何か、天音に報告しなきゃいけない事があった気がする。
定期検診を終えて、事務所に帰ってきてからずっとそんなことを考えているんだけど。思考がその時点で止まってしまって、記憶を遡ろうとすれば十数分くらいのモノが抜け落ちてしまってる気がして。
違和感。けれどその違和感すらも、大したこと無いと自分の中では完結してしまうから、思考がその先に一切進んでくれない。
「なんだったんだろ」
ボロっちいソファの背もたれに身体を預けて。天井を仰ぎながらボヤく俺の声に、答えてくれるやつは誰も居なかった。
遠くの商店街から聞こえてくる客引きの声。窓の向こうから聞こえてくるひぐらしの鳴き声。そして、部屋の中で正確に時間を刻む時計の秒針。
その全てがいつも通りで、何も異常が無いはずなのに。俺の中に微かな違和感がある。
思わず唸り声をあげながら、自販機で買った炭酸飲料────その最後のひと口を飲み干して、勢いよく目の前の机に置いた。途端、
「────ん、ぉ?」
つい最近修理してもらったインターフォンが、電子音を奏でた。
誰か依頼者だろうか。なんてウキウキした気分でいられたのも扉を開けるまで。そこそこに重たい鉄製の扉を開いて、真っ先に俺を出迎えたのは赤みがかった空と、濃い血の匂いだった。
「澄人くん・・・・・・ごめ、手伝って」
「おいおい、なんだよその子。血が・・・・・・」
疲労困憊といった様子で肩で息をする天音と。天音にもたれかかり、浅い呼吸を繰り返すワンピースの女の子。
元々は白いワンピースだったんだろうけど、所々血で染まってしまっていて。そっちの方が目を引くもんだから、思わずギョッとする。
「話は後。とりあえず横にしてあげたい」
「ウス・・・・・・」
天音に代わって、件の女の子に肩を貸す。弱々しい呼吸が身体を通して伝わってくる中で。恐らく何らかの傷があるんであろう右の脇腹に、妖力が集中して流動していくのが見えた。
「妖怪・・・・・・? 半妖か?」
「後者。中央区の商店街・・・・・・路地裏で倒れてたの」
「マジか。商店街は俺も通ってきたけど、一切気づかなかったな・・・・・・」
「・・・・・・本当に? 人避けの結界が張ってあったとはいえ、あんなに血の匂いしてたのに。まあ良いか」
俺も天音と同じくらい五感は効く。天音が気づいたんだったら俺だって気づけたはずだ。
なんで気づけなかったのか。他の何かに気を取られた・・・・・・? 思い返そうとしても、また思考が虚しく霧散していく気配がある。
・・・・・・いや、まぁ良い。まずはこの子のことが優先だ。
天音は俺の小脇をするりと抜けると、救急箱を取り出して。俺がさっきまで座っていたソファを軽く清掃して、
「見つけたばかりの時はもっと状態が酷かったんだよ。応急処置は治癒系の妖術で済ませてあって・・・・・・なんか訳アリっぽいから、事務所まで連れて帰って来ちゃったけど」
「おまえ凄いな本当・・・・・・かなり目立ったろ」
「流石に無防備にここまで引き摺って歩いて来ないよ。認識阻害を使って歩いて・・・・・・所々、
天音の話を聞きながら、女の子を運んでソファに寝かせる。それとほぼ同時に、天音はいつもの定位置────デスクチェアに、どか、と大きな音を立てながら腰を下ろした。随分と疲れた様子で、視線が何処か遠くを見つめている。
「俺のことも呼んでくれりゃ良かったのに」
「・・・・・・あのねえ。認識阻害はキミみたいなこの町で目立つ人が居たら効果が薄まるの。私だけだから、何とか誰にも見つからずに事務所に帰って来れただけ。それにキミの場合────」
目元を片手で覆いながら呆れた様子で、捲し立てるように。しかし永遠続くと思われた天音の言葉は、何やら途中で途切れてしまう。
目元を覆っていた天音の手が外れる。そのまま、俺の目をまっすぐ見つめて、
「・・・・・・いや。いくら疲れてるからって澄人くんに当たるのはだいぶ違うね。ごめん」
「んや別に良いよ。俺だって多分、逆の立場ならそうなる」
別に嘘は言ってない。この炎天下の中、女の子ひとりを抱えて────しかも認識阻害の妖術を使いながらここまで歩いて来たんだ。神経もすり減るだろうし、こんなんにもなろうて。
それに、俺だったらここまで上手くやれてない。だからこそ、心の底から素直に天音をすごいと思うのだ。
「・・・・・・お疲れ、天音」
「ありがとう。すっごい疲れた。もう二度とやらない・・・・・・」
そんな短いやり取りを終えると、辺りに沈黙が満ちる。窓の外から入り込んでくる環境音と、ソファに寝かされた女の子が立てる寝息が聞こえてくるだけの時間が続いた。
天音はそんな中で、口を開いては閉じて。割と思ったことはズバズバ言いがちな天音にしては珍しく、何かを言い淀んでいるようだった。
何か言いたいことあるなら言えよ、なんて言うのは流石に無神経がすぎるか。何と無く気まずさを感じながら、居心地の悪さを誤魔化すためにそのままフローリングに腰を下ろして。その迷っているような顔を見上げた。
「・・・・・・あの、さ」
「うん?」
また沈黙。天音の視線は、右に左にと落ち着かない。背後の窓から差し込む夕日でイマイチ表情は読めない。
「私の選択、間違ってたかな。すぐに綺羅楽ちゃんや荒垣先生に連絡したほうが良かった、かな」
ああ成程、と。内心納得する。確かに他に手段はあったかもしれない。こんな弱りきった女の子を突然見かけて、放っておいたらヤバいかもしれなくて。そんな中で咄嗟にした判断なら不安になって当然か。
「んー・・・・・・」
