかけてあげていたところなんです」

 

変な虫もまた来るかもしれないですしね?とターニアの声はどこまでも穏やかだが、その目は全く笑っていない。

彼女はレイの布団の中にしっかり入り、身体をぴったりと密着させている。

 

「おまじない!? 嘘おっしゃい! ターニアちゃんそれ完全に添い寝じゃないの!」

「『添い寝』だなんて、人聞きの悪い。これは『看病』です。兄妹としての、当然の義務ですわ」

ターニアは、レイの乱れた髪を指先で優しく整えながら、バーバラを挑発するように微笑んだ。

「外から来た方が、土足で踏み込んでいい領域ではありませんのよ。……ねえ、お兄ちゃん? 私の香りの方が、落ち着くでしょう?」

「……うーん、なんだか実家の匂いがする……」

寝ぼけているレイの言葉に、ターニアが「ほらご覧なさい!」とバーバラに微笑みかける。

「実家パワーに頼るなんてズルいわよ! 私だって……私だって、魔法で『一生解けない抱擁の呪い』とかかけちゃうんだから!」

「そんな物騒なこと、お兄ちゃんが許しませんわ!」

 

騒ぎを聞きつけたハッサンが、部屋を覗き込む。

「……おいおい、今度は何だよ。朝から元気だなぁ、お前ら」

「ハッサン、聞いてよ! この子がレイのベッドを私物化してるのよ!」

「バーバラさんこそ、昨日は私の聖域を汚したんです!」

ハッサンは、左右から腕を引っ張られ、今にもバラバラになりそうなレイを見て、ミレーユに耳打ちした。

「……なあ、ミレーユ。俺たち、そろそろ出発した方がよくないか? このままじゃ、レイの身体が一つに戻る前に、精神が八つ裂きにされるぜ」

ミレーユは、二人の女の子の激しいやり取りを「ふふっ」と楽しそうに見つめながら、手帳に何かを書き留めていた。

「そうね……。でも、見て。レイの顔。困り果てて、もう現実と夢の区別がついていないみたい。……これも一種の、新しい修行になるかもしれないわね」

「どんな修行だよ! 精神統一か!?なんか変な悟り開いたらどうする!?」

 

ミレーユの言う通り、もはや夢が現実か。訳がわからなくなったレイは、されるがままだった。

とりあえず顔も洗いたいし、2人から距離を取るべくそそくさとベッドを降りていくものの、引き続き目が覚める事は無かった。

 

レイは地獄を見ていた。

「お兄ちゃん、あーんして? このスープ、お兄ちゃんのために煮込んだの」

「レイ、こっちのパンも食べて! 私がさっき、村のパン屋さんで焼きたて買ってきたんだよ」

右からターニアの匙が、左からバーバラのパンが迫る。

ハッサンは横で「……大変だな、相棒」と、苦笑いしながら干し肉を噛んでいる。

ミレーユはどこか楽しげに「人気者は辛いわね」と他人事だ。

 

「あ、あのさ……二人とも、そろそろ落ち着いて……」

「お兄ちゃん、私のスープが嫌いなの……?」

「レイ、私のパンより妹さんのスープがいいの……?」

二人のウルウルとした瞳に挟まれ、レイは冷や汗を流す。

 

怒涛の食事後も、散歩に行けば両腕を掴まれ(「こっちの景色が綺麗よ!」「いいえ、あっちの秘密の場所の方が思い出深いわ!」)となり、

村人に挨拶すれば「どっちが似合いのパートナーか」という無言の圧力を背中で感じ……。

ついに、とうとう、我慢の限界に達したレイは叫んだ。

「わ、分かった! 今日はハッサンと二人で山に薪拾いに行ってくる!」

「「ええっ!?」」

二人の悲鳴を背に、レイは逃げるように2人から離れた。

 

 

ライフコッドの外れ。

レイはハッサンを連れて薪割りをしていた。

清々しい空気を深呼吸で肺にいっぱい満たす。

やはり生まれ育ったこの場所は、色んな感情もリセットしてくれる。

 

「……なあハッサン、なんであの2人は揉めてるんだろう?俺、何か悪いことしたかな?」と真剣に相談していた。

ハッサンは薪割りの手を休め、ゆっくり身体を伸ばしつつ遠くを見つめながら、

「……お前はそのままの鈍感さでいろ。それが世界平和のためだ」

と、深くため息をつくのだった。

 

