『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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16 『思い出を作る理由』

 次の日の昼過ぎ。

 

 俺と咲希は、並んで院長室の前に立っていた。病院の廊下はいつも通り静かで、窓から差し込む午後の日差しだけが白い床を淡く照らしている。その静けさが、逆に緊張を大きくしていた。

 

「……なんか、面接みたいだね」

 

 隣で咲希が小さく笑う。けれど、その笑顔は少し硬かった。制服ではなく病衣姿なのに、今の咲希はどこか“学校へ向かう前”みたいな顔をしている。

 

「また明日にする?」

 

 咲希の緊張が伝わってきたのか、自分の少し早い心臓の動きをおさえるように、冗談を言う。

 

「ここまで来てそれ言う?」

 

 あきれたような可愛らしい笑みを浮かべて、少しだけ肩をぶつけてくる。でも、その軽いやり取りのおかげで、少しだけ呼吸が楽になった。

 

 改めて、目の前の扉を見る。

 

 俺の中での“院長先生”の印象は、厳しい偉い人というより、もっと別のものだった。

 

 入院した初日を思い出す。

 

 この病院へ運び込まれた日。身体はまだまともに動かなくて、正直、自分がどうなるのかも分からなかった。そんな俺の診察を、院長先生は自らしてくれた。検査結果を何枚も見比べながら、難しい顔をしていたのを覚えている。結局、原因は最後まで分からなかった。

 

 『大丈夫だよ』

 

 審査地の後に何度も言ってくれる言葉。この人も何か特殊な能力を持っているのではないかと疑うぐらいに、不思議なくらい安心できた。

 

 根拠なんてなかったと思う。それでも、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。

 

 それに、この一カ月の間、病棟で過ごしている中で、院長先生の姿を何度も見てきた。忙しいはずなのに、午後のレクリエーションへふらっと顔を出して。

 

 折り紙を一緒に折って

 

 小さい子に腕へ抱きつかれて動けなくなって

 

 お菓子を隠し持っている子を見つけて「先生にも一個ちょうだい」と笑いながら没収して

 

 あの大きな身体を小さく丸めて、子どもたちと同じ目線で座っている姿は、本当に熊みたいだった。入院している子どもたちから“くまちゃん先生”と呼ばれている理由がわかった。その呼び方を、本人も特に拒否していない。むしろ少し気に入っている気さえする。

 

 でも。

 

 優しいだけの人じゃない。

 

 それも、なんとなく分かっていた。

 

 時々。

 

 廊下ですれ違う時に見せる表情がある。

 

 子どもたちにはなるべく見せないようにしている顔。

 

 家族と話している時。

 

 その横顔は、とても静かで、重かった。

 

 きっと、この病院で、たくさんの子どもたちを見送ってきた人なのだと思う。

 

 笑顔も。

 

 涙も。

 

 希望も。

 

 諦めも。

 

 全部見てきた人。

 

 だから、軽い気持ちでここへ来ちゃいけない気がしていた。

 

 俺は一度、深く息を吸う。

 

 消毒液の匂いが肺へ入る。

 

 隣を見る。

 

 咲希も、小さく息を吐いていた。

 

 でも。

 

 その目はちゃんと前を向いている。

 

 昨日“思い出を作りたい”と泣きながら言っていた少女の目は少し変わっていた。

 

 俺は、少しだけ笑う。

 

「行くか」

 

「うん!」

 

 咲希の決心のついた返事を聞いてから、俺はゆっくりと院長室の扉をノックした。

 

「はい、どうぞ」

 

 穏やかな声。

 

 咲希と顔を見合わせ、小さく頷き合ってから部屋へ入った。

 

「失礼します」

 

 院長室は、想像していたよりずっと普通の部屋だった。

 

 本棚。

 

 机。

 

 観葉植物。

 

 窓際には子どもたちから貰ったらしい折り紙や絵が飾られている。

 

 その奥で、大きな身体の院長先生が、持っていた書類を置き、ゆっくりこちらに顔を上げる。

 

「おや」

 

 ふっと目を細める。

 

「今日は二人一緒なんだね」

 

 穏やかな笑顔。

 

 でも、その視線はちゃんとこちらを見ていた。子ども扱いをするわけでもなく。ただ優しく甘やかすわけでもなく。

 

 予想外の来客だからこそ、尚更“しっかりと話を聞こうとしている大人”の目だった。

 

