『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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11 夜を越えた、その先で

 病室のドアを優しく閉め、ゆっくり歩き出す。頭の奥が少し重い。凪さんは、簡単には頷かないのだろう。自分の信念で立っている人だった。

 

 だからこそ。

 

(……放っておけないんだよな)

 

 小さく息を吐く。

 

 病院を出る。

 

 日は傾き、夜を移しだ押すとしているが、街は、まだ熱を残していた。アスファルトが昼間の熱を抱えたまま、じんわり空気を温めている。信号待ちで立ち止まる。

 

 車のエンジン音。

 コンビニから流れる入店音。

 部活帰りの学生の笑い声。

 

 世界は普通に続いている。

 

 なのに、自分だけ少し別の場所へ来てしまったみたいだった。その時だった。遠くから、ギターの音と聞いていると元気出れるような明るい女の子の声が聞こえてくる。

 

 足が止まる。

 

 商店街の一角。

 

 小さな人だかり。

 

 その中心で、一人の少女が歌っていた。

 

 汗を流しながら。

 

 全力で。

 

 真っ直ぐ前を見て。

 

―――白石杏だった。

 

 思わず息を呑む。この世界の重要な人物に会えた感動もそうだが、路上で堂々と思いを届けようとする姿に眩しささえ感じてしまった。

 

 上手い。

 

 まだ未完成な荒さはある。

 

 でも、その分だけ熱があった。

 

 一音一音に、“届いてほしい”という感情が乗っている。

 

 通行人は多くない。立ち止まる人も、数えるほど。それでも杏は、一切手を抜かなかった。

 

 汗で前髪が張りついている。呼吸も少し荒いが、それでも、笑っている。それは正に、歌うことが好きでたまらない人間の顔だった。

 

 曲が終わと周囲にいた人たちは拍手はをした。このクオリティーで考えるともう少し観客が多くてもいいのではないかと思うが、当の本人の白石杏は、満足そうに笑った。

 

「ありがとうございましたー!」

 

 明るい声が、夕方の商店街へ響く。

 

 主人公は、その姿をしばらく見つめていた。

 

 胸の奥が、少し痛む。

 

 この子は、まだ知らない。自分が追いかけている背中が、どれほど遠くて、どれほど危うい場所にいるのか。杏は水を飲みながらタオルで汗を拭いていた。

 

 少し迷ったが、勇気を出して杏に声をかける。

 

「あの」

 

「ん?」

 

 こっちの緊張も露知らず杏が愛嬌100%の笑顔でこちらに顔を向けてくる。まだ、先ほどのステージの熱がまだ残っているみたいな火照った顔。

 

「今の、すごくよかったです」

 

 一瞬で、杏の表情がぱっと明るくなる。

 

「ほんと!?」

 

 距離が一気に縮まる。

 

「ありがとう!」

 

 そのセリフの勢いのまま、手をもたれブンブンと握手をされる。その無邪気さに、少しだけ胸が苦しくなる。

 

「まだまだだけどさ」

 

 杏は照れくさそうに笑う。

 

「追いつきたい人がいるから」

 

 その言葉に、胸が小さく揺れた。

 

「……凪さん?」

 

 自然と、その名前が出てしまった。言った瞬間、少しの後悔が押し寄せたがしょうがない。しかしこちらとは対照的に杏の目は、キラキラと嬉しそうに輝いた。

 

「知ってるの!?」

 

「…少し」

 

「そっか!」

 

 本当に嬉しそうだった。

 

 憧れを語る時の顔。

 

 まっすぐで、眩しい。

 

「ほんとすごいんだよ、あの人」

 

 夕日を見上げる。

 

「まだ全然届かないけど」

 

 拳を握る。

 

「絶対、追いつく」

 

 迷いのない声だった。その姿を見つめ、自分の心の中に様々な感情が渦巻いている。

 

 ——だからこそ。

 

 終わらせたくない。その想いだけが、静かに胸の奥で熱をもち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日から、凪さんと会って、白石杏の路上ライブを見てからの、一週間は、思っていたよりずっと早く過ぎていった。

 

 毎日、同じ時間に病院へ向かう。

 

