『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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4 そういう距離感

 朝の空気は、少しだけ冷たかった。

 見慣れない街。見慣れない道。制服の感触すら、まだ身体に馴染まない。俺は部屋に置いてあった地図を確かめながら、学校までの道を歩いていた。

 

「……こっちで合ってるよな」

 

 小さく呟く。

 転生してから、まだ2日目。生活の土台すら曖昧なまま、俺はもう"学生"としてこの世界に立っている。通学路には、同じ制服の生徒たちが増え始めていた。笑い声。自転車のブレーキ音。上履き袋を引きずりながら慌てて走る男子生徒。

 どこにでもある、日本の学生の朝。なのに、その当たり前の景色の中に、自分だけがまだ馴染めていない気がした。

 

「……はぁ」

 

 緊張しているのかもしれない。転校なんて、前の人生でも経験はなかった。まして今回は、"この世界を知っている"というおまけ付きだ。

 校門が見えてくる。胸の奥が、少しだけざわついた。

 ——もしかしたら、プロセカの登場人物がこの学校にもいるんだよな。

 昨日、公園で会った暁山瑞希が証明してくれた。この街には、俺の大好きだったキャラクターたちが、ちゃんと生きている。

 校舎へ入る。朝特有のざわめきが耳に流れ込んできた。上履きに履き替え、担任に案内されながら教室へ向かう。

 途中、何人もの視線がこちらを向いた。転校生なんて、それだけでイベントみたいなものだ。クラス替えのあった春先、まだみんなが新しいクラスに慣れていないタイミングでもある。

 

「緊張してる?」

 

 担任が軽い調子で聞いてくる。

 

「少しだけ」

 

 正直に答えると、先生は笑った。

 

「大丈夫大丈夫」

 

 そのまま教室の扉を開く。

 空気が廊下に流れ込んできた。騒がしい声。机を引く音。朝の教室独特の熱。視線が、一斉にこちらへ向く。

 

「はい、席つけー」

 

 担任の声で、ざわめきが少し静まる。その中で、俺は自然と、周りを見渡していた。

 そして——見つける。

 教室の後ろ。窓際。

 昨日会った暁山瑞希だった。

 昨日とは、印象が違った。腰まであったピンクの髪はない。今は短く肩あたりで整えられた髪。男子の制服。

 髪色だけは変わらなかった。淡いピンク色。光を受けると、桜みたいに柔らかく見える色。

 瑞希の目が、こちらを捉えた。

 

「——っ」

 

 ほんの一瞬だけ、表情が固まる。目が見開かれた。

 昨日、偶然会っただけの相手。"学校の自分"を見せていない相手。そんな相手が、突然教室の前に立っている。驚かない方がおかしい。

 その動揺は、すぐに消えた。何事もなかったように。昨日なんて存在しなかったみたいに。瑞希は静かに視線を逸らす。頬杖をついて、窓の外を見る横顔。その仕草は妙に慣れていた。距離を取ることに。線を引くことに。

 

「じゃあ、自己紹介よろしく」

 

 担任に促され、前を向く。簡単に名前を言う。拍手が起きる。何人かが興味深そうにこちらを見る。

 その中で、瑞希だけは一度もこっちを見なかった。

 ——いや。正確には違う。

 時々、視線は感じた。教室の端から。窓際から。ちら、と。本当に短い一瞬だけ。目が合いそうになるたび、すぐ逸らされる。

 まるで——"昨日のことには触れないで。昨日の自分と今日の自分に気づかないで"——そう言われているみたいだった。

 だから昼休みも、無理に話しかけたりはしなかった。踏み込むには、まだ早い気がしたからだ。

 

 放課後。帰り支度を終えて、ふと窓際を見る。瑞希の姿はなかった。

 少し遅れて教室を出る。夕方の廊下は静かだった。遠くから運動部の声だけが聞こえる。昇降口を抜け、坂道を下る。

 少し先に、見覚えのあるピンク色が見えた。制服の裾を揺らしながら、一人で歩いている。

 

「——瑞希」

 

 呼びかける。その背中が、ぴたりと止まった。数秒の沈黙。それから、ゆっくり振り返る。

 

「……誰?」

 

 くると思った。知らないふり。昨日と今日を切り離すための言葉。

 

「昨日、公園で会っただろ」

 

 少しだけ踏み込む。

 ほんの一瞬だけ、目が揺れた。やっぱり気づいてしまったんだね、と悲しく訴えるような瞳。

 

「知らない」

 

 きっぱりと言い切られる。

 夕焼けが、その横顔を赤く染めていた。

 拒絶。

 

 ——いや、違う。これはたぶん、防御だ。

 

「じゃあ」

 

 少しだけ笑う。

 

「今から知ってくれればいい」

 

 空気が、少し止まった。瑞希は黙ったまま、じっとこちらを見る。その目の奥で、何かが揺れていた。やがて——ふっと、小さく笑う。

 

「あはは。なにそれ、ナンパ?」

 