 俺たちは促された椅子へ座る。

 

 咲希が少しだけ背筋を伸ばしたのが分かった。

 

「それで、今日はどうしたのかな」

 

 院長先生が両手を組みながら尋ねる。そこで、俺は準備してきた話を口にした。

 

 みんなで思い出を作りたいこと。

 

 病院の子どもたちにも、学校行事みたいな時間を届けたいこと。

 

 言葉を選びながら、一つずつ話していく。

 

 院長先生は途中で口を挟まなかった。

 

 ただ静かに最後まで聞いていた。

 

 時々、小さく頷きながら。そして全部聞き終わったあと。

 

 院長先生は、少しだけ椅子へ深く腰掛けた。

 

「なるほど」

 

 穏やかな声。

 

「面白い提案だ」

 

 その言葉に、咲希が少しだけ顔を上げる。

 

 院長先生は、しばらく静かにこちらを見ていた。

 

 否定はしない。

 

 でも、簡単に頷く空気でもなかった。大きな身体を椅子へ預けながら、ゆっくりと口を開く。

 

「……なるほどねぇ」

 

 穏やかな声。けれど、その目は真剣だった。

 

「面白い提案だと思うよ」

 

 その言葉に、隣の咲希が少しだけ表情を明るくする。

 

 「ただね」

 

 次に続いた空気で分かった。ここからが、本当に大事な話なのだと。院長先生は、机の上で指を組む。

 

「君たちに、一つ確認したいことがある」

 

 静かな声だった。怒っているわけじゃない。むしろ優しい。でも、その優しさの奥に“大人”としての重みがあった。

 

「この病院でも、レクリエーションはたくさんやっている」

 

「楽しい時間を作ろうと、先生たちも看護師さんたちも頑張ってる」

 

 窓際に飾られた折り紙へ視線を向ける。きっと、あれも子どもたちと作ったものなのだろう。

 

「でもね」

 

 ゆっくりとこちらを見る。

 

「何かを企画するっていうのは“楽しいことを考える”だけじゃないんだ」

 

 部屋の空気が、少しだけ引き締まる。

 

「楽しみにしていたのに、体調が悪くなって参加できない子もいる」

 

「途中で苦しくなって、部屋へ戻らなくちゃいけない子もいる」

 

「みんなと同じように楽しめない自分に、傷ついてしまう子もいる」

 

 その言葉は、現実だった。病院だからこそ起きる現実。院長先生は、きっとそれを何度も見てきたのだ。

 

「君たちは優しい子だ」

 

「だからこそ、少し心配なんだよ」

 

 その声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「もし、誰かが悲しい思いをしたら」

 

「君たち自身も傷ついてしまうんじゃないかってね」

 

 思わず、言葉を失う。その通りだと思った。俺たちは“楽しいことをしたい”という気持ちだけでここへ来たわけじゃない。

 

 でも、その先にある責任を、どこまで考えられていたかと言われれば、胸を張れない。

 

 院長先生は、そんな俺たちを責めることなく見つめていた。

 

「イベントっていうのはね」

 

 静かな声。

 

「誰かを笑顔にする分だけ、責任も伴うんだ」

 

「思いつきだけでは続かない」

 

「途中で投げ出せば、それは思い出じゃなく、傷になることだってある」

 

 重い言葉だった。だけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 

 たぶん。

 

 この人が本気で子どもたちを大切にしているのが、伝わってきたからだ。

 

「君たちは」

 

 院長先生が、静かに問う。

 

「そこまで考えて、それでもやりたいと思っているかい?」

 

 部屋が静まる。

 

 俺は息を飲む。

 

 返事をしようとして——。

 

「……それでも」

 

 隣から、小さな声が聞こえた。

 

 咲希だった。

 

 俯いていた顔が、ゆっくり上がる。

 

 その瞳は、真っ直ぐ院長先生を見ていた。

 

「それでも、頑張るって決めたんです」

 

 はっきりとした凛とした声だった。その声は、迷っていなかった。

 

「たしかに、上手くいかないこともあると思います」

 

「途中で参加できなくなっちゃう子もいるかもしれない」

 

「みんなで同じように楽しめないことも、きっとあると思う」

 

 一つずつ。

 

 噛みしめるみたいに言葉を続ける。

 

