『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』 作:krowknown
夏祭りの夜だった。
熱気。歓声。光。
RAD WEEKENDのステージは、まるで街そのものが燃えているみたいだった。音が空気を震わせて、人の感情を剥き出しにしていく。
あの日の私は、たぶん人生で一番笑っていたと思う。
身体はもう限界に近かった。呼吸をするだけで肺が焼けるように痛くて、立っているだけでも視界が揺れていた。
それでも。最後だから。
全部置いていくつもりだった。音楽も。夢も。憧れも。生きたいって気持ちごと、あのライブに焼き切るつもりだった。
だから、後悔はなかった。本当に。
……そう思っていた。
ライブが終わったあと、楽屋裏で倒れて運ばれた病院で——あの子と出会うまでは。
病室の扉が閉まったあとも、私はしばらく、その音の余韻を聞いていた気がする。
静かな個室だった。エアコンの風が、白いカーテンをゆっくり揺らしている。消毒液の匂い。遠くで聞こえるナースステーションの話し声。廊下を通るカートの車輪の音。
「……変な子」
ぽつりと呟く。でも、その声は思ったより柔らかかった。
昨日、RAD WEEKENDの会場で一瞬だけ見かけた男の子。彼とピンク色の髪の可愛らしい子と、笑顔が柔らかい男の子の三人組。楽しそうに笑っていて。でも、どこか必死に今を焼き付けようとしているような目をしていた。そんな印象が、なぜか頭に残っていた。
まさかその翌日に、自分の病室へ現れるなんて思わなかったけれど。
しかも、あんな話をされるなんて、もっと思わなかった。
別の世界の記憶。この世界を知っていること。そして、人の病気や傷を肩代わりする力。
どれも現実離れしていた。普通なら、怖がるか、笑い飛ばす。でもそうする気が起きなかった。死が近づいて、そういった耐性が自分に少しついていたのかもしれない。
でも、あの子の目は、本気だった。怖いくらい真っ直ぐで。だから逆に、嘘じゃないんだろうなと思ってしまった。
額へ手を伸ばす。昨日、ステージ裏で倒れた時にできた傷。数針縫ったはずのそこには、もう何も残っていなかった。皮膚は綺麗なまま。痛みも熱も、跡形もなく消えている。
代わりに。あの子は洗面台で吐いていた。息を震わせて。指先まで青白くして。立っているのも辛そうだった。その姿が、頭から離れない。
「……ばかだなぁ」
小さく笑う。
でも、その笑いは長く続かなかった。数針縫ったといっても、傷ひとつであれだけ苦しむのだ。だったら、今の自分の病気なんて——どれだけの負担になるのか、想像もつかない。
怖かった。助かることが、じゃない。
あの子が壊れてしまうことが。
だから断った。迷いなく。
"他人を壊してまで、生き延びたいと思わない"
それは強がりでも、綺麗事でもなかった。本心だった。
もちろん、生きたい。本当はまだ、歌いたい。もっと音を鳴らしたい。お兄ちゃんたちと、またバカみたいに笑いながらライブしたい。ステージの熱を感じたい。観客の歓声を浴びたい。昨日みたいな景色を、もう一度見たい。身体の奥から震えるような高揚感を、まだ覚えていたかった。
でも、それ以上に誰かを犠牲にして生き残った自分を、私はきっと好きになれない。だから——終わりを受け入れようと思った。
そう思っていないと、恐怖に飲み込まれてしまいそうだったから。
次の日も。その次の日も。あの子は病室へ来た。
最初の頃は、正直少し困っていた。ここまで真っ直ぐ来られると、どう接すればいいのかわからなかったからだ。しかも毎回、何かしら持ってくる。コンビニで買ったジュースだったり、商店街で見つけた面白い飴だったり、昨日は杏がこんな顔をしていたとか、どうでもいいような話を、当たり前みたいにしていく。
まるで。ここが"終わりを待つ病室"じゃなくて、普通の誰かの部屋みたいに。
「ねえ、君さ」
ある日、私は苦笑しながら聞いた。
「学校とかないの?」
「あります」
即答だった。
「じゃあなんで毎日来るの」
「来たいからです」
あまりにも真っ直ぐ返されて、言葉が止まる。本当に、変な子だった。でも、その"当たり前みたいな優しさ"に、少しずつ救われている自分がいた。
