『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』 作:krowknown
目を覚ましたとき、天井が違っていた。
白いのは同じなのに、どこか広くて、少しだけ新しい匂いがする。換気の音も、前の病院とは少し違う調子で鳴っていた。
「……ああ、そっか」
今、俺がいる場所は、隣町の病院だった。検査のためとか、経過観察とか、いろんな理由を説明された気がするけど、正直あまり覚えていない。分かっているのは一つだけ。
——しばらく、ここで過ごすことになる。
体を起こそうとして、やめる。まだ、思うように力が入らない。上半身を起こすだけでも疲れてしまうので、億劫だ。
代わりに、窓の外を見る。大きな木が一本見える。葉が風に揺れて、午後の光がその隙間からちらちらと床に落ちていた。鳥が一羽、枝に止まって、しばらくすると飛んでいった。
この前までとは違う景色。でも、不思議と嫌じゃなかった。
"続き"の場所だと思えたから。
数日後。
車椅子での移動に、少しだけ慣れてきた頃。
廊下の奥から、にぎやかな声が聞こえてきた。子どもたちの笑い声。それに混じって、少し高めの声が響く。
「えーっと……それで、勇者は……あっ、違う、ここじゃない!」
思わず、足を止める。いや、正確には——車椅子の手を止める。開いたままのプレイルームの扉の方から、中を覗く。
そこにいたのは、一人の女の子だった。
明るい金髪。毛先だけ淡く色づいた髪が、動くたびふわふわ揺れている。床へ座り込んで、大きな紙芝居を広げながら、子どもたちに囲まれていた。
その笑顔を見た瞬間。思わず、息を呑む。
「——天馬咲希」
小さく、名前が漏れる。
不意打ちだった。まさか、ここで会うとは思っていなかった。
原作の中で見てきた少女。いつも明るく、太陽みたいに笑って、周りを巻き込むように元気で、その場の空気ごと照らしてしまうような子。
でも、俺は知っている。その笑顔の裏側を。
天馬咲希は、生まれつき身体が弱かった。原因不明の病気。長い入院生活。中学時代のほとんどを病院で過ごし、学校へ満足に通うこともできなかった少女。
みんなが当たり前みたいに過ごしている時間。放課後。学校行事。修学旅行。友達との思い出。そういう"普通"を、彼女はずっと遠くから見ていた。
そして何より。咲希は、"一人ぼっち"を誰より怖がっている。みんなと離れてしまうことを、置いていかれることを、本当はずっと苦しんでいた。
なのに——そんな顔を、周りにはほとんど見せない。自分が笑えば、周りも笑ってくれるから。心配させたくないから。寂しくても。苦しくても。先に誰かを元気づけようとしてしまう。
そういう子だ。
だからこそ。今、目の前で子どもたちに囲まれて笑っている姿が、やけに胸へ刺さった。
病院のプレイルーム。本来なら、静かで無機質な場所のはずなのに。そこだけ空気が違った。
壁には子どもたちが描いた絵が、画用紙のまま無造作に貼られている。隅には少し色褪せた絵本が並ぶ本棚。床に敷かれたラグは、踏まれすぎて毛足が少し寝てしまっていた。蛍光灯の白い光のはずなのに、その部屋だけどこか暖色に見える。
笑い声があって。子どもたちが目を輝かせていて。その中心で、咲希が一生懸命ページをめくっている。
まるで。小さな太陽みたいだった。
「ちがうよー!そこじゃない!」
「読めてないじゃん!」
「へたー!」
子どもたちからの容赦のないブーイング。咲希は「あーもう!」と笑いながらも、ページをめくる手が少し慌てている。
「ちょっと待ってって、ちゃんと読むから!」
でも、また少し噛む。また笑われる。その繰り返し。
下手だ。正直、上手くはない。
でも。
「……楽しそうだな」
ぽつりと、呟く。その場にいる人たちが全員笑顔だった。ここが病院だとは思えないぐらいに。
その空気が、妙にあたたかかった。
そのとき。
一人の子どもが、こっちに気づいた。
「あ、新しいお兄ちゃんだ!」
一斉に視線が集まる。ちょっとだけ気まずい。
「ねえねえ!」
その子が、こっちを指さす。
「敵の役、お兄ちゃんがやればいいじゃん!」
場の空気が、一瞬で変わる。
「いいじゃんそれ!」
「お兄ちゃんやって!」
無邪気な圧。逃げ道は、ない。
咲希が、少し困ったようにこっちを見る。
「えっと、その……無理しなくても」
