転生したらヒトカゲだった。しかも色違い   作:リザードン大好きマン

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第三話 「俺も色違いヒトカゲを売って豪遊してぇよ!!」

 

 

 目が覚めたとき、最初に聞こえてきたのは、風に揺れる木々のざわめきだった。

 

 巨木の根の隙間に作った小さな拠点。土の匂いと、ひんやりとした空気。そしてすぐそばで揺れる、自分の尻尾の火。

 

 尾の火がちゃんと燃えているのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。

 

(……生きてる)

 

 たったそれだけのことなのに、昨日の俺にはそれが奇跡みたいに思えた。

 人間だった頃なら、朝起きて「今日も生きてる」なんて考えたことは一度もない。目覚ましを止めて、二度寝するかどうか悩んで、一日の始まりをぼんやり迎えていた。

 

 けれど今は違う。

 

 夜の間に何かに襲われることもなく、雨で尾の火が消えることもなく、こうして無事に朝を迎えられた。それだけで十分すぎるほどありがたかった。

 

「カゲェ……」

 

 大きく伸びをする。

 

 小さな体のあちこちから、じんわりとした痛みが伝わってきた。キャタピーとの戦いで受けた体当たり。ビードルのどくばりによる傷。まだ完全には治っていないようだ。

 

 それでも、昨日の夜よりはだいぶマシになっている。オレンのみのおかげか、それともポケモンの回復力が高いのか。

 

(さすがにポケモンセンターの回復力には敵わないけどな)

 

 あの「てんてんてれれー♪」で一瞬全快するシステムの偉大さを、今ほど実感したことはない。

 

 外へ出ると、朝の光が木々の隙間から差し込んでいた。湿った土の匂いと、葉の上で光る露。森は相変わらず静かで、どこか神聖な雰囲気すら漂っている。

 

 俺は軽く深呼吸をして、腹の奥に意識を向けた。

 

(昨日みたいに、ひのこを出せるか試してみるか)

 

 息を吸う。

 

 腹の奥に熱を集めるイメージ。

 

 そして一気に吐き出す。

 

「カゲッ!」

 

 ぼふっ。

 

 口から出たのは、黒い煙だけだった。

 

「……カゲ?」

 

 思わず首を傾げる。

 

 もう一度。

 

 息を吸って、熱を集めて、吐き出す。

 

 ぼふっ。

 

 やっぱり煙だけ。

 

(あれ?)

 

 昨日は確かに使えた。ビードルを倒したあの小さな火花は、夢でも幻でもない。だが今は、何度やっても火が出ない。

 

 胸の奥に、じわりと不安が広がる。

 

(まさか、一回きりとかじゃないよな……?)

 

 もしそうなら困る。

 

 ひのこは、今の俺にとって唯一の遠距離攻撃だ。あれが使えないとなると、また近接戦に頼るしかない。毒を持つ相手や、自分より強いポケモンと戦うにはあまりにも心もとない。

 

 しばらく何度か試してみたが、結果は変わらなかった。出るのは黒い煙だけ。

 

 喉はひりつくし、むせるし、何より格好悪い。

 

「カゲェ……」

 

 諦めてその場に座り込む。

 

 どうやら、昨日のひのこは偶然に近かったらしい。技というのは、一度覚えたら自由自在に使えるものではないのかもしれない。

 

(ゲームみたいにはいかない、か)

 

 今さらな話だ。それでも、現実を突きつけられるたびに、少しずつゲームの常識が通用しないことを思い知らされる。

 まあ、落ち込んでいても仕方ない。使えないなら、また練習すればいい。

 

 そう自分に言い聞かせて立ち上がる。

 

 朝のうちに食料を探しておきたいし、拠点周辺の様子ももっと把握しておきたい。生き残るために、やるべきことはいくらでもある。

 

「カゲッ!」

(今日も一日、生き延びますか!)

 

 小さく気合を入れて、森の中へ歩き出した。湿った土を踏みしめながら、慎重に周囲へ目を配る。

 

 木々の間から差し込む光。

 

 遠くで聞こえるポケモンの鳴き声。

 

 葉の擦れる音。

 

 いつも通りの森――のはずだった。

 

 だが、しばらく歩いているうちに、胸の奥に妙なざわつきが広がっていった。

 

(……なんだ?)