病気になってから、周りはみんな気を遣った。もちろん、それも優しさだ。心配してくれているのもわかる。
でも、どこかで"終わりが近い人"として扱われている感覚もあった。仕方ない。実際そうなのだから。
なのに、君だけは違ったね。また明日って言う。次の話をする。未来の話をする。まるで、私がそこにいるのが当然みたいに。
それが、怖いくらい嬉しかった。
「……杏、昨日も歌ってた?」
気づけば、そんなことを聞いている。あの子は少しだけ嬉しそうに頷いた。
「はい。すごかったです」
それから、楽しそうに話し始める。汗だくになっていたこと。声が枯れても歌っていたこと。悔しそうにしていたこと。誰より真っ直ぐ前を見ていたこと。
その姿が、簡単に想像できてしまう。
「そっかぁ……」
胸の奥が熱くなる。
私は、あの子の憧れだった。追いかける背中だった。だから、本当は。もっと見ていたかった。歌を教えたかった。一緒に笑いたかった。もっとたくさん、未来の話をしたかった。
そんな願いを。私は"もう終わるから"って理由で、無理やり押し込めていたのかもしれない。
窓の外では、夏空がゆっくり赤く染まり始めていた。遠くで蝉が鳴いている。その音を聞きながら、私はぼんやり思う。
もし。本当に、もう少しだけ時間があったなら。
私は何をしたいんだろう。
もう一度ライブ? みんなでご飯? 杏の歌を聞く? 兄ちゃんたちと音を鳴らす?
考え始めると、次々浮かんでしまう。
ああ。駄目だ。未来を考えてしまっている。
「……ほんと、ずるい」
ぽつりと漏れる。君のせいだ。"終わる覚悟"を、少しずつ壊してくる。
でも。嫌じゃなかった。怖いのに。苦しいのに。それでも。胸の奥に灯った小さな熱を、完全には消したくなかった。
生きたい。
その感情を、私はまた思い出し始めていた。それでも。私は最後まで、首を縦には振らなかった。
君は毎日来たね。
本当に、毎日。今日で六日間連続だ。雨の日も。学校帰りで制服が少し濡れている日も。息を切らしながら病室へ飛び込んでくる日もあった。その度に、私は笑ってしまう。
「今日も来てくれたんだね」
そう言うと、君は少し困ったみたいに笑うだけだった。無理に踏み込んではこない。でも、絶対に諦めない。その距離感が、妙に心地よかった。
病室の時間は、ゆっくりだった。昼と夜の境界が曖昧で。気づけば窓の外の色だけが変わっている。
でも、あの子が来る時間になると、少しだけ空気が変わった。
商店街の話をしてくれる。杏が新しい歌い方を試していたとか。類くんが変な機械を爆発させかけたとか。瑞希ちゃんが呆れていたとか。そんな、どうでもいい日常。私はその話が好きだった。
そこには、"この先"があったから。自分が見られないと思っていた未来が、ちゃんと続いていたから。
だけど、この日は違った。君は、いつもより少し静かな、覚悟を決めたような表情をして言ってきた。
「……今日は、杏の話じゃないんです」
ぽつりと言う。
「うん?」
視線を向ける。君は少し迷ってから、続きを口にした。
「凪さんがいなくなった後の話です」
その瞬間。胸の奥が、小さく軋んだ。でも、不思議と嫌じゃなかった。怖いはずなのに。聞きたいと思ってしまった。
「……そっか」
私は小さく笑う。
「聞かせて」
君はゆっくり話し始めた。
私が死んだあと。それを数年後に聞いた杏が泣いたこと。お兄ちゃんたちが、必死に前を向こうとしていたこと。街のみんなが、静かに悲しんでいたこと。時間をかけながら、それでも歩き続けていくこと。杏が、新しい仲間と出会うこと。何度も悩んで。何度もぶつかって。それでも、音楽を諦めなかったこと。
「……そっかぁ」
小さく息を吐く。胸の奥が、じんわり熱かった。
悲しい。でも、嬉しかった。
あの子たちは、ちゃんと未来へ進めるのだ。私がいなくても。苦しみながらでも。それでも、音楽を愛したまま。
それが、どうしようもなく救いだった。けれど同時に。胸の奥で、別の感情が疼く。
——見たい。
その未来を。杏が笑っているところを。夢を掴もうとしているところを。見届けたい。
その気持ちが、消えない。
