『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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21 君がくれた流れ星

 イベント当日。

 病棟の朝は、いつもより少しだけ早く始まった。まだ外の空気が白く冷たい時間。看護師さんたちが慌ただしく動く音と一緒に、プレイルームの方から子どもたちの笑い声が聞こえてくる。

 

「ねぇまだー!?」

「衣装見せてー!」

「だめ! 本番までひみつ!」

 

 そんな声が廊下へ響いていて。まるで、本当に学校の文化祭の日みたいだった。

 俺はプレイルームの入口で、その光景を少し呆れながら見ていた。

 

「……朝から元気すぎるだろ」

「ふふっ。いいことじゃない」

 

 隣で、凪さんが優しく笑う。今日は白いニット姿だった。膝の上にはアコースティックギター。軽く弦を鳴らすたび、柔らかな音が朝の空気へ溶けていく。

 その近くでは、小さい子たちが「きらきらぼし」の練習をしていた。正直、音程はかなり自由だ。でも練習の成果からか声は出ていたし、気持ちが込められている気がする。その不揃いな歌声が、今日は妙に安心する。

 

「がおおおおおおっ!!」

 

 突然、背後から低い咆哮が響く。

 

「うおっ!?」

 

 振り返る。

 そこには、緑色のドラゴンがいた。正確には。ドラゴンの着ぐるみを着た、小学二年生くらいの男の子だ。フェルト製の羽。ふにゃふにゃの尻尾。頭の被り物は少しズレていて、片目しか見えていない。でも本人は完璧にドラゴンになりきっていた。

 

「たべちゃうぞー!!」

「なんで病院にドラゴンいるんだよ」

「夢があるだろう?」

 

 いつの間にか後ろに来ていた類が、満足げに頷いていた。

 

「いや、お前の仕業かよ」

「彼は最後まで"ドラゴンだけは譲れない"と言っていてね。瑞希くんと合作してしまったよ」

 

 ドラゴンが吠える。周りの子どもたちも大爆笑しながら追いかけ始めた。横では、お姫様のドレスを着た女の子が「私のお城に来るがよい!」と謎の貫禄で号令をかけている。騎士の格好をした男の子が「はっ!」と返事をして、なぜか敬礼していた。設定がもうめちゃくちゃだ。

 朝からカオスだった。その騒がしさが、今日はたまらなく愛しかった。

 

「はいはい! 走らないのー!」

 

 その時。プレイルームの奥から、聞き慣れた声が飛んできた。振り向く。

 そこにいたのは、咲希だった。思わず少しだけ安心する。今日までに体調も少し戻せたのか、顔色も良くなった。頬を赤くして。目を輝かせて。今日という日を、心から楽しみにしていた子どもみたいに咲希は笑っている。

 

「お、主役」

 

 そう言うと。咲希は、一瞬きょとんとしてから。ふにゃっと笑った。

 

「今日はね」

 

 少し胸を張る。

 

「みんなが主役なんだよ」

 

 その言葉が、妙に咲希らしかった。自分が中心じゃなくていい。みんなで笑えることの方が大事。そんな子だから。みんな、この子のことが好きなんだろうなと思う。

 

 その時だった。プレイルーム入口の方で、小さく車輪の音がした。騒がしかった空気が、少しだけ止まる。みんなが視線をそちらに向ける。

 そこには、小さな車椅子に乗っているのぞみちゃんがいた。

 一週間前。明け方近い病棟。赤い手術室のランプが、静かに消えた瞬間を思い出す。長かった。本当に、長かった。張り詰めていた空気の中。ようやく開いた扉から、くまちゃん先生が出てきた。

 その顔を見た瞬間。全部分かった。憑きものが落ちたみたいな顔で。少し疲れた笑顔で。くまちゃん先生は言った。

 

 『……成功したよ』

 

 その瞬間。咲希が、その場で泣き崩れそうになっていた。俺も、膝から力が抜けたのを覚えている。

 

