『プロセカ世界に転生したのに音痴だった俺が、壊れかけの少女たちを救うまで』 作:krowknown
季節は、気づいたら進んでいた。
最初はぎこちなかった距離も、今ではもう思い出せないくらい自然と隣にいる。放課後、コンビニで買ったパンを半分こした日。「それ絶対甘すぎるでしょ」って言いながら、結局一口もらっていた瑞希。隣で類が「実に興味深い味だね」と、よくわからないことを真面目に語り出した日。
くだらないことで笑って、どうでもいいことで時間を使って。
でも、そういう時間が、確かに積み重なっていった。
「ねえ、見てこれ」
後ろから、急に肩に重みが乗る。
「ねえほらほらー」
「重いって」
「ひどぉ。今の傷ついた」
全然傷ついていない声で笑う。振り払おうとしても、離れない。その距離の近さにも、最近、慣れてきている自分がいた。
「今日さ、夏祭りあるじゃん」
「あー、あるな」
「行くよね?」
顔を覗き込んでくる。そんな至近距離でキラキラの目を向けられては、断る選択肢があるようには見えなかった。
「……行くよ」
「よし決定」
瑞希はその返事に満足してパッと離れる。その様子を見て、類がくすっと笑う。
「実に自然な流れで約束を取り付けたね」
「計算ですよー」
得意げに言う瑞希。
「恐ろしい子だ」
「でしょ?」
くだらないやり取り。でも、その空気が、妙に心地よかった。
夕方。
祭りの会場は、人で溢れていた。提灯の明かりが揺れて、どこか現実感が薄い。空はまだ完全に暮れきっておらず、藍色と橙が混ざり合うグラデーションの中に、提灯の赤がぽつぽつと浮いていた。
「遅い!」
待ち合わせ場所に着いた瞬間、そんな声が飛んでくる。
声のした方を向くと、瑞希が手を振っていた。
「いや、時間通りだけど」
「体感的には遅いの」
意味がわからない。でも、その姿を見て、少しだけ言葉を失った。
浴衣だった。
淡い色合いの浴衣に、ピンクの髪がよく映えている。夕方の薄明かりの中で、その色だけがやわらかく浮き上がって見えた。
「……似合ってるな」
思ったまま言う。
一瞬、瑞希が固まる。
「……なにそれ」
視線を逸らす。
「普通すぎない?」
「いや、普通に似合ってるって意味だからな」
「そういうのが一番困るんだよ」
ぶつぶつ言いながら、でも少しだけ耳が赤い。
「やあ、二人とも」
後ろから声。類が、いつもの調子で現れる。
「祭りというのは、やはり非日常の象徴だね」
「また難しいこと言ってる」
瑞希が肩をすくめる。
「もっと楽しもうよ、普通に」
「もちろん、そのつもりだとも」
三人で、屋台の並ぶ通りを歩く。焼きそばの匂い。金魚すくいの水音。遠くで鳴る太鼓。全部が混ざって、夏だった。
「これやろうよ」
瑞希が指差したのは、射的だった。
「いいけど、お前絶対下手だろ」
「失礼だな〜。こう見えて器用だから」
自信満々に銃を持った瑞希は、構えだけは様になっていたが、結果は惨敗だった。何も景品を取れずに落ち込む瑞希に、店のおじさんがラムネをくれる。
「おかしいな……」
真剣に首を傾げている。
「理論上は取れてたんだけど」
「理論とは」
類が横で楽しそうに見ている。
「はい、交代」
銃を渡される。適当に狙って、引き金を引く。一発で、景品が落ちた。
「え、うそ」
瑞希が固まる。
「……ずるくない?」
「何がだよ」
「なんかこう、空気的に僕が取る流れだったじゃん」
「知らん知らん」
見た目があまり可愛くない猫のぬいぐるみを渡すと、瑞希は少しだけ嬉しそうに受け取る。
「……まあ、もらってあげるけど」
その顔を見て、少しだけ笑う。
気づけば、時間はあっという間に過ぎていた。人混みの中で、何度か瑞希の手が服を掴む。離れないように、というより——離れたくないみたいに。
それを振り払う理由は、なかった。
やがて、花火の時間になる。
少し人の少ない場所に移動して、空を見上げた。
一発目。大きな音と一緒に、夜が開く。
「……綺麗」
瑞希が、小さく呟く。
その横顔は、いつもより静かだった。
「こういうのさ」
ぽつりと続ける。
「嫌いじゃないんだよね」
意外だった。
「人多いの、苦手じゃなかったか?」
「苦手だよ」
あっさり言う。
「でも」
少しだけ間を置いて。
「今日は、まあいいかなって」
理由は聞かなかった。聞かなくても、なんとなくわかったから。
「……ね」
花火を見たまま、瑞希が言う。
「また、こういうの行こ」
言ってしまってから、少しだけ後悔する。重かったかな、とか。距離、間違えたかな、とか。
「三人で」
強がりも、逃げもない声だった。その言葉に、類は微笑み返す。
「ああ」
短く答える。それで十分だった。
夜空に、次の花火が咲く。一瞬だけ照らされた瑞希の横顔が、今度はやけに綺麗に見えた。
——たぶん。
こういう瞬間のために、人は誰かと一緒にいるんだと思った。