言葉を選ぶ為の間。いや、正直天音相手に言葉はあんまし選んでない。向こうも思ったことを割と率直に言ってくれるから、こっちも大体のことは遠慮なく言えるというモノだ。
だからほとんどは、立場を自分に置き換えての想像。人気の無い路地裏。そこで、突然血を流しながら倒れてる女の子を見つけたとして。俺は────、
「俺の場合なら、だけど。真っ先に天音か・・・・・・綺羅楽に連絡すっかな。アイツを頼るのは癪だけど」
「何、やっぱりまだ綺羅楽ちゃんと仲悪いの?」
「うるせえまだ話してる途中だよ!」
話の腰を折られて思わず声を荒げてしまった。いや否定のしようがない事実なんだけども。綺羅楽苦手だけども。
仕切り直すように小さなため息を吐き出して、言葉を続ける。
「でも、だとしてもだろ。天音は自分でどうにかする手があった。んで、この子はなんか訳アリっぽかったんだろ? ならこれが正解だったんじゃねーかな。この子の安否も大事だけど、この子の事情もめちゃ大事。ソレが我々、十六班のモットーなわけですよ」
何処かに相談しても良い。誰かの手を借りたって良い。けどソレは、そんだけの人を巻き込んで大事にするってことだ。この子自身の意思を聞かずに、下手に大事にすんのは正直避けたい。
だから天音の判断は世間的に見たら間違いだったかもしれないけれど、俺たちにとっては正解だったと思う。見つけたのが俺じゃなく天音で良かった。俺が見つけたら今頃荒垣センセーと綺羅楽を巻き込んで、てんやわんやだ。
そんな俺の言葉話聞いて、ひとまず安心してくれたのか、天音はいつもの柔い笑みを浮かべてくれた。
「そうだね、見つけたのが澄人くんじゃなくて良かったかも」
「だから人の心読むなっつーの」
「何と無くわかるもん。澄人くんが考えてること。顔に出てる」
そんなにわかりやすいかな俺・・・・・・っつーか顔に出てるってなんだ。今後のために自分が話してる様子を録画して見た方が良いかもしれない。
とりあえず気まずいので話の路線を変えることにします。
「まま、ええわ。腹減ってんだろ? 飯食うべ。作るよ」
「お、やった。お願い。私はこの子の包帯変えたりするから、台所からこっち見ないでよ」
「へいへい」
◇◆◇
玉ねぎ、にんじん、生椎茸を切って。精肉屋のおっちゃんがひと口大に切り分けてくれた鶏もも肉を、油を敷いた鍋にぶち込み色づくまで炒める。
そんで少しの水と、切り分けた玉ねぎたち全部をぶち込んで、四〜五十分程鍋の中の様子を見つつ、適当な動画でも眺めて。玉ねぎの形が崩れてほぼほぼ水になったトコに、追加の水と三種類のカレールー。ガラムマサラとウスターソース。インスタントコーヒーを三振り程入れてかき混ぜたら、澄人くん特製『ほぼ無水カレー』の完成である。
にんじんは皮を剥かずに切ったりすんのかミソだ。・・・・・・それっぽいこと言いたかったけどあまり格好つかないな。料理系動画投稿者、あんま向いてないかも。
「あ、良い匂い・・・・・・今日はカレーなんだ。澄人くんのカレー、ヤケに拘ってて美味しいよね」
「おう。随分昔に動画で見てから、カレー作る時は大体コレだな。鍋を火にかけてからはほとんどやること無いから、他のことしたりボケーっとしたりできるんでオススメ」
「ああそう・・・・・・まあ私は作らないけど」
「なんでよ」
「配膳手伝うね。ご飯盛る」
何故か問いかけはガン無視である。理不尽。美味しいし簡単なのに。
若干凹む俺を他所に、天音は米を皿に盛って、「これくらい?」とか聞いてくる。いやありがとうだけども。
「そういやあの子の分どうするか。一応ひとり分多めに作ったけど」
「ああ・・・・・・あの子、澄人くんも肩貸したからわかると思うけど。恐ろしいほどヒョロヒョロだからさ。出来れば、ちゃんと食べさせてあげたい」
「おっけ。なら別の皿に盛り付けて、ラップかけて冷蔵庫かね」
一ノ瀬姉弟の依頼を受けるまで、電気が止まってまともに仕事出来てなかった冷蔵庫くん。最近じゃ仕事も増えて、イキイキしてるように見えて俺も嬉しい。心なしか、扉を開けた時に漂ってくる冷気も張り切っているように感じる。
なんてくだらないこと考えながら二人分のカレーを盛り、皿やら何やらを持ちながら応接室兼生活スペースへ。皿を机の上に置いたところで、ぐぅぅ・・・・・・とクソデカい腹の虫が部屋に響いた。
「・・・・・・私じゃ無いよ」
「まだ何も言ってねえよ」
まあ少しは疑ったし、否定のタイミングが遅けりゃ天音の方見るつもりではあったけど。
俺じゃなく、天音でもない。となれば、この部屋に残されたのはあとひとり。
自然と俺と天音の視線がソファに向く。そこに横たわるワンピースの子────今は天音の私服に着替えさせられてるから、ワンピースの子って表現は適切じゃないが。その子は何やらもぞ、と身じろぎをすると、
「・・・・・・ゴメン、今の僕。なんか目が覚めたと思ったら、やたら良い匂いが漂ってきて、その────」
顔を真っ赤に染めながら身体を起こすと。気まずそうに、顎下辺りで切り揃えられた黒い髪を弄った。
「よし起きたな」
「起きたね」
「えっ、え?」
「ひとり分追加」
「了解」
「えっ、えっ、ええ!?」
短いやり取りを交わす俺たちを見て戸惑う声を背中に受けて。手早く配膳を済ませてやる。飯食いながらでも聞かなきゃならんことがあるんだ。ダラダラ配膳なんてしてらんない。
ついでに、この子は何が好みか、とかよくわかんないから・・・・・・トッピング用にチーズとマヨネーズ、卵を机の上に置いて。ソファに座って落ち着かない様子の目の前に、俺と天音は隣り合って腰を下ろした。
で、だ。で、である。
