『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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23 木漏れ日の下で

朝、十時。

 病院の外出許可は、もらってあった。学校は、まだしばらく休むことになっている。以前よりは良くなったが、先生はまだ難しそうな表情をしていた。

 着替えて、玄関を出る。空は薄く晴れていて、頬を撫でる風がまだ少しだけ冷たい。住宅街の生垣から、誰かの家の朝食の匂いがふわりと漂ってきた。

 歩きながら、ふと思う。

 

 ——絵名は、学校、大丈夫なのか。

 

 平日の昼前だ。俺の1個上として中学三年生なら、当然授業があるはずの時間だった。

 しかし、いくら今俺が考えても、もちろん答えはわならないので仕方ない。歩く速度を少し上げて、約束の公園へ向かった。

 歩いている間、昨日の終わり際を、何度も思い出していた。

 あの後、年齢の話になって、絵名がぴたりと固まったこと。「私より、年下じゃない」と、信じられないものを見るような目で言われたこと。それから、口調がするりと崩れて、「気を使っちゃったじゃない」「なんで雰囲気だけ大人びてるのよ」と、まくし立てるように責められたこと。

 最終的に、「私の方が年上なんだから、ちゃんと敬ってよね」という話になった。こちらもその態度に仕返しをしたかったので「えななん先輩」と呼ぶことにした。本人は「なによそれ!」と、声を上げていたがこのぐらいいいだろう。

 言うたびに、絵名はむっとした顔をする。だがそれもかわいく思える。

 約束の十分前。公園に着くと、もう絵名がいた。

 昨日と同じベンチに、同じように座っている。膝の上には、画材道具の入った大きめの巾着袋。スケッチブックも、もう開いて準備されていた。

 その姿を見て、思わず口角が緩む。

 ベンチに近づきながら、軽く声をかけた。

 

「えななん先輩、早いですね」

「だれがえななん先輩よ」

 

 即座に返ってくる。

 

「もう約束の時間の十分前なんだから、いてもおかしくないでしょ」

「まぁ、確かに」

 

 頷きながら、少し意地悪な考えが頭に浮かんだ。

 

「でも、もしかしたら、えななん先輩は、今日の約束が楽しみで、一時間前くらいからいたんじゃないですか?」

 

 少し揶揄ってみる。

 絵名の口が、わなわなと震えていた。それから。じわじわと、頬が赤くなっていく。視線が、明らかに泳いでいた。

 

「……見てたなら声かけなさいよ。恥ずかしいじゃない……ばか……」

 

 絵名の声が、消え入りそうに小さくなる。唇が、わずかに震えている。気まずさを抱えたまま、何かを必死にこらえているような様子だった。

 なんとなく、まずいことを言った気がした。でも、何がまずかったのかを考える前に。

 

「なによ!」

 

 堰を切ったように、声が爆発した。

 

「楽しみにして悪いの!! 教えてあげないわよ!!」

 

 ベンチから立ち上がり、両手をぶんぶんと振りながら、近くの鳩を一斉に飛ばすくらいの大声だった。公園の遠くにいた小さな子どもが、びっくりした顔でこちらを見ている。

 

「いや、悪いとは言ってない」

「言ってる! 今のは絶対バカにしてる目をしてた!」

 

 絵名の言葉が、止まらない。

 

「しょうがないじゃない! あんなに褒めてもらったの初めてだったし、同じぐらいの年齢のあんたが絵に興味持ってくれるのも嬉しかったし!」

 

 一気にそこまで言ってから、少しだけ息を吸う。

 

「私が教えて絵の興味がなくなったらどうしようとか、絵が好きにならなかったら私のせいだなとか、考えてたら止まらなくなって。だから、たくさん準備しちゃったんだもん!」

 

 最後の一言は、少しだけ声が小さくなっていた。大声で怒鳴っていたはずなのに、そこだけ、不思議と柔らかかった。

 その言葉を聞いて、思わず黙ってしまった。

 少しわがままで、お調子者で。でも、愚直で、責任感が強くて。誰かに何かを渡す時に、全力でぶつかってしまう。そういう子だと、昨日から、なんとなく感じていた。

 でも、こんなに深く考えていたとは、思っていなかった。

 絵が好きにならなかったら私のせいだ、か。

 教えること自体も、絵名からしたら怖かったんだ。

 

