『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

21 / 22
20 『願いの届く場所』

 のぞみちゃんが手術をする前日の夜。

 病棟は、いつもより静かに感じる。消灯前の薄暗い廊下には、昼間の賑やかさの残響だけが淡く残っていて、窓の外では遠い街の灯りが、小さな星みたいに瞬いている。その光を横目に見ながら、俺と咲希は並んで歩いていた。

 少し前を歩くのは、院長先生——くまちゃん先生。いつもより大きな背中だった。普段は子どもたちに「くまちゃーん!」と抱きつかれて、そのまま押し倒されそうになっているような人なのに、今夜の白衣姿はどこか違う。静かな廊下を進む背中には、不思議なくらい安心感があった。

 やがて、一つの病室の前で足が止まる。ネームプレートには、"夕日 のぞみ"と書かれていた。

 その文字を見た瞬間。隣で、咲希が小さく息を吸う気配がした。緊張をのぞみちゃんに伝えないように、気持ちを切り替えたのだと分かる。たぶん、それは俺も同じだった。

 くまちゃん先生が、静かに扉を開ける。

 

「失礼するよ」

 

 病室の中は、淡いオレンジ色の灯りだけがうっすらと点いていた。夜の病室特有の静けさ。少し乾いた空気。奥にあるベッドの上に、のぞみちゃんはいた。パジャマ姿で、布団を胸元まで引き上げている。

 

「あっ」

 

 こちらへ気づいた瞬間。

 

「咲希お姉ちゃん!」

 

 その顔が、ぱっと明るくなる。そのまっすぐな笑顔に安心と同時に胸が熱くなる。

 

「こんばんは! のぞみちゃん!」

 

 咲希ものぞみちゃんに負けないぐらいの笑顔で、できるだけいつも通りの声で返事を返す。

 

「どうだい体調は? 今日は、眠れそうかな?」

「……ちょうど今、元気になりました。でも、寝れるかは……んーー、ちょっとわからないです」

 

 のぞみちゃんが苦笑する。その答えが妙にリアルで、胸の奥へ静かに落ちた。無理に"平気"と言わない。でも、不安に飲まれないように頑張っている。そんな声だった。

 そういった後、のぞみちゃんは姿勢を正して、改まってお辞儀をする。

 

「三人とも、今日は会いに来てくれて、ありがとうございます」

 

 ぺこりと頭を下げる。小学生とは思えないほど丁寧だった。きっと、同じ年齢の子よりも、少しだけ早く大人にならなければいけなかったのだろう。

 

「そんなにかしこまらなくていいよー」

 

 咲希が苦笑する。

 

「私たちものぞみちゃんと楽しくお話ししたかったんだよ! こちらこそありがとう!」

「でも、ちゃんと言いたかったから」

 

 のぞみちゃんは少し照れたように笑った。

 ふと視線を動かす。ベッドの横の机には、色とりどりの紙が並んでいた。折り紙の輪飾り。色ペンで描かれたイラスト。来週のイベントで使う飾りたちだ。まだ途中らしく、テープやハサミもそのまま置かれている。

 

「イベントまで、あと一週間だね」

 

 咲希が柔らかく言った。すると。のぞみちゃんの顔が、ぱっと明るくなる。

 

「うん」

 

 その返事には、明日、手術を受ける子とは思えないくらいの希望が詰まっていた。

 

「絶対行くからね! 咲希お姉ちゃん!」

「だって、咲希お姉ちゃんと、同じ髪型する約束したし」

 

 そう言って、のぞみちゃんは両手を頭の横へ持っていく。ぴょこん、と髪を結ぶ真似。まだ咲希と比べると短い髪を無理やり引っ張りながら。

 

「こんな感じ!」

 

 ぎこちないツインテール。全然結べていない。でも本人は得意げだった。その姿が可愛くて、咲希は思わず吹き出した。

 

「絶対やるからね」

「うん」

「絶対似合うよ」

「ほんと?」

「ほんと」

 

 のぞみちゃんが嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、咲希は一瞬だけ言葉を止めた。ほんの少し。本当にほんの少しだけ。

 だけど、俺はその横顔を知っていた。検査の前。結果を待つ時。手術室へ向かう誰かを見送る時。咲希が時々見せる顔。それはすぐに消える。太陽みたいな笑顔で隠してしまうから。

 

「イベントの日」

 

 咲希が言う。まるで自分自身へ言い聞かせるみたいに。

 

「絶対かわいくなろうね」

「うん!」

 

