『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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10 想いと願い

「他人を壊してまで、生き延びたいと私は思わないよ」

 

 静かな声だった。怒っているわけじゃない。責めてもいない。ただ、自分の信念を話している声だった。

 

「そこまでして続ける音楽は、たぶん私の音楽じゃない」

 

 その言葉に対して、何も返せなかった。でも、これこそが古瀧凪なのだ。その姿に、みんなが憧れて、好きになるのだ。

 言葉が見つからない。この人は、本気なのだ。怖いくらい真っ直ぐに。

 だからこそ。

 昨日のライブは、あんなにも人を惹きつけたのかもしれない。命を削ってでも、自分の音楽を貫こうとしている人だったから。

 凪さんは窓の外を見る。青空が広がっている。どこまでも夏だった。

 

「昨日ね」

 

 ぽつりと呟く。

 

「すごく楽しかったんだ」

 

 その声は、少しだけ遠かった。

 

「RAD WEEKEND。ああいうライブをするのが夢だったから」

 

 病室の白い壁に、静かな声が溶けていく。

 

「やり切ったって思えた」

 

 一度言葉を切る。それから。

 

「……だから、多分」

 

 小さく笑う。

 

「終わるなら、ああいう日でよかったんだと思う」

 

 その言葉が、胸の奥へ重く沈む。無意識に拳を握った。爪が掌に食い込む。痛み。ゆっくり息を吐く。

 胸の奥が熱い。でも同時に、冷えてもいた。

 凪さんの言葉は、正しい。たぶん、正しすぎるくらいに。他人を犠牲にしてまで生きたくない。自分の音楽を曲げたくない。その覚悟は、本物だった。

 だから苦しい。こういう人ほど、誰かのために、自分を諦めてしまう。

 

「……なんで、そこまで出来るの」

 

 不意に、凪さんが聞いてきた。さっきまでの拒絶とは、少し違う。純粋な疑問だった。

 

「まだ、ほとんど知らない相手だよ?」

 

 静かな声。

 

「昨日、ライブ見て。今日、病院来て。いきなり命削るみたいなことして」

 

 少し困ったように笑う。

 

「普通じゃないよ」

 

 その言葉に、視線を少しだけ落とした。白い床を見る。自分の靴先が、やけに遠く感じる。

 答えは、ずっと胸の中にあった。でも、それを上手く言葉にできる気はしなかった。だから話すことにした。自分でもまだ整理できていない、この思いを。

 

「……前の世界で」

 

 ぽつりと口を開く。

 

「兄が、壊れたんです」

 

 凪さんが静かに目を細める。言葉の真意を計りかねているような表情だった。

 少しずつ言葉を探しながら、続ける。

 前の人生。息の詰まる家。期待。失敗。壊れていった家族。病院の白い天井。毎日のように病院にいる兄のもとへ通ったこと。

 五年を費やし、ついにベッドの上で笑った兄。そして——ようやく前を向き始めた時に訪れた、突然の終わり。

 

「助けられなかった」

 

 小さく呟く。

 その瞬間、病室の空気が少しだけ重くなった気がした。

 凪さんは何も言わない。でも、目を逸らさなかった。

 

「だから、かもしれません」

「今度は、間に合うかもしれないって思った」

 

 窓の外で、蝉が鳴いていた。夏の音。うるさいくらい鳴いているのに、病室の中では妙に静かに聞こえる。

 

「多分私は君の話を全部理解できていないと思う。だけど、君が悩んで、頑張って向き合ってきたのは伝わったよ。だけど、私はあなたに何もしてあげてないよ」

 

 こういった転生物には何か暗黙のルールみたいなのがあるかのように、自分でも思っていた。だけど、正直に話す選択肢を選んだ。前の世界で自分を支えてくれていたこの世界の物語のことを。凪さんのことを知っていた理由。これまでの過程を。凪さんが助かるなら、手を取ってくれるなら、その希望に賭けてみた。

 凪さんは、真剣に聞いてくれていたが、最初はやはりどこか話半分に、絵空事のような印象を受けていた。それでも、話した。気味悪がられても、この目の前にいる古瀧凪という存在を救いたかった。

 

「君の話は、壮大すぎるね」

 

 凪さんはそう言って、息を吐くとベッドに身体を倒してしまった。視線は天井に向けられるが、表情は依然真剣だった。

 

