『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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12 side——凪 6日目の話と感情の天秤

 夏祭りの夜だった。

 熱気。歓声。光。

 RAD WEEKENDのステージは、まるで街そのものが燃えているみたいだった。音が空気を震わせて、人の感情を剥き出しにしていく。

 あの日の私は、たぶん人生で一番笑っていたと思う。

 身体はもう限界に近かった。呼吸をするだけで肺が焼けるように痛くて、立っているだけでも視界が揺れていた。

 それでも。最後だから。

 全部置いていくつもりだった。音楽も。夢も。憧れも。生きたいって気持ちごと、あのライブに焼き切るつもりだった。

 だから、後悔はなかった。本当に。

 ……そう思っていた。

 ライブが終わったあと、楽屋裏で倒れて運ばれた病院で——あの子と出会うまでは。

 

 病室の扉が閉まったあとも、私はしばらく、その音の余韻を聞いていた気がする。

 静かな個室だった。エアコンの風が、白いカーテンをゆっくり揺らしている。消毒液の匂い。遠くで聞こえるナースステーションの話し声。廊下を通るカートの車輪の音。

 

「……変な子」

 

 ぽつりと呟く。でも、その声は思ったより柔らかかった。

 昨日、RAD WEEKENDの会場で一瞬だけ見かけた男の子。彼とピンク色の髪の可愛らしい子と、笑顔が柔らかい男の子の三人組。楽しそうに笑っていて。でも、どこか必死に今を焼き付けようとしているような目をしていた。そんな印象が、なぜか頭に残っていた。

 まさかその翌日に、自分の病室へ現れるなんて思わなかったけれど。

 しかも、あんな話をされるなんて、もっと思わなかった。

 別の世界の記憶。この世界を知っていること。そして、人の病気や傷を肩代わりする力。

 どれも現実離れしていた。普通なら、怖がるか、笑い飛ばす。でもそうする気が起きなかった。死が近づいて、そういった耐性が自分に少しついていたのかもしれない。

 でも、あの子の目は、本気だった。怖いくらい真っ直ぐで。だから逆に、嘘じゃないんだろうなと思ってしまった。

 額へ手を伸ばす。昨日、ステージ裏で倒れた時にできた傷。数針縫ったはずのそこには、もう何も残っていなかった。皮膚は綺麗なまま。痛みも熱も、跡形もなく消えている。

 代わりに。あの子は洗面台で吐いていた。息を震わせて。指先まで青白くして。立っているのも辛そうだった。その姿が、頭から離れない。

 

「……ばかだなぁ」

 

 小さく笑う。

 でも、その笑いは長く続かなかった。数針縫ったといっても、傷ひとつであれだけ苦しむのだ。だったら、今の自分の病気なんて——どれだけの負担になるのか、想像もつかない。

 怖かった。助かることが、じゃない。

 あの子が壊れてしまうことが。

 だから断った。迷いなく。

 

 "他人を壊してまで、生き延びたいと思わない"

 

 それは強がりでも、綺麗事でもなかった。本心だった。

 もちろん、生きたい。本当はまだ、歌いたい。もっと音を鳴らしたい。お兄ちゃんたちと、またバカみたいに笑いながらライブしたい。ステージの熱を感じたい。観客の歓声を浴びたい。昨日みたいな景色を、もう一度見たい。身体の奥から震えるような高揚感を、まだ覚えていたかった。

 でも、それ以上に誰かを犠牲にして生き残った自分を、私はきっと好きになれない。だから——終わりを受け入れようと思った。

 そう思っていないと、恐怖に飲み込まれてしまいそうだったから。

 

 次の日も。その次の日も。あの子は病室へ来た。

 最初の頃は、正直少し困っていた。ここまで真っ直ぐ来られると、どう接すればいいのかわからなかったからだ。しかも毎回、何かしら持ってくる。コンビニで買ったジュースだったり、商店街で見つけた面白い飴だったり、昨日は杏がこんな顔をしていたとか、どうでもいいような話を、当たり前みたいにしていく。

 まるで。ここが"終わりを待つ病室"じゃなくて、普通の誰かの部屋みたいに。

 

「ねえ、君さ」

 

 ある日、私は苦笑しながら聞いた。

 

「学校とかないの?」

「あります」

 

 即答だった。

 

「じゃあなんで毎日来るの」

「来たいからです」

 

