『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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9 古瀧凪の存在証明

 翌日、病院へ向かう足取りは、異様に重かった。

 昨日の夏祭りの熱気は、もう街のどこにも残っていない。露店の並んでいた通りには、片付けの終わった屋台の跡だけが残り、アスファルトにはところどころ油染みのような黒い汚れが広がっていた。

 空は高い。雲一つない青空だった。

 なのに、胸の奥だけが妙に曇っている。

 信号待ちで立ち止まる。車が横を流れていく音。遠くで鳴る救急車のサイレン。誰かの笑い声。全部、現実だった。

 昨日までいたライブ会場とは違う。自分たちがあの場所にいた時間はほんの少しだったはずなのに、あの輝きが脳裏から離れない。命を燃やすみたいな熱も、歓声も、眩しい照明もない。あるのは、静かな日常だけだ。

 

(……もう、進んでいるんだよな)

 

 脳裏に浮かぶ。

 RAD WEEKEND——RADder最後のライブ。巨大なステージ。世界を揺らす歓声。その中心で、笑っていた人。

 古瀧凪(こたきなぎ)。

 あの笑顔の裏で、身体はもう限界を迎えていたはずだ。それを知ってしまっている。知っていて、何もしないなんて、たぶん俺には無理だ。

 

 病院へ着く。この街で一番大きい総合病院。もしここにいなかったら、他の病院を片っ端から当たっていくしかない。もう残された時間はないのだから。

 ガラス張りの自動ドア。白い外壁。エントランスを行き交う人たち。受付の近くには、小さな売店もあった。花束を抱えた女性。疲れた顔のサラリーマン。泣きそうな顔をした子ども。いろんな感情が、静かに混ざっている場所。

 消毒液の匂いが鼻を掠める。前の世界で見た病院と、何も変わらない。白くて、静かで、外の世界とはまた違った別世界のようだ。

 

「……さて」

 

 とりあえず情報収集だ。

 正面受付に行こうとした、その時だった。エントランスの奥から、数人組が歩いてくる。自然と目が向く。

 

(……あ)

 

 一瞬でわかった。派手な服装。隠す気のないオーラ。音楽をやっている人間特有の"熱"みたいなものがあった。

 その中の一人を見て、確信する。少し長い髪。少し気だるげな目元。

 間違いない。RADderのメンバーだ。凪さんのお兄さんだろう。

 昨日、ステージに立っていた人たち。その姿を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

 

(凪さんのところだよな)

 

 考えるより先に、足が動いていた。少し距離を空けながら後ろを歩く。エレベーターへ向かう。メンバーたちは迷いなく最上階のボタンを押した。

 静かに閉まる扉。上昇する感覚。誰も喋らない。機械音だけが響いていた。

 最上階。扉が開く。空気が変わる。下の階より、さらに静かだった。個室が並ぶ廊下。磨かれた床。壁際に置かれた観葉植物。窓から差し込む昼の光が、白い床に反射している。

 まるで時間だけが遅くなったみたいだった。メンバーたちは、迷いなく一つの病室へ向かう。その扉の前で足を止めて、みんな表情を作る。

 遠目から扉が閉まるのを見届けてから、少し離れた待合スペースへ腰を下ろした。みんな知っているのだ。凪さんの体が限界を迎えていることを。そんな光景を目にしてしまい、目頭が熱くなる。

 ソファは硬い。冷房が少し強かった。膝の上で指を組む。

 時間が、やけに長い。壁掛け時計の秒針だけが、静かに進んでいく。看護師が通り過ぎる。点滴を押す音。遠くの病室から聞こえるテレビ。病院特有の生活音が、ぼんやり耳に入ってくる。

 その間も、頭の中には昨日のライブが残っていた。最後の曲。照明。歓声。

 そして

 

 ——倒れる直前まで笑っていた、凪の顔。

 

「……」

 

 無意識に、拳を握る。

 どれくらい待っただろう。時計を確認すると、一時間近く経っていた。

 病室の扉が開いた。RADderのメンバーたちが出てくる。温かい視線を病室の中の人に向けている。

 

「また来る」

「ちゃんと休めよ」

 

 短いやり取り。ドアが閉まると、拳を握り締めたり、堪らず悲しみの表情をする者もいた。その想いはきっと伝わっているんだろうな。

 廊下に、静けさだけが残った。

 少し待つ。呼吸を整える。……行くしかない。

 立ち上がる。だが、もう一度腰を下ろすことになった。エレベーターの到着の音とともに、また凪さん目当てだろう面会者が来たからだ。その後も途切れることがなかった。刻一刻と時間は過ぎていくが、俺はその波が途切れるのを待つ。残された時間で、凪さんとの面会を邪魔したくなかった。気づけば、もう夕方に近い。こんなに長時間何かを待ったこともなかったが、苦痛だとは思わなかった。