「まずはおはよう」
「え、えぇ・・・・・・おはよう、ございます」
「まあ腹も減ってるだろうから、食いながらで良いんだけど。いくつか聞かせて欲しいことがあるんだわ。いただきます」
「いただきます」
俺より腹が減ってるであろう天音は、話の流れも何も気にせずカレーを口に運び始める。これは完全に『澄人くんに任せたから』のポーズだろう。まあ、この子をここまで連れてきてくれたのは天音だし、ここで事情聴取まで頼むのは流石に仕事頼みすぎだ。何の文句も無い。
とりあえず俺もカレーをひと口。放り込んだソレを咀嚼しながら、ポケットから端末を取り出す。
表示するのは祓魔師としてのライセンス的なもの。身分証、とか言えばわかりやすいか。
なんか色々難しい技術で作られてて、偽装もスクショでの横流しも難しいとかなんとか。その辺はよくわかんないけど。
「俺は葦屋 澄人。こっちは天野 天音。一応、この街の平和を守る祓魔師ってヤツだ」
「澄人くんはアレコレ壊してるから『守る』とは程遠いけどね」
「そこうるさい。最近は守る側の仕事っぽいことしてるでしょうが。園児の世話したり、園児と追いかけっこしたり。最近は釣り合いとってます」
「キルデスレートの話じゃ無いと思うけどなあ」
もう。すぐに話が横道に逸れる。茶々を入れるな茶々を。
「・・・・・・で、一応俺たちはキミのアレコレを聞いとかなきゃいけないワケなんだわ。何で路地裏に倒れてたのか、とか。名前とか。何かに追われてたっぽいから、ソレも」
天音との情報共有は既に済んでる。つっても今言った『何かに追われてるみたいな挙動だった』って話と、右の脇腹にあったのは銃創だったって話くらいだけども。
俺の言葉を受けたその子は、カレーを食べ進めることなく。スプーンすら手に取らず俯いたままで、少しの沈黙の後、ゆっくりと。躊躇いがちに口を開いた。
「名前、は。
わかったのは名前だけ。そう言い放つワンピースの子────改め、宮咲の視線は相変わらず俺たちに向いてくれなかった。
・・・・・・この、何もかも諦めたみたいな視線。最近どこかで見た気がする。ああ、まただ。また頭の中に浮かんだ違和感が霧散した。もう考えるのはやめにしよう。
「ん、そっか。わかった」
「そうだよね・・・・・・僕みたいな明らかに怪しいやつ・・・・・・うん?」
「まあ名前が聞けただけ前進だね、澄人くん。ずっと『あの子』とか『その子』呼びだったのも不便だったし。何より、罪悪感というか」
「待って?! 待って待って。待ってよ」
今日何度目かのこの感じ。俺と天音がさらっと受け入れて、流して。そこに宮咲が怒涛のツッコミを入れる。そーんなに何が気に入らないのか。はて。
思わず怪訝な目を向ける。多分俺の隣では天音も同じような目をしてるんだろう。確認しなくてもわかる。
「ふ、二人してそんな目で見ないでよ・・・・・・何、僕の方がおかしいの?」
ほらやっぱり。
「二人は祓魔師なんだよね?」
「そうだな」
「うん、そうだね」
「祓魔師は町の平和を守る存在。特に魔術とか妖術とか妖怪とか妖魔とか。そういった存在が絡むと仕事できる、と。文字通り〝祓う〟ひとたちでしょ?」
「ああ」
「うん」
「なら僕超絶怪しくない? 信用しちゃダメじゃない?! 名前は言えます。でも何しに来たのか、何してたのか、何であんな傷がつけられたのか言えませんって。キミら警戒するべきでしょ」
「いやあ?」
「別に」
「あ、あれえ?」
ちょっと揶揄うのが楽しくなってきた。けど宮咲のヤツも結構本気で戸惑ってるみたいだし、そろそろちゃんと対応してやらなくちゃいけない。一応な、一応。困らせっぱなしも悪く無いけど。
「俺たち以外の祓魔師だったら魔術なり何なり使って、無理矢理にでも吐かせてたかもしんない。正直な話な。今の宮咲は被害者かもしんないし、この町に被害を及ぼす可能性がある加害者・・・・・・容疑者? かもしんない。そんな状態だから」
「なら────」
「けど俺たちは違う。言いたく無いことあんなら言わなくて良い。俺たちのことを信用して、話しても良いってなるまでは無理には聞かない」
飯作る前に天音にも言ったことだ。
「だって僕半妖だよ?」
「半妖だからこそ、だろ。みんな大体生まれが複雑。ロクな扱い受けて来なかったのは悲しいけど事実だ。言いたく無いことのひとつや二つ・・・・・・三つや四つくらい、あんべ。俺だってそう。それに俺たちも二人とも半妖だしな」
ソレを無理矢理掘り起こすことはしたくない。だってそれは、無理やり傷をほじくり返して痛みを与えるのと同じ様なことだ。
とか折角格好つけたのに、天音の冷たい視線が俺の横顔に突き刺さる。
「え、なに。なんすか天音さん」
「三つや四つ、ねえ。澄人くん、私に対して隠し事っていうか・・・・・・言ってないこと、結構多いよね」
おっと急に刃先を向けてきた。視界のギリギリでスゲー怖い顔してる天音さんが見える。怖い。怖い。
いやまあ、いやまあね? 確かに天音にも言ってないことはいくつか、まあ。ある。何で祓魔師になろうと思ったのか、とか。どうしてここまで他の祓魔師に比べて、人妖双方の平和とか共生に拘るのか。今まで俺が、どんな扱いを受けてきたか・・・・・・とか。
「・・・・・・私は結構赤裸々に話したのに」
「あ、あれは状況が状況だったろ」
「不公平だよなあ・・・・・・ま、こんな感じだからさ、白雪さん。気にしなくていいよ?」
その通りではあるんだけども。そういう風に使われるとは思っていなかったから、心底不服である。