 昨日までの咲希なら、こういう“現実”から少し目を逸らしていたかもしれない。

 

 でも今は違う。

 

 ちゃんと苦しさを知った上で、前を向こうとしている。

 

「でも」

 

 咲希は、自分の胸元をぎゅっと握る。

 

「それでも、やりたいんです」

 

 その声が、少しだけ熱を帯びる。

 

「だって」

 

「辛い時とか」

 

「悲しい時とか」

 

「ひとりぼっちな気持ちになっちゃった時って」

 

 そこで一度、言葉が止まる。

 

 咲希自身、そういう時間を何度も過ごしてきたのだろう。

 

 病院の天井を見上げながら。

 

 みんなのいない教室を想像しながら。

 

 置いていかれる感覚を抱えながら。

 

 それでも。

 

 咲希は顔を上げた。

 

「そういう時に“楽しかった思い出”って、背中を押してくれると思うんです」

 

 その言葉に、部屋が静かになる。

 

「またみんなで笑いたいなって思えるから」

 

「頑張ろうって思えるから」

 

 咲希は、小さく笑った。

 

 太陽みたいな笑顔だった。

 

「だから」

 

「今いるみんなと、一緒に思い出を作りたいんです。私、みんなの名前言えます!みんなの笑った顔もすぐ出てきます。私自身も体調が悪くなったらどうしようって不安はなくならないけど、でも、もし少しでも……ほんのちょっとでも、そのイベントがみんなの明日への希望になってほしいと思ってます!」

 

 その姿を見ながら。

 

 ああ、と思った。

 

 昨日、涙を零しながら「行きたかった」と呟いていた少女が。

 

 今は“誰かのために未来を作ろう”としている。

 

 それが、天馬咲希なのだと思った。

 

 院長先生は、しばらく黙ったまま咲希を見ていた。

 

 やがて。

 

 ふっと目を細める。

 

「……うん」

 

 小さく頷く。

 

 その顔は、どこか嬉しそうだった。

 

 それから、イベントについては一度病院側で日程や安全面を調整することになり、俺たちは院長室をあとにした。

 

 廊下へ出た瞬間、咲希が大きく息を吐く。

 

「はぁぁぁ……緊張したぁ……」

 

 その場にへたり込みそうな勢いだった。

 

 さっきまでの真っ直ぐな顔との落差がすごい。

 

「途中から完全にスイッチ入ってたな」

 

「だ、だってぇ……!」

 

 咲希が耳まで赤くしながら抗議してくる。

 

「クマちゃん先生、なんか先生っていうより面接官みたいだったんだもん!」

 

 その言葉に少し笑ってしまう。

 

 でも、さっきの咲希は、本当に格好よかったと思う。自分の弱さも、不安も、全部ちゃんと知った上で、それでも前を向こうとしていたから。

 

 今日の午後のレクリエーションは“昔遊びの日”だった。

 

 プレイルームには、色とりどりのおはじきや折り紙、けん玉、お手玉なんかが並べられている。

 

 小さい子たちは大はしゃぎで、けん玉は技に成功するたび歓声が上がり。お手玉を落として笑い声が響く。病院だということを、一瞬忘れそうになるくらい賑やかだった。

 

 俺は少し離れた廊下側の椅子に座り、その光景をぼんやり眺めていた。

 

 まだ長時間動き回れるほど体力は戻っていない。隣には、見舞いに来ていた凪さんが座っている。

 

「いい顔してるねぇ、みんな」

 

 凪さんが、ふっと目を細める。その視線は、遊んでいる子どもたちだけじゃなく、その輪の中心で笑っている咲希にも向けられていた。

 

 咲希は、けん玉に苦戦している小さい男の子の隣で、一緒になって「あー!」と叫んでいる。たぶん、咲希自身も苦手で技が成功していない。だけどすごく楽しそうだった。

 

 俺は、今日の院長室での話を凪さんへ伝えた。

 

 最初は前向きだったこと。

 

 でも、簡単には頷かなかったこと。

 

 責任の話。

 

 思い出の重さ。

 

 全部。

 

 凪さんは途中で茶化したりせず、静かに聞いていた。

 

「……そっか」

 

 小さく息を漏らす。その横顔はどこか嬉しそうだった。

 

「いい病院だねぇ」

 

 ぽつりと呟く。

 

「ちゃんと子ども扱いしないで、向き合ってくれてる」

 