 同じ道を歩き、同じ自動ドアをくぐり、同じ階の個室へ向かう。最初はよそよそしかった看護師にも、顔を覚えられ始めていた。

 

「今日も来たんだ」

 

 そんなふうに苦笑されることも増えた。病室の扉を開けると、凪さんは大抵ベッドの上で笑っていた。

 

「だから君、真面目すぎるって」

 

「そりゃあ、来ますよ」

 

「暇人だなあ」

 

 そんなやり取りが、いつの間にか当たり前になっていた。でもそのやり取りがなぜだか居心地がよかった。

 俺はコンビニで買ったジュースだったり、商店街で見つけた面白い飴を買っていったり、昨日は杏がこんな顔してたとか、どうでもいいような話を凪さんにした。凪さんも一緒に楽しんでくれたと思っている。

 

 だが、時間だけは、確実に進んでいる。

 

 凪さんは、この一週間で少しずつ痩せていった。最初の日より、頬の線が細い。食事を残すことも増えてきたと言っていた。時々、会話の途中で呼吸が浅くなる。

 

 それでも凪さんは、なるべく明るく振る舞った。

 

 たぶん、心配させたくないのだ。

 

 それが余計に苦しかった。

 

 そして、その一週間の中で。

 

 主人公は何度も見た。

 

 毎日見舞いに来る人たちを。

 

 商店街の人達。

 

 友人であろう人達。

 

 音楽の仲間たち。

 

 白石謙。古瀧大河。RADderのメンバーたち。

 

 楽器を持ってくる日もあった。

 

 そんな日は広い屋上にでて、音を鳴らす。ライブとは逆のバラードのような落ち着く曲。でも、その音には確かな温度があった。

 

 凪は、その時間だけ少し元気になる。

 

 本当に嬉しそうに笑う。

 

 俺は、少し離れた場所からそれを見ていた。その光景を見れば見るほど、理解してしまう。この人は、たくさんの人に愛されている。音楽だけじゃない。存在そのものを。

 

 だから。

 

 失われた時に残る痛みも、きっと大きい。

 

 この1週間、病院を出たあとはすぐに家に帰らず、よく商店街へ向かった。

 

 理由は、自分でよく分かっていた。

 

 杏の歌を聴きたいと、足がそこに向かわせたのだ。

 

 夕方の商店街。

 

 肉屋のコロッケの匂い。

 八百屋のおじさんの声。

 閉店準備を始める店。

 

 その中で、杏は毎日歌っていた。

 

 汗を流しながら。

 

 声を枯らしながら。

 

 全力で。

 

「絶対、追いつくから」

 

 何度も聞いた言葉だった。

 

 杏は、本気で信じている。

 

 凪さんがどこか遠くで頑張っていると。

 

 世界を旅して、

 もっとすごい音楽を見て、

 もっと高い場所へ行こうとしているのだと。

 

 それは、凪さんが残したやさしい嘘だった。

 

 病気のことを、杏には隠してほしい。最後まで、自分を追いかけていてほしい。それが――古瀧凪の願いだった。

 

 商店街の人たちは、その嘘を守っていた。誰も真実を言わない。杏の前では、みんな笑う。

 

「凪ちゃん、今頃海外かなあ」

 

「きっとまたすごい曲持って帰ってくるよ」

 

 そんなふうに。

 

 しかし事情を知っている俺からすれば、杏の歌を見守る人たちの目の奥にあるのは、温かさだけじゃない。

 

 寂しさ。

 

 痛み。

 

 祈り。

 

 いろんな感情が混ざっていた。誰もが分かっているのだ。凪が、もう長くないことを。もすすぐ本当にいなくなってしまうことを。

 

 それでも杏の夢を壊さないように、

 みんな必死に笑っている。

 

 その光景が、主人公の胸を締め付けた。

 

(……愛されてるんだな)

 

 本当に。

 

 凪さんは、愛されている。

 

 だからこそ。

 

 消えていい人じゃない。

 

 一週間目の夕方。

 

 病室の窓から、赤い夕日が差し込んでいた。

 

 凪さんはベッドの上で静かに外を見ている。二人でいる時間は、話すこともあれば無言になることもある。でもその無音が妙に安心できた。俺はこの先、自分の過去のことを話すことはないだろう。後にも先にも凪さんが最初で最後だと思う。そんな秘密を共有したからか、凪さんとは不思議なつながりがもてていると感じているのだ。