 

 理由は分からない。

 

 ただ、何かがおかしい。

 

 森の空気そのものが、どこか張りつめているように感じる。

 

 足を止め、耳を澄ませる。

 

 風の音。

 

 鳥ポケモンの鳴き声。

 

 それ以外に――微かに、聞き慣れない音が混じっていた。

 

 ガサッ。

 

 ザッ、ザッ。

 

 草を踏みしめる足音。

 

 しかも一つではない。複数だ。

 

 野生ポケモンとは違う、一定のリズムを持った音。

 

 背筋に緊張が走る。

 

 近くの茂みに身を伏せ、そっと音のする方向へ視線を向ける。

 

 木々の隙間から見えたのは――

 

 

 

 帽子を深くかぶった男と、金髪の若い男。

 

 二人とも、明らかに森を歩き慣れた者の装いをしていた。

 

 帽子の男は、つばの広い黒いキャップを目深にかぶり、鋭い目元だけを覗かせている。

 無駄のない動きで周囲を見渡すその姿には、隙というものがほとんどない。

 濃い色のジャケットと丈夫そうなカーゴパンツは泥や枝で汚れている。腰にはいくつものモンスターボールが取り付けられ、ベルトにはナイフや小型のライト、用途の分からない道具が整然と並んでいる。

 

 一方、金髪の男は二十代前半くらいだろうか。派手に染めた髪を無造作に立たせ、口元には薄い笑みを浮かべている。

 軽薄そうな印象だが、その目には獲物を前にした肉食獣のような光があった。

 迷彩柄のパーカーの上から大きなリュックを背負い、肩には見慣れない銃のようなものを提げている。金属製の筒状の銃身に太いワイヤーがつながっており、どう見ても普通の猟銃ではない。

 

 リュックの口元からは、折りたたまれた金網や捕獲用のケースらしきものが覗いていた。腰には空のモンスターボールがいくつもぶら下がり、歩くたびにかちゃり、かちゃりと乾いた音を立てている。

 

 その姿は、旅をするトレーナーというよりも――獲物を追う狩人そのものだった。

 

 そして、その姿を目にした瞬間。

 

 胸の奥で、何かが大きく跳ねた。

 

(……人間だ)

 

 

ーーーーーー

 

 

 

帽子男の男が足を止め、周囲を鋭く見回す。

 

「この辺りに逃げ込んだはずだ。そう遠くには行っていない」

 

「了解っす。いやぁ、ピチューってのも結構いい値で売れるんすよね?」

 

 金髪の男が肩に担いだ捕獲銃を軽く叩きながら、へらへらと笑う。

 

「珍しいポケモンだからな。電気タイプは需要が高い。特に進化前のピチューは、金持ちのガキに人気だ」

 

「へぇ〜。さすがリーダー、詳しいっすね」

 

「無駄口を叩くな。来るぞ」

 

 帽子男が低い声で言うと同時に、森の奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

 ザザッ、と茂みをかき分けて飛び出してきたのは、小さな黄色い体。

 

 ピチューだ。

 

「ピィッ!? ピチュウ!」

 

 怯えたように鳴きながら、必死に走っている。そのすぐ後ろには、一匹のコラッタとアーボが迫っていた。

 

 コラッタは地面すれすれを駆け抜け、アーボは草むらを縫うように滑る。どちらも無駄のない動きで、逃げるピチューの進路を巧みに制限していた。

 

(連携してる……!)

 

 思わず息を呑む。

 

 ただ追いかけているだけじゃない。コラッタが左から回り込み、ピチューの進路を塞ぐ。慌てて右へ逃げたところを、今度はアーボが威嚇して方向を変えさせる。

 

 追い立てられたピチューは、まるで見えない柵の中を走らされているようだった。

 

「ピィッ、ピィッ!」

 

 逃げ場を失ったピチューが、ちょうど帽子男たちの前へ飛び出す。

 

 その瞬間。

 

「今だ」

 

 帽子男の短い号令。

 

「了解っす!」

 

 金髪の男が肩の銃を構え、引き金を引いた。

 

 バシュッ!鋭い音とともに、銃身から細長い筒が射出され空中で爆ぜることで網が広がる。

 

「ピチュッ!?」

 

 広がった網が、逃げようとしたピチューをすっぽりと包み込んだ。電気をまとって暴れようとするが、網はびくともしない。

 