何と無く場の流れが良くない。居心地の悪さを感じる。これが女性陣のパワーか・・・・・・。今までは天音ひとりだったから何とか対抗できたけど、今はちょっと部が悪い。いやなんかちょっと違う気がするな。何言ってんだ俺。
「いやもう良いから・・・・・・ほら、宮咲。カレー食いなよカレー」
家族内でアレコレ言われたお父さんとか、こんな気持ちなんだろうか。
俺の言葉を受けて、宮咲の視線がカレーに向く。わかりやすく生唾を飲み下して、スプーンを手に取って。それから何やら躊躇った様子で俺の顔を見た。
「毒とか自白剤とか盛っちゃいねーよ」
「ああいや違くて。本当に、本当に僕が食べて良いの?」
「・・・・・・? 何言ってんだよ。俺は天音とおまえの為に作ったの。むしろ食ってくれなきゃ泣くぞ、加減なく。なんなら床に手足を投げ出して暴れ狂ってやる」
「そ、それは困る困る!! わかった、わかったよ。食べるから・・・・・・!!」
その脅し方はどうなの、とか言いたげな天音の視線は一旦無視。だってなんか過度に遠慮してたし。そこそこの歳まで育った男が恥も外聞も捨てて無様に泣き叫ぶ姿なんて誰も見たくないだろうし、一番効果的だろ。
見られたままは流石に気まずいか、なんて。俺もとりあえず、目の前のカレーを食べ進めることに専念する。俺が三口くらい食べ進めたところで、目の前から皿とスプーンが軽く擦れる音がした。
「どう、宮咲。美味────」
思わず言葉に詰まる。視線を上げたその先で、宮咲が見せた反応は、俺の想像とはかけ離れていた。
口に目一杯カレーを頬張りながら、涙をポロポロと流して。なんなら嗚咽混じりに咀嚼をして、それでも手を止めない。
「み、宮咲!? 悪い、口に合わなかったか・・・・・・? 辛かった?」
「違う、違くて・・・・・・美味しいよ。すっごい美味しい。泣くつもりなんて無かったんだけどな」
美味しい、美味しいと頻りに呟いているのが聞こえる。あっという間に皿の半分を平らげ、喉に軽く詰まらせると、天音の手から水の入ったコップを受け取り、一気に飲み干して、
「久々なんだ、温かいご飯食べるの。何年振りだろう・・・・・・こうやって誰かと机を囲んで、ご飯を食べるのも、久々で」
「・・・・・・そっか」
「美味しくて────嬉し、くて」
天音から変わって宮咲に肩を貸した時、あまりの軽さに驚いた。きっとロクな飯を食ってこなかったんだろうと、何と無く解っちゃいたけど。
宮咲の口から溢れる言葉の数々は俺の予想を超えていて。あまり上手いことを言えない。
俺があの時────潡兵衛さんにラーメンを初めて作ってもらった時。あの人もこんな気持ちだったんだろうか。
「だからゴメン、不味いわけじゃないよ。とっても、とっても美味しい。こんな美味しいモノ初めて食べたってくらい」
「大袈裟だよ。流石に褒めすぎ」
「んーん、本当にそれくらい。それくらい美味しくて、温かい」
流石に照れ臭くて、思わず天音の方を見る。泣きそうな顔で、俺の脇腹を肘で小突いてきた。とりあえず好意は受け取っとけ、みたいな意味だろう。仕方ないな。
「おかわりいるか?」
「いるぅ〜!」
本当は弁当箱にでも詰めてって、明日の昼にでも食うつもりだったけど。もみじ園の電子レンジ使わせてもらえるし・・・・・・まあ、こんな喜んで貰っちゃ出さないわけにもいかない。
ここに来て初めて見た宮咲の笑顔。視線もしっかり、俺と天音にまっすぐ向いて。
そこで初めて、宮咲の瞳が綺麗な空色だってことに気づいたのだった。
◇◆◇
周りは暗闇。許されたスペースは酷く狭く、俺の身体は『早く広いところに出たい!』と騒いで仕方なかった。
あちこちが固まって痛い。いやしかしそんなこと言ったって仕方ないだろマイボディ。俺今外に出れないんだからさ。
宮咲を預かることになる。それ即ち、男の俺の肩身がべらぼうに狭くなることを意味する。
天音は事務所内に自分が寝る用の部屋を確保していて────まあ俺が『その部屋使って良いよ』とか言ったんだけど────、それに比べ、俺の寝床といえば応接間兼、生活スペースの特等席。ボロいが愛着のあるソファになる。
天音はいつもの場所で。でもって、宮咲は何処で寝る? って話になれば。当然宮咲にはソファを譲ることになる。自然の摂理だ。そして俺はじゃあ何処で?
そう。収納スペースの中である。クローゼット? 押入れ? この際名前はなんでも良い。硬い床の上で、ファラオの棺レベルのスペースで寝なくちゃならなかった。身体が固まって仕方ない。
でもって、
「えー、僕はこっちの方が好みだな」
「そっちなんだ・・・・・・なるほどね」
何故か今、扉一枚隔てた先では女子二人がお着替えファッションショーを繰り広げている。何故。天音の部屋でやってくれ。今じゃすっかり蚊帳の外である。いや状況的に俺は今、蚊帳の中に居るようなモンだけど。誰がうめぇこと言えっつったよ。
・・・・・・なんだ、当てつけか? 俺なんかしたかな。いくら考えても心当たりが無いし、そろそろ体勢がしんどいので。真横の扉をコンコン、と軽くノックした。
「あの。俺そろそろ出たいんだけど」
「あ、澄人くん起きてたんだ。まだ寝てるものかと」
「ごめんね葦屋。今服着るから待って〜!」
まだ寝てると思われてるだけだった。もっと前もって起きてますアピールしておけば良かったわ。
ゴソゴソと慌ただしい音が聞こえてくること数十秒。ケツの痛みに耐えきれなくなってきたところで、外の光が差し込んできた。
「・・・・・・私今、この町で一番ハワード・カーターさんの気持ちを味わってるかも」
「誰がツタンカーメンだよ」