 ようやく波が途切れた。たくさんの来室者で疲れているだろうが、残った時間は少ない。今日、会いたいのだ。

 病室の前まで歩いていく。近づくほど、心臓がうるさくなった。

 ノックする。一拍遅れて、声が返ってくる。

 

「はーい」

 

 思ったよりも柔らかく、明るい声だった。芯のある、よく通る声。その声を聞いた瞬間、胸の奥が、少しだけ痛くなった。

 

 扉を開ける。

 病室の中は、思っていたよりずっと普通だった。白いベッド。小さな冷蔵庫。窓際に置かれた丸テーブル。カーテンの隙間から、夏の光が差し込んでいる。

 その光の中に、古瀧凪はいた。

 昨日ステージで見た顔と、同じ顔だった。ただ、ステージの上で見た時より、ずっと小さく見えた。

 

「あれ」

 

 凪が少しだけ目を丸くする。

 

「確か最後辺りに、三人で後ろの方に来てた子じゃない?」

 

 ライブの最後の一瞬に入っていただけなのに、覚えられていた。その事実に、一瞬だけ言葉が詰まる。

 

「……そうです。たぶんその三人のうちの一人です」

 

 なんとか頷く。

 凪はふっと笑った。

 

「そっか。昨日は来てくれてありがとうね」

「すごいですね。観客の顔を覚えてるんですか」

「んー、昨日は特別かな。来てくれたみんなの表情、絶対忘れないって思って見てたから。でも君たちのこと覚えてたのは、たぶん——あの時の雰囲気が、学生時代の私たちに、ちょっと似てたからかもね」

 

 やわらかい笑い方だった。お姉さんが弟をからかうような、包み込むような温度がある。

 

「それで、どうして私がここに入院してることを知ったのかな」

 

 責める感じはない。警戒もあまりない。ただ、本当に純粋に疑問を聞いてくる感じ。

 

 病室の奥では、小さくテレビがついていた。音量はかなり低い。ごく普通の情報番組。芸能人が笑っている。でも、この部屋だけ時間の流れが違うみたいだった。

 

「……なんかお告げ的なものがあって、いや、でも本当に怪しいものではないんです。どうか、信じてください」

 

 手を合わせて頼むみたいに言葉を紡ぐ。感情だけが先走っていて、自分でも納得できる説明になっていない。

 

「——っぷ。お告げかぁ。じゃあしょうがないね。本当のところは聞かないでおくね。昨日の私の記憶力に感謝してね。そこ座りなよ」

 

 凪がベッド横の椅子を指差す。

 

「ありがとうございます」

 

 ゆっくり腰を下ろすと、パイプ椅子が小さく軋んだ。

 近くで見ると、凪さんの顔色は少し白い。笑っているのに、どこか薄い。体温が向こう側にあるみたいな感じがした。

 

「それで?」

 

 凪さんが含み笑いを浮かべながら聞いてきた。

 

「ライブの感想でも言いに来た?」

「……いや」

 

 少し迷う。どう言葉を切り出すべきか、わからなかった。

 凪さんは急かさない。ただ、静かに待っている。窓の外から、ヘリコプターの音が遠く聞こえた。空調の風が、カーテンを小さく揺らす。

 

「……体調、大丈夫ですか」

 

 ようやく出たのは、そんな言葉だった。

 凪さんは少しだけ笑う。

 

「んー、まあね」

 

 軽い口調。でも、その裏にある疲労を隠しきれていない。

 

「昨日、ちょっと頑張りすぎちゃった」

 

 肩をすくめる。

 

「でも、楽しかったよ」

 

 その言葉だけは、本心だった。すぐにわかるくらい。窓の外を見る横顔が、少しだけ遠い。

 

「やり切った感じですか」

 

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 凪は少しだけ黙る。それから、小さく笑った。

 

「……どうだろ」

 

 答えは曖昧だった。

 

「やり切ったって思いたいけど」

 

 ぽつりと続ける。

 

「終わったあとって、意外と静かなんだよね」

 

 病室に、少しだけ沈黙が落ちる。テレビの笑い声だけが遠い。

 凪さんは、まだ窓の外を見ていた。昨日、世界みたいな熱狂の中心にいた人とは思えないくらい静かな横顔だった。

 でも、だからこそ、わかってしまう。

 この人は、本当に全部を燃やして歌ったのだ。だけど、自分の今の現状と、その反動に——感情がまだ、追いついていない。

 