 ——そして今。のぞみちゃんは、ちゃんとここにいた。まだ顔色は白い。腕には点滴も繋がっている。でも。その目は、ちゃんと前を向いていた。

 

 咲希はのぞみちゃんに近づいて、何かを言おうとして途中で言葉が止まる。

 "よかった"とか。"頑張ったね"とか。"会えてよかった"とか。たぶん、色んな言葉が胸の中へ浮かんでいるんだろう。でも、その全部が、喉の奥でつかえてしまったみたいに出てこない。

 だから、咲希は、少しだけ困ったみたいに笑った。泣きそうな顔のまま。

 

「……ありがとう」

 

 その一言だけが、ようやく零れる。

 のぞみちゃんが、きょとんとする。

 

「なんで咲希お姉ちゃんがお礼言うの?」

「だって……」

 

 咲希が、小さく息を漏らす。

 

「———来てくれたから」

 

 その声は、とても静かだった。本当に、本当に安心した人の声だった。

 のぞみちゃんが、少し照れたみたいに笑う。

 

「えへへ」

 

 それから、ちょっと得意げに、自分の髪へ手を伸ばした。

 

「約束したでしょ?」

「ん?」

「咲希お姉ちゃんと、おんなじ髪型にするって」

 

 そう言いながら。のぞみちゃんは、小さな両手で自分の髪を持ち上げる。まだ長さの足りない髪を、頑張って左右へ分けて。咲希みたいなツインテールを作ろうとしていた。

 結び方は少し不格好で。片方はちょっと曲がっていて。髪もぴょこぴょこ跳ねている。でも、その一生懸命さが、たまらなく愛しかった。

 

「にしし」

 

 のぞみちゃんが、悪戯っぽく笑う。

 

「似合ってる?」

 

 その瞬間。咲希の目が、少しだけ丸くなる。それから。ふわっと、春の日差しみたいに笑った。

 

「……うん」

 

 優しい声だった。

 

「すっごく似合ってる」

「ほんと!?」

「うん!」

 

 咲希が、何度も頷く。

 

「のぞみちゃんのツインテール。絶対かわいいって思ってたんだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間。のぞみちゃんの顔が、ぱっと花みたいに明るくなる。その笑顔が眩しくて。咲希は、また少しだけ目を潤ませた。

 でも、今度は泣かなかった。代わりに、咲希は、いつもの太陽みたいな笑顔を浮かべる。

 

「今日はいっぱい楽しもうね」

「うん!」

 

 のぞみちゃんが、大きく頷く。その返事が、今日という日を、何より特別なものにしている気がした。

 

 イベントは、その後も賑やかに続いた。

 ドラゴンと騎士の最終決戦は、なぜか仲直りという誰も予想していない結末を迎え(「ドラゴンも友達になれるから!」と咲希が無理やり丸めた)、瑞希が手掛けた仮装コンテストでは、当然のように瑞希自身が一番気合いを入れた格好で紛れ込み、子どもたちに「ずるい!」と総攻撃を受けていた。

 

 類のプラネタリウム装置は本番でも盛大に動き、流れ星が落ちるたびに歓声が上がった。

 凪さんのギターに合わせた合唱は、最後まで全員揃わなかったけれど、それがいっそう温かかった。

 

 そして最後に、子どもたち全員からの手紙のサプライズ。

 

 代表で読んだのぞみちゃんの声が震えるたびに、咲希も、見ていたみんなも、目元を拭っていた。

 

 

 

 屋上へ出る。

 

 夜の空気は少し冷たかった。肺の奥まで吸い込むと、今日一日の熱が少しだけ落ち着いていく。それでも、胸の中はまだ騒がしかった。夢みたいな一日だった。俺はベンチへ腰掛けながら空を見上げた。

 星はほとんど見えない。街の明かりに隠されてしまっている。

 だけど、今日見た景色は、やけにはっきりと思い出せた。ドラゴンが暴れていたこと。凪さんのギター。類の作ったプラネタリウムと仕掛けた流れ星。瑞希が子どもたちの仮装を手伝い、一緒になって騒いでいたこと。のぞみちゃんのツインテール。咲希とおそろいの星のついたゴムをつけて上機嫌だった。そして、みんなからの手紙などのサプライズに、涙を流しながら最高の笑顔を浮かべた咲希。