光が眩しい。俺も今この町で一番ツタンカーメンの気持ちを味わってるかもしんない。
痛む体をなんとか
「おはよう、澄人くん」
「おはよう、葦屋」
「おはよう二人とも」
久々のシャバの空気は最高でした。あそこは埃っぽくて仕方なかった。
そんなほんの少しゲンナリした俺の様子を見てか、宮咲が俺の顔を覗き込んでくる。
「ごめんね、あんな狭いところで寝かせて。別にこっちの床で寝ても良かったのに」
「馬鹿言え。流石に同い年くらいの女の子と二人で密室は俺が気まずいよ。扉一枚でも隔てておきてーわ」
「・・・・・・? 何か不都合でもあるの? 僕は構わないのに」
「不都合しかねえよ」
心底疑問みたいな顔をすんなマジで。天音の視線が痛いから。今どんな表情してんのか見なくてもわかる。
・・・・・・とりあえず居心地悪くて仕方ないので話の路線を変えます。宮咲が家に来てからこの流れ何回目だ。
視線は、自然と宮咲の服装へ。オーバーサイズの白い無地のTシャツに、黒いミニスカートと、黒いスパッツ。どれもいつだったか天音が着ていた記憶がぼんやりとある服装だ。けど、その中に見覚えの無いアイテムがひとつ。
「あれ? 天音、そんな帽子持ってたっけ」
平たいツバの黒い帽子。れんげの部分にでかでかと『A』と刺繍がされている。こんな帽子、被ってるの見たこと無かった気がするけど。
「ああ、それ? それね、だいぶ前に綺羅楽ちゃんに作ってもらったの」
「綺羅楽に?」
「そ。昔、澄人くんが抜いた私のツノがあったでしょう? アレを・・・・・・なんか上手いことアレコレして作ったものでさ」
天音ですら『アレコレ』と誤魔化した表現をするんだから、俺が聞いたところで何も理解はできないんだろう。そういう技術的な面のことはサッパリだ。やっぱり俺は力任せに相手をぶん殴るのが一番向いてる。戦闘中に何かと考えるのは疲れるし。
まじまじと件の帽子を見つめる俺を横目に、天音は続けて口を開く。
「私の妖怪としての象徴を素材に作った帽子だから・・・・・・被せた相手に、『反転』を及ぼす時に何かとやりやすくなるとかなんとか」
「アイツそんなこともできたのか」
「まあ『あたしも専門家じゃ無いからねー。ちゃんとしたところに頼めばもっとすごいよ〜』とか言ってたけども」
言いながら、天音は帽子のツバに指先を触れさせた。
額から首、肩、腕を通って指先に。緩やかな動きで、淡く発光した妖力が伝っていくのが見える。これも俺には難しい芸当だ。俺が同じことをやろうとすれば、血液から練り上げた妖力をそこかしこにぶちまけながら、倍近くの時間をかけてようやく帽子に到達するくらい。
儀式じみたソレが終わる。満足気に天音は吐息を漏らすけど、俺には何も変化が見られなかった。
「えっ、と。とりあえず・・・・・・白雪さんの存在を、程々に隠蔽する方向で『反転』を施しました」
「僕を、程々に?」
「そ。白雪さんは面が良いから────」
「え、僕って美人なの?」
「・・・・・・話の腰を折らないで。美人だとは思うよ、私から見ても」
それ、普段割とおまえが俺にやってることだぞ。と、思えど口には出さない俺なのでした。黙って言葉の続きを待つ。
「空色の瞳と、整った顔立ちは嫌でも目立つ。だから、初見が感じる『好印象』を『程々に印象に残らない』レベルまで反転させて・・・・・・あとはキミの妖力、凄まじく濃くて目立つから。多分白雪さんに混じってる血、人妖戦争時の資料を漁れば名前が出てくるレベルで有名でしょ」
「・・・・・・、・・・・・・・・・・・・」
「まあだから、目立ち度合い・・・・・・濃さ? 出力? を産まれたての妖怪と同レベルまで反転させておいた。多分、初見じゃ白雪さんだって気付けないと思う。これらを施す前に視認して、認知してた私たちには無関係だけど。その帽子を外で外さない限り、白雪さんを追いかけているであろう誰かには気づかれない・・・・・・と思うし、他のヒト達にも強く印象に残ることもないと思う」
つらつらと何でもないことのように並べ立てやがったが、正直開いた口が塞がらない。前々から凄まじいヤツだとわかっちゃ居たが、ソレにしたってやってることが割と異次元だ。
「天音おまえ・・・・・・すごいな」
「褒め言葉は有り難く素直に受け取っておくけど、その帽子を被せてるからこそだよ。それ被ってる相手は、妖術の概念上私の身体の一部と判定されてるみたいで。帽子を被ってなければ、何かと制約に引っかかってここまで出来ない。・・・・・・まあ。疲れることには変わりないけど、もう隠蔽とか認識阻害かけながら歩くの嫌だもん・・・・・・」
昨日のアレがだいぶキているらしい。そう嘆く天音の顔は疲れ切っていた。俺にはその苦労を想像することくらいしかできないけれど。
改めて、俺と天音の視線が宮咲に向く。ぽかん、と俺と同じように大きく口を開いていた宮咲は唖然とした様子で、
「そんな凄いことができる天音ちゃんって、いったい何との半妖────」
言いかけた言葉を、飲み込んだ。
「・・・・・・いや、何でもない。ごめん、忘れて」
思わず押し黙る。何となく、宮咲の心情は俺にも理解ができた。
自分の正体は話せない。自分が何をしていたのか話せない。だというのに、相手の深い所に踏み込もうとするのは如何なモノか────とか。その辺だろう。
気まずい空気が部屋に流れる。そんな空気を小さなため息混じりに破ったのは天音だった。
「その帽子をかぶってる間は妖術使ったり、無闇に外したりしないでね。多分『反転』が解けちゃうから。あと洋服のサイズはどうかな、何処か苦しかったりしない?」
