『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

4 / 22
3 side--暁山瑞希

 夕焼けの色が、街をゆっくり染めていた。

 オレンジ色に溶ける空。長く伸びる影。風に揺れるブランコ。

 暁山瑞希は、公園の入口で足を止めた。

 今日は日曜日だった。

 学校のある日は制服を着て、適当に笑って、適当に距離を取って——"そこにいるだけ"をこなす。それがいつものことだった。今日だけは、自分が選んだ服を着ていい日だ。

 淡い色のトップス。柔らかいシルエットのスカート。髪はいつもより丁寧に整えて、鏡の前で少しだけ時間をかけた。

 誰かに見せるためじゃない。ただ、こういう自分でいたいから。それだけの理由で外に出てきた。

 誰にも気を遣わなくていい時間。誰にも"見られない"時間。

 

 ——そのはずだった。

 

 商店街を抜けて、住宅街を歩いて、気づいたらここに来ていた。

 公園。

 誰もいない。ブランコだけが、風に押されてきい、と鳴っている。

 ベンチに腰を下ろして、空を見上げた。

 オレンジ色が、少しずつ赤に変わっていく。境目が曖昧で、どちらでもない色が空の真ん中に広がっていた。

 

 ——消えたいな。

 

 ふと、そんな言葉が頭をよぎった。

 死にたい、とは違う。ただ、今の自分のままでいることに、少し疲れてしまっただけだ。

 可愛いものが好き。それだけのことが、こんなにも重い。

 笑われた。引かれた。気味悪がられた。最初は痛かった。今は痛くない。痛くないのが、むしろ怖い。いつの間にか、傷つくことにすら慣れてしまっていた。

 だから今は、上手くやっている。笑って、かわして、深く踏み込ませない。

 それでいい。

 そう思っていた。

 

 ——そのときだった。

 

「~~♩~~♬♪」

 

 公園の奥の方から、微かに歌声が聞こえた。

 ……いや。

 正確には"歌"なのか、一瞬わからなかった。

 音程が、ひどい。びっくりするくらいひどい。外れているとか、そういうレベルじゃない。迷ってる。完全に遭難してる。地図も持たずに、方角すら確かめずに、それでも歩き続けているみたいな音だった。

 普通なら、立ち上がってその場を離れる。

 なのに。

 

(……なにこれ)

 

 瑞希は、その場から動けなかった。

 ベンチに座る、自分と同じくらいの年齢に見える男の子。見覚えはなかった。けれど、その背中が妙に目についた。

 

 ——危なっかしかった。

 

 空っぽとは違う。むしろ逆だ。色々と抱え込みすぎて、それをどう処理していいかわからないまま、無理やり蓋をしているみたいな。そんな雰囲気。見ていて、少し不安になるくらい。

 

(……なんでボク、気になってるんだろ)

 

 普段なら、自分から声なんてかけない。期待されるのも、距離を詰められるのも、"知ろうとされる"のも嫌だった。結局、人は勝手に期待して、勝手に失望する。

 昔みたいに。

 脳裏に、小さな記憶がよぎる。

 

『え、お前そういうの好きなの?』

 

 引いた顔。気持ち悪いものを見るみたいな目。

 あの瞬間から、"好き"を隠すのが当たり前になった。可愛いものが好き。そういう自分。それを見せるたび、少しずつ何かを削られていく気がした。

 それなのに。

 この変な歌声は、どうしてか無視できなかった。

 下手だった。本当に下手だった。

 

(……ちゃんと"気持ち"はある)

 

 音は外れているのに、不思議なくらい真っ直ぐだった。上手く見せようとしていない。取り繕っていない。ただ、そこに"本音"だけがある。そんな歌だった。

 

 ——ああ。

 

 そういう人が、いるんだ。

 隠さない人が。誤魔化さない人が。下手でも、ぶかっこうでも、それでも歌い続ける人が。

 胸の奥が、静かにざわついた。消えたい、と思っていた場所が、少しだけ温度を持った気がした。

 気づけば、口が動いていた。

 

「……ねえ」

 

 男の子が振り返る。少し驚いた顔。

 その顔を見た瞬間。

 

(あ)

 

 と、思った。

 この人。たぶん、優しい人だ。根拠なんてない。でも、なんとなくわかった。誰かに優しくしすぎて、そのまま自分を後回しにしてきた人の顔だった。

 

「今の」

 

 瑞希は首を傾げる。

 

