『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

5 / 11
4 そういう距離感

朝の空気は、少しだけ冷たかった。

 

見慣れない街。

 

見慣れない道。

 

制服の感触すら、まだ身体に馴染まない。俺は部屋に置いてあった地図を見ながら、学校までの道を歩いていた。

 

「……こっちで合ってるよな」

小さく呟く。

 

転生してから、まだ2日目。生活の土台すら曖昧なまま、俺はもう“学生”としてこの世界に立っている。通学路には、同じ制服の生徒たちが増え始めていた。笑い声。自転車のブレーキ音。部靴に贈れそうになって慌てて走る男子生徒。

 

どこにでもある、俺自身も見慣れた日本の学生の朝。なのに、その当たり前の景色の中に、自分だけがまだ馴染めていない気がした。

 

「……はぁ」

 

緊張しているのかもしれない。

 

転校なんて、前の人生でも経験はなかった。まして今回は、“この世界を知っている”というおまけ付きだ。校門が見えてくる。その瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。

 

――もしかしたら、プロセカの登場人物がこの学校にもいるんだよな。

 

昨日、公園で会った秋山瑞希が証明をしてくれた。この街には、俺の大好きだったキャラクターたちが実在する。生きていることを。

 

校舎へ入る。

 

通学路とは違う、朝特有の校舎内のざわめきが耳に流れ込んできた。上履きに履き替え、担任に案内されながら教室へ向かう。

 

途中、何人もの視線がこちらを向いた。

 

そりゃそうだ。

 

転校生なんて、それだけでイベントみたいなものだし。それにクラス替えのあった春先、まだみんなが新しいクラスに慣れていないタイミングだ。

 

「緊張してる?」

 

担任が軽い調子で聞いてくる。

 

「少しだけ」

 

正直に答えると、先生は笑った。

 

「大丈夫大丈夫」

 

わたしに任せなさい。といわんばかりに肩をたたいてくる。そして、その勢いのまま教室の扉を開く。

 

空気が廊下に流れ込んできた。

 

騒がしい声。

 

机を引く音。

 

朝の教室独特の熱。

 

その視線が、一斉にこちらへ向く。

 

「はい、席つけー」

 

担任の声で、ざわめきが少し静まる。その中で、俺は自然と、周りを見渡していた。

 

そして――見つける。

 

教室の後ろ。窓際。そこにいたのは、昨日会った暁山瑞希だった。しかし昨日とは、印象が違った。腰まであったウィッグはない。今は短く肩辺りで整えられた髪。そして、男子の制服。

 

でも、髪色だけは変わらなかった。淡いピンク色。光を受けると、桜みたいに柔らかく見える色。

 

瑞希の目が、こちらを捉えた。

 

「――っ」

 

ほんの一瞬。

 

本当に一瞬だけ、表情が固まる。

 

目が見開かれた。

 

昨日、偶然会っただけの相手。しかも、“学校の自分”を見せていない相手。そんな相手が、突然教室の前に立っている。驚かない方がおかしい。けれど、その動揺は、すぐに消えた。何事もなかったように。昨日なんて存在しなかったみたいに。瑞希は静かに視線を逸らす。

 

頬杖をついて、窓の外を見る横顔。その仕草は妙に慣れていた。距離を取ることに。線を引くことに。

 

「じゃあ、自己紹介よろしく」

 

担任に促され、前を見る。簡単に名前を言う。拍手が起きる。何人かが興味深そうにこちらを見る。その中で瑞希だけは、一度もこっちを見なかった。

 

――いや。

 

正確には違う。時々、視線は感じた。教室の端から。窓際から。ちら、と。本当に短い一瞬だけ。目が合いそうになるたび、すぐ逸らされる。

 

まるで、

“昨日のことには触れないで。昨日の自分と今日の自分に気付かないで”

 

そう言われているみたいだった。

 

だから昼休みも、無理に話しかけたりはしなかった。踏み込むには、まだ早い気がしたからだ。

 

放課後。

 

帰り支度を終え、ふと窓際を見る。そこに、瑞希の姿はなかった。少し遅れて教室を出る。

 

夕方の廊下は静かだった。遠くから運動部の声だけが聞こえる。昇降口を抜け、坂道を下る。

その途中、少し先に、見覚えのあるピンク色が見えた。制服の裾を揺らしながら、一人で歩いている。

 

「――瑞希」

 

呼びかける。その背中が、ぴたりと止まった。数秒の沈黙。

それから、ゆっくり振り返る。

 

「……誰?」

 

その問い返しも一理ある。昨日初めて会った相手で、なんだかんだ自己紹介もしていなかったのだ。

 

くると思った。

 

知らないふり。

 

昨日と今日を切り離すための言葉。

 

「昨日、公園で会っただろ」

 

少しだけ踏み込む。

 