「え? あ、ああ・・・・・・ふふ。胸元が少し苦しいけど、概ねだいじょ、」
「おいコラ。調子乗んな」
「冗談だって、冗談!! こんな僕のヒョロヒョロな身体で、天音ちゃんより胸があるわけないでしょ!?」
女って怖い。特に目が怖い。
「・・・・・・まあ確かに、白雪さんはちょっと────いやだいぶ心配になるレベルで細いからね」
「まあだいじょーぶだよ、生きてるし。というか天音ちゃん、その『白雪さん』って他人行儀なのやめない? 僕たちもう友達でしょ」
「・・・・・・、・・・・・・白雪ちゃん」
「そこは呼び捨てで」
「白雪ちゃん」
「呼び捨てまではいけなかったかあ。ま、距離は縮んだし良しとしましょー!」
あと距離の縮め方も怖い。というか、それで言ったら宮咲は俺のこと、苗字の呼び捨てとかいう微妙な距離感ってことになるけど。俺は友達じゃないんだろうか。友達じゃ無いんだろうな。
そんな疎外感と蚊帳の外感を背中に、俺はちまちまと準備を進めていく。
今日とてもみじ園からの依頼を受けてるんだ。そろそろ出ないといけない。俺だってあそこに行けば園児からモテモテだもんね。
◇◆◇
もみじ園について即、予想はしていたけれど白雪ちゃんは園児たちに囲まれた。大人気である。それを遠目に死んだ目で眺めてる澄人くんの気持ちはイマイチわからなかったけれど。
三十分ほどが経過した今も、澄人くんはイジけた様子で地面に『の』の字を書いている。全く何してるんだか。
「なるほど、そんなことが・・・・・・」
なんて光景を昨日と同じベンチで眺めている私と恵さん。何と無く白雪ちゃんのあれこれを隠しているのは気が引けたので、昨日の出来事を共有して────納得したように頷きながらのひと言である。
と言っても全部を正直に話したわけではない。白雪ちゃん自身の意思を聞かずに、何かに追われているようだった・・・・・・とか伝えるのはもっと気が引けたし。何やら訳アリそうで、理由や事情は話せなくて。路地裏で倒れてた、程度の。
「で、天音ちゃん。例のアレは、澄人くんに伝えられた?」
「あー・・・・・・」
例のあれ、というのは昨日のやりとりの一幕だろう。
澄人くんはいつか、私の目の前で誰かの為に簡単に命を投げ出してしまいそうで怖い。そうなるのは嫌だ。だから、私の為に生きていて欲しい────というアレ。
「・・・・・・完全にタイミング、逃しました」
「だよねえ。無理もないか」
恵さんと克己さんの一件が済んだと思ったら、今度は白雪ちゃん。一難去ってまた一難、というヤツである。
正直、私は────いや、きっと澄人くんも。このまま何も起こらずに終わるとは思っていない。多分だけど、この町で何かが起ころうとしている。
この町は問題に事欠かない。人と妖怪、その間を隔てる分厚い壁があるのはソレはそうだけど、他にも人妖特区そのものをよく思っていない外部の連中だっている。
人と妖怪が上手く暮らせるわけなんてない。きっと新しい戦争の火種になる。
それを真っ向から否定しきれない私がいるのもまた悔しいけれど。目の前では白雪ちゃん────半妖も、妖怪の子も、人間の子も。みんな仲良く遊んでいるというのに。
目の前の子供たちが簡単にしていることを、できない大人が今の世の中あまりにも多すぎる。
まあ、それを未然に防いだり何なりするのが私の仕事なわけなんですけども。
自然と私たちの間に沈黙が流れる。ぱ、と顔を上げれば、白雪ちゃんと澄人くんがこっちを見てるのが見えた。
「ね、天音ちゃーん!! 鬼ごっこしよ〜!!」
ああ、おままごとは白雪ちゃんにはむいてなかったらしい。澄人くんタイプだったか・・・・・・まあそうだよね。泥団子が大量に入ったコップを見下ろしながら『これがコーンスープ・・・・・・?』と戸惑っていたし。
仕方ない、付き合ってやるか。澄人くんも嬉しそうだ。
よっこいしょ、なんて間の抜けた声と共に立ち上がった私に、与えられる遠慮なんて一切なくて。体力バカ二人と、無限に体力が湧き出る園児達に振り回される形で、園庭を走り回る。
心底しんどかったし、暑くて暑くて仕方なかったけれど。色々モヤモヤと考え込んでいた私の頭は、幾らかスッキリしてくれた。
・・・・・・けど欲を言うのなら。もう少し、加減はして欲しかったです。切実に。
◇◆◇
数週間前。一ノ瀬 克己の犯行を抑えていた防犯カメラに、園を覗き込む不審な人物が映り込んでいた。
園庭を走り回る三人の半妖と園児達。それをただただ見つめる、喪服に身を包んだ男。身じろぎを取ることすらなく、ただ、ただ。まっすぐに。
何かが違うと判断したのか。目的の人物ではないと判断したのか。男は、その身を翻そうとして、
「────、────」
瞬間。園庭で黒い帽子が舞う。強風に乗せられ飛んでいったソレを少女は急いで拾い上げ、被り直して。すぐに園児達の輪に戻って行ったが、ソレでは手遅れだった。
「見つけました。アイツです」
その場には男以外に誰もいない。けれど、独り言では無いような。
「わかりました。では、そうします」
ここには居ない誰かとの会話を終えた男は、物陰に隠れて息を殺す。
獲物を発見した、獣のように────。
◇◆◇
疲れた。本当に疲れた。
つい昨日、いつも以上に妖術を使って体に疲労が蓄積されていた、というのもあるかもしれないけれど。今日の園児達は凄まじかった。多分白雪ちゃんが来たって言うのも大きいんだろう。事実園児達からは大人気だったし。その度に澄人くんはむくれていたけれど。
夕飯の買い物を終えて、白雪ちゃんと事務所に帰ってきて。洗い物をしながら、疲労を訴えてくる体を目一杯に伸ばす。
