『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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5 僕とボクと彼と君の距離

 次の日、俺は少し早めに教室にいた。

 やることがあるわけじゃない。ただ、なんとなく落ち着かなくて、家にいるよりこっちのほうがマシだった。教室はまだ人もまばらで、窓から入る朝の光がやけに静かだった。

 

「お、転校生。はやくね?」

 

 声をかけられて、適当に返す。そこから、自然と会話の輪に入った。

 最初は普通だった。部活や委員会はどうするのかとか。

 

「あ、そういえばさ」

 

 一人が、思い出したみたいに言う。

 

「昨日、暁山と帰ってたよな?」

 

 その名前が出た瞬間、少しだけ周囲の空気が変わる。声のボリュームが、さっとひとつ下がった。

 

「あいつさ、ちょっと変わってるっていうかさ」

 

 別のやつが笑いながら続ける。

 

「なんか女装が趣味らしいぜ」

 

 軽い調子。悪意ってほどじゃない。言っている本人も何も考えていないのだろう。

 

「正直、ちょっとキモくね?」

 

 ただ自分が思ったことをそのまま口に出している、年齢相応の言葉。

 

「まあ悪いやつじゃないんだけどさー」

「でも近づかないほうがいいと思うぞ」

「お前も昨日一緒にいたみたいだけど」

 

 善意っぽく言ってくるのが、余計に厄介だった。

 

 ——ああ、こういう空気か。

 

 誰かをはっきり否定するわけじゃない。"こっち側とあっち側"を無意識に分ける感じ。思春期特有の、あの感じ。正直、分かる部分もある。自分と違うものを揶揄するような、人間元来の性質。転生前の俺だって、口には出さずとも、同じことを思っていたかもしれない。

 

「……それで?」

 

 気づいたら、口が動いていた。

 

「だから、なんなんだよ」

 

 教室の空気が少しだけ止まる。

 

「いや、なんなんって……」

 

 戸惑った声。

 言葉を選ぶ。怒鳴るのは違う。ねじ伏せるのも違う。ここで黙るのは——もっと違う。

 

「別に、迷惑かけられたわけじゃないだろ」

 

 静かに言う。

 

「だったら、それでよくね」

 

 誰もすぐには返さない。

 

「見た目とか、趣味とか。そういうので"近づかないほうがいい"って決めるの、もったいないと思うけどな」

 

 強くはない。引く気もない。

 

「俺は普通に話すよ。瑞希は良い奴だ。瑞希が好きなものを、一緒に好きって言える人間で俺はいたい」

 

 それだけ言って、視線を外す。空気は微妙なまま。それでいいと思った。

 ——そのときだった。

 

 教室の入口に、人影があった。ピンクの髪。ほんの一瞬だけ、目が合う。

 ——聞かれていた。

 

 俺一人のセリフより、クラスのみんなのマイナスな感情の方が現実には効いてしまうだろう。そう思った瞬間、瑞希は何も言わずに踵を返した。

 

「……あ」

 

 誰かが小さく声を漏らす。俺はすぐに立ち上がって教室を飛び出す。もう姿は見えなかった。

 

「今の……さっきの話、暁山君、たぶん全部聞いてた」

 

 近くにいた女子生徒が、気まずそうに言う。

 

「どこ行ったかわかる?」

 

「たぶん、上……屋上のほう。暁山君をよろしくね」

 

 その言い方に、少しだけ救われる。この空気がよくないと気づいていたやつも、心配しているやつも、ちゃんといたんだな。

 

「悪い、ちょっと行ってくる」

 

 返事も聞かずに、教室を飛び出す。階段を駆け上がる。やけに足音が響く。

 ——なんで、走ってるんだろうな。

 