「……あの」

「ん?」

 

 視線が戻る。優しい目だった。思わず、喉が詰まる。

 

「……一つ、お願いがあって」

「お願い?」

 

 凪が少し楽しそうに眉を上げる。

 

「なに? サイン?」

「違います」

「じゃあ写真?」

「それも違います」

「あはは」

 

 凪が笑う。病室の空気が、少しだけ軽くなる。

 

「じゃあ、なに?」

 

 その声に、逃げ道はなかった。息を吸う。覚悟を決める。

 

「……面白いことを、してもいいですか」

 

 一瞬。凪がきょとんとした顔をした。

 

「……面白いこと?」

「はい」

 

 真剣に頷く。

 その顔を見て、凪さんは吹き出した。

 

「あははっ、なにそれ」

 

 肩を揺らして笑う。

 

「病室で初対面の人に言う台詞じゃないでしょ」

「自覚はあります」

「変な子だなあ、君」

 

 凪さんは嫌そうじゃなかった。むしろ、少しだけ楽しそうだった。

 ベッドに体を預けながら、天井を見る。

 

「……いいよ」

 

 ぽつりと言う。

 

「昨日からさ」

 

 少しだけ声が静かになる。

 

「なんか、妙に空っぽで」

 

 窓から差し込む光が、白いシーツの上に落ちていた。夏の光。明るいのに、どこか寂しい色。

 

「だから、面白いことしてくれるなら大歓迎」

 

 凪は、こっちを見る。その笑顔は子供のようだった。けれど、その奥にある"終わり"の気配を、見逃せなかった。

 

 ゆっくりと息を吸った。病室の空気は涼しいはずなのに、喉の奥だけが妙に熱い。緊張しているのだと、今さら理解する。

 窓際のカーテンが小さく揺れていた。冷房の風に押されるたび、白い布がふわりと膨らむ。その向こうには、夏の空が広がっている。青い。どこまでも抜けるような青空だった。

 なのに、この部屋だけが世界から切り離されているみたいだった。

 昨日、自分はあの熱狂の中にいた。音が身体を揺らし、歓声が空気を震わせ、人の感情がそのまま光になっていた場所。RAD WEEKEND。世界ツアーすら実現できるほどの熱量を持ったグループの伝説のライブ。その中心にいた人が、今は静かな病室のベッドに座っている。その落差が、まだうまく飲み込めなかった。

 凪は、そんな主人公を静かに見ていた。人を見ることに慣れている目だった。音楽をやってきた人間の目。たぶんこの人は、今まで何度も誰かの"本音を言う瞬間"を見てきたのだろう。

 一度視線を落とした後、気持ちを引き締めて目を合わせる。

 

「……少しだけ、触ってもいいですか」

 

 ようやく出た言葉は、それだった。

 凪がきょとんとする。

 

「ん?」

 

 視線を額のガーゼへと移す。その視線に気づいて、凪さんもどういう意図か察してくれた。

 

「ああ、これ?」

 

 凪が軽く額を指で叩く。

 

「昨日の勲章」

 

 冗談っぽく笑う。話を聞けば、昨日のライブ終わりにふらついてしまい、机の角にぶつけてしまったらしい。

 それなのにこの人は、最後まで笑っていようとする。

 

「別にいいけど」

 

 凪さんは特に疑いもなく言った。

 

「二、三針縫ったよ? 見たら気分悪くしちゃうかも」

 

 それを了承して、小さく頷き立ち上がった。一歩ずつ、ベッドへ近づく。

 心臓がうるさい。鼓動が、耳の奥で鳴っているようだ。こんなにも緊張しているのに、頭の中は妙に静かだった。

 回復術士。神から与えられた、ふざけた能力。でも、この世界に来てから、ずっとわかっていた。この力は、きっとこういう時のためにある。

 ベッドの横に立つ。

 近くで見ると、凪さんの顔色はやはり良くなかった。肌も薄い。血色が、夏の日差しに負けている。それでも、その瞳だけは不思議なくらい強かった。

 

「じゃ、お願いします?」

 

 茶化すみたいに言う。

 ゆっくり手を伸ばした。ガーゼ越しに触れる。

 その瞬間。

 能力を使う。イメージするのは、"移す"こと。傷ではなく、苦痛を。負荷を。痛みを。

 

 ——流れ込んでくる。

 

「……っ」

 

 頭の奥が鈍く痛む。額の内側を、重い何かが圧迫してくる感覚。でも、耐えられないほどじゃない。

 時間にして一分ほどだろうか。感覚的に終わったことがわかる。静かに手を離した。

 