「わざと?」

 

 相手の顔が面白いように固まる。その反応が面白くて、少しだけ口元が緩んだ。

 

「音、全部外してたけど」

「……ぐっ」

 

 わかりやすくダメージを受けている。一つ一つの反応が、なんだか妙に素直だった。普通なら誤魔化したり、ムキになったりするのに。それを隠しきれていない。

 

(変な人)

 

 嫌じゃなかった。むしろ、少し安心した。

 完璧じゃない人。無理に取り繕わない人。そういう人を見ると、少しだけ呼吸がしやすくなる。

 

「でもさ」

 

 気づけば、自然と笑っていた。

 

「なんか、ちょっと良かった」

 

 男の子が間の抜けた顔をする。その反応に、また少し笑いそうになる。

 

「上手くはないよ?」

「それは知ってる」

「あはは」

 

 即答だった。それがなんだか無性に面白くて笑ってしまった。人前でこんなに笑うのは、最近なかった気がする。その不器用さが妙にこの人らしくて。だから、少しだけ本音を混ぜた。

 

「ちゃんと"気持ち"はあった」

 

 その瞬間。

 男の子が、少しだけ息を止めたのがわかった。

 ……そんな顔、するんだ。

 ほんの少しだけ、胸の奥が揺れる。言葉を真っ直ぐ受け取られることに、瑞希はあまり慣れていなかった。普段は冗談で流される。曖昧に笑われる。適当に受け止められる。でもそれは、自分がその空気を望むようにレールを敷いていたからでもあった。

 この人は違った。ちゃんと、届いてしまっている。

 だから少しだけ、怖かった。

 

「……変わってるな」

「よく言われる」

 

 笑う。いつものように。

 そのときだった。男の子の視線が、ふっと変わる。空気が止まる。

 見られた。

 そんな感覚が、一瞬だけ走った。表面じゃなくて、もっと奥。自分でも触れたくない場所を、覗き込まれたみたいな感覚。

 

「……どうしたの?」

 

 思わず聞く。男の子は少しだけ頭を押さえて、すぐに誤魔化した。

 

(今の、なに……?)

 

 胸の奥がざわつく。怖い。

 ……のに。

 逃げたいとは、思わなかった。むしろ、もっと知りたいと、少しだけ思ってしまった。

 そんな自分に、瑞希は少しだけ戸惑っていた。

 

「ボクと遊ばない?」

 

 口にした瞬間、自分でも少しだけ驚いていた。

 普段なら、こんなこと言わない。誰かを誘うなんて、面倒だ。距離が近くなるほど、人は勝手に期待する。そうやって近づいてきて、最後には勝手に線を引く。だから最初から深く関わらない方が楽だった。

 なのに。

 この男の子は、どうしてか放っておけなかった。

 思えば声をかけようと思った瞬間から、もういつもの自分じゃなかったのかもしれない。

 夕焼けの光が、公園の砂を赤く染めている。風が吹くたび、ブランコの鎖がきい、と小さく鳴った。その音を背中で聞きながら、瑞希は歩き出す。

 

「どこ行くんだ?」

「んー、特に決めてない」

 

 振り返らずに答えた。本当に決めていなかった。ただ、もう少しだけ一緒にいたかっただけなのだから。

 

「適当だな」

「いいじゃん、そういうの」

 

 くすっと笑う。

 夕方の商店街は、昼とも夜ともつかない空気をしていた。部活帰りらしい学生。買い物袋を提げた主婦。自転車で走り抜けていく小学生。人の流れの中に紛れて歩きながら、瑞希はちらりと隣を見る。

 男の子は、きょろきょろと周囲を見渡していた。まるで見慣れない街を確かめるみたいに。目が、どこか落ち着かない。

 居場所を探している人の目だった。

 

(……やっぱり、変な人)

 

 そう思ったときだった。

 雑貨屋のショーウィンドウが目に入る。ガラス越しに並ぶ、小さなアクセサリー。リボン。ぬいぐるみ。淡い色のヘアピン。夕焼けを反射したガラスが、きらきら光っていた。

 気づけば、足が止まっていた。

 

「これ、どう思う?」

 

 指差す。またやってる、と思った。聞くつもりなんてなかったのに、口が勝手に動いていた。ただ、隣にこの人がいたから。それだけだった。

 

「似合いそうだけど」

 

 返事は、あまりにも自然だった。迷いも、変な含みもなく。まるで本当に、"似合う"と思っただけみたいに。

 