薪割りを終わらせると、軽い鍛錬をする時間もあった。

ハッサンの放つ正拳突きのコツを聞くも、あの威力を出すのはやはり容易ではない。

そして太陽が真上に上がる少し前、薪を背負ったレイがハッサンとライフコッドの村へ戻ってきていた。

2人は話し合って、今日にでも出発することにしたのだった。

 

 

村に戻って薪を片付けて、準備をしようと家に帰るとそこには意外な光景があった。

 

ターニアとバーバラが、仲良く(?)二人で並んで洗濯物を畳んでいたのだ。

「あ、おかえりなさい、お兄ちゃん」

「遅かったじゃない、レイ。もう、ハッサンをこき使っちゃダメよ?」

 二人の態度は、憑き物が落ちたように穏やかだった。レイは胸を撫で下ろす。「よかった、仲直りしたんだな」

だが、ハッサンだけは見ていた。

洗濯物を畳む二人の手が、時折、レイのシャツを奪い合うようにして激しく交錯しているのを。

 

 

そして洗濯物を畳み終えた2人は、なぜか手を繋いでいる。

「あの、レイ……。さっきはちょっと、熱くなりすぎちゃった。ね、ターニアちゃん」

 

「そうね、バーバラさん。お兄ちゃんを困らせるのが、一番いけないことだったわ」

二人は天使のような笑顔で、レイの目の前にゆっくりと座った。

 

「「ね? 私たち、とっても仲良しなのよ?」」

 

レイは「そ、そっか、それならいいんだけど……」と連日の事もあってか、引き攣った笑顔で答える。

 

しかしまた、レイには見えていなかった。

 

二人が繋いでいる手は、互いの指をギチギチと力任せに締め上げ、どちらが先に音を上げるかの忍耐勝負を繰り広げていることを。

「(……バーバラさん、握力強いわね)」

「(……ターニアちゃんこそ、爪立てないでくれる?)」

 

レイは2人の様子に小首を傾げつつも、ホッとした表情になる。

「ありがとう。……二人とも、本当に仲良くなってくれてよかったよ」

レイが二人の頭をポンポンと撫でる。その瞬間、二人は一瞬だけ乙女の顔に戻り、同時に真っ赤になった。

 

「「……もうっ! レイ(お兄ちゃん)のバカ!!」」

「そういうとこ!!」

とバーバラから魔法の匂いがして、慌てて逃げ出した。

 

 

バタバタの昼が過ぎ、やがて馬車が動き出す。

ハッサンがレイ達のやりとりを横目に、旅の準備をしてくれていたのだ。

身支度を整えたレイも馬車に物資の積み込みを始めた。

数日分の食料や、薬草類。野営になった際の焚き火用の薪は、さっきハッサンと一緒に割ったものだ。

 

バーバラも手伝おうと小走りで向かう瞬間、ターニアから声をかけられ振り向く。

 

「バーバラさん、私……この数日間楽しかったです」

「えっ!?」

バーバラは、自分の存在がターニアにとって疎ましく、面白くないと思われてると思っていた。

そしてその自覚もあった。

しかし、バーバラはこうして年頃の女の子と戯れ合ったりした経験がほぼない。

加減がわからなくなりつつも、彼女自身何処か楽しいやりとりとも感じていたのだ。

「バーバラさんは私の事、お兄ちゃんにベッタリの嫌な妹と思ってたかもですけれど…バーバラさんとのやり取りも、本当は楽しかったです」

だって……とターニアは言葉を躊躇い、目を伏せた。

「私、同じ歳位の女の子の友達がいなかったから」

バーバラは目を見開いた。

同じだった。ターニアもまた、同じ歳頃の女の子友達がいなかったのだ。

バーバラは思わず抱きしめ、ぎゅーっとする。

「ターニアちゃん、大好き!あたしも同じ……女の子の友達がいなかったから、実はずっと楽しかったよ」

 

2人の蟠りがついに解けた瞬間だった。

 

「でもあんまり私を差し置いて親密になり過ぎないで下さいね?」

 

2人は数秒目を合わせて、吹き出すように笑い合ったのだった。

 

 

そして。

「旅の途中、また寄って休みに来てくださいね。皆様のご無事をお祈りしてます」

見送るターニアと、馬車から身を乗り出して手を振るバーバラ。

二人の視線は、今、友人同士の柔らかなものになっていた。

 

ライフコッドの平穏な日々を守る為にも、世界の異変を調べ、レイが本当の意味で「一つ」に戻り、本当の自分を見つけるまで……

この小さな村の、小さな愛のバトルはこれからも続く(?)のである。


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