 ガーゼを取る。

 凪さんが、不思議そうに瞬きをする。

 

「……あれ」

 

 違和感を感じたのか、ガーゼを恐る恐るとってみると。

 

「え」

 

 小さな声だった。先ほどまであった傷が消えていることに、心底驚いているのが伝わってきた。

 赤みも。腫れも。痛みも。何もない。

 凪さんはゆっくりとこちらを見る。さっきまでの軽い空気が、少しだけ変わっていた。笑い話として処理できない沈黙。テレビではまだ、芸能人が笑っていた。

 

「……君」

 

 凪さんが、ゆっくり口を開く。

 その時だった。

 

「っ……!」

 

 視界が、大きく揺れた。一瞬だけ白く飛ぶ。平衡感覚が崩れた。咄嗟に、近くの洗面台へ手をついた。冷たい陶器の感触が掌に伝わる。

 

「……っ、はぁはぁ」

 

 息が上手く吸えない。頭の奥で鈍い痛みが脈打っていた。胃の中がひっくり返るみたいな感覚。喉が熱い。

 そのまま、洗面台へ吐き出す。水音が響く。病室の静けさの中で、その音だけが妙に生々しかった。

 

「ちょ、ちょっと」

 

 凪さんの声。さっきまでの余裕が消えている。蛇口をひねった。冷水が流れる。

 その音を聞きながら、荒い呼吸を整える。額には汗が浮かんでいる。手も、少し震えていた。

 頭の奥で考える。

 二、三針縫った傷を、ケガをする前の肌に戻して、この反動。

 でも、本命はレベルが違う。

 原作によると——膵臓がん。命を蝕む病気。こんなものじゃ済まない。わかっている。最初から。

 それでも。

 

「……どうですか」

 

 なんとか声を絞り出す。振り返る。

 凪さんは、まだ額に触れているが、こちらの急な体調不良に心底心配の目を向けてくれていた。

 

「本当に大丈夫? それに傷……消えてる」

 

 こちらに説明を求める表情。誰だってそうだろう。

 

「良かったです。きれいに治って」

「説明はあるのかな」

「んー、どう説明したらいいか。正直自信はないんです。でもただ一つ言えるのは、俺にはこういう力がなぜかあるってことなんです」

「でも、その代償があるんでしょ」

「……はい。相手の傷や病気を治すことができますが、その傷や病気で感じている苦痛や辛さを、俺が代わりに受けることになります」

「……」

 

 凪は黙ったまま見ていた。その目は真剣だった。昨日ライブで見た"伝説のミュージシャン"じゃない。もっと静かで、もっと鋭い。人の本質を見抜く、大人の目だった。

 

「……なるほどね」

 

 小さく息を吐く。病室に差し込む光が、白いシーツの上をゆっくり移動していく。時間だけは、いつも通り進んでいる。

 

「じゃあさ」

 

 凪が言う。その声は落ち着いていた。

 

「私のも、いけるってこと?」

 

 俺は——静かに頷いた。

 喜びと驚き、そして悲しみが一瞬で表れたような表情を凪さんはした。

 そして、暫しの静寂の後。

 

「……だめだよ」

 

 はっきりと言った。

 しかしその力強い言葉とは裏腹に、凪さんは優しい目でこちらを見ていた。

 

「少し縫ったっていっても、あの怪我を治して、君はそんなに辛そうなんでしょ」

 

 視線が、まだ微かに震える手を見る。

 

「私のは、そんな軽いもんじゃないよ」

 

 病室の窓から吹き込む冷房の風が、髪を揺らした。

 凪さんは、小さく笑う。無理に明るくしようとする笑いじゃない。どこか諦めに似た、静かな笑いだった。

 

「君、多分、自分で思ってるより無茶するタイプだよね」

「……否定はできません」

「あはは」

 

 凪さんが少しだけ笑う。でも、その目は笑っていなかった。

 

「ねえ」

 

 ぽつりと言う。

 

「他人を壊してまで、生き延びたいと私は思わないよ」

 

 静かな声だった。怒っているわけじゃない。責めてもいない。ただ、自分の信念を話している声だった。

 

「そこまでして続ける音楽は、たぶん私の音楽じゃない」

 

 その言葉に対して、何も返せなかった。

 でも、これこそが古瀧凪なのだ。その姿に、みんなが憧れて、好きになるのだ。

 

 




読んでくださりありがとうございます。
プロセカ好きな人とこうして繋がれること嬉しく思います。

この後、もう1話投稿します。

評価・お気に入りありがとうございます。多くはつぶやきませんが感謝申し上げます。
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