「……ほんと?」

 

 思ったより、声が軽くなる。胸の奥が、ほんの少しだけ浮いた。

 ——その瞬間だった。

 

 店の中から、数人の男子グループが出てきた。一瞬で、わかった。知っている顔だった。同じ学校の、同じ学年の子たちだった。

 

「あっ……」

 

 小さく声が漏れる。視線が、すっと下に落ちた。

 向こうも気づいたらしかった。

 

「あれ、瑞希じゃね?」

 

 聞こえるか聞こえないかくらいの声。確かに届いた。

 その後の会話は、よく聞こえなかった。チラチラとこちらを見ながら、何かを言い合って笑っている。声のトーンと視線の動きで、全部伝わってくる。

 知っている。ああいう空気を。

 昔の記憶が、一瞬だけ脳裏をかすめる。

 

『男なのに?』

『気持ち悪』

 

 小さな言葉。その頃の瑞希には十分すぎるほど鋭かった。胸の奥が、きゅっと縮む。呼吸が浅くなる。

 今日も、か。

 自分の好きな格好をしているだけなのに。それだけのことが、こんなにも重い。

 

 ——消えたいな。

 

 またその言葉が、頭をよぎった。

 死にたいとは違う。ただ、この重さごと、どこかに置いてきたかっただけだ。

 慣れてる。こんなの、何回もあった。だから。

 

「……やめとこっか」

 

 いつも通りの声で笑う。何でもないみたいに。自分から離れる。それで終わるはずだった。

 

「いや」

 

 隣から、声が落ちた。

 

「似合うって言っただろ」

 

 思わず、顔を上げる。

 男の子は、まっすぐショーウィンドウを見ていた。周囲なんて気にしていないみたいに。チラチラと向けられる笑いも、嫌な空気も——何も届いていないみたいな顔で、ただそこに立っていた。

 

(……なんで)

 

 そんなふうにいられるんだろう。普通は、少しくらい空気を読む。周りの視線とか、変な雰囲気とか。そういうのを察して、曖昧に笑う。それが"普通"のはずなのに。

 この人は違った。庇うわけでもなく。同情するわけでもなく。ただ、本当にそう思ったから言った。そんな顔をしていた。

 だから余計に、困る。

 胸の奥が、変に熱くなる。

 

「……ありがと」

 

 小さく呟く。それだけで終わるつもりだったのに。

 

「え、ちょ——」

 

 急に手を掴まれた。驚く間もなく、店の中へ引っ張られる。蛍光灯の光。甘い香り。棚いっぱいの雑貨。男の子は迷いなく赤いリボンを掴むと、そのままレジへ向かった。

 

「ちょ、待っ——」

 

 止める暇もない。

 店員さんが、わたしたちの雰囲気に小さく笑っている。後ろで、さっきのグループがまだ何か言っている気配がした。この人は一度も振り返らなかった。本当に、何も気にしていないみたいに。

 

 ——こんな人が、いるんだ。

 

 眩しかった。うまく説明できない。ただ、少しだけ眩しかった。

 店を出る。夕焼けはもう薄れていて、空の端が群青色に変わり始めていた。差し出されたリボンを、瑞希はすぐには受け取れなかった。街灯の灯りを受けて、赤色だけがやけに鮮やかに見える。

 ほんの数秒、視線が揺れる。

 それから、ようやくそっと受け取った。

 

「……ありがと」

 

 前髪を触る。照れ隠しみたいな、いつもの癖。指先が少しだけ熱かった。

 

「きみってさ」

「ん?」

「変なとこで、変なことするよね」

「褒めてる?」

「半分くらい」

 

 くすっと笑う。さっきより、少しだけ自然に笑えた気がした。

 並んで歩き出す。街灯が、一つずつ灯っていく。その光の間を抜けるたび、二人の影が伸びたり縮んだりした。隣を歩く距離が、さっきより少し近い。

 不思議と、嫌じゃなかった。

 

 ——なんか、あたたかい。

 

 そのことに気づいて、少しだけ戸惑う。さっきまで消えたいと思っていた場所が、今は少しだけ違う温度を持っていた。

 同時に、胸の奥で小さなものが疼いていた。この人は今日、あの空気を気にしなかった。今日だけの話かもしれない。これから何度も一緒にいたら、きっとわかってくる。ボクの周りにはいつもあういう空気がついてくるって。そうしたら——