 思い出していると自然と笑顔になってしまう。本当に、素敵な日だった。

 

「みーつけた」

 

 後ろから声がした。振り返る。

 咲希だった。病衣の上から薄いカーディガンを羽織っている。夜風に揺れる髪。昼間に泣きすぎて少しだけ赤い目元。たぶん、あれからまた泣いていたのだろう。

 

「ここにいたんだ」

 

 咲希が言う。

 

「探したんだよ?」

「そりゃ悪かったな」

「うん。悪い!」

 

 あんまり記憶にない、咲希の即答に思わず笑ってしまう。

 

「そこはそんなことないって否定しろよ」

「しなーい!本当に探したんだからね!」

 

 咲希も笑った。そのまま隣へ歩いてきて、ベンチへ腰を下ろす。肩が触れるか触れないかくらいの距離。

 少しだけ沈黙が落ちた。嫌な沈黙じゃなかった。今日一日を全部使い切った後のどこか心地良い静けさだった。

 

「ねぇ」

 

 咲希が空を見上げたまま言う。

 

「今日さ」

「ん?」

「すっごく楽しかったね」

 

 その声には。まだ今日の余韻が残っていた。笑い声も。歌声も。みんなの願いも。まだ胸の中で輝いているみたいに。

 

「そうだな」

 

 俺が頷く。しばらく二人で景色を眺める。世界が少しだけ優しく見えた。

 

「私ね」

 

 咲希が足を揺らしながら、ぽつりと言った。独り言みたいに小さかった。

 

「今日、びっくりしたんだ」

「何に?」

 

 聞くと。咲希は少しだけ照れくさそうに、困ったみたいに頬を掻く。

 

「手紙」

 

 その一言で分かった。イベントの最後。のぞみちゃんが代表で読んだ手紙。あの後も。子どもたちは口々に話していた。

 咲希お姉ちゃんが好き。咲希お姉ちゃんがいると楽しい。咲希お姉ちゃんがいるから頑張れる。

 そんな言葉を。何人も。何人も。まっすぐな目で伝えていた。

 咲希は膝の上で手を重ねる。少し考えるみたいに。言葉を探すみたいに。

 

「私さ」

 

 夜風が髪を揺らす。

 

「ずっと逆だと思ってたんだ」

「逆?」

「うん」

 

 咲希が頷く。

 

「私が元気をもらってるんだって」

 

 少し笑う。

 

「お父さんとお母さんに。お兄ちゃんに。いっちゃんたちに」

 

 そこで。ほんの少しだけ。こちらを見る。

 

「……君にも」

 

 すぐに視線は夜景へ戻る。

 

「だからね」

「私は、ずっと支えてもらう側なんだって思ってた」

 

 その言葉は——ずっと胸の中にあった本音みたいだった。

 咲希は昔からそうなのだろう。誰かの優しさをちゃんと覚えている。でも自分が与えたものは自然で、当たり前で、無頓着だった。だからこそ自分が受け取ったものばかり数えてしまう。

 

「でもさ———違ったんだね」

 

 静かな声。だけど。不思議なくらい真っ直ぐだった。

 

「私」

 

 一度だけ息を吸う。そしてゆっくりと言った。

 

「私も、誰かの力になれてたんだ」

 

 夜風が吹く。その言葉は、空へ消えてしまいそうなくらい小さかった。でも、今までで一番力強く、大きな言葉だった。

 病気になったことは変わらない。苦しかったことも。悔しかったことも。なくならない。それでも。今日。咲希は確かに知ったのだ。自分が誰かに救われたように、自分もまた、誰かを救えていたのだと。

 夜風が吹く。フェンスの向こう。街の灯りが揺れていた。

 俺は何も言わなかった。今の空気が壊れてしまいそうだったから。咲希も黙っていたが、その顔は長い夢から覚めた後みたいに、どこか晴れやかだった。

 