「ピィッ! ピィィッ!」

 

 小さな体が必死にもがく。だが、コラッタとアーボが左右から睨みを利かせ、反撃する隙を与えない。

 

 帽子男が無言でモンスターボールを取り出した。

 

 カチッ。

 

 ボールが開き、赤い光が網に囚われたピチューを包み込む。

 

「ピチュッ――!」

 

 短い悲鳴とともに、その姿が光へと変わって吸い込まれていく。

 

 ぽとり、と地面に落ちたボールが一度、二度、小さく揺れる。カチリ。静かな音とともに、動きが止まった。

 

「よし。捕獲完了だ」

 

 帽子男は当然のようにボールを拾い上げ、何事もなかったかのように腰のベルトへ収めた。金髪の男が嬉しそうに口笛を吹く。

 

「さすがっすね。めっちゃ手際いいっす」

 

「商品を傷つけずに確保するのが基本だ。次を探すぞ」

 

「了解っす!」

 

 二人はまるで落ちていた木の実を拾ったかのような気軽さで、その場を後にしようとする。

 

 茂みの中で、その一部始終を見ていた俺は――

 

 動けなかった。

 

(……嘘だろ)

 

 心臓が嫌な音を立てる。ポケモンが追われる。網で捕らえられる。抵抗もむなしく、モンスターボールに吸い込まれる。

 

 そして、そのまま連れ去られる。

 

 ゲームでは何度も見てきた光景だ。トレーナーがポケモンを弱らせて、ボールを投げて捕まえる。それだけのこと。

 

 だが、今の俺にとっては違う。

 

 あのボールに吸い込まれていったピチューは、ただのデータじゃない。さっきまで必死に逃げていた、生きたポケモンだ。

 

 そして――

 

(あれ、次は俺でもおかしくないぞ……)

 

 背筋に冷たいものが走る。

 もし見つかったら。

 色違いのヒトカゲなんて見つかったら。

 

 あのピチューと同じように追い立てられ、捕まって、ボールに閉じ込められる。いや、それだけで済む保証すらない。

 

 金髪の男の言葉が脳裏に蘇る。

 

「いい値で売れる」

 

 売る。その言葉の意味を理解した瞬間、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。

 

(……やばい)

 

 助けを求めるどころじゃない。あいつらは、俺にとって野生のポケモン以上に危険な存在だ。

 

 喉がひくりと鳴る。

 

 息を殺し、ただひたすらに気配を消す。

 

 頼む。

 

 こっちを見るな。

 

 見つけるな。

 

 そう願いながら、俺は茂みの奥で体を縮こまらせた。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 逃げなければならない。

 

 ピチューがモンスターボールに吸い込まれていく光景を見た瞬間から、その考えだけが頭の中を支配していた。あの小さな体が必死に抵抗する間もなく赤い光に包まれ、あっけなくボールの中へ閉じ込められていった。最後に聞こえた悲鳴が、まだ耳の奥にこびりついている。

 

 次は、自分だ。そう直感した。

 

 だから今すぐこの場を離れなければならない。見つかる前に、気づかれる前に、息を殺してこの場から遠ざかる。それが最善のはずだった。

 

 なのに――

 

"戦え"

 

 胸の奥で、あの声が囁いた。体が勝手に動く。

 

(やめろ…。やめろっ……。逃げるんだ!!)

 

 頭では逃げろと叫んでいるのに、足は一歩だけ前に出た。

 

 たったそれだけの動き。だが、その爪先が枯れ枝を踏み抜いた。

 

 パキッ。森の静寂を切り裂くように、乾いた音が響く。

 

 しまった、と息を呑んだ時にはもう遅かった。

 

 帽子を深くかぶった男がぴたりと足を止め、ゆっくりとこちらを振り向く。感情の読み取れない鋭い視線が、茂みの奥に潜む俺を正確に射抜いた。

 

「……いたな」

 

 たった一言。

 

 それだけで、全身の血が凍りつく。

 

 金髪の男も身を乗り出し、次の瞬間には興奮を隠しきれない声を上げていた。

 

「うわ、マジっすか……!色違いのヒトカゲっすよ!」

 

 帽子の男の目が細められる。

 

「珍しいな。かなりの値がつく」

 