澄人くんは私たちとは別行動。白雪ちゃん用の布団を買いに行く、と言って途中で別れたのだ。
・・・・・・まあ、今まで事務所に誰かを泊まり込みで呼ぶことなんて無かったし。そもそも友達、少な・・・・・・居ないし。唯一澄人くん以外に友人と呼べるのは綺羅楽ちゃんくらいのモノで、彼女はいつも忙しそうだし事務所に呼ぶ機会なんてほぼほぼ皆無に近かったし。来客者用の布団なんて、買う気にすらならなかった。
極め付けは白雪ちゃんの『パジャマパーティーしようよ!』なんて満面の笑みを浮かべての楽しそうな言葉を聞いてしまえば・・・・・・まあ購入しない手はない。澄人くんもクローゼットで寝るのは辛そうだったしね。
「天音ちゃん、今日の夕飯は何?」
「麻婆豆腐と中華風スープ。挽肉が安かったから」
「麻婆豆腐。初めて食べるかも」
「うそ」
「ホント」
なんて会話を交わす白雪ちゃんはずっと楽しそうだった。平穏な日常生活の中、些細な出来事にすら目を輝かせて。全て初めて見たような反応をするモノだから、可愛らしくて仕方ない。
「明日も、もみじ園?」
「ううん。明日はお休みだよ。澄人くんは何するか知らないけど・・・・・・今日もらった分の報酬で、二人で白雪ちゃんの洋服を何着か買いに行こっか」
「・・・・・・いいの?」
「良いの、も何も。白雪ちゃんの服がないのは困るでしょう? 下着とかもさ」
それに。今回私たち二人分だけではなく、白雪ちゃんの分まで報酬をくれたのだから。白雪ちゃんのために使わないとダメな気がするし。いつまでも私の着せ替え人形ってわけにもいかないだろう。
なんて含みがあると知ってか知らずか、白雪ちゃんはその特徴的な空色の瞳を丸くして。数秒の沈黙の後で、
「そっ、か。じゃあこの天音ちゃんのお洋服ともお別れかあ〜。結構気に入ってたんだけどなあ」
「あ、そうなの? じゃあ良いよ。その洋服、あげる」
「へ?」
また沈黙。今僕は驚いてます、なんて目一杯に表現したような表情で私を見つめるモノだから、洗い物の手を止めて吹き出してしまった。
「何でそんな驚くの・・・・・・まあ私、その服たちはあまり着てないし。白雪ちゃんが大事に着てくれるならあげるよ。帽子も────あと何回効果が発揮されるかわからないけど、白雪ちゃんにあげる」
「へ、へへへ。え、ありがと。貰って嬉しいプレゼントは初めて・・・・・・じゃ、ないけど。友達からもらうプレゼントは初めてかも」
「そ? じゃあ白雪ちゃんの初めて、貰っちゃったね」
「???」
「・・・・・・ごめん。何でもない」
ああもう、調子狂う。白雪ちゃんは本当になんか・・・・・・心の底から純粋だから。今頃澄人くんが居れば『態とらしく変な言い方すんな』とかツッコミを入れてくれていた頃だろうに。早く帰ってきてほしい。彼の存在がここまで恋しくなることなんてなかなか無いだろう。
閑話休題。これ以上恥の上塗りはしないように努めよう。
「何か手伝おっか」
自然と沈黙の時間が続き、いつの間にか私の隣に立っていた白雪ちゃんが私の手元を眺めながら問いを投げてきた。そして、
「あー、じゃあ洗い終わった食器をタオルで────、」
私の応えを遮るように。ぴんぽーん、と。インターフォンの電子音が部屋に響いた。
「・・・・・・拭いて貰おうかと思った、んだけど。ごめん白雪ちゃん、私の代わりに対応してもらって良い? 多分澄人くんだと思うんだ。布団で両手塞がってて扉開けられない、とかさ」
「は〜い」
いや、澄人くんにしては早いか? 布団を買って帰ってくる・・・・・・となると中央区でも端の方の、家具屋まで行かないと買えない気がしたけど。お腹が減って急いで帰ってきたのかな。
食器を洗い進めて、棚から鍋を取り出す。鍋に適量のお湯を張り、塩を四つまみ程入れ、大きめに切り分けた豆腐をその中に入れていく。塩水で豆腐を茹でておくと、挽肉たちと混ぜ合わせたときに崩れづらくなってくれるのだ。これは商店街の中華料理店の店主に教わったテクニックである。
鍋に火をかけようとコンロのスイッチに手をかけたところで、
「・・・・・・? 白雪ちゃん遅いな」
思わず声に出る。澄人くんが帰ってきたにしては静かだし、あの子のことだから依頼主なら私のところにすぐ帰って来てくれるだろうに。
「白雪ちゃーん?」
大きな声で名前を呼んでも反応は無い。
────違和感。いや、焦燥感、だろうか。胸を焦がすようなその感覚が、自然と私の足を玄関へ向かわせた。
「白雪ちゃん!!」
声を荒げ、足を回す。自然と早足に。台所から飛び出し、私が覗き込んだ
白雪ちゃんの、姿は無かった。
◇◆◇
よく走った。よく転んだ。いやあ、べらぼうに疲れた。良い運動になる、という思いはあれど、今日の園児達は一段と凄かった。
宮咲っていう新しいメンツが加わって、はしゃいでいたってのもあるのかもしれない。いつもの倍以上は走らされた感がある。せっまいスペースで眠らされた俺の体には少し・・・・・・いやだいぶキツかった。見栄を張らずに言えば。
そんなこんなで、俺の眠りを健康的なソレにするために、宮咲用────というより来客者用────の布団を買うべく、中央区の商店街を歩いていく。
布団を買うため、というのもあるけれど。俺の中にずっと引っかかってる違和感。その正体が、なんとなくわかるんじゃないかって。そのために医療施設がある北区までわざわざ歩いてって、同じ道を辿ってここまで戻って来た。
昨日は確か、綺羅楽の定期検診を終えて、それから・・・・・・それから。商店街を通って。通って・・・・・・?