 しばらくして、咲希が先ほどと同じように声をかけてくる。

 

「ねぇ」

「ん?」

「私、夢ができたの!」

 

 その言葉に、思わず隣を見る。

 

「夢?」

「うん。二つできた!」

 

 咲希が頷く。そして。少しだけ遠くを見るような目をした。病院の屋上にいるはずなのに、その視線はもっと先、ずっと先の未来を見ているみたいだった。

 

「高校生になったらね」

 

 その声が弾む。

 

「いっちゃんたちと、もっといっぱい思い出作るの」

 

 笑う。今度は本当に嬉しそうに。

 

「ライブもしたいし。みんなで遊びにも行きたいし。文化祭もやりたい。あっ、体育祭も!」

「あとね」

 

 指を折りながら数え始める。

 

「夏祭りも行きたいし。海も行きたいし。お泊まり会もしたいし。それから——」

「欲張りだな」

 

 咲希の未来への願望が多いのに、全部具体的で、とても幸せそうな声で、聞いているこっちが笑顔になってしまう。すると咲希も笑った。

 

「だってさ」

 

 夜風が髪を揺らす。その笑顔は。昔から知っている咲希そのものだった。

 

「今日改めて思ったんだよね」

 

 静かな声。

 

「思い出って、作ろうと思わないと作れないんだなって」

 

 その言葉に。胸が少しだけ熱くなる。

 修学旅行のことを思い出した。泣いていた咲希。悔しそうだった咲希。寂しそうだった咲希。全部。ここへ繋がっていた。

 

「だから」

 

 咲希が笑う。

 

「いっぱい作るの」

 

 空を見上げる。

 

「これから先の分も。今まで出来なかった分も」

 

 夜空には星が見えない。でも、類が作ってくれた流れ星より。今日みんなで見上げた星空より。今の咲希が一番輝いて見えた。

 未来を見ていた。明日を見ていた。生きているその先を、今の咲希は当たり前みたいに信じていた。

 それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 風が吹く。カーディガンの裾が揺れる。咲希は機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。さっきまでの真面目な空気はどこかへ飛んでいってしまったらしい。

 

「あれ、夢二つできたって言ってなかったか?」

 

 一つ目の夢に感動して、うっかりしていた。二つ目の方がとても気になった。

 俺の言葉で、咲希がぴたりと動きを止めた。

 

「あ」

 

 何かを言いかける。でも。途中で止まる。そして。なぜか耳が赤くなった。

 

「……」

「……?」

 

 沈黙。心地よい夜風だけが通り過ぎる。

 

「咲希?」

「な、なんでもないよ! 夢は二つできたけど、一つしかないの!」

 

 慌てて首を振る。

 

「いや無理があるだろ! 絶対なんかあるだろ」

「ない!」

「ある!!」

「ないもん!」

 

 なぜか必死だった。さっきまで未来について語っていた人とは思えない。

 

「教えろよ」

「やだ」

「なんで」

「なんでも!」

 

 顔が赤い。これは珍しい。咲希は基本的に思ったことをすぐ口に出す。なのに、今日はやけに歯切れが悪かった。視線も合わない。落ち着きなく夜景を見たり。空を見たり。靴先を見たりしている。

 そして、観念したみたいに小さく息を吐いてから。

 

「……秘密」

 

 ぽつり。

 

「は?」

「秘密!」

 

 今度は胸を張る。どこか勝ち誇った顔だった。

 

「教えないよ!」

「なんだそれ」

「ふふーん」

 

 咲希が笑う。見慣れているはずなのに、その表情は普段よりも、少しだけ柔らかくて、少しだけ大人びていて、胸の奥へ静かに残るような笑顔だった。

 気にはなった。ものすごく。でも、その顔があまりにも幸せそうだったから。俺はそれ以上聞かないことにした。

 咲希はベンチに座りながら、膝を抱えるようにして、もう一度空を見上げる。曇り空だった。星なんて一つも見えない。

 それなのに。彼女の瞳には、何かが映っているように見えた。今日もらった手紙か。みんなの笑顔か。それとも——まだ誰にも話していない未来か。

 咲希は小さく微笑む。まるで宝物を胸に隠しているみたいに。その横顔は。夜空のどんな星よりも綺麗だった。

 

