『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』   作:krowknown

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6 side--暁山瑞希の希望

屋上に残った風は、まだ少しだけ冷たかった。

 

 フェンス越しに見える空は、昼と夕方の境界が曖昧になり始めている。薄い青色の中に、ゆっくりと橙が滲んでいた。

 

 もう朝練の練習は終わる時間だが、まだ遠くから聞こえる運動部の掛け声。

 グラウンドを走る音。

 吹奏楽部のトランペットが、一音だけ外れて、すぐに止まる。

 

 学校はまだ、ちゃんと“日常”を続けていた。

 

 なのに。

 

 暁山瑞希の心臓だけが、うまく呼吸できていなかった。

 

「……ほんと、変な人」

 

 ぽつりと呟く。

 

 扉はもう閉まっている。

 足音も遠ざかって、聞こえない。

 

 それでも。

 

 さっき向けられた言葉だけが、まだ胸の奥に残っていた。

 

『俺がいる』

 

 そんなの。

 

 そんな言葉。

 

 簡単に信じられるわけがない。

 

 信じてしまったら、壊れる。

 

 それを、瑞希は知っていた。

 

 フェンスに背中を預ける。

 

 金網越しの空は広くて、どこまでも遠い。

 

 風が吹くたび、制服の裾が揺れた。

 

 屋上って、嫌いじゃなかった。

 

 誰もいない時間なら、特に。

 

 教室みたいに視線がない。

 廊下みたいに噂もない。

 

 ただ空だけがあって、

 その下に、自分がいるだけ。

 

 だから時々、ここへ逃げてきた。

 

 しんどくなった時。

 息が詰まりそうな時。

 

 誰にも見つからない場所で、

 “ちゃんと傷ついてる自分”に戻るために。

 

 けれど今日は。

 

 その場所に、誰かが踏み込んできた。

 

 しかも。

 

 無理やりじゃなく。

 

 “隣に立とう”として。

 

「……ずるい」

 

 もう一度、小さく呟く。

 

 視界が滲む。

 

 涙なんて、さっきかなり流したはずなのに。

 

 まだ残っていた。

 

 空を見上げる。

 

 雲がゆっくり流れている。

 

 夕焼けに染まりきれない白い雲。

 

 中途半端で、

 どこにも馴染めなくて。

 

 なんだか、自分みたいだった。

 

 昔から、ずっとそうだ。

 

 好きなものを好きと言うだけで、

 少しずつ“普通”から外れていった。

 

 可愛いものが好きだった。

 

 フリル。

 リボン。

 柔らかい色。

 

 雑貨屋でキラキラ光るアクセサリーを見ているだけで、少しだけ世界が綺麗に見えた。

 

 でも。

 

 それを口にするたび、

 周りの空気は変わった。

 

 笑われた。

 引かれた。

 気味悪がられた。

 

 たったそれだけのことで。

 

 胸の奥に、小さな棘が増えていく。

 

 最初は痛かった。

 

 でも、人間は慣れる。

 

 慣れて、

 諦めて、

 期待しなくなる。

 

 そうやって、少しずつ“傷つかない形”になっていく。

 

 だから今の瑞希は、上手だった。

 

 笑うのが。

 

 かわすのが。

 

 踏み込ませないのが。

 

 “本当の自分”を隠すのが。

 

 教室でだってそう。

 

 適当に笑って、

 軽口を叩いて、

 距離感を間違えない。

 

 誰とも深くなりすぎない。

 

 そうしていれば、

 少なくとも致命傷にはならないから。

 

 なのに。

 

 ――あの転校生(公園であった少年)は。

 

 そこを、平気で越えてくる。

 

 思い出す。

 

 雑貨屋の前。

 

『似合うって言っただろ』

 

 あの言葉。

 

 庇うでもなく、

 気を遣うでもなく。

 

 ただ、本当にそう思ったから言ったみたいな顔。

 

 それが、一番困る。

 

 優しさって、もっと計算でできていると思っていた。

 

 空気を読んで。

 相手を選んで。

 “良い人”に見えるためにやるものだと。

 

 でも、あの人は違う。

 

 たぶん。

 

 本当に自然にやっている。

 

 だから怖い。

 

 そういう人ほど、

 信じたくなってしまうから。

 

 フェンスを握る指に、少しだけ力が入る。

 

 冷たい金属の感触が、手のひらに残った。

 

「……また、期待しそうになるじゃん」

 

 誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。

 

 風が吹く。

 

 髪が揺れる。

 

 涙の跡に、少しだけ冷たい空気が触れた。

 

 期待なんて、しない方が楽だ。

 

 どうせいつか離れる。

 

 人は変わる。

 

 最初は受け入れてくれても、

 だんだん周囲に流されて、

 最後にはいなくなる。

 

 今までだって、そうだった。

 

 だから。

 

 “最初から信じない”。

 

 それが、一番安全だったはずなのに。

 

 胸の奥が、静かに熱を持っている。

 

 それが何なのか、瑞希はもう気づいていた。

 

 嬉しかったのだ。

 

 どうしようもなく。

 

 苦しくなるくらい。

 

 嬉しかった。

 

 あの教室で。

 

 みんなが“そういう空気”になった時。

 

 あの人だけは、

 ちゃんと自分を見てくれていた。

 

 趣味じゃなく。

 見た目じゃなく。

 噂でもなく。

 

 “暁山瑞希”を。

 

 その事実が、胸の奥をぐちゃぐちゃにする。

 

 今まで欲しかったものを、

 急に差し出されたみたいで。

 

 でも、手を伸ばすのが怖い。

 

 もし掴んでしまったら。

 

 今度こそ。

 

 本当に失った時、立ち直れなくなる気がした。

 

「……僕、ほんと弱いな」

 

 自嘲みたいに笑う。

 

 でも、その声は少しだけ震えていた。

 

 夕焼けが、ゆっくり夜に飲まれていく。

 

 校舎の窓に灯りがつき始めていた。

 

 その光をぼんやり眺めながら、瑞希は目を閉じる。

 

 思い出すのは、

 公園で聞いた、ひどく音痴な歌声だった。

 

 上手くはなかった。

 

 本当に。

 

 笑ってしまうくらい下手だった。

 

 でも。

 

 不思議なくらい、

 真っ直ぐだった。

 

 取り繕っていなくて、

 誤魔化していなくて。

 

 ただ、“気持ち”だけがそこにあった。

 

 だからきっと。

 

 自分は、声をかけてしまったのだ。

 

 あんなふうに、

 壊れそうな顔で歌う人を。

 

 放っておけなかった。

 

 そして今。

 

 放っておけなくなっているのは、自分の方だった。

 

 胸の奥で、小さな熱が灯っている。

 

 まだ名前もつけられないくらい、小さな光。

 

 でも。

 

 何度も諦めかけて、

 何度も飲み込んできた日々の中で。

 

 その光だけが、やけに眩しく見えた。

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