 義務じゃない。まだ3日目の関係だ。

 息を切らしながら、思い出す。初日に声をかけてきたのは瑞希だ。訳もわからない俺に最初に関わってきたのも。あの時、少しだけ救われた自分がいた。

 だったら。今度は、こっちの番だろ。

 屋上の扉が見える。少しだけ、足を緩める。

 ……土足で踏み込まないって、言ってたはずなんだけどな。

 ドアノブに手をかけて、深く息を吐く。

 

「……それでも、な」

 

 小さく呟いて、扉を開けた。

 

 屋上の扉を開けた瞬間、風が抜けた。

 青空だった。雲が少なくて、どこまでも続いていた。そんな空の下で、フェンスに手をかけたまま、ピンクの髪が風に揺れている。

 

「瑞希」

 

 呼びかけると、肩がびくっと揺れた。振り返らない。

 

「来ないで」

 

 間髪入れずに返ってくる。その声は、少しだけ震えていた。

 

「……悪い、でもそれは無理だ」

 

 一歩、近づく。

 

「来ないでって言ってるでしょ」

 

 今度は少し強い。でも、どこか空回っている感じがした。

 

「なんで来たの」

「お前が走ってったからだよ」

「だからって普通追いかけて来る?」

 

 瑞希がこちらを振り返る。その顔を見た瞬間、胸が詰まる。泣いている、というより——こらえている。ギリギリのところで、崩れないようにしている顔だった。

 

「……さっきの、聞いてたんだろ」

 

 言うと、目を逸らされた。

 

「別に。どうでもいいし」

 

 明らかな嘘だった。

 

「どうでもいいやつが、あんな顔するかよ」

 

 少しだけ間が空く。風の音だけが、やけに大きくなる。

 

「……なんで」

 

 小さく、落ちる声。

 

「なんで、あんなこと言ったの」

 

 責めているようで、責めきれていない。

 

「優しくしないで」

 

 被せるように言われる。

 

「そういうの、一番困るんだよ」

 

 視線がぶつかる。

 

「どうせさ、今だけでしょ」

 

 笑おうとして、失敗するみたいな顔。

 

「ちょっといいこと言って、いいことした気になって、そのうち面倒くさくなって」

 

 言葉が少しずつ荒くなる。

 

「周りに流されて、距離置いて、最後は——」

 

 そこで、止まる。言い切れない。言いたくない。

 でも、溢れる。

 

「……怖いんだよ」

 

 絞り出すような声だった。

 

「僕はまた……また信頼してた人から裏切られたら……」

 

 手が震えているのが見えた。

 

「僕は……たぶん、壊れちゃう」

 

 その一言で、何かが決壊した。

 ずっと、ずっと積み重なってきたものだった。

 可愛いものが好きだと言うたびに、向けられた引いた顔。気持ち悪い、という言葉。笑われるたびに、少しずつ削られてきた何か。傷つくことに慣れて、期待することをやめて、笑ってかわすことを覚えて——それでやっと、なんとか立っていられた。

 なのに。

 今日、あの教室で聞いてしまった。また、同じ言葉を。また、同じ空気を。

 何度目だろう。数えるのも嫌になるくらい、何度もあった。

 それなのに。

 慣れない。

 本当は、全然慣れていなかった。

 

「ほんとはさ……」

 

 止められない。

 

「隠したくないんだよ」

 

 ぽろ、と涙が落ちる。

 

「好きなもの、ちゃんと好きって言いたいし」

 

 声が震える。喉が熱い。

 

「これが可愛いって、言いたいし」

 

 もう、止まらない。

 

「でもさ……」

 

 ぐしゃっと顔が歪む。

 

「周りがさ、世界がさ、それを拒むんだよ」

 

 フェンスを握る手に力が入る。金網の冷たさが、手のひらに食い込む。

 

「変だって、気持ち悪いって。普通じゃないって」

 

 ひとつひとつが、長い時間をかけて心に刺さってきた棘だった。抜けないまま、増えていくだけで。

 

「僕は、それに抗うほど強くない」

 

 はっきりと言い切る。

 