 のぞみちゃんが大きく頷いた。まるで、"その日が来る"ことを信じるように。

 その顔を見ていると、胸の奥が静かに痛くなった。怖くないわけがない。まだ小学生だ。明日、自分が手術を受ける意味だって、きっとちゃんと分かっている。

 それでも、こうして未来の話をしている。だから——願わずにはいられなかった。

 俺は、ゆっくりとのぞみちゃんへ近づく。

 

「……のぞみちゃん」

「ん?」

 

 小さな目が、まっすぐこちらを見る。俺は、そっと右手を差し出した。

 

「がんばってね」

 

 一瞬、よく分かっていなくキョトンとした顔をするが、握手を求められていることに気づいて笑顔になる。

 

「うん」

 

 小さな手が、俺の手を握る。細い。少し冷たい。まだ子どもの手だった。

 その瞬間。胸の奥が、じんわり熱くなる。だけど、凪さんの時みたいに、何かが起きるわけじゃない。そんな都合よく奇跡なんて起きない。分かっている。きっと、これは無意味だ。

 それでも。願うことだけは、やめられなかった。

 どうか。悪いものが、少しでも消えますように。のぞみちゃんが、また笑えますように。

 そんな祈りみたいな願いだけが、静かに胸の奥へ広がっていく。

 

 その後は、四人で思い出話やイベントでの楽しみなことを笑いながら話した。

 

「じゃあ、またね!」

 

 咲希が手を振る。

 

「明日、終わったらいっぱい褒めるから!」

「えへへ」

 

 のぞみちゃんが、照れたみたいに笑う。

 

「がんばる」

 

 その言葉を最後に。俺たちは病室を後にした。

 静かに扉が閉まる。廊下へ出ると、少しだけ空気が冷たかった。咲希は何も言わない。しかし横顔は、少し強張って見えた。

 すると、前を歩いていた院長先生が、ゆっくり振り返る。

 

「……大丈夫」

 

 穏やかな声だった。そこには医者としての覚悟が、ちゃんと宿っている気がした。

 

「明日は、私たちが全力で頑張るよ」

 

 その言葉は、不思議なくらい真っ直ぐだった。何度も不安な夜を見てきた人の声だった。

 咲希が、小さく頭を下げる。

 

「……お願いします」

 

 院長先生は、優しく頷く。白い廊下の灯りの中で。その背中は、今夜やけに大きく見えた。

 

 次の日の午後。今日の午後からのぞみちゃんの手術が始まる。咲希は連日の頑張りと心労からか体調を崩してしまったようだ。看護師さんが朝そう伝えてくれた。

 プレイルームの扉を開けた瞬間。いつもなら真っ先に聞こえてくる声が、今日はなかった。

 

 『はいそこー! 暴れないの!』

 『もー! なんでドラゴン増えてるの!?』

 

 場の真ん中で転がるみたいな明るい声。太陽みたいに、自然とみんなを笑わせる声。それがないだけで、同じプレイルームなのに、少しだけ静かに感じる。

 もちろん、準備自体は進んでいた。輪飾りを繋げている子。折り紙を折っている子。類が作っている機械を「すげぇ……」と遠巻きに眺めている子。凪さんのギターに合わせて、小さい子たちが歌っている。賑やかだ。ちゃんと楽しい雰囲気はある。でもどこか、一色足りない。そんな感じだった。

 

「あれ?」

 

 一人の男の子が、辺りを見回す。

 

「咲希お姉ちゃんは?」

 

 その声で、何人かの子どもたちが顔を上げた。

 

「今日は休みだよ」

 

 なるべく軽く言う。

 

「ちょっと体調がよくないんだって」

 

 その瞬間。空気が、少しだけ静かになった。

 

「熱!?」

「大丈夫なの!?」

「ちゃんと休んでるから大丈夫だよ。明日には復活するって言ってた。みんなパワー送ってあげてな」

「……咲希お姉ちゃんってさ」

 

 折り紙を折っていた女の子が、ぽつりと呟いた。その声に、自然とみんなの手が止まる。

 

「いつも笑ってるよね」

「うん」

「めっちゃ元気」

 

 小さな笑いが広がる。その女の子は、少しだけ俯いたまま続けた。

 

「でもね。検査の時とか。注射の時とか。時々、すっごくつらそうな顔してるの」

 

 プレイルームが静かになる。

 

「この前ね。廊下で一人の時、ちょっと泣きそうになってた」

 

 誰も、すぐには言葉を返さなかった。みんな知っていたのだ。咲希が、ただ明るいだけじゃないことを。笑顔の裏で、ちゃんと苦しんでいることを。それでも、自分たちの前では笑おうとしていることを。