「でも、君が生まれていない時代の私たちのこと、すごく詳しくわかってるわけじゃないけど、当たってた。あと、君の言葉がちゃんと私の胸に響いてきた」

「君の世界では、この私たちがいる世界は空想のものだったんだよね」

 

 静かに頷く。

 

「それに君は救われていた。そしてそのお話には私も登場していた。だから、君が今日私の前に現れたわけだ」

 

 もう一度頷く。

 

「バカみたいな話だけど、君の話を信じてる自分がいることにびっくりしてるよ」

 

 考えている。言葉を選んでいる。そんな沈黙だった。

 凪さんは、しばらく黙って天井を見ていた。何かを整理するみたいに。あるいは、自分の中へ落とし込もうとしているみたいに。何も言わない。ここで言葉を重ねれば、逆に壊れてしまう気がした。

 やがて。凪さんは、小さく息を吐いた。

 

「……そっか」

 

 それだけだった。けれど、その二文字には妙な重みがあった。

 

「君、本当に」

 

 少しだけ笑う。

 

「変な子だね」

 

 冗談みたいな言い方。でも、声には真剣さと温かさがあった。

 その言葉に苦笑する。

 

「よく言われます」

「だろうねえ」

 

 凪さんは喉で笑う。けれど、そのあとまた静かになる。

 病室の空調が低く唸っていた。

 

「……嬉しかったよ」

 

 不意に、凪さんが言った。

 

「そんなふうに、必死になってくれる人がいたんだって」

 

 目を閉じる。長い睫毛が影を落とした。

 

「君、たぶんずっと怖かったんだよね」

 

 静かな声だった。

 

「また助けられないんじゃないかって」

 

 喉が、少し詰まる。凪さんは、こちらを見ない。なのに、不思議なくらい見透かされていた。

 

「……だから、ありがとう」

 

 その言葉は真っ直ぐだった。病室の空気が少しだけ揺れる。何か言おうとして、言葉を失う。

 凪さんはゆっくり視線を向けてきた。その目は穏やかだった。でも、どこか、決意を抱えた人の目だった。

 

「でもね」

 

 自分の胸が、嫌な音を立てる。凪さんは続ける。

 

「私の答えは、変わらないよ」

 

 窓の外で、蝉が鳴いている。夏が、うるさいくらい生きていた。

 

「君の力は、すごいと思う。本当に、奇跡みたいだよ」

 

 凪さんは、自分の額を触る。さっきまで残っていた傷は、もう綺麗に消えていた。そこには何もない。ただ白い肌だけが残っている。

 

「でも」

 

 細い指が、シーツをぎゅっと掴む。

 

「君が背負う痛みは、消えない」

「それを知っちゃったから」

 

 凪さんは少しだけ困ったように笑う。

 

「もう、頷けないよ」

 

 その声は弱くなかった。むしろ優しかった。優しいからこそ、残酷だった。

 

「君はきっと、自分が壊れるまでやる」

「そんな顔してる」

 

 反射的に否定しようとして、できなかった。図星だった。凪さんは、その反応を見て小さく息を漏らす。

 

「ほらね」

 

 夕日の色が、病室を赤く染め始めていた。昼の白い光とは違う。何もかもを終わりへ近づける色だった。

 

 窓の外では、夕暮れが始まろうとしていた。橙色の光が、カーテンの隙間からゆっくり差し込んで、白いシーツの上に細い筋を作っている。その光が、少しずつ部屋の温度を変えていくみたいだった。

 

「私はさ」

 

 凪さんは窓の方を見る。遠くの空は、少しずつ藍色を混ぜ始めている。

 

「最後くらい、ちゃんと終わりたいんだ」

 

 その横顔は静かだった。泣いていない。取り乱してもいない。ただ、自分で選ぼうとしていた。

 

「音楽やって」

「笑って」

「みんなに、またねって言って」

 

 そこで少しだけ口元が緩む。

 

「かっこつけたまま終わりたい」

 

 何か言わなければいけない気がした。言葉が見つからなかった。

 凪さんは、そんな様子を見て少しだけ目を細める。

 

「……だから、この話はおしまい」

 

 突き放すというより、そっと蓋を閉じるみたいな声音だった。

 

「大事なこと話してくれてありがと」

「嬉しかった」

 

 短い沈黙。そのあとで。

 

「今日はもう帰りな」

 