 あまりにも真っ直ぐ返されて、言葉が止まる。本当に、変な子だった。でも、その"当たり前みたいな優しさ"に、少しずつ救われている自分がいた。

 病気になってから、周りはみんな気を遣った。もちろん、それも優しさだ。心配してくれているのもわかる。

 でも、どこかで"終わりが近い人"として扱われている感覚もあった。仕方ない。実際そうなのだから。

 なのに、君だけは違ったね。また明日って言う。次の話をする。未来の話をする。まるで、私がそこにいるのが当然みたいに。

 それが、怖いくらい嬉しかった。

 

「……杏、昨日も歌ってた?」

 

 気づけば、そんなことを聞いている。あの子は少しだけ嬉しそうに頷いた。

 

「はい。すごかったです」

 

 それから、楽しそうに話し始める。汗だくになっていたこと。声が枯れても歌っていたこと。悔しそうにしていたこと。誰より真っ直ぐ前を見ていたこと。

 その姿が、簡単に想像できてしまう。

 

「そっかぁ……」

 

 胸の奥が熱くなる。

 私は、あの子の憧れだった。追いかける背中だった。だから、本当は。もっと見ていたかった。歌を教えたかった。一緒に笑いたかった。もっとたくさん、未来の話をしたかった。

 そんな願いを。私は"もう終わるから"って理由で、無理やり押し込めていたのかもしれない。

 窓の外では、夏空がゆっくり赤く染まり始めていた。遠くで蝉が鳴いている。その音を聞きながら、私はぼんやり思う。

 もし。本当に、もう少しだけ時間があったなら。

 私は何をしたいんだろう。

 もう一度ライブ? みんなでご飯? 杏の歌を聞く? 兄ちゃんたちと音を鳴らす?

 考え始めると、次々浮かんでしまう。

 ああ。駄目だ。未来を考えてしまっている。

 

「……ほんと、ずるい」

 

 ぽつりと漏れる。君のせいだ。"終わる覚悟"を、少しずつ壊してくる。

 でも。嫌じゃなかった。怖いのに。苦しいのに。それでも。胸の奥に灯った小さな熱を、完全には消したくなかった。

 生きたい。

 その感情を、私はまた思い出し始めていた。それでも。私は最後まで、首を縦には振らなかった。

 

 君は毎日来たね。

 本当に、毎日。今日で六日間連続だ。雨の日も。学校帰りで制服が少し濡れている日も。息を切らしながら病室へ飛び込んでくる日もあった。その度に、私は笑ってしまう。

 

「今日も来てくれたんだね」

 

 そう言うと、君は少し困ったみたいに笑うだけだった。無理に踏み込んではこない。でも、絶対に諦めない。その距離感が、妙に心地よかった。

 病室の時間は、ゆっくりだった。昼と夜の境界が曖昧で。気づけば窓の外の色だけが変わっている。

 でも、あの子が来る時間になると、少しだけ空気が変わった。

 商店街の話をしてくれる。杏が新しい歌い方を試していたとか。類くんが変な機械を爆発させかけたとか。瑞希ちゃんが呆れていたとか。そんな、どうでもいい日常。私はその話が好きだった。

 そこには、"この先"があったから。自分が見られないと思っていた未来が、ちゃんと続いていたから。

 だけど、この日は違った。君は、いつもより少し静かな、覚悟を決めたような表情をして言ってきた。

 

「……今日は、杏の話じゃないんです」

 

 ぽつりと言う。

 

「うん?」

 

 視線を向ける。君は少し迷ってから、続きを口にした。

 

「凪さんがいなくなった後の話です」

 

 その瞬間。胸の奥が、小さく軋んだ。でも、不思議と嫌じゃなかった。怖いはずなのに。聞きたいと思ってしまった。

 

「……そっか」

 

 私は小さく笑う。

 

「聞かせて」

 

 君はゆっくり話し始めた。

 私が死んだあと。それを数年後に聞いた杏が泣いたこと。お兄ちゃんたちが、必死に前を向こうとしていたこと。街のみんなが、静かに悲しんでいたこと。時間をかけながら、それでも歩き続けていくこと。杏が、新しい仲間と出会うこと。何度も悩んで。何度もぶつかって。それでも、音楽を諦めなかったこと。

 

「……そっかぁ」

 

 小さく息を吐く。胸の奥が、じんわり熱かった。

 悲しい。でも、嬉しかった。

 あの子たちは、ちゃんと未来へ進めるのだ。私がいなくても。苦しみながらでも。それでも、音楽を愛したまま。

 それが、どうしようもなく救いだった。けれど同時に。胸の奥で、別の感情が疼く。

 

 ——見たい。

 

