キャラクターの独自解釈において、非常にセンシティブな部分があります。
ご留意ください。
あの日のことを、僕ははっきりと覚えてる。
『おじいさま、これはなに?』
『ああ、ブリューゲルという画家が描いた"バベルの塔"だよ』
『"ばべるの塔"?』
『そうだよ。大昔の人々が、神様のいる天国まで届くような高い塔を作ろうとしたんだ』
『へぇー、すごいね!』
『はっはっは、すごいか? ……だが神様は怒ったんだ』
──人間たちめ、思い上がるんじゃない!
『……とな。だから壊してしまったんだよ』
『ふーん。でも、エンパイアステートビルもエッフェル塔も高いよ? どうして神さまはおこらないのかな?』
『うむ……それはだな。きっとまだ低いんだろう』
『そうなのかぁ……』
きっと、死ぬまで忘れはしないだろう。
おじいさまと交わした、一番大切なお話。
それは僕の──
………
……
…
《ゴォーーーールッ!!! 真のミニ四駆ナンバーワンを決める今世紀最大の大会"M1"!! この軌道エレベーター"サントゥアーリオ"で繰り広げられる決勝レース前半戦を征したのは"ミニ四駆の軍神"! ネロ君のディオマース・ネロだ!!》
「お疲れ様、ディオマース」
ディオマースを止め、僕は小さく欠伸をした。
《なんとなんと、ディオマースはここまで完全独走状態! 凄まじい走りを見せてくれたぞぉっ!!》
凄まじい走り、か。
ミニ四ファイターの実況を聞いて、思わずため息が出た。
ここまでは、ただトップを走ってただけだ。
それは当たり前のこと。
まるで達成感がない。
ディオマースも、きっとそうじゃないかな。
スタート直前の胸の高鳴りだって、もう消えちゃった。
他のレーサーたちは、まだずっと後ろを走ってる。
マシンの音すら聞こえてこない。
まあ、どうでもいいや。
それよりも。
「……ふふ、あと一息だ。あと一息で、神さまに会える。僕は、すっごく高いところまで走ってきたんだ」
サントゥアーリオ。
ここは、ただ高いだけのタワーじゃない。
"聖域"なんだ。
僕という人間が神さまに会うための、聖なる場所なんだ。
「ほら、見てごらんディオマース。地上だよ。あんな場所で、人間はうじゃうじゃ群れてるんだ」
中継ステーションの端まで行って、僕はパートナーといっしょに下を眺める。
海。雲。そして大陸。
自分の目で見ると、改めて思う。
なんてちっぽけなんだろう。
大きな大きな宇宙の中の、小さな小さな星。
神さまが用意してくれたこの箱庭の中で、政治だの経済だの戦争だの、誰も彼もがつまらないことをずーっと続けてる。
いつまでも無秩序で、デタラメで、ごちゃごちゃしてる。
「ねえ、神さま。あなたは本当に、こんな人間たちの姿がお望みだったのですか?」
僕は太陽に目を向けた。
眩しい。
いつまでも見つめてたら、目が潰れてしまう。
『産めよ、増えよ、地に満ちよ』
神さまが人間を祝福して、最初におっしゃられた言葉だ。
その結果が、これ。
「神さま、どうして怒るのをやめてしまったのですか? 昔はあんなにたくさん、怒ってくださってたのに」
おじいさまは、ボルゾイタワーを建てた。
重力を制御する物質"MGストーン"を作るために。
このタワーは今の軌道エレベーターになる前でも、昔のバベルの塔よりずっと高かったはず。
そしてこれからはMGストーンを使って、天にそびえるような建物をいくらでも造れるようになっていく。
いや、それより前に人間は空にも宇宙にも上がってたじゃないか。
なのに、神さまはいつまでも怒ってくれない。
このボルゾイタワーに──完成前の"聖域"にやって来て一度だけ、僕はおじいさまにそのことを聞いてみた。
『ははは。ネロ、お前はやはり賢いな。流石はワシの孫だ』
『笑わないでよ、おじいさま。僕は真面目な話をしてるんだよ?』
『ふむ……何故神様は怒るのをやめてしまったのか、か』
『うん。おじいさまはどうしてだと思う?』
あの時、おじいさまは長く悩んでた。
そして、皺くちゃな顔をもっと皺くちゃにして言った。
『ほっほっほ。それはきっと、人間という存在を認めてくれたからだろう。人間は立派に成長したと、もう怒らなくても大丈夫だと、神様はそう思ったんだよ』
『……そうですか』
おじいさまは結局、他の大人たちと同じ答えを出した。
まだ子どもである僕に、上手くカッコつけるような答えを。
「そんなわけありませんよ、おじいさま。分かりきったことじゃないですか」
ディオマースに、僕は語りかける。
飛び級してたくさんのことを学んで、神さまと人間たちのお話を何度も読んだ。
だから、今の僕には分かる。
バベルの塔は、単に天国へ届きそうだったから神さまを怒らせたんじゃない。
人間の傲慢。野望。挑戦。
高さじゃなくてそういう色んな想いに、神さまは怒ったんだ。
おじいさまだって、いっしょに絵画を見た時に言ってたじゃないか。
「人間どもめ、思い上がるんじゃない!」って。
きっとその通りだよ、おじいさま。
人間は思い上がったから、神さまに怒られたんだ。
何度も何度も思い上がって、何度も何度も怒られたんだ。
ならどうして、神さまは怒るのをやめてしまったんだろう。
世界中を巻き込む戦争を、二度もやった。
月に旗を立てた。
色んな方法で、ひたすらお金を集め続ける。
今やもうどうでもいいはずのことでさえ、ぶつかり続ける。
人間はあの塔を造ってた頃よりずっと思い上がって、そしてずっと多くのことで争ってる。
立派に成長した?