 

 もう時間がない。

 

 ゲームの知識が正しいなら。

 

 RAD WEEKENDから、一週間後。

 

 古瀧凪は死ぬ。

 

 体力的にも、もう限界に近い。

 

 呼吸は浅い。

 立ち上がる回数も減った。

 

 それでも凪さんは笑っている。

 

 その笑顔が、今日はやけに遠かった。

 

「……凪さん」

 

 主人公が口を開く。

 

 凪が、ゆっくり視線を向ける。

 

 静かな目だった。

 

「商店街、昨日も行ってきました」

 

 その言葉に、凪の睫毛がわずかに揺れる。

 

「杏、歌ってました」

 

 病室に沈黙が落ちる。

 

 夕日が、白いシーツを赤く染めていた。

 

「みんな、杏のこと見てました」

 

「すごく温かい目で」

 

 一度、息を吸う。

 

「……でも、悲しそうでもありました」

 

 凪は何も言わない。ただ静かに聞いている。

 

「みんな、凪さんのこと大好きなんです」

 

 胸の奥が熱い。言葉が止まらなかった。これが最後のチャンスだろうと今日の雰囲気が語っているから。

 

「杏も」

「RADderのみんなも」

「商店街の人たちも」

 

 凪さんの指先が、小さくシーツを握る。

 

「だから」

 

 拳を強く握る。

 

「そんなふうに、一人で終わろうとしないでください」

 

 夕日の光が、二人の間へ長く落ちていた。

 

 凪は、しばらく黙っていた。

 

 長い沈黙。

 

 窓の外で、蝉が鳴いている。

 

 やがて。

 

 凪は、小さく笑った。

 

 泣きそうな笑い方だった。

 

「……ずるいなあ」

 

 掠れた声。

 

「そういうこと言う?昨日の君がしてくれた話をずっと考えてたんだ」

 

 昨日の話。それは、原作知識のこれから先の未来を、杏のことを話したことだった。昨日の最後、凪さんは、この後の杏の、音楽仲間の、街の未来を見たい。と、口に出してくれていた。

 

 でも、昨日も結果は同じだったのだ。凪さんは首を縦に振らなかった。

 

 凪さんは、ゆっくり目を閉じる。

 

「ほんとはね」

 

 小さな声だった。

 

「怖いんだよ」

 

 夕日の中で、その言葉だけが静かに響く。

 

「死にたくない」

 

 原作の中では、凪さんのお兄さんである大河さんと、メンバーの謙さんに放った本音の部分。初めて聞く、本音だった。

 

 その姿に、胸が痛む。凪さんに俺がしている行為は、傲慢だ。自分の価値観の押し付けであり、お節介だ。でも、それでもこの世界から、凪さんがいなくなるのは嫌だった。

 

 凪さんは、ゆっくり目を開ける。

 

 涙は流れていない。

 

 でも、その瞳は揺れていた。

 

「……でも」

 

 そこで、凪さんの言葉は止まる。

 

 こちらを見る。

 

 優しい目だった。

 

 優しすぎるくらいに。

 

「君の手は――やっぱり取れないよ」

 

 静かな拒絶。

 

 それが、この人の最後に出した答えだった。この人は今日亡くなる可能性があることを知らない。いや、知っているのかもしれない。凪さん自身の体が彼女に訴えているのかもしれない。

 

 これが最後の問いかけであり、答えなのだと空気が語っていた。

 

 それを聞いて、ゆっくり俯く。

 

 分かっていた。

 

 簡単には頷かない。

 

 この人は、そういう人だ。

 

「……今日は帰ります」

 

 小さく言う。

 

 凪さんは、少しだけ安心したみたいに笑った。

 

「うん」

 

「また明日……また明日、きますね」

 

 現実から目を背けるように、今、目の前にいる美しく強い女性とまた会えるように、いつもの言葉をかける。その言葉に、一瞬驚いた顔をする凪さんだが、今までで一番の笑顔で返事を返してくれた。

 

「そうだね――またね。」

 

 扉が閉まる。

 