 その言葉を聞いた瞬間、背筋に氷を流し込まれたような寒気が走った。

 

 彼らの目に映っているのは、一匹の命ではない。高く売れる商品だ。ただの金になる獲物だ。

 

 値札を貼られるような感覚に、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 

 捕まったらどうなるのか。

 

 それはさっき見たばかりだ。モンスターボールの中に閉じ込められ、どこへ連れていかれるのかも分からない。檻の中かもしれない。知らない誰かに売られ、二度と自由に空を見られなくなるのかもしれない。

 

 そんな未来を想像した瞬間、喉の奥がひゅっと鳴った。

 

 怖い。

 

 圧倒的に怖い。

 

 野生のポケモンとの戦いとはまるで違う。

 

 キャタピーやビードルは、生きるために襲ってきた。そこに悪意はない。ただ生きるための本能だった。

 

 だが目の前の人間たちは違う。明確な意思を持って、自分を捕まえようとしている。その視線の奥にあるのは、欲望だ。金の匂いに目を輝かせる、捕食者の目。

 

 人間だった頃、ニュースで見た動物密猟の映像が脳裏をよぎる。狭い檻に押し込められ、怯えきった目をした動物たち。その時は画面の向こうの出来事だった。

 

 だが今、その檻に入れられる側にいるのは自分だ。

 

 もし捕まれば、人生どころか存在そのものが他人の所有物になる。自分の意思も、自由も、未来も、全部奪われる。

 

 そんなのは絶対に嫌だ。

 

 死ぬほど嫌だ。

 

「絶対逃がすな」

 

「了解っす!」

 

 二人の声を聞いた瞬間、反射的に体が動いた。

 

「カゲェッ!」

 

 地面を蹴り、全力で走り出す。

 

 木々の間をすり抜け、枝をかき分け、とにかく前へ。背後から迫る足音と気配に、心臓が破裂しそうなほど暴れている。

 

 だが、すぐに帽子の男の冷静な声が飛んだ。

 

「コラッタ、右へ回れ。アーボ、正面を塞げ」

 

 その指示と同時に、二つの影が森の中を駆けた。

 

 コラッタは低い姿勢で地面を蹴り、信じられない速度で側面へ回り込む。アーボは草むらを滑るように進み、逃げ道を先回りしていた。

 

 速い。

 

 いや、それ以上に無駄がない。

 

 俺一匹を追い詰めるために、二匹のポケモンと二人の人間が完璧に連携している。どこへ逃げても、必ず先回りされる。まるで最初から逃げ道なんて存在しなかったかのように。

 

 その事実に、恐怖がさらに膨れ上がる。

 

 俺は、狩られている。

 

 完全に。

 

 絶対的に。

 

 捕食者に追い立てられる獲物そのものだった。

 

"戦え"

 

 頭の奥で声が響く。

 

 逃げたいのに、足が止まる。

 

 コラッタが突っ込んでくる。

 

「カゲェッ!」

ひっかく

 

 ひっかくを放つが、爪は虚しく空を切った。

 

 コラッタは小さな体をひねってかわし、そのまま全力の体当たりを叩き込んでくる。

 

 衝撃が腹にめり込み、息が一瞬で吹き飛んだ。

 

 宙に浮き、地面を何度も転がる。

 

 肺が潰れたように苦しい。

 

 立ち上がろうとした瞬間、今度はアーボが目の前にいた。

 

 大きく開いた口の中で、毒の牙がぬらりと光る。

 

(やば――)

 

 避けきれない。ガブッ、と左腕に牙が食い込んだ。

 

「カゲェェッ!!」

 

 鋭い痛みの直後、焼けるような熱と痺れが全身へ駆け巡る。体の感覚が一気に狂い、膝から崩れ落ちた。

 

 それでも必死に口を開く。

 

(ひのこ……! 出ろ!)