もう怒らなくても大丈夫?
どこが?
笑っちゃうよね。
神さまはむしろ、怒りっぱなしにならなくちゃいけないはず。
今の人間たちにあの頃より、もっと激しく怒るべきなんだ。
なのにどうして、神さまは怒ってくれないんだろうか。
それは──
「……ネロ様。前半レースの一位通過、おめでとうございます」
側近が少し声を震わせて、僕の背中に声をかけてくる。
「うん、まあね。それで、頼んでたものは?」
「どうぞ」
「ありがとう、そこに置いといてください。もう下がっていいですよ。いつもご苦労様」
「はっ」
ディオマースから、視線を移す。
小学校で豪樹くんに貰った、メダカの水槽だ。
「ふふっ、よかった。ちゃんと泳げてるね。えらいえらい」
メダカは宇宙にいきなり連れてこられると上手く泳げなくなる、ってデータがある。
でも、この軌道エレベーターには、MGストーンによって重力が発生してる。
僕が毎日エサをやってあげてるメダカたちは、しっかりと上手く泳いでた。
「……そうさ。人間なんて、神さまから見たらメダカなんだ」
小学校はつまらなかった。
でも、このメダカの水槽を眺めるのは楽しい。
メダカたちは僕がエサをくれることを覚えて、近寄ると水面まで上がってくるようになった。
そして、パクパクと口を動かす。
「エサをください」「私たちに生きる力をください」って。
僕が水槽を小突けば、驚いて逃げていく。
だけどエサをやると、小突かれたことも忘れて群がってくる。
飼い始めた時より、メダカは明らかに大きくなった。
純粋で、健気で、可愛い。
それでも結局は箱庭の中で僕に生かされてる、ちっぽけな存在。
ただ群れて泳いで、エサを食べて子供を産んで、何となく増えていく。
僕がエサやりに飽きたら、やがて共食いを始めて、最後の一匹になって、死に絶えちゃうのに。
気まぐれに水槽をひっくり返しただけで、全てがおしまいなのに。
「あはは……ねえ、神さま? あなたは人間に飽きたんでしょう? 人間が、つまらないことばかりするようになったから。もう、眺めてる価値がなくなっちゃったから」
それならそれでいい。
僕がまた、興味を持たせてあげる。
そのためのサントゥアーリオ。
そのためのM1レースなんだ。
「神さま。ミニ四駆ってね、最高に面白いんですよ。この小さなマシンの中に、僕という人間の全てが詰まってる」
神さまに語りかけながら、僕は手元を見た。
ディオマース・ネロ。
最高精度のMGストーンを搭載した、史上最強のミニ四駆。
ミニ四駆は僕が物心ついた頃、おじいさまに貰ったプレゼントの一つだった。
走らせて、ゴールを目指す。
トップでゴールするためなら、何をしたっていい。
勝った者だけが、全てを手に入れる。
それがミニ四駆だって、おじいさまが言ってた。
シンプルだからこそ、最高なんだ。
何より、人間みたくウソをついたり、カッコつけないのが良い。
セッティングには、必ず結果で応えてくれる。
僕は、ミニ四駆が大好きだ。
このディオマースも、元々はおじいさまからのプレゼント。
大神博士と一文字博士に作らせてたけど、あの二人じゃケンカして完成させられなかった。
だから一文字博士は外して、僕自身が開発に参加した。
そして烈矢くんとの慣らし運転やオータムレースでの経験から細かくセッティングを加えて、完成させた。
今はもう、僕の意のままに走ってくれる。
ディオマースは僕を絶対に裏切らない。
僕の分身。
僕そのもの。
「サントゥアーリオで……この新しいバベルの塔で、僕は究極の人間になる。僕こそが世界で一番のミニ四レーサーだって、証明してみせる」
神さま、これは素晴らしい見世物でしょ?
人間が懲りずに思い上がってまたバベルの塔を造り、そこで自分の力の結晶を走らせてあなたに挑戦するんですよ?
地べたを這ってる奴らよりは、絶対面白いよね?
スペースシャトルや人工衛星みたいな小細工とだって、比べものにならないよ?
それともあなたにとっては、ちょっとバカバカしいかな?
宇宙まで上がってミニ四駆でレースするなんて、理解できない?
でもどの道、無視なんてできないよね。
僕のことを。
メダカと同じじゃないんだよ、僕は。
僕だけは。
「神さま……僕を見てよ。僕を叱ってよ。もうすぐ僕の上には、あなたしかいなくなるんだから」
今さら、他のマシンの音が聞こえてきた。
目を袖で擦る。
「……待ちくたびれちゃったよ」
後ろを振り返る。
やっぱりみんな、いい顔をしてる。
僕の踏み台に、相応しい者たちだ。
「さ、これからが本番だよ」
神さま、待っててください。
ネロがあなたに、会いに行きます。