 夕暮れの廊下は静かだった。知らず知らず流れていた涙を腕でゴシゴシと拭き、屋上へと向かう。凪さんのいる階は最上階。屋上にとても近い。

 

 夜。

 

 面会時間が終わり、病院から人が消えていく。それを、屋上から見ている。

 

 一つ気付いたことがある。これは俺の妄想かも知れないが、この世界は少しだけ俺に都合がよくできているような気がしていた。瑞希との出会いや、類との出会い。夏祭りでのライブのタイミング。古瀧凪の病院や、面会の際のタイミング。人の感情や思考は思い通りになることはないが、少しずつ俺が望んでほしい状況を作ってくれている気がする。そこに妙な自信と安心があった。

 

 だから、きっとこれから俺がやることも上手くいくと思うのだ。自己暗示かも知れないが、良い未来のイメージをする。

 

 心臓が、うるさい。

 

 今から俺がすることは、凪の願いを踏みにじる行為でもある。

 

 分かっている。これは俺のわがままなのだ。

 

 それでも。

 

(……ごめんなさい)

 

 胸の中で、小さく呟く。そして。静かに立ち上がった。賭けに出るために。

 

 夜の病院は、昼間とは別の場所みたいだった。

 

 廊下を歩く足音が、やけに響く。看護師さんと鉢合わせないように、気をつけて進む。

 

 白い照明。

 静かすぎる空気。

 窓の外に広がる黒い街。

 

 人の気配が少ないぶん、世界そのものが薄くなったような感覚があった。

 

 主人公は、足音を殺しながら廊下を進む。

 

 胸の鼓動だけが、やけにうるさい。

 

 途中、ナースステーションの灯りが見えた。

 

 看護師たちの小さな話し声。

 紙をめくる音。

 キーボードを叩く音。

 

 その隙を縫うようにして、奥へ進む。ここまで来てしまったら、もう引き返せない。

 

 凪さんの病室の前で立ち止まる。

 

 扉の向こうは静かだった。

 

 眠っているのかもしれない。

 

 主人公は、そっと扉へ手をかけた。

 

 小さな音を立てて、病室が開く。

 

 薄暗い室内。

 

 間接照明だけが、ぼんやりとベッドを照らしていた。

 

 凪さんは眠っていた。

 

 規則的な心電図の音。

 

 細い肩。

 白いシーツ。

 静かな呼吸。

 

 昼間よりも、ずっと小さく見える。ゆっくりと病室へ入る。

 

 ベッドの横にある椅子へ腰を下ろす。そのまま、しばらく動けなかった。

 

 本当に、やるのか。問いかけが頭の中で何度も繰り返される。

 

 能力を使えば、自分がどうなるか分からない。この大きな病気の代償は想像を絶するだろう。

 

 今まで肩代わりしたのは、小さな怪我や疲労だけだった。でも今回は違う。

 

 ――癌だ。

 

 しかも末期に近い。どれほどの負荷になるのか想像もつかない。

 

 最悪。

 

 もしかしたら本当に死ぬかもしれない。

 

 それに、この1週間たくさん話、仲良くなった女性の決意と反対のことをする自分への葛藤。

 

 喉が乾く。

 

 指先が冷たい。

 

 それでも、凪さんを見る。

 

 眠っている顔は穏やかだった。

 

 しかい、その穏やかさの下に、どれほどの痛みがあったのかを知ってしまった。

 

 苦しくても笑って、

 怖くても周りを安心させて、

 最後まで“凪”でいようとした人。

 

 そんな人が、一人で終わろうとしている。

 

 ゆっくり目を閉じる。

 

 浮かぶ顔。

 

 杏。

 

 商店街の人たち。

 

 RADderのメンバー。

 

 みんな、凪さんを失う準備なんてできていない。

 

 そして。

 

 たぶん、凪さん自身も。凪さんの呼吸が少し荒くなってきた。

 

「……っ」

 

 時間がない。小さく息を吐く。

 

 色々な気持ちが渦巻いていて到底整理できないが、ここで何もしなかったら。一生、自分を許せない気がした。もう何度目かの決意をして目を開けた。

 

 凪さんの手は、シーツの上へ静かに置かれていた。

 

 細い指。

 

 少し冷たい肌。

 