 

「……優しいんだよね」

 

 ぽつりと零れる。

 

「咲希お姉ちゃん」

 

 別の女の子が、ふと顔を上げる。

 

「ねえ、咲希お姉ちゃん……今さみしいかな」

 

 その一言が、プレイルームの中を波紋のように広がっていく。

 そして——

 

「じゃあさ!」

 

 いつも元気な男の子が、ぱっと立ち上がった。

 

「咲希お姉ちゃん元気になるやつ作ろうよ!」

「うん! 星!!」

 

 一瞬、静かになる。次の瞬間。

 

「あっ、いいじゃん!」

「いっぱい作ろ!」

「病室の前につけようよ!」

 

 一気に空気が動き始めた。折り紙を集める子。テープを探す子。

 その騒がしさを眺めながら。ふと、胸の奥がざわつく。咲希の体調や、のぞみちゃんの手術。今までがうまくいきすぎていただけで、油断はできない。

 

「どうしたの?」

 

 凪さんが、小さくこちらを見る。

 

「いや……」

 

 上手く返事を返せない俺を見て、凪さんは少しだけ目を細めると、静かに言った。

 

「———大丈夫だよ」

 

 その声は、自分へ言い聞かせるみたいでもあった。俺は、小さく頷く。

 そして。子どもたちと一緒に、折り紙を手に取った。作り慣れていない、周りの星よりも不格好な星が、一つ増えた。

 今日は咲希はいないのに、みんなの中心には咲希がいた。

 まだイベントは始まっていない。でも、咲希が作ろうとしていた"思い出"は、もうここに生まれているのだ。

 

 

 

 

 

 夜。病室の時計は、もう消灯時間を過ぎていた。ベッドの隣にある棚から体温計をとり、測ってみると昼間より熱は少し下がった。でも、身体はまだ重い。

 ベッドへ身体を預けながら、天馬咲希はぼんやり天井を見上げていた。

 今日の午後から始まったであろう、のぞみちゃんの手術。長い手術になると聞いていた。だから、待っていた。終わったら。きっと、くまちゃん先生が来てくれる。

 

 『無事終わったよ』

 

 そう笑って言いに来てくれる。そう思っていた。だけど、まだ、来ない。

 廊下の足音が聞こえるたび、少しだけ身体が強張る。違ったと分かるたびに、安堵なのか落胆なのか力が抜ける。

 

「……大丈夫。大丈夫だよ」

 

 小さく呟く。自分へ言い聞かせるみたいに。でもその声は少しだけ弱かった。

 胸の奥が、ずっと落ち着かない。布団を握る指へ、自然と力が入る。

 昨日、のぞみちゃんは笑っていた。咲希と同じ髪型にするんだって、嬉しそうに笑っていた。

 だからこそ。怖かった。病気は時々、そういう未来を、簡単に壊してしまう。約束した明日を。楽しみにしていた時間を。当たり前みたいに奪っていく。

 咲希は、それを知っている。だから。待つことが怖い。結果を聞くまでの時間が、苦しい。

 もう咲希は限界だった。じっとしていられなかった。咲希は、ゆっくりとベッドから足を下ろす。少しふらつく身体を支えながら、静かに病室の扉へ向かった。

 廊下へ出る。夜の病棟は静かだった。昼間の賑やかさが嘘みたいに、白い廊下だけがどこまでも続いている……はずだった。

 自分の病室の前へ視線を向けた瞬間。

 

「……え」

 

 思わず、足が止まる。天井から。たくさんの星が吊るされていた。

 折り紙の星だった。小さな星。大きな星。金色。青色。銀色。淡い黄色。子どもたちが選んだのだろう、少しちぐはぐな色たちが、夜の白い廊下へ優しく浮かんでいる。それは、咲希にとってただの飾りなんかじゃなかった。

 廊下そのものが、夜空へ変わっていた。

 空調の風に揺れるたび、星たちが小さく踊る。天井の灯りを受けて、折り紙の角がきらりと光る。少し歪な形。折り目がズレているもの。角が潰れているもの。テープが曲がって貼られているもの。

 きっと、小さな子たちが何度も折り直して、一生懸命作った星。一つ一つが不器用で。一つ一つが愛しかった。そして、その全部に、"自分のことを笑顔にしたい"という気持ちが詰まっていることが感じられた。

 咲希は、しばらく動けなかった。胸の奥が、だんだんとじんわり熱くなる。視界が、少しだけ滲む。

 そっと、一つの星へ触れる。紙の感触が、指先へ柔らかく伝わった。揺れる星たちの隙間に、小さな紙が見える。

 