「押し通せるほど、強くないんだよ」

 

 涙が止まらない。

 

「だから、隠してるのに。それでやっと、なんとかやってるのに」

 

 呼吸が乱れる。

 

「なのにさ……」

 顔を上げる。ぐちゃぐちゃのまま、こっちを見る。

「そんな僕を、好きにいてくれる人なんていないよ」

 言い切った。

 長い時間をかけて積み重なってきたものが、全部そこに込められていた。諦めの声だった。傷ついて、傷ついて、それでも期待して、また傷ついて——もう期待するのをやめた人間の声だった。

 

 ——だから、余計に。

 

「いるよ」

 

 気づいたら、言っていた。間髪入れず。

 瑞希が、固まる。

 

「ここにいる」

 

 一歩、距離を詰める。

 

「俺がいる」

「……何それ」

 

 弱く笑う。でも、その目は揺れている。

 

「会ってまだ数日だよ?」

「そうだな」

 

 即答する。

 

「だから信用も信頼も、まだないのもわかってる」

 

 それでも、言う。

 

「でも俺は、友達は裏切らない。公園で声をかけてくれた時、俺は少しだけ救われた。瑞希は俺にとって、もうそういう人だよ」

 

 言葉を、逃がさない。

 

「一生、大切にする」

 

 瑞希の目が、少しだけ見開かれる。

 

「何かあったら、一緒に悩む。一人で抱えなくていい」

 

 さらに一歩。もう、すぐそこ。

 

「可愛いものが好きなら、一緒に集めよう。誰に何言われても、横にいればいいだろ」

 

 声が少しだけ熱を持つ。

 

「世界に疲れたら、一緒に休めばいい」

 

 風が吹く。ピンクの髪が揺れる。

 

「瑞希」

 

 名前を呼ぶ。まっすぐに。

 

「一人で歩くな」

 

 少しだけ、間を置いて。

 

「俺といっしょに歩いていこう」

 

 静かに、言い切る。

 

 瑞希は、しばらく何も言わなかった。

 風の音だけが、間を埋める。

 その沈黙の中で、瑞希の中で何かが、ゆっくりと溶けていくのがわかった。ずっと張り詰めていた何かが。冷たいままでいようとしていた何かが。

 本当は、ずっと欲しかったものだった。

 笑わなくていい。かわさなくていい。隠さなくていい。ただ、そのままでいていい——そう言ってくれる人が。

 それが今、目の前にいた。

 

「……ずるいよ」

 

 ぽつりと落ちる。

 

「そういう言葉」

 

 少しだけ笑う。目は赤いまま。

 

「ここで僕が拒絶したらさ、僕が悪者みたいじゃん」

 

 普段の軽口のような声で言っているようで、逃げ場を探している声だった。

 

「もし瑞希が嫌だったら、無理にとは言わない」

 

 瑞希が、こっちを見る。

 

「でも、その代わり俺は俺で勝手に話しかけるけどな」

 

 ほんの少しだけ、口元を緩める。

 

「それくらいの距離でいこうぜ。楽しくいこう、瑞希」

 

 強引でもなく、引きすぎでもない。そのくらいが、ちょうどいいと思った。

 少しだけ沈黙が落ちて。

 瑞希が、ふっと息を漏らす。

 

「……ほんと、変な人」

 

 でも、その言い方は、さっきより柔らかかった。

 

「今度さ」

 

 タイミングを見て、言う。

 

「瑞希の好きなもの、教えてくれないか。ちゃんと聞きたい」

 

 飾らずに言う。

 瑞希は少しだけ考えて——視線を逸らしたまま、小さく頷いた。

 

「……気が向いたらね」

 

 それで十分だった。

 俺はそれ以上踏み込まずに、踵を返す。

 

「先、戻ってるわ」

 

 扉に手をかけて、一度だけ振り返る。

 瑞希は、出会ってから一番自然に笑っていた。

 