 その言葉に、少し頷く。

 

 院長先生は優しい。

 

 でも“優しいだけ”じゃない。だからこそ、あの病院は温かいのかもしれなかった。しばらく、二人でプレイルームを眺める。子どもたちの笑い声が遠くで弾けていた。その中で、不意に凪さんが口を開く。

 

「……ねえ」

 

「ん?」

 

「咲希ちゃんの病気も君と一緒なんでしょ?———原因不明の病」

 

 急に投げられた言葉に、一瞬だけ呼吸が止まる。

 

「でも、君は、前の世界の情報で知ってるんじゃないの?」

 

 本当に、ふと浮かんだ疑問みたいに。その言葉に、俺は少しだけ視線を落とす。そして、ゆっくり首を横に振った。

 

「……分からないんです」

 

 小さく答える。

 

「俺が生きていたころの話って、まだそこまで進んでなかったから」

 

 プロセカの物語。

 

 前の世界で、何度も見てきた物語。

 

 天馬咲希の病気については、詳しい原因までは明かされていなかった。

 

 病名も。

 

 治療法も。

 

 何一つ。

 

 ただ“長い入院生活を送っていた”という事実だけ。

 

「そうなんだね……」

 

 凪さんは、それ以上深くは聞かなかった。そのあと少しだけ考えるように目を細める。

 

「でもさ」

 

 静かな声。

 

「変な話、私を助けてくれた君のあの力なら……なんとか出来ちゃったりしないの?もちろん、可能性の話ってだけだからね」

 

 その問いに、俺はすぐ首を振った。

 

「実は俺の能力は、そのつらさや痛みを俺自身がすべてもらい受けて癒えるまでは、ほかの人のけがを治すことはできないんです。なので現状の俺には何もできません」

 

 咲希の病気については考えていた。だけど現状何も打つ手は無しだった。弱点発見でもどうか見たが、心の揺れなどはわかるが、咲希自身の体の内部に何も見えるものはなかった。それに前に色々と実験して分かったこともあった。

 

「この俺の能力は、結構完璧じゃないんです」

 

「どういうこと?」

 

「凪さんに使う前にも、少し試す機会があったので色々と能力を確認していたんです。そうしたらある縛りに気付いたんです」

 

「縛り」

 

「俺の能力は、俺の前の世界で登場していたキャラクターだけに効果を発揮するんです」

 

 言っていて、少し声が震えるのが分かる。前までの俺なら、原作のキャラを救うためにある能力にマイナスな気持ちを向けることはなかっただろう。だけど、今回のことでつながりをもってしまった病院の子どもたちや、今も俺の知らないところで苦しんでいる人たちを救えないということの現実に苦悩していた。

 

 もちろん俺は神様でもないし、救わなくちゃいけない義務があるだわけでもないが、上手に心を納得させるすべがないだけなのだ。

 

 

「大丈夫だよ。君がみんなを大切に思っている気持ちは伝わってるよ。私は君から『命』をもらったんだ。多分君はこれからも悩んじゃうんだろうけど、わたしが半分もらうから。そんな顔しないで」

 

 テーブルの上に置かれていた俺の手に自分の手を重ねる。俺より凪さんの方が泣きそう表情だった。その気持ちと温かさに涙腺が少し緩むが、凪さんを自分勝手に救った俺が凪さんの前でこうして弱い部分を見せるのは良くないとも思った。

 

「ありがとうございます」

 

 一言。上手く笑えているのかわからないけど、ここの底からの感謝を述べた。

 

 俺らの湿った空気を吹き飛ばすように、遠くから咲希の大きな喜びの声が聞こえる。

 

「できたー!!」

 

 子どもたちが今日一番の歓声を上げる。どうやら、けん玉が成功したらしい。その中心で、咲希が誰より嬉しそうに笑っていた。

 

 その姿を見ながら。

 

 俺は、ゆっくり息を吐いた。

 

 ——今はまだ、分からない。

 

 助けられるのかも。

 

 未来がどうなるのかも。

 

 でも。

 

 少なくとも。

 

 あの笑顔を守りたいと思った。




今回も読んでいただきありがとうございました。

すごい不定期な投稿で申し訳ないです。完結まで頑張りますので、よろしくお願いします。

お気に入り、感想、評価ありがとうございます。

すごい嬉しいです!
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