 何も返せなかった。言葉にしてしまった瞬間、本当に終わってしまう気がしたからだ。

 凪さんは、そんな様子を見て小さく笑う。

 

「そんな顔しないでよ」

 

 どこか困ったみたいな声だった。

 

「君のおかげで、ちゃんと嬉しかったんだから」

 

 その言葉だけが、胸の奥へ静かに残る。

 

 ゆっくり立ち上がった。病室の扉へ向かう。けれど、手をかけたところで足が止まった。

 

 ——まだだ。

 

 根拠なんてなかった。それでも。このまま終わらせたくないと、胸の奥だけが叫んでいた。

 

 ——助けたい。

 

 その気持ちは、まだ消えていない。でも今は、

 

「……また来ます」

 

 小さくそう言うと、凪さんは少しだけ目を丸くした。それから、困ったみたいに笑う。

 

「懲りないねえ」

 

 その声を背中で聞きながら、病室をあとにした。

 扉が静かに閉まる。廊下には、夜の匂いが流れ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が閉まった、その向こう側で。

 古瀧凪は、しばらく天井を見上げていた。

 

 窓の外、夕暮れの色がさらに深くなっていく。橙から、紫へ。紫から、藍へ。空が静かに色を変えていく様子を、ただ眺めていた。

 さっきまで、まっすぐ前を見て話していたはずだった。決意を持って、はっきりと答えを伝えたはずだった。

 でも。

 一人になった病室で、その決意の裏側にあるものが、ゆっくりと顔を出してくる。

 

 ——怖い。

 

 誰にも言ったことのない言葉だった。お兄ちゃんにも、謙さんにも、誰にも。今日この部屋に来た、変な男の子にも。

 

 本当は、怖い。

 死にたくない。

 まだ歌いたい。まだ笑いたい。まだ、みんなと過ごす時間が欲しい。

 その気持ちは、消えていない。消えるはずがなかった。誰だって、本当は——終わりたくない。

 布団の中で、右手が小さく震えているのに気づいた。

 いつからだろう。最近、こうなることが増えた。気づかれないように、シーツの中にそっと隠す。もう片方の手で、その震えをぎゅっと押さえつける。

 誰にも見せたくなかった。

 お兄ちゃんが来た時も。謙さんが来た時も。さっきの男の子の前でも。ずっと、笑っていた。笑っていれば、誰も気づかない。笑っていれば、自分自身も、忘れられる気がした。

 

 ——馬鹿だな、私。

 

 あんなに偉そうなことを言ったのに。「かっこつけたまま終わりたい」なんて。

 本当は、こんなに震えているくせに。

 窓の外を見る。夏の空が、もう半分以上、夜の色に染まっていた。一番星が、ぽつんと光っている。

 あの光だって、本当はもう何年も前に消えてしまった星の光なのかもしれない。そんなことを、ふと思った。届く頃には、もう存在していないかもしれない光。

 

 ——でも、今は見えている。

 

 今、ここに、ちゃんと光っている。

 それでいいじゃないか、と思った。

 今日、確かに私は笑った。昨日、確かに私は歌った。あの子たちの前で、確かに私は——生きていた。

 

 今この瞬間、呼吸ができている。鼓動が、確かに動いている。窓から入る風が、頬を撫でている。

 それは、当たり前のことじゃない。

 もう、当たり前だなんて、思えなくなっていた。

 一日が、こんなにも重くて、こんなにも尊いものだったなんて。健康だった頃は、考えたこともなかった。明日が来ることを、疑ったこともなかった。

 

 今は違う。

 

 今日という日が、もしかしたら最後かもしれない。そう思うと、朝の光の眩しさも、誰かの何気ない一言も、全部が——奇跡みたいに思えてしまう。

 怖いのに。

 怖いのに、同時に、こんなにも今日という日が、愛おしい。

 矛盾している。自分でもわかっている。死にたくないと思っているのに、今日一日を、ちゃんと美しいと思える自分がいる。

 その両方が、同時に、自分の中にあった。

 震える手を、もう一度シーツの中で握り直す。

 大丈夫。大丈夫。

 誰に向けた言葉でもなく、自分自身に、そう言い聞かせる。

 

 ——もう少しだけ、頑張れる。

 

 もう少しだけ、笑っていられる。

 窓の外、藍色に染まった空に、星がもう一つ増えていた。

 その光を見つめながら、凪は静かに、目を閉じた。

 

 

 




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