 空気が少しだけ軽くなる。昨日の瑞希の雰囲気に戻った。

 

「転校初日から積極的だねー」

 

 軽い声。無理をしているのは、わかっている。

 瑞希は一歩、後ろへ下がる。昨日の距離を、元に戻すみたいに。

 

「……そういうのは、もっと普通の子にしなよ」

 

 風が吹く。ピンク色の髪が、ふわりと揺れた。

 

「僕、そういうキャラじゃないからさ」

 

 その言葉だけが、妙に胸に残った。冗談みたいに笑っているのに。その奥にあるものだけは、笑っていなかった。

 

「じゃあね、転校生くん」

 

 ひらりと手を振る。背を向けて歩き出す。

 呼び止めることはできた。なぜだか今は違う気がした。

 夕焼けの中、ピンク色だけがやけに目立って見えた。その背中を、ただ黙って見送ることしかできなかった。

 

 すぐに瑞希の背中は、見えなくなった。

 追えば、まだ間に合う距離だ。足は動かなかった。

 

「……追わないのかい?」

 

 突然後ろから声をかけられた。

 振り返らずに答える。

 

「やめとく」

 

 即答じゃなかった。ちゃんと考えてからの言葉だった。

 

「瑞希とはまだ出会ってから二日目だし。踏み込んでほしくないことくらい、あるだろ」

 

 さっきのやり取りを思い出す。軽くて、ふざけていて——あれはたぶん、瑞希なりの線引きだった。なら、無理に越える必要はない。

 

「……でも」

 

 少しだけ息を吐く。

 

「距離は取らないけどな。向こうがどう思っていても、俺は普通に話すし、関わる」

「ただ——」

 

 言葉を選ぶ。

 

「ちゃんと知りたいだけだよ。瑞希のことも、俺のことも」

 

 自分でも驚くくらい、素直に出た言葉だった。

 言い切ってから、後ろを振り向く。

 声をかけてきた人物と、目が合った。

 

 ——神代類。

 

 前の世界で何度も目にしてきた名前。ワンダーランズ×ショウタイムに属する彼は、天才的な発想と演出家としての才能を持つ一方で、誰よりも人の心の機微を読む人間でもあった。道化を演じながら、誰よりも深くものを見ている。そういう人だと、ゲームの画面越しに知っていた。

 

 目の前にいる類は、その通りだった。

 柔らかい笑みの奥に、こちらをすでに測り終えたような静けさがある。

 

「……なるほど」

 

 わずかに空気が柔らかくなる。

 

「単なるはぐらかしではなさそうだね」

 

 見透かされている感じは相変わらずだ。さっきより嫌じゃない。むしろ少しだけ——認められた気がした。

 

「失礼。まだ名乗っていなかったね」

 

 軽く一礼するような仕草。

 

「僕は、神代類。君より一つ上の学年の先輩だよ」

 

 少しだけ視線を遠くにやる。

 

「さっきの瑞希くんとは、少し縁があってね」

 

 その声に、温度があった。普段の掴みどころのない雰囲気とは、少しだけ違う。

 

「とても純粋な子なんだ」

 

 純粋、という言葉を類が使う時、それは褒め言葉以上の意味を持つ気がした。傷つきやすいほど真っ直ぐで、だからこそ今まで何度も削られてきた——そういう意味が、その一言に静かに込められていた。

 

「だからこそ、傷つきやすい」

 

 間を置く。

 

「君が来てくれて、正直少し安心しているよ」

 

 思ってもみなかった言葉だった。

 

「もし——」

 

 類は、いつもの調子に戻るみたいに、少しだけ笑う。

 

「君が彼に寄り添ってくれるのなら」

 

 その目は、まっすぐだった。

 

「僕は、とても嬉しい」

 

 軽く手を振る。それだけで、もう会話は終わりらしい。

 

「では、また学校で」

 

 背を向けて歩き出す。引き止める理由は、なかった。

 ただ一人、取り残された帰り道で、さっきまでの会話をゆっくりと噛みしめる。

 ——寄り添う、か。

 簡単じゃないのは、もうわかってる。

 気持ちをもう一度引き締めて、歩き出す。明日も、瑞希に話しかける。それでいい。それくらいが、今はちょうどいい。

 

 ただ——教室で瑞希を見つけた瞬間のことを、もう一度思い出す。

 あの一瞬だけ固まった表情。見開かれた目。

 昨日、公園で笑っていた子と、同じ人間とは思えないくらい、別の顔だった。

 あれは驚きだけじゃない。

 ——見られた、という顔だった。

 隠していたものを、知られてしまったという顔。

 昨日の瑞希は、自分が選んだ服を着ていた。好きなものに囲まれていた。笑い方が、少しだけ自由だった。

 

 今日の瑞希は、制服を着ていた。窓の外を見ていた。笑わなかった。

 同じ人間が、こんなにも違う。

 そのことが、胸の奥にじんわりと残っていた。

 

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