 

 息を吐き出す。

 

 だが口から漏れたのは、情けない黒煙だけだった。

 

 火は出ない。

 

 唯一の遠距離攻撃すら使えない。その瞬間、胸の奥で何かが完全に折れた。

 

 勝てない。逃げられない。助からない。

 

 そう理解した直後、コラッタの二度目の体当たりが胸に直撃した。

 

 視界が白く弾ける。

 

 地面に叩きつけられ、動けなくなる。

 

 そこへ銃声のような音が響いた。

 

 バシュッ!飛んできた網が空中で広がり、俺の体をすっぽり包み込む。

 

「カゲェッ!?」

 

 もがく。

 

 暴れる。

 

 爪を立てて引き裂こうとする。

 

 だが網はびくともしない。

 

 絡みついた糸が体に食い込み、自由を完全に奪っていく。その感覚に、背筋が粟立った。

 

 動けない。逃げられない。まるで「お前の自由はここで終わりだ」と宣告されているようだった。

 

 帽子の男が無表情のまま近づいてくる。腰のモンスターボールに手をかける仕草を見た瞬間、全身の血が逆流した。

 

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 閉じ込められたくない。

 ボールの中に入りたくない。

 誰かの所有物になりたくない。

 知らない場所に連れていかれたくない。

 

 まだ、この世界に来て数日しか経っていない。やっと拠点を見つけて、水場を見つけて、ひのこを覚えて、「生きられるかもしれない」と思えたばかりなのに。

 

 それが、こんな形で終わるのか。ここで捕まって、何もかも奪われてしまうのか。そんなのは絶対に嫌だ。心臓が壊れそうなほど暴れ、呼吸は浅くなり、視界の端が暗く染まっていく。

 

 コラッタの体当たり。アーボの尻尾。

 

 次々と打ち込まれる衝撃に、意識が揺れる。それでも恐怖だけは、むしろ鮮明になっていった。

 

 生きたい。

 死にたくない。

 自由でいたい。

 捕まりたくない。

 まだ終わりたくない。

 

 朦朧とする意識の中で、その感情だけが胸の奥で燃え上がり、今にも爆発しそうなほど膨れ上がっていった。

 

 薄れゆく意識の中で、不意に前世の記憶が蘇った。家族や友人と過ごした何気ない日常。くだらないことで笑って、悩んで、それでも前に進もうとしていた、自分の人生。

 

 ようやく少しずつ、自分なりの道を見つけ始めていたはずだった。

 

 それなのに――こんな訳の分からない世界で、何もできないまま終わるのか。捕まって、自由を奪われて、誰かの金儲けの道具になって。

 

 そんな終わり方で、本当にいいのか。

 

(――ふざけるな)

 

"戦え"

 

(そうだ。俺はまだ終われない。戦うんだよ。生きるために、強くなるために。……戦えッ!!!)

 

 胸の奥で、何かが燃え上がった。

 

 その瞬間。

 

 体の奥底から、これまで感じたことのない熱が噴き上がる。

 

 尾の火とは比べものにならない、灼熱の奔流。血管の中を溶岩が流れるような感覚に、全身が震えた。

 

 

 

 

――特性《???????》発動。

 

 

 

 

 突然、意識が一気に澄み渡った。

 ぼやけていた視界が鮮明になる。鉛のように重かった体が、嘘のように軽い。痛みも、恐怖も、すべてを押し流すほどの力が腹の奥に満ちていた。

 

(動ける……!)

 

 帽子の男が目を見開く。

 

「……何?」

 

 その声を聞くより早く、俺は口を大きく開いていた。

 

 すぅ…と息を吸い込む。

 

 腹の奥の熱が一気に集束する。

 

 そして――吐き出す。火が爆ぜる。

 

「カゲェェェッ!!」

ひのこ!

 

 放たれた瞬間、それはもはや“小さな火花”ではなかった。

 

 轟音とともに灼熱の炎が爆発し、網を一瞬で焼き切る。そのまま至近距離にいたコラッタを正面から飲み込み、弾き飛ばした。

 

「ラタァッ!?」

 

 悲鳴を上げながら吹き飛んだコラッタは木の幹に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。

 

「コラッタ!」

 

 金髪の男の焦った声が響く。

 

 だが、立ち止まるつもりはない。焼け落ちた網を引き裂き、俺は地面を蹴った。自由になった足で、全力で走る。

 

「アーボ! 止めろ!」

 

 帽子の男の指示と同時に、アーボが背後から迫る。草むらを滑るように進み、その毒牙を再び突き立てようと口を開く。だが今の俺には、その動きがはっきりと見えていた。

 

 振り返りざま、息を吸う。

 

 熱を集める。

 

 そして、撃つ。

 

「カゲェッ!」

ひのこ!