「えななん先輩……ごめんなさい」

「うるさい! もう絵なんて教えない! 今日は中止!」

 

 絵名は、頬を真っ赤にしたまま、スケッチブックを抱えて、視線を逸らした。その横顔には、怒りと、照れと、本人でも処理しきれていない何かが、全部ごちゃまぜになっていた。

 本気で怒っているというより、恥ずかしさをどう扱えばいいか分からなくて、とにかく怒ることで凌いでいるみたいだった。その姿を見ると、さっきの自分を反省する。

 

 ——素直に、来てくれてよかったって言えば良かったな。

 

 それから三十分ほど、ずっと、そんな絵名をなだめる時間が続いた。

 

「悪気はなかった」と何度も繰り返し、「揶揄ったのは悪かった」と謝り、「先輩の絵、本当にすごいと思ってる」と褒め直し。

 絵名は最初、頑なに横を向いたままだった。でも、席を立とうとはしなかった。なので、慌てずに赤ちゃんをなだめるように話していく。そうすると、ぽつりぽつりと返事が返ってくるようになり、やがて、口をへの字に結んだまま「……もういいけど」と呟いた。

 それが、休戦の合図だった。

 少しずつ、絵名の機嫌が、引き潮のように落ち着いていく。

 ようやく絵を描き始めたのは、それから三十分後のことだった。

 

「まずは描くもの決めましょ。何か描きたいのはある?」

「別段ないので、えななん先輩が決めてください」

「何よその言い方。——じゃあ、その木にしましょ」

 

 絵名が指差したのは、公園の真ん中に立つ、大きな木だった。幹は太く、根元には少し苔が生していて、葉の数だけ、無数の影が地面に揺れている。風が吹くたび、その影が静かに波打った。

 

「まず、全体の形だけ、薄く取っていきます。細かいところは、後で」

 

 言われた通りに、鉛筆を動かす。最初は、ただの曖昧な輪郭にしかならない。

 

「もっと肩、楽にして」

 

 絵名が、こちらの手元を見て言う。

 

「力入ってるわよ。鉛筆、もっと軽く持って」

「こう?」

「うん、それくらい」

 

 絵名の指示は、丁寧で、的確だった。何が分からないかを、すぐに見抜いてくる。教えるという行為に、変な気負いがないのが、却って様になっていた。

 

「葉っぱは、一枚一枚描かなくていいの。固まりで見て」

「固まり?」

「光が当たってるところと、当たってないところ。その差だけ意識すればいいの」

 

 言われた通りにすると、それまでただの緑の塊だったものが、急に木らしく見えてくる。鉛筆の先で、明るい部分を残し、暗い部分にだけ重ねるようにして、線を増やしていく。木陰のひんやりした感触まで、紙の上に浮かび上がってくるようだった。

 

「……すごいな」

「でしょ?」

 

 絵名が、少し得意げに笑う。さっきまでの怒りは、もうどこにも残っていなかった。

 しばらく、二人とも黙って手を動かした。鉛筆が紙の上を滑る音だけが、公園に響いていた。時々、風が吹いて、頬に冷たさを残していく。鳥が一羽、頭上を横切って、すぐにどこかへ消えた。

 

「あの、学校は大丈夫なんですか」

 

 ふと、気になっていたことを聞いてみる。

 

「余計なことは気にしないの」

 

 即答だった。それ以上、何も説明しない。鉛筆を動かす手だけが、機械的に続いている。

 

「いや、でも」

「いいから、描く方に集中して。ここ、線がブレてるわよ」

 

 強引に話を切られる。これ以上踏み込んでいい話じゃない、という空気だった。

 仕方なく、また絵に戻る。

 横を見ると、絵名も自分のスケッチブックに向かって、鉛筆を走らせていた。

 その横顔が、ふと目に入る。

 原作のプロセカで、美人として直接描写されているのは、日野森雫とか、まふゆとか、そういうキャラクターが周りとは一線を画す美人というセリフがあった気がする。東雲絵名は、瑞希なんかに揶揄われる役回りも多くて、正直、そこまで美人キャラとして描写させることはなかった。