 『咲希、おねえちゃん大好き』

 

 丸っこい文字。

 その瞬間。咲希は、思わず笑ってしまった。

 

「ふふ……」

 

 でも。笑った途端、涙が頬を伝った。

 

 ——怖かった。のぞみちゃんのことも。自分のことも。また、大切な未来が消えてしまうんじゃないかって。ずっと怖かったのだ。

 

 こんなふうに誰かが、自分を想ってくれている。笑ってほしいって。元気になってほしいって。そう願ってくれている。

 その温かさが、冷え切っていた胸の奥へ、ゆっくり灯りをともしていく。まるで。本当に自分の体が星空の中へ立っているみたいな感覚だった。

 昔。幼馴染と見上げた夜空を、ふと思い出す。みんなで並んで見た星。笑いながら話した時間。遠いと思っていた景色が。今、ここへ繋がっている気がした。

 

「……ありがとう」

 

 ぽつりと零れる。それから。咲希は、ゆっくり顔を上げた。揺れる星たちを見つめながら、小さく息を吸う。

 

「……のぞみちゃん」

 

 静かな廊下へ声が溶ける。

 

「大丈夫だよ」

 

 願うように。祈るように。

 

「大丈夫」

 

 もう一度呟く。

 

「きっと、大丈夫」

 

 そうして。咲希は、静かに廊下を歩き出した。揺れる星たちの下を、一歩ずつ。満天の星空の中を歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 手術室前の廊下は、ひどく静かだった。白い壁。閉ざされた扉。無機質なランプの光。時間だけが、やけに遅く流れている気がする。

 少し離れた椅子には、のぞみちゃんの両親が座っていた。お母さんは、ぎゅっと両手を握り締めている。お父さんは俯いたまま、何度も時計を見ていた。

 俺は、その少し離れたベンチへ座っていた。白い手術室のランプを見つめながら。ただ、祈ることしかできなかった。何もできない自分が、ひどく無力に思えた。

 その時だった。隣へ、誰かが静かに座る気配がした。横を見る。

 

「……咲希」

 

 そこにいたのは、咲希だった。少し青い顔。いつもは結んである髪が、今日は下ろされている。病衣姿。でも、その目だけはまっすぐ手術室を見ていた。目の周りが赤い。またこの子は誰もいないところで泣いていたのだろう。

 

「起きてて大丈夫なのか」

「……じっとしてられなかったの」

 

 咲希が、小さく笑う。

 

「ありがとう。星」

 

 少し間を置いて。

 

「とっても嬉しかったよ」

「みんながさ、どうしてもやりたいって聞かなくてさ」

 

 俺も前を向いたまま答える。

 

「本当はイベントの日にやろうと思ってたんだけど、咲希を元気にしたいんだって」

「そっか」

 

 咲希が顔を上げる。病院の天井しかないはずなのに、咲希の視界にはさっきまで見ていた星空が、まだそこに残っているようだった。

 

「うん。ちゃんと伝わったよ」

 

 静かな声。

 

「……みんなの気持ちも」

 

 少しだけ息を吸う。

 

「君の気持ちもね」

 

 その横顔は笑っていた。でも、咲希の膝の上へ置かれた手は、ぎゅっと握られていた。指先が少し白くなるくらいに。

 気づけば、俺はその手へ、自分の手を重ねていた。少し冷たい。咲希の肩が、ぴくりと揺れる。

 

「……え?」

 

 小さな声。驚いたみたいにこちらを見る。

 今さら手を引くのも変だった。だから俺は、そのまま少しだけ力を込める。大丈夫だ。そう伝えるみたいに。

 すると、咲希の表情が、ゆっくりとほどけていった。泣きそうな顔でも。笑顔でもない。その間にあるような顔。

 そして、咲希もまた、そっと握り返してくる。弱々しく。——でも確かに。

 その温もりだけで十分だった。言葉なんてなくても。今、同じ願いを抱いていることが分かったから。

 静かな手術室前。白い灯りの下。閉じられた扉の向こうには、まだ誰にも分からない明日があった。俺たちは何も話さない。

 ただ、離れないようにと握った温もりだけが、ここにいる理由を教えてくれていた。

 

 夜は静かだった。けれど、その静けさの中で。確かに二人分の願いが息づいていた。

 

 




待っていてくださった皆様ありがとうございます。
読んでくださった皆様ありがとうございます。

応援してくれる皆様に元気もらっています!

待たせてしまったので2話、ほぼ同時投稿でいきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。