 

 さっきと同じく、強烈な炎が一直線に走る。

 

 避ける間もなく直撃したアーボは悲鳴を上げ、地面を転がった。そのまま力なく横たわり、ぴくりとも動かなくなる。

 

「アーボまで……!」

 

 金髪の男の声が震える。帽子の男の声にも、初めて焦りが滲んだ。

 

「追え!絶対に逃がすな!」

 

 背後から怒号が飛ぶ。

 

 だがもう止まらない。木々の間を駆け抜ける。枝を飛び越え、根を蹴り、ただひたすら前へ進む。

 

 

 

 心臓が激しく脈打つ。

 

 全身が熱い。

 

 それでも、足は止まらない。

 

 走る。走る。走る。走る。

 

 

 

 しばらく走り続け、ようやく背後から追ってくる気配が消えた。それでも安心できず、さらに走る。

 

 肺が焼けるように痛み、足がもつれそうになった頃、ようやく見慣れた巨木の根が視界に飛び込んできた。

 

 拠点だ。

 

 最後の力を振り絞って洞穴に飛び込み、その場に崩れ落ちる。

 

「……カゲェ……ッ、ハァ……ハァ……」

 

 肩で荒く息をしながら、震える両手を見る。

 

 まだ生きている。

 

 捕まっていない。

 

 自由だ。

 

 その事実を実感した瞬間、全身から力が抜けた。だが、まぶたを閉じても、脳裏にはあの二人の姿が焼きついて離れない。

 

 冷たい目で自分を値踏みしていた帽子の男。

 

 「高く売れる」と嬉しそうに笑っていた金髪の男。

 

 そして、赤い光に飲み込まれていったピチュー。

 

 野生のポケモンよりも、はるかに恐ろしい存在。

 

 人間。かつて自分もその一員だった種族に対して、これほどの恐怖を抱く日が来るとは思わなかった。尾の火が、小さく揺れる。

 

 その暖かな光を見つめながら、俺は震える声で呟いた。

 

「……カゲ」

(……人間って、怖ぇな)

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 張りつめていた糸が、ぷつりと切れた。

 

 全身を満たしていたあの異様な熱が、潮が引くように一気に消えていく。

 

 腹の奥で荒れ狂っていた炎は跡形もなく消え失せ、代わりに残ったのは、底の見えない虚脱感だけだった。

 

 まるで、体の中身を丸ごと抜き取られたような感覚。

 

 立っていることすらできない。

 

「……カゲ?」

 

 一歩踏み出そうとして、膝から力が抜ける。

 

 視界がぐらりと傾き、そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 そして――

 

「――ガアァァァァァッ!!」

 

 次の瞬間、全身を激痛が貫いた。

 

 それは、ただ「痛い」という一言では到底足りない苦しみだった。

 

 コラッタの体当たりを受けた胸が、内側から砕けるように痛む。

 

 アーボに噛まれた左腕は、熱した鉄を突き刺されたように焼けついている。

 

 転がされ、殴られ、踏みつけられた全身の打撲が、一斉に悲鳴を上げた。

 

 筋肉の一本一本が裂けるように軋み、骨の節々にまで痛みが食い込んでくる。

 

 少し指を動かしただけで、全身に電流が走った。

 

「カゲェェッ! ガッ、アァッ! カゲェェッ!!」

 

 喉が裂けそうな悲鳴が、洞穴の中に反響する。

 

 痛い。

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 思考が、その一言で塗りつぶされる。だが苦しみは、それだけでは終わらなかった。

 

 傷口からじわじわと回っていた毒が、ここにきて本格的に牙を剥く。

 

 頭の中をかき混ぜられるような眩暈。視界がぐにゃりと歪み、天井も地面も区別がつかなくなる。

 

 胃の中身が上下左右に揺さぶられ、猛烈な吐き気が込み上げた。

 

「カゲッ……オェッ! ゲホッ! オェェッ!」

 

 胃液を吐き散らしながら、喉の奥がひりつく。

 

 口の中に広がる酸っぱい味と血の味。

 

 鼻の奥まで焼けるように痛い。

 

 息を吸うだけで吐きそうになる。

 

(気持ち悪い……! やばい……! 視界が……回ってる……!)