私は視線を落とした。細くなった自分の腕。白いシーツ。病室の匂い。現実は、ちゃんとここにあった。身体はもう限界に近い。少し動くだけでも苦しい。夜になれば、呼吸も浅くなる。自分の終わりくらい、自分が一番よくわかっていた。
だから——その"生きたい"は、きっとわがままだ。今さら未来を欲しがるなんて。
そう思ってしまう。
なのに。あの子は何度でも、"その先"の話をする。まるで。私がそこに辿り着けると、本気で信じているみたいに。
「……ねえ」
気づけば、口を開いていた。
「あの子、笑ってた?」
「杏」
君は少し驚いた顔をして。それから、優しく頷いた。
「はい」
「ちゃんと、笑ってました」
その言葉に。胸の奥が、少しだけほどける。
ああ。よかった。
それだけで、救われる。私は、杏に笑っていてほしかった。音楽を嫌いにならないでほしかった。自分の死で、夢まで止まってほしくなかった。だから。未来で、あの子が笑えている。それだけで、本当は十分なはずなのだ。
……なのに。
胸の奥で、小さな熱が消えない。諦めたはずだった。終わる覚悟も、ちゃんと決めたはずだった。
それなのに。あの子が毎日話してくれる"未来"は、あまりにも眩しかった。杏が笑っている未来。お兄ちゃんたちが自分たちのつながり方で街に関わっている未来。商店街のみんなが、変わらず騒がしく笑っている未来。
そこには、ちゃんと"続き"があった。自分がいなくなったあとも、世界は進んでいく。
本当なら、それだけで十分だったはずなのに。今はその景色を、少しだけ見てみたいと本気で思ってしまう。
みんなの隣に、まだいたいと思ってしまう。
そんな自分が、胸の奥で静かに息をしていた。
「……見たいな」
ぽつりと、本音が漏れた。
自分でも、止められなかった。
ずっと、ずっと押し込めてきたのに。蓋をして、見ないようにしてきたのに。あの子が毎日運んでくる"未来"の欠片が、その蓋を少しずつ、こじ開けてしまった。
ねえ、ずるいよ。
君が話してくれた未来は、あまりにも温かくて、あまりにも眩しくて。聞かないようにしようと思っても、聞いてしまった瞬間から、もう胸の奥に住み着いてしまうんだ。
杏が笑っている未来。お兄ちゃんたちが、私のいない世界でも、ちゃんと前を向いている未来。商店街のみんなが、変わらずあのままで騒がしい未来。
——見たいよ。
本当は、ずっとそう思っていた。最初からずっと。「終わりを受け入れる」なんて、立派な覚悟を並べながら、心のどこかでは、まだ諦めきれていなかった。
今だけは、許してほしい。
こんな自分のわがままを。
自分の選んだ答えは、変えない。変えられない。それでも——今この瞬間だけは、その未来に、少しだけ浸らせてほしい。
目を閉じれば見える。杏が大きな舞台に立つ姿。お兄ちゃんたちが、新しい曲を鳴らす姿。商店街のあのうるさいくらいの賑わいが、何年後も変わらず続いている姿。
その景色の中に、私はいない。
それでも、いいから。
一瞬でいいから、そこにいる自分を、想像させてほしい。
——ねえ、いいでしょ。
君がそうさせたんだから。
君が、何度も、何度も。
「また明日」って。
当たり前みたいな顔で、未来があることを疑わずに、私の前に現れたから。
だから、悪いのは君だよ。
覚悟を、こんなふうに緩めてしまったのは。
諭してくれてもいいのに。「無理に期待しなくていい」って、誰かみたいに言ってくれてもいいのに。君は、一度もそんなことを言わなかった。
ただ、未来の話だけを、まっすぐに置いていく。
ずるいよ、本当に。
涙が出そうになって、慌てて窓の外を見た。夏の空が、もうすっかり夜の色に変わっている。星が一つ、二つ。さっきまで見えなかったはずなのに、いつの間にか増えていた。
あの光と同じだ。
もう届かないと思っていたものが、ちゃんと、まだそこにある。
「……見たいな」
もう一度、同じ言葉を、今度は少しだけ大きな声で呟いた。
誰に向けた言葉でもなかった。
でも、もし届くなら。この願いが
——届いてほしい、と思った。
読んでいただきありがとうございます。
初感想いただきました。
こういったつながりがうれしいです。
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