side――瑞希
人混みは、嫌いだ。音も、匂いも、全部が近すぎて、息が詰まるから。だから、夏祭りなんて、今年も去年と同じように来るつもりはなかった。でも今年は特別だった。新しい友達と、最近前以上に話すようになった先輩のせいだ。
らしくない。らしくないけど、しょうがないのだ。一緒に——一緒の思い出を作りたくなってしまったのだから。
「遅い!」
なんて、口に出してみたけど、わざわざ集合時間より三十分前に来ているあたり、我ながら意味がわからない。
周りを見渡していると、ようやく約束の人物がこちらに歩いてくるのが見えた。服装はいつもと変わらないラフな格好だ。気合いを入れて、お姉ちゃんに可愛い浴衣を貸してもらった自分が、急に恥ずかしく思えてきてしまう。
「……ほんと、来るんだ」
約束をしたのだから当然といえば当然だが、結構勇気を出して誘ったのだ。心臓がさっき以上に速く動いてしまうのは当然だろう。
来るって言ってたのに。
ちゃんと来るんだ、って。
ばかみたい。
「……似合ってるな」
上から下まで、少し見つめてきた後のセリフ。不意打ちだった。一瞬、なにを言われたかわからなくて。
「……なにそれ」
とりあえず、いつもの感じで返す。もう少し優しく返せればいいのにと自己嫌悪だ。
「普通すぎない?」
逃げ道みたいな言葉。
でも、あの人は、何も考えていなさそうな顔で言う。
「いや、普通に似合ってるって意味だけど」
ずっとずっと、ずるい。
そういうの。変に飾らないで、まっすぐ言うの。困るに決まっているじゃん。心のどこかが、勝手に喜ぶから。
「そういうのが一番困るんだよ」
誤魔化すように、そっぽを向く。たぶん、ちょっとだけ、顔が熱い。気づかれていないといいけど。
——いや、気づかれてたら最悪だ。
類が来て、いつもの空気になる。軽口を叩いて、笑って。それでちょうどいい。それ以上は、いらない。いらない、はずなのに。
「これやろうよ」
射的なんて、ほんとはどうでもいい。ただ、一緒に何かしたかっただけ。
「絶対下手だろ」
「失礼だな〜」
そんなやり取りすら、楽しくて。
結果はボロボロだったけど。
——で。
あの人が、一発で取る。
「え、うそ」
思わず声が出る。
なんでそこで決めるの。なんでそんな、簡単そうに。
「……ずるくない?」
つい、口から出る。だって、なんか悔しいじゃん。僕が取る流れだったのに。
景品を渡される。正直に言えばあまり見た目は可愛くなかったが、よく見るとなんだか愛らしく見えてくる、そんな猫の人形。
「……まあ、もらうけど」
受け取る手が、少しだけ嬉しそうなのを隠せていない気がした。両手を伸ばして人形を上に掲げ、三秒ほど顔をじっと見つめる。うん、かわいい。胸に抱いて、小さくお礼を言う。
こういうのも、嫌いじゃない。
むしろ、好きだ。
——ああ、やだな。
またひとつ、増えた。
好きなもの。
人混みの中で、何度か服を掴んだ。はぐれないように、って理由をつけて。でも、本当は違う。離れたくなかっただけ。
こんな場所で、一人になるのが怖いからじゃない。この人たちと、離れたくなかった。
そんなの、言えるわけないけど。
花火が上がる。
大きな音に、少しだけ肩が揺れる。でも、不思議と嫌じゃない。
「……綺麗」
口から、勝手にこぼれる。
空を見上げる。光が広がって、消えていく。
「こういうのさ」
ぽつりと呟く。
「嫌いじゃないんだよね」
本当は、ずっと嫌いだったはずなのに。
「苦手だよ」
ちゃんと、そう言う。嘘はつきたくないから。
「でも」
少しだけ、息を吸う。
「今日は、まあいいかなって」
理由なんて、言わなくてもわかるでしょ。
……なんて、思ってしまう自分がいる。
前までは。世界は、敵みたいなものだった。少しでも隙を見せたら、すぐに否定される場所。だから、隠して。誤魔化して。傷つかないようにしてきた。それでいいと思っていた。それしかないと思っていた。
——なのに。
気づけば、隣にいる。普通に話して、普通に笑って。僕のこと、変だとも言わないで。
「また、こういうの行こ」
言ってしまってから、少しだけ後悔する。重かったかな、とか。距離、間違えたかな、とか。
でも。
「三人で」
ちゃんと逃げ道も作っておく。臆病だな、ほんと。
「ああ」
短い返事。でも、それで十分だった。
花火が、また上がる。その光の中で、思う。
——ああ。
なんか。
だめだ。
たぶん、もう。戻れない。こんなふうに、誰かといるのが当たり前になる前の自分には。
胸の奥が、じんわり熱い。苦しいのに、嫌じゃない。
むしろ——少しだけ、嬉しい。
「……ほんと」
誰にも聞こえないくらいの声で、呟く。
「ずるいよ」
君のせいで。
こんなふうに、思ってしまうようになった。世界が、少しだけ。優しく見えてしまうように。