 

 冷や汗が滝のように噴き出し、全身の鱗を濡らしていく。

 

 心臓が速すぎるほど打ち鳴り、鼓動のたびに傷口がずきずきと疼いた。

 

 そして、追い打ちをかけるように、体の奥からぞくりとした悪寒が這い上がってきた。

 

「……カ、カゲ……ッ……!」

 

 歯がカチカチとぶつかり合う。

 

 体が小刻みに震え始める。

 

 さっきまで全身を満たしていた灼熱はどこにもない。

 

 ひのこを何発も放ったことで、体の中の熱という熱を根こそぎ吐き出してしまったようだった。

 

 尻尾の火はまだ燃えている。

 

 それなのに、体の内側は氷を詰め込まれたみたいに冷えきっていた。

 

(寒い……! 寒い寒い寒い……!)

 

 痛い。

 

 苦しい。

 

 気持ち悪い。

 

 寒い。

 

 全身の異常が同時に押し寄せ、脳が処理しきれない。

 

 呼吸は乱れ、酸素が足りない。

 

 頭の中が真っ白になる。

 

 そして――

 

(ああああああああぁぁぁぁぁっ!!!)

 

(痛い痛い痛い痛い痛い!!)

 

(無理無理無理無理!!)

 

(誰か! 助けてくれ!!)

 

 心の中で絶叫する。

 

 だが、その叫びに応える者はどこにもいない。

 

 俺は地面の上で体を丸め、それでも痛みに耐えきれずにのたうち回った。

 

 土を掻きむしる。

 

 爪が割れそうになるほど地面を引っかく。

 

 尾が激しく暴れ、壁に何度も叩きつけられる。

 

「ガアァッ! カゲェェッ! アアアァァッ!!」

 

 声にならない悲鳴が次々と喉から漏れ出る。

 少し動けば激痛。じっとしていても吐き気。体の芯からは止まらない悪寒。どこにも逃げ場がない。

 

 痛みのあまり涙が溢れ、視界がぼやけていく。

 

(痛い……)

 

(苦しい……)

 

(怖い……)

 

(死ぬ……)

 

 その言葉が頭をよぎった瞬間、全身の血の気が引いた。

 

 死ぬ。

 

 このまま、誰にも知られず、この薄暗い洞穴の中で。さっきまで生きたいと必死にもがいていたのに。

 

 やっと逃げ延びたのに。

 

 結局ここで終わるのか。

 

(嫌だ……!)

 

(嫌だ嫌だ嫌だ!!)

 

(まだ死にたくない!!)

 

 だが、叫ぶ力すらもう残っていない。

 

 人間だった頃なら、救急車を呼べたかもしれない。病院に運ばれ、薬を打ってもらえたかもしれない。誰かが背中をさすって、「大丈夫」と言ってくれたかもしれない。

 でも今の俺には、それが何ひとつない。

 

 ポケモンセンターもない。

 

 ジョーイさんもいない。

 

 モンスターボールの中で守ってくれるトレーナーもいない。

 

 本当に、たった一匹きりだ。

 

 この広い森の中で、自分だけが取り残されている。

 

 その孤独が、痛みとは別の形で胸を締めつけた。

 

「……カ……ゲ……」

 

 震える声が、かすかに漏れる。

 

 視界の輪郭がぼやける。

 

 音が遠ざかる。

 

 痛みも、吐き気も、寒気も、少しずつ感覚の向こう側へ沈んでいく。それが楽になっているのか、それとも意識が途切れかけているだけなのか、もう判断もつかなかった。

 

 最後に見えたのは、洞穴の闇の中で揺れる自分の尻尾の火。

 

 小さく、か細く、それでも必死に燃え続ける命の灯火。

 

 まるで「まだ終わっていない」と言ってくれているようだった。

 

(……まだ……)

 

(まだ……死にたくない……)

 

(もっと……生きたい……)

 

(お母さん……ごめん)

 

 その想いを最後に、俺の意識は深い闇の底へと静かに沈んでいった。

 

 

 

 









【名前】???
【種族】ヒトカゲ
【性格】おくびょう
【特性】???
【持ち物】無し

【技】
・ひっかく
・ひのこ?

この特性が終わった後は副作用で、死んだ方がマシ!なレベルの苦痛を味わいます。具体的な特性の名前と効果は次回のお楽しみに。
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