 その未来を。杏が笑っているところを。夢を掴もうとしているところを。見届けたい。

 その気持ちが、消えない。

 私は視線を落とした。細くなった自分の腕。白いシーツ。病室の匂い。現実は、ちゃんとここにあった。身体はもう限界に近い。少し動くだけでも苦しい。夜になれば、呼吸も浅くなる。自分の終わりくらい、自分が一番よくわかっていた。

 だから——その"生きたい"は、きっとわがままだ。今さら未来を欲しがるなんて。

 そう思ってしまう。

 なのに。あの子は何度でも、"その先"の話をする。まるで。私がそこに辿り着けると、本気で信じているみたいに。

 

「……ねえ」

 

 気づけば、口を開いていた。

 

「あの子、笑ってた?」

「杏」

 

 君は少し驚いた顔をして。それから、優しく頷いた。

 

「はい」

「ちゃんと、笑ってました」

 

 その言葉に。胸の奥が、少しだけほどける。

 ああ。よかった。

 それだけで、救われる。私は、杏に笑っていてほしかった。音楽を嫌いにならないでほしかった。自分の死で、夢まで止まってほしくなかった。だから。未来で、あの子が笑えている。それだけで、本当は十分なはずなのだ。

 

 ……なのに。

 

 胸の奥で、小さな熱が消えない。諦めたはずだった。終わる覚悟も、ちゃんと決めたはずだった。

 それなのに。あの子が毎日話してくれる"未来"は、あまりにも眩しかった。杏が笑っている未来。お兄ちゃんたちが自分たちのつながり方で街に関わっている未来。商店街のみんなが、変わらず騒がしく笑っている未来。

 そこには、ちゃんと"続き"があった。自分がいなくなったあとも、世界は進んでいく。

 本当なら、それだけで十分だったはずなのに。今はその景色を、少しだけ見てみたいと本気で思ってしまう。

 みんなの隣に、まだいたいと思ってしまう。

 そんな自分が、胸の奥で静かに息をしていた。

 

「……見たいな」

 

 ぽつりと、本音が漏れた。

 自分でも、止められなかった。

 ずっと、ずっと押し込めてきたのに。蓋をして、見ないようにしてきたのに。あの子が毎日運んでくる"未来"の欠片が、その蓋を少しずつ、こじ開けてしまった。

 ねえ、ずるいよ。

 君が話してくれた未来は、あまりにも温かくて、あまりにも眩しくて。聞かないようにしようと思っても、聞いてしまった瞬間から、もう胸の奥に住み着いてしまうんだ。

 杏が笑っている未来。お兄ちゃんたちが、私のいない世界でも、ちゃんと前を向いている未来。商店街のみんなが、変わらずあのままで騒がしい未来。

 

 ——見たいよ。

 

 本当は、ずっとそう思っていた。最初からずっと。「終わりを受け入れる」なんて、立派な覚悟を並べながら、心のどこかでは、まだ諦めきれていなかった。

 今だけは、許してほしい。

 こんな自分のわがままを。

 自分の選んだ答えは、変えない。変えられない。それでも——今この瞬間だけは、その未来に、少しだけ浸らせてほしい。

 目を閉じれば見える。杏が大きな舞台に立つ姿。お兄ちゃんたちが、新しい曲を鳴らす姿。商店街のあのうるさいくらいの賑わいが、何年後も変わらず続いている姿。

 その景色の中に、私はいない。

 それでも、いいから。

 一瞬でいいから、そこにいる自分を、想像させてほしい。

 

 ——ねえ、いいでしょ。

 

 君がそうさせたんだから。

 君が、何度も、何度も。

「また明日」って。

 当たり前みたいな顔で、未来があることを疑わずに、私の前に現れたから。

 だから、悪いのは君だよ。

 覚悟を、こんなふうに緩めてしまったのは。

 諭してくれてもいいのに。「無理に期待しなくていい」って、誰かみたいに言ってくれてもいいのに。君は、一度もそんなことを言わなかった。

 ただ、未来の話だけを、まっすぐに置いていく。

 ずるいよ、本当に。

 涙が出そうになって、慌てて窓の外を見た。夏の空が、もうすっかり夜の色に変わっている。星が一つ、二つ。さっきまで見えなかったはずなのに、いつの間にか増えていた。

 あの光と同じだ。

 もう届かないと思っていたものが、ちゃんと、まだそこにある。

 

「……見たいな」

 

 もう一度、同じ言葉を、今度は少しだけ大きな声で呟いた。

 誰に向けた言葉でもなかった。

 でも、もし届くなら。この願いが

 ——届いてほしい、と思った。




読んでいただきありがとうございます。

初感想いただきました。
こういったつながりがうれしいです。

評価・お気に入りありがとうございます。皆様に感謝しております。
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