すると、ほんの一瞬だけ目が揺れた。やっぱり気付いてしまったんだねと悲しく訴えるような瞳。

 

でも、それだけだった。

 

「知らない」

 

きっぱりと言い切られる。

 

夕焼けが、その横顔を赤く染めていた。

 

拒絶。

 

……いや。

 

違う。

 

これはたぶん、防御だ。

 

「じゃあ」

 

少しだけ笑う。

 

「今から知ってくれればいい」

 

言った瞬間。

 

空気が、少し止まった。瑞希は黙ったまま、じっとこちらを見る。その目の奥で、何かが揺れていた。やがて――ふっと、小さく笑う。

 

「あはは。なにそれ、ナンパ?」

 

空気が少しだけ軽くなる。昨日の瑞希の雰囲気に戻った。

 

それに続いて、いつもの調子を演じるみたいに、瑞希は肩をすくめた。

 

「転校初日から積極的だねー」

 

軽い声。でも、無理をしているのは理解している。

 

瑞希は一歩、後ろへ下がる。俺と瑞希の今の心の距離を戻すみたいに。

 

「……そういうのは、もっと普通の子にしなよ」

 

風が吹く。ピンク色の髪が、ふわりと揺れた。

 

「僕、そういうキャラじゃないからさ」

 

その言葉だけが、妙に胸に残った。

 

冗談みたいに笑っているのに。

 

その奥にあるものだけは、笑っていなかった。

 

「じゃあね、転校生くん」

 

ひらりと手を振る。

 

背を向けて歩き出す。

 

呼び止めることはできた。

 

でも、なぜだか今は違う気がした。

 

夕焼けの中。

 

ピンク色だけが、やけに目立って見えた。

 

その背中を、俺はただ黙って見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

すぐに瑞希の背中は、見えなくなった。

 

追えば、まだ間に合う距離だが。けれど、足は動かなかった。

 

「……追わないのかい?」

 

突然後ろから声をかけられた。まだ瑞希以外の知り合いなんかいないが、状況的に自分に話しかけていることはわかった。後ろの声に、少しだけ間を置いてから答える。

 

「やめとく」

 

今回は、即答じゃない。ちゃんと考えてからの言葉だった。

 

「俺とあいつ、まだ出会ってから二日目だし」

 

振り返らずに続ける。

 

「土足で踏み込んでほしくないことくらい、あるだろ」

 

さっきのやり取りを思い出す。軽くて、ふざけてて、でも——あれはたぶん、あいつなりの線引きだった。

 

なら、無理に越える必要はない。

 

「……でも」

 

少しだけ息を吐く。

 

「距離は取らないけどな」

 

ここは、はっきりさせる。

 

「向こうがどう思ってても、俺は普通に話すし、関わる」

 

逃がす気も、諦める気もない。

 

「ただ——」

 

言葉を選ぶ。

 

「ちゃんと知りたいだけだよ」

 

自分でも驚くくらい、素直に出た言葉だった。

 

「俺のことも知ってほしいし、あいつのことも知りたい」

 

俺は言い切った後に、後ろを振り向く。声をかけてきた主、前の世界ではそれこそ何回も聞いた甘くかっこいい声の持ち主、神代類を目を合わせる。

 

「……なるほど」

 

 類の中で納得できたのか、わずかに空気が柔らかくなる。

 

「単なるはぐらかしではなさそうだね」

 

見透かされている感じは相変わらずだ。でも、さっきより嫌じゃない。

 

むしろ、少しだけ——認められた気がした。

 

「失礼。まだ名乗っていなかったね」

 

軽く一礼するような仕草。

 

「僕は、神代類。君より一つ上の学年の先輩だよ」

 

「さっきの瑞希くんとは、少し縁があってね」

 

少しだけ視線を遠くにやる。

 

「とても純粋な子なんだ」

 

その言い方は、どこか優しかった。

 

「だからこそ、傷つきやすい」

 

間を置く。

 

「君が来てくれて、正直少し安心しているよ」

 

思ってもみなかった言葉だった。

 

「もし——」

 

類は、いつもの調子に戻るみたいに、少しだけ笑う。

 

「君が彼に寄り添ってくれるのなら」

 

その目は、まっすぐだった。

 

「僕は、とても嬉しい」

 

軽く手を振る。

 

それだけで、もう会話は終わりらしい。

 

「では、また学校で」

 

背を向けて歩き出す。引き止める理由は、なかった。ただ一人、取り残された帰り道で、さっきまでの会話を、ゆっくりと噛みしめる。

 

——寄り添う、か。

 

簡単じゃないのは、もう分かってる。

 

でもやるしかないんだ。気持ちをもう一度引き締めて、歩き出す。

 

明日も、瑞希に話しかける。

 

それでいい。

 

それくらいが、今はちょうどいい。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。