 主人公は、その手へそっと触れる。

 

 その瞬間だった。

 

 身体の奥で“何か”が反応した。

 

 熱とも痛みとも違う感覚。

 

 能力が、動き始める。

 

「……っ!」

 

 頭の奥が軋む。

 

 視界が揺れる。

 

 それでも、手を離さない。

 

 すると。

 

 見えた。

 

 凪の中に広がる“ひび”。

 

 今まで見えていたものとは比べものにならない。

 

 黒い亀裂だった。

 

 身体の奥深く。

 

 命そのものへ食い込むみたいに広がっている。

 

 あまりにも深い。

 

 あまりにも重い。

 

 主人公は、息を呑む。

 

(……これを)

 

 背負うのか。

 

 本能が警告していた。

 

 無理だと。

 

 やめろと。

 

 でも。

 

 震える指に力を込める。

 

「……ごめん」

 

 誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。

 

 次の瞬間。

 

 世界が、反転した。

 

「――――ッ!!」

 

 声にならない悲鳴が漏れる。

 

 身体の内側へ、何かが流れ込んでくる。

 

 熱い。

 

 冷たい。

 

 痛い。

 

 苦しい。

 

 全部が同時だった。

 

 肺が潰れるみたいに苦しい。

 

 胃が捻れる。

 

 骨の内側が焼ける。

 

 頭が割れそうだった。

 

 体勢がきつい。

 

 膝が床へ落ちる。

 

 それでも能力は止めない。

 

 凪さんの中にあった“死”が、少しずつこちらへ流れ込んでくる。

 

 呼吸が乱れる。

 

 視界が暗い。

 

 吐きそうだった。

 

 いや、実際に口の中へ血の味が広がる。

 

「……っ、ぁ……!」

 

 音にならない。

 

 汗が床へ落ちる。全身が痙攣する。

 

 それでも。俺自身とは逆に凪さんの顔だけは、少しずつ穏やかになっていった。

 

 苦しそうだった呼吸が、

 ゆっくり静かになっていく。

 

 凪さんの中にあった黒いひびがすべてなくなったことが分かった。それを理解すると、より体が重くなる。

 

(……よかった)

 

 俺は、震える足に鞭を打ち、病室を後にしようとする。ここで倒れてしまっては、凪さんにも迷惑がかかってしまう。なんとか病室を出たが、廊下を歩いて数歩で一瞬意識が飛ぶ。だめだ。気力とかではない。自分の限界を感じると同時に、廊下の冷たい床に身体を預け、俺は完璧に意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

~~SIDE 凪

 

 

 

 

 

 その日の夜。身体が、限界を迎えていた。簡易的なシンプルなベッドの上。最近寝るのが怖かった。寝たらもう目覚めないかもしれないと思うと、恥ずかしいが手が少し震えてしまうのだ。

 

 でも今日は、いい夢をみえると思ったんだけどな、

 

 「また明日」

 

 その言葉がどれほど尊く、強い言葉なのか、今日改めて知ることができた。

 でも、その思いも簡単に打ち消すほどに、終わりは迫っていた。

 

 

 眠りについて、少し経った頃に身体が不快感に包まれ、心臓が痛くなった。でも、体は動かせなかった。呼吸がつらくなる。

 

「……っ」

 

腕を動かしてナースコールを押さないと。

 

でも、動かない。まるで自分身体ではないように感じた。そして、理解した。——時がきたのだと。

 

走馬灯みたいに、記憶が流れる。

 

小さい頃の思い出。

 

初ライブ。

 

打ち上げ。

 

杏の誕生。

 

商店街のみんな。

 

短い時間なのに、やけに濃い。

 

——そして最後に浮かんだのは、なぜか、病室で仲良くなり、たくさんの秘密を共有した少年。

 

その瞬間、抗うのはやめた。執着するのをあきらめたと同時に。

 

何かに包まれる感覚があった。

 

あたたかい。

 

優しい。

 

——委ねてもいい、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病室の中で、古瀧凪はゆっくりと目を開けた。

 

窓の外から、朝の光が差し込んでいる。白いカーテンが風に揺れていた。ぼんやりと天井を見上げたまま、数秒。

 

それから、ゆっくり息を吸う。

 

「……っ」

 