「ダメだ、思い出せん」
商店街に入ってから、事務所に着くまでの記憶がすっぽり抜け落ちているような感覚。記憶の道筋を辿ってみれば、気づいたら事務所の中で炭酸飲料を片手に立っている。
商店街を通れば色んな面々と軽く会話くらいは交わしてるはずだ。でもって、何より。絶対克己さんの様子は見に行くだろうし、その記憶すらないのは絶対におかしい。
先送りにしてきた違和感の塊と向き合う。モヤに包まれたソレは、俺に輪郭すら見せてくれなかった。
「気持ち悪ぃ・・・・・・」
言葉が口をついて出た。感情がそのまま、なんのフィルターも通されずに言葉としてまろび出るような感覚。俺の内心はずっと、その違和感に向き合うことを拒否している。
思い出せない記憶へひたすらメスを入れ続ける。吐き気を伴いながらのその行為は、自傷じみていた。
「おい、澄人。大丈夫か?」
道端で額を抑える俺に、声をかける奴がいた。
視線を上げれば、頭に巻いたタオルを解きながら、俺の顔を覗き込むヤツが見える。
「克己さん────」
「たまたま見かけて声かけたらオマエ・・・・・・なんか、大丈夫か? 顔色悪いぞ」
永遠湧き上がってくる吐き気が顔色に現れて居たらしい。なんとも無しに触れた俺の頰は、自分のモノではないくらいに冷たくなっていた。思わず苦笑が漏れる。
「いや、大丈夫だよ。アンタに心配されるほどじゃねー。克己さんは克己さんの心配しとけよ。まだ慣れてないだろ、極潰死の仕事」
「馬鹿言え。こうして出前頼まれるくらいにはなったよ。お得意先の妖怪のヒトたちに顔も覚えてもらい始めたんだ」
「────そっか」
違和感で気持ち悪かった心に温かい何かが差し込んでくる。
正直、それもそれで不安だったんだ。妖怪のことを憎くて仕方ない克己さんを、妖怪だらけの環境に突っ込む。そりゃあ一歩間違えば大惨事になるのは、馬鹿な俺でも考えなくとも解ることだったし。
けれど、
「まあ澄人がそんな顔になるのも仕方ねーよな」
次いで、克己さんが放つ言葉に。
「オマエも大変そうだしよ。ほら、問題起こしたオレが言うのもアレだけどさ」
胸の中の、違和感が、
「事件解決したらまた怪しいヤツが町に、ってのはよ。昨日のアレは、オレも正直ゾッとした」
掘り起こされた。
頭の中に警鐘が鳴り響く。喧しいくらいに、頭痛という形で。
「────待て、克己さん。今、今なんつった?」
「お、おい澄人大丈夫かよ。マジで酷い顔・・・・・・」
「良い。俺のことは良いから。今、なんつった」
胸ぐらを掴んでしまいそうな勢いで詰め寄る。俺を見つめる克己さんの瞳は小さく揺らいで。その後で、躊躇いがちに口を開いた。
「いや、ほら。丁度オマエのトコの事務所と、
「────、────」
「なんか
「・・・・・・忘れてた」
失われた記憶。すっぽり抜け落ちた記憶。ソレを覆っていたモヤが晴れていく。
忘れてた。忘れてた、忘れてた!! なんで、なんで俺はこんな大事なことを失念してた────?
『後者。中央区の商店街・・・・・・路地裏で倒れてたの』
顕になった記憶が、
『そうなんだよ、ペット。普段はこうして鎖で繋いでいるんだけどね。どうにも遊ばせている間に、コレクションのウチの一匹が逃げてしまったらしい』
最悪の形で、繋がっていく音がする。気配がする。
過度な栄養失調。ペットという発言。鎖。何かに追われている様子だったという天音の証言。
合致してしまう。一致してしまう。全て、全てが。
何かを企てていたような怪しい男。誰かひとり逃げてしまった
「────くそ、」
克己さんの焦るような言葉を背に受けながら駆け出す。足を向ける先は俺たちの事務所。足を回しながらも端末は取り出して、天音の連絡先をひたすらコールした。
ただの杞憂に終わらせたい。鬼電にキレながら天音が出て、宮咲は一緒に夕飯を作っている・・・・・・だとか平和なオチが一番良いんだ。
けど。誤魔化しきれないほどの嫌な予感が胸の中にある。
そして俺のこの手の嫌な予感は、大体当たるんだ。天音が暴走したあの日もそうだった。
コール音が途切れる。スピーカーの向こう側から聞こえて来たのは、天音の荒い呼吸音。
『ど、どうしよう澄人くん────』
当たってほしくなかった、最悪の想像。
『白雪ちゃん、居なくなっちゃった・・・・・・』
それが、相棒の声という形で襲って来た。
息も絶え絶え。珍しく焦った、泣きそうな声で天音が言葉を並べ立てる。
洗い物の途中だったから来客者に対応できなかった。随分と遅かったから、様子を見に行ったら・・・・・・そこに、宮咲の姿はなかった、と。
『商店街周辺を探し回ったけど何処にも居ない・・・・・・! あの時、あの時私が行けばこんなことには・・・・・・そもそも外に出すべきじゃなかった。あんなに怯えて、何かに追われてる様子だったんだから事務所で様子を見て』
「落ち着け、天音」
落ち着きがない言葉を思わず遮る。これ以上天音を喋らせても、暗い方向に思考が持っていかれるだけだ。
・・・・・・確かに宮咲の感じから、何も言わずに俺たちの元を離れるとは思えない。これ以上世話になるわけにはいかないから────だとか。何かしらの言葉は残していくだろう。そこまで礼儀知らずなやつには見えなかった。
だから多分、今回アイツが消えたのは、自分の意思じゃ無い。・・・・・・と、思いたい。
「天音はそのまま事務所に戻って待ってろ。案外ひょっこり戻ってくるかもしんないしさ」
『で、でも────』
「慌てた状態で探しても見つかんないだろ。とりあえず天音は一旦戻って、落ち着け。良いな!」
通話を終了して、ひと息。大きく息を吸って────吐く。ここで俺まで取り乱したらダメだ。どっちかが冷静じゃないといけない。
普段天音にこの役割をやらせてんだ。だから今回は、俺が。俺が冷静に物事を考えろ。
「つってもなあ・・・・・・」
昨日会った、あの怪しげな男。アイツの目的が解らない以上、居場所を探し出す手がかりはない。未だに顔は思い出せないからアイツを探すにも方法は無いし・・・・・・あん時、宮咲を探していたことくらいしかわかんないし。ああくそ、あそこでキレずにもっと会話しておくべきだったか────?
ぐるぐる回る俺の思考。それを、
「うわ、何。寒────」
突如襲う猛烈な冷気と。妖力の気配が、遮った。
待て、冷気? 寒い。鳥肌が総立ちするレベルの寒さが、冷気が。辺り一面に駆け抜けていった。
視線が、自然とあたりを見回す。俺の視界に入ったのは────、
「おい、おいおい。次々何かと起こるのはやめてくれよ・・・・・・!!」
視線の遥か先。花楓町、東区域を見下ろす御神木。
町に混乱が伝播する。サイレンが鳴り響く。戸惑い、ざわめきが満ちる道路で佇むしかなくて。
俺の掌に握られた端末が、もう一度小さく震えた。