 病室へ戻る途中。咲希は何度も口元を押さえていた。別に笑うようなことはなかったはずなのに。気を抜くと、顔が緩んでしまう。

 

「……もう」

 

 誰に言うでもなく呟く。廊下の窓へ映った自分の顔を見る。少し赤い。たぶん。いや、絶対に赤い。恥ずかしくなって視線を逸らした。

 病室へ戻る。静かな部屋。昼間の賑やかさが嘘みたいだった。

 ベッドの横には。今日もらった手紙の束がある。色とりどりの封筒。折り紙の星。宝物みたいな時間の名残。咲希は、その中の一枚をそっと撫でた。

 

「……楽しかったな」

 

 ぽつり。今日を思い返す。みんなの笑顔。歌声。流れ星。のぞみちゃんのツインテール。泣きながら読んだ手紙。

 全部。全部。大切な思い出だった。

 そして。自然と、もう一人の顔が浮かぶ。

 

「……」

 

 咲希は慌てて首を振った。でも。浮かんでしまうものは仕方ない。

 修学旅行の話をした日。思い出を作ろうと言ってくれた日。院長先生のところへ一緒に行った日。星を見上げた日。手術室の前。何も言わずに手を握ってくれた夜。

 思い出すたび。胸の奥が少しだけくすぐったくなる。

 気付けば。ベッドへ倒れ込んでいた。枕へ顔を埋める。

 

「~~~~っ」

 

 声にならない。自分でも何をやっているのか分からない。でも。今だけは誰にも見られたくなかった。

 しばらくじたばたして。ようやく落ち着く。静かな病室。聞こえるのは時計の音だけ。

 咲希はそっと天井を見上げた。そして。本当に小さな声で呟く。

 

「……夢」

 

 今日、屋上で話した。二つ目の夢。誰にも言えないであろう夢。秘密の夢。

 顔がまた熱くなる。それでも、少しだけ勇気を出して。咲希は枕を抱き締めた。そして。誰にも聞こえない声で。夜空へ願い事をするみたいに。

 

「……お嫁さん」

 

 言った瞬間。顔から火が出そうになった。

 

「わあああああああっ!」

 

 再び枕へ顔を埋める。足をばたばたさせる。誰もいない。誰にも聞かれていない。それなのに。恥ずかしくて仕方なかった。

 

 でも、胸の奥は不思議なくらい温かい。今日もらった手紙みたいに。流れ星へ願った夢みたいに。優しい温もりが残っている。

 

 窓の外では。静かな夜が続いていた。

 

 そして。咲希の新しい夢もまた。誰にも知られないまま、そっと生まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 それから時は流れた。

 病院の窓から見えていた景色も、少しずつ色を変えていく。

 冷たい冬の風は少しだけ柔らかくなり。

 枝だけだった木々には、小さな蕾が顔を出し始めていた。

 冬と春の境目。

 出会いと別れが近づく季節。

 そんなある日。

 久しぶりに外出許可をもらった俺は、一人で街を歩いていた。

 病院の外の空気は少しだけ冷たくて。

 それでも、どこか春の匂いがした。

 特に目的はない。

 ただ、ぶらぶらと歩いていただけだった。

 ――その時。

「きゃっ!?」

 角を曲がった瞬間。

 誰かとぶつかった。

 地面へ散らばるスケッチブック。

 転がる色鉛筆。

 何枚もの紙。

「あ、ごめん!」

 慌てて拾い集めようとして。

 ふと、一枚の絵が目に入る。

 息を呑むほど綺麗だった。

 なのに。

 その絵を描いた少女は。

 まるで世界の終わりみたいな顔をしていた。
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