 脳裏に、昔の記憶がちらつく。拒絶。沈黙。気まずそうな顔。

 胸の奥が、少しだけ冷える。だから本当は、これ以上近づかない方がいい。頭ではわかっている。

 なのに。

 街灯の下で、ふとこっちを向いて笑う横顔を見ると。

 なんでこの人は、こんなふうにいられるんだろう、とまた思ってしまう。

 答えは出ない。ただ漠然と。

 もう少しだけ、この時間が続けばいいのに、と思った。

 ベンチに並んで座っていた。二つ目の公園。静かな場所。虫の声が、どこかで鳴き始めていた。

 

「……さっきさ」

 

 気づいたら、口を開いていた。

 

「変なこと言ってたよね、きみ」

「どれだ」

「"似合う"ってやつ」

「本当にそう思ったからな」

 

 迷いのない答えだった。考えてから言ったんじゃない。当たり前みたいに。

 

「……そっか」

 

 少し間を置いてから、先ほどもらったリボンを自分の頭の横にそっと近づける。恥ずかしさと緊張を半分ずつ混ぜたような表情で聞いてくる。

 

「どう? 似合う?」

「うん。やっぱり似合ってる。瑞希はもとがいいから、何でも似合うよ」

「……ストレートすぎでしょ」

 

 リボンを袋にしまって、少し黙った。その沈黙は重くなかった。むしろ、どこか心地よい。

 今日、初めて会った人だ。名前も、どこに住んでいるかも、何も知らない。なのに、なぜかこの空気が自然だった。

 

 ——なんで、だろう。

 

 街灯の光が横から当たって、隣の横顔に影が落ちる。

 今まで隣にいた人たちとは、何かが違う。うまく言葉にできない。この人は笑わなかった。変だとも言わなかった。ただ、さっきも今も、同じ顔で同じように話している。

 

 ——それだけのことなのに。

 

 さっき消えたいと思っていた。本当に、ほんの少し前のことだ。なのに今は、もう少しだけここにいたいと思っている。

 その変化が、自分でも不思議だった。

 

「……ねえ」

 

 ぽつりと口を開く。

 

「きみってさ」

「ん?」

「なんで、ああいうの平気なの?」

「……ああいうの?」

「さっきの、視線とか」

 

 言葉にするのが少しだけ怖くて、遠回しに聞いた。

 

「……慣れてる、のかもな」

「へえ」

 

 間を置いてから、自然と言葉が出た。

 

「ボクも、慣れてるよ」

 

 軽く言ったつもりだった。言葉にした瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。慣れてる、という言葉の重さを、自分が一番知っているから。

 男の子は何も言わなかった。視線だけがこちらへ向いた。またあの感覚が走る。見られている。表面じゃなくて、もっと奥を。

 

「……なんか、すごく見てくるね」

「ああ、悪い。癖みたいなもんだ」

「変な癖だね」

 

 くすっと笑う。

 しばらく、何も話さずに座っていた。言葉がなくても、時間は流れる。虫の声が続いている。夜が、ゆっくりと街に広がっていく。

 

 ——この人と話していると、なんか、違う気がする。

 

 息がしやすい。自然でいられる。そういう言葉が浮かぶけれど、どれもしっくりこない。ただ、なんか、あたたかかった。それだけだった。

 

「……そろそろ帰る?」

 

 立ち上がりながら言う。スカートの裾を軽く払う。

 

「そうだな」

 

 男の子も続いて立ち上がる。

 

「またね」

 

 口から出た言葉は、思ったよりも自然だった。またね、なんて、最近誰かに言っただろうか。

 

「ああ、またな」

 

 その返事に、胸の奥が少しだけ弾んだ。

 手を振って、歩き出す。街灯をひとつ、またひとつと通り過ぎながら、少しだけ自分の気持ちを確かめるみたいに考える。

 

 ——危ない。本当に、危ない。

 

 こういう気持ちを持ち始めたら、終わった時が怖い。期待して、信じて、最後に壊れる。そのパターンを、瑞希はもう知っていた。

 

 そのはずなのに。

 

 今日みたいな格好で、好きな場所を歩いて、隣で誰かが笑っていた。それだけのことが——

 消えたいと思っていた午後が、いつの間にか、もう少しだけ続いてほしい夕方に変わっていた。

 その事実だけが、静かに胸の奥に残っていた。

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、評価・感想お待ちしております。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。