「……ありがと」

 

 聞こえるかどうかくらいの声が、背中に届く。俺は何も返さず、そのまま屋上を出た。

 扉が閉まって、静けさが戻る。

 風が、少しだけ強く吹いた。

 

 扉が閉まった音を、瑞希はしばらく聞いていた。

 屋上には、また静けさが戻っている。

 でも、さっきまでとは違う静けさだった。

 さっきまでは、重かった。ひとりで抱えていた重さが、空気にまで滲んでいた。

 今は。

 なんだか、少しだけ軽い。

 

「……もういいよ」

 ぼそっと呟く。

 

「いるんでしょ」

 

 少し間があって。

 

「神代類~」

 

 その直後、影からひょいと人影が現れる。

 

「やあ」

 

 いつもの調子で、軽く手を上げる。

 

「見つかってしまったか」

「最初からバレてるっての」

 

 ジト目で睨む。涙の跡が残ったままなのに、その表情だけはいつも通りに戻そうとしている。

 類は、それを見て、少しだけ目を細めた。

 

「なるほど。今日はずいぶんと、良い風が吹いているらしい」

「そういうのいいから。どこまで聞いてたの」

「さて、どこまでだろうね」

 

 わざとらしく考えるふりをする。

 

「少なくとも、"ずるい"あたりからは」

「最悪」

 

 瑞希は顔をしかめる。でも、完全に追い払う気はない。それが、この二人の距離だった。

 少しの沈黙。風が抜ける。

 類が、ぽつりと口を開く。

 

「——悪くない選択だと思うよ」

 

 瑞希は何も返さない。でも、耳はちゃんと向いている。

 

「踏み込みすぎず、離れすぎず」

「君が一番、壊れにくい距離だ」

「……壊れる前提で話すのやめてくれる?」

 

 少しだけ拗ねた声。類は、くすっと笑う。

 

「おや、失礼」

 

 すぐに真面目なトーンに戻る。

 

「ただ、あの彼は」

 

 少しだけ視線を扉の方へ向ける。

 

「珍しいタイプだね」

「……どうせ、すぐいなくなるよ」

 

 反射みたいに出た言葉。でも瑞希自身、自分の言葉を微塵も信じていない。ただの照れ隠しだとわかっている。

 類は、それを否定しない。ただ、静かに言う。

 

「そう思っていた方が、楽かい?」

 

 瑞希は答えない。代わりに、フェンスに背を預ける。空を見上げる。

 

「……楽ではある」

 

 正直な声。

 

「なら、今はそれでいい。無理に期待する必要はない」

 

 一拍。

 

「ただ」

 

 ほんの少しだけ、優しくなる。

 

「もし期待してしまったとしても」

 

 瑞希の視線が、わずかに揺れる。

 

「それを"間違い"だと決めつける必要もない」

 

 風が、また吹く。長い付き合いだからこその、余白のある言葉。

 瑞希は、しばらく何も言わなかった。

 それから、小さく呟く。

 

「……ほんと、嫌なやつ」

 

 でもその声は、少しだけ軽くなっていた。

 

「褒め言葉として受け取っておこう」

「はあ……」

 

 瑞希は、もう一度空を見上げる。さっきまでの涙は、もう乾きかけていた。

 青い空だった。

 さっきも同じ空を見ていたはずなのに、今は少しだけ違う色に見えた。

 重かったものが、まだ全部消えたわけじゃない。怖いのも、まだある。信じることへの恐怖も、消えていない。

 それでも。

 さっきまで感じていたあの重さの中に、小さな光が一つ、灯っていた。

 名前のつけられないくらい、小さな光。

 消えそうで、消えない。

 

「……もう少し、ここにいる」

「そうするといい」

 

 類はそれ以上何も言わない。ただ、同じように空を見上げる。

 それだけで成立する時間だった。

 

 風が、やわらかく吹いていた。

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