遠慮がちな声。でも、その奥にほんの少しだけ"助けてほしい"が見えた。
——仕方ない。
車椅子を、ゆっくりと中へ進める。タイヤが、ラグの段差で小さく揺れた。
「どこ読めばいい?」
そう言うと、子どもたちが「ここ!」と一斉に指をさす。
咲希が、ほっとしたように笑う。
「……ありがとう」
小さな声で、そう言った。
紙芝居を受け取る。少しだけ深呼吸。窓から差し込む光が、紙芝居の表紙を白く照らしていた。表紙の絵は、たくさんの子どもの手垢で少し丸くなっている。
そして。
「——フフフ……よく来たな、勇者よ」
低めに、声を作る。一瞬、場が静まる。
次の瞬間。
「おおー!!」
子どもたちが一気に沸いた。
「うまい!」
「こわい!」
「いいねそれ!」
さっきまでのブーイングはどこへやら。一気に、物語に引き込まれていく。こういう読み聞かせは、恥ずかしがらずに思い切ってやった方がいいのだ。隣にかわいい子がいるとかはいったん置いておく。
咲希も、少し驚いた顔でこちらを見る。でもすぐに、流れを合わせてくる。さっきよりも、ずっとスムーズに。お互いの間が、自然と噛み合っていく。
気づけば。笑い声と、歓声と。ちょっとした悲鳴まで混ざって。
最後のページを読み終えたときには——拍手が起きていた。
「おもしろかったー!」
「もう一回!」
「お兄ちゃんまたやって!」
好き勝手な感想が飛び交う。苦笑いしながら、紙芝居を閉じる。
「今日はこれで終わり」
咲希が、手をたたいてやさしくまとめる。子どもたちは「えー!」と言いながらも、近くにいた看護師さんと一緒に素直に散っていく。
部屋に、少しだけ静けさが戻る。窓の外では、さっきまで揺れていた木の葉が、もう静かに止まっていた。
「……助かったよ」
咲希が、ほっとしたように息を吐く。それから、まっすぐこっちを見る。
「ありがとう」
ちゃんとした声で。
「すごくかっこよかったよ!」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「なんかね」
考えるみたいに、少し視線を上に向ける。
「アタシのお兄ちゃんに似てた」
「お兄ちゃん?」
ここは、話を合わせる。
「うん!」
ぱっと明るくなる。
「天馬司っていうの!」
誇らしげに言う。
「困ってる人いたら絶対助けるし、すぐ前に出てくるし」
少し笑う。
「ちょっと騒がしいけどね」
その言い方が、すごく嬉しそうで。
「ああいうときにさ」
こっちを見る。
「自然に手を貸してくれる人、かっこいいと思うんだよね」
まっすぐな目。嘘のない言葉。
「だから、さっきの……ほんとに、ありがとう」
もう一度、言う。少しだけ、胸の奥があたたかくなる。
「……大したことじゃないよ」
そう返すと、咲希は「そういうとこも似てる!」と笑った。
その笑顔が、やけに眩しい。窓から差し込む光が、咲希の金髪を縁取って、輪郭だけがやわらかく光っているように見えた。
それから。
俺の病院生活に、咲希が加わった。
いや、正確には——俺が、咲希のいる日常に入っていった。
朝、顔を合わせて。昼、一緒に過ごして。時々、また紙芝居をやることになって。子どもたちに無茶振りされて。
そのたびに、咲希が笑って。
「またお願いね、ほら、お兄ちゃん!」
なんて言われて。少しずつ、この場所が"ただの病院"じゃなくなっていく。
窓の外の景色も。廊下の音も。人の声も。全部が、少しだけやわらかく感じるようになった。
「次は何の役やらせる気だ」
「ふっふっふ。それは秘密」
「嫌な予感しかしない」
「失礼な! 今度はちゃんと、かっこいい役だから!」
咲希が胸を張る。
「……その顔、絶対企んでるだろ」
「企んでないよ! たぶん!」
「たぶんって言った」
「言ってない!」
そんなやり取りすら、もう日常の一部になっていた。廊下を車椅子で進むたびに、すれ違う看護師さんが小さく笑いかけてくれる。最初はよそよそしかった病院が、少しずつ、知っている場所に変わっていく。
——たぶん、こういう時間を、これから何度も繰り返していくんだと思う。
次は、どんな無茶振りが待っているのか。
ちょっとだけ、楽しみだった。
読んでいただきありがとうございます。
咲希。お兄さんも含めていいですよね。
お気に入り、評価ありがとうございます。
感想お待ちしております。