 

 でも、今、隣で絵に集中している横顔は——

 

 子どもらしい部分は、まだ残っている。でも、その輪郭の整い方が、綺麗だった。風で前髪が少し揺れて、それを払うために細い指がさっと動く。睫毛の影が、頬に薄く落ちている。集中している時の真剣な表情が、その綺麗さを、より際立たせていた。

 

 ——すごいかっこよくて、美しかった。

 

 思わず、見入ってしまう。

 

「……どうしたの?」

「いや」

「変な顔して見られると気になるんですけど」

「いや、ちゃんと描けてるなって思って」

「誰目線の言葉よ!」

 

 いつでも冴えるツッコミに少し笑って、視線を自分のスケッチブックに戻す。絵名は少し怪しむ顔をしていたが、それ以上は突っ込んでこなかった。

 また、しばらく沈黙が続く。鉛筆の音だけが、二人分。木の葉の影が、ベンチの上をゆっくりと移動していく。時間が、淡く、確かに流れていた。

 しばらくして、木の絵が完成した。

 最初の頃のぐちゃぐちゃな線とは、もう全然違う。光の当たり方を意識した葉の塊が、ちゃんと木らしい立体感を持っている。幹の質感には、まだ硬さが残っているけれど、それでも、目を細めて見れば、ちゃんと一本の木として、そこに立っていた。

 

「……俺、こんなの描けたんだ」

 

 自分でも、少し驚いていた。

 絵名が、横から覗き込んでくる。

 

「うん。教え方、上手かったでしょ」

「絵名のおかげだよ。ありがとう!あっ、違う。えななん先輩のおかげです!ありがとうございます」

 

 素直に言うと、絵名は少し驚いた顔をした。それから。

 

「なんで言い直すのよ! 調子に乗らないの! まあ……感謝は素直に受け取っておくわね」

 

 そう言った後に、絵名は少し優しい視線で、俺の描いた絵をじっと見つめていた。何かを、懐かしんでるようなそんな顔だった。視線の奥に、さっきまでとは違う色が、薄く滲んでいる。

 

「えななん先輩?」

「……あ、ごめん」

 

 慌てて、視線を逸らす。

 

「なんか、思い出しちゃって」

「何を」

 

 絵名は、少し迷うような顔をしてから、ぽつりと話し始めた。

 

「小さい頃、絵を描いたら、お母さんとお父さんが、すごく喜んでくれたの」

 

 声が、少しだけ静かになる。風が、絵名の前髪を揺らした。

 

「上手いとか下手とか、関係なくて。ただ、描いたってだけで、たくさん褒められて」

「……」

「楽しかったのよね、その頃は。描くこと自体が」

 

 絵名は、自分の手元のスケッチブックを見る。指先が、ページの端を、無意識になぞっていた。

 

「今は、なんでだろう」

 

 その声には、自分でも答えを探しているような響きがあった。

 

「いつの間にか、描くたびに、評価ばっかり気にするようになって」

「上手いか、下手か」

「才能あるか、ないか」

 

 言葉が、少しずつ重くなっていく。

 

「楽しいはずなのに、なんか、苦しい時の方が多くて」

「どうして、こうなったんだろう」

 

 その問いは、誰に向けたものでもなかった。ただ、絵名自身が、ずっと一人で抱えてきた疑問のように聞こえた。

 何も言えなかった。言葉を探したけれど、何一つ見つからなかった。

 ただ、隣に座って、その横顔を見ていた。

 まだ昼過ぎの明るい時間だった。それでも、その横顔には、初めて会った日に見た、あの深い"ひび"の影が、また少しだけ覗いていた。

 風が、もう一度、木の枝を揺らす。葉の影が、ベンチの上で、静かに揺れた。

 完成した木の絵が、二人の間で、ゆっくりと乾いていく。

 それがなんだか、今の絵名みたいだと思った。

 まだ乾いていない。まだ、決まっていない。

 でも、ちゃんとそこにある。

 

 ——次に会う時には、何か言えるだろうか。

 

 風が、また吹いた。今度は、少しだけ温かかった。

 

 




えななんが可愛い過ぎてつらいです。
プロセカキャラ。みんな尊いです。


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