その瞬間。

 

凪の目が、小さく見開かれた。

 

苦しくない。

 

肺の奥に空気が入る。深く吸っても、痛まない。胸を締めつけていた重さが、ない。昨日まで、自分の身体は鉛みたいだった。

 

起き上がるだけで息が切れて、笑うだけで体力を使って、歌えば、命を削る感覚があった。

 

それが。

 

今は、ない。

 

「……なん、で」

 

掠れた声が落ちる。

 

恐る恐る、自分の身体に触れる。

 

首筋。

肩。

腕。

 

熱がない。

 

違和感がない。

 

ずっと身体の奥に巣食っていた“異物”みたいな感覚が、綺麗に消えていた。ゆっくりと、上半身を起こす。それだけで、息が上がらない。その事実に、思考が追いつかない。

 

「……嘘」

 

ぽつりと呟く。

 

夢かもしれないと思った。

 

まだ倒れる前の夢を見ているだけなのかもしれない、と。

 

でも。

 

窓から吹き込む風は冷たくて。

 

指先に触れるシーツの感触も、妙にリアルだった。

 

——現実だ。

 

その時だった。

 

廊下の方が、少し騒がしいことに気づく。

 

看護師たちの慌ただしい声。

 

走る足音。

 

ざわめき。

 

凪は、ゆっくりとそちらを見る。

 

そして。

 

理解してしまった。

 

誰にも説明されていないのに。理屈なんて、何もないのに。それでも、分かってしまった。

 

「……やったんだね」

 

声が漏れる。

 

昨夜。

 

病室を出ていった、小さな背中。“また来ます”って、笑ったあの子。その言葉を、思い出す。

 

「……ばか」

 

震える声で呟く。

 

目の奥が熱い。

 

あんな顔して。

 

あんなに普通みたいに。

 

全部、覚悟してたんだ。

 

凪はゆっくりとベッドを降りる。

 

足が、ちゃんと動く。

 

信じられないくらい軽い。

 

廊下へ出る。

 

看護師たちが、慌ただしく行き来している。

 

その空気の中で、一人の看護師が凪に気づいた。

 

「あっ、古瀧さん!?」

 

驚いた顔。

 

当然だ。

 

昨日まで、自力で歩くことすら難しかった患者が、普通に立っているのだから。

 

でも。凪は、その声をほとんど聞いていなかった。

 

視線は、その先。

 

廊下の向こうへ向いている。

 

運ばれていく、小さな身体。

 

青白い顔。

 

力なく垂れた腕。

 

それでも。

 

どこか安心したみたいな寝顔。

 

「……っ」

 

息が止まる。

 

胸が、強く痛む。

 

助かった。

 

自分は、生き延びた。

 

もう一度歌える。

 

もう一度笑える。

 

もう一度、大切な人たちと未来を見られる。

 

——全部。

 

あの子がくれた。

 

「……なんで」

 

涙が、頬を伝う。

 

止まらない。

 

「なんで、そこまでするの……」

 

答えは返ってこない。

 

ただ、ストレッチャーが遠ざかっていく。

 

凪は、その背中を見つめながら。

 

震える手で、自分の胸を押さえた。

 

そこには確かに、“命”があった。

 

昨日、終わるはずだった命。

 

諦めていた未来。

 

それが今、ここにある。

 

「……生きなきゃ」

 

小さく呟く。

 

泣きながら。

 

でも、その声には確かな意思が宿っていた。

 

「ちゃんと、生きなきゃだ」

 

あの子が命を削って繋いだ未来を。

 

無駄になんて、できない。

 

凪は涙を拭う。

 

ぐしゃぐしゃのまま、それでも笑った。

 

まるで。

 

もう一度、世界に立つことを許された人みたいに。

 

朝日が、長い廊下を照らしていた。

 

その光の中で。

 

凪は、病院で診断を告げられたあの日から初めて——

 

“未来を怖がるだけじゃなくなっていた”。

 

 

 

 




読んでいただき、ありがとうございます。

プロセカのキャラクターは魅力的過ぎて憧れます。

お気に入り、評価ありがとうございます。もしよければ感想等で、好きなキャラクターの子やストーリー、